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2024/04/13

譚 海 卷之十三 わらんじ豆の出來ざる方の事 おなじく豆の藥の事 旅立こゝろ得の事 他行の時用意の事 病身の者息才になる方の事 每朝齒をたゝくべき事 同髮をかきなづるべき事 うたゝね風をひかざるこゝろえの事 冬養生の事 紙襦袢の事 朝鮮國頭巾の事 敷物のみを去る事 かはうその皮財布の事 股引脚絆の製の事 爪の屑をすてざる事 人のあぶらの事 澀にて張たるもの臭をぬく事 薪を竈の上に釣置くべき事 夏月硯墨の事 鼻毛拔の事 暴風の時他行頭巾の事 辻うらの事

○「わらじまめ」出來ざる方、草烏頭(くさうづ)・細辛・防風、右、三味、等分に細末にして、わらじの上へ、ぬり、はくべし。まめ、出來る事、なし。

 又、まめ、出來たるには、其夜、まきわりを、火にあたゝめ、鐵(かね)の、うるほひたる所へ、足のまめを、押付(おしつく)べし。數度(すど)にて、直(なほ)る也。

[やぶちゃん注:「草烏頭」トリカブト(モクレン亜綱キンポウゲ目キンポウゲ科トリカブト属 Aconitum )のトリカブト類。の若い根。猛毒で、殺虫・鎮痛・麻酔などの薬用に用いられる。「そううず」「いぶす」とも言う。

「細辛」薄葉細辛(コショウ目ウマノスズクサ科カンアオイ属ウスバサイシン Asarum sieboldii の別名。また、その根や根茎を乾燥させたもの。辛みと特有の香りがあり、漢方で鎮咳・鎮痛薬に使う。

「防風」セリ目セリ科ボウフウ属ボウフウ Saposhnikovia divaricata 。但し、本種は中国原産で本邦には自生はしない。されば、ここはセリ科ハマボウフウ属ハマボウフウ Glehnia littoralis を指していよう。]

 

○奧道中、栗橋より古河の際に、沖田といふ宿あり。此所にまめの藥あり、求(もとめ)て、たくはふべし。功驗、奇妙なり。

[やぶちゃん注:「沖田といふ宿」日光街道の「栗橋」宿と「古賀」宿の間にある「中田」宿のこと。現在の茨城県古河市中田地先の利根川河川敷(グーグル・マップ・データ)に旧「中田宿」があった。]

 

○放行、思ひ立(たつ)時には、兼て入用の品を、おもひ出すまま、段々に書付(かきつけ)て置(おく)べし。期(き)に望(のぞん)では忘却する事、おほく、旅中にて大(おほい)に難儀するもの也。

 

○平日、一寸、出(いづ)る時にも、懷中持參の具、脇指・「あふぎ」に至るまで、いくつと、かぞへ覺へ[やぶちゃん注:ママ。]て出べし。先(さき)より賜(たまは)る時、又、心にて、しらべ持歸(もちかへ)れば、物を、わすれ落す事、なし。

「よそに在(あり)て歸らんとする時は、立歸り、跡を見るべし。」

と、人、常に云(いふ)事、理(ことわり)成(なる)事也。心に油斷出來(いでく)るは、物を忘る始(はじめ)也。

 

○病身成(なる)人、息才を欲(ほつ)せば、每朝、おきて、手桶に、冷水を一杯づつ、あぶべし。寒暑・風雨を、かくべからず。如ㇾ此すれば、數年(すねん)の後(のち)、達者に成(なる)事、疑(うたがひ)なし。但(ただし)、かしらより、あびざれば、功、なし。あびて後、髮をば、紙にて、ふき去るべし。

 

○又、每朝、起(おきて)て坐(ざ)し、齒を、上下、三度、たゝくべし。

 あくびと共に、淚、出(いで)て、精神を、さはやかにす。

 夜分寢るにも、如ㇾ此すべし。

 

○每朝、櫛を取(とり)て、髮を、かきなづるも、血氣を、めぐらし、養生也。

 

○うたゝねは、橫に、ふすべからず。物によりそひて、ねぶるべし。ねぶる時、「えり」のあたりを、手拭などにて包(つつみ)て、ねぶるべし、風を引(ひく)事、なし。胸のあたりも明(あか)ざるやうにすべし。

 

○冬は朝日の出(いづ)るを、まちて、おくべし。淸晨(せいしん)、寒氣にあたるは、あし。

 

○紙にて、襦袢を拵へ、肌に着(ちゃく)すべし。風を避(さく)る事、小袖、多く、重ねたるより勝れり。袖を、狹く、こしらふべし。

 

○朝鮮國の頭巾、うらを獸(けもの)の皮にて造り、表を黑繻子など、つけて、いたゞきに風穴(かざあな)を明(あけ)て、氣の、こもらぬやうにしたるもの也。殊に、寒氣を避(さく)るに、よし。

 往々、對馬の人、持來(もちきた)りて、かぶるを見たり。便(びん)を求(もとめ)て、その製にならふべし。

 

○熊・猪のしゝの皮、敷物にして、「のみ」を、さるに、よし。

「毛氈も、『のみ』をさる。」

と、いへり。但(ただし)、此邦にて製すること、なし。

 

○「『かはうそ』の皮にて、錢財布を拵(こしらへ)れば、火に、やくる事、なし。」

と、いへり。

 水獸なる故、然るにや、いまだ、試みず。

 

○股引・脚絆の類、藍にて染(そむ)べし。

「藍は『まむし』を避(さく)る。」

と、いへり。

 

○自身の爪をとりたるを、集めて、目形(めかた)壹匁、たくはふべし。自身、不快の時、せんじ用(もちゆ)るに、卽時に功ありと、いへり。

 

○「人の膏(あぶら)は、痔疾にぬりて、功、有(あり)。」

と、いへり。

「竹の筒か、瓢簞に貯へざれば、もりて、たまらず。本所囘向院裏、非人の小屋に就(つき)て求(もとむ)べし。其外、人油、功驗、多き事。」

と云(いへ)り。

[やぶちゃん注:「非人」これは、死罪人や住所不定の行路死病人等を処理する業務を請け負った被差別民である。]

 

○「澁にて張(はり)たる物、一夜、屋根に置(おき)て露氣(ろき)を受(うく)れば、澁の匂ひなく成(なる)。」

と、いへり。

 「おはぐろ」の匂ひも、同じく去るべし。

 

○薪(たきぎ)をば、竃(へつつい)の上に釣置(つりおく)樣(やう)構ふべし。早く、かはき安きがためなり。

 

○夏は、硯の墨を、すりためて置(おく)べからず。夜をこゆる時は、溫氣にて、くされやすし。筆のうちつけたる所、おほくは、にじみて、見ぐるし。

 

○鼻毛をぬくには、「しんちう」の毛ぬきを用べし、鐵は、さびやすし。

 

○小兒の「つふり」をそる剃刀とて、近來(ちかごろ)、上方より造りて下す。刄(は)のなかば、くりたるやうに、へこみて有(あり)。小兒、ねむりたる時、「つぶり」を剃(そる)に、痛まず、驚(おどろく)事、なし。

 

○せんぢか切れにて、「つぶり」より、耳の隱るゝまで、頭串(かしらぐし)を製し、暴風の日、出行(いでゆく)に、かぶりて、塵(ちり)を、さくべし。

[やぶちゃん注:「せんぢか」不詳。「せんぢが」で、「せんぢ」はブリキの異名として江戸時代に知られていたが、それか。ブリキのヘッド・キャップなら、暴風の中を行くのに、安全ではある。]

 

○鏡一面、懷中して、夜陰、辻に立(たち)、往來の人の言葉を聞(きき)て、吉凶をうらなひ定(さだむ)事、有(あり)。櫛を引(ひき)て問(とふ)に、同じ。

[やぶちゃん注:前者は明らかに「辻占」(つじうら)の古形として知られたものである。辻は運命共同体である「村」の異界に通じる「端」(はし)に当たり、四方から、異なった異界へ通ずる呪的境界であり、霊的な場所であったのである。

「櫛を引て問」これは「櫛占」(くしうら)と言い、民俗社会で、女・子どもが行なった占いの一つ。黄楊(つげ)の櫛を持って辻に立ち、「あふことをとふや夕げのうらまさにつげの小櫛もしるし見せなむ」という古歌を、三度、唱え、境を区切って、米を撒き、櫛の歯を鳴らし、その境界内に来た通行人の会話や独り言を聴いて吉凶を占ったものであり、「辻占」の一種。]

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