譚海 卷之十一 白隱和尙の事
○白隱和尙上京の時、女院(にようゐん)、御所の御招待にて、院參あり。
其時、女院の御裝束、紫縮緬の御衣(みころも)に、緋縮緬の袈裟にてましましけるを、和尙、拜し奉りて、
「出離を求(もとむ)るものは、ケ樣成(かやうなる)御裝束にては、あるまじき。」
よし、申(まふし)上られしにより、後々は如法衣(によほふえ)にかへて入らせ給ふ。
「殊勝なる御事成(なり)。」
とぞ。
和尙、一度、院參ありて、度々、召(めさ)れん事を、うるさく思はれ、心宗(しんしゆう)のむね[やぶちゃん注:仏心を悟ることを教えること。]を一卷にしなし、「鬼あざみ」と號して奉られける。
又、一說には、
「此法(ほふ)、語、あまり、かどめきたるさまの書なりしゆゑ、「鬼あざみ」とは、院中にて、名付(なづけ)させ給ふ。」
とも、いへり。
和尙、遷化の後(のち)、此ゆゑによりて、「獨妙禪師」と諡號(しがう)を賜りける、とぞ。
[やぶちゃん注:「女院」思うに後桜町天皇であろう。現在の皇室史における最後の女性天皇であり、在位九年の後、明和七年十一月(一七七一年一月)、甥であった後桃園天皇に譲位して太上天皇(院)となっている。但し、白隠は明和五年に遷化しているから、彼が逢った時は彼女は現役の天皇であった。筆者津村が、かく後に語るに際し、「女院」と称したに過ぎない。
「獨妙禪師」正しくは「神機獨妙禪師」。]