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2024/04/03

柴田宵曲「古句を觀る」正規表現版電子化注 / 「春」(10)

 

   霞む目やまばゆき紅の水洗   里 東

 

「紅」はモミと讀むのであらう。紅い絹の意である。うらうらと霞む長閑な日の下に、水に浸してざぶざぶと洗ふ、その絹の紅が日に映えて眩いやうな感じがする、といふ趣を詠じたものと思はれる。

 上に「霞む目」と置いたところを見ると、普通の井戶端などでない、多少眺[やぶちゃん注:「ながめ」。]の展けた流[やぶちゃん注:「ひらけたながれ」。]のほとりかも知れない。さうすれば又一句の連想が複雜になつて來る。或は霞む日の空を遠い背景として、水洗をした紅絹がそこに干してある、その紅の眩いやうな感じを捉へたものとも解せられぬことはない。一句の主眼は春の日を集めた紅絹の眩さにあるのだから、他は各自の連想に任せていゝやうなものであるが、姑く[やぶちゃん注:「しばらく」。]前のやうに解して置く。

 

   默禮の跡見かへるや朧月 柳 之

 

 夜道を步いて行くと、默つて御辭儀をする人がある、此方も禮を返して行き違つたが、何步か行つてあとを振返つて見たら、今の人は朧月の下を向うへ步みつゝある、と云つたやうな趣かと思ふ。相手は誰であるかわからぬ、御辭儀をするから此方でも御辭儀をしたものの、訝しいやうな氣がして振返つたものとも解せられる。それほど面倒に考へずに、默禮をしたまゝすれ違った人を、少し行き過ぎてから振返つた、といふだけでもいゝかも知れない。何とも挨拶せぬ爲に、いくらか無氣味な影が附纏ふやうだけれども、その人を怪しむといふほど强い感じでもなささうである。

 人通りなどのあまり無い場所であらう。朧月の下に顧る人影の、遠からず而も明[やぶちゃん注:「あきらか」。]ならざるところに一種の趣がある。

 

   さらば又かき餅燒んおぼろ月 露 堂

 

「舍羅除風に草庵に押こまれて」といふ前書があるから、その場合は一應わかるが、舍羅、除風と作者との關係はあまり明瞭でない。この前書によつて按あんずるに、二人が突然やつて來たので、いさゝかもてなしの爲、夜話の伽にするやうな意味で、かき餅でも燒かうと云つたのであらう。「さらば又」といふところを見れば、こんな事は屢〻あるので、御互に親しい間柄らしいことも、「押こまれて」の一語から想像し得る。

 この句を讀んでふと思ひ出したのは、吉野左衞門氏の「十三夜行」である。月夜の松濤庵に淸流を汲んで茶を淹れ、何か無いかと戶棚を搜したら一袋の掻餅が出て來た、それを泉鏡花氏が喜んで食べた、といふことが書いてある。春と秋で情景は全く異るけれども、夜の客に對して掻餅を持出すところ、相手が二人であるところなども頗る趣を同じうしてゐる。この句が目についたのも、事によつたら「十三夜行」の記事が頭に在つたせゐかも知れない。

 簡素な昔の生活の思ひやられる句である。

[やぶちゃん注:『吉野左衞門氏の「十三夜行」』「吉野左衞門」(明治一二(一八七九)年~大正九(一九二〇)年)は俳人。三鷹市野崎生まれ。子規に入門し、近代俳句確立期に俳壇の主流となった人物。「十三夜行」は明治三一(一八九八)年に書かれた伊勢参りの紀行文。国立国会図書館の「次世代デジタルライブラリー」の句文集「栗の花」(明治四一(一九〇八)年民友社刊)のこちらから視認でき、当該箇所はここである。]

 

   吹上る墋の中の雲雀かな 呈 笑

 

 畠であるか、河原であるか、それはわからぬ。强い風が吹いて濛々と埃[やぶちゃん注:「ほこり」。]が揚る、その中に雲雀の聲がする、といふのである。

 雲雀の聲は多くの場合、長閑のどかな光景に配せられてゐる。この句は風が吹いてゐる上に、濛々たる砂塵まで揚つてゐるのだから、平安朝流の歌よみなどは閉口しさうな趣であるが、それで雲雀の感じは少しも損はれてゐないところが面白い。

[やぶちゃん注:「墋」「ほこり」と読む。]

 

   蛙子や尾先ににごす小田の水 淵 龍

 

 田の水の淺いところに、蝌蚪[やぶちゃん注:「おたまじやくし」。]が澤山かたまつてゐる。あの軈て消え去るべき短い尾を動かすたびに、田の水にさゝやかな濁りが立つ。大まかなやうで纖細な趣を捉へたものである。

「尾先ににごす」といふ言葉だけ切離して考へると、もう少し大きな動物であつてもよささうな感じがする。從つてこの蝌蚪も一疋の動作と見た方が、印象がはつきりするかも知れぬが、蝌蚪そのものとしてはやはり黑くかたまつて、絕えず動いてゐる方がよささうに思ふ。蝌蚪の尾によつて絕えず濁りを生ずるところに、淺い田の水の樣子が窺はれる。

[やぶちゃん注:私は幼い日の記憶から、断然、複数のそれを想起する。

「蛙子」「かへるご」。

「小田」「おだ」。]

 

   肩もみてともに眠るか春の雨 百 洞

 

 春雨の懶さとでもいふべきものを現した句である。肩を揉ませてゐるうちにいゝ氣持になつて、ついうとうとする。揉んでゐる方も眠くなつたのであらう、揉む手に力が入らなくなる、外は春雨がしとしと降つてゐる、といふのである。

「ともに眠るや」では斷定に過ぎる。眠つてゐるのかゐないのか判然せぬ狀態、揉ませてゐる方の意識も稍〻朦朧たる點が、春雨の趣に調和するのであらう。

 

   枯蘆に雪の殘りや春の鷺 怒 風

 

 これは見立みたての句であらうと思ふ。枯蘆のほとりにゐる鷺の白いのを、殘ン[やぶちゃん注:「のこん」。]の雪に擬したので、實際枯蘆に雪が殘つてゐるわけではない。散文的に解釋すれば、春の鷺の白きは枯蘆に殘れる雪の如し、といふことになるわけであるが、作者は机上にこの趣向を案出したのではなく、現在眼の前に枯蘆を見、白鷺を見てゐるのである。さうでなしに單にこれだけの譬喩を持出したものとすれば、一箇の思ひつきに過ぎぬことになつてしまふ。「枯蘆に雪の殘りや」といふ十二字だけなら、或は枯蘆の上の殘雪と解することも出來るかも知れない。たゞそのあとから登場するものが白鷺なので、雪に色を奪はれたのでは折角出て來た甲斐が無いから、こゝはどうしても枯蘆の鷺を殘雪に見立てたといふ解釋によるべきであらう。この邊は今の句とは大分勝手の違ふところがある。

 尤も鷺を雪に見立てるのは、必ずしも珍しい趣向ではない。宗鑑にも「聲なくば鷺こそ雪の一つくね」といふ句があつた。これは「雪の一つくね」といふ語が鷺の形容に適切であるといふ外、全然理智的譬喩になり了つてゐる。從つて吾人の眼前には何も浮んで來ず、文學的價値も頗る乏しいわけである。然るに鷗外博士の「佐橋甚五郞」を讀むと、中に次のやうな描寫がある。[やぶちゃん注:以下、後で原文を示すが、完全な引用ではない。なお、底本では、以下は二字下げとなっているが、ブラウザの不具合が生ずるため、「*」を前後に入れて示した。]

   *

丁度春の初で、水のぬるみ初めた頃である。とある廣い沼の遙か向うに、鷺が一羽おりてゐた。銀色に光る水が一筋うねつてゐる例の黑ずんだ土の上に、鷺は綿を一撮み投げたやうに見えてゐる。

   *

 この鷺を擊てるか擊てぬかの賭かけになつて、甚五郞が鐵砲で擊つ。そこに「其儘黑ずんだ土の上に、綿一撮みほどの白い形をして殘つた」と、もう一度同じ形容が繰返してある。嘗てこの條を讀んだ時、譬喩の文學的效果といふことに就て、少し考へて見たことがあつた。散文或は長詩の一節として之を用ゐれば、大に[やぶちゃん注:「おほいに」。]效果のある譬喩的形容でも、俳句の如き短い詩に在つては、他に補足的な文字を添える餘裕が無いため、譬喩倒れに了る傾向がある。「佐橋甚五郞」の一節としては效果のある「一撮みの綿」の如きも、俳句に於ては成功せぬ場合が多くないかと思はれる。

 宗鑑の鷺は姑く問題の外としても差支ない。怒風の句が或程度まで早春水邊の景色を展開してゐるに拘らず、全體の感じを弱めてゐるのは、主として譬喩の一點にある。これは俳句に適するか否かの問題で、必ずしも形容の巧拙に關するものではなささうである。

[やぶちゃん注:「佐橋甚五郞」大正二(一九一三)年四月一日発行の『中央公論』(二八ノ五)初出(後の単行本「意地」に所収)。所持する岩波の『鷗外選集』第四巻を元に、漢字を恣意的に正字化して示した。一シークエンスが終わるところまで、引用する。

   *

 或る時信康は物詣(ものまうで)に往つた歸りに、城下のはづれを通つた。丁度春の初で、水のぬるみ初(そ)めた頃である。とある廣い沼の遙か向うに、鷺が一羽おりてゐた。銀色に光る水が一筋うねつてゐる側の黑ずんだ土の上に、鷺は綿を一撮(つま)み投げたやうに見えてゐる。ふと小姓の一人(ひとり)が、あれが擊てるだらうかと云ひ出したが、衆議は所詮擊てぬと云ふことに極まつた。甚五郞は最初默つて聞いてゐたが、皆が擊てぬと云ひ切つたあとで、獨語(ひとりごと)のやうに「なに擊てぬにも限らぬ」とつぶやいた。それを蜂谷(はちや)と云ふ小姓が聞き咎めて、「おぬし一人がさう思ふなら、擊つてみるが好い」と言つた。「隨分擊つて見ても好いが、何か賭かけるか」と甚五郞が云ふと、蜂谷が「今ここに持つてゐる物をなんでも賭けう」と云つた。「好し、そんなら擊つて見る」と云つて、甚五郞は信康の前に出て許しを請うた。信康は興ある事と思つて、足輕に持たせてゐた鐵砲を取り寄せて甚五郞に渡した。

 「中(あた)るも中らぬも運ぢや。はづれたら笑ふまいぞ。」甚五郞はかう云つて置いて、少しもためらはずに擊ち放した。上下擧(こぞ)つて息を屛(つ)めて見てゐた鷺は、羽を廣げて飛び立ちさうに見えたが、其儘黑ずんだ土の上に、綿一撮み程の白い形をして殘つた。信康を始めとして、一同覺えず聲を揚げて譽めた。田舟(たぶね)を借りて鷺を取りに行く足輕を跡に殘して、一同は館へ歸つた。

 翌日の朝思ひ掛けぬ出來事が城內の人々を驚かした。それは小姓蜂谷が、體中に疵もないのに死んでゐて、甚五郞は行方が知れなくなつたのである。小姓一人(にん)は鷺を擊つた跡で、お供をして歸る時、甚五郞が蜂谷に「約束の事は跡で談合するぞ」と云ふのを聞いた。死んだ蜂谷の身のまはりを調べた役人は、兼て見知つてゐる蜂谷の金熨斗附(きんのしつき)の大小の代りに、甚五郞の物らしい大小の置いてあるのに氣が附いた。その外にはこの奇怪な出來事を判斷する種になりさうな事は格別無い。只小姓達の云ふのを聞けば、蜂谷は今度紛失した大小を平生由緖のある品だと云つて、大切にしてゐたさうである。又其大小を甚五郞が不斷褒めてゐたさうである。

   *

同作をお持ちでない方は、新字新仮名であるが、「青空文庫」のここで全篇が読める。]

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