譚海 卷之十二 新吉原土手編笠茶屋の事
○「淺草溜(あさくさため)」のたんぼより、よしはらへ行(ゆく)土手際に、「あみ笠茶屋」とて、常に「あを笠」を釣(つり)て置(おき)たる茶や、あり。むかしは、吉原へかよふ者も、大かたは、こゝにて、あみ笠をかりて、かぶりて行(ゆく)事にせしが、今は、其跡も、なく、笠など着て、よしはらへ行(ゆく)人は、なき樣に成(なり)たり。時代のうつりかはる事、せんかたなし。
[やぶちゃん注:底本には、最後に編者割注で『(別本缺)』とある。
「淺草溜」台東区の旧浅草区地区千束村浅草溜。浅草寺北の三ヶ町耕地の間に位置した。江戸時代には、病人や若年の囚人を収容した施設で、同様の施設は品川にも設置されていた。貞享四(一六八七)年、罪人を非人頭(ひにがしら)に預けたことから起こったとされている。当初は非人小屋に収容していたが、その後、預り人が多くなったため、元禄一三(一七〇〇)年、二十四間✕四十五間の規模の地所が与えられ、二棟(一の溜・二の溜)の長屋が立てられた(平凡社「日本歴史地名大系」に拠った)。この「浅草半助地蔵尊」(グーグル・マップ・データ)が唯一の名残であるらしい。]