柴田宵曲「古句を觀る」正規表現版電子化注 / 「夏」(4)
味噌の香に藏の戶前や五月雨 海 人
陰鬱な五月雨の空氣の中に漂ふ侘しい香を見つけた――嗅ぎつけたのである。味噌は藏の中にあるのであらう。じめじめした暗い五月雨と、プンと鼻に感ずる味噌の香とを腦裏に浮べ得る人ならば、この句の趣は說かずともこれを了するに相違無い。
子規居士に「秋雨や糠味噌臭ふ佛の間」といふ句があつたと記憶する。季節も違ひ、場所も違ひ、匂ふものも違ふけれども、嗅覺が捉へた句中の趣には、自ら相通ずるものがある。
[やぶちゃん注:「秋雨や糠味噌臭ふ佛の間」明治三〇(一八九七)年九月三十日の『病牀日記』に記されてある句。国立国会図書館デジタルコレクションの改造社刊『正岡子規全集』第四巻(昭和八(一九三三)年刊)のここ(右ページ最上段)で確認した。]
中わろき鄰合せやかんこどり 一 夫
「さびしさに堪へたる人の又もあれな」といふやうな山里ででもあるか、閑古鳥が啼くと云へば、自ら幽寂な境地を想像せしめる。而もそこに住んでゐる人は、鄰合つていながら仲が惡い、といふ人間世界の已むを得ざる事實を描いたものらしい。
併し吾々がこの句を讀んで感ずるところは、それだけの興味に盡きるわけではない。嘗て『ホトトギス』の俳談會が
腹あしき鄰同志の蚊遣かな 蕪 村
仲惡しく鄰り住む家や秋の暮 虛 子
といふ兩句の比較を問題にしたことがあつた。人事的葛藤を描く上から見ると、蕪村の句が最も力があり、活動してもゐるやうであるが、句の價値は姑く第二として、自然の趣はかえつてこの句に遜る[やぶちゃん注:「ゆづる」。]かと思ふ。かういふ趣向の源もまた元祿に存することは、句を談ずる者の看過すべからざるところであらう。
[やぶちゃん注:「さびしさに堪へたる人の又もあれな」「新古今和歌集」の「卷之六 冬歌」に載る西行の一首(六二七番)、
題しらず
さびしさにたへたる人のまたもあれな
庵(いほり)ならべん冬の山里(やまざと)
で、これは「小倉百人一首」の二十八番で知られるところの、「古今和歌集」の「第六 冬歌」の源宗于(むねゆき)の、
冬の歌とてよめる
山里は冬ぞさびしさまさりける人目も草もかれぬとおもへば
の本歌取りである。「山家集」に収載してあり、「西行法師法師家集」では「山家の冬の心を」と前書する。
「腹あしき鄰同志の蚊遣かな」「腹あしき」は「怒りっぽい」の意。「蕪 村遺稿」にある句で、明和八(一七七一)年四月十八日の句。
「仲惡しく鄰り住む家や秋の暮」という高濱虛子の句については、国立国会図書館デジタルコレクションの大正七(一九一八)年十二月発行の『ホトトギス』誌上の「俳壇會」のここで(左ページ後ろから四行目以降)、山崎楽堂(やまざきがくどう 明治一八(一八八五)年~昭和一九(一九四四)年:能楽研究家・建築家にして俳人)が、この句を掲げて、詳細な批評を行っているので、是非、読まれたい。因みに、久女を俳壇から葬った糞虚子は、私は彼女と同様に「虛子嫌ひ」であるからして、この句も駄句以外の何物でもないと思っている。]
飛ひかりよわげに蚊屋の螢かな 鶴 聲
螢を蚊帳に放つといふ趣向は、早く西鶴が『一代男』の中で「夢見よかと入りて汗を悲む所へ、秋まで殘る螢を數包[やぶちゃん注:「かずつつ」。]みて禿[やぶちゃん注:「かぶろ」。]に遣し[やぶちゃん注:「つかはし」。]、蚊屋の內に飛ばして、水草の花桶入れて心の涼しき樣なして、都の人の野とや見るらむといひ樣に、寢懸姿[やぶちゃん注:「ねかけすがた」。]の美しく」云々と書いてゐる。
蚊屋の內にほたる放してアヽ樂や 蕪 村
といふ句は、その放膽な句法によつて人に知られてゐるが、蕪村は果して西鶴の文中から得來つたものかどうか。蚊帳に螢を放つの一事が、それほど特別な事柄でないだけに、偶合と見る方が妥當であらう。「アヽ樂や」の句は一應人を驚かすに足るけれども、再三讀むに及んでは、蚊帳の中を光弱げに飛ぶ元祿の螢の方に心が惹かれて來る。這間[やぶちゃん注:「しやかん」(しゃかん)。「この間(かん)」の意。岩波文庫は編者が勝手に『この間(かん)』と書き変えている。凡そ風流を知らぬ編者としか思えない。ガックりくる。]の消息は「自然」の一語を用いる外、適當な說明の方法も無ささうである。
子規居士が「試問」として『ホトトギス』の讀者に課した中に、「子は寢入り螢は草に放ちけり」の句を批評せよ、といふ問題があつた。この句は誰の作かわからぬけれども、その答と共に居士が揭げた文章によると、享保頃に
子を寢せて隙やる蚊帳の螢かな 喜 舌
といふ句があるらしい。居士は「子は寢入り」の趣向の古きものとして之を擧げたのであるが、更に遡れば元祿に
ねいらせて姥がいなする螢かな たゝ女
といふ句がある。「試問」における居士の批評は、第一に句尾の「けり」を難じ、第二に「子は」「螢は」と二つ重ねた句法を難じ、第三に「子は寢入り」と云放したことを難じ、「若し句調を捨てゝ極めて簡單にせば『子寢ねて螢を放つ』とでもすべきか」と云つてゐる。「草に」の一語がこの場合、あまり働かぬ贅辭となつてゐることも自ら明である。
享保の喜舌の句は、放つべき草を云はずに、今ゐる蚊帳を現した點が多少異つてゐるけれども、「隙やる」の一語は何としても俗臭を免れない。元祿のたゝ女に至ると、寢入つた子を主とせず、寢入らせた姥[やぶちゃん注:「うば」。]を主役にして、その姥が螢を放つことになつてゐる。これには草も無ければ蚊帳も無い。「ねいらせて」及「いなする」といふ言葉に厭味はあるが、「子寢ねて螢を放つ」といふことから見れば、この句が一番近いやうである。かういふ種類の句は、何時誰が作つたにしても、所詮俗を脫却し得ぬものであらう。たゞこの趣向に於いても亦、元祿の句が最も自然に近いとすれば、他の方面の事は推察に難くない。
[やぶちゃん注:『西鶴が『一代男』の中で「夢見よかと入りて汗を悲む所へ、……』国立国会図書館デジタルコレクションの『近代日本文學大系』第三巻「井原西鶴集」(昭二(一九二七)年国民図書刊)の「好色一代男」の「卷五」の「慾(よく)の世の中に是れは又」のここ(左ページ後ろから三行目以降)で、当該部を視認出来る。
「蚊屋の內にほたる放してアヽ樂や」この蕪村の句は明和六(一七六九)年五月十日の作。
『子規居士が「試問」として『ホトトギス』の讀者に課した中に、「子は寢入り螢は草に放ちけり」の句を批評せよ、といふ問題があつた』これは明治三二(一八九九)年の「俳句問答」の一節で、『○第四問 左の句を批評せよ、』『子は寢入り螢は草に放ちけり』である。国立国会図書館デジタルコレクションの「俳諧大要・俳人蕪村・俳句問答・俳句の四年間」(高濱淸(虛子)編・大正二(一九一三)年籾山書店刊)のここの『第四問の答』以下で視認出来る。この子規の批評は鋭い。]
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