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2024/04/23

譚 海 卷之十四 香の名十種の事 梅樹の名の事 櫻の名目の事 牡丹名目の事 菊花名目の事 榛名目の事 日本鍛冶受領の事 禁院御賄料の事 禁裏御門名目の事 甲州海道行程の事 加茂祭禮の事 本阿彌刀目利の事 京都大坂御奉行所の事 和州吉野山の事 伏見泉湧佛舍利の事 北野天滿宮別當の事 京堀川空也堂の事 京都寺社役人方内の事 京八条長講堂の事 紀州玉津島明神の事 同所若山旅宿掟の事 高野山女人參詣の事 同山由來の事

 

○香の名は十種有(あり)。「けいは」・「やかす」・「小草」・「花月」・「源氏」・「名所」・「宇治山」・「小鳥」。

 

○梅は、「六代」・「照水梅」薄紅・「寒梅」・「菔(えびら)」・「とび梅」薄紅・「大白摩耶」濃紅・「寒紅梅」・「末開紅」[やぶちゃん注:底本では編者に拠る補正傍注が「末」の字の右に『(未)』とある。]・「豐後(ぶんご)」うす紅

[やぶちゃん注:「照水梅」枝垂れ梅の一種。

「菔」梅の一品種。花は淡紅色で大きく、桃の花に似ている。

「未開紅」梅の園芸品種。後に出る「豊後梅」の系統で中国渡来の品種とされる。花は紅色・大輪で、莟は多数つくが、開花するものは少ない。

「豐後」「豊後梅」は梅の変種。アンズとの雑種に由来するとみられ、葉・花・果実が大きい。花は半八重のものが多く、淡紅色で遅咲き。果実は径約五センチメートルの球形で黄赤色に熟し、赤褐色の斑点がある。果肉は厚く甘酸っぱく、梅干や煮梅にされる。「鶴頂梅」「肥後梅」「越中梅」の別名がある。]

 

○櫻は、「彼岸櫻」・「江戶櫻」・「鹽竃」・「山櫻」・「うば櫻」・「すいしひ[やぶちゃん注:底本では編者に拠る補正傍注が「しひ」の右にあり、『(ふう)』とある。」は、「り」・「あさぎ」・「霧ケ谷」・「とらのを」・「ふげんぞう」。

 

○牡丹は、「高雄」・「むれ咲」・「泰花仙[やぶちゃん注:底本では編者に拠る補正傍注が「花」の右にあり、『(白)』とある。」」・「壽の字」本紅小りん・「神代卷」紅中りん・「しかまやけ」大白ひらまあり・「姬小松」薄紅中りん・「北時雨」大りん紅・「風の薗」濃紫・「朝霧」・「洞雀亭」白大りん・「雲の林」薄紫

[やぶちゃん注:以上の条の花の解説部は二行割注型になっている箇所があるが、総て上附とした。以下も同じ。]

 

○菊は、「大白」・「黃ぶちひねり」・「ゑんをう」・「ぬれ鷺」・「大般若」・「沙金」かば色・「金目貫」小菊・「猩々菊」

 

○椿は、「三井寺」・「うんの」しぼり・「廣島」薄紅・「白ひげ」・「紀國大須賀ちゞみ」しぼり・「大坂もつかう」・「のゝせもの狂」・「元和」中紅・「德水」・「こしみの」薄色二階咲・「かけひ」・「ろくしやうとび入」・「風車」

[やぶちゃん注:「二階咲」思うに「二回咲」(二度咲き)のことではあるまいか?]

 

○京都に、日本中の鍛冶の受領をいだす鍛冶(かぢ)の家、有(あり)。敕許の者にて、世々、西洞院通竹屋町下ル所に住居す。鍛冶の受領の禮金、二百疋づつ出(いだ)す事也。日々、受領を取(とり)に來るもの、おびたゞしき事也。

 此者の家にて打(うち)たる太刀・小刀の類、「雷除(かみなりよけ)」とて、賞し、傳ふる也。其銘、十六葉の菊を打(うち)、

「雷除日本鍛冶宗匠伊賀守金這道 如ㇾ此打也」

 丹波守も兼帶也。

[やぶちゃん注:「鍛冶の受領」底本の竹内利美氏の後注に、『鍛冶師が国守名を免許されること。中世の座の伝統をうけつぎ、京都の座元の家から「××守」の官名を認許されるのである』とある。]

 

○禁裏御賄料は、三萬石。仙洞御所は、壹萬石。本院御所は五干石。其餘、臨時御入用は、皆、關東より調進也。禁裏御取締り役と云(いふ)者、壹人づつ、關東より定居(ぢやうをり)に被仰付相勤(あひつとむ)也。諸寺院・宇治・瀨田橋等の造替(つくりかへ)、御修覆等も、取締り役の掛り也。

 

○禁裏外御門は、南方に壹ケ所、北方に壹ケ所、東方に三ケ所、西方に四ケ所、都合九門。是を以て「九重」に比せらるゝと云(いふ)。所ㇾ謂(いふおころ)、下立賣(しもだちうり)・境町(さかひまち)・今出川、是を「三門」と稱して、取しまり役、掛り也。又、武家門【「寺町御門」ともいふ。】・新在家御門【「蛤御門」共云(ともいふ)。】・乾(いぬゐ)御門・中立賣・石藥師・淸和院口【「小廣池」とも云。】、是を「六門」と稱して、非藏人(ひくらうど)、かゝり也。

[やぶちゃん注:「非藏人」江戸時代、賀茂・松尾・稲荷などの神職の家や、家筋のよい家から選ばれ、無位無官で宮中の雑用を勤めた者。]

 

○甲州街道は、京より東海道筋富士川の西通り、西河内より岩淵へ下り、十島村【此間、御關所、有(あり)。】、波木井郡、【身延山迄、かけこし。】鰍澤(かじかざは)村、富士川を渡り、東郡(ひがしごほり)筋、靑沼迄、夫より甲府・伊澤・鶴背・郡内領・江戶街道へ出(いで)、小佛峠【是、相模・武藏の堺、御關所、有。】、木曾海道[やぶちゃん注:ママ。「街道」。]なれば、下の諏訪より甲州敎來石(けうらいいし)【甲・信、境。】。是より、身延へ參詣すべし。

[やぶちゃん注:ルートの地名は以下を除き、検証しない。

「敎來石」山梨県北西端、現在の北杜市にある地名。釜無川に沿い、江戸時代は甲州街道の台原(だいがはら)・蔦木(つたき)の間にあった旧宿駅。この中央附近(グーグル・マップ・データ)。]

 

○加茂祭禮は、中比より斷絕せしを、常憲院公方樣、御再興被ㇾ成、舊例に復せり。每年祭禮料として、關東より、七百石づつ、米を加茂の社司へ賜ふ。是にて「御蔭神事」上下(かみしも)、「あふひ祭」、五月五日「競馬」等まで、勤(つとめ)おこなふ事也。

[やぶちゃん注:「常憲院」徳川綱吉の諡号。]

 

○刀目利(かたなめきき)「本阿彌」の者、江戶に七軒、有(あり)。右七人の内、五年目に、壹人づつ、上京して、禁裏御寶劔の類を拭(ぬぐひ)、御用、相勤(あひつとめ)、壹ケ年づつ、在留也。

[やぶちゃん注:『刀目利「本阿彌」』底本の竹内利美氏の後注に、『本阿弥(ほんあみ)家は刀剣鑑定の名家で、始祖妙本は南北朝末期の人。その末孫は足利・豊臣・徳川の代々に仕えて、刀剣の鑑定にあたった。十一の分家が生じ、本家をあわせ、本阿弥十二家と称された』とある。]

 

○京都大坂町奉行衆は、寺社支配兼帶也。京都の役所は、二條御城西と南方橫町に有(あり)。

 大坂は、御城近所、内町に有(あり)、「御西御東」と稱す。大坂獄屋も同所にあり、牢の前とて、銀物商人、多く居(を)る所也。

 

○吉野山に實城寺櫻本坊とて、山伏の先達の寺二ケ所あり。實城寺は聖護院宮の先達、櫻本坊は醍醐三法院宮の先達也。何れも宮の峯入の時は、宿し給ふ坊にて、美麗なる座敷、有(あり)。實城寺は、南帝の皇居を其儘に殘し傳へたる座敷也。

「同所に喜藏院とて有(ある)は、日本國中の山伏の、印可、出(いだ)す寺なり。」

と、いへり。

 又、此山中に、後醍醐帝の遺臣の家筋の者、二十人、有(あり)。鄕侍(がうし)のやうにて居住し、公儀御巡見使など、登山有(ある)時は、案内を勤(つとむ)る事を役とす。

 今も、後醍醐帝の御陵、有。如意輪寺の寶庫の鍵を、二十人にて、つかさ取(どり)、右の寺の什物拜見の事、望む時は、一人、鍵を持來(もちきた)りて、藏を開(あけ)、御物(ぎよぶつ)を取出(とりいだし)て拜見さする也。御物拜見の料、鳥目百文づつ、鍵をつかさどる人に遣(つかは)す事也。

 

○京伏見、泉涌寺の舍利拜見も、燈明料とて、鳥目百文、奉納する事也。佛舍利、黃金の寶塔ありて、敕封、有(あり)。

 御卽位の後は、かならず、舍利參内と云(いふ)事ありて、住持、持參し、天覽に備(そなへ)奉れば、先帝の御封を開かれ、當今の御封を改封せらるゝ事、とぞ。

 泉涌寺、天子御代々の御陵、有(あり)。此外に、京都に般舟三昧院(はんじうざんまいゐん)といふは、禁裏の内道場とて、御法事は爰(ここ)にても行(おこなは)るゝ也。般舟院は京都今出川通、「定家(ていか)の厨司(ちゆうず)」といふ所にあり。則(すなはち)、式子内親王の住所にて、親王の御墓幷後鳥羽院御陵など、此寺に有(あり)。御法事のとき、禁裏女房、參詣の座敷も、有ㇾ之。

[やぶちゃん注:「般舟三昧院」京都市上京区般舟院前町にあった天台宗指月山般舟院の別称。現在は西圓寺(グーグル・マップ・データ)という単立寺院となっている。]

 

○北野天滿宮は、神主は、なし。別當斗(ばかり)也。別當、大勢、有(あり)、中松梅院と云(いふ)、其(それ)、勾當(こうたう)なり。

「北野別當、實子なくては、職を嗣(つぐ)事、あたはず。實子なければ、其家督、斷絕せらるゝ故、昔より、よほど、斷絕に及(および)たる別當、多し。」

と、いへり。

 

○空也堂は、京堀河たゝき町に有(あり)。正徳庵・東之坊・壽松庵・利淸庵・金光庵・德正庵・南之坊・西岸庵とて、寺中八ケ寺有。

 此中(このうち)、正德庵は住持の和尙、居往也。殘りは、皆、妻帶にて、茶筌(ちやせん)をあきなふ事を業(なりはひ)とす。八ケ寺、まはりまはりして、住持す。

 住持になるときは、妻帶をせず、一代、淸僧也。

 又、朝暮勤行(てうぼごんぎやう)の文(ぶん)は、空也上人、作り給ふ由(よし)。古雅なる文詞(ぶんし)也。寒中、「鉢たゝき」の、洛中をうたひありく詞(ことば)は、又、外の文詞也。

 勤行の體(てい)、住持壹人、伴僧貳人、此三人は僧也。此外に、うはつのぞく、四人、法衣(ほふえ)を着て、むねに鉦鼓(しやうこ)を、かけ、左右に、たち向(むかひ)て、同音に文句をくわし[やぶちゃん注:ママ。底本では、「くわ」の右に編者に拠る補正右傍注があり、『(和)』とある。]、せうこ[やぶちゃん注:ママ。]を、ならす。往持は、文句をとなふる計(ばかり)なり。伴僧貳人、手にて瓢簞をたゝき、文句を和し、終(つひ)には、互ひに、おどりいでて、ぜん後、入(いれ)ちがひ、いきほひこみて、勤行をなす。これを「歡喜踊躍念佛(かんぎゆやくねんぶつ)」と號せり。

 

○大德寺・妙心寺をはじめ、五山に、みな、行者(あんじや[やぶちゃん注:底本のルビ。])あり。僧形(そうぎやう)にて、妻帶也。寺務を司り、はなはだ、いきほひあり。法事の時は、素絹(そけん)を着する也。

 

○京都寺社役人に、「方内(はうない)」といふ者、四人ありて、東西南北を、わかち、おのおの一方の支配を司る。至つて、いきほひ有(ある)もの也。寺社見物に、方内の書翰を、もらひて、いたれば、殊に珍重して、いたる所の寺社、ねんごろに、あい[やぶちゃん注:ママ。]しらふ事也。

 

○八條の長講堂は、後白河院御陵、有(あり)。御法事の度ごとに、勅使を、つかはさるゝ也。

 

○紀州和歌浦、玉津しま明神の社、右に寶庫あり。禁裏御奉納の和歌を納置(をさめおく)所、とぞ。

[やぶちゃん注: 現在の和歌山県和歌山市和歌浦にある玉津島神社(グーグル・マップ・データ)。現在もその宝庫があるかどうかは判らないが、同神社公式サイトの『和歌三神を祀る「和歌のふるさと」』を見られたい。]

 

○同所、和歌山城下、逆旅(げきりよ)は、武家を宿さする事を、甚(はなはだ)むづかしく取扱(とりあつかふ)事也。帶刀せざる旅人をも、一宿きりにて、二宿におよぶ時は、鄰家、逆旅、轉宿する事也。米は八合を壹升とし、木賃(きちん)とまりなどの約(やく)を定(さだむ)る事也。

[やぶちゃん注:「木賃とまり」宿駅で、客の持参した食料を煮炊きする薪代(木銭・木賃)だけを受け取って宿泊させた、最も古い形式の旅宿形態。食事付きの「旅籠」(はたご)に対して言う。]

 

○高野山、女人堂(によにんだう)までは、婦人、參詣す。婦人は、こゝにて、止(とどま)り、男子斗(ばか)り、登山すれば、登山、宿坊より女人堂まで、酒食を遣はして、婦人をねぎらふ事也。高野山にて調ふる經帷子(きやうかたびら)、一領の料、三百文也。九重の、寺に、皆、あたひ、定(さだま)りて、もらひうくる事也。

[やぶちゃん注:「女人堂」ここ(グーグル・マップ・データ)。]

 

○高野山、大師の廟所[やぶちゃん注:底本には「所」の右に編者に拠る補正傍注があり。『(前)』とある。]に、萬燈堂ありて、參詣の者、亡靈のために、燈油料十二錢を納(をさむ)るときは、堂僧、油を、つぎたす。堂中の燈光、螢火の如し。堂の左に骨堂(こつだう)あり、爪・髮・遺骨を納(をさむ)る所なり。右に經堂あり、石田治部少輔三成、母の菩提の爲に造立せし、よし、額に、しるしあり。

 

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