譚海 卷之十一 松花堂の事
○松花堂は、生涯、墨を製して書(かき)たる故、墨色にて、眞跡は、わかるゝ也。書樣(かきざま)は弘法大師の流(りう)也。畫は琉球の法なり。
[やぶちゃん注:「松花堂」江戸初期の真言僧で文化人であった松花堂昭乗(しょうかどうしょうじょう 天正一〇(一五八二)年~寛永一六(一六三九)年)。姓は喜多川。俗名は中沼式部。堺生まれ。当該ウィキによれば、『書道、絵画、茶道に堪能で、特に能書家として高名であり、書を近衛前久に学び、大師流や定家流も学び,独自の松花堂流(滝本流ともいう)という書風を編み出した。近衛信尹、本阿弥光悦とともに「三筆」と称せられた』。『茶道は小堀政一』(遠州)『に学んだ』とある。]