柴田宵曲「古句を觀る」正規表現版電子化注 / 「夏」(4ー2)
[やぶちゃん注:後日、通しナンバーを誤ったことが判ったので、(4-2)と変更した。]
すてゝある石臼薄し桐の華 鶴 聲
農家の庭などの有樣かと思ふ。桐の花の咲いてゐるほとりに、使はない石臼が捨てゝある。單に石臼が捨てゝあるだけで滿足せず、その石臼の薄いことを見遁さなかつたのは、この句の稍〻平凡を免れ得る所以であらう。
元祿時代に「すてゝんぶし」と稱する唄がはやつたことは、人の知るところであり、其角の『焦尾琴』には「棄字ノ吟」の題下に「すてゝある」の語を詠み込んだ句十七を列記してある。この鶴聲の句は、それを引合に出すにも及ぶまいかと思ふが、時代が同じだから、いささか念を入れて置くことにする。
[やぶちゃん注:「焦尾琴」「しやうびきん」は元禄一四(一七〇一)年刊の榎本其角編になる俳諧選集。国立国会図書館デジタルコレクションの『俳人其角全集』第二巻(勝峯晋風編・彰考館昭一〇(一九三五)年刊)のここで十七句総てが、視認出来る。なお、この所収から、この「鶴聲」は蕉門と判る。]
若竹や衣蹈洗ふいさゝ水 兀 峯
たゞ洗濯すると云はず、「衣踏洗ふ[やぶちゃん注:「きぬふみあらふ」。]」と云つたところに特色がある。場所ははつきりしないけれども、「いさゝ水」といふ言葉から考へると、井戶端や何かでなしに、ささやかな流の類であらう。その水に衣を浸して、足で蹈んで洗ひつゝある。若竹の綠にさす日影も明るい上天氣に違ひない。鄙びた趣ではあるが、爽な感じのする句である。
[やぶちゃん注:「兀峯」桜井兀峰(さくらいこっぽう 寛文二(一六六二)年~享保七(一七二二)年)は近江出身で、備前岡山藩士。元禄五(一六九二)年、江戸勤番となり、俳諧を松尾芭蕉に学び、榎本其角・服部嵐雪らと交わる。同六年、編著「桃の實」を出版した。通称は藤左衛門・武右衛門。]
芥子の花咲や傘ほす日の移り 烏 水
芥子の句は由來散るといふことに捉はれ易い。越人の「散る時の心やすさよ芥子の花」などといふのは、その代表的なものである。「芥子畑や友呼て來る蜂の荒 潘川」の如きは、さう著しく表面に現れてゐないが、それでも「蜂の荒」といふことが、散りやすい芥子に對して或危惧を懷かしめる。他の花なら何でもないことでも、芥子の場合は散り易さに結びつけられる點があるのであらう。
然るに烏水のこの句にはそれが全くない。雨の後であらう、庭に傘が干してある、芥子もその邊に咲いていゐる、といふ純客觀の句である。「日の移り」といふ言葉は、文字通りに解すると、此方から彼方へ移動するもののやうに思はれるが、映ずるといふ意味の「うつる」場合にも、昔はこの字を使つてゐる例がある。今まで干傘にさしてゐた日が芥子に移つたと見るよりも、干傘に照る日が芥子にうつろふと見た方がよささうな氣がする。
[やぶちゃん注:最後の解説は見事!
『越人の「散る時の心やすさよ芥子の花」』は「去來抄」の「同門評」に載る。
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ちる時の心やすさよけしのはな 越 人
其角・許六、共(とも)曰(いはく)、「此句は謂(いひ)不應(おうぜず)故(ゆゑ)に「別僧」[やぶちゃん注:「僧に別(わか)る」。]と前書あり。」。去來曰、「けし一體の句として謂應(いひおう)せたり。餞別となして、猶、見(けん)あり。」。
*]
撫て見る石の暑さや星の影 除 風
暑さの句といふものは赫々たる趣を捉へたのが多いが、これは又一風變つたところに目をつけた。一日中照りつけられた石が、夜になつてもほてりがさめきらずにゐる。恐らく風も何もない晚で、空に見える星の影も、いづれかと云へば茫としたやうな場合であらう。作者の描いたものは、僅に手に觸れる石のほてりに過ぎぬやうだけれども、夜に入つても猶ほてりのさめぬ石から、その夜全體の暑さが自然と思ひやられるのである。
鬼貫に「何と今日の暑さはと石の塵を吹く」といふ句があり、暑さを正面から描かず、塵を吹く人をして語らしめたのが一の趣向であるが、少しく趣向らしさに墮した憾がある。除風の句の石は何であるかわからぬけれども、「撫て見る」といふ以上、小さな石でないことは云ふまでもない。
[やぶちゃん注:「鬼貫」「何と今日の暑さはと石の塵を吹く」所持する岩波文庫復本一郎校注「鬼貫句選・独ごと」に、
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夕涼
なんとけふの署さはと石の塵を吹
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とある。「署」はママ。]
供先に兀山みゆるあつさかな 虎 角
支那、朝鮮あたりを旅行してゐた人が、內地に歸つて第一に感ずるのは、山の綠のうるはしいことだといふ。兀山[やぶちゃん注:「はげやま」。]の眺[やぶちゃん注:「ながめ」。]は何時にしても有難いものではないが、炎天下の兀山に至つては、慥に人を熱殺するに足るものがある。この句は大名などの行列を作つて行く場合であらう。その供先に兀山が見える。その赭い[やぶちゃん注:「あかい」。]山肌には烈々たる驕陽[やぶちゃん注:「けうやう」。灼熱の日光。]が照りつけてゐるに相違無い。これから進んでその兀山の下を通るのか、或はそれを越えなければならぬのか、そこまでは穿鑿するに及ばぬ。たゞそこに見えてゐるだけで、暑さの感じは十分だからである。
蕪村の「日歸りの兀山越る暑さかな」といふ句は、時間的に長い點で知られてゐるだけに、この句よりは大分複雜なものを持つてゐる。一言にして云へば、この句より平面的でないといふことになるかも知れぬ。日歸りに兀山を越えなければならぬ暑さは、固より格別であらうが、炎天下の行列の暑さも同情に値する。大勢の人が蹴立てゝ行く砂埃を想像しただけでも、何だかむせつぽい感じがして來る。
[やぶちゃん注:明和六年六月十五日(グレゴリオ暦一七六九年七月七日)の作。]
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