譚海 卷之十二 山神の像の事
○美濃の國の僧、物語しは、
「在所にて、知(しり)たる人の許(もと)に、『山神の像』といふものを畫(ゑが)きたるを所持せり。兩面の頭(かしら)にて、手足は、猿の如し、斧を、かつぎて立(たて)る像也。猿の功をへたるが、『ひゝ』といふものに成(なり)たるが、山神に成(なる)事。」
と、いへり。
[やぶちゃん注:この造形は、即座に、ピンとくるものがある。「両面宿儺」(りょうめんすくな)である。詳しくは、当該ウィキを見られたいが、『仁徳天皇の時代の飛騨に現れたとされる異形の人物、もしくは鬼神で』、「日本書紀」には『武振熊命に討たれた凶賊とする一方で、岐阜県においては』、『毒龍退治を行ったり、寺院の開基となった豪族とする伝承も残されている』とある。私は大学生の時、父母と旅した高山の千光寺で、円空の両面宿儺像を直に見、激しく感動した(宝物館の建設に取り掛かった直後で工事中であったが、住職が我々の来訪を見て、特別に見せてくれ、解説もしてくれた。拝観料も受け取られずに、である)。円空一代の最高傑作の一つと言ってよいと私は思っている。]