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2024/04/02

柴田宵曲「古句を觀る」正規表現版電子化注 / 「春」(5)

 

   鶯もわたる日和リや濱の松   玄 指

 

 明治二十六年春であつたか、子規居士がどこかの運座で、「鶯の淡路へ渡る日和かな」といふ句を作つた。それが最高點だつたので、多人數の評判のあてにならぬことはこれでわかる、といふ意味の手紙が殘つてゐる。

 鶯が淡路島まで渡つて行く、それほどうらゝかな日和であるといふことは、俗人にもなるほどと合點し得るところがある。考へて成つた趣向だからであらう。

 玄指の句には鶯の渡る距離の問題は含まれていない。その代り鶯の渡つて來た濱の樣子――松の生えてゐる景色が現れてゐる。この方が遙に自然である。

[やぶちゃん注:「明治二十六年」一八九三年。「日本新聞社」入社の翌年。

「鶯の淡路へ渡る日和かな」「寒山落木」の「卷二」に『「鶯の淡路へわたる日和哉』で載る。

「この方が遙に自然である」私は宵曲と違って、子規の俳句をそれほど高く評価しない人間であるから、すこぶる同感!]

 

   梅がかや客おくり出る燭明り   梅 坡

 

 燭を秉る[やぶちゃん注:「とる」。]といふことは、近頃は停電でもないとあまり見られなくなつた。人氣の無い玄關のやうなところでも、スヰツチを一つ捻りさへすれば、直に皎々たる電燈の世界になるのだから、便利になつたには相違無いが、それだけ趣を失つたとも云へるであらう。ラムプを持つて玄關まで送り出たり、マツチを擦つて穿くべき下駄を檢[やぶちゃん注:「けみ」。]したりしたのは、ついこの間のやうに思ふけれども、どうやら過去の風俗誌中のものになりかけてしまつた。

 この句は燭を秉つて客を送り出た場合である。定らぬ燭の灯に、送る主の影も、送られる客の影もゆらぐ。そういふ夜氣の中に漂う梅が香を感ずるのは、電燈世界にはあるまじきほのかな趣である。

 梅が香なるものは歌よみがいふほど强い匂ではない、代々の歌人がよんだ梅が香の量は大變なものだから、それを香水の料にでも用ゐるのは格別、歌の材料としては今後見合せたらどうだ、といつて嗤つた[やぶちゃん注:「わらつた」。]のは子規居士であつた。俳句に用ゐられた梅が香を見ても、單に梅といふのと變らぬやうなのもあるが、香に卽したものは動[やぶちゃん注:「やや」。]もすると利き過ぎる弊に陷る。この句の如きは不卽不離の間に於て、よく梅が香の趣を發揮し得たものと云ふべきであらう。

 

   茜うらふきかへす春に成にけり 耕 月

 

「田家春」といふ前書がある。正に蕩々たる天下の春である。

 謠曲作者が「四條五條の橋の上、橋の上老若男女貴賤都鄙、いろめく花衣、袖をつらねてゆくすゑの」といつた洛中の春ではない。「世界を輪切りに立て切つた、山門の扉を左右に颯と開いた中を――赤いものが通る、靑いものが通る。女が通る。子供が通る。嵯峨の春を傾けて、京の人は繽紛絡繹と嵐山に行く」と漱石氏が書ゐた洛外の春でもない。そこにはただ村娘の茜裏を吹きかへす春風があるだけである。この一色の齎す太平の氣は、洛中洛外の春に優るとも劣るものではない。

 滿々たる野趣は「茜うら」の一語に集つてゐる。一茶流の俗語を驅使するばかりが、野趣の表現に適うわけではない。大まかを極めたこの種の敍法も、猶這般の野趣を盛つて餘あるのである。或は天下の春は彼に在らずしてこれにあるのかも知れぬ。

[やぶちゃん注:「「四條五條の橋の上、……」謡曲「熊野(ゆや)」の地謠(じうたい)の一節。

「繽紛絡繹」多くのものが入り乱れているさまと、人馬の往来などの絶え間なく続くさまを言う語。以上の「漱石氏が書ゐた洛外の春」とは「虞美人草」の「五」の地の文に出る。

   *

 世界を輪切りに立て切つた、山門の扉を左右に颯と開いた中を、――赤いものが通る、靑いものが通る。女が通る。小供が通る。嵯峨の春を傾けて、京の人は繽紛絡繹と嵐山(らんざん)に行く。「あれだ」と甲野さんが云ふ。二人はまた色の世界に出た。

   *]

 

   正月を直す二月の文字ふとし 端 當

 

 二月になつてからついうつかりして正月と書いた、その正の字を二と改めた爲に、二月といふ字が太くなつたといふ風にも解せられる。あるいは已に書いてあつた正月の文字を、二月といふ字に改めた、といふ風にも解せられる。いづれにしても二月になつてから書改めたので、それがこの句の季になつてゐる。

 つまらぬ句だといふ人があるかも知れない。吾々も別に大した句だとは思はぬ。明治年代にも「文月や水無月と書いて消しにけり 麥人」といふ句があつて、『春夏秋冬』撰の時、碧虛兩氏の間に議論を生じ、結局採用にならなかつたと傳へられてゐる。これも無論大した句ではないが、要はこの瑣末な事實に興味を持つか否かに在る。吾々がその事實の瑣末なことを認めながら、これを俳句にした點に一種の興味を感ずるのは、自分でも屢〻これに似たことを繰返しつゝある爲であらうか。

「正月」の句と「水無月」の句とは、全く揆を一にするわけではないが、ほぼ同じやうな點を覘つて[やぶちゃん注:「ねらつて」。]ゐる。但書損つて[やぶちゃん注:「かきそこなつて」。]消したといふよりは、正の字を二に改めたのが太くなつたといふ方が、事柄として纒つてゐるであらう。そこに元祿の句と明治の句との相違があると云へば云へる。

 

   出かはりや猫抱あげていとまごひ 慈 竹

 

 出代といふ季題は、束京などでは夙に[やぶちゃん注:「つとに」。]その實[やぶちゃん注:「じつ」。]が無くなつた。京都あたりでは比較的近くまで、その風を存してゐたさうであるが、それもこの頃では如何であらうか。雇人交代といふことは永久に續くとしても、それが三月を待つてはじめて動くといふ季節的意味がなくなるのである。近代生活にあつてはむしろ卒業生の就職の方が、季節的意義を持つてゐるであらう。

 出代の句は舊人物の名殘を借しむ意味か、代つて登場する新人物の樣子か、大體この二通りを出でぬやうになつてゐる。この句は退場する雇人が、今まで自分に馴れた猫を抱上げて、名殘を惜しむ趣である。あるいは子供の無い家庭で、この猫も大事に飼はれてゐるのかと思ふが、文字以外の連想は人によつて違ふ。强ひて限定するには及ばぬことである。

[やぶちゃん注:「慈竹」筑前甘木の野坡門の一人。]

 

   寄かゝる裸火燵やはるの雨 意 裡

 

 もう大分暖くなつて、火燵[やぶちゃん注:「炬燵(こたつ)」に同じ。]の必要も無いのであるが、未だ全く撤去せざる狀態に在る。裸火燵といふのは中に火も置かず、布團も掛けてないのであらう。かういふ言葉があつたものかどうかわからぬが、作者の造語であるにしても、十分その意味を受取ることが出來る。

 外には春雨が煙るやうに降つてゐる。暖を取る必要も何も無いのだけれども、習慣的に火燧に寄かゝつてゐる。懶い[やぶちゃん注:「ものうい」。]やうな春雨の感じが溢れてゐるやうに思はれる。

 

   春雨や藪に投込む海老の殼 广 盤

 

 面白いところを見つけたものである。いづれ田舍の景色であるに相違無い。食膳に上せた[やぶちゃん注:「のぼせた」。]海老の赤い殼を、藪の中に抛り込んだ。濕つぽい、薄暗いやうなあたりの空氣に對して、赤い海老の殼が鮮に[やぶちゃん注:「あざやかに」。]眼に映るのである。

 一茶の「掃溜の赤元結や春の雨」といふ句も略〻似たやうな趣に目をつけてゐるが、何となく重みに乏しいやうな感じがするのは、必ずしも元結と海老の殼だけの相違ではあるまい。春雨の寂しい華かさとでもいふべき趣は、殆どこの海老の殼に集つてゐるやうな氣がする。

[やぶちゃん注:「广盤」「げんばん」と読んでおく。

「掃溜の赤元結や春の雨」「八番日記」文政二(一八一九)年の作。一茶五十七歳。この年六月、最初の妻の菊との間に生まれた寵愛した女児さとを、疱瘡で亡くしている。]

 

   雪ふりの明る日ぬくし藪椿   之 道

 

「ヤブツバキ」といふ植物は別にあるらしい。『本草圖譜』などは女貞(ネズミモチ)の一名として「ヤブツバキ」を擧げてゐる。さういふ事の當否は專門家の知識に俟たなければならぬが、もともと俳句は博物學に立脚したものでなし、俳人は植物學者ではないのだから、どう解決がついたにしろ、それのみに則るわけには行きさうもない。この句なども女貞と解したのでは、やはり面白くないやうである。

 春になつてからのことであらう。雪の降つた翌日が非常に暖い天氣になつた。その麗な[やぶちゃん注:「うららかな」。]、明るい天氣の中に椿の花が咲いてゐる。(この場合「藪椿」は藪の中の椿の意に解したい。崖椿などといふ言葉が通用してゐる今日から考へれば、藪椿を藪中の椿と解することは、決して無理ではあるまいと思ふ)暖い、明るい雪晴の藪に咲く椿の花は、白では工合が惡いから、ここは紅と見るべきであらう。

 尤も女貞は常綠樹である。强ひて云へば雪後の女貞を詠んだものと解されぬこともないが、それでは「ぬくし」といふ趣が一向利いて來ない。雪後の麗な日和を生かす爲には、どうしても藪中の椿として別個の色彩を點ずる必要がある。

[やぶちゃん注:まず、第一段落の宵曲に物申すことがある。だったら、昔からある半ば以上、博物誌を気取った「歳時記」なんぞ(私は馬琴のものを持っているが、そもそも「歳時記」類は大嫌いである)座右にするな! 現行の「歳時記」類の動植物の好い加減な比定には呆れかえることが多い。博物学者+民俗学者が共同して編集しろ! 趣味の偏頗が強い俳人の書いた歳時記ぐらい杜撰なものはない。知られたものでも動物類の記載の杜撰さは、破って捨てたくなるほどである。なお、私は無季語俳人(中学から大学卒までは自由律俳句の「層雲」所属ではあった。卒業論文は「尾崎放哉論」である)である。かの芭蕉は「季の詞にならないものは何もない」と言っている。それでいい。

「之道」「しだう」。槐本之道(えのもとしどう 万治二(一六五九)年?~宝永五(一七〇八)年)。本名久右衛門。別号に諷竹(本書ではこちらの号でも出る)。大坂道修町(どうしゅうまち:現在の大阪府大阪市中央区道修町。薬種問屋街。当時、清やオランダから入った薬は一旦、この道修町に集められてその後に全国に流通していた。それらの薬種を一手に扱う「薬種中買仲間」がここに店を出していた。現在でも製薬会社や薬品会社のオフィスが多い)の薬種問屋伏見屋の主人。大坂蕉門の重鎮の一人。元禄七年九月九日に伊賀から大坂に着いた芭蕉は、最初、酒堂(しゃどう:浜田洒堂(?~元文二(一七三七)年:近江膳所の医師で、菅沼曲水と並ぶ近江蕉門の重鎮であったが、この頃、大坂に移住していた)亭に入るが、後に之道亭に、その後、花屋仁左衛門方へと移っている。酒堂と之道は、この頃、激しく対立しており、芭蕉は之道の同輩であった膳所の正秀らの懇請を受けて両者の和解を策すため、病体を押して、大阪へ出向いて、発病し、酒堂と之道の懸命の治療を受けたが、逝去した。なお、和睦は、一応、成功したように見えたが、実際には失敗であった。

「ヤブツバキ」「女貞(ネズミモチ)」ツツジ目ツバキ科ツバキ属ツバキ(ヤブツバキ) Camellia japonica (慣習的に野生種を「ヤブツバキ」と呼んでいる)と、ゴマノハグサ目モクセイ科イボタノキ属ネズミモチ Ligustrum japonicum である。両者は御覧の通り、全くの異種であり、ツバキとやや似ているのは葉の見た目ぐらいで、凡そ、ツバキとの通性は全くないと言ってよい。「庭木図鑑 植木ペディア」の「ネズミモチ」の画像を参照されたい。

「本草圖譜」江戸後期の本草学者岩崎灌園(かんえん 天明六(一七八六)年~天保一三(一八四二)年:本草学を小野蘭山に学び、若年より本草家として薬草採取を行った。文化六(一八〇九)年に徒士見習いとして出仕し、文化一一(一八一四)年、二十八歳の時に、屋代弘賢編「古今要覧稿」の編集・図版製作の助手に命ぜられている。文政三(一八二〇)年には小石川火除地の一部を貸与され、薬種植場を設けている)が二十代に始め、文政一一(一八一二八)年に完成したもので、全九十六巻。

「この句なども女貞と解したのでは、やはり面白くないやうである」ネヅミモチは花期は初夏であり、白い。この句の映像は、どうみても藪の中に咲く赤い椿でなくてはならぬ。]

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