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2024/04/24

柴田宵曲「古句を觀る」正規表現版電子化注 / 「夏」(11)

 

   ほろりとも降らで月澄む蚊遣かな 焦 桐

 

 大旱の夜のしゞま、とでもいふべきものを描いたのである。降れと待つ雨は一向降らず、今宵も明るい月が澄んでゐる。暑に喘ぐ人はまだ寢かねて、蚊遣を焚きながら月を見てゐる。恐らく風などの少しも無い、闃寂[やぶちゃん注:「げきせき/げきじやく」。ひっそりと静まり、さびしいさま。]たる夜であらう。

「ほろりとも降らで月澄む」の十二字を以て、大旱の夜の空氣を現した伎倆は尋常でない。蚊遣は片靡[やぶちゃん注:「かたなびき」。]もせず、作者の座右に細々と燻り[やぶちゃん注:「くゆり」。]つゝあるものと想像する。

 

   月涼し百足の落る枕もと 之 道

 

 夏嫌の人が不愉快な箇條を數へる中には、蟲が多いといふことも加つてゐる。羽のある蟲も嫌、羽の無い蟲も厭だといふ。晝だけならまだしも、夜まで灯を求めて活動する。夜の蟲は難有く[やぶちゃん注:「ありがたく」。]ないが、殊にそれが百足と來ては、蟲嫌を標榜せぬ吾々でも降參である。枕にさす月の涼しい光も、こゝに至つては頓に凄涼な感じに變化するやうに思ふ。

 古い藁葺屋根の家を買い求めて、電燈を引き、勝手許[やぶちゃん注:「かつてもと」

。]も綺麗にして住むやうになつたら、急に蟲が多くなつたので驚いた、今まで絕えなかつた燈火の油煙、炊煙の類が自ら防蟲の役をしてゐたのだとわかつた、といふ話がある。蟲嫌を弱らす蟲は、今の建築でも全然はねつけるわけに行かぬらしい。昔の多かつたことは想像の外である。

 

   朱硯の乾くもはやし雲の峯 釣 眠

 

 一種の取合[やぶちゃん注:「とりあはせ」。]の句で、雲の峯立つ盛夏の天と、忽ち乾く朱硯の水とを配合したに過ぎない。かういふ配合を一の趣として感じ得ぬ人に、言葉で說明することは或は困難であるかも知れぬ。

 普通の硯より小型でもあり、淺くもあるから、朱硯の水は乾き易いといふ點もある。大して面白い句でもないが、一讀して筆硯に對する親しさを感ずる。日夕朱硯を伴とする人でなければ、ちよつと思ひつかぬところであらう。

 

   唐黍のかぶりもふらぬ暑さかな 梅 山

 

 所謂そよりともせぬ暑さを詠んだのであるが、相手が唐黍では全體が大き過ぎて、「そより」といふやうな言葉では十分に現れぬところから、「かぶりもふらぬ」といふ中七字を拈出したのであらう。唐黍の頂もぢつとして動かぬといふことによつて、大暑の烈しさ、畑中の照り工合が思ひやられる。

「かぶりもふらぬ」といふやうな言葉は、俳句に用いるにはあまり好ましいものではない。ただ擬人的であるばかりでなしに、否定するといふ意味をも兼ねてゐるからである。「芋の葉や蓮かと問へばかぶりふる」といふ句の如きは、芋の葉と蓮の葉とが似てゐるといふ、『萬葉』以來の問題を取入れたので、蓮かと問うたら、芋の葉がかぶりを振つて否定した、といふ結果になつている。けれどもこの唐黍の句には、さういふ寓意はなささうに見える。作者は大暑にぢつと立つてゐる唐黍を見て「かぶりもふらぬ」と云つたまでであらう。俗謠子の材料になつた芋の葉などでない爲に、それほど俗に陷つてないやうである。

 

   ほめられて小歌やめけり夕涼 微 房

 

 夕涼をしながら何か小唄を口吟んで[やぶちゃん注:「くつずさんで」。]いると、うまいぞと云つて褒める者がある、それつきりうたふのをやめてしまつた、といふのである。「ほめられて」と云つただけでは、相手の樣子は何ともわからぬが、どうもこれは見知越の人らしくない。誰だか知らぬ人に聲をかけられたので、多少ばつが惡くなつて、やめてしまつたものと思はれる。

「遠野物語」の中に、山を越えながら笛を吹いてゐると、白樺の茂つた谷の底から、何者か高い聲で「面白いぞう」と呼はる者がある、薄月夜で連つれも大勢あつたが、一同悉く色を失つて逃げ歸つた、といふ話が出て來る。この話は慥に讀者をぞつとせしめるだけの氣味惡い力を持つてゐるが、微房の句の褒め手はさう物凄い者でもあるまい。大分後の話だけれども、秋葉の原が火除地であつた時分は、夏の月夜などに大和町[やぶちゃん注:「やまちしやう」。]邊の駄菓子職人の中から、咽喉自慢の連中がやつて來て、涼みながら唄をうたつたものだといふ。見知越と否とに拘らず、うまければ「うまいぞう」位の聲はかけたであらう。「ほめられてやめ」る小歌は、先づ此方の世界に近さうである。たゞ月下にうたひすさむだけでなしに、褒められてやめたといふ事件を捉へたのが、この句の働だと云へるかも知れない。

[やぶちゃん注:『「遠野物語」の中に、山を越えながら笛を吹いてゐると、……』私の『佐々木(鏡石)喜善・述/柳田國男・(編)著「遠野物語」(初版・正字正仮名版) 九~一六 山中の怪・尊属殺人・老話者・オクナイサマ・オシラサマ・コンセイサマ』の「九 山中の怪」である。

「大分後の話だけれども、秋葉の原が火除地であつた時分は、夏の月夜などに大和町邊の駄菓子職人の中から、……」これは三田村鳶魚の考証随筆「娯樂の江戶」の「大道藝と葭簀張興行」の「秋葉の原の火除地」の一節である。国立国会図書館デジタルコレクションの同書(恵風館大正一四(一九二九)年刊・三版)のここで視認出来る。「秋葉の原が火除地であつた時分」というのは、江戸時代の話と錯覚しがちであるが、読んでみると、これは明治三(一八七〇)年のことであり(前年に相生町で大火があった)、ここにあるエピソード(唄っていたのは、その頃流行った「淸元(きよもと)」である)は、明治七、八年の出来事であることが判る。因みに、この「秋葉の原」は現在の秋葉原駅周辺で、「大和町」は、神田大和町で、秋葉原の南東直近にある現在の東京都千代田区岩本町(グーグル・マップ・データ)である。何時もお世話になるサイト「江戸町巡り」の「神田大和町」によれば、ここは『幕末の頃には、当町から後の東竜閑町方面にかけて、駄菓子問屋が数百軒ほど軒を連ね、随分賑わっていた。また、蝋燭や鼈甲細工、箪笥等を作る職人も多く住んでいた』とあった。]

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