父の通信(1979年10月28日附)
父が、私が教員になった二十二歳の秋、富山から寄越してきた、父自筆のケント紙にデフォルマシオンの線画を描いた中に、私へのアフォリズムが書かれた通信である――(四十五年前のもので、黄変がかなりあったが、念入りに補正して清拭した)
因みに、この文の中の「十間道路」(グーグル・マップ・データ航空写真)とは、国道四百十五号の内、私の中学・高校附近を貫通する、富山県高岡市伏木市街の西方の道路を指す。家は最終的に伏木の南東の西の山際の矢田新町に新築したが、十間道路の、その南端のところにガソリン・スタンドがあったと記憶する。私は、この十間道路の西側にある伏木中学校と伏木高等学校に通った。青春の忘れられない六年間を過ごした伏木のメルクマールであった。
この、
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おなえは(この私である)例の茶色の空(から)の鞄に、黒々奌滅する内臓をひそませて あそこの「十間道路」のガソリンスタンドに立ってそこから步きだせばよいのだ。そこからおまえの詩・絵・音楽がはじまるのだ。
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というアフォリズムが、結構、気に入っている。特に「黒々奌滅する内臓をひそませて」のところが、だ。「例の茶色の空の鞄」というのは、私が伏木高校時代、好んで持っていたジーンズ地で出来た肩掛け鞄のことで、大学卒業まで愛用していた。
左下のクレジットは父の誕生日である。
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