柴田宵曲「古句を觀る」正規表現版電子化注 / 「夏」(3)
美しき人の帶せぬ牡丹かな 四 睡
ちよつと見ると、牡丹の咲いてゐる側に、美人が帶をしめずに立つてゐるかの如く解せられるが、實際はさうでなしに、牡丹そのものを帶せざる美人に見立てたものと思はれる。牡丹の妖艷嬌冶の態は單に「美しき人」だけでは十分に現れない。「帶せぬ」の一語あつて、はじめてこれを心裏に髣髴し得るのである。
かういふ句法は今の人達には多少耳遠い感じがするかも知れないが、この場合强ひて目前の景色にしようとして、帶せぬ美人をそこに立たせたりしたら、牡丹の趣は減殺[やぶちゃん注:「げんさい」。]されるにきまつてゐる。句を解するにはどうしてもその時代の心持を顧慮しなければならぬ。
[やぶちゃん注:「嬌冶」「けうや」(きょうや)は「艶めかしい」の意。]
捲あぐる簾のさきやかきつばた 如 行
『句兄弟』に「簾まけ雨に提來くる杜若」といふ其角の句がある。これは「雨の日や門提て行かきつばた」といふ信德の句に對したので、單に燕子花[やぶちゃん注:「かきつばた」。]を提げて通るといふだけの景色に、「簾まけ」の一語によつて山を作つたのが、其角一流の手段なのであらう。
如行のこの句には、其角のやうな山は見えない。緣先の簾を捲上げると、すぐそこに燕子花の咲いてゐるのが見える、といふ眼前の趣を捉へたのである。簾を捲くと同時に、燕子花の色がぱつと鮮あざやかに浮んで來るやうに感ずるのは、この句が自然な爲に相違ない。自然に得來つたものは、一見平凡のやうでも棄て難いところがある。
[やぶちゃん注:「句兄弟」其角編で元禄七(一六九四)年刊。以上は、
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五番
兄 信德
雨の日や門(かど)提(げ)て行(ゆく)かきつばた
弟 [やぶちゃん注:ここは其角。]
簾(すだれ)まけ雨に提來(さげくる)杜若
*
この「信德」は伊藤信徳(寛永一〇(一六三三)年~元禄一一(一六三八)年)は京都の富商。高瀬梅盛の門人で、談林調から蕉風への一翼を担った人物として知られる。編著「江戶三吟」・「七百五十韻」などがある。]
ほとゝぎす栗の花ちるてらてら日 李 千
紛れもない晝のほとゝぎすである。ほとゝぎすの句といふものは、習慣的に夜を主とするやうになつてしまつたが、古句を點檢して見ると、必ずしもさうではない。この句は「てらえら日」といふのだから、相當日の照りつけている、明るい晝の世界である。
ほとゝぎすあみだが峯の眞晝中 路 通
郭公日高にとくや筒脚半 探 志
などといふのは、明に[やぶちゃん注:「あきらかに」。]晝の時間を現してゐるし、
幟出す雨の晴間や時鳥 許 六
ほとゝぎす傘さして行森の雨 洒 堂
の如きも、やはり晝と解した方がよささうに思はれる。元祿人は傳統に拘泥せず、句境を自然に求めて隨所にこの種の句を成したのであらう。
「ほとゝぎす」といふ言葉がその鳥を現すのみならず、直にその啼なく聲までを意味するのは、活用の範圍が廣きに失しはせぬかといふことを、鳴雪翁は云つて居られた。併しほとゝぎすは聲を主とする鳥で、啼く場合殆ど姿を見せぬといふことも考へなければならず、その名詞が五音である爲、他の語を添える便宜に乏しいといふ消息も認めなければなるまい。ここに擧げたのはいづれも晝のほとゝぎすであるに拘らず、一向句の表に姿を現してゐない。「栗の花ちるてらてら日」といふ明るい世界にあつても、ほとゝぎすは依然聲を主として扱はれてゐるのである。
雞の餌袋おもし五月雨 胡 布
雞の餌袋[やぶちゃん注:「ゑぶくろ」。]は胸のところにある。かつて少しばかり雞を飼つた頃の經驗によると、夕方雞舍をしめる時などに、よくその餌袋に手を觸れて、腹が十分であるかどうかをしらべたものであつた。貪食な雞の餌袋が一杯砂でも詰めたやうに固くなつてゐるのは常の事であるが、これは五月雨時なので、いさゝか運動が乏しく、特に餌袋の重きを感じたものかも知れない。
この句の眼目は「おもし」の一語に盡きる。これによつて客觀的に雞の餌袋を重しと見るのみならず、何となく自分の事ででもあるかのやうな感じを與へる。雞に親しい生活の人でなければ、かういふことは捉へにくいだらうと思ふ。
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