譚 海 卷之十三 眼病療治所の事 小便不通の事 かくの病ひ妙藥の事 てんかん藥の事 痔疾藥の事 痢病藥の事 りん病治する事 中風にならざる藥の事 ひへむしかぶる藥の事 婦人陰所の事 そこ豆を治する方のまむしにさゝれたる藥の事 病犬にかまれたる藥の事 らい病療治の事 耳だれ出る藥の事 風邪あせをとる事 百草黑燒の事
○眼病療治は、上總國「ふた村」、藥王寺という[やぶちゃん注:ママ。]所に名方あり。右、江戶より海上十六里半を一日に乘る也。此舟賃、壹人貳百十六錢程、小網町壹丁目より乘船して、上總の「ほど村」に着(つき)、「ほど村」より「ふた村」まで、「から尻馬(じりうま)」、二百十六錢ほど也。扨(さて)、かしこにて、目藥代・扶持共に、一日に百十六賤ほど、一日に六度づつ、さし藥するなり。
[やぶちゃん注:『上總國「ふた村」、藥王寺』千葉県東金市上布田(かみふだ)にある法華系単立寺院不老山布田薬王寺(ふだやくおうじ:グーグル・マップ・データ。以下同じ)。当該ウィキによれば、『布田の目薬』の項があり、『三世日正によって製造された霊薬で法華経の「是好良薬(ぜこうろうやく)・今留在日此(こんるざいし)・病即消滅(びょうそくしょうめつ)・不老不死(ふろうふし)」の妙文を感得して調剤したと伝えられ、代々の住職に口伝された家伝の漢方薬である』。『戦時中は統制会社に薬の権利を移され』、『その配下にあったものを』、『戦後』、『統制解除され、当山の第三十世「富田日覚上人」が権利を譲り受け』、『社長に就任』、昭和三〇(一九五五)年に『「千葉製薬株式会社布田薬王寺工場」として厚生省(現:厚生労働省)の許可を得て当山境内に工場が建設された。現在は薬事法の関係もあり』、『佐賀製薬株式会社が製法を受け継ぎ』、『製造、当山にて販売されている』とある。
「小網町」現在の東京都中央区日本橋小網町。
「ほど村」不詳。富津の古名は「ほと」であるが、上記の「ふた村」(布田村)へ行くには、南下し過ぎるからおかしいと思う。識者の御教授を乞う。]
○小便不通の時、臍の下へ張(はり)て通ずる藥、東海道小田原に有(あり)。
[やぶちゃん注:調べたが、不詳。]
○「かく」の妙藥、根津總門の外右側、御書物方同心井田政右衞門殿といふ人に乞へば、得らるゝ。價二百錢ほどか。
[やぶちゃん注:「かく」「膈噎」(かくいつ)か。「膈」は「食物が胸に閊えて吐く病気」。「噎」は「食物が喉に閊えて吐く病気」。重病では、胃癌・食道癌の類とされる。今一つ、「霍亂」(かくらん)があり、これは、急性日射病で昏倒する症状や、真夏に激しく吐き下しする病気の古称である。後者は急性胃腸炎・コレラ・疫痢などの総称に該当するものとされるが、「霍亂」は古くから二字熟語で用いられることの方が多い。値段が安いので、後者か。]
○癲癇(てんかん)の藥、下總葛飾郡駒木(こまぎ)村百姓平右衞門と云(いふ)者の方(かた)に妙方、有(あり)。一服二百錢づつ也。二服を求(もとむ)べし。はじめ、一服を用(もちゆ)れば、「てんかん」、盛(さかん)に起(おこ)る。その期(き)にて、一服、用れば、根を切(きり)て、再び起る事、なし。
[やぶちゃん注:「駒木村」現在の千葉県流山市駒木(こまぎ)・美田(みた)・十太夫(じゅうだだゆう)。この附近(グーグル・マップ・データ。地図上で三地区が確認出来る)。]
○痔疾には、芝增上寺地中、淡島明神の社より出す、靑き油藥、奇功、有(あり)。痛所(つうしよ)に、指にて、ぬりて、吉。
[やぶちゃん注:現在は神仏分離により、増上寺の東方にある芝大神宮(グーグル・マップ・データ)に合祀されている。]
○又、「なめくじり」を胡麻油にひたし置(おく)時は、とろけて、白き油に成(なる)なり。それを付(つく)れば、痛(いたみ)を去る。冬月、「なめくじり」を得んとせば、山林の落葉の下を搜すべし。
[やぶちゃん注:ナメクジは声を良くするなどと言い、近代まで民間療法として知られていたが、危険。当該ウィキによれば、『種類によっては、生きたまま丸呑みにすると、心臓病や喉などに効くとする民間療法があるが、今日では世界から侵入した広東住血線虫(脱皮動物上門線形動物門双線綱円虫目擬円形線虫上科 Metastrongyloidea に属するジュウケツセンチュウ(住血線虫)属カントンジュウケツセンチュウ(広東住血線虫)Angiostrongylus(syn. Parastrongylus)cantonensis )による寄生虫感染の危険があることが分かっているため避ける。オーストラリアでは、ふざけてナメクジを食べ、寄生虫が大脳に感染し、脳髄膜炎で』四百二十『日間昏睡状態に陥り、意識が回復後も脳障害で体が麻痺』し、八『年後に死亡した例がある』とある。]
○痢病には、「かたつむり」を、みそにて、煮て、其汁をすゝる、よし。
[やぶちゃん注:同前でお薦め出来ない。煮ているので、まあ、問題はないかも知れないが、煮方が不完全だと、やはり危険。当該ウィキによれば、『日本でもカタツムリを食べる文化は古くからある。例えば飛騨地方ではクチベニマイマイが子供のおやつとして焼いて食べられていた』『他、喉や喘息の薬になると信じられ、殻を割って生食することが昭和時代まで一部で行われていた(後述にもあるがカタツムリは寄生虫の宿主であることが多く、衛生的に養殖されたものを除き生食する行為は危険である)。また殻ごと黒焼きにしたものは民間薬として使用され』、二十一『世紀初頭でも黒焼き専門店などで焼いたままのものや粉末にしたものなどが販売されている』が、『種類にもよるが、カタツムリやナメクジ、ヤマタニシやキセルガイなどの陸生貝及びタニシ類などの淡水生の巻貝は、広東住血線虫を持っていることがある。接触後は手や接触部分をしっかり石鹸や洗剤で洗い、乾燥させ、直接及び間接的に口・眼・鼻・陰部など、各粘膜及び傷口からの感染を予防しなければならない。体内に上記の寄生虫が迷入・感染すると広東住血線虫症となり、脳や視神経など中枢神経系で生育しようとするため、眼球や脳などの主要器官が迷入先である場合が多い。よって、好酸球性髄膜脳炎に罹患し死亡または脳に重い障害が残る可能性が大きい』とある。近年、保育園・幼稚園から中・高等学校まで、自然観察に於いて、直(じか)に触れることは、厳禁とされているほどであり、感染例も複数、確認されている。]
○痲病[やぶちゃん注:底本には、編者に拠る右補正傍注があり、『(淋)』とある。性病の一首である「りんびやう(りんびょう)」のこと。]には、木瓜(ぼけ)の「つる」を煎じたる上、白砂糖を入(いれ)て飮(のむ)べし。よく小便を通ずる也。
[やぶちゃん注:『木瓜(ぼけ)の「つる」』ボケには蔓(つる)はない。当該ウィキによれば、『株立ちになり』、『茎は叢生してよく枝分かれし』、『若枝は褐色の毛があり、古くなると灰黒色。樹皮は灰色や灰褐色で皮目があり、縦に浅く裂け、小枝は刺となっている』とあるので、それらの分枝した枝を指していよう。]
○又、痛みて堪(たへ)がたきを治するには、靑竹を、「ふし」をかけて、二尺餘に切(きり)て、火吹竹の如く拵へ、底のふし、一つを殘し、殘りのふしをば、ぬき、「いさ石」を、いくらも、ひろひ置(おき)て、小便度每(たびごと)に石三づつを、火にて燒(やき)て、赤く成(なり)たる時、その石を、竹の底へ入れ、そのまゝ小便を仕懸(しかけ)る也。燒石、小便に鳴(なり)て、氣味わるき樣なれども、小便の度ごとに、いたみ、うすらぎ、通じよく成(なる)也。竹も、三日程は、用(もちい)らるゝ也。
[やぶちゃん注:「いさ石」不詳。しかし、「沙石(いさごいし)」で小石のことかと思われる。]
○中氣にならぬ灸、每年六月朔日、芝口新橋ふたば町大黑屋惣兵衞と云(いふ)者の方にて、山田喜右衞門と云(いふ)人、すうる也。夢想の灸の、よし。料物(れうもつ)三拾二錢を、いだす。
○「ひえ蟲」かぶるには、小日向本法寺の「大丸藥」、よし。壹丸三錢づつ也。かなつちにて、くだきて、少しづつ、用ゆべし。
[やぶちゃん注:「ひえ蟲」不詳。識者の御教授を乞う。]
○婦人、陰所の疵(きず)治するには、古き雪踏(せつた)の皮を黑燒にして、胡麻の油にて付(つく)べし。
○足の「そこまめ」、針も、小刀も、通りがたく打捨置(うちすておけ)ば、「ちんば」にも成る也。「わらしべ」の、ほそきを、もちて、「そこ豆」の上の皮を、そろそろ、もむ時は、錐(きり)のやうに通り入(い)る。穴を明(あけ)、膿(うみ)、出(いづ)るを、能々(よくよく)押せば、治して、後(のち)の愁(うれひ)なし。但(ただし)、「わらしべ」をもみ入るに、眞直に入(いる)べからず、橫に入やうに、皮を破るべし。「わらしべ」、肉へ、さはれば、痛み、とがむる也。
[やぶちゃん注:「とがむる」気になる。]
○「まむし」に、さゝれたるには、「なめくじり」を付(つく)れば、立所(たちどころ)に治する也。和州は、「まむし」多き所(ところ)故、夜行にも、竹の筒へ、「たばこ」の「やに」をつめ、「なめくじり」を漬(つけ)て、けづりたる「竹べら」を、そへ、持(もち)あるく也。しつくりと、さゝれたると覺(おぼえ)れば、そのまゝ、「へら」にて、それへ、ぬりつくる故、「まむし」の害を、うれふる事、なし。
[やぶちゃん注:前掲通りで、甚だ、危険効果がないばかりではなく、ナメクジの寄生虫感染の危険性が高いからである。]
○病犬(やみいぬ)にかまれたる藥、日本橋平松町井上藤藏といふ儒者の所に奇方、有(あり)。鼠に、くはれたるにも、よし。
[やぶちゃん注:狂犬病では、当時は効能のある薬は存在しない。狂犬病ではない単なる狂犬であれば、鼠咬症と同断に効果のある薬はあったかも知れない。]
○癩病の療治は、下野佐野に、その家あり、といふ。
[やぶちゃん注:「癩病」ハンセン病。限りなく嘘である。]
○「耳だれ」には、ぬかみそに漬(つけ)て、有(いう)二、三年へたる古き茄子を、引(ひき)さき、その汁を、耳中(みみなか)へ、しぼり入(いる)べし。
○風邪などにて、汗を取(とる)には、汗、出(いで)て、三里のあたりに、及(および)て、止(とむ)べし。
[やぶちゃん注:「三里」灸穴(きゅうけつ)の名称。膝頭の下で、外側の少し窪んだ所。どこから灸を打ち始めるのかが、書いてないのが、不審。]
○百草、黑燒にするには、五月五日、取(とり)て、その夜露を受(うけ)て、翌日より、每日、炎日(えんじつ)に、ほしかためて、後(のち)、燒(やく)べし。
[やぶちゃん注:「百草」は特定のものではない(「百草」(ひゃくそう)という、ミカン科の落葉高木キハダの内皮「黄檗」(おうばく)から抽出されるオウバクエキスを主成分とした胃腸薬が、現在もあるが)、漢方や民間で薬用となると考えられた植物を指していると採る。]
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