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2024/04/05

柴田宵曲「古句を觀る」正規表現版電子化注 / 「春」(13)

 

   客亭主ともに老けり爐の名殘 諷 竹

 

 爐塞[やぶちゃん注:「ろふさぎ」。]の場合、そこに坐つてゐる客も主人も共に老人で、茶を啜りながら閑談に耽ふけつていゐる、といふやうなところらしい。侘びた趣である。

 天明の句にはかういふ世界を覘つたものが多い。この句はその先蹤とも見れば見らるるものである。

[やぶちゃん注:「諷竹」槐本諷竹。既出の大坂蕉門の有力者槐本之道(しどう)の別号。]

 

   陽炎や川の淺みの蚫から 范 孚

 

 陽炎が立つてゐる。さらさら流れる川の淺いところに、蚫[やぶちゃん注:「あはび」。]の殼が一つ沈んでゐて、きらきら光つてゐる。眩いやうな明るい趣である。

 吾々の子供の時分には、金魚池などに蚫の殼を鼬よけに吊すといふことがあつた。蚫の殼は裏がよく光るので、夜でも鼬が恐れて近寄らぬからだといふ。さういふ貝だけに、川の淺みに沈んでゐても、その光が目につくわけであらう。

[やぶちゃん注:「范孚」(はんぷ)は恐らく京か大坂の蕉門。別号に攴頤亭、而已舎。許六跋の「麻生」(元禄一七(一七〇四)年・京都)を編している。]

 

   玉椿落て浮けり水の上 諷 竹

 

 椿の花がぽたりと落ちて、しづかに水の上に浮ぶ、といふ意味である。かういふ風の句は近來の寫生句には極めて多いが、元祿時代に在つてはむしろ異とすべきであるかも知れぬ。

 椿が水に落ちるといふだけの句なら、古來無數にある。「玉椿」と最初に置いたのも、修辭的に趣を助けて居らぬことはないが、それよりもこの句に於て見るべきは中七の敍法である。「落て浮けり」といふ言葉には、自ら時間的な經過がある。椿の花がぽたりと水に落ちて、而して水面に浮ぶ。普通の落花と違つて、大きさから云つても、重量から云つても、どつしりしたものであるだけに、落ちて而して浮ぶといふ經過が、はつきり眼に映るのである。單に椿の花が水面に浮んでゐるといふだけのことではない。

 再考するに「落て浮けり」といふ言葉には、大まかな中に一種の働きがあつて、やはり元祿らしい特色が認められるかと思ふ。

 

   朧夜や化物になるざうりとり 長 年

 

 作者の肩書に「イカ小童」とあるから、これは少年俳句である。「女をともなふ野邊の歸り日くれて道をたどる」といふ前書によつて、この句の場合は明瞭になる。

 女を連れた野邊の歸りに日が暮れて、朧夜のほの暗い道を歸つて來る、供の草履取が女たちを威すべく化物の眞似をした、といふのである。「化物になる」といふのはどんなことかわからぬが、さういふ說明を十七字詩中に求めるのは無理であらう。殊に作者が少年である以上、先づこの邊で滿足するより仕方があるまい。

 太祇に「春の夜や女をおどす作り事」といふ句がある。これは化物になるところまで行かぬ、話頭の作り事なのであらう。かういふ趣向は降つて[やぶちゃん注:「くだつて」。]春水作中の一齣となり、お化蠟燭を持出したりして、道具立は愈〻こまかくなるけれども、あまり感心したものではない。太祇には又「後の月庭に化物つくりけり」といふ句もある。百物語などの趣向ででもあらうか、いづれ誰かを威すはかりごとに相違無い。

 野中の辻堂に集つて百物語を完了したが、未だ夜は明けず、別に怪しい事も起らぬから、もう歸らうと云つて立去らうとすると、一人が己だけ少し殘る、皆さきへ行つて貰ひたい、と云ひ出した。怪しんでその故を問うたところ、實は堂を下りようとした時に、うしろから腰を抱へた者がある、その手をしつかり押へてゐるのだ、といふ答であつた。そいつは化物だらう、少し切つて見よう、と刀を拔きかゝると、その化物の聲として、それは危いと云つた。百物語の中途で、氣分が惡いと云つて歸つた男が化物になつてゐたのだ、といふ話が「窓のすさみ」にある。百物語の化物などは、とかく仲間のうちから生れるものらしい。朧夜の野道の化物も、草履取が一足先に𢌞つて、そんな惡戲をするのではないかと思ふが、固より想像に過ぎぬ。萬事春の夜の朧々たる中に委して[やぶちゃん注:「まかして」。]置いて差支無い。

[やぶちゃん注:『太祇に「春の夜や女をおどす作り事」といふ句がある』炭太祇(たんたいぎ 宝永六(一七〇九)年~明和八(一七七一)年)の 句。「新五子稿」(不木の寛政五(一七九三)年序)所収。

「後の月庭に化物つくりけり」太祇は江戸生まれだが、当該ウィキによれば、宝暦元(一七五一)年に京都に上り、真珠庵大徳寺に寄寓し、宝暦四(一七五四)年には島原遊郭の妓楼の主人桔梗屋呑獅(どんし)の庇護を受け、不夜庵を営んで芭蕉を祀った。島原遊郭では、遊女に俳諧や手習いの教授を行っており、『太祇の編んだ歳旦には俳人や遊里の主人連中の他に、女性たちの名前が見える。それらの多くは島原遊里案内記』「一目千軒」と『照合が可能であり、実在の太夫や天神たちである。彼女らの句には百人一首のパロディや地歌の曲名を読み込むものなど、趣向が凝らされている』。『また、秋の島原を舞台に灯籠を飾る行事を復活させたと』、も『される』。『太祇は明和八』(一七七一)『年に没するまで島原に住まうことにな』ったとあるから、前の句も、この句も、島原での景と思われる。

「窓のすさみ」(江戸中期の儒者で丹波篠山(ささやま)藩(現在の兵庫県)の家老松崎白圭(はくけい 天和二(一六八二)年~宝暦三(一七五三)年)の考証随筆で代表作。丹波は荻生徂徠門の太宰春台らと親交があった。ここに出る「堯臣(げうしん)」は名。通称を左吉、別号に観瀾がある)の「安藤正次の百物語」である。国立国会図書館デジタルコレクションの『有朋堂文庫』第八十六(塚本哲三等編・大正四(一九一五)年)有朋堂書店刊)のここで視認出来るが、短いので、以下に電子化する。読みは、振れそうなものだけに留めた。読み易さを考え、直接話法を改行し、句読点・記号を添えた。

   *

○三河にて安藤彥兵衞正次、五六人打寄りて、世にいふなる百物語して見んとて野中なる辻堂に行きて、闇夜に燈心百筋を燭(とも)し、物語一つ終れば、一筋づつへらし、今少しに成りたる時、一人の士いふ、

「俄に、氣分、例ならず、座にたへがたし、暇申す。」

とて、立ちさりぬ。おのおの、

「かれが臆したるにこそ。」

と語りあひつ〻、猶、語り合ひて、百にみち、燈火(ともしび)さりつくして、火も消えぬるに、未だ夜も明けざれば、目さず[やぶちゃん注:ママ。「目ざす」の誤字か誤植であろう。]ともしらぬ暗さに、

「何のあやしき事もなければ、いざ、歸らん。」

とて、おのおの、堂を下りて立ち去らんとするに、正次、云ふ、

「我は據(よんどころ)なき事有て、少し殘るべし、各(おのおの)先へ往かれよ。」

とありしかば、皆々、

「何事にか、聞屆(き〻と〻゙け)ずしては去り難し。」

と云ふ。正次、

「さしたる事にはあらず、先へ行(ゆか)れよ。」

といへども、各(おのおの)聞入れず。そこにて、正次云ふ、

「堂を下るに、何とも知れず、後より腰を〻へたるゆゑ、その手を取放(とりはな)さじとか〻ヘ居るなり。」

とありしかば、一人いふ、

「それこそ化物ならめ、少し切つて見ん。」

と。刀を拔きければ、抱(だ)きたるもの、

「それは危(あぶな)し。」

と言(いひ)たるを聞けは、先に疾(やまひ)といひて立ち去りたる士なりける程(ほど)に、皆(みなみな)興に入りて、うちつれ歸りしとぞ。

   *]

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