南方熊楠「江ノ島記行」(正規表現版・オリジナル注附き) (2)
[やぶちゃん注:底本・凡例等は「(1)」を参照されたい。]
道の左傍に旅宿あり、三橋與八と云ふ村の比較に取ては頗る壯美の家なり。一室に入りて茶を喫み婢に何時と問へば、則答へて五時過なりと云へり。每年今頃は京濱の士女續々と此邊へ出掛るなるに今年は陰雨の永へ[やぶちゃん注:「とこしへ」。]に續きて止さる[やぶちゃん注:ママ。]が爲めに、右幕府の故趾を訪ふの士も甚少しとみへ[やぶちゃん注:ママ。]、此宿舍の如きも寥々として各室槪ね人なし。未だ晚には早けれは[やぶちゃん注:ママ。]暫時其邊へ遊びに行んと宿を出で東に趣き由井濱に至る。此濱あまり長からず、又あまり廣からさる[やぶちゃん注:ママ。]やうに見受たり。渚沙の邊を緩步して何がな奇物をと探れども別に奇き[やぶちゃん注:「くしき」。]ものなし。たゞ一魚齒[やぶちゃん注:平凡社版には『(第二図)』とここにあるが、底本には、これも図も、ない。]及一二の介殼を拾へるのみ、「ウミヒバ」多く浪に打ち上られたり。又海星(シースタール)[やぶちゃん注:言わずもがな「sea star」で「ヒトデ」]。の屬を見る。濱の上邊にはハマヒルガオ、ハマビシ等生せり。六時頃宿に歸り晚餐を執る。其後、燈前に兀坐[やぶちゃん注:「こつざ」。凝っと座っていること。]し無聊爲す所なし。隣室に人多く集まり酒を飮て快談す。其音鴃舌[やぶちゃん注:「げきぜつ」。]とまでにはあらねども、なにやら一向解するに苦しみしが、靜かに之を詳悉[やぶちゃん注:「しやうしつ」。詳細に述べること。]するに、彼等の内五人は婦人にて一人は男なり。陸中の人なるが、今回東京を見おわり[やぶちゃん注:ママ。]ついでに此邊を見に來れるにて、五人の婦女一向東京語を曉らず[やぶちゃん注:「さとらず」。]、故に此男を雇ひ來りて通辯をなさしめ以て買物などを調へるなり。此男又國許に在し時、鎌倉節を習ひ、頗る熟せり。今鎌倉に來りて鎌倉節を謳ふは聲の所に應ずるなりなどいひて揚々と謳ひしに、衆婦皆笑ひのゝしれり。余是に於て亦婢を喚て酒三合を命し[やぶちゃん注:ママ。]、立ろ[やぶちゃん注:「たちどころ」。]に盡くす。乃ち傴臥[やぶちゃん注:「くが」。背を曲げて横になること。]して獨り浩々、夜半眼さめ、正に雨滴の石を打つを聞く。心之が爲めに呆然たり。
[やぶちゃん注:「道の左傍に旅宿あり、三橋與八と云ふ村の比較に取ては頗る壯美の家なり」旧「三橋旅館」。「『風俗畫報』臨時增刊「鎌倉江の島名所圖會」 江島/旅舘」に、
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三橋與八 長谷觀音前にあり。
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と出る。現存しないが、同旅館の蔵がここ(グーグル・マップ・データ)に残る。
「由井濱」この場合は、「坂ノ下海岸」にまずは出たものであろう。
「ウミヒバ」「海檜葉」で、刺胞動物門花虫綱八放サンゴ亜綱ウミトサカ目石灰軸亜目オオキンヤギ科ウミヒバ属ウミヒバ Callogorgia flabellum 。インド洋から西太平洋及び中央アメリカ大西洋岸の数百メートルの深海底に産し、日本では相模湾に多い。群体は交互羽状分岐をし、一平面状に広がり、樹木のヒノキの小枝に似ている。骨軸は細く淡褐色で、骨片を含まず、節部を持たない。また、骨軸は石灰化して強い。ポリプは鱗片状の骨片に包まれ、共肉内に退縮することはない。ポリプは枝上に四個ずつ輪生し、軸方向に強く弧状に屈曲し、背側に約十個、腹側に一、二個の鱗片を備える。上端には八個の蓋鱗(がいりん)を備える。群体は高さ、幅ともに一メートルを越え、細枝は十~二十センチメートル、各ポリプは一・五~二ミリメートルの長さである。近似種オオキンヤギPrimnoa resedaeformis pacificaやマクカブトヤギArthrogorgia ijimaiは二叉状に分岐をし、ホソウミヒバThouarella hilgendorfiやトゲハネウチワPlumarella spinosaは交互羽状分岐をするが、ポリプは弱く屈曲するのみで、腹側に三、四個の鱗片を備える。これらの種は、ともに日本の太平洋沿岸の数百メートルに及ぶ深所から採集される(主文は小学館「日本大百科全書」に拠った。この場合、最後に載った近似種を含むと考えてよかろう。
「ハマヒルガオ」私の好きな「濱晝顏」。ナス目ヒルガオ科ヒルガオ亜科ヒルガオ科ヒルガオ属ハマヒルガオ Calystegia soldanella 。
「ハマビシ」「濱菱」。中文名「蒺黎」(いつれい)。ハマビシ目ハマビシ科ハマビシ属ハマビシ Tribulus terrestris。本邦では温暖な地方の砂浜に生える海浜植物であるが、乾燥地帯では内陸にも植生する。現在のハーブとして健康食品などに入れられており、果実を乾燥したものは「疾黎子(しつりし)」という生薬名で利尿・消炎作用を効能としている。
「鴃舌」「モズの囀り」の意から、「意味の判らない言葉・外国人などの話す意味の不明の言葉を卑しめて言う語。
「鎌倉節」幕末から明治にかけての流行唄の一つ。「鎌倉の御所のお庭」という歌詞からの名。「木遣(きやり)音頭」から出たので「木遣くずし」とも称した。江戸の飴屋が歌い始めて流行した。]
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