譚海 卷之九 羽州秋田領より諸方往來雪中坦路の事
[やぶちゃん注:標題中の「坦路」は「たんろ」で「平らな道」の意。前話の続きである。例によって、地名がよく判らない箇所がある。]
○羽州秋田より、雪中、坦路をゆかんとするには、秋田領「あらや」より、本莊(ほんじやう)ヘ九里、本莊より、酒田、十二里、酒田より、淸川通(きよかはといふを、へて、本道、船形(ふながた)ヘ出(いづ)る。是は、酒井左衞門尉殿、のぼり道中の跡なり。
くだりには、大石田通にて、舟行(ふなゆき)有(あり)、本莊へ着(つく)の、よし。
また、秋田より、湯殿山道(ゆどのさんみち)は、「あらや」・本莊・酒田・坂田より、羽黑山、九里。
羽黑より、夜半に發(はつ)し、月山・「ゆどのさん」、かけこしにして、「すゞ泊(どまり)」といふに、いたる。此際(このさい)、十八里あり。
「すゞ」より、本道中(ほんだうちゆう)、山かたまで、又、十八里あり。
「八みその觀音」へ參るには、本道なり。
矢吹より入(いり)て、矢溝まで、十一里、有(あり)。
矢みぞより、本道中、大田原へ出(いづ)る。九里あり。
又、秋田、上(かみ)の郡(こほり)より、「南部越(なんぶごえ)」は、秋田領、橫手より、小松川澤(こまつかはさは)内(うち)、山伏峠・「南畑」・「すゝくし」より、南部盛岡に出(いづ)るなり。夏路(なつみち)。二日(ふつか)あり。
又、刈和野・角の館(かくのだて)・雫石(しづくいし)・森岡と、いづる。是を「おぼ内こえ」と云(いふ)。
橫手より、こゆるよりは、一日路(いちにちみち)。ちかけれども、「おぼ内」三里の間、甚(はなはだ)、難所なり。
南部領、澤内(さはうち)は、廣き所にて、「湯畑」といふ所には、溫泉あり。爰(ここ)の間、屋六左衞門と申(まふす)者へ賴(たのみ)候へば、馬・駕籠・人足(にんそく)も、自由に調(ととの)ふなり。
澤内より、南部城下へゆかず、仙臺へゆかんとせば、「湯畑」より仙人峠と云(いふ)をこえて、「瀨ばた」へ至(いたる)べし。直(ただち)に仙臺・南部境(さかひ)へ出(いづ)るなり。
「せばた」より、塔野といふへ出(いづ)れば、濱邊通(はまべどほり)なり。
又、陸をゆかんとならば、「せばた」より「鬼柳」に至(いたる)べし。是(これ)、南部・仙臺境(さかひ)なり。
又、秋田下(しも)の郡(こほり)より、南部へこゆるには、秋田領、十二所(じふにしよ)より、松山と、「ふかい」・花輪・「けま内(ない)」・森岡と出(いづ)るなり。是は至(いたつ)て難所、壹騎打(いつきうち)の所なり。
[やぶちゃん注:『秋田領「あらや」』久保田城(=秋田城:以下の地図上の東北にある「千秋公園」(せんしゅうこうえん)が城跡)の南西日本海側の新屋地区(グーグル・マップ・データ。以下無指示は同じ)であろう。
「本莊」秋田県由利本荘市(ゆりほんじょうし)。
「酒田」山形県酒田市。
「淸川通」山形県東田川郡庄内町清川。サイト「やまがた 庄内観光ガイド」の「日本史好き必見!徒歩で行く“歴史の里”きよかわ観光ガイドツアー」によれば、『庄内町のほぼ中心に位置し、立谷沢川と最上川の合流地である清川。このエリアは最上川交通の要衝、そして出羽三山詣での登拝口として発達した宿場町で、古くは』文治三(一一八七)年に『(源義経の一行が奥州平泉へ向かう際や』、元禄二(一六八九)年(年)に『松尾芭蕉が出羽三山を参拝した際も、清川を通ったと言われてい』るとあった。
「船形」山形県最上郡舟形町(ふながたまち)。
「酒井左衞門尉殿、のぼり道中の跡なり」出羽庄内藩初代藩主にして酒井左衛門尉家第七代当主酒井忠勝(文禄三(一五九四)年~正保四(一六四七)年)。「のぼり道中」は言わずもがな、参勤交代の通路を指す。
「大石田通」山形県北村山郡大石田町(おおいしだまち)。嘗つては、最上川の船運で栄えた。
「湯殿山」山形県鶴岡市、及び、同県西村山郡西川町(にしかわまち)にある、標高千五百メートルの山。月山・羽黒山とともに出羽三山の一つとして、修験道の霊場である。
「坂田」前の「酒田」の衍字か。
「羽黑山」山形県鶴岡市にある標高四百十四メートルの山。出羽三山の主峰である月山の北西山麓に位置する丘陵で、独立峰ではない。修験道を中心とした山岳信仰の山として知られる。前の前の注のリンク先を参照されたい。
「すゞ泊」『「すゞ」より、本道中、山かたまで、又、十八里あり』という距離と一致するのは、山形県山形市鈴川町(すずかわまち)であろう。出羽三山の南東に位置する。
といふに、いたる。此際(このさい)、十八里あり。
「八みその觀音」不詳。但し、ここまでの路程と、漢字表記から、現在の山形県東村山郡中山町(なかやままち)金沢(かねざわ)にある岩谷十八夜観音(いわやじゅうはちやかんのん)が、それっぽい気はする。
「矢吹」「矢溝」孰れも不詳。漢字表記に誤りがある可能性が高い。とりあえず、「矢吹 矢溝 山形県」のフレーズによる地図を示しておく。
「大田原」不詳。栃木県大田原市では、距離が短過ぎる。
『秋田、上(かみ)の郡(こほり)』旧北秋田郡か。当該ウィキを見られたい。
『「南部越(なんぶごえ)」は、秋田領、橫手より、小松川澤内、山伏峠、「南畑」、「すゝくし」より、南部盛岡に出(いづ)るなり』「橫手」秋田県横手市。「小松川澤内」秋田県横手市山内小松川に、川名に小松川沢がある。「山伏峠」不詳。それらしいのは、ここの県道二百三十四号にある「峰越峠」である。この地区はまさに「南畑」、現在の岩手県岩手郡雫石町(しずくいしちょう)南畑(みなみはた)の地区内であるからである。「すゝくし」これは「雫石」の誤記或いは東北方言をそのまま音写したものかも知れない。「南部盛岡」岩手県盛岡市。
「刈和野」秋田県大仙(だんせん)市刈和野(かりわの)。
「角の館」秋田県仙北(せんぼく)市角館町(かくのだてまち)。
「雫石」雫石町市街。
「森岡」「盛岡」の誤記。
「おぼ内こえ」現在、岩手県二戸市金田一水梨(きんたいちみずなし)に「割烹旅館おぼない」があるが、この近くの峠か。漢字表記不明。
「南部領、澤内」『「湯畑」といふ所には、溫泉あり』岩手県和賀郡西和賀町(にしわがまち)沢内(さわうち)は、ここだが、その南方直近に岩手県和賀郡西和賀町湯本(ゆもと)に、「湯本温泉」がある。岩手県観光ポータルサイトの「湯本温泉」に、「湯田(ゆだ)」は『寛文年間』(一六六一年~一六七三年頃)『からいわれていた「田の中から湯の湧くところ」という表現に由来しており、これは今の湯本温泉を指している』とあった。本「卷之九」は最新記事が寛政元年(一七八九年一月二十六日から一七九〇年二月十三日まで)である。「ひなたGPS」の戦前の地図を見ると、ここは独立した『湯田村』であったことが判る。
「仙人峠」国道二百八十三号の遠野市から釜石市へ向かう途中に「仙人峠道路」がある。
「瀨ばた」岩手県花巻市桜町内にバス停「瀬畑口」が確認出来る。
「塔野」漢字表記の誤り。岩手県遠野市。
「秋田下の郡」不詳。以下の「十二所」から、冒頭に出た「北秋田郡」の「下」(南)の郡域の意か。
「秋田領、十二所」久保田藩領であった十二所(じゅうにしょ:現在の秋田県大館市十二所)。
「松山」不詳。
「ふかい」不詳。
「花輪」秋田県鹿角(かづの)市花輪下中島(はなわしもなかしま)にJR東日本「鹿角花輪駅」がある。
「けま内」秋田県鹿角市十和田毛馬内(とわだけまない)。
「森岡」盛岡。同前。
「壹騎打の所なり」騎馬して走ると、一騎分の道幅しかないことを言う。]