譚海 卷之十 大森壽庵物語の事
○大森壽庵[やぶちゃん注:底本には「庵」に右補正傍注があり、『(安)』とある。]といふ醫師のいへるは、
「人の體は、血氣、滯(とどこほり)なく循環すれば、無病なり。血のめぐりあしく滯る所より、諸病は發するなり。また、毒にあてらるゝといふ事のあるも、畢竟、めぐりのあしき時に、あたるなり。河豚魚(ふぐ)は毒魚のやうにいひなれたれども、猶、くはしく思へば、さばかりにも、あらず。河豚は、只、熱物(ねつぶつ)なれば、鬱火(うつくわ)の内(ない)に盛(さかん)なる人、くらふときは、火氣、湧騰(ゆうたう)して、脈絡をふさぎ、卽(すなはち)、死に到(いた)るなり。虛火の人、河豚をくらひても、死せざるなり。河豚を、くふ人の、何事(なにごと)なく、ながらへ、また、卽死に及(およぶ)事などは、此たぐひ成(なる)ゆゑ也。」
と、いへり。
[やぶちゃん注:「大森壽」「安」(寛延二(一七四九)年~文化四(一八〇七)年)は仙台白石生まれで、蘭学者大槻玄沢の門下で眼科を志し、仙台藩藩医となった人物。詳しくは、国立国会図書館デジタルコレクションの『日本医史学雑誌』第千二百九十三号(昭和一六(一九四一)年七月発行)の人類学者・解剖学者長谷部言人(ことんど)氏の論文「大森壽安」に詳しい。]
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