柴田宵曲「古句を觀る」正規表現版電子化注 / 「春」(18)
あすの雨西にもちてやおぼろ月 林 陰
空には朧な月がかゝつてゐる。明日は雨になるのであらうか、といふのである。それを漠然と雨になると云はずに、「あすの雨西にもちてや」といつたところに、この句の生命がある。「西が曇れば雨となる」といふ唄の文句の通り、西の空がどんより曇つては、明日の天氣はおぼつかないのであらう。
梅が香や雞寢たる地のくぼみ 如 行
農家の庭などの實景であらう。日向ひなたの土の窪んだところに、雞が寢て砂を浴びてゐる。あたりにある梅が馥郁たる香を放つてゐる、といふやうなところらしい。
香といふことにはあまり執著する必要はない。梅の咲いてゐる日向に雞が砂を浴びてゐる、しづかな光景が浮べばいゝのである。「地のくぼみ」の一語がこの場合最も重要な働をなしてゐる。
[やぶちゃん注:「如行」(じよかう)は近藤如行(?~宝永五(一七〇八)年)は美濃大垣藩士。貞享元(一六八四)年、芭蕉に入門。元禄二(一六八九)年、「奥の細道」の旅を終えた芭蕉を自宅に迎えている。同八年の芭蕉百日忌追善集「後の旅」を編している。通称は源太夫。私の『今日のシンクロニティ「奥の細道」の旅 93 大垣入り』、及び、『今日のシンクロニティ「奥の細道」の旅 94 胡蝶にもならで秋ふる菜虫哉』を見られたい。]
廣庭や鳩の物くふ梅の花 昌 房
梅に鶯は陳腐の極であるが、鳩を配したのはちよつと變つてゐる。廣庭の日當りのいゝところであらう、鳩が下りて餌を食つてゐる。この鳩は一羽や二羽ではあるまい。多くの鳩が一種の聲を立てながら、豆でも拾つてゐる光景らしく思はれる。
神社か寺の境内のやうな感じもするが、そう限定する必要はない。前の雞の句と云ひ、この鳩の句と云ひ、自然を直に捉へ來つて一幅の畫圖を成してゐるのは、さすがに元祿人の世界である。
雉子啼や見付た事の有やうに 野 紅
一茶調である。曾呂利新左衞門の筆法を用ゐれば、太閤が猿に似たのではない、猿が太閤に似たのだといふところであらう。
併しこの句は單に一茶調と云ひ去るには、あまりに似過ぎてゐる。『一茶發句集』にある「雉子なくや見かけた山のあるやうに」といふ句は、材料から云つても、調子からいつても、全くこの句の通りであるのみならず、「見かけた山」といふ言葉も自然の丘山でなしに、見込がついたといふ意味の諺ださうだからである。兩句の僅な相異點である中七字も、存外意味が近いことになつて來る。
一茶の特色の一として擬人法が擧げられる。吾々もあの顯著な特色を認めぬわけではないが、あれを以て直に一茶獨造の乾坤とする說には贊成出來ない。その證據には現にかういふ句が元祿時代に存在してゐる。一茶調の先蹤をなすことは、野紅の名譽ではないかも知れぬ。但一茶としてはどうしても野紅に功を讓らなければなるまいと思ふ。
[やぶちゃん注:「雉子なくや見かけた山のあるやうに」「七番日記」(文化七(一八一〇)年正月から同十五年十二月までの日記で、筆者及び友人の俳句などをも収める、一茶の日記中、最も代表的なもの)所収。]
尺八の庵は遠しおぼろ月 魯 九
門を吹いて通る虛無僧の尺八ではない。どこかの庵で吹いてゐる尺八である。さう斷定する以上、作者はその尺八の音色を知り、吹く人を知り、その庵を知つてゐるのであらう。その庵は遠くに在る。かねて聞おぼえのある尺八がそこから聞えて來るので、この「遠し」は視覺に訴へる意味のものでなしに、聽覺に訴へる遠さであらうと思ふ。萬象は悉く朧なる月の下に眠つてゐる。その中に尺八の音だけ流れて來るといふのは、如何にも春の夜らしい感じである。
[やぶちゃん注:「魯九」堀部魯九(ろきゅう ?~寛保三(一七四三)年)は江美濃蜂屋生まれ。郷里に孤耕庵を結んだ。内藤丈草の唯一の門弟とされる。師の没後に追善集「幻之庵(まぼろしのいほり)」「鳰法華(にほほつけ)」等を出版している。名は佐七郎。別号に孤耕庵。編著に「春鹿集」「雪白河」等がある。]
此日和つゞく雲雀の高音かな 夕 兆
每日每日いゝ天氣が續く。その日和を喜ぶやうに雲雀が啼く。快適な春の感じを現した句である。
これだけの客觀の句としても差支無いが、この句には「餞別」といふ前書があつて、路健の旅に出るのを送つたことになつてゐる。出立の際も已に天氣つゞきだつたので、眼前の景色をそのまゝ取入れたものであらうが、同時に旅立つ人に對し、この日和の更に續けかしと希ふ意が含まれてゐるやうな氣もする。日和の空に高く啼く雲雀の聲を聞きながら、徐に旅程に上る。かういふ風物を採つて直に餞別とするのは、俳句以外の詩のあまり執らぬ手段であらう。
[やぶちゃん注:「夕兆」(せきてう)は井波俳壇の浪化門の一人。]
春雨や障子を破る猫の顏 十 丈
障子の破れから猫がぬつと顏を出す、といふのでは平凡である。締出された障子の外から、猫が紙を破つて入つて來る、といふところに面白味がある。外から入る場合には限らぬ。内から破つて出るのでもいゝわけであるが、内から外へ出るのでは「顏」が利かない。紙を押破つてぬつと猫の顏が現れる。そこがこの句の主眼でなければならぬ。
猫を飼つたことのある者なら、屢〻經驗する實景である。春雨に降り込められて徒然なる日、障子を破つて猫が顏を出すのは、俳味橫溢して面白い。春雨時分ならば障子に穴を明けられても、さう迷惑ではなからうなどと餘計なことを云ふ必要はない。
[やぶちゃん注:「十丈」竹内十丈(じゅうじょう ?~享保八(一七二三)年)は越中の人。元禄九(一六九六)年、伊勢・京都・大坂・粟津・彦根などの芭蕉の高弟を訪ねている。その折の句を上巻に、文通の句を下巻に収めて、同十四年、「射水川(いみづがは)」を刊行している。]
落さうな神鳴雨や木瓜の花 路 靑
中七字は「カミナリアメ」と讀むか、「カミナルアメ」と讀むか明でない。雷雨を訓じて「カミナリアメ」と讀むのが無理ならば、「カミナルアメ」でよからうと思ふ。全體の意味には大した變りは無いからである。
春雷とはいふものの、すさまじく鳴りはためいて、今にも落ちさうになる。さういふ雷雨の中に木瓜の花がしづかに咲いてゐるといふのである。木瓜の咲いてゐるのはどういふ場所だかわからぬが、深く穿鑿する必要はない。たゞさういふ雷雨の下の木瓜の花といふだけで、この句の感じは十分である。春雷と木瓜との配合も、自然に或調和を得てゐる。
春風やよごれて戾る手習子 吾 仲
登場人物が手習子であれば、「よごれて戾る」材料は墨にきまつてゐる。「顏に書子と手に書と、人形書子は天窓搔」といふ寺子屋の文句は人の耳目に熟してゐるが、寺子屋といふものがなくなつた今日でも、この光景にあまり變りは無い。小學校の生徒も習字のある日などは、大槪顏や手足を汚して歸つて來る。
併しあの「よごれて戾る」樣子は、頗るのんびりした情景である。「春風」を配合しないでも、慥に春風駘蕩たるところがある。
[やぶちゃん注:「吾仲」渡辺吾仲(延宝元(一六七三)年~享保一八(一七三三)年)は蕉門。京都六条の仏画師。俳諧は中村史邦・河野李由・各務支考に学んだ。別号に柳後園・百阿仏など。編著に「柿表紙」などがある。
「顏に書子と手に書と、人形書子は天窓搔」これは何度か見ている人形浄瑠璃「菅原伝授手習鑑」の「寺子屋の段」の冒頭の一節。
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一字千金二千金、三千世界の寶ぞと、敎へる人に習ふ子の中に交はる菅秀才、武部源藏夫婦の者、勞はり傅(かしず)きわが子ぞと、人目に見せて片山家、芹生(せりう)の里へ所がへ。子供集めて讀み書きの器用不器用淸書きを、顏に書く子と手に書くと人形書く子は頭かく、敎へる人は取分けて世話をかくとぞ見へにける。
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