「和漢三才圖會」植物部 卷第八十二 木部 香木類 柀
[やぶちゃん注:下方やや右寄りに右の巨木を指示していると思われる「高野槇」、その左上方の左下の背の低いものを指示していると思われる「狗槇」のキャプションがある。]
まゝき 眞柀【俗
末々木】
俗用槇字槇
槇【音顚】 者木頂也別
有臭柀故爲
之眞柀稱別之
△按槇以徧傍爲訓如柾樫之類俗字也此與臭柀材用
大似而樹葉逈異也信州木曾山中多有之葉畧似松
[やぶちゃん字注:「逈」は「遙」の異体字。実際の字(早稲田大学図書館「古典総合データベース」の単体画像)は異体字のリストにもない、「しんにょう」の上に入っている「向」の下方が開かずに閉じているものである。]
而刺扁大其材色白宻理最耐水作槽桶等勝於臭柀
打ちなひきさりくらし山のへの槇の梢のさき行くみれば
[やぶちゃん字注:以上の第一句の「打ちなひき」は「打ちなひく」が正しく、第三句の「山のへの」は「山き(ぎ)はに」が正しく、第四句「槇の梢」は「ひさきののすゑ」が正しい。訓読では修正した。しかし、その結果、この一首の引用は無効となる。後注参照。]
髙野槇 出於紀州髙野山人折小枝葉供佛前故未見
其大木
狗槇 葉扁大於槇不結子人家庭園栽之
*
まゝき 眞柀【俗、
「末々木《ままき》」。】
俗に「槇」の字を用ふ。
「槇(まき)」は「木の
槇【音、「顚」。】 頂(いただき)」なり。
別に「臭柀(くさまき)」
有る故に、之れを「眞柀」
と爲(な)す。之に別す。
△按ずるに、槇は、徧《へん》・傍(つくり)を以つて、訓を爲す。「柾(まさき)」◦「樫(かたき)」の類《るゐ》のごとし。俗字なり。此れと、「臭柀(くさまき)」と、材用、大いに似≪れども≫、樹・葉、逈(はる)かに異《い》なり。信州木曾の山中に、多く、之れ、有り。葉、畧(ちと)、松に似て、刺(はり)、扁(ひらた)く、大≪なり≫。其の材、色、白く、宻-理(きめ)、最も、水に耐ふ。槽(みづぶね)・桶《をけ》等に作る。「臭柀」に勝(まさ)れり。
打ちなびくさりくらし山ぎはにひさぎのすへのさき行くみれば
髙野槇 紀州髙野山より出だす。人、小さき枝葉を折りて、佛前に供(きやう)する。故(ゆゑ)、未だ、其の大木を見ず。
狗槇(いぬまき) 葉、扁《ひら》たく、槇(まき)より、大《だい》≪なり≫。子《み》を結ばず。人家≪の≫庭園、之れを栽《う》うる。
[やぶちゃん注:書き方に大いに不審があるが、これは、
裸子植物門マツ綱ヒノキ目コウヤマキ科コウヤマキ属コウヤマキ Sciadopitys verticillata
である。当該ウィキによれば、『現生種としては本種のみで』『コウヤマキ科』『コウヤマキ属』『を構成する。ホンマキともよばれる』。二『個の葉が合着したものと考えられている特殊な線状の葉が多数輪生状につく』(以下、写真が豊富にある)。『観賞用に世界各地で植栽されている。材は古くから利用されており、古墳時代の棺に広く用いられていた。その名が示すように高野山との関わりが深く、供花の代用とされる。コウヤマキ類は中生代から北半球に広く分布していたが、現在では日本固有種であるコウヤマキのみが生き残っている』。『常緑性の高木であり、大きなものは高さ』三十~四十『メートル』、『幹の直径』は一メートルにも及ぶ。『材は樹脂道、樹脂細胞など』、『木部柔細胞を欠』き、『放射仮道管』も欠いている。『樹皮は赤褐色から灰褐色、比較的深く縦裂し、縦長に剥がれる』。『アーバスキュラー菌根』(arbuscular mycorrhiza:AM:根に菌類が共生した構造である菌根の一型であり、維管束植物の八十%に存在し、根を欠くシダ植物の配偶体(前葉体)やコケ植物にも同様な構造が、しばしば見られる。共生者となる菌根菌(アーバスキュラー菌根菌:arbuscular mycorrhizal fungi,:AMF:AM菌)はグロムス類(グロムス菌門Glomeromycota)と呼ばれる菌群であり、植物の細胞内に侵入して栄養交換用の細かく分枝した樹枝状体(arbuscule)を形成する。この菌根は十九世紀中頃から認識されるようになり、二十世紀中頃には、この共生が植物に利益を与えるものであることが明らかとなった。アーバスキュラー菌根では、菌根菌が土壌中から吸収した水や無機栄養分、特にリンを植物に供給し、一方で、植物は光合成でつくられた有機物を菌根菌に供給している。菌根には、幾つかのタイプが知られているが、アーバスキュラー菌根は、進化的に最も初期に生まれた菌根であり、また、現在、最も普遍的に見られる菌根である。この菌根は、陸上生態系の殆んどの生産者に存在し、その土壌栄養分の効率的な利用に重要な役割を果たしているため、陸上生態系の炭素及び無機栄養分循環に大きな影響を与え、農業生産にも大きな影響を与えるため、アーバスキュラー菌根菌は微生物資材としても利用されている(以上はリンクの当該ウィキから引いた。以下もいくつかは同じ))を持つ。『長枝と短枝がある。ふつうの枝は長枝であり、互生、褐色で卵状三角形(長さ約』二『ミリメートル 』『)の鱗片葉が』螺旋『状につき、長枝の節に』、『多数の短枝が』、『輪生(鱗片葉に腋生)、短枝の先に大きな線状葉がつくため、長枝に多数』(十~四十五本)の『葉が輪生しているように見える』。『線状葉は長さ』六~十三『センチメートル』、『幅は』二~四ミリメートル、『先端は』、『くぼみ、表面は光沢がある濃緑色で』、『中軸が』、『ややくぼみ』、『裏面の中軸に』、『くぼんだ白色の気孔帯がある』。『葉はしなやかで触れても痛くない』。『葉の横断面では、くぼみをはさんで両側に維管束があるが、木部が裏側、師部が表側にある』。『この配置は一般的な葉における木部・師部の配置と逆であり、このことからコウヤマキの葉は』二『枚の葉が裏返しになって側面で合着したものであるとされることが多いが』、『葉ではなく』、『特殊化したシュート』(Shoot:茎と、その上にできる多数の葉からなる単位で、維管束植物の地上部をなす主要器官。「苗条」(びょうじょう)「芽条」「葉条」「枝条」とも呼ばれる)『とする考えもある』。『樹脂道は横断面で』六~八『個あり、裏側の表皮に接して存在する』。『気孔の副細胞は』八~十二個である。『雌雄同株で』『花期』は三~四月であり、『雄球花』『は楕円形で長さ』六~十二ミリメートルで、二十から三十『個が頭状に密集して長さ約』四センチメートルになり、『長枝に頂生する』雄蘂『(小胞子葉)は互生し』、二『個の』『葯室』『(花粉嚢、小胞子嚢、雄性胞子嚢)があり、花粉は無孔粒で球形、小刺状突起で覆われ、気嚢を欠く』。『雌球花』『は長枝の先端に』一、二『個が頂生、多数の鱗片からなり、各種片には』二個から九『個の倒生胚珠がある』。『球果は翌年の』十~十一月頃に『熟し、木化して褐色、円筒状楕円形で長さ』六~十二センチメートル、『直径』四~八センチメートル、『種鱗は扇形で長さ・幅は約』二・五センチメートル、『露出面は黒褐色、上縁は丸く外側にやや反り、苞鱗はその半長ほどで大部分が種鱗に合着している』。『種子は各種鱗の内側についており、橙褐色、卵形から楕円形、長さ約』十センチメートル。『両縁に狭い翼がある』。子葉は』二『枚』。『染色体数は 2n = 20』で、『葉緑体の accD 遺伝子は核に移っている』。コウヤマキは『日本固有種であり、本州(福島県北西部、中部地方以西)、四国、九州(宮崎県まで)に散在的に分布する』。『酸性土壌を好み、木曽川沿いの山地、紀伊半島の高野山や大台ケ原、四国の面河渓など中央構造線沿いの温帯から暖帯の標高』七百メートル『近辺の山地の岩場に多く、モミ、ツガ、クロベ、トガサワラ、ツクバネガシ、アラカシなどと混生する』。『暗い林床でも実生は生育できるが、土壌が露出したギャップ』(極相林の中に出来た森林の途切れた空間のこと)『を好む』。『韓国に分布するとの記述もあるが』。『これは栽培個体に由来すると考えられている』。『材は耐水性に優れ、風呂桶、手桶、漬け物桶、味噌桶、寿司桶、飯櫃、流し板などに用いられる』。『ヒノキに比べて香りが少ないため、食料品を入れる器具に向いている』。『建築材としても使われ、また変色や腐蝕が少ないため』、『外壁用の板材にも適している』。『耐水性があるため』、『和船の用材ともされた』。但し、『蓄材量が少なく、高価であ』る。樹皮は『槙肌(槇皮、まいはだ、まきはだ)とよばれ、舟や桶、井戸の壁などの水漏れを防ぐ充填材に使われる』(☜)。『木質は柔らかく、木理は通直で肌目は精、加工は容易』である。『心材と辺材の境界は』、『やや明瞭で』、『心材は淡黄褐色、辺材は乳白色である』。『成長が遅いため、年輪の幅が狭い』。『針葉樹としては、硬さは中』ぐらいである。『木曽地方に産する』五『種の良木を「木曽五木」というが、ヒノキ、アスナロ、ネズコ、サワラとともにコウヤマキが含まれる』。『また』、『高野山では、寺院の建築用材として重要なスギ、ヒノキ、アカマツ、モミ、ツガおよびコウヤマキが「高野六木」に選定されている』。『古代日本においても材として重要な樹種であり』、「日本書紀」にも『棺の有用材としてコウヤマキが記されている』。『実際に古墳時代前期の竪穴式石室に埋葬された木棺(割竹形木棺、舟形木棺)は、コウヤマキ製のものが多い』。『また』、『コウヤマキが自生しない朝鮮半島でも、百済の武寧王の棺にコウヤマキが使われており、古代の日本と朝鮮半島の交流を示している』。『樹形が美しいため、神社、寺院、庭園などに植栽される』。『世界各地で観賞用に植栽されるが、生育には湿度・温度が高い夏と降水量が多いことを必要とする』。『日本の林学者・造園学者である本多静六は、コウヤマキとヒマラヤスギ、ナンヨウスギを世界三大庭園樹とした』(ここに高野山の黒河道の「子継地蔵」にコウヤマキが供えられている写真が載るので、見られたい)。『高野山で真言宗を開いた空海は、修行の妨げになるとして』、『高野山での花や果樹などの栽培を禁じていた』。『そのため、仏に供える花の代用としてコウヤマキが用いられる』という風習が生じた。『江戸時代に成立した』「和漢三才図会」には、『「高野槙は紀州高野山より出づ、人その小枝を折り仏前に供する故に未だに大木を見ず」と記している』(☜)。『常緑樹の小枝を神仏に捧げることは』、『あらゆる宗教で共通しており、高野山の場合はコウヤマキが最も都合がよく、トゲもなく扱いやすいことも使われた理由であろうと植物学者の辻井達一は述べている』。以下「名称」の項。『コウヤマキの学名のうち、属名の Sciadopitys は、ギリシア語の skias(日傘)と pitys(松)に由来し、輪生する葉を傘に見立てている』。『英名である Japanese umbrella pine の umbrella pine も同じ意味である』。『種小名』の verticillata は、『「輪生する」を意味する』。『別名をマキ(真木、槙、槇)、ホンマキ、キンマツ(金松)などともいう』。『マキは良い木、立派な木のことであり、コウヤマキの他にイヌマキ』(マキ属イヌマキ Podocarpus macrophyllus )『スギ、ヒノキを意味することもある』。『コウヤマキを特に「ホンマキ(本槇)」とよんでイヌマキに対比させることもあるが、イヌマキを本槇とよぶこともある』。『イヌマキは別名にホンマキ、コウヤマキよばれることがあり、コウヤマキとの間で名称の混乱が見られる』(ここの辺りが、本項の良安の記述でも、正確に分けて記述されてあるとは、私は全く思っていないのである)。『現在』、『標準的な和名である「コウヤマキ」は高野槇と書き、和歌山県の高野山から大台ヶ原かけて多く生えていることに由来する』。『コウヤマキは高野山との関わりも深いが』、『この地方だけのものではなく、長野県の木曽では』、所謂、「五木」の一つと『され、名の由来する高野山では、ヒノキ、ツガ、モミ、アカマツ、スギと並んで』「高野六木」の一つに『数えられている』。『コウヤマキは、コウヤマキ属の唯一の現生種である。種鱗と苞鱗が半分以上癒着しており、種鱗に多数の胚珠がつくこと、花粉や種子の形態的特徴から、スギ科』『に分類されることが多かったが、小胞子葉に』二『個の花粉嚢がつくこと、種鱗と苞鱗が一部』二『重になること、胚珠が倒生胚珠であることなど』、『マツ科に似る点もあり、また特殊な葉の形態、材の構造、染色体数など特異な特徴も多く、独立のコウヤマキ科とされるようになった』。『その後の分子系統学的研究でも、コウヤマキは他の球果類(針葉樹)と系統的に離れていることが示され、独立の科とすることが支持されて』おり、『分子系統解析からは、コウヤマキ科はヒノキ科+イチイ科の姉妹群であることが示されている』。『コウヤマキ科に関連すると考えられる化石記録は、後期三畳紀』又は『ジュラ紀にさかのぼる』。『白亜紀にはユーラシアから北米の北半球全体に広く分布し』、また、『第三紀にヨーロッパに多く生育していたコウヤマキ類は現在利用されている褐炭の起源ともなった』『しかし』、『鮮新世以降』、『ヨーロッパでは姿を消し、やがて日本のコウヤマキ』一『種のみが生き残った』のであった。『そのため、コウヤマキは「生きている化石」ともよばれる』とあった。
「柀は、徧《へん》・傍(つくり)を以つて、訓を爲す。」「柀」の(へん)の「木」の「き」と、(つくり)の「皮」(「はぐ」=「まくる」の「ま」か)の訓の合成という意味であろうか。
「打ちなびくさりくらし山ぎはにひさぎのすへのさき行くみれば」これは「夫木和歌抄」に載る詠み人知らずの一首で、「卷二十九 雜十一」に所収する。「日文研」の「和歌データベース」で確認した(同サイトの通し番号で「13871」)。そこでは、確かに、
*
うちなひく はるさりくらし やまきはに
ひさきのすゑの さきゆくみれは
*
と記されてある。良安がこの表記のものを、どこから引用したかは、不明であるが、ともかくも、槇(ままき)ではなく、別種の「ひさぎ」(楸)――これは、現行、二つの種が当該種として揚げられているが、それは、コウヤマキとは全く縁のない、落葉高木である、
キントラノオ目トウダイグサ科エノキグサ亜科エノキグサ連アカメガシワ属アカメガシワ Mallotus japonicus の古名
シソ目ノウゼンカズラ科キササゲ属キササゲ Catalpa ovata の古名
であるからして、この一首は退場していただくしか、ない、のである。]
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