譚 海 卷之十三 柹の樹の事 はこべ鹽製しやうの事 竹の實の事 ひつじ稻の事
○柿の樹は、植(うゑ)かふれば、大方、枯(かる)る也。冬葉の落盡したるを待(まち)て、木を栽(うう)る者に、よくはかりて、移し植(うう)べし。
○「はこべ鹽」を、こしらゆるには、はこべの靑きまゝを、ほうろくにて、ねり付(つけ)れば、水、出(いで)て、しぶる。猶々、ねり付れば、終(つひ)に、水、盡(つき)て、出(いづる)事、なし。其時、鹽をまぜて、いり上(あげ)て、收むべし。
[やぶちゃん注:「はこべ鹽」ナデシコ目ナデシコ科ハコベ属Stellariaの内、食用となる、一般に「ハコベ」(繁縷・蘩蔞)と呼ばれるコハコベ Stellaria media ・ミドリハコベ Stellaria neglecta ・ウシハコベ Stellaria aquatica などの葉を混ぜた「変わり塩」のこと。とある北関東の山深い宿で使ったことがある。ほろ苦い野趣に富んだものである。]
○「竹の實は、飢饉に團子になして、くふべし。」と、いへり。
[やぶちゃん注:私は富山に一時移転する直前の一九六九年の晩秋に、今の家の直近の崖で花と実を見たのをよく覚えている。その同じ場所で、数年前に、やはり見かけた。俗説では竹の開花は六十年・百二十年に一度と言われ(実際には種によって異なるものの、数十年に一度である)、開花後に実をつけるものの、枯れてしまうことが知られており、殆んど実をつけない種もある。このように開花後に一斉に枯死することから、竹の開花は「不吉の前兆」と民俗社会では言われてきている(最初に見た時、母が一緒でやはりそう呟いたのも、一緒に記憶に刻まれてある。今考えに、そこには、北の見知らぬ国への移住の不安が母に過ったのであろうと思う。父は、一年早く、単身赴任していた)。無論、科学的根拠は全くない。サイト「笹Japon」の「笹の実の味」が詳しいので、そちらを見られたい。]
○「ひつじ稻(いね)」の、ほに出(いで)たるみを收(をさめ)て、細末に、なし、砂糖に和し、「こがし」のごとくに用ゆ。
「腹瀉(はらくだり)の薬也。」
と、いへり。
[やぶちゃん注:「ひつじ稻」ウィキの「稲孫」によれば、『稲孫、穭(ひつじ・ひつち・ひづち)は、稲刈りをした後の株に再生した稲。いわば、稲の蘖(ひこばえ)である。学術的には「再生イネ」とい』い、『一般には二番穂とも呼ばれる。穭稲(ひつじいね)・穭生(ひつじばえ)ともいい、稲刈りのあと穭が茂った田を穭田(ひつじだ)という。俳句においては秋の季語である』。『現代の日本においては、稲刈りはせず』、『田に鋤きこまれ、わずかに家畜に利用されることがあるにすぎない』。『しかし、佐々木高明によれば、ヒコバエが中身を入れた状態で結実する久米島、奄美大島等で、旧暦の』十二『月に播種、』一『月に移植(田植え)し』、六~七『月に通常の収穫をしたまま家畜に踏ませ』、八~九『月にマタバエ、ヒッツ、ヒツジと呼ばれる稲孫の収穫をする農耕文化が』昭和二〇(一九四五)『年まで行われていた』。『また』、『佐々木の調査によれば、与那国島で同様の農耕が』一九八一『年まで行われていたという』。『佐々木は』「日本書紀」に、現在の『種子島で、稲を「一度植え、両収」するという記事をヒツジ育成栽培の証拠としている』。十五『世紀に沖縄諸島へ漂着した朝鮮人の文献に、このような農耕を行う旨があることから、その当時から行われていたらしい』とあった。]
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