譚 海 卷之十三 八木とくの事 品川海苔・日光海苔幷生のり事 蓴菜をふやす方の事 またゝびせん氣を治する事 ほんだらの事 しだの葉はの痛を治する事 はこべくらふべき事 山椒眼の出來物を治する事 藤ばかま臭氣を除く事 ふくべ便器に作る事 眼鏡くもりをみがく事 舌をくひて血出るを治する事 山城國八はた竹の事 日光山杖の事 野生黃菊便祕によき事 木うりみそ漬の事 白つゝじの花腫物を治する事 足の腫物を治する事
[やぶちゃん注:「目錄」の「山藥」は「サンヤク」で「山芋」の漢方名である。「かんぴう」はママ。]
○「八木とく」と云(いふ)もの、相州三浦海邊より出(いづ)る。奇怪成(なる)形也。
「多葉粉の葉を去(さり)たる跡の「しん」のごとく、又、「疊いはし」を網(あみ)たる物の如し。紅花の色にして、一、二尺より、三尺に及ぶ物、有(あり)。」
と、いへり。
海底に生ずる物にして、食物の用、なし。只(ただ)、席上に置(おき)て翫(もてあそぶ)べし。
時々、漁網にかかりて、取得(とりえ)れども、損じ安し。
「全形の物を取(とる)には、水を、くゞり入(いり)て、取る。」
と、いへり。
水中にては、甚(はなはだ)、柔か也。水を、はなるゝときは、かたまりて、鐵鎖(てつぐさり)の如し。根は、石を帶(おび)て有(ある)也。
[やぶちゃん注: 「八木とく」叙述と「やぎ」から、これは、刺胞動物門花虫綱ウミトサカ(八放サンゴ)亜綱ヤギ(海楊)目Gorgonaceaの海産動物の古い総称であろう。個虫は羽状突起のある八本の触手と、八枚の隔膜とを持つ。総て群体となり、群体の中心に角質、或いは、それに石灰質を膠着した骨軸を保持し、下端で、岩礁などに固着することによって八放サンゴ類のほかの目から区別される。十八科約百二十属に属する多くの種が知られ、やや高緯度地方にも少数のものが棲息するが、殆んどの種は暖海の潮間帯より一千メートルの深海にまで分布する。特にインド洋から西太平洋と西インド諸島の熱帯海域に多い。群体は一般に平面的な樹枝状分岐をし、扇状となるが、なかには、全く分岐をせずに鞭状となるもの、さらに膜状、或いは、葉状となるものもある。骨軸上に共肉が厚く覆い、個虫は共肉中に埋まるか、若しくは、共肉表面より突出している。個虫の胃腔は短く、共肉内に埋まり、骨軸中へは侵入しない。共肉内を骨軸に沿って走る主縦管が縦方向に個虫の胃腔を貫くほか、細い共肉内細管が網目状に走り、それぞれの胃腔を連絡する。有性生殖でできたプラヌラ幼生が岩礁に付着し、変態して一個のポリプをもったヤギとなり、それが出芽法による無性生殖で個虫を増やし、大きな群体となる。この類は骨軸の性質によって二つの亜目に分けられ、石灰質の骨片が角質様物質で膠着された骨軸をもつ骨軸亜目Scleraxoniaと、角質の薄片が層状に固着し、骨片を含まない骨軸をもつ全軸亜目Holaxoniaである。両亜目とも、共肉部は多くの骨片を含み、皮部とよばれる。骨軸亜目には、骨軸が一続きで節がないウスカワヤギ科・ヒラヤギ科・サンゴ科などがあり、骨軸に節部と間節部が交互にあるイソバナ科・トクサモドキ科などがある。一方、全軸亜目には、骨軸に節がなく、骨軸がほとんど石灰化されず弾力のあるトゲヤギ科・フタヤギ科・フトヤギ科などがあり、骨軸に節がなく、強く石灰化するために弾力性のない骨軸をもつムチヤギ科・キンヤギ科・オオキンヤギ科などがあり、骨軸に節部と間節部が交互にあるトクサヤギ科がある。以上はネットの小学館「日本大百科全書」の「ヤギ(腔腸動物)」に拠ったが、そこに四種の画像があり、その中でも、本条は「紅花の色」と述べていることから、赤みがかったオレンジ色となると、ヤギ目ではない、花虫綱八放サンゴ亜綱ウミトサカ目石軸亜目イソバナ科イソバナ属オオイソバナ Melithaea ochraceaや、ウミトサカ目角軸亜目トゲヤギ科ウミウチワ属ウミウチワ Anthogorgia bocki などが候補になるように私には思われる。]
○「品川海苔」は、寒中に取(とり)て製したる、匂ひ、殊にはげしくして、賞翫に堪(たへ)たり。
又、「駿州ふじのり」、一種、珍物也。吸物に調ずべし。
日光山大谷川(だいやがは)より出(いづ)る「川海苔」と稱するもの、殊に匂ひはげし、絕品也といへども、久しく保ちがたし。疊一枚の大さ程に造りたる物にて、色は「伊勢のり」の如く靑し。然して、その味は「淺草のり」の如し。總じて、生のりを調じ遣ふには、先(まづ)、器物(うつはもの)に入(いれ)て、「あくた」を、さり、數へん、淸く、洗ひ、後(のち)、酒に、ときて用ゆる也。
[やぶちゃん注:「品川海苔」「淺草のり」と同一。「品川歴史館」の解説シート「品川の海苔」(PDF)によれば、『浅草海苔の名が生まれたのは慶長年間』(一六一四年~一五九六年)『と言われ、続いて品川海苔の名称が有名になった』。『海苔の大量生産が可能になったのは、品川の漁業者が養殖方法を発明し、それが各地に伝わったからである。初めは各地方とも生産地名で売り出したが、浅草海苔の名に押されて伸び悩み、次第に商いの上から有利である、「浅草海海苔」の名で売り出すようになっていった』。『なお、「浅草海苔」の由来については、①品川・大森で採れた海苔を浅草に持って行って製したから、②浅草川(現隅田川)で採れたから、③大森の野口六郎左衛門が、浅草紙の作り方をまねて工夫をこらし、乾海苔を作り、これを浅草海苔と名付けたかから、といった諸説がある』とあった。本来の使われていたのは、紅色植物門ウシケノリ綱ウシケノリ目ウシケノリ科アマノリ属アサクサノリ Neopyropia tenera であったが、同種は東京湾では絶滅したと考えられたいが、近年、多摩川の河口近くで残存個体群が発見されて、保護が行われている。
「駿州ふじのり」「川海苔」所謂、「川海苔」(かわのり)で、淡水河川に棲息する、緑藻植物門トレボウクシア藻綱カワノリ目カワノリ科カワノリ属 Prasiola(タイプ種はカワノリ Prasiola japonica :当該ウィキによれば、岐阜県・栃木県・熊本県などの河川に棲息し、日本海側の河川からは発見されていない。渓流の岩石に着生して生活するが、棲息数は少なく、本邦では絶滅危惧種に指定されている)の一種。ウィキの「富士苔」によれば、『静岡県富士宮市に生息するもの』「芝川のり」『とも呼称される』。『芝川が生息域である』(ここ。グーグル・マップ・データ)。『古くは「富士海苔」・「富士苔」・「富士のり」と表記し「ふじのり」と呼称される例が多く、近世に入るとこれらの他に「芝川海苔」・「芝川苔」と表記し「しばかわのり」と呼称される例が見られる』。『古くより天皇・幕府への献上品として、そして公家からも嗜まれた名品であり、しばしば進上品として用いられてきた。例えば駿河国守護である今川範政は室町幕府将軍足利義教へ富士苔を送り、礼として太刀を送られている』。『富士氏は管領細川持之へ富士海苔等を献上している』。『葛山氏も足利義教に富士苔を送り、返書を受けている』。『当記録が所載される』「昔御内書符案」には『「若公様御誕生御礼」とあり、この進上品は将軍足利義教の子である足利義勝の誕生祝に伴う進上であった』。また、『公家に送られることも多く』、『三条西実隆』『や山科言継』『等に送られた記録が残る。また天皇への進上品としても選ばれ、三条西実隆が後奈良天皇に進上している』。『近世になっても名品の地位は揺るがず、江戸幕府への献上品として用いられた。天保』一四(一八四三)年の「駿国雑志」『十八之巻には「芝河苔」とあり、「富士郡半野村芝河より出す(中略)毎年十一、十二月の内発足、江戸に献す。世に富士苔と云ふ是也。(中略)宿次にて江戸に送り、御本丸御臺所に献す」「富士郡半野村芝川より出づ、故に富士苔と號す」とあり、江戸幕府へと献上されていた記録が残る。また同記録には「富士郡半野村、芝川にあり。故に芝川海苔と號す。其色緑にして味至て甘し』……『」と味を伝える』。「料理物語」には『「ふじのり」とあり、「ひや汁 あぶりざかな 色あをし」と説明がある』。『毛吹草』(寛永二一・正保元・二(一六四五)年)『には「富士苔 山中谷川二有之」とある。貝原益軒』の「大和本草」(宝永六(一七〇九)年)『には「富士山の麓柴川に柴川苔あり富士のりとも云」とあり』(私の「大和本草卷之八 草之四 水草類 川苔(かはのり) (カワノリ・スイゼンジノリ)」を参照されたい)、『同じく貝原益軒』の「壬申紀行」『には「柴川は名所なり(中略)此川に富士苔と云物多し」とあ』り、「献上料理集」(天明六(一七八六)年)『には秋の料理として「御精進二ノ汁 御澄し 初たけ 富士海苔 ゆ(柚)」とある』。「駿河雑志」では『十一・十二月』とあり、「献上料理集」『では秋の料理として挙げられているため、秋冬が特に良いとされていたようである。その他、多くの書物に名物として記されている』。「和漢三才図会」巻九十七の『水草の部には「駿河国土産」として「富士苔」とあり、また同書に「富士苔 富士山の麓、精進川村より之を出し、形状紫菜に似て青緑色、味極めて美なり」とある』(私の「和漢三才圖會 卷第九十七 水草 藻類 苔類 寺島良安」の「紫菜 あまのり」の附録の「富士苔」を見られたい。そこでは逐一、私が海苔類を詳注してある)。『このように、駿河国の土産品としても知られていたようであり、東泉院(富士市今泉に所在していた)の土産としても用いられていた』。文政三(一八二〇)年の「駿河記」『には「この川より水苔を出す 富士苔あるいは芝川苔と称す」とある』。『現在は収穫量が限られており』、『特に水力発電所の建設が大きな影響を与えた』。『近年「幻のカワノリ」とまで言われるまでに減少していたが』一九九八年『に特定の場所で多量に生育していることが確認され、調査が進められることとな』り、『今現在、芝川のりの保護・育成が図られている』とあった。
「日光山大谷川」ここ(グーグル・マップ・データ)。
「伊勢のり」伊勢国で産出する海苔であるが、現在、三重漁連がアサクサノリをブランド化して、かく呼称している。]
○「じゆんさい」、池、あらば、うえ[やぶちゃん注:ママ。]置(おき)て生ずべし。一、二本、池へ植(うゑ)るときは、年々、はびこりて、羹(あつもの)に用るほどは出來(いでく)る也。敢て古池にかぎらず。
[やぶちゃん注: 「じゆんさい」「蓴菜」。多年生水生植物である双子葉植物綱スイレン目ハゴロモモ科ジュンサイ Brasenia schreberi 。私の大好物である。「大和本草卷之八 草之四 水草類 蓴 (ジュンサイ)」を見られたい。]
○「またゝび」の實を煎じて、疝氣(せんき)・腰痛に用れば、よく治る也。
[やぶちゃん注:「またゝび」藤天蓼。ツバキ目マタタビ科マタタビ属マタタビ Actinidia polygama。当該ウィキによれば、『蕾にマタタビミタマバエまたはマタタビアブラムシが寄生して』形成された虫瘤(むしこぶ:虫癭(ちゅうえい))に『なったものは』「木天蓼」(モクテンリョウ)又は「木天蓼子」(モクテンリョウシ)という『生薬』とされ、『鎮痛、保温(冷え性)、強壮、神経痛、リウマチ、腰痛などに効果があるとされる』とある。
「疝氣」大腸・小腸・生殖器などの下腹部の内臓が痛む疾患を広く指す。]
○「ほんだはら」、吸物に調ずべし。梅干抔(など)、加へて、精進に、よし。
[やぶちゃん注:私の「大和本草諸品圖上 ヒヱ藻(モ) (ホンダワラ属)」の私の注を参照されたい。]
○「しだ」の葉を收め置(おき)て、齒の痛むとき、煎じて、あらふべし。又、切(せつ)に、つゝみて、ふくみふくみ、唾(つば)を吐出(はきいだ)すべし。
○「はこべ」、又、ひたし物にすべし。よく、にて、用(もちい)ざれば、靑き匂ひ、うせず。
[やぶちゃん注:ナデシコ目ナデシコ科ハコベ属Stellariaの内、食用となる、一般に「ハコベ」(繁縷・蘩蔞)と呼ばれるコハコベ Stellaria media ・ミドリハコベ Stellaria neglecta ・ウシハコベ Stellaria aquatica などの葉。ほろ苦い野趣に富んだもので、私は好きだ。]
○山椒の實、「まぶた」に出來(でき)たる「物もらへ」と稱する出來物(できもの)を治す。宵に、五粒、丸のまゝにて、飮(のん)で寢(ねる)時は、翌朝、出來もの、うする也。
○藤ばかまの葉、雪隱に釣(つり)て臭氣を避(さく)べし。久敷(ひさしく)して、しほれかゝる時は、取りかへて懸(かく)べし。
○「ふくべ」、柄を木にて造り、便器にすべし。人の膚(はだへ)にさはる所、柔かにして、「しびん」にまさる事、萬々(ばんばん)也。
○「たばこ」の葉にて、眼がねを、ぬぐふべし。くもりとれて、明(あきらか)也。
○舌を、くひて、血の出(いづ)るには、何の草にても、三色(みいろ)を取(とり)かみて、口中に含せれば、血、すなはち、とまる也。
[やぶちゃん注:「何の草にても」乱暴で、毒草もあるから、試すべきではない。]
○山州の「八幡山竹(やはたやまだけ)」は、脇指の目釘によし。皆、此物也。
[やぶちゃん注:「八幡山」石清水八幡宮がある京都府八幡市北部にある男山(おとこやま:グーグル・マップ・データ)の異名。古くから、ここの産の竹は茶杓にも用いられている。]
○日光山より出す「みねばり」と云(いふ)杖(つゑ)、殊に堅固也。おるゝ事、なし。求めて用ゆべし。老人には缺(かく)べからざるもの也。
[やぶちゃん注:「みねばり」ブナ目カバノキ科カバノキ属オノオレカンバ Betula schmidtii の異名。満州・韓国・ロシア極東の沿海地方及び日本を原産とする。ほぼ黒色の樹皮を持つ高さ三十メートルにも達する巨木で、その材は浮き上がらないほど緻密にして、しかも丈夫で耐久性のある材料が求められるものに使用される。]
○野生の黃菊有(あり)。花、至(いたつ)てこまかなるもの也。花を取(とり)て、胡麻の油に、たくはふべし。大便、けつし[やぶちゃん注:「結し」。]、通じがたきとき、此油を、一滴、なむれば、よきほどに通る也。此葉・花とも、油にひたし置(おき)て、髮をすくときは、頭の「ふけ」を、さる也。
○木瓜(ぼけ)を、「みそ」にてくふも、大便を通ずる也。蔭干にして貯(たくはふ)れば、冬月の用にも備ふべし。
○白花のつゝじ、俗に「りうきう」と稱す。花を集(あつめ)て、目形(めかた)壹匁、貯ふべし。名のしれぬ出來(でき)ものを、せんじ、洗ふに、功、あり。
[やぶちゃん注: ツツジ目ツツジ科ツツジ属交雑種リュウキュウツツジ Rhododendron × mucronatum。何故、「琉球躑躅」なのかは、判然としない。]
○足、靑くはれる事、有(あり)。腫(はれ)たる足の入(いれ)らるゝ程に、地をほりて、穴を、こしらへ、穴の中へ、藁を、いくらも入(いれ)て、火を燒(やき)て、穴のうち、あたゝまりたるとき、藁灰を、殘らず、取出(とりいだ)し、捨(すて)、その跡へ、桃の靑葉を、澤山に取(とり)て入(いる)。扨(さて)、腫たる足を、穴へ入(いれ)、足の際(きは)をも、「桃のは」にて、よく、つめて、穴の側(かたはら)に莚(むしろ)を敷(しき)、片足、かしこまりゐて、一時(いつとき)近く、足を、火氣に蒸れて居(を)る也。如ㇾ此すれば、足の靑く腫たる、治する也。
○血止(ちどめ)の「まじなひ」は、紙を、三つに折(をり)、又、夫(それ)を、三つに折(をり)て、血の出(いづ)る所を、押(おさ)ふべし。卽時に、血、とまる事、妙也。
« 譚 海 卷之十三 葛もち加減の事 ところの粉の事 薩州そてつ餅の事 かたくりの事 山藥幷長いもの事 ねり柹うゑを助くる事 竹の實もちとなす事 そば飯の事 麥湯の事 胡椒にむれたるを治する事 餅のんどへつまりたるを治する事 五辛をくひて口氣のくさきを去方の事 からしねる事 鰹節けづる事 かんぴうこしらへの事 れいしの事 | トップページ | 譚 海 卷之十三 血どめのまじなひの事 船駕にゑはざるまじなひの事 舟の醉を治する事(二条) むしばまじなひの事 はなぢまじなひの事 »