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2024/04/21

譚 海 卷之十四 出雲國造幷かづら姬の事 正月十一日御連歌の事 幸若太夫の事 芝增上寺行者の事 東叡山坊官諸大夫執頭の事 諸社神主祭禮の節乘物の事 神田聖堂學生の事 江戶天文生の事

[やぶちゃん注:「かづら姬」はママ。]

 

○出雲國造(いづものくにのみやつこ)、京都の「かつら姬」、每年正月、關東へ下向、御守札獻上、御目見得仕る也。「かつら姬」は、藝者をも業(なりはひ)とす。

[やぶちゃん注:「出雲國造」出雲大社の神官千家を指す。

「かつら姬」底本の竹内利美氏の後注に、『京都の桂女。桂の里に住む巫女の一種で、年賀参上の例があったのである』とある。「ブリタニカ国際大百科事典」の「桂女(かつらめ)」によれば、『山城国葛野郡桂の里(現在の京都市西京区桂一帯)に住んだ女性のこと。その多くは桂の里特産の飴や桂川でとれたアユなどを京の町に売りに出たが』、『そのとき』、『頭に白布を巻きつけるのを常とし』、『それを』「桂包み」『と称したため』、『この呼称が生れた。狭義には婚礼』・『出産』・『祈祷などの際』、『巫女のような仕事をした桂の里の女性をさす。もとは御香宮(ごこうのみや)に属して石清水八幡宮にも仕えた巫女に由来する。ここの名主は明治まで女系相続を守った。なお現在では』、『時代祭の行列にその扮装が見られるだけとなっている』とあった。]

 

○正月十一日、御連歌會衆、國初より、十一人、極(きま)りて、出勤する也。當日、御目見得終(をはり)て、御料理下され、時服、拜領、定例也。

 御坊主衆、寺町三知(てらまちかずとも)といふ者、和歌の事に好(すき)、御連歌の出席相願候て、御咎(おんとが)蒙り、御城太鼓御役、相勤(あひつとむ)る事に黜(しりぞけ)られたり。

[やぶちゃん注:「寺町三知」(?~宝暦一二(一七六二)年)は幕府表坊主で歌人。号は新柳亭・言満。通称は百庵・蜑子。]

 

○越前國、幸若太夫、關東御目見得の序(ついで)、其家の傳來の曲、一番、御前にて申上(まうしあぐ)る、定例也。逗留中、「幸若」の曲、聽聞所望すれば、聞(きか)るゝ也。請人(うけにん)、麻上下ならでは、うたひて聞せぬ也。

[やぶちゃん注:「越前國、幸若太夫」底本の竹内利美氏の後注に、『室町期に挑井幸若丸直詮がはじめた舞曲。越前にその家元が近世残り、将軍家へ年頭参向する例であった』とある。]

 

○芝、增上寺に行者(あんじや[やぶちゃん注:底本には珍しい原本のルビである。])と云(いふ)者、有(あり)。僧形にて、妻帶にして、御靈屋御用(おたまやごよう)等相勤(あひつとむ)る也。服は素けん・袴(はかま)也。公儀御法事有ㇾ之節、諸大名御靈屋拜禮の節は、此行者、御香爐の火等、取扱ふ故、諸侯よりも附屆(つけとどけ)の目錄、給はり、富有(ふいう)に暮すなり。

 

○東叡山に坊官・諸太夫等ありて、一寺の事を管領す。前(さきの)大僧正は、法務の事ばかり領する故、論議等の題を命ずる故、山にては「探題僧正」と號す。只、壹人なり。權僧正は、二、三人、四、五人におよべり。其(それ)、「行執頭」と申(まうす)二人、有(あり)て、公儀の事をはじめ、天台諸末寺に至る迄、日本の寺令(じれい)を掌る事也。

[やぶちゃん注:「行執頭」標題から推すに、読みは「ぎやうしつとう」であろう。]

 

○赤坂山王・神田明神神主、祭禮の節、手輿(てごし)に乘成(のるなり)。本所龜井戶天神の社僧ばかりは、祭禮の節、車に乘(のる)なり。

 是は、

「往昔、神主の先祖、筑紫宰府の宮[やぶちゃん注:太宰府天満宮。]に居(をり)たる者にて、其什物を奪取(うばひとり)て江戶へ逃來(にげきた)り、今の社を建立せし故、宰府の舊物(きうもつ)は、多く、龜井戶に有(あり)、車も、其比(そのころ)、取來(とりきた)りて乘たりし故、例に成(なり)て、かくある事。」

と、いへり。

[やぶちゃん注:何だか、理由が納得出来んのだが?]

 

○神田聖堂學生(がくしやう)は、公儀より定(さだめ)られたる所、十人也。一人扶持づつ給はり、林家へ屬せられし故、學生の扶持も林家へ給はる也。林家にて十人學生の内、四、五人を存して、春秋、祭禮の役につかふこと也。學生の外に、學頭(がくとう)といふもの有(あり)。是は、人數(にんず)、定らず。學生は、聖堂住居(すまひ)、他(ほか)、學頭は、住居、便宜にまかす。

[やぶちゃん注:「神田聖堂」寛政二(一七九〇)年、神田湯島に設立された江戸幕府直轄の教学機関・施設である「昌平坂学問所」。「昌平黌」(しょうへいこう)とも呼ぶ。]

 

○江戶天文生(てんもんしやう)は、京、土御門殿に屬する也。曆面(こよみおもて)は關東にて、とゝのへ、下段の文を、土御門殿にて記(しるせ)らるゝ也。

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