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2024/04/28

柴田宵曲「古句を觀る」正規表現版電子化注 / 「夏」(15)

 

   たゝかれて沈む螢や麻の雨 其 風

 

 麻の葉にゐる螢が雨に打たれて、茂みの中に沈む趣である。この螢は無論複數であらう。雨勢の相當强い樣子もわかるし、麻の葉を打つ爽な音も連想に浮ぶ。「麻の雨」の五字で全體を纏めた句法も、なかなか働いてゐるやうに思ふ。

 畫のやうな景色といふところであるが、畫では却つてかういふ趣は現しにくいかも知れない。生趣に富んだ句である。

[やぶちゃん注:「生趣」「せいしゆ(せいしゅ)」或いは「きしゆ(きしゅ)」と読むのか? こんな日本語の熟語は私は知らぬ。中国語で「人生・生活の喜び」の意であるから、「生き生きとした、アップ・トゥ・デイトな面白さ」ということか。『柴田宵曲 妖異博物館 「赤氣」』でも使っているから、宵曲の好きな語であるようだが、「生趣」ならぬ「生硬」な語で、私には却っていやらしい感じがする。]

 

   霓立や影と輪になる夏の海 柳 絲

 

 昔の句では虹が季になつてゐない。西鶴の書いたものに冬の虹が出て來るのを、ちよつと妙に思つたが、その後氣をつけて見ると、俳句にも冬の風物に虹を配したのがいくつもある。虹は夕立のあとにばかり出るわけではないのだから、夏に限定する方が却つて捉はれてゐるのかも知れぬ。

 この句の虹は夏の虹である。鮮に立つた雨後の虹が海面に影を落して、大きな圓を描く。「影と輪になる」といふ言葉は、極めて大まかな言葉のやうだけれども、これ以上適切に現し得る言葉があるかどうか疑問である。昔の虹の句としては特色あるものたるを失はぬであらう。

 

   よむほどやほしに數なき夕涼 風 吟

 

 子規居士は「星」といふ文章の中で、「一番星といへば星の下に子供一人立つてゐるやうに感ぜらる」と云つた。「一番星見つけた」といふのは、吾々も子供の時に屢〻耳にした言葉であつた。一つ見つけ、二つ見つけするうちに、眼界の星はいくらでも殖えて來る。「數なき」といふと、數が澤山ないやうにも聞えるが、こゝは無數の意であらう。「眞砂まさごなす數なき星のその中に吾に向ひて光る星あり」といふ子規居士の歌の「數なき」と同じことである。

「涼み臺又はじまつた星の論」と云ふ。夏の夕方、涼臺に屯たむろする人たちの注意が自ら天に向ふのは、蓋し自然の成行である。

 

   夕すゞみ星の名をとふ童かな    一德

 

といふのもやはり元祿の句であるが、天を仰いで闌干たる星斗に對する間には、天文に關する知識も働けば、宇宙に對する畏怖も生ずる。或は吾々人間は大昔から夏の夕每に、かういふ經驗を繰返して來たのかも知れない。

[やぶちゃん注:国立国会図書館デジタルコレクションの『子規全集』第九巻(昭和四(一九二九)年改造社刊)のここで視認出来た。明治三二(一八九九)年十月初出である。内容が面白いので、以下に電子化しておく。一部に脱字があったが、他の資料で補塡した。

   *

〇ある天文學者に星の數を尋けるに三十三萬三千三百三十三を三十三萬三千三百三十三遍言ふた程ありと答へける。其外に星一つ見出ださんと空仰向いて步行きける天文學者どぶの中に落ちて茶屋の婆樣に叱られぬ。其婆樣は老人星となりしが天文學者は土になりけるとぞ』孔明死して將星落ち、西鄕死して西鄕星となる。李白死して酒星の株を讓り受けたれど大福星の名未だ詩に上らず。詩人に下戶無きにやあらん。下戶に詩人無きにやあらん。糠星といはるゝこそ、甲斐なき星の宿世なりけれ。たまたまに飛べば夜這星と名に立てられて、隕ちて石となりけるも戀の果にあらざるぞはかなき』金星といへば遊星軌道の圖を見る如く、明星といへば山の上に輝ぎ、太白といへば海の上低く垂れ、夕づゝといへば木の間にちらつき、一番星といへば星の下に子供一人立つて居るやうに感ぜらる』昔から今迄、棚機の浮名は三面記事の材料となりて、天の川水絕ゆる事なき長き契は鵲の羽の蹈み心地も面白からずと鐵橋をかけゝる。これならば大風大雨いつかな構ふ事にあらず、雨夜のむつ言身に入みて、一入なるべしと待ちし甲斐もなや去年の大水に橋桁殘さず流れける、こゝも浮世なりけり。されば急場の間に合せに又鵲のもとへ使やりけるに、二度の務めは御免蒙ると見事はねつけられ、今はせん方なしと鐵橋再架の建議に及びける。諸の星だち星集ひに集ひ、北極星を議長として星議り[やぶちゃん注:「はかり」。]に議りしに天のじやくといふ星大反對を構へ北斗七星劍を拔いて立つといふ騷ぎに議會は解散せられて鐵橋再架案も成り立たず。それをくやしがりて二星一計を案じ出で、今年天の川原に夜凉の床を設け、織女自ら酌女となりて取りもちけるに、此噂遠近に聞えて集まり來る者數を知らず。天の釣橋中絕えてチツヽンといふ歌流行りて、此遊びに身代を潰す星ども夜に紛れて飛んでしまひしも多かりしとぞ。此企大當りにて一夏の收入一千萬圓、鐵橋再架今は七分通出來上りたる天上の戀めでたし』今年十一月箒星と地球と衝突する由外國の事迄は構はれずとも日本だけ助かる工夫は無きやと心配氣にいへば、ある人髯を撫でて、それは安き事なり、日本といはず世界中の大砲に丸をこめて箒星の近づくや否や一時に打つてかからんには、いかな箒星も地球と衝突せざる前に粉な微塵になつて飛び失せなん。これがために世界中の彈丸硝藥一時に盡きて少くも十年が間はいくさの起る氣遣も無く天下太平我々枕を高うして寐るべしと星を指したやうに言ひける。

   *]

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