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2024/04/02

柴田宵曲「古句を觀る」正規表現版電子化注 / 「春」(6)

 

   一雨に椿落ち來ん藪の水 莊 人

 

 藪の中に累々たる花をつけた椿がある。今一雨來たならば、あの花がぽたぽた落ちるであらう、といつたのである。「藪の水」といふのは、藪の中に溜つてゐる水であるか、藪の根をめぐる流であるかわからぬが、後者と解した方が景色としても面白いし、「落ち來ん」といふ言葉から考へても、單に藪中の溜り水に落ちるだけでなく、落ちて流れるといふ動きがあつた方がよさそうに思ふ。

 櫻などに配した雨は、多くは花のうつろふことを惜しむ意に用ゐられるが、この「一雨」は、それによつて椿の花の落ちることに、或風情を認めてゐるのである。「一雨」は將來の假定と解さないでも、「この一雨」の意味として、現在降りつゝある場合でも差支無い。――この句を讀むと、田舍の藪などに累々と花をつけた、比較的大樹の椿が想像される。この花もやはり紅と見たい。

 

   雉子鳴や川の向ひの小松原 楚 舟

 

 大きな川ではあるまい。その向側が小松原になつてゐて、そこからケンケーンといふ雉子の聲が聞えて來る。雄子の聲は銳いから、かなり遠きに及ぶものであらうが、この句の場合は、さう多く距離を必要とせぬやうに思はれる。

 雉子の聲が過去において相當人に親しいものだつたらしいことは、前に述べた。[やぶちゃん注:これは『「春」(1)』の蓑立の「雉子啼や茶屋より見ゆる萱の中」を参照されたい。]

 

   塀越に庭の深さや雄子の聲   笑 醉

 

といふに至つては、山野を離れて庭園に入込んでゐる。何人の住居であるか知らぬが、塀越に深々とした庭があつて、そこから雉子の聲が聞えて來るのである。春日の閑なる趣は、ありふれた小鳥の嚇よりも、雞の鳴聲よりも、かえつてこの雉子の聲において深められたかの感がある。

 如何に昔の世の中にしても、庭に雄子が來て啼くのは野趣橫溢に過ぎる、といふ說が起るかも知れぬ。しかしこの句の雉子は、場合によつては野生のそれでなしに、庭籠に飼つたものと見ても差支無い。西鶴が『五人女』の中で「廣間をすぎて緣より梯のはるかに熊笹むらむらとして其奧に庭籠ありてはつがん唐鳩金鷄さまさまの聲なして」と書ゐたやうな庭籠が、大きな屋敷などにはあつたらしいからである。

[やぶちゃん注:「西鶴が『五人女』の中で「廣間をすぎて……』「好色五人女」の「卷五」の「もろきは命(いのち)の鳥さし」の一節。国立国会図書館デジタルコレクションの『西鶴文集』下(一九一三年有朋堂文庫刊)のここで正規表現で視認出来る。右ページの後ろから六行目が当該部。]

 

   春雨や燈花(テウギガシラ)のくらみ立 汶 江

 

 電燈萬能の世の中になつてしまつては、丁子々々吉丁子などといふ、昔人の緣起がわからなくなるのもやむをえない。丁子などといふと、吾々の連想はとかく神棚の御燈明に行きがちであるが、かういふ油火が一般の燈火であつたことに留意しなければならぬ。

 春雨のしとしと降る夜、座邊の燈火に丁子が立つて、俄に暗くなつた、といふだけのことである。作者はむやみに擔いでゐるわけではないが、丁子の吉兆たることは十分意識した上の句であらう。

 丁子のことは夙に漢時代にあつた迷信で、『西京雜記』に「火華則拜之」とあるのがそれだと、三村竹淸氏の書かれたものにあつた。由つて來ること遠しといふべきである。電燈の世界にも停電、漏電その他いろいろの現象があるが、こういふ迷信の種にはなりさうもない。丁子頭によつて暗くなる燈火は、慥に春雨と調和を得てゐる。

[やぶちゃん注:「西京雜記」(せいけいざっき)当該ウィキによれば、『前漢の出来事に関する逸話を集めた書物。著者は晋の葛洪ともされるが、明らかでない。その内容の多くは史実とは考えにくく、小説と呼んだほうが近い』。『「西京」とは前漢の首都であった長安のことで、前漢に関する逸話・逸事が集められている』とある。「中國哲學書電子化計劃」のこちらで当該話の影印本画像が視認出来る。]

 

   かりそめにはえて桃さく畠かな 心 流

 

 若木の桃であらう。種を蒔ゐたのでもなければ、苗を植ゑたのでもない。畠の隅に桃の木が生えたのを打棄つて置いたら、いつの間にか花が咲くやうになつた。「桃栗三年柹八年」といふ。種のこぼれからでも生えたらしい桃の木が花をつけるまでには、さう多くの年月を要せぬのである。

 別にいゝ句でもないが、何となくのんびりしてゐる。かういふ技巧の無い、大まかな句を作ることは、近代人にはむずかしいかも知れない。

 

   大竹をからげて靑しもゝの花 桐 之

 

 太い竹を繩か何かでからげる、その竹が眞靑な色をしてゐる。場所はどんなところであつても差支無い。眞靑な竹の色と、桃の花の色との配合が、この句の眼目である。

 かういふ句法で、「……靑し」から「桃の花」へかかる場合と、かからぬ場合とがある。この句は上十二字が竹の敍述で、「靑し」で言葉が切れるのみならず、意味もはつきり切れる。桃の紅はその背景を彩るに過ぎないが、慥に美しい一幅の圖をなしてゐる。

 

   はるもやゝ雞の蹴爪や牡丹の芽 磊 石

 

 見立の句である。「はるもやゝ」は芭蕉の「春もやゝけしきときのふ月と梅」などと同じく、「漸々」の意であらうと思ふ。單に「牡丹の芽は雞の蹴爪の如し」といつたのでは、さういふ思ひつきを述べたまでのものであるが、漸くに春がとゝのひ來るといふ背景の下にこれを置くと、見立以外に或感じを伴つて來る。「雞の蹴爪」も漫然たる思ひつきでなしに、春の感じを助けてゐることがわかる。俳句が季節の詩であることは、約束的に季題の力を借りる爲ばかりではない。季題以外のものを捉へ來つても、よく季節の感じを助けしむる點に注意すべきである。

[やぶちゃん注:「磊石」江戸時代中期の国学者加藤磯足(いそたり 延享五(一七四八)年~文化六(一八〇九)年)か。当該ウィキによれば、尾張国美濃路起宿本陣十一代目。本姓は藤原氏で、名は要次郎。通称は右衛門七、隠居後に寿作。俳号は磊石である。私の好きな久村曉台(くむらきょうたい)門の俳人である。早稲田大学図書館「古典総合データベース」のここに、彼が編した「類題發句集」(天明六(一七八六)年自序)がある。初めて、ウィキペディアに載る有名人の句が出た。]

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