柴田宵曲「古句を觀る」正規表現版電子化注 / 「夏」(7)
[やぶちゃん注:初句は「いへづとやしきみにつきしささちまき」と読む。]
家土產や樒に附し笹粽 鶴 聲
粽といふものは、國により土地によつて隨分種類があるらしい。歲時記などにもいろいろ書いてあるが、名稱だけでは猶心往かぬ感じがする。粽の種類を列擧するのは、風俗誌の領分に屬するにしても、各地に固有の粽が存在する以上、俳人の觀察がそこに及ぶのも徒爾[やぶちゃん注:「とじ」。無意味・無益なこと。]ではあるまい。例へば「猿蓑」
にある「隈篠の廣葉うるはし餠粽 岩翁」といふ句にしても、單に粽とのみあるものよりは、遙に讀者に與へる印象がはつきりしてゐるからである。
鶴聲の句の粽は笹に卷いたもので、樒の枝にいくつもつけてあるらしい。特に「家土產」と斷つてあるのは、御土產用にさういふものを賣つてゐるのか、持つて歸る便宜の爲にさうしてくれたのか、その邊はわからない。
[やぶちゃん注:「粽といふものは、國により土地によつて隨分種類があるらしい」まず、グーグル画像検索「粽 地方 違い」をリンクさせておく。なんとなく、バラエティがあるのが判る。そこにもあるサイト「grape」の植木みさと氏の記事『「知らなかった」「全然違う!」 何気なく食べている『ちまき』、実は…』を見られたい。具体に凡そ同一物とは思われない三種が掲げられてある。そもそもが、私は「粽」というと、そこに出る鹿児島の「あくまき」を想起する人種なのである。何故かって? 小さな頃、「端午の節句」になると、大隅半島の山家の母の実家から「あくまき」が送られてきたからである。私の両親は従兄妹同士であるため、この非力文弱の私の四分の三は、実は鹿児島人の血なのである。
「樒」仏事で仏前や墓に供えられる 事が多い(特に関西地方)アウストロバイレヤ目マツブサ科シキミ属シキミ Illicium anisatum であるが、不審がある。シキミは全草が有毒(特に果実が劇毒)であり、葉は強い香りを持つからである。櫁の葉や枝を粽に用いる地方があるのかと、半信半疑で探してみたが、見当たらなかった。そこで、考えたのは、現在、盛んに神事に用いられる、葉がよく似たツツジ目モッコク科サカキ属サカキ Cleyera japonica があるが、こちらは無毒である。しかし、やはり粽に榊(さかき)を用いる例を、現行では確認出来なかった。なお、いい加減な葬儀社では、匂いを嫌ったものだろうが、仏式の葬場にサカキを代用で用いているケースがある(名古屋での親族の葬儀で、親戚の者がサカキであることを指摘し、換えさせたのを見た)。ともかくも「粽」の傍に「櫁」という組み合わせは、おかしいのである。]
靑梅や葉かげをのぞく眉の皺 伽 香
活字本には「眉の雛」となつてゐるが、恐らく「皺」の誤であらう。假に原本に「雛」とあつたにしても、雛では意味をなさぬ。木版本にもこの程度の誤は屢〻あるから、皺として解すべきものと思はれる。
嘗て蕪村句集輪講の時、「靑梅に眉あつめたる美人かな」の「眉あつめたる」について議論があつたのを、これは何でもない、靑梅を見て、おゝ酸ぱいと云つて眉を寄せたのだ、と斷じたのは子規居士であつた。伽香の捉へどころも全く同じで、「眉の皺」は子規居士說の通りと思はれるが、蕪村は眉あつめたる美人を主として描き、伽香は靑梅を見る樣子に重きを置いたので、句の表は大分異つたものになつてゐる。葉陰の靑梅を覗いて眉根に皺を寄せる者は、やはり女であらう。元祿と天明との相異はここにもある。句としては蕪村の方が成功してゐるかも知れぬが、時代的に先じた點で、伽香の句を一顧する必要がある。
[やぶちゃん注:「靑梅に眉あつめたる美人かな」所持する岩波文庫尾形仂校注「蕪村俳句集」(一九八九年刊)では、明和五(一七六八)年五月二十五日の作とし、
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靑梅に眉(まゆ)あつめたる美人哉
とある。尾形氏の脚注があり、『越の美女西施が胸を病み眉をひそめていたのを、美人はかくするものと、醜女どもがその貌をまねた故事(『蒙求』西施捧心)』とある。子規の読み込みの浅さが歴然とする。]
しら壁や若葉のひまの薄曇 葉 圃
新綠に蔽はれた初夏の天地は、すがすがしい明るさを持つてゐる一面、何となくどんよりした感じを免れない。この句はどんよりした方の趣である。
茂り合ふ若葉のひまから白壁の家が見える。綠と白との對照が、どんよりした薄曇の中に眼に入るのである。景色としては格別珍しいこともないが、慥に初夏の或趣を捉へ得ている。
白壁は若葉に曇る朝けかな 未 出
といふ句も、同じくどんよりした若葉の趣である。「朝け」といふ時間を持出したことが、どんよりした若葉の感じを助けてはゐるが、眼に訴へる印象からいふと、前の句の方がすぐれてゐる。殊に看過すべからざるものは「ひまの」の三字であらう。後の句の「白壁は」といふ上五字は、「白壁の」と大差ない意味であらうが、決して巧な用語といふわけには行かない。
[やぶちゃん注:「葉圃」越後新潟の俳人苅部葉圃。寛保元(一七四一)年序の俳諧選集「とし祝」(京都版元)を編している。早稲田大学図書館「古典総合データベース」で原本を視認出来る。]
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