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2024/04/06

柴田宵曲「古句を觀る」正規表現版電子化注 / 「春」(15)

 

   寐はぐれるあけぼの白し梅の花 無 笛

 

「寐はぐれる」は今普通に「寐そびれる」などといふのに同じであらう。眠りそこねてぐづぐづしてゐるうちに、いつの間にか夜が明けかゝつた。この句では梅の咲いてゐる場所はわからぬが、それは漠然たる古句の常として、强ひて穿鑿するにも及ぶまい。寐はぐれた、眠りそこねた曉の空氣の中に、梅の花を認めたといふだけのことである。

「白し」はしらしら明にかかる言葉かと思ふが、この梅はやはり白梅のやうな氣がする。

 

   普請場にうぐひす鳴や朝日和 芙 雀

 

 市井の鶯といふほどではなくとも、人寰[やぶちゃん注:「じんくわん」。]を離れざる世界である。普請場小景といふところであるが、鑿や手斧[やぶちゃん注:「ちやうな」。]の音が盛にしはじめては、如何に來馴れた鶯でも、近づいて啼くほどにはなるまい。先づ大工たちがやつて來て、焚火でもしてゐる位の時間かと思ふ。

 周圍に多少の立木がある、ものしづかな場所らしく思はれる。今日も上天氣で、まだ寒い春の朝日が明るく普請場にさして來る。折ふし朗な[やぶちゃん注:「ほがらかな」。]鶯の聲を聞いたといふので、「普請場に」の語は「普請場のほとりに」といふ程度に解すべきであらうか。普請場の木材にとまつて啼くわけではない。

 鶯の句としては、ちよつと變つた場合を見つけたものである。「朝日和」の下五字も、ものしづかな普請場の樣子をよく現してゐる。

[やぶちゃん注:「芙雀」永田芙雀(ながたふじゃく 生没年未詳)は江戸前・中期の俳人。大坂の人。槐本之道(えもとしどう)に学び、蕉門に属する。榎並舎羅(えなみしゃら)と交遊した。作品は「蕉門名家句集」におさめられている。編著に元禄一二(一六九九)年刊の「鳥驚」(とりおどし)、その三年後の「駒掫」(こまざらえ)がある。通称は堺屋弥太郎。別号に風薫舎(講談社「デジタル版日本人名大辞典+Plus」に拠った)。]

 

   鶯や雨が霽れば日がくるゝ 釣 壺

 

 これは反對に夕方の景色を持出して來た。一日ほそぼそと降りゞいた雨が夕方近くやんで、あたりの空氣も明るくなると、ほどなく日が暮れて行く。雨が霽れて日が暮れる。その僅な間の時間に鶯が啼いたのである。

「雨が霽[やぶちゃん注:「はる」。]れば日がくるゝ」といふ時間的經過のみを敍して、他の何者をも描かずに鶯を點じたのは、巧といえば巧であるが、恐らくは技巧の產物でなく、自然の趣がそのまゝ句になつたのであらう。

 

   うぐひすや日のさし殘る小芝はら 路 柳

 

 これも夕方の鶯である。

 もう暮近くなつたが、芝原の上にはまだ日がさしてゐる。その明るいしづけさの中に鶯が啼く。前の句は雨が霽れて日が暮れるといふ、しづかな中にも變化ある空氣を捉へてゐるが、この方は暮れる前の靜止した空氣が主になつてゐる。「日のさし殘る小芝はら」の印象は頗る鮮[やぶちゃん注:「あざやか」。]である。

 

   世のさまや質屋にかゝる涅槃像 除 風

 

 寺になければならぬ涅槃像、年に一度涅槃會にかけて、世尊入滅の日を偲ぶべき涅槃像が質屋の壁にかゝつてゐる。在家の人の持つまじきものだから、寺の住持が金にでも困つて典[やぶちゃん注:「てん」。質入れ。]したのであらう。鳥も獸も齊しく淚を流してゐる涅槃像だけに、質屋にかゝつてゐるのは情無い。作者はそれを「世のさまや」と歎じたのである。この歎息は尤も千萬ではあるが、句としては却つてつまらぬことになつてゐる。

 年に一度あればいゝ品物だから、不斷は質に置いて、涅槃會の前に受出すのかもわからない。或は太夫が語り物を典し、雲助が褌を質に置くやうに、寺としてなければならぬものを置くので、質屋の方でも安心して取るのかも知れない。さういふ點を描いたら、少し平凡の嫌はあるけれども、西鶴あたりの一材料にならぬとも限らぬ。更に下つて川柳子の嘲笑を浴びさうな事實である。

 いづれ末世における賣僧[やぶちゃん注:「まいす」。]の仕業であるが、質屋の壁で風に吹かれてゐる有樣は、涅槃會ならぬ日の事と解したい。

 

   雪ちるや梅の垣根の魚の骨 巴 水

 

 梅の咲いてゐる垣根に魚の骨を捨てる、降出した雪がその上にかゝる、といふのである。古人としては梅に不調和な垣根の魚の骨が、雪の爲に隱れむことを希ふやうな心持があるかも知れない。

「雪ちるや」といふのは、雪の降りはじめの頃、まだ多く積らぬ場合らしく思はれる。從つて垣根に捨てた魚の骨も氣になるのである。

[やぶちゃん注:俳諧撰集「藤の實」に載る一句である。廣瀨惟然が素牛の号で編したもの。元禄七(一六九四)年跋。この句、私は若いき日に読み、そのフレーム・アップに印象に残った句である。]

 

   春の野も寂しや暮の馬一つ 由 水

 

 晝の間は行樂の人で賑つてゐた野が、夕暮近く急に寂しくなつた光景であらうか。あたりにはもう人影も見えず、たゞ一頭の馬がいるだけだ、といふ風にも解せられる。

「寂しや」といふ言葉は晝の光景に對したものではあるが、必ずしも行樂の人ばかりには限らぬ。野良へ出て働く人も、春は自ら多いわけだから、さういふ風に解しても構はない。要するに暮色が漸く迫つて、物音も無いやうな、寂しい春の野の樣である。

 たゞこの句で不明瞭なのは、唯一の登場者たる馬である。步いてゐるのか、路傍に繋がれてゐるのか、放し飼なのか、その邊は一切わからぬ。今日の句であつたら、この馬の狀態をもう少しはつきり描いたかも知れぬが、元祿の作者は一頭の馬を野中に點じたまゝ平然としてゐる。けれどもこの句を誦すると、薄墨色の野の暮色の中に唯一つ馬のゐる樣子が、髣髴として浮んで來るやうな氣がする。

[やぶちゃん注:私は、寧ろ、読者に「春の野」の「暮の馬一つ」を与え、各人が思うところの「寂し」さの映像を心に浮かべることで、それぞれの「寂し」い「馬」の姿を駘蕩たる「春の野」の夕「暮」れ「寂し」さに点じたところが、優れた一句だと感ずるものである。]

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