譚海 卷之十一 彫物師後藤家來由事
○彫物は、後藤家初代祐乘(ゆうじよう)、名人也。當時に至りて、「祐乘」などといふ者は、一向、拂底(ふつてい)にして、世間に眞作は、なき程の事也。後藤家に「三作」と稱するは、光乘・卽乘・貞乘也。中(なか)に就て、郞乘を上手と稱す。光乘は祐乘より四代目、貞乘は享保年中の人也。又、顯乘といふも上手と稱する也。
[やぶちゃん注:「後藤家初代祐乘」後藤四郎兵衛(以下、この名を継ぐ)。初代祐乗(永享一二(一四四〇)年~永正九(一五一二)年)。名は正奥。美濃生まれ。足利義政に仕え、彫金、特に目貫の名匠として有名。
「光乘」(享祿二(一五二九)年~元和六(一六二〇)年)四代。名は光家。京生まれ。織田信長に仕え、大判分銅の役を勤めた。
「貞乘」不詳。ウィキの「後藤四郎兵衛」には、この名のりの者はいない。「程乘」はいるが、「享保年中」よりも前で、合わない。それに合うのは、十一代後藤「通乘」か、十二代後藤「壽乘」である。
「中に就て、郞乘を上手と稱す」同前ウィキで、八代後藤「卽乘」の誤りであろう。
「顯乘」同前で、七代後藤「顯乘」のこと。]