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2024/04/30

柴田宵曲「古句を觀る」正規表現版電子化注 / 「夏」(18)

 

   松笠の火は消やすき涼みかな 萬 風

 

 そこらに落ちてゐる松毬[やぶちゃん注:「まつかさ」。]を集めて火をつける。一時よく燃えさうに見えるが、ぢき消えてしまふ。その消え易いところを面白がつてゐるやうにも見える。涼み人の手すさびを詠んだので、キヤンプの人などにはかういふ經驗があるに相違ない。

 土芳が芭蕉を泊めた時の句に「おもしろう松笠もえよ薄月夜」といふのがあつた。同じ物を焚くにしても、材料が松毬となると、一種の雅致を生じ、必要以上の興味がある。町中の涼みでは到底こんな趣を味ふことは出來ない。

[やぶちゃん注:土芳の句は「猿蓑」(元禄四(一六九一)年刊)に、

   *

  翁を茅舍に宿して

おもしろう松笠もえよ薄月夜

   *

と載るもの。彼が自身の隠棲の伊賀の開いたばかり(三月四日)の些中庵(さちゅうあん)に、「笈の小文」の旅の序でに、帰郷した芭蕉を、招いた際の挨拶句である。貞享五(一六八八)三月十一日のことで、初案は、

   *

 おもしろう松笠燃えよおぼろ月

   *

で「春」(「おぼろ月」(の句であったが、「猿蓑」入集に際して「秋」(「薄月夜」)に転じたものである。この時、この庵に泊まった芭蕉は、この句を受けて、

   *

 蓑蟲の音を聞(きき)にこよくさのいほ

   *

と詠んだ(後に「栞集」に収録した際に『くさの戶ぼそに住(すみ)わびて、あき風のかなしげなるゆふぐれ、友達のかたへいひつかはし侍る』という前書を附している)。なお、この句を受けて、土芳が、蕉翁に許しを得て、庵の名を「蓑虫庵」と改名したともされる。]

 

   白雨や赤子泣出す離れ家 野 角

 

 夕立の降つてゐる中の離れ家で赤ン坊が泣いてゐる、といふだけのことであるが、もう少し補つて云へば、夕立の爲におびえたとも取れるし、夕立が俄に降つて來た爲、母親が赤ン坊を置いて立上つた、それで泣出したとも解せられる。

「離れ家」は離亭でなしに、ぽつんと一軒離れて建つてゐる家の意であらう。「闇の夜や子供泣出す螢舟」といふ凡兆の句を思ひ出す。

[やぶちゃん注:「白雨」「ゆふだち」。凡兆の句は、やはり「猿蓑」に載るもので、

   *

  「瀨田の螢見二句」トアル內

 闇の夜や小共泣出す螢ぶね

   *

と載る。所持する岩波文庫「芭蕉名句選(下)」(堀切実編注・一九八九年刊)の堀切氏の解説によれば、芭蕉が、『元禄三年六月に幻住庵から出て、一時、凡兆宅にあったころのことか』とある。なお、「猿蓑」には、芭蕉の、

   *

 ほたる見や船頭酔(ゑふ)ておぼつかな

   *

の句を、凡兆の句の後に並べて載せている。]

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