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2024/04/19

南方熊楠「江ノ島記行」(正規表現版・オリジナル注附き) (4)

[やぶちゃん注:底本・凡例等は「(1)」を参照されたい。]

 

  ○十八日

 黎明天を望むに、漸く南方の白きを見る。午前八時宿を出で、西方に向かふ、長谷觀音の境内を過ぐ。この觀音は行基菩薩の開眼する所にして隨分大軀なりと聞しが、堂宇の小なるは實に驚くべし。此を過ぎて御靈神社有り、後三年の役に奮鬪せる平景政を祭る。建久五年正月、八田知家此社へ奉幣使をつとめたる事有といふ。それより切通坂を經て七里ヶ濱に出づ。道傍に蛞蝓[やぶちゃん注:「なめくじ」。]の交尾するを見る。雌雄圓狀をなして草葉の上にあり、白涎[やぶちゃん注:「はくぜん」。白い涎(よだれ)。]の如きものを出せり。七里濱は關東一里を以て計(かぞ)ふるものにして、南に大洋を眺め、西に江島を見る、風景稍喜ぶべし。サンドホッパーの屬多し。一箇の木塊の化石せるを得たり、長さ四寸幅三寸許り、杭頭の化せるものならん、木理[やぶちゃん注:「もくり」。]鮮明にして體重多し。濱の中途に小流あり、行合川と名づく。僧日蓮の刑に遭ふや、奇怪の事多きを以て、其狀を具するの使と時賴が赦免狀を持てる使者と此邊に行き合ひたるを以て此名を傳ふといふ。此邊「海綿」、「ウミヒバ」等多く打上られたり。又、雨虎(あめふらし)の多く死せる有り。七里濱の終る處腰越村なり、卽ち源廷尉が兄の爲に追反[やぶちゃん注:「おひかへ」。]されたる處にして、村内万福寺今なほ腰越狀の草案を藏すといふ。海邊に小嶴[やぶちゃん注:「しやうあう」(しょうおう)で「山の中の平地」。]あり、岩上の松常に搖く[やぶちゃん注:「ゆらぐ」と読んでおく。]を以て、これを小動[やぶちゃん注:「こゆるぎ」。]と名けたり。北條氏康の歌に、「きのふ立ちけふ小ゆるぎのいその波いそゐでゆかん夕ぐれのみち」と有る、是れなり。村を出て亦沙濱有り、爰に寄居蟲[やぶちゃん注:「やどかり」。]の大さ三四寸なる者數個を見る。思ふに、此邊かゝる種に富めるならん。

[やぶちゃん注:「御靈神社」ここ(グーグル・マップ・データ。以下、無指示は同じ)。この神社は私の好きな場所で、いろいろな記事でこれに言及しているが、とりあえず、「『風俗畫報』臨時增刊「鎌倉江の島名所圖會」 御靈社」をリンクさせておく。「平」(鎌倉權五郞)「景政」や「八田知家」も注してある。

「切通坂」「極樂寺坂切通」

「サンドホッパーの屬」英名sand hopperである、甲殻亜門軟甲綱真軟甲亜綱フクロエビ上目端脚目ハマトビムシ科 Talitridaeのハマトビムシ類の仲間と考えてよい。体は左右に扁平で、頭部のほか、それぞれほぼ同大の七胸節、六腹節からなる。二対の触角のうち、第一触角は短い。満潮線付近の砂中に棲息する種が多く、海岸に打ち上げられた海藻などに附着するバクテリアを摂餌する。全国各地の海岸で普通に見られる体長十五ミリメートルの一般種である、ハマトビムシ科ヒメハマトビムシ属ヒメハマトビムシ Platorchestia platensis や、体長二十ミリメートルの大型種の、同科ヒメハマトビムシ属ホソハマトビムシ Paciforchestia pyatakovi を取り敢えず、挙げておく。

「行合川」(ゆきあひがは)は、この「行合橋」の架かる川。

「僧日蓮の刑に遭ふや、奇怪の事多きを以て、……」所謂、「龍ノ口の法難」である。文永八(一二七一)年、忍性や念阿弥陀仏等が連名で幕府に日蓮を訴え、さらに、平頼綱により、幕府や諸宗を批判したとして佐渡流罪の名目で捕縛され、「腰越龍ノ口刑場」(現在の神奈川県藤沢市片瀬に日蓮宗龍口寺(りゅうこうじ)がある)で処刑されかけたが、奇瑞があって処刑を免れ、翌十月に佐渡へ流罪と変更された。但し、奇瑞なんぞは実際にはなく、執権北条時宗が死一等を減じたのは、この時に正妻(後の覚山尼)が懐妊していた(十二月に嫡男貞時を出産)ことが主たる理由(「比丘殺し」は部教信者には祟りが怖いのである)と私は踏んでいる。他に、幕閣内に日蓮に帰依している者が有意な数、いたことも大きい。「北條九代記 卷第九 日蓮上人宗門を開く」の私の注を参照されたい。

「海綿」海綿動物門普通海綿綱 Demospongiaeのカイメン類。

「ウミヒバ」「(2)」で既出既注

「雨虎(あめふらし)」腹足綱異鰓上目後鰓目無楯亜目アメフラシ上科アメフラシ科アメフラシ属アメフラシ Aplysia kurodai 。詳しくは、私の記事では、『畔田翠山「水族志」 (二四八) ウミシカ (アメフラシ)』が最も詳しい。なお、アメフラシが食べられることを御存知ない方が多いので、私の「隠岐日記4付録 ♪知夫里島のアメフラシの食べ方♪」もリンクさせておく。

「腰越村」神奈川県鎌倉市腰越

「源廷尉」源九郎義経のこと。「廷尉(ていゐ)」とは「検非違使の佐尉(さゐ:訓では「すけのじよう」)」を指す。彼は寿永三(一一八三)年八月に、平家追討の功により「左衛門少尉」に任じられ、「検非違使」に補せられたので、かく呼んだ。

「兄」異母兄源頼朝。

「万福寺」「滿福寺」の誤り。ここ

「腰越狀」「新編鎌倉志卷之六」の「滿福寺」の私渾身の「腰越狀」及び現代語訳、現在、満福寺に伝わる「腰越狀下書」と伝えられるもののテクスト化をご覧あれ。なお、これは私が三十四年前に満福寺を訪れた際に購入した縮刷された影印版を読み解いたものである。

「海邊に小嶴あり、岩上の松常に搖くを以て、これを小動と名けたり」現在の小動(こゆるぎ)神社(ここが平地となっている)のある「小動の鼻」(現行では「小動岬」と言う)のこと。

『北條氏康の歌に、「きのふ立ちけふ小ゆるぎのいその波いそゐでゆかん夕ぐれのみち」と有る』下句の表記に不審があったので、国立国会図書館デジタルコレクションの「相模國 こゆるぎ考」(呉文炳(くれふみあき:著名な経済学者であったが、「江の島」に関する浮世絵の収集家及び江の島・鎌倉の研究者としてもとみに知られる)・土屋憲二共著/昭和一七(一九四二)年邦光堂刊)の「第三章 散文・紀行にあらはれたこゆるぎ」のここを見ると、

   *

 きのふたちけふ小ゆるぎの磯の波いそぎて行かん夕暮のみち

   *

とあって、南方熊楠の引用の誤りであることが判った。因みに、この歌、私は、名将氏康は、この「小動の鼻」の磯辺に立って、ここを通って稲村ヶ崎の引き潮を受けて鎌倉攻めをし、幕府を滅ぼすことに成功した仁田義貞の面影を懐古したものと読む。

「村を出て亦沙濱有り」小動の鼻を東に超えた現在の腰越漁港、及び、その西に現在の「江の島大橋」まで続く藤沢市の片瀬海岸を指す。

「寄居蟲」「がうな」「かみな」或いは「やどかり」と読む。甲殻亜門軟甲(エビ)綱十脚(エビ)目抱卵(エビ)亜目異尾(ヤドカリ)下目ヤドカリ上科 Paguroidea に含まれる種群。サイト版「和漢三才圖會 卷第四十七 介貝部 寺島良安」の「寄居蟲(かうな かみな) [ヤドカリ類]」があるが、私の「大和本草卷之十四 水蟲 介類 寄居蟲(カミナ/ヤドカリ)」も、多少、参考になるか。]

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