譚海 卷之十一 愛宕下眞福寺渭圭法印の事 附多岐尼天修法祕書の事
○叔父、「あたご」の下、眞福寺(しんぷくじ)、渭圭(いけい)法印の弟子にて、法印入滅の後(のち)、其著述の書籍を、悉(ことごとく)、語り受(うけ)て所特せり。
叔父故宅の名主に、馬込勘解由(まごめかげゆ)といふ者有(あり)。ある大名へ用金を借置(かしおき)て、返濟なく、莫大に滯(とどこほり)し故(ゆゑ)、迷惑に及び、「多伎尼天(だきにてん)の法」を修(しゆ)して、
「此難を遁(のが)れん。」
と、せし時、叔父方に、眞福寺の祕書、有(ある)事を傳聞(つたへきき)て、
『修事(しゆじ)の次第、間違(まちがひ)なく行(おこ)はん。』
と思ひて、此書を借受(かりうけ)に來りたり。
叔父、其前夜の夢に、鎭守の稻荷の社(やしろ)に詣(まふ)で、書籍を神前へ納(をさむ)る事を、見たり。
取次の者に、白狐、出(いで)て、此書を受取(うけとり)ぬ。
其狐のかたち、白毛、うつくしく生(おい)て、眞白に有(あり)しかば、叔父、夢中に、白狐の體(からだ)を撫で見たるに、柔(やはらか)なる事、いふばかり、なし。
「扨々(さてさて)、見事成(なる)事に候。何として、かくまで、長生(ちやうせい)は、ある事にや。」
と、問(とひ)侍りしかば、狐、云(いはく)、
「我は、生(いき)て、三百餘歲に及べり。增上寺創立の時、かの礎(いしずゑ)の石を、皆、目形[やぶちゃん注:底本では、「形」に右訂正注して『(方)』とある。ここは「秤(はかり)」の意。]にかけて、築(きづき)たる事を覺え居(をり)たり。」
と語りぬ。
「扨、左程迄、長壽にあるには、いかなる心懸(こころがけ)をなしてか、然る事に侍る。」
と、いひければ、
「長壽にてあらんと思はば、唯、思慮をはぶきて、心に苦勞なきやうにてあれば、生延(いきのび)る也。」
と、いひて、夢、覺(さめ)ぬ。
翌日、勘解由、來りて、右の祕書を乞(こひ)ければ、
「是は普通の所望にては、成(なし)がたき事なれども、昨夜、已に用立(ようだつ)べき由、夢に見侍りしかば、辭退せずして、借(かし)參らする也。扨(さ)て。此修事は、成就致し侍らん事、鏡をかけて見るやうに、侍る。」
とて、夢の姶末を物語せしかば、勘解由も、賴母(たのも)しく悅びて歸りぬ。
はたして、祈念のごとく、金子、滯なく返濟なりし、とぞ。
[やぶちゃん注:「叔父」津村の叔父である中西邦義。
『「あたご」の下、眞福寺』東京都港区愛宕にある真言宗智山派真福寺(しんぷくじ:グーグル・マップ・データ)。現在は真言宗智山派総本山智積院の別院でもある。
「渭圭法印」不詳。]

