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2024/04/22

譚 海 卷之十四 參覲の大名江戶着日の事 朝鮮人登城日御役人通用の事 百姓町人婚禮脇差の事 大和國春日御神領の事 唐土より渡りし織物品々の事(三十七条)

[やぶちゃん注:「甲州海道」はママ。「唐土」(もろこし)「より渡りし織物品々の事」は「○」附き条だけで示した通り「三十七条」もある、本書の特異点である。但し、それらには、異国のものではない、本邦独自の織物も、多く含まれている。正直、今日、五時間近く、かかった。ちょっと、疲れたわ……。

 

○參覲(さんきん)諸大名、幷(ならびに)、遠國御役人等、江戶參着の義、公儀御精進日にても不ㇾ苦、勝手次第たるべきよし。寶永七亥の年四月被仰出候事、とぞ。

[やぶちゃん注:「寶永七亥」一七一〇年。第六代徳川家宣の治世。]

 

○朝鮮人登城日、表向(おもてむき)御役人、登城・退出とも、坂下御門、出入のよし、御定(ごぢやう)也。

[やぶちゃん注:「坂下御門」ここ(グーグル・マップ・データ)。]

 

○百姓・町人の婚禮に、脇指(わきざし)など遣(つかは)し候義、無用のよし。賓永亥のとし、五月仰渡(おほせわた)されし、よし。

 

○大和國、春日の御神領は、貳萬三千石也、此外に鹿領(しかりやう)とて五百石あり。貳萬三千石の内にて、二[やぶちゃん注:底本には編者による補正右傍注があり、『(五)』とある。]千五百石は社司十四人の領する所也。此社司の内、極﨟(きやくらふ)は、三位に敍せらるゝもの、二、三輩あり。其下に、八百八、禰宜、有(あり)、雜役を相勤(あひつとむ)るもの也。

 常陸國、鹿しま大明神にも大宮司あり。春日の社司と同姓也。現在、塙(はなわ)大和守と云(いふ)者也。

 春日社司、富田三位(さんみ)の子にて、塙へ養子に遣(つかは)したり。此大宮司の親、いさゝかの科(とが)ありて、久しく同所揖取の社内に蟄居せしが、今漸(いましばら)く、訴訟、叶(かなひ)て、鹿島へ歸住せり、と云(いふ)。

[やぶちゃん注:「富田三位」春日大社の旧社家は確かに富田家であるが、詳細は不詳。]

 

○「吳郡の綾」・「蜀江の錦」とて、二品は織物の最上第一とす。すき者の「時代きれ」とて、用(もちゆ)るも、此二品にすぐるは、なし。秦の始皇の比(ころ)は、いまだ、織物もさだかならざるゆゑ、金箔を以て、紋を、おし、つくりたるを、今、「印金」といふ也。

[やぶちゃん注:以下、冒頭注で述べた通り、ここから「唐土より渡りし織物品々の事」は「○」附き条だけで、三十七条が続く。私は生地や織物には全く興味がなく、全く冥いので、総てが理解出来ている訳ではなく、疑問の名称も多々あるが、それらを「不詳」と注すると、このソリッドな部分の注が、不詳の堆積になるだけであるので、底本の注以外は、ごく一部のみを注した。悪しからず。

「吳郡の綾」「蜀江の錦」底本の竹内利美氏の後注に、『中国古代に蜀の国から産出した錦織が蜀江の錦であり、呉国から産出したのが呉郡の綾織である。ともに精巧な織物で、後世これに模した織物もつくられた』とある。]

 

○緞子(どんす)、わたりは、紋がら、麁(そ)にして、いやしく、うら・おもてに、つや、有(あり)。幅は、かね[やぶちゃん注:「曲尺(かねじやく)」。]二尺四寸迄也。京織は、もんがら、うつくしく、少し、のりけあるやう也。中(ちゆう)ものより已下は、「裏引(うらびき)」とて、のりを引(ひき)、もよう、さまざまありといへども、古來より、ありきたる「ぼたん」・「からくさ」・「菊」・「らん」也。

[やぶちゃん注:「緞子」織り方に変化をつけたり、組み合わせたりして、紋様や模様を織り出す紋織物の一種。生糸の経(たて)糸・緯(よこ)糸に異色の練糸を用いた以下に出る「繻子」(しゅす:絹を繻子織り――縦糸と横糸とが交差する部分が連続せず一般には縦糸だけが表に現れる織り方――にしたもの)の表裏の組織りを用いて文様を織り出したものを指す。「どんす」という読みは唐音で、本邦には室町時代に中国から輸入された織物技術とされる。]

 

○「顯紋紗(けんもんしや)」には、ほそきを「せんしや」といふ。「けんもん」は總(さう)の地に、もん、有(あり)、「とびもん」も有(あり)、「花の丸」・「扁寺」の字等(など)あり。「總もん」は「ひしたすき」、或は、「小あふひ」・「竹のふし」・「むぎわらすぢ」・「金もんしや」・「銀もんしや」、ともに、「とびもん」也。片面、有(あり)、幅壹尺二寸より、三尺に至る。

[やぶちゃん注:「紋紗」(もんしゃ:古くは「もんじや(もんじゃ)」とも呼んだ。文様を織り出した紗)の一種。紗の地に、平織で文様を織り出したもの。「けんもんさ」「けもんさ」「けんもさ」「けんもん」とも呼ぶ。]

 

○「鹿の子纈(かのこしぼり)」は「をくゝり」、「縊(くくり)」は「めくゝり」といふ。

 

○「紗水(しやすい)かん」・「ちや羽織」等、夏の服に用ゆ。

 

○「繻珍(しちん/しゆちん)」は、もやう、こまかにして、「わり紋」とて總地、「もん物」也。「おりいれびし」・「卍字(まんじ)」・「三重たすき」・「花わちがひ」・「きつこう」・「長春唐草」・「わりびし」等を、五色の絲にて織(おり)つくる。地色(ぢいろ)、きはまりなし。いづれも、「どんす」のもようとは、ちがひ、「うけもん」也。「どんす」は、「かたもん」也。

[やぶちゃん注:「繻珍」底本の竹内利美氏の後注に、『シチン、またはシュチン。ポルトガル語のSetim、あるいは唐音七糸緞(しちんたん)の略という。瞎子地に色糸などで浮模様を織出したもの。帯地等に主に用いる』とある。]

 

○「莫臥龠(もうる)」、「もうる」は國の名也。「どんす」と「しゆちん」との二品に似たるもの也。「大もやう」・「小もやう」、有(あり)。但(ただし)、「うけもん」の間へ、「かたもん」をまぜたるもの也。五色の絲をもちて織(おり)、地(ぢ)は「しゆす」に似たり。「とびきん」を、あしらひたるを、「きんもうる」といふ。いかにも上品也。もよう、さまざま也。

[やぶちゃん注:「莫臥龠」底本の竹内利美氏の後注に、「もうる」とルビされ、『モール。莫臥児(モゴル)はインドの地名。もとモゴル産の織物から出た名という。緞子に似た厚地の浮織の織物。金糸や銀糸を緯糸に用いたものか、金モールあるいは銀モールで、後にはそれが金銀糸だけを織合せたものになった』とある。]

 

○「金欄(きんらん)」は、「やき金」・「あを金」・「こいろきん」・「かなら」・「しんちう」・「金銀らん」等也。模樣は「菊」・「ぼたん」・「梅」・「八ツ藤」・「十二の小ぼたん」・「孔雀」・「桐」・「から草」・「おほちきり」・「雲龍」・「たからづくし」・「浪の丸」・「石だゝみ」・「ほうとう」・「きんくわてう」・「水ながし」・「小桐」、その外、つくしがたし。「銀らん」も、おなじ。

 

○「雪の下」、「らんけん」に似て、地(ぢ)あひ、うすし。「とびもん」は「かたもん」也。地(ぢ)もんは、「うけもん」也。模樣は、さだかならず。凡(およそ)、「梅の折枝」・「ごとう桐」・「つくりつち」・「『せいがい』に水鳥」・「小鳥に『なり物』」・「菊から草」・「たからづくし」・「稻妻」、其外、盡(つく)しがたし。

 

○「龍紋」織色は、なし。何(いづれ)も染色也。「繻子」(しゆす)のうらを見るがごとし、きよく、つまりたり。裏・表、なし。模樣、なし。「平(ひら)けん」なり。「へいけん」とは、無地を、いふ。「りうもん」は其所(そのところ)の名也。絹の名に用(もちい)來り、京にても、よく織(おる)也。

 

○「卯花[やぶちゃん注:底本では右に編者に拠る補正傍注があり、『(印華)』とある。]布(いんくわふ)さらさ」は、「とうゐん[やぶちゃん注:底本では右に編者に拠る漢字表記『(唐音)』とある。されば、歴史的仮名遣は「たういん」が正しい。]」也。紋を印(いん)にして、布に、おす。織もののごとく、南京より渡る。「えびす國」よりも來(きた)る。日本にて洗へども、少しも、はげず、「ぶた」の油をもちて染(そむ)ると云(いふ)。「唐(から)あかね」とて、あかきは、乙切草(おとぎりさう)の汁を取(とり)て製すると、いへり。いまだ、しらず。和にては、肥前の國より來るを、よし、とす。今、なし。

[やぶちゃん注:「卯花」(✕)「印華」底本の竹内利美氏の後注に、『印花布つまり更紗(サラサ)。種々の模様を捺染した金巾』(かなきん/かねきん:細めの単糸を固く撚った糸を緻密に平織した綿織物で、金巾の中には加工や織り方によって派生したキャラコ/キャリコ、キャンブリック、シーチングという三種類の生地もある)『または絹物。インド西岸のスラタあるいはシャムなどから、渡来した織物。日本でも作られた』とある。]

 

○「堺とゝやおり」、せんしう堺に、「とゝや」といふ唐人、來(きた)り、おりものを、をしへて、おらしめし也。渡り絹よりも、すぐれたり。「とゝや」は國の名也。多(おほく)は「どんす」也。其外、「もうる」の如くなるものも、あり。「とゝや」の「いどちやわん」などいへる「めいぶつ」も、此ときより、のこりて、あり。

 

○「えぞ切地(きれぢ)」、ふとく、つまり、錦・金欄、ともに、よろし。金は「わうごん」には、あらず、日本にて「唐(から)しんちう」といふもの也。金の色、すぐれて、よろし。絞(しぼり)がら、「上ほん」にして、餘國に、およばざるところ、有(あり)。模樣は、さまざま、あれば、書(かき)つくるに、いとまあらず。

 

○紗綸(しやりん)は「どんす」に似て、地(ぢ)あひ、うすく、「つや」は、「りんず」よりも、つよし。もんがら、尤(もつと)も、よろし。いづれの曰より渡ると云(いふ)事、いまだ、しらず。白きも、あり、おほくは織色也。模樣、さまざま有(あり)。幅、かね[やぶちゃん注:「曲尺。]壹尺四五寸より、二尺四、五寸まで也。

[やぶちゃん注:「紗綸」底本の竹内利美氏の後注に、『サリン。綸子』(りんず:絹の紋織物。経緯(たてよこ)とも生糸を用い、普通、繻子(しゅす)組織(くみおり)の地織(じおり)に裏繻子(うらしゅす)で紋様を織り出す。縮緬(ちりめん)に繻子組織で紋様を出した綸子縮緬、駒撚(こまより)糸による駒綸子などもある。光沢に富む格調高い織物で、白無地は式服(白無垢)とし、色、無地染。友禅染などでは振袖・訪問着・紋付などにする)『に似た地合の薄い織物。』とある。]

 

○繻子(しゆす)は五色ともに織色也。つやあるを第一とす。南京より渡るを、ほうひして[やぶちゃん注:底本では編者に拠る補正傍注が、「ほ」の字の右に『(お)』とある。しかし、「おうひする」という意味が判らない。識者の御教授を乞うものである。]、「あぶうしゆす[やぶちゃん注:底本では編者に拠る補正傍注は「う」の字の右に『(ら)』とある。「油繻子」で油のような光沢を指すか。]」といふ、少し、次なるを「むりやう」と云(いふ)。然れ共、一品に非ず。「むりやう」といふは、繻子に似て、別物也。能々(よくよく)、見わくべし。

 

○「光綾(ひかりあや)ぬめ」は、「りんず」の一品たるもの也。無紋にして、つや、繻子に似て、白き有(あり)、織色(をりいろ)も有(あり)、くゝり、かの、「ことう」にして、最上下、「ほん」あり、裏に、のりを引(ひき)たるは、つや、なし。

[やぶちゃん注:「りんず」底本の竹内利美氏の後注に、『綸子。紋織物の一。絹織した後、精練し厚くなめらかにし、光沢を出す。木綿糸を緯糸としたものを綿綸子という』とある。]

 

○縮緬(ちりめん)は南京を上とす。次に「おらんだ」をよしとす。朝鮮も、よし、とす。最上なる物を「やかた縮緬」と云(いひ)、ちゞみ、こまかなり。是を上品とする。「京ちりめん」も、よろし。ちゞみ、細かに織出(おりいだ)す。幅、かね壹尺二寸也。渡りは、大(おほきい)とこ、といへば、壹尺四寸も有(あり)。「たんごちりめん」は、ちゞみ、あらく、すぐれず、色、うるみあり。

 

○「ふうつ」も國の名也。地は「しゆちん」に似て、うすきものなり。地色、さまざま、ありて、多くは、「もん」は白絲也。模樣は、「しよつかう」・「わちがひ」・「きつかう」・「つるたすき」・「『せいがい』に『をし鳥』」・「龍の丸(たま)」・「雨龍」・「稻妻」・「もみぢ流し」・「れんげ」・「から草」・「ひしかう」・「はなまき」・「水に『なりもの』」・折枝(をりえだ)」也。金入(きんいり)の「ふうつ」も有(あり)。

[やぶちゃん注:「ふうつ」不詳。但し、これは「風通織」(ふうつうおり)のことではあるまいか? 二重織りの一種で、表裏に異色の糸を用い、文様の所で、糸を交換し、色の異なる同じ文様が表裏に織り出されたものを言う。]

 

○天鵞絨(びろうど)は黑を常とす。其外は、皆、「色替(いろがはり)」と云(いふ)。「紋びろうど」・「花びろうど」・「わな紋びろうど」・「皇都びろうど」、地、こまかにして、最上也。今一品、「毛びろうど」といふ有(あり)。此毛に、ながきも、短きも、有(あり)、一、二分、或は、壹寸迄も、あり。敷物にして、よし。

 

○「紋縞(もんじま)」は、「もんけん」に似て、模樣、繁(しげ)し。奧州より折出(をりだ)す和物なり。「花」・「から草」・「わり絞」、有(あり)て、縞には非ず。地あい[やぶちゃん注:ママ。]、あつく、地紋、うけ絲なる故に、絞所(しぼるところ)を、ぬひにせんがために、多くは、「こくもち」に、殘したり。武家より、「御(ぎよ)ふく」を賜るには、多く、此物也。

[やぶちゃん注:「こくもち」「石持」。紋付の生地を染める際、紋を入れる個所を、白く円形に染め抜いたもの。また、その紋付の衣服を指す。既製染めの留袖や、喪服などは、石持になっていて、客の注文に応じて定紋を描き入れる。これを「紋章上絵描き」と称する。「輪なし」の紋の場合は誂え染めにする。]

 

○「どんす」は、「ふしゆ」・「かんれいし」・「ほうわう」・「立わき」・「雲龍」・「大ひし」・「桐」・「からくさ」・「金くはてう紋」也。

[やぶちゃん注:「金くはてう紋」歴史的仮名遣が合わないが「金」の「花蝶紋」か?]

 

○「綸子(りんず)」は京渡り、共に、白し。織色は、なし。染色也。「もんがら」は、「つづきまんぢ」、或は、「折いれ稻妻」・「三重たすき」、右は地もん、「菊」・「梅」・「からはな」・「らん」等の「とびもん」有(あり)。地色、うす綠に、すきとほるを、よし、とす。南京・朝鮮より來る、尤(もつとも)、よし。

○鹿子(かのこ)は、「ひつた」・「そうかの子」・「けしかのこ」・「江戶かのこ」等、也。色は、「紅い[やぶちゃん注:ママ。]」・「紫」・「かちん染」・「あい地」、其外、色々、染(そむ)れ共(ども)、宜(よろ)しからず。「かうけつ」とて、二品、有(あり)、「かう」は、鹿子也。「けつ」は、「くゝし」也。「かの子」を「めくゝり」といふ。「くゝし」を。「ゝり」といふ。地は「りんず」・「どんす」・「ちりめん」・「しよろん」也。

[やぶちゃん注:「しよろん」漢字、想起出来ず。]

 

○「沙綾」は、「もんさや」・「むぢさや」・「とびさや」、有(あり)、「とうもん」は三尺計(ばかり)、「とふしげもん」は、壹尺計、とびたるも、有(あり)。模祿は、「ぼたん」・「からはな」・「てつせん」・「枝ぎく」、あるひは[やぶちゃん注:ママ。]、「浪の丸(たま)」・「をなが鳥」・「『ぶどう』に『りす』」等、也。色は、何れも、染色(そめいろ)也。白くおる、紋沙綾は「きつかうびし」等、也。

[やぶちゃん注:「沙綾」底本の竹内利美氏の後注に、『サヤ。絖(ぬめ)』(生糸を用いて繻子織りにして精練した絹織物。生地が薄く、滑らかで光沢があり、日本画用の絵絹や造花などに用いられる。天正年間(一五七三年~一五九二年)に中国から京都西陣に伝来し、本邦でも織られた)『のある絹織物。稲妻・菱垣などの模様が織出してある』とある。]

 

○「八丈」は、多く島[やぶちゃん注:「縞」。]に織(おり)、無地も有(あり)。八丈島より渡る。草の葉のしるをもちて、染(そむ)る。

 此草、水引(みづひき)の如くなる草也。草の名、說、多し。何れを夫(それ)と定めがたし。夏の比(ころ)、しろく、ちひさき「はな」、さく。

「『しつ』[やぶちゃん注:湿気。]を、はらひ、『きり』[やぶちゃん注:錐。]を、とほさぬ。」

と、いへり。

[やぶちゃん注:所謂、「黄八丈」は、当該ウィキによれば、単子葉植物綱イネ目イネ科コブナグサ(子鮒草)属コブナグサ Arthraxon hispidus で染めるとある。ウィキの「コブナグサ」によれば、『全草を煎じて染めたものは黄八丈と呼ばれる。当地ではこの草のことをカリヤス(苅安)と呼んでいる(ただし、本来のカリヤス(Miscanthus tinctorius)はススキ属の植物であり別のものである)。そのための栽培も行われていると言う』とあった。カリヤスはイネ科ススキ属である。]

 

○咬𠺕吧(しやがたら[やぶちゃん注:底本のルビ。])は「大がひ島[やぶちゃん注:縞。]」に織(おる)。木綿に絹絲を織(おり)まじへ、ねらざるもの也。尤(もつとも)、織色・珀色・島[やぶちゃん注:縞。]の模樣は、さまざまなる故、圖に、あらはさず。尤(もつとも)、京にて織(おる)も、「渡り」に、よく似たり。「こゞめ島」といふが如し。

[やぶちゃん注:「咬𠺕吧(しやがたら)」底本の竹内利美氏の後注に、『ジャガタラ。ジャカルタの古い呼名。ここはジャガタラ縞のことで、ジャガタラ渡来の綿織物。だいたい縞(島)物であった』とある。]

 

○「紅夷縞(おらんだじま)」は、あつく、たて・橫、共(とも)にあり。茶と、こん[やぶちゃん注:「紺」色。]、「かき」・「白絲」・「もえぎ」、多く紫色のうちを、いでず。すべて、「廣東(かんとん)」と、いへるは、皆、此類也。「廣東嶋」に赤き絲にて織(おり)たる模樣、多し。是にも京織(きやうおり)、有(あり)。

 

○「かびたん[やぶちゃん注:底本では編者に拠る補正傍注が「び」の字の右に『(ぴ)』とある。」は、「りうもん」の地あひに似て、うすし。底に、つや、有(あり)。織色(おりいろ)、有(あり)、染色も有(あり)、つよく、はねる事、なかれ。

[やぶちゃん注:「かびたん」(✕)「かぴたん」底本の竹内利美氏の後注に、『甲比丹。江戸期に長崎に駐留したオランダ商館長のことであるが、カピタンの持参した縞織物のことをもさした。今口は経に染糸、緯に白糸を用いたオボロ珀の織物をいう。なお、オランダ縞は広東(カントン)と同類と次項にあるが、カントンは広東縞・広東絹といい、広東地方から産出した縞織の絹織物の称である』とある。]

 

○「さんとめ」は、「じやがたらじま」に似たり。白地に、あかきいとにて、たて橫を織(おり)、こゝにていふ「あづきじま」とよぶ物、このすがたより、いづる。

[やぶちゃん注:「さんとめ」底本の竹内利美氏の後注に、『桟留。ポルトガル語のSao Thome、インドの=ロマンデル地方の別称。ここは桟留縞のことで、竪縞の綿織物。サントメから渡来したもの』とある。]

 

○「べんからじま」、さまざま、あり。ぢくろに、茶のしま、あかき地に、くろき嶋、茶地に、白嶋、有(あり)、地あひは、「かびたん」に似たり。

[やぶちゃん注:「べんからじま」底本の竹内利美氏の後注に、『弁柄縞。経は絹糸、緯は木綿糸の織物。オランダ人がインドから持参したもの。ベンガラはインドBengal地方の産出による名という』とある。]

 

○「小倉島」は、隨分、厚(あつく)、「もろより」の木綿絲にて、島を、おる。おほく、地いろ、「すゝ竹じま」、「かき」・「こん」・「白」、わたりものに、似たり。

[やぶちゃん注:「小倉島」底本の竹内利美氏の後注に、『小倉織。木綿の縞織物で、袴地や帯地に用いた』とある。]

 

○「縫箔(ぬひはく)」は、「地、なし。」とも云(いふ)。雲鳥(くもとり)の模樣に、さまざまのもようを、箔にて、すり、其地を、花鳥を、ぬひ、其あひだに、「くゝし染(ぞめ)」をして、「もえぎ」・「べに」・「あい」・「かちん」の「くゝしいろ」の間、ぢを、箔にて、すり、「くるり」にして、少しも、ぢに、あかぬほどに、模樣を付(つく)る。

 

○「かねきん」は、所の名也。「かねきん山」といへる山の邊(あたり)にて、織(おり)、渡る、木綿也。爰(ここ)にて、「河内山の『ねぎもめん』」と云(いふ)如し。ほそき事、絹の如し。

[やぶちゃん注:「かねきん」底本の竹内利美氏の後注に、『カナキン。木綿の堅目の薄い織物。ポルトガル語のCanequimによる』とある。]

 

○「越後ちゞみ」は麻織(あさおり)也。「絹ちゞみ」に、おとらず、ほそし。「ゆきさらし」とて、冬、野山に、ひろげ、其上に、雪、降(ふり)つみたるを、とくる迄、置(おく)也。

 

○「京羽二重(きやうはぶたへ)」は、日本絹の第一の織物。迚(とて)も、是には、まさらず。「絲め」、極めて、さいみつにして、「こぶし」もなく、模樣を染(そむ)る。外(ほか)の絹の及(およば)ぬ事也。

 

○「奧縞」は、すべて紺縞也。「地こん」に、茶絲ある「いと」にて、立島(たてじま)をおり、「らふ」[やぶちゃん注:「蠟」。]を、ひきかため、うちつめたるもの也。

 

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