南方熊楠「江ノ島記行」(正規表現版・オリジナル注附き) (7)
[やぶちゃん注:底本・凡例等は「(1)」を参照されたい。なお、以下の「兒(ちご)か淵の由來」(「か」はママ)の部分は、底本では、全体が二字下げである。]
兒(ちご)か淵の由來 往昔、建長寺廣德庵に自休藏主[やぶちゃん注:「じきうざうす」。]と云る沙門有り、陸奧國信夫の人にて、或時宿願有て江島に詣する山中にて美艶紅顏少年にあふ。藏主迷ひの心を生し戀慕止まず。伴ふ僕に問へば是なん雪の下相承院の白菊といふ兒なりと答ふ。爾後人づてに文もて云よれど更に隨ふ氣色なければ、月日を累ね切なる思ひを通じければ、白菊も其の情にや忍かねけむ扇に二首の和歌を記し、涉船人[やぶちゃん注:「わたしぶねびと」。]にわたし、吾を尋る人あらば之を與へよと言別れて入水せし名殘の歌に、「白菊としのぶの里の人とはゞおもひ入江の島とこたへよ」「うきことをおもひ入江のしまかげにすつるいのちは波のしたくさ」かく辭世して此淵に沈み終りしを藏主慕ひ來て此歌を見つゝ淚にむせびつゝ詩を賦す。曰く、懸崖嶮所捨生涯、十有餘霜在刹那、花質紅顏碎岩石、蛾眉翠黛接塵砂、衣襟只濕千行淚、[やぶちゃん注:読点がないが、誤植と断じ、打った。]扇子空澗(とゞむ)二首歌、相對無言愁思切、暮鐘爲孰促歸家、白菊の花の情のふかき海にともに入江の島ぞうれしき、と詠じて自休も共に此淵に身を投、死したり。【此事南畝莠言等に出づ】
[やぶちゃん注:ここで一字下げは終っている。最後の【 】は底本では、二行割注。
「懸崖嶮所捨生涯、……」訓読を示すが、一部の漢字に問題がある。私のブログ版の「『風俗畫報』臨時增刊「江島・鵠沼・逗子・金澤名所圖會」より江の島の部 12 兒が淵」で私が私のサイト版「新編鎌倉志卷之六」のそれとの異同を載せてあるが、その孰れとも異なる。而して、大田南畝の「南畝莠言」を、国立国会図書館デジタルコレクションの『日本隨筆全集』第十五巻(昭和三(一九二八)年国民図書刊)の当該部で見たところ、 熊楠は、そこに載る漢詩を概ね引いたものと判った。但し、取り敢えず、明らかな誤字或いは誤植としか読めない「扇子空澗(とゞむ)二首歌」の「澗」を「南畝莠言」の「留」に代えて「南畝莠言」での読みを参考に(一部に不審があり、そこは従っていない)訓読しておいた。
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懸崖 嶮(けは)しき所に生涯を捨つ
十有餘(いうよ) 霜(さう) 刹那に在り
花質(くわしつ)の紅顏(こうがん) 岩石に碎け
蛾眉翠黛(がびすいたい) 塵砂に接す
衣襟(いきん) 只だ濕ほす 千行(かう)の淚(なみだ)
扇子(せんす) 空しく留(とど)む 二首の歌
相ひ對して 言(こと)無し 愁思(しうし) 切(せつ)なり
暮鐘(ぼしよう) 孰(たれ)が爲めに 家に歸ることを促(うなが)す
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