柴田宵曲「古句を觀る」正規表現版電子化注 / 「春」(19)
行燈の一隅明しはるの雨 紫貞女
古ぼけた行燈の隅のところだけ明るい、といふ風に一應解せられる。春雨が音もなく降るやうな晚、座邊の行燈をぢつと見つめて、かういふ趣を發見したのであらう。
併し再案するに、行燈だけの一隅と解するのは、少しく世界を局限し過ぎる嫌がある。行燈を置いた座の一隅がぼんやり明るいといふ、やや廣い場合に解した方がいゝかも知れない。今から考へれば何の威力もなささうな行燈の光が、それだけ明るく感ぜられるといふことは、昔の夜の暗さ――戶外の闇ばかりでなしに、室內の暗さを語るものである。
「一隅明し」といふところにこの句の主眼がある。女流の句だから「イチグウ」とよまずに「ヒトスミ」とよむべきかと思ふ。
[やぶちゃん注:「紫貞女」木村紫貞女(していじょ)。現在の佐賀県三養基郡基山町園部の夫の与市とともに蕉門(野坡系)であった、裕福であったらしい女流俳人である。]
鳴さかる雲雀や雨のたばね降 沙 明
雨中の雲雀である。「たばね降」といふ言葉はあまり耳にせぬようであるが、相當强い降りであることは想像に難くない。ザアザア降る雨の中に、しきりに雲雀の聲が聞える、といふ意味らしい。
太閤の「奧山にもみぢふみわけなく螢」の時に細川幽齋が持出した「武藏野やしのをつかねてふる雨に螢よりほかなく蟲もなし」といふ歌は、出所曖昧の三十一字だけれども、「たばね降」はこの「しのをつかねて」の意味に當るのではないかと思ふ。但地方語として何か特別の意味があれば、もう一度出直してかゝる必要がある。
[やぶちゃん注:「沙明」筑前蕉門。黒崎宿(現在の北九州市八幡西区)の町茶屋である脇本陣を経営していた関屋沙明。]
氣うつりに酒のみ殘す櫻かな 桃 妖
櫻に酒はつきものである。年々歲々相似たる花を見る人は、歲々年々同じやうに酒を飮んで、春を短しと歎ずるのであらう。是故に花見の句には古往今來、紛々たる酒氣がつき纏ふのを常とする。
この句の主人公も型の如く酒を携へて出たのではあるが、愈〻出かけて見ると、それからそれへと氣が移る爲に、遂に持つて行つた酒を飮み殘した、といふのである。
眼目であるべき酒を飮み殘したといふところに、別な意味の花見氣分が窺はれる。隨處の春が人を支配する爲であらう。
[やぶちゃん注:「桃妖」(たうやう)長谷部桃妖(はせべとうよう 延宝四(一六七六)年~宝暦元(一七五二)年)は「奥の細道」好きなら、横手を打つ著名な俳人。加賀山中温泉の旅宿「泉屋」の後の主人。元禄二(一六八九)年、「奥の細道」の旅で宿泊した松尾芭蕉から「桃妖」の号を贈られた美少年、謂わば〈芭蕉のタドジオ〉である。通称は甚左衛門。別号に桃葉。忠実な曾良が永い「奥の細道」の旅で、ここで胃痛激しくして、別れて先行したというのは、如何にも嘘臭フンプンで、実は芭蕉が彼を偏愛したことで最終的に(その直前の立花北枝が二人に同行したことも大いに気に入らなかったものとは思う)キレたのが真相の一つであると私は信じている。私の『今日のシンクロニティ「奥の細道」の旅 69 山中や菊はたおらぬ湯の匂ひ』以下、『今日のシンクロニティ「奥の細道」の旅 79 名月の見所問はん旅寢せむ』までを、ブログ・カテゴリ「松尾芭蕉」で追体験されたい。]
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