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2024/04/05

譚 海 卷之十三 かやめうが陰所の藥の事 狐肝の事 狐の皮寒をふせぐ事 ちんの眼蠅を忌事 猿飼べからざる事 鼠にかまれたる藥の事 牛糞打身藥なる事 虎の爪の事 豪豬の事 龍角の事 鷄の事 鴨の羽繪筆とすべき事 時のはね羽ぼうきにつくるべき事 孔雀飼かたの事 京都で製する筆の事 江戶の筆の事 字けづりの事 硯をあらふ事 のづらの事 硯屛の事 唐紙とりあつかひの事 矢立墨の事 朱硯の事 ゑの具すゞり摺粉木の事 印肉の墨さらへの事 朱印肉油の事

○「かや茗荷」といふもの、野ぶかき萱(かやはら)原に出來(いでく)る。めうがの形に似たるもの也。血の小便せし跡に出來るもの也。是を黑燒にして、婦人、陰所の疵、出來(いでくる)ものなどに、ごまの油にて付(つく)るに、功驗あり。

[やぶちゃん注:「かや茗荷」単子葉植物綱ツユクサ目ツユクサ科ヤブミョウガ属ヤブミョウガ Pollia japonica のことであろう。当該ウィキによれば、『東アジア(中国、朝鮮半島、台湾、日本)に分布し、日本では関東地方以西の暖地の林縁などに自生するが、湿気の多い土地を好む』。五『月頃から発芽し、夏にかけて草丈』五十センチメートルから一メートル『前後に生長、ミョウガに似た長楕円形の葉を互生させ、葉の根元は茎を巻く葉鞘を形成する。葉は茎の先端部分だけに集中する。なお本種の葉は表面がざらつくところ、葉が』二『列に出ないことなどでミョウガ』(単子葉植物綱ショウガ目ショウガ科ショウガ属ミョウガ Zingiber mioga )『と区別できる。なお、ミョウガはショウガ科であり、花の構造は全く異なる』とある。薬用の記載はないが、『若芽は、初夏の葉が開ききらないうちに採取し、塩茹でしてそのままで、または炒め物や汁物などにして食用にされる』とあった。]

 

○狐の肝、藥物に用(もちゆ)るは、和州より來る也。五つほどづつ、串にさしてあるもの也。

「和州ほど、狐のおほき所、なし。」

と云へり。

 

○狐の皮を腰に卷(まく)時は、寒氣を防ぎ、疝氣(せんき)を、よくすべし。

[やぶちゃん注:「疝氣」大腸・小腸・生殖器などの下腹部の内臓が痛む疾患を広く指す。]

 

○「ちん」の目は、蠅を、いむ也。

「都(すべ)て獸(けもの)の目、蠅を、いむ。」

と、いへり。

 

○猿を人家に飼べからず。年久敷(ひさしき)後(のち)、長大に成(なり)ては、人に喰付(つき)、あれて、せんかたなき物也。

「猿は、時々、『松のは』にて、顏を突(つき)て、いからするが、養生なり。」

と、いへり。

 

○「鼠にかまれたるには、猫のよだれを付(つく)れば、治する也。猫の毛を黑燒にして、付るも、よし。」

と、いへり。

 猫の鼻へ、生姜をすりてぬるときは、よだれを流す也。

 又、

「『まつかう』を付(つけ)[やぶちゃん注:「付けるもよく、又」が欲しい。]、「しきみ」のはを、せんじ、腹(ふく)するも、奇功、有(あり)。」

と、いへり。

 

○牛の糞(ふん)、落馬打身に付(つけ)て能(よく)治する也。東海道にて、馬、驚き、乘(のり)たる人、萱屋根(かややね)の軒にて、口のわきを疵付(きずつけ)たるに、牛の糞を塗(ぬり)たれば、五日ばかり有(あり)て、本腹せり。

 

○虎の爪を根付(ねつけ)にしたる有(あり)しが、「猿𢌞し」來(きた)る時、夫(それ)を投(なげ)て、あたへしが、猿、手に取(とり)て嗅(かぎ)て、大(おほき)に、おどろき、にげ、はしりたり。

 

○「鷔鳥[やぶちゃん注:底本では、右に編者の補正注があり、『(豪豬)』とある。]といふもの、薩州より獻上ありしを見しに、猪の形の如く、背の上に、長き「さゝら」をあみたるやう成(なる)骨を、左右に羽の如く生じて有(あり)、怒る時は、此骨、さか立(だち)、嗚(なる)。」

と、いへり。珍敷(めづらしき)もの也。

「骨は、楊枝に用(もちい)て、齒の藥に、かふべし。」

と、いへり。

[やぶちゃん注:「豪豬」歴史的仮名遣では「がうちよ」。現行では「ごうちょ」で、これで「やまあらし」とも読む。この場合、哺乳綱齧歯目ヤマアラシ科ヤマアラシ属マレーヤマアラシ Hystrix brachyura であろうと思う。当該ウィキによれば、『インド北東部、インドネシア(スマトラ島、ボルネオ島)、タイ王国、中華人民共和国中部および南部、ネパール、ベトナム、マレーシア、ミャンマー、ラオス』に分布するとあるので、恐らくは、薩摩藩が秘密裏に実行支配していた琉球国が、多分、中国から献上されてきた同種を、薩摩が取り上げたものだろう。

「かふ」は「代(か)ふ」であろう。]

 

○「龍角(りゆうかく)」と云(いふ)もの有、甚(はなはだ)大(おほき)なる角(つの)にて、まはり三尺斗(ばかり)もあり。象牙の肌の如く、殘らず「とげ」有(あり)て、手を付(つく)る事も成(なし)がたし。程々、功能をしるせる事(こと)、書添(かきそへ)て有(あり)。立身、望(のぞみ)、有(ある)人、殊に重寶とするよし、見えたり。子細(しさい)、くはしくしらず。

[やぶちゃん注:「龍角」不詳。竜骨ならば、「日本薬局方」で、大型哺乳動物の化石化した骨で、主とし て炭酸カルシウムからなるものと規定される生薬であるが、ここでは、「象牙の肌の如く、殘らず「とげ」有て、手を付る事も成がたし」とあるのは、例えば、マンモスの化石になった象牙とは思われない。トゲトゲになっていて、とても触れることが出来ないというのは、何らかの針状の結晶が外部に突き出ているような印象を受ける。海獣のイッカクのそれとも一致しない。「竜骨」なら、真相検討はネットでも賑やかなのだが、「龍角」となると、真相追及はガックと少なく、信頼出来る記載は見当たらない。識者の御教授を乞うものである。]

 

○「鸛鶴(くわんかく)」、俗諺に「かうの鳥」と、いへり。くちばしをたゝく音、鳴聲(なくこゑ)の如し。あふむき、たゝく時は、雨をうらなふ。うつむき、たゝ時は、雨をうらなふ兆(きざし)とす。尾長鳥、むれ飛(とぶ)も、雨の兆也。

[やぶちゃん注:「鸛鶴」「かうの鳥」。鳥綱コウノトリ目コウノトリ科コウノトリ属コウノトリ Ciconia boyciana 。博物誌は私の「和漢三才圖會第四十一 水禽類 鸛(こう)〔コウノトリ〕」を参照されたい。]

 

○かもの羽、二つ合(あはせ)て繪筆に造る也。唐畫(たうが)・山水などには專要(せんえう)のもの也。

「羽(は)ぶしの脇毛を用(もちゆ)る。」

と、いへり。羽筆(うふで)と稱するもの也。

[やぶちゃん注:「羽ぶし」羽の根元。羽茎(はぐき)のこと。]

 

○「とき」のはね、又、「羽(は)ぼうき」、製すべし。普通のものには、こえたり。

 金鷄(きんけい)のはねも「ほうき」に製したるは、至(いたつ)て見事也。

[やぶちゃん注:「とき」博物誌は私の「和漢三才圖會第四十一 水禽類 朱鷺(トキ)」を参照されたい。]

 

○「孔雀には、鷄卵を、うちわりて、飼ふ。蛇をも、飼ふ。」

と、いへり。

 落(おち)たる毛を綴(つづり)て、「どうらん」に織(おり)たる、甚(はなはだ)、異物にみゆ。

[やぶちゃん注:博物誌は私の「和漢三才圖會卷第四十四 山禽類 孔雀(くじやく) (インドジャク・マクジャク)」を参照されたい。]

 

○京都の筆は、麁(そ)なるものといへども、毛先、よし。京都にて、よき毛を、ぬきとりて、殘れる皮を、他邦へわかちやるゆゑ、京都の製には及(およば)ざる事、むベ也。

 又、若狹より出(いだ)す筆、殊に、よし。毛のもやう、けだもののやうに見えず、鳥の毛のごとし。

[やぶちゃん注:「皮」は、「はじかれた品質の悪い毛」の意であろう。]

 

○筆は、江戶にても、自身、拵(こしら)ゆる店の物を求(もとむ)れば、よき筆を、える事、あり。大成(おほきなる)店を構(かまへ)て賣る所のものは、多く、よき筆、なし。下細工(したざいく)[やぶちゃん注:仕事が落ちる下級の細工師。]より、取(とり)よせて、あきなふゆゑ、筆工(ひつこう)の手づから製するには劣るゆゑ也。

 

○京都に「字けづり」といふものを製する者、有(あり)。

 小刀(こがたな)と、「へら」と、紙を竹の先へ付(つけ)たるものと、三稜(さんりよう)、有(あり)。書損(かいそん)じたる文字を、小刀にて、けづり、其跡を「ヘら」にて、すりて、すりたる所のすべらかに光あるを、此紙を付(つけ)たる竹にて、なづれば、光、消(きゆ)る也。

 小刀も、文字をけづる勝手よき樣(やう)に拵へたる物也。

 竹の先へ付たる紙も、唐紙(からがみ)・「ならたうし」の柔らか成(なる)にてするゆゑ、「へら」にてすりたる光、消うする也。堂上何れの御方にか、工(たく)み出(いだ)されし物の、よしにて、此三種に各(おのおの)名字(みやうじ)を付(つけ)て、東崖先生の銘有(ある)箱に入(いれ)て、あきなふ、よしを、いへり。

[やぶちゃん注:「ならたうし」不詳。或いは「奈良たたう紙」の誤記か誤判読か。「たたう」(現在仮名遣「たとう」。漢字表記「疊紙・帖紙」)は「たたみがみ」の音変化で、折り畳んで懐中に入れ、鼻紙や詩歌の詠草などに用いる懐紙のこと。

「東崖先生」江戸中期の儒学者伊藤東涯(寛文一〇(一六七〇)年~元文元(一七三六)年)か。]

 

○硯を洗ふには、「ところ」の根を用べし、停(とどまる)墨を、よく洗ひおとして、しかも硯に疵付(きずつく)事、なし。

[やぶちゃん注:「ところ」「野老」だが、ここでは、広義の山芋類を指す。]

 

○硯、自然石のまゝにて、海ばかりを、ほる事を、「のづら」と云(いふ)也。

 

○硯屛(けんびやう)には、銀をのべて、張(はる)べし。夜學(やがく)に硯にそひてたつるに、燈(ともし)の光、硯屛に映じて、硯の内を照(てら)し、筆を染(そむ)るに、便(びん)よろし。たとひ、銀を用ゐずとも、木の屛成(なり)とも、銀箔を置(おく)べし。又びいどろの唐鏡を用(もちゐ)るも、よろし。

 

○唐紙をさけぬやうにするには、風の通ふ所に、竿(さほ)にかけて、半日ばかり、さらすべし。尋常の紙よりは剛(つよ)く成(なる)也。

 

○矢立(やたて)の硯には、鵜(う)の毛を用ゐて、墨を、たくはふべし。墨、かはく事、なし。常に水中を離れざる鳥なれば也。

 

○朱硯(しゆすずり)は、「びいどろ」にて製したる、朱の光りを發して、ことに、よろし。さなくとも、瀨戶ものを用ゆべし、瓦石(ぐわせき)に勝(すぐ)る事、萬々(ばんばん)也。

 

○繪の具をとく摺木(すりき)にも、「びいどろ」にて製したる殊によし。

[やぶちゃん注:「摺木」擂粉木(すりこぎ)に同じ。]

 

○印石、朱肉にて、埋(うづま)りたるをば、茶にて、洗ふべし。

 

○朱印肉油の法、シラシボリ一合、胡根一粒、唐黃蠟三分五厘、明礬(みやうばん)三分、

右四種、調合する也。先(まづ)、油をゆるき火にて、そろそろせんじ、一時(いつとき)ほど過(すぎ)て水に落(おと)し見れば、玉の如くに成(なる)也。夫(それ)を期(き)として、火を脫(はず)する也。水に落して、ちらば、調(ととの)はざる也。隨分、いろつかぬやうに、うすきを、「上」とす。[やぶちゃん注:以下は底本でも改段落である。]

 又、一方、艾葉(よもぎば)・朱辰沙(しゆしんしや)、かたへに、少し、「蟬退紙竹(せんたいしちく)」。是は、竹のふしの内にある、紙のごときもの也。

[やぶちゃん注:私は書道に全く興味がない。字も悪字である。されば、以上の原料等も注する気はない。悪しからず。]

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