柴田宵曲「古句を觀る」正規表現版電子化注 / 「夏」(2)
薄紙にひかりをもらす牡丹かな 急 候
子規居士の『牡丹句錄』の中に「薄樣に花包みある牡丹かな」といふ句があつた。これも同じやうな場合の句であらう。「ひかり」といふのは赫奕たる牡丹の形容で、同じく子規居士に「一輪の牡丹かゞやく病間かな」といふ句があり、また「いたつきに病みふせるわが枕邊に牡丹の花のい照りかゞやく」「くれなゐの光をはなつから草の牡丹の花は花のおほぎみ」などといふ歌もある。牡丹に「ひかり」といふ强い形容詞を用ゐたのは、この時代の句として注目に値するけれども、薄紙を隔てゝ「ひかりをもらす」などは頗る弱い言葉で、豐麗なる牡丹の姿に適せぬ憾みが無いでもない。「い照りかゞやく」にしろ、「光を放つ」にしろ、その形容の積極的に强い點から云へば、遙にこの句にまさつてゐる。
尤もかういふ言葉の側から云ふと、元祿の句が稍〻力の乏しいのは、必ずしもこの句に限つたわけではない。牡丹に雨雲を配した
雨雲のしばらくさます牡丹かな 白 獅
方百里雨雲よせぬ牡丹かな 蕪 村
雨雲の下りてはつゝむ牡丹かな 虛 子
の三句について見ても、言葉は蕪村の「方百里」が一番强い。しかして曲折の點から云へば、元祿の句は竟に大正に如かぬやうな氣がする。蓋し長所のこゝに存せぬ爲であらう。
[やぶちゃん注:因みに、サイト「増殖する俳句歳時記」のこちらで、松下育男氏の評があり、岩波文庫の本条をもとにこの句を紹介されつつ、そこでは、
《引用開始》
[やぶちゃん注:前略。]柴田宵曲は『古句を観る』の中で、この句について次のように解説しています。「牡丹に「ひかり」という強い形容詞を用いたのは、この時代の句として注目に値するけれども、薄紙を隔てて「ひかりをもらす」などは頗る弱い言葉で、華麗なる牡丹の姿に適せぬ憾(うらみ)がないでもない。」なるほど、これだけ自信たっぷりに解説されると、そのようなものかといったんは納得させられます。ただ、軟弱な感性を持ったわたしなどには、むしろ「ひかりをもらす」と、わざわざひらがなで書かれたこのやわらかな動きに、ぐっときてしまうのです。薄紙を通した光を描くとは、江戸期の叙情もすでに、微細な感性に充分触れていたようです。華麗さで「花の王」とまで言われている牡丹であるからこそ、その隣に「薄さ」「弱さ」を置けば、いっそうその気品が際立つというものです。いえ、内に弱さを秘めていない華麗さなど、ありえないのではないかとも思えるのです。句中の「ひかり」が、句を読むものの顔を、うすく照らすようです。[やぶちゃん注:後略。]
《引用終了》
私は、それほど大振りの牡丹の花が実は好きではないが、松下氏の感想は、宵曲の評よりも遙かに共感を感じることを一言述べておく。
「赫奕たる」「かくやくたる」或いは「かくえきたる」と読み、光り輝くさまを言う語。
「子規居士の『牡丹句錄』の中に「薄樣に花包みある牡丹かな」といふ句があつた」明治三二(一八九九)年六月『ホトヽギス』初出の「牡丹句錄」の句の冒頭にある。国立国会図書館デジタルコレクションの活字本「牡丹句録册子」(森有一編・一九四四年翠松亭刊)のここで視認出来るが、
*
薄樣に花包みある牡丹かな
*
とあるものの、国立国会図書館デジタルコレクションの一九四三年大塚巧芸社刊の自筆復刻版(カラー)の当該句を見ると、
*
薄樣■に花包みある牡丹哉
*
となっていることが、判る。補正部分は塗り潰されていて、判読出来ないが、「の」かも知れない。
『子規居士に「一輪の牡丹かゞやく病間かな」といふ句があり』同じく「牡丹句錄」所収で、前の活字本では、冒頭の「薄樣に」の後の四句目に、
*
一輪の牡丹かゝやく病間かな
*
とある。「輝く」は古くは清音であった。また、前掲自筆本を見ると、
*
一輪の牡丹かゝやく病間哉
*
である。
「いたつきに病みふせるわが枕邊に牡丹の花のい照りかゞやく」明治三三(一九〇〇)年四月二十五日の一首。前書がある。
*
左千夫より牡丹二鉢を贈り來る
一つは紅薄くして明石潟と名づ
け一つは色濃くして日の扉と名
づく
いたつきに病みふせるわが枕邊に
牡丹の花のい照りかゞやく
*
「くれなゐの光をはなつから草の牡丹の花は花のおほぎみ」前の一首と同じ日の三首目で、
*
くれなゐの光をはなつから草の
牡丹の花は花のおほぎみ
*
とある(短歌はブラウザの不具合を考えて上句と下句を分けた)。
「方百里雨雲よせぬ牡丹かな」「蕪村」寛政九(一七九七)年刊の発句・俳文集「新花摘」の発句の部に出る。所持する小学館『日本古典文学全集』「近世俳諧俳文集」に、
*
方(はう)百里雨雲よせぬぼたん哉
*
とあり、栗山理一氏の頭注で、『安永六(一七七七)年四月十三日付の書簡には中七「雨雲尽きて」の句形になっているが、初案であろう。牡丹の背景を整えるために夏空の快晴を描いたことになる』とある。牡丹は蕪村のとりわけ好きな花であったらしく、『『新花摘』には牡丹の句が十二句ある』ともあった。
「雨雲の下りてはつゝむ牡丹かな」「虛子」大正七(一九一八)年の作。]
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