譚海 卷之十一 明朝の董其昌戲鴻堂法帖の事
○董其昌(とうきしやう)が法帖を、「戲鴻堂(ぎこうだう)」と云(いふ)。夫(それ)には、吾朝、佐理(さり/すけまさ)卿の書を載(のせ)て有(あり)。日本國・海外の書、深く「二王」の跡を學ぶ。子孫、永く珍藏とすと、賞鑑(しやうがん)せり。
[やぶちゃん注:「董其昌」(一五五五年~一六三六年)明末に活躍した文人で、特に書画に優れた業績を残した。清朝の康熙帝が彼の書を敬慕したことは有名である。その影響で清朝に於いて、正統の書とされた。また、独自の画論は、文人画(南宗画)の根拠を示し、その隆盛の契機を作った。董其昌が後世へ及ぼした影響は大きく、「芸林百世の師」と尊ばれた(当該ウィキに拠った)。
「佐理卿」藤原佐理(天慶七(九四四)年~長徳四(九九八)年)は平安中期の公卿で能書家として知られる。摂政関白太政大臣藤原実頼の孫。「三跡」の一人で「草書」で有名である。
「二王」前話に出た王羲之・王献之の父子を指す。]