柴田宵曲「古句を觀る」正規表現版電子化注 / 「夏」(10)
蠅打に猫飛出ルや膳の下 汶 江
猫はよく食事の時膳の下に入つてゐるものである。膳上の蠅を打つ音に驚いて、下にゐた猫が飛出した。「飛出ル」の一語で、猫の驚いた樣を現してゐる。同時に人間の方も、多少不意を打たれたやうな氣味がある。
大した句ではないが、空想ではちよつとこの趣を捉へにくい。畫にすれば俳畫よりも漫畫に近いものであらう。
家なみのはなれはなれやけしの畑 竹 夜
家竝が盡きて家が離れ離れになる。さういふところに芥子畑があつて、花が盛に咲いてゐる、といふ趣である。離れ離れの家の間が芥子畑だといふほど、景色を限定しなくても差支無い。離れ離れに建つてゐる家と、芥子畑とが一幅の畫圖に收りさへすればいゝのである。
形容の大まかな割に、印象の明な句である。吾々も嘗てどこかでこんな景色を見たやうな氣がする。
あからみし麥や正木の垣間より 巴 流
靑い正木垣の間から麥畑が見える。その麥は已に十分に熟してゐる。――垣根の直ぐ外まで、麥畑が迫つてゐる場合と思はれる。
作者は一望黃熟した麥圃の大景をも描かず、繁忙な麥秋の人事や、それに伴ふ埃つぽい空氣をも描かず、正木の垣の間より瞥見した熟麥の色だけを捉へた。特色ある句といふべきであらう。
[やぶちゃん注:「正木」私は「柾」の方が好みだ。ニシキギ目ニシキギ科ニシキギ属マサキ Euonymus japonicus 。]
涼しさや寢てから通る町の音 使 帆
「町の音」といふ言葉は、今だと都會の騷音を連想せしめ易いが、これはそんなに大規模なものではない。自分はもう寢てゐるのに、戶外にはまだ涼を逐うて步く人が絕えぬらしく、足音だの、話聲だのが聞える。それなら「人の音」と云つても同じやうなものであるが、「人の音」では夜涼を背景にした町の空氣が、全然現れぬ憾がある。
「人聲の夜半を過ぐる寒さかな」といふ句は、その人聲の何であるに拘らず、一種のいかめしい響がある。深夜の門を通る人聲によつて、現在步きつゝある人々の寒さも思ひやられる。使帆の句はそれに比べると頗る輕い。同じ夏の夜であつても、「猿蓑」の附合にある「暑し暑しと門々の聲」では、猶全く炎苦から離脫出來ぬが、これは自分は已に寢てゐるほど涼しいのである。從つて外の響も涼しく聞かれるのである。
[やぶちゃん注:「使帆」肥後熊本の助成寺(現存しないか)の住職。未発見の蕉門俳書「寺の笛」の撰をしており、白川編の「漆嶋」の跋文もものしているから、有力な九州蕉門の一人であることが判る。
「人聲の夜半を過ぐる寒さかな」志太野坡の句。「炭俵」(元禄七(一六九四)年六月二十八日奥書)に以下のように前書して載る。「すへて」はママ。
*
さむさを下の五文字にすへて
人聲の夜半(やはん)を過(すぐ)る寒さ哉
*]
蟲干の又めづらしや繪踏帳 悠 川
「長崎にしばしのいとまあり名主の家に入て」といふ前書がある。蟲干の句としては珍しい題材を捉へたものである。
長崎の繪蹈[やぶちゃん注:「ゑぶみ」。]のことは、古い歲時記には皆說明が出てゐるから、こゝに改めて述べる必要もあるまい。切支丹の信徒を吟味する爲、聖像を踏ませるのである。明治あたりまでの句集には、繪蹈を詠んだものがいくらもあるが、その多くは未見の人事に對して空想的興味を鼓するのだから、どうしても考へて拵へたものになり易い。この場合俳人も講釋師と同じく、見て來たやうな譃をつくわけである。
この句は繪蹈を詠んだものではないけれども、妙な方角から實在的な繪踏に觸れてゐる。名主のところにある繪蹈帳といふのはどんなものか、それは長崎硏究者に聞くより外は無いが、恐らく繪蹈を行ふ際の人名その他を記したものであらう。悠川が長崎に行つた時は、切支丹迫害當時よりは大分年數がたつてゐるので、多少好奇的な眼で之を見たものではないかと思はれる。繪蹈帳は今の切支丹硏究者に取つても、看過すべからざる材料であらう。
この句を見て思ひ出すのは、太祇の「魂祭る料理帳あり筆のあと」である。太祇一流のそつの無い、複雜な事柄を一句に纏めた手腕は認められるけれども、この句に比べると、どこか工夫の餘に成つたらしい點がある。故人の書いた料理帳、それは魂祭の爲の設[やぶちゃん注:「まうけ」。]であるといふので、季題にもなつてゐるのであるが、かういふ表現はよほど腦漿を搾らないと出來ない。元祿の句は無造作で自然である。天明の句は細心で巧緻である。
[やぶちゃん注:「繪踏帳」(ゑぶみちやう)は宵曲の推理で正しい。当時、通常、「宗門御改帳」と称するが、隠れキリシタンの多かった島原半島等では、「宗門改絵踏帳」・「宗門改影踏(かげふみ/えいふみ)帳」という標題で残っている。]
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