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2024/04/23

柴田宵曲「古句を觀る」正規表現版電子化注 / 「夏」(8)

[やぶちゃん注:初句の「潛」は「くぐり」と読む。二句目の「(ツヽヲ)」は珍しい底本のルビである。「ヲ」はママ。]

 

   裏門の潛に見ゆる靑葉かな 野 紅

 

 簡單なスケツチである。

 裏門の潛戶があいてゐて、そこから庭の靑葉が見える。塀をめぐらした大きな屋敷でもあらうか。かういふ景色には屢〻逢著しながら、これほど單純に句にすることはむづかしい。「潛に見ゆる」が一句の眼目である。

 

   卯の花や落米(ツヽヲ)を拾ふ雞の聲 里 東

 

 卯の花の咲いたあたりに米がこぼれてゐる、その米を啄む雞の聲がする、といふだけの句である。俳句に用ゐられる「雞の聲」は、牡雞の時をつくる聲が多いやうであるが、これは落米のところに集つて、コヽヽヽヽと忙しげにいふ方であらう。卯の花と落米との取合は、場合によつてその落花を落米に見立てたやうな解釋を生ぜぬとも限らぬが、雞が啄んでゐるのだから、正眞正銘の落米であるに相違無い。

「つつお」といふ言葉は「大言海」などにも、「筒落米、つゝおちまいノ略、米さしヨリ落チコボレタル米の稱。ツヽオチゴメ。ツヽオゴメ。略シテつゝお」と出てゐる。何時頃からある言葉か知らぬが、西鶴は「永代藏」の中に「西國米水揚の折ふし。こぼれすたれたる筒落米をはき集て。其日を暮せる老母」が、落米を拾ひ溜めては賣り、拾ひ溜めては賣りして、二十餘年間に十二貫五百目の金を得た、といふ話を書いた。「懷硯」にも「早や敦賀に賣られ、筒落米拾ひし事を忘れたか」とあるから、最初は船著[やぶちゃん注:「ふなつき」。]の落米を云つたものらしい。「ツヽオチゴメ」といふ言葉は調子が惡いが、どうしてチを略してツヽオとなるのか。「花咲かせ爺」とあるべきが「ハナサカヂヂイ」で通用する例と同じものかどうか、さういふ問題になると吾々の手には合はない。但里東のこの句は西鶴の書いたやうな、船著の光景ではなささうである。農家の庭などにこぼれた米を雞が啄んでゐる、しづかな趣であらう。

[やぶちゃん注:「何時頃からある言葉か知らぬ」所持する小学館「日本国語大辞典」を始めとした国語辞典、複数の古語辞典を総て見たが(酷似した項目も参照した)、引用例で最も古いのは、ここで宵曲の挙げた井原西鶴の「日本永代藏」貞享五(一六八八)年刊であった。まず、ここで使用している以上、遅くとも江戸前期末には、既に使われていたものと考えてよかろう。

『西鶴は「永代藏」の中に「西國米水揚の折ふし。……」国立国会図書館デジタルコレクションの「日本永代藏」(和田万吉校訂・昭和三(一九二八)年岩波文庫刊)の「二 京にかくれなき始末男」「二 浪風(なみかぜ)靜(しづか)に神通丸(じんづうまる)」の一節にあった。ここの左ページの二行目以下である。

「懷硯」同じく西鶴の浮世草子。貞享四(一六八七)序国立国会図書館デジタルコレクションの「西鶴文集」三版 (『文芸叢書』三・幸田露伴校訂・大正三(一九一四)年博文館刊)の同作「卷二」のここ(左ページ三行目)。

「チを略してツヽオとなるのか」小学館「日本国語大辞典」にも語源説はなかった。]

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