ブログ2,150,000アクセス突破記念 「和漢三才圖會」植物部 始動 / 卷第八十二 木部 香木類 目録・柏
[やぶちゃん注:禁断(私は藻類を除いて植物にはそれほど知識がない。因みに、『「和漢三才圖會」卷第九十七 水草部 藻類 苔類』はサイト版で公開済みである)の膨大な植物部(「卷第八十二」の「木部」に始まり、「卷第百四」の「菽豆類」に至る全二十二巻)に、敢えて挑戦することにする。タイピングであるので、何年かかるか、想像も出来ない。死ぬまでには、やり遂げるつもりではある。【二〇二四年五月二十七日追記】試みに、種として独立項となっているもののみ(栽培法や同類での異同識別法等は除いて数えた)だけで、今日、数えてみたところ、千百十九項あった。ということは、一日一項を公開するとしても、三年余りはかかることになる。実際、やってみると、二日も三日もかかった項も実際に出てきた。されば、単純計算でも、ほぼ確実に七十二歳までは生きていないと完成は出来ないことになる。とほほ…………
テキスト底本は今までの通り、一九九八年刊の大空社版CD-ROM「和漢三才図会」を用いた。但し、本文中に用いた各項目の画像データは、当該底本に発行者による著作権主張表記があるので、所持する平凡社一九八七年刊の東洋文庫訳注版「和漢三才図会」が所載している画像を取り込んだものを用いる(一部の汚損等に私の画像補正を行っている)。なお、これについては、文化庁の著作権のQ&A等により、保護期間の過ぎた絵画作品の複製と見做され、著作権は認められないと判断するものである。されば、実際には、テキスト底本の著作権主張自体も無効であることを意味する。孰れにせよ、東洋文庫版の方が美しいので、私には文句はない。
今までのものとおおよそ同じ構成法で行うが、今回は最初からUnicodeで始められる。
○良安は「本草綱目」から引用しているが、時に、誤りやカットが行われている。今までの本書の電子化注では、それを問題にしなかったが、今回は「漢籍リポジトリ」の原本等を参考にして、その問題点を明らかにした。
・各項では、良安は、「本綱」の引用の際、殆んど、「に曰はく」に相当する送りがなを原文に振っていないが、これは特異点として、それを訓読で示した。同様に、良安の評言の頭の「按」も「按ずるに」相当の送り仮名を振っていないが、同様に、かく訓じておいた。
・二行割注は【 】で本文と同ポイントで示す。
・和歌等の引用はブラウザの不具合を考えて、訓読では、引き上げて、句に分けて示す。
・正字か異体字かに迷ったものは、正字、或いは、表記出来る最も近い異体字を採用する。それでも、有意な相違がある場合のみ、文字注を入れた。
・各項目の仕儀は、まず、訓点を省略した本文を原本通りに示し(但し、割注は繋げて示す。また、私の本文の字起こしに疑義がある場合、または、以下の訓読に不審がある向きは、同一原書と推定される早稲田大学図書館「古典総合データベース」のこちらの原文を見られたい)、後に訓点に従って訓読したものを、文章として続いている箇所は改行せずに出す。
・訓点の内、特に送り仮名で、版が擦れて、判読に困難をきたすもの(かなりある)は、国立国会図書館デジタルコレクションの中近堂版の活字本(明治一七(一八八四)年~明治二一(一八八八)年刊)の「倭漢三才圖會 下之卷」を参考にした。
・明らかに良安の誤りとしか思われない書き癖や誤字・誤解があるが、これは《✕→□》として「□」部分に正しい漢字・熟語・表現を入れた。頻繁に現れるものは、原則、初回のみに注し、後は修正して訓読を示し、省略した。但し、中には全般を用いて、異体字ではない全く別な意味も異なる、完全に誤った漢字を使用しているケースが僅かに存在する。例えば、
「剌」
で、これを、良安は、
「刺」
とすべき箇所を、総て前者で刻してある。これは、よく見ないと見逃すが、甚だしく大きな誤字であり、本書では、数多、出現するため、一々、指示することはとても出来ない。そこで、これなどは、総て、正しい字に修正して起こし、注も省略した。また、繰り返し記号「々」の字は、「ケ」の三画目を、より左位置から右下方向へ斜線で落とす奇体な書体でしばしば書くが、表示出来ないので、通常の「々」にした。
・良安が附した読みは、( )で示し、ルビがないが、難読と判断した箇所は推定で歴史的仮名遣を用い、《 》で読みを添えた。≪ ≫は不全な訓読本文に私が添えたものである。適切でない訓読と判断したものは、《→□》で補訂注を入れた。
・読みの一部は送り仮名にして五月蠅くならぬように配慮した。
・訓点の内、送り仮名に「云」「寸(「時」の約物)」等とあるものは、その漢字を訓読では、「云」「時」等と、漢字とした。それは、とまどう人のために、逐一、割注を入れた。但し、「ヿ」(訓点でよく用いる「事」の約物)については、「事」と漢字表記すると、どうも事大主義的になって厭なので、漢字にせず、「こと」と訓じてある。他の約物の「ゟ」(より)等のUnicodeで示せるものは、それで活字化してある。但し、割注の場合、良安の送り仮名は、かなり不全であるため、推定で訓読し、余程に私の推定が過ぎる部分以外は、なるべく、読みや、送り仮名での《 》を使わずに処理した箇所も多い。
・句読点や記号は、必要と思われる箇所に、適宜、打った。
・あるべき助詞・助動詞がない箇所、及び、濁音であるべき部分が清音になっている箇所(孰れも非常に多い)は、原則、その指示をせずに、送りがな・濁点を打った。
・各項目の左には、時に、当時の中国音をカタカナで記してあるものがあるが、この音写は、現行の中国音とは甚だ異なる古い音か、良安が半可通で調べたものと思われるので、一切、注記しない。
・以上の後に、私のオリジナル注を附す。但し、一部で東洋文庫の注を参考にし、時に引用する。但し、東洋文庫の訳や注には、頭をかしげる内容も多く、そこは批判しつつ、示した。そもそも、海族・動物部を総て電子化注してきた私が、東洋文庫訳に最も不満である点は、百科事典の訳注であるにも拘わらず、一切、現在の分類学上の学名を一つも示していないという驚愕の事実にある。正式和名さえ殆んど示さないのが、全篇を通じて「当たり前」とされていることである。こんな馬鹿げた話は――絶対に――無い!!! さればこそ、苦手な植物でも、可能な限り、そこをディグすることをモットーとする。
・サイト版で行った一丁の中央の柱の文字の電子化(例えば、以下の最初のそれは、「和漢三才圖會 香木 目録 ○一」)は、あまり意味がないので、行わない(省略する)こととした。
・本文中に頻繁に現われる漢方の四気五味(四性ともいう対象物の薬性を示す四つの性質「寒・熱・温・涼、及び平」と、味やその効能に基づく五つの性質「酸味・苦味・甘味・辛味・鹹味(かんみ=しおからい味)、及び淡味」)の意味については、今まで同様、これについては一切注を加えていない。諸サイトの中医学理論による解説等を参照されたい。悪しからず。
・一部の特異点の本文注に、突如、引かれる縦罫線以外の、縦・横の罫線は、基本、省略する。
・度量衡は、明代と現代とが異なる単位のもののみを、換算して示す。但し、頻繁に用いられる「尺」は明代では、三十一・一センチメートル、「寸」は三・一一センチメートル、「分」は〇・三一一センチメートル、「丈」(良安は「𠀋」の異体字を用いることが殆んどである)は三・一一メートル、また、「勺」は〇・一七デシリットル、「合」は一・七デシリットル、「升」は一・七リットルで、現在と大きな違いはないと判断し、いちいち示さない。
・注のウィキペディアの引用では、アラビア数字を、ほぼ全部、漢数字に代えたが、そこは正規引用ではないので、二重鍵括弧外で示した。面倒なことを馬鹿みたいにやっていると思われる方に言っておく。これは、私が引用しているウィキペディアの内容を一字一句まで検証するための重要な作業なのである。ウィキペディアには、致命的な事実誤認は、そう多くないが、漢字及び修辞に不完全な箇所(読点がなく、だらだらと平仮名が続くのは最も忌まわしい)は甚だ多い(私は嘗つて「ウィキペディアン」であったから、しょっちゅう、直したものだ)という点でも、修正が、ほぼ百%、必要なのである。
なお、この始動は、只今、午後十二時四十八分、二〇〇六年五月十八日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来(このブログ「Blog鬼火~日々の迷走」開始自体は、その前年の二〇〇五年七月六日)、本ブログが2,150,000アクセスを突破した記念として公開する。【二〇二四年四月二十七日 藪野直史】]
和漢三才圖會卷第八十二目録
木部
本草綱目曰木乃植物五行之一性有土宜山谷原隰肇
由氣化爰受形質喬條苞灌根葉華實堅脆美惡各具大
極色香氣味區辨品類食備果蔬材𭀚藥器寒温毒良直
[やぶちゃん注:「𭀚」は「充」の異体字。]
有考分爲六類曰香曰喬曰灌曰寓曰苞曰襍
*
「本草綱目」に曰はく、『木は、乃《すなは》ち、植物の五行の一つ、性、「土《ど》」に有りて、山谷原隰に宜《よろ》しく、肇(はじ)めて氣化に由つて、爰《ここ》に、喬《きやう》・條《ぜう》・苞《ほう》・灌《くわん》の形質を受く。根葉・華實、堅脆《けんぜい》・美惡、各々《おのおの》、大極を具《そな》ふ。その色・香氣・味、區(まちまち)、品類を辨じ、果・蔬(そ)は、食に備へ、材は、藥・器に𭀚《あ》つ。寒温・毒良は、直《ただ》しく考ふること、有り』。『分けて、「六類」と爲す。曰はく、「香」。曰はく、「喬」。曰はく、「灌」。曰はく、「寓」、曰はく、「苞」。曰はく、「襍(ざつ)」。』。
[やぶちゃん注:以上の二重括弧が二箇所にしたのは、「本草綱目」(基本、「漢籍リポジトリ」の原本を参考にした)を見たところ(ここの「卷三十四目録」の「木部」の冒頭部)、以下がカットされていることが判ったからである(漢字の一部を正字に代えた)。
*
彚多識其名奚止讀詩埤以本草益啓其知乃肆蒐獵萃而類之是爲木部凡一百八十種
*
しかも、このカットは離れ業であって、一見、おかしくなく見えるが、実は「直有考彙」と続く文を、切り離しているのである。ここは恐らく、
*
直(ただ)しく考彙(かうゐ)[やぶちゃん注:グループに分けて考えること。]有りて、多く、其の名を識(し)る。奚(なん)ぞ、止(や)めん。詩を讀み、埤(たす)くるに、本草を以つて、益(ますます)、其の知(ち)を啓(ひら)く。乃(すなは)ち、肆蒐獵萃(ししゆうれふすい)[やぶちゃん注:「店に並ぶ物品(植物由来のもの)を蒐集し、フィールドに出て狩り集めること。」。]して、之れに類(るゐ)とし[やぶちゃん注:分類し。]、是れ、「木部」と爲す。凡そ一百八十種。
*
と読むのであろう。
「山谷原隰」山・谷・原野・湿地。
「喬・條・苞・灌」東洋文庫の注に、『喬は丈が高く幹が太いもの』とし、「條」は『木が細く枝のようなもの』、『苞は節のある竹のようなもの、灌は丈が低く地表近くで枝がむらがり生えるもの』とある。]
[やぶちゃん注:以下、「香木類」の目録。原本は三段組(罫線区切り)であるが、一段で示した。縦罫は略した。下方の異名等は二行に亙るものがあるので、割注式に【 】で挟んだ。]
香木類
柏(かえ) 【栢子仁(ハクシニン)】
樅(もみ)
檜(ひのき)
栝(びやくしん)
檜柏(いぶき)
檉(むろ)
伽羅木(きやらぼく)
柀(まき)
槇(まさき) 【髙野槇 狗槇】
仙柏(らかんまき)
椹(さわらぎ)
栂(とが) 【つが】
松(まつ)
五葉松(ごえふのまつ)
落葉松(ふじまつ)
杉(すぎ)
肉桂(につけい)
桂心(けいしん)
桂枝(けいし)
箘桂(きんけい)
桂(かつら)
木犀(もくせい)
水木犀(もつこく)
木蘭(もくらん)
辛夷(こぶし)
沈香(じんこう)
奇楠(きやら)
木𮔉 (しきみ)
深山樒(みやましきみ)[やぶちゃん注:「樒」は異体字のこれ(「グリフウィキ」)だが、表示出来ないので、これにした。]
丁子(ちやうじ) 【毋丁香】
白檀(びやくだん)
降眞香(がうしんかう)
楠(くすのき)
樟(たぶ)
釣樟(くろたぶ)
樟腦(しやうなう)
霹靂木(へきれきぼく)
鳥藥(うやく)
櫰香(くはいかう)
必栗香(ひつりつかう)
楓(おかづら) 【大-風-子】
鷄冠木(かへで)
乳香(にうかう)
薰陸(くんろく)
沒藥(もつやく)
騏驎血(きりんけつ)
安息香(あんそくかう)
蘇合油(そかうゆ)
篤耨香(とくぢよくかう)
龍腦(りうなう)
阿魏(あぎ)
盧會(ろぐはひ)
胡桐淚(こどうるい)
返魂香(はんごんかう)
扉木(とべらのき)
山礬(さんばん)
瑞香(りんちやうけ)
和漢三才圖會卷八十二
攝陽 城醫法橋寺島良安尙順編
香木類
かえ 掬 側柏
和名加閉
柏【栢同】 俗云白檀
又云唐檜葉
唐音 兒手柏
ポツ 其材名阿須奈呂
[やぶちゃん注:後注するが、「掬」は「椈」の誤記である。]
本綱松柏以爲百木之長凡萬木皆向陽柏獨陰木而指
西猶鍼之指北故字從白白卽西方也俗作栢蓋此木至
堅不畏霜雪多壽之木其葉側向而生故名側柏葉上有
微赤毛其樹聳眞直其皮薄膩三月開花其花細瑣九月
結實其實成梂狀如小鈴霜後四裂中有數子大如麥粒
而芬香可愛𠙚𠙚皆有之乾州之柏子氣味豊美可也木
之文理亦大者多爲菩薩雲氣人物鳥獸狀極分明可觀
有盜得一株徑尺者値萬錢宜其子實爲貴也
一種花柏葉 樹濃而葉成朶無子
一種叢柏葉 樹綠色也右二種は不入藥
柏子仁【甘辛平】 肝經氣分藥也又潤腎其氣は清香能透心
腎益脾胃蓋仙家上級藥也
側柏葉【苦微温】治吐衂痢及赤白崩血常服殺五臟蟲益
人采其葉隨月建方取其多得月令氣此補陰之要
藥久服之大益脾土以滋肺元且《✕→元旦》以之浸酒辟邪【牡蛎桂爲之使畏菊花及麪麹伹惡麹而以柏釀酒無妨恐酒米相和異單用也】
麝香獸食柏而體香
[やぶちゃん字注:「伹」は「但」の異体字。良安は、盛んに、この異体字で書くので、この注はここで終わりとし、以下では、この字注は示さない。]
新六帖千早振三室の山のかえの木の葉かへぬ色は君爲かも光俊
△按柏其葉似檜側向如薄片春月葉耑生小花褐色而
不開𬽈結子梂如五倍子淺綠色冬四裂中有數子種
之易生蓋本朝則柏少檜多中華則柏多檜少
和名抄云槲一名柏【加之波】按恐此枹字也枹柏似而傳寫
之誤後人不得改傳誤矣【枹者檞屬見于山果部】
又俗以柏爲榧訓恐此不知柏栢同字【加閉與加夜】和訓
相似故誤用矣
五雜組云嵩山嵩陽觀有古柏一株五人聮手抱之圍始
合漢武帝封之大將軍又唐武后亦封柏於五品太夫人
伹秦皇之封松而不知封柏也
*
かえ 掬《きく》 側柏《そくはく》
和名「加閉《かへ》」。
柏【栢同】 俗に云ふ、「白檀(ひやくだん)」。
又、云ふ、「唐檜葉(からひば)」・
唐音 「兒手柏(このてかしは)」。
ポツ 其の材を「阿須奈呂(あすなろ)」と名づく。
[やぶちゃん注:後注するが、「掬」は「椈」の誤記である。]
「本綱」に、松柏は、以つて、「百木の長」と爲す。凡そ、萬木、皆、陽に向ふ。柏、獨り、陰木にして、西に指(さ)す。猶を《✕→ほ》、鍼(はり)の北を指すがごとし。故《ゆゑ》に、字、「白」從ふ。「白」は、卽ち、西方なり。俗、「栢」に作る。蓋し、此の木、至つて堅く、霜雪《さうせつ》を畏れず。多壽の木なり。其の葉、側(かたはら)に向ひて、生《しやう》ず。故に「側柏《そくはく》」と名づく。葉の上に、微赤の毛、有り。其の樹、聳(たか)く、眞直(ますぐ)にして、其の皮、薄く、膩(あぶらづ)きて≪あり≫。三月、花を開く。其の花、細瑣《さいさ》≪にして≫、九月、實を結ぶ。其の實、「梂(ちゝり)」成≪なりて≫、狀《かたち》、小鈴《こすず》のごとし。霜≪の≫後、四つに裂(さ)けて、中に、數子、有り。大いさ、麥粒のごとくにして、芬香《ふんかう》愛すべし。𠙚𠙚《ところどころ》、皆、之れ、有り。乾州《けんしう》の柏≪の≫子《み》、氣味、豊美《ほうび》にして、可なり。木の文理《もくめ》、亦、大なる者には、多く、菩薩・雲氣・人物・鳥獸の狀を爲《な》す。極めて、分明にして、觀《み》つべし。一株を盜得《ぬすみう》ること有り、徑《わたり》尺なる者、値《あた》い《✕→ひ》、萬錢≪たりと≫。宜《よろ》しく、其の子《み》、實《じつ》に貴《き》たるなり。
一種、「花柏葉《くははくえふ》」≪は≫、樹、濃(こまや)かにして、葉、朶≪はなぶさ≫成《なり》≪にして≫、子、無し。
一種、「叢柏葉《さうはくえふ》」≪は≫、樹、綠色なり。
右、二種は藥に入れず。
柏子仁(そくはくにん)【甘辛、平。】 肝經《かんけい》氣分藥なり。又、腎を潤ほす。其の氣、清香《せいか》≪にして≫、能く心腎に透《とほ》し、脾胃を益す。蓋し、仙家《せんか》の上級の藥なり。
側柏葉(そくはくえふ)【苦、微温。】吐《とけつ》・衂《はなぢ》・痢《りけつ》、及び赤《ながち》・白崩《こしけ》≪の≫血を治す。常に服すれば、五臟の蟲を殺し、人に益あり。其の葉を采《と》るに、「月建」の方(はう)に隨ひて、其れ、多く、「月令《がつりやう》」の氣を得るを、取る。此れ、「補陰」の要藥なり。久しく之れを服すれば、大いに脾土《ひど》を益し、以つて、肺を滋す。元旦に、之れを以つて、酒に浸《ひた》し、邪《じや》を辟《さ》く【牡蛎《ぼれい》・桂《けい》、之《こ》の使《し》なり。菊花及び麪《むぎ》・麹《かうじ》を畏《おそ》る。伹《ただ》し、麹を惡《い》めども、柏を以つて、酒に釀り《✕→「釀(かも)さば」》妨《さまた》げ無し。恐らくは、酒米《さかまい》、相和《あひわ》すと、單用と、異《ことなる》とすなり。】
麝獸《じやじう》、柏を食して、體《からだ》、香《かんば》し。
「新六帖」
千早振三室の山のかえの木の
葉かへぬ色は君爲かも
光俊
△按≪ずるに≫、柏、其の葉、檜に似て、側《そばだちて》向《むきあふ》。薄片のごとし。春月、葉の耑(はし)に小花を生ず。褐《ちや》色にして、開かず、𬽈(す)ぐ子を結ぶ。梂(ちゝり)は「五倍子(ふし)」のごとく、淺綠色。冬、四つに裂(さ)け、中に、數子《すうし》、有り。之(こ)れを、種(ま)いて、生(は)へ易し。蓋し、本朝、則ち、柏、少なく、檜、多く、中華には、則ち、柏、多く、檜、少なし。
「和名抄」に云はく、『槲一名柏【加之波】』≪と≫。按ずるに、恐らくは、此れ、「枹≪かし≫」の字なり。「枹」と「柏」、似て、傳寫の誤≪り≫なり。後人、改むるを得ず、誤りを傳ふ。【「枹(かしは)」は「檞(くぬぎ)」の屬。「山果」の部を見よ。】
又、俗に、柏を以つて「榧(かや)」の訓を爲す。恐らくは、此れ、「柏」・「栢」、同字なることを、知らずして、【「加閉《かし》」と「加夜《かや》」と。】和訓、相ひ似たる故、誤≪と≫用ひるならん。
「五雜組」に云はく、『嵩山≪すうざん≫の嵩陽觀≪すうやうくわん≫に、古柏一株、有り。五人、手を聮(つら)ねて、之れを抱きかゝへて、圍≪めぐり≫、始めて、合ふ。漢の武帝、之れを「大將軍」に封す。又、唐の武后も亦、柏を「五品太夫人」に封ず。但し、秦皇の松を封することを知りて、柏を封することを知らざるなり。』≪と≫。
[やぶちゃん注:良安の種同定は、かなり錯雑している。例によって、李時珍の「本草綱目」の言う、当時の中国で「柏」「栢」とする種と、本邦の良安が「柏」・「かえ」・「かへ」と呼ぶ種とは、どうも違いがあることが、この錯綜を生じさせている。東洋文庫訳では、「本草綱目」の引用の「柏」に本文内訳注で、『(ヒノキ科コノデガツワ、またはシダレイトスギ)』とする。これは、
球果植物門種子植物亜門裸子植物上綱マツ綱マツ亜綱マツ目ヒノキ科ヒノキ亜科コノテガシワ属コノテガシワ Platycladus orientalis (中国北部原産と考えられているが、本邦にも古くから植栽されている)
ヒノキ亜科イトスギ属シダレイトスギ Cupressus funebris (中国揚子江沿岸に分布。本邦にも植栽されているが、かなりレアらしい)
である。時珍の実の形状の記述は、孰れとも一致する。
しかし、本邦で現在、「柏」と言うと、全く異なった、「柏餅」でお馴染みの、
双子葉植物綱ブナ目ブナ科コナラ属コナラ亜属 Mesobalanus 節カシワ Quercus dentata
である。しかし、良安は、この「柏」について、『梂(ちゝり)は「五倍子(ふし)」のごとく、淺綠色。冬、四つに裂(さ)け、中に、數子《すうし》、有り。之(こ)れを、種(ま)いて、生(は)へ易し。蓋し、本朝、則ち、柏、少な』いとある。この「梂(ちゝり)」は頗る不審で、「梂」は通常、「いが」と読み、「毬」のことを指し、栗のイガを意味するのだが、一方、ルビの「ちちり」は松毬(球果・まつかさ・松ぼっくり)を指す語である。以下の実の形状や、本邦には植生するものが少ないというのは、カシワとは異なる種であることは論を俟たない。
これらの不審・疑問を明らかにしてくれるのは、長岡美佐氏の論文『「柏(ハク)」と「カシハ」にみる中日文化』に若くはない。そこで、長岡氏は逐一、中国の「柏」と本邦の「柏」(今までの本「和漢三才図会」に限らず、江戸以前の本邦の本草書は殆んど「本草綱目」をバイブルとしてしまっている)について近代まで例証を掲げられて、最終的に、本邦の『本草書や古典研究者たちは「柏」の和名は「加閉〈かへ〉」であるとし、「側柏」はコノテカシハ、「扁柏」はヒノキとする説がほとんどである。また、現在の植物学者の説によれば、Juniperu(ビャクシン属)とThuja(コノテガシハ属・ネズコ属)が「柏」の主なものとして挙げられそうである』と述べておられる。ここで長岡氏が比定されたものは、
裸子植物門マツ亜門マツ綱マツ亜綱ヒノキ目ヒノキ科ビャクシン属 Juniperus
で、「Thuja(コノテガシハ属・ネズコ属)」とは先に示した、
コノテガシワ属 Platycladus のシノニム
である。しかし、では、良安が想起している「柏・かえ・かへ」の正体は、長岡氏の指摘されるビャクシン(柏槇)属なのか、コノテガシワ(児手柏)属なのかが、気になる。実は、コノテガシワは、添えられた挿絵を見るに、大木になると、幹がそれらしくはなるが、強いひねこびた幹を形成するのは、建長寺で見た
ビャクシン属(ネズミサシ属) Juniperus 節イブキ変種イブキ Juniperus chinensis var. chinensis
によく似ているのである(同種は大木になると、幹が、しばしば、ねじれ、樹皮が、バリバリと言った感じで、縦に、細長く、破れ、剝がれる。されば、自身を破り棄てて、成長するところが、禅宗に大いに好まれたのである)。されば、個人的には同定比定としてはビャクシン属を推したいのである。
「掬」東洋文庫では、「椈」としている。他の活字本を見たが、やはり「掬」であるが、この漢字では「手ですくいとる」の意以外にはなく、東洋文庫のそれが正しい。「椈」は「かしわ」・「このてがしわ」或いは「ぶな」を指すからである。というより、「本草綱目」「卷三十四」の「木之一【香木類三十五種 内附六種】」の巻頭を飾る「栢」の「釋名」に「椈」とあるからである(「漢籍リポジトリ」のここ)。なお、そこ以下の標題下部の異名はとんでもない別種ばかりが載るので、注をする気にならない。
『「本綱」に、松柏は、以つて、「百木の長」と爲す。……』前のリンク先を見られたいが(影印本画像もある)、「柏」の「集解」の終りの辺りと、その前にある「釋名」を、呆れるほど、グチャグチャに貼り交ぜしたトンデモ引用であることが判る。されば、引用符は附さない。向後もそうする。
「其の葉、側(かたはら)に向ひて、生ず」東洋文庫の訳では、『その葉は(広げた掌を向きあわせた格好で)側(そばだ)って生えている』とある。明快な訳である。
「側柏」中文ウィキの「コノテガシワ」相当を見られたい。「侧柏」とある。
「細瑣」小さく細やかであること。
「梂(ちゝり)」既注。
「乾州」陝西省咸陽市乾(けん)県(グーグル・マップ・データ)。
「柏子、氣味、豊美にして、可なり」ウィキの「コノテガシワ」によれば、『側柏仁(柏子仁)は、球果を採取して種子を取り出し、これを日干しして乾燥したものである』。『成分としては、脂肪油を含む』。『滋養強壮、鎮静作用があり、動悸、不眠、盗汗、便秘などに用いる』。『軽く鍋で炒ってミキサー等で粉末にしたものを』一『日量』三~十二『グラム』を三『回に分けて水や紅茶などに混ぜて飲む』。『また、不安やストレスによる不眠症や便秘に』、一『日量』二~三『グラムを』四百『ミリリットルの水で煎じて』三『回に分服してもよいが、下痢をしやすい人への服用は禁忌とされる』とあった。但し、同中文ウィキには、古代には、実ではなく、葉が救荒食物となった話が載り(『柏叶』の項)――東晋の葛洪の著名な仙道書「抱朴子」の記載によれば、秦王朝末期、各地で戦争が勃発し、空腹から逃げた逸話の記録の中に、松と柏の葉を食べることを教えた老人に会い、食べてみると、始めは苦かったが、時が経つうちに美味となり、冬も寒くなく、夏もつらくなくなり、体が丈夫になった――といった内容が書かれてあった。
「花柏葉」不詳。
「叢柏葉」「叢柏」は漢方生薬名で、ヒノキ科コノテガシワ属コノテガシワの葉及び枝が基原材で、鼻出血・喀血・吐血・血尿・血便・不正性器出血・円形脱毛症・若白髪・おりもの・空咳・百日咳などに効果があると漢方薬サイトにあった。この適応症は、後に出る「側柏仁(そくはくにん)」が「吐・衂・痢、及び赤・白崩血を治す」とあるのと、見事に一致する。しかし、「二種は藥に入れず」とあるのは不審である。確かに「漢籍リポジトリ」の「集解」中に記されてはあるのだが。
「柏子仁(そくはくにん)」「ウチダ和漢薬」公式サイトの「生薬の玉手箱 No.329」の「柏子仁(ハクシジン・ハクシニン)」に神農子氏の記載で、
《引用開始》
基源:ヒノキ科(Cupressaceae)のコノテガシワ Platycladus orientalis Franco (= Thuja orientalis L., Biota orientalis Endl.) の種仁。
ヒノキ科の植物にコノテガシワという常緑樹があります。『牧野日本植物図鑑』には和名について、「児ノ手ガシワで、枝が直立している有様が手のひらを立てているようだから」と説明されています。実際、この植物は平面状に広がった枝を垂直方向に広げて成長し、よって枝葉の面には表裏(上下)の区別がありません。一方、近縁で良く似たヒノキは枝葉の面には明確な表裏の区別があります。コノテガシワは中国北部や朝鮮半島が原産地とされ、日本へは江戸時代に導入されました。園芸とともに薬用目的もあったと考えられます。種子の胚乳部分が「柏子仁」、枝葉が「側柏葉」(そくはくよう)と称されて、それぞれ薬用にされます。
柏子仁は『神農本草経』に「柏実」の名称で収載され「驚悸を主治し、気を益し、風湿を除き、五臓を安んず。久しく服すれば人をして潤沢ならしめ、色を美しくし、耳目を聡明ならしめ、飢えず、老いず、身を軽くし、天年を延べる」と記載されています。また明代の『本草綱目』には「心気を養い、腎燥を潤し、魂を安んじ、魄(魂が精神活動であるのに対し、魄は肉体活動)を定め、智を益し、神を寧くする。瀝を焼いたものは頭髪を澤(つややか)にし、疥癬を治す」とあり、さらに『列仙伝』を引用して「赤松子(人名)は柏実を食い、歯が落ちて更に生え、歩行しては奔馬におよんだ」とあります。柏子仁は古来、とくに高齢者の滋養強壮薬であったことがわかります。
原植物について、『図経本草』には「三月に花を開き、九月に子を結ぶ。成熟したものを採取して蒸し曝し、春儡(そうらい:石臼でたたく)して仁を取って用いる。その葉は側柏と名付け、密州(現在の山東省)に産するものが最も佳し。他の柏と相類するものではあるが、その葉はみな側向して生えるもので、功効は他に別して殊にすぐれている」と記載されています。また、『本草綱目』にも「柏には数種あるが、薬にいれるにはただ葉が扁にして側生するもののみを取る。故に側柏という」とあります。このような植物の特徴はまさにコノテガシワと一致しています。
コノテガシワは前述のようにヒノキに近縁な常緑の低木または小高木です。枝が垂直方向に分枝し平面に広がることが特徴です。葉は長さ2mm程度の鱗片状で、小枝を包むように十字対生で付着しています。雌雄同株で3月頃に開花します。雌花序は小枝の先に単生し、卵円形の毬果に成長します。毬果は径約1.5 cm、粉白緑色の革質からやがて茶色い木質になります。6〜8枚の鱗片が十字対生し、下部の対には種子が各2個、中部の対には種子が各1個入っています。
生薬の柏子仁を得るには、初冬に成熟した種子を採集し日干します。その後、種皮を圧し砕いてふるいにかけ、種仁すなわち胚乳部分のみにして陰干します。種仁は長だ円形で長さ3〜7 mm、直径1.5〜3 mmで、新鮮なものは淡黄色から黄白色です。粒が飽満で油性があり、夾雑物がないものが良品とされます。
柏子仁は一般的な漢方処方には配合されませんが、『本草綱目』には「奇効方」という処方が掲載され、「柏子仁、二斤を末にし、酒に浸して膏にし、棗肉三斤、白蜜、白朮末、地黄末、各一斤を擣き混ぜて弾子大の丸にする。一日三回、一丸ずつを噛んで服すると百日にして百病が癒える。久しく服すれば天年を延べ、神を壮にする」と記されています。また、同じく明代の『体仁彙編』に収載される「柏子仁養心丸」は、柏子仁、枸杞子、麦門冬、酒当帰、石菖蒲、茯神、玄参、熟地黄、甘草が配合され、労欲過度、心血の損失、精神の恍惚、夜に怪夢を多く見る、ノイローゼ、ヒステリー、健忘遺泄などの治療に用いられ、常服すれば心を寧んじ、志を定め、腎を補い、陰を滋すとされています。
コノテガシワは現在、庭木として各地に植えられています。日本産の柏子仁は利用されていませんが、資源は少なからずあるように思います。柏子仁の優れた薬効を知るとコノテガシワを見る目も変わってきます。
《引用終了》
とあった。
「側柏葉(そくはくえふ)」サイト「東邦大学薬学部付属薬用植物園」の「コノテガシワ」に、『生薬名』は『側柏葉(ソクハクヨウ)、柏子仁(ハクシニン)』で、『利用部位』は『葉、種子』とし、『利用法』に『種子は秋、葉は必要時に採集し日干しにして使用。滋養強壮、鎮静に柏子仁1日量6~9gを煎じて服用する』とあり、『効能』として、『収れん、止血、鎮痛、滋養強壮、鎮静、消炎』とする。その『成分』は『α-ピネン、ツヨン、フェンコン、セスキテルペンアルコール、カリオフィレン、ユニペリン酸、サビニン酸、ペンタトリアコンタン、ヒノキフラボン、脂肪』とあった。
「吐」吐血。
「衂」鼻血。
「痢」下痢。
「赤」赤帯下(しゃくたいげ)。子宮から血の混じった「おりもの」(帯下(こしけ/たいげ)。膣から出た粘性の液体で、色は透明か乳白色、或いはやや黄色みを帯びている)が長期間に亙って出る症状を指す。
「白崩」「こしけ」の血を含んだ異常出血を指す。
「月建」東洋文庫の後注に、『初昏(日が暮れたのちの薄明のころ)に北斗七星のひしやくの柄の先端の指す方位に陽建の神が存在するといい、これを月建という。この方位は月によって異なる』とあった。
「月令」月々に行なわれる政事や儀式などを記録したもの。特に、「礼記」(りき)の「月令篇」を「がつりょう」と読むところから、それをさすことが多い。ここも、それ。
「補陰」「潤いを与えること」を漢方や薬膳で、かく言う。「陰液」(身体を潤わす血・水のこと)を補うという意。
「脾土」漢方で言う脾臓のこと。但し、現代医学の脾臓とは異なる。
「牡蛎」カキ目Ostreoida若しくはカキ上科 Ostreoideaに属するカキ類の総称。或いは、斧足綱翼形亜綱カキ目イタボガキ亜目カキ上科イタボガキ科Ostreidaeとイタボガキ亜目カキ上科イシガキ科ベッコウガキ科 Gryphaeidaeに属する種の総称。お馴染みのマガキはイタボガキ科マガキ亜科マガキ属マガキ Crassostrea gigas である。
「使」東洋文庫の後注に、『体内に入った主薬を疾病の場所まで運んだり、復数の調剤を和合させたり、主薬の効力をたかめるために川いる。引薬ともいう』とある。
「惡《い》めども」「忌めども」に同じ。
「麝獸、柏を食して、體、香し」私の「和漢三才圖會卷第三十八 獸類 麝(じやかう) (ジャコウジカ)」の私の遠大な注を参照されたい。実は、そこで「栢〔(はく)〕」について、先に紹介した内容を記載してあるのである。
「新六帖」鎌倉中期に成った類題和歌集「新撰六帖題和歌集」(全六巻)。藤原家良・藤原為家(定家の次男)・藤原知家・藤原信実・藤原光俊の五人が、仁治四・寛元(一二四三)年頃から翌年頃にかけて詠んだ和歌二千六百三十五首が収められてある。奇矯・特異な歌風を特徴とする(ここは東洋文庫版書名注に拠った)。当該和歌集は所持しないので校訂不能だが、日文研の「和歌データベース」(全ひらがな濁点なし)で同歌集を確認したところ、「第六:木」に以下で載る。
*
ちはやふるみむろのやまのかへのきの
はかへぬいろはきみかためかも
*
「耑(はし)」「端」に同じ。
「𬽈(す)ぐ」「直」の異体字。
「五倍子(ふし)」白膠木(ぬるで:ムクロジ目ウルシ科ヌルデ属ヌルデ変種ヌルデ Rhus javanica var. chinensis の虫癭(ちゅうえい)。当該ウィキに、『葉にできた虫えいを五倍子(ごばいし/ふし)という。お歯黒の材料にしたり、材は細工物や護摩を焚くのに使われる』とある。グーグル画像検索「ヌルデの虫癭」をリンクしておく。
『「和名抄」に云はく、『槲一名柏【加之波】』」「卷二十草木部第三十二」の「木類第二百四十八」に、
*
柏(かへ) 「兼名苑」に云はく、『柏、一名は椈。』【「百」・「菊」の二音。和名「加閉」。】
*
とある。国立国会図書館デジタルコレクションの寛文七(一六六七)年板本の当該部を視認して訓読した。朱筆で急蔵者による以下の書き込みがある。一つは標題「柏」に「栢イニ」(「イニ」は意味不詳。「異」本「に」か)。上罫の外に、
*
谷川氏云今カヘト名クル物ナシ松柏トナラベ称スルニヨレバ今ノ世ニ則柏(コノデカシハ)扁柏(ヒノキ) 圓柏(イフキ)混柏(ビヤクシン)仙柏(イヌマキ)ノ類スベテカヘト云ナルベシ
*
『按ずるに、恐らくは、此れ、「枹」の字なり』東洋文庫の後注に、『柏は「かえ」または「このてがしわ」であって「かしわ」ではないという意。ちなみに現在の分類でいえば「かえ、このてがしわ」はヒノキ科の裸子植物で、「かしわ」はブナ科の被子植物。槲も「かしわ」と同じでブナ科。良安は槲を「くぬぎ」と訓(よ)んでいるが、現在は「かしわ」とするのが通例で、『本草綱目』によれば槲に二種あり、一種が枹、一種が大葉櫟とある。これによれば槲は「かしわ」と訓んでもよく「くぬぎ」と訓んでもよいことになろうか』とある。
『「枹(かしは)」は「檞(くぬぎ)」の屬。「山果」の部を見よ』後の「卷第八十七」の「枹(かしは)」。国立国会図書館デジタルコレクションの「和漢三才圖會 下之卷」(中近堂版・明治期に出版された活字本。訓点附き)の当該部の画像をリンクさせておく。
「五雜組」「五雜俎」とも表記する。明の謝肇淛(しゃちょうせい)が撰した歴史考証を含む随筆。全十六巻(天部二巻・地部二巻・人部四巻・物部四巻・事部四巻)。書名は元は古い楽府(がふ)題で、それに「各種の彩(いろどり)を以って布を織る」という自在な対象と考証の比喩の意を掛けた。主たる部分は筆者の読書の心得であるが、国事や歴史の考証も多く含む。一六一六年に刻本されたが、本文で、遼東の女真が、後日、明の災いになるであろう、という見解を記していたため、清代になって中国では閲覧が禁じられてしまい、中華民国になってやっと復刻されて一般に読まれるようになるという数奇な経緯を持つ。以上は「卷十」の「物部二」の一節。「維基文庫」の電子化されたここにあるものを参考に示しておく。
*
嵩山嵩陽觀有古柏一株、五人聯手抱之、圍始合、下一石刻、曰「漢武帝封大將軍。」人但知秦皇之封松、而不知漢武之封柏也。又唐武后亦封柏五品大夫。
*
「嵩山」洛陽の東南東、現在の中国河南省登封市にある山(グーグル・マップ・データ)。
「嵩陽觀」道教の寺院と推定される。
「秦皇の松を封することを知りて、柏を封することを知らざるなり」東洋文庫の後注に、『始皇帝が泰山に登ったとき、暴風雨に遇い、さいわいに松樹の下で雨宿りできた。そこで松を賞して五大夫に任じ、封地を与えたという故事(『史記』秦始白九本紀)』とあった。]
« 柴田宵曲「古句を觀る」正規表現版電子化注 / 「夏」(14) | トップページ | 「和漢三才圖會」植物部 卷第八十二 木部 香木類 樅 »