につけい 梫【音寢】 牡桂
肉桂
本綱肉桂交趾廣州及嶺南有之生必髙山之巓冬夏常
青其類自爲林能梫害他木更無雜樹桂有數種其葉長
如枇杷葉堅硬有毛及鋸齒三四月開白花九月結實其
皮匾廣薄而味淡多脂者牡桂【一名板桂】也 皮厚辛烈者
爲肉桂而稱官桂者乃上等供官之桂也 皮最薄者爲
桂枝 去肉桂内外皮者卽爲桂心【按此内外皮之内字爲衍文可也宜參考】
一種菌桂 葉如柹葉而尖狹光浄有三縱文而無鋸齒
其花有黃有白其皮薄而卷【日本𠙚𠙚有肉桂樹卽此菌桂也詳于後】
藥性賦註曰其在下最厚者曰肉桂 去其麁皮爲桂心
其在中次厚者曰官桂 其在上薄者曰薄桂 其在
嫩枝四發者曰桂枝【皆於一樹上別之立名也】
[やぶちゃん注:以上にある「按此内外皮之内……」、「日本𠙚𠙚……」。「皆於一樹上……」の割注は、「本草綱目」のそれではなく、良安が読者のために補説して添えたものであるので注意されたい。]
肉桂【辛熱有小毒】 入足少陰太陰經血分能下行而補腎也
【桂心入手少陰血分桂枝入足太陽經也】利肝肺氣霍亂轉筋頭痛腰痛出
[やぶちゃん注:以上の「霍亂轉筋頭痛腰痛」は時珍の脱字があると思われ、頭に「治」を補わないと、読めない。訓読では《 》で補った。]
汗補命門不足益火堅筋骨下部腹痛非此不能止
[やぶちゃん注:以下の四行続く割注は、全体が二字下げで続くのであるが、ここでそれを再現して示すことに意味を感じないので、二字下げ位置から初めて、ベタとした。]
【得人參甘草麥門冬大黃黃笒調中益氣 得柴胡乾地黃療吐逆 雖有小毒何施與鳥頭附子爲使全取其熱性而已 與巴豆乾漆・穿山甲同用則小毒化爲大毒也】
墮胎懷姙人不可用【炒過則不損胎】忌葱及石脂
△按本草肉桂之類諸說有異同今以時珍之說爲𢴃而
肉桂官桂以爲二物者非也伹官桂最上之肉桂則今
東京肉桂以可宛也東京【卽安南國交趾之別國也】之產肉厚長尺
許纖裁以木皮縛之甚辣風味佳不粘舌也交趾之產
次之【東京肉桂多桂枝少交趾桂枝多肉桂少】廣西潯州亦次之咬𠺕吧暹
羅之產粘于舌近年中華舩亦有肉桂皆不及於東京
今藥肆名官桂者皮如桂心皮而畧有艶潤而不甚辣
自此一種與時珍之說不合
桂心
蒙筌云去外甲錯麁皮近木黃肉曰桂心【或謂去内外皮者非也】
△按肉桂桂心本一物也然今藥肆所販桂心多用倭桂
出於薩州川内肉桂單名桂心用之皮厚香氣甚自唐
來桂心香少蓋無肉與心之差別誤來而已
氣味【苦辛】 治九種心痛腹内冷氣痛不可忍止下痢通
月閉及胞衣不下治癰疽痘瘡内托化膿
桂枝
桂枝乃肉桂木枝皮也其嫩枝小者爲柳桂
氣味【辛甘微温】 去傷風頭痛橫行手臂治痛風及心痛脇痛
凡太陽病發熱汗出者此爲營弱衞強陰虛陽必湊之
故皆用桂枝發其汗此乃調其營氣則衞氣自和風邪
無所容遂自汗而解非桂枝能開湊理發出其汗也汗
多用桂枝者以之調和營衞則邪從汗出而汗自止非
桂枝能閉汗孔也【非若麻黃能開湊理發出其汗也】庸醫遇傷寒無汗
者亦用桂枝誤之甚矣其柳桂尤宜入上焦藥用
△按一種有藁桂枝者不佳不可用
*
につけい 梫【音寢】 牡桂
肉桂
「本綱」に曰はく、『肉桂、交趾(かうち)・廣州、及び、嶺南に、之れ、有り。必≪ず≫、髙山《かうざん》の巓《いただき》に生ず。冬・夏、常に青し。其の類、自(を《のづから》)林と爲《な》り、能く他木を梫害《✕→侵害[やぶちゃん注:但し、これは原文の時珍の誤字である。後注参照。]》して、更に、雜樹、無し。桂に、數種、有り。其の葉、長《たけ》、枇杷《びは》の葉のごとく、葉、堅硬≪にして≫、毛、及び、鋸齒(のこぎりば)、有り。三、四月、白花を開く。九月、實を結ぶ。其の皮、匾《ひらたく》、廣《ひろく》、薄くして、味、淡《あはく》、脂《あぶら》多≪き≫者は、「牡桂《ぼけい》」【一名、「板桂《ばんけい》」。】なり。』。 『皮、厚くして、辛烈《しんれつ》なる者、「肉桂」と爲《な》し、「官桂《くわんけい》」と稱する者は、乃《すなはち》、上等≪にして≫、官に供≪する≫の「桂」なり。 皮、最も薄き者を、「桂枝」と爲す。』。 『肉桂の内外の皮を去る者、卽ち、「桂心」と爲す。』【按ずるに、此の「内外の皮」の内の字、衍文と爲≪し≫て、可なり。宜しく參考すべし。】。
『一種「箘桂」 葉、柹《かき》の葉のごと≪くなるも≫、尖《とがり》、狹《せばく》、光浄《つやつや》≪として≫、三《みつ》の縱文《たてもん》有りて、鋸齒、無く、其の花、黃、有り、白、有り。其の皮、薄≪くして≫、卷く。』≪と≫【日本、𠙚𠙚《ところどころ》、肉桂の樹《き》有≪るも≫、卽ち、此れ、「菌桂」なり。後《あと》に詳らかにす。】。
『「藥性賦」の註に曰はく、『其≪それ≫、下に在りて、最も厚き者を「肉桂」と曰ふ。』。『其の麁皮(あら《かは》)を去り、「桂心」と爲す。』。 『其≪それ≫、中に在りて、次に厚き者を、「官桂」と曰ふ。』。 『其≪それ≫、上に在りて、薄き者を、「薄桂」と曰ふ。 其≪それ≫、嫩(わか)き枝に在りて、四《よ》もに發《はつ》≪する≫者を、「桂枝」と曰ふ。』≪と≫。』【皆、一樹の上に於いて、之れを別して、名を立つるなり。】。
[やぶちゃん注:以上にある「按此内外皮之内……」、「日本𠙚𠙚……」。「皆於一樹上……」の割注は、「本草綱目」のそれではなく、良安が読者のために補説して添えたものであるので注意されたい。]
『肉桂【辛、熱。小毒、有り。】 足少陰太陰經《そくしやうたいいんけい》の血分《けつぶん》に入《い》り、能く下行して、腎を補≪する≫なり。』
『【「桂心」、手の少陰の血分に入り、「桂枝」、足の太陽經に入るなり。】肝・肺の氣を利し、霍亂《かくらん》・轉筋《こむらがへり》・頭痛・腰痛《を治し》、汗を出《いだ》し、命門《めいもん》の不足を補ふ。火《くわ》を益し、筋骨を堅め、下部の腹痛、此れに非ざれば、止《や》むこと、能はず。
『【人參・甘草・麥門冬《ばくもんとう》・大黃・黃笒《わうごん》を得れば、中《ちゆう》を調へ、氣を益す。』。 『柴胡《さいこ》・乾地黃《かんじわう》を得れば、吐逆《とぎやく》を療《れう》す。』。 『「小毒、有り。」と雖も、何ぞ施《せ》に鳥頭《うず》・附子《ぶす》を「使《し》」と爲《す》るは、全く、其の熱性《ねつせい》を取るのみ。』。 『巴豆《はづ》・乾漆《かんしつ》・穿山甲《せんざんかう》と同じく用ふれば、則ち、小毒、化《くわ》して、大毒と爲るなり。』。】
『胎《たい》を墮《おろ》す≪ゆゑ≫、懷姙の人、用ふべからず【炒-過《よくいらば》、則ち、胎を損ぜざるなり。】。葱《ねぎ》、及び、石脂《せきし》を忌む。』≪と≫。
△按ずるに、「本草」、肉桂の類、諸說、異同。有り。今、時珍の說を以つて、𢴃《よりどころ》と爲せ≪ども≫、「肉桂」≪と≫「官桂」≪と≫、以つて、二物と爲《す》るは、非なり。伹し、「官桂」は、最上の「肉桂」≪なれば≫、則ち、今の「東京肉桂(トンキン《につけい》)を以つて宛《あ》つべし。「東京」【卽ち、安南國。交趾(カウチ)の別國なり。】の產は、肉、厚く、長(た)け尺許《ばかり》、纖(ほそ)く裁《たち》、木の皮を以つて、之れを縛(くゝ)る。甚だ、辣《からく》して、風味、佳《よ》く、舌に粘(ねば)らざるなり。交趾の產、之れに次ぐ【東京には、「肉桂」、多く、「桂枝」、少く、交趾には、「桂枝」、多く、「肉桂」、少なし。】。廣西の潯州《じんしう》も亦た、之れに次ぐ。咬𠺕吧(ヂヤガタラ)・暹羅(シヤム)の產、舌に粘る。近年は、中華の舩《ふね》にも、亦、肉桂、有り。皆、東京《トンキン》に及ばず。今、藥肆(くすりや)に、「官桂」と名づくる者は、皮、「桂心」の皮のごとくにして、畧《ほぼ》、艶(つや)・潤(うるほ)ひ有りて、甚《はなはだ》≪には≫辣(か)らからず。自《おのづか》ら、此れ、一種にして《→とするも》、時珍の說と合はず。
桂心(けいしん)
「蒙筌(まうせん)」に云はく、『外《そと》の甲錯《かうさく》≪せる≫麁皮《あらかは》を去る。木に近き黃肉《わうにく》を「桂心」と曰ふ【「或いは、内外の皮を去る。」と謂ふは、非なり。】。』≪と≫。
△按ずるに、「肉桂」≪と≫「桂心」、本《も》と、一物なり。然《しか》るに、今、藥肆《くすりや》、販(う)る所の「桂心」は、多くは、「倭桂《わけい》」を用ふ。薩州の川内(せんだい)より出《いづ》る。「肉桂」を、單《ひと》へに「桂心」と名《なづけ》て、之れを用ふ。皮、厚く、香氣、甚だし。唐《もろこし》より來たる。「桂心」は、香《かをり》、少なし。蓋し肉と心の差別無く、誤《あやまり》來《きた》るのみ。
氣味【苦、辛。】 九種の、心痛、腹内≪の≫冷氣痛≪のうち≫、忍ぶべからざるを、治す。下痢を止め、月閉《げつへい》及び胞衣《えな》の下らざるを通ず。癰疽《ようそ》・痘瘡《たうさう》を治す。内《うちに》托《たく》して、膿《うみ》に化《くわ》す。
桂枝(けいし)
桂枝は、乃《すなは》ち、肉桂木の枝の皮なり。其の嫩枝(わか《えだ》)の小さき者を、「柳桂」と爲す。
氣味【辛、甘。微温。】 傷風・頭痛を去り、手臂(てひぢ)に橫行して、痛風、及び、心痛・脇痛を治す。凡そ、太陽《たいやう》の病《やまひ》、發熱して、汗、出づる者は、此れ、營(えい)、弱(よは)く、衞(ゑい)、強(つよ)しと爲《な》す。陰虛すれば、陽、必ず、之れ≪に≫湊《あつ》まる。故《ゆゑ》≪に≫、皆、桂枝を用ひて、其の汗を發す。此れ、乃《すなは》ち、其の營氣を調へ、則ち、衞氣、自《おのづか》ら、和《わ》し、風邪《ふうじや》の容(い)るゝ所、無し。遂に自《おのづか》ら汗して、解す。桂枝、能く湊理(さうり)を開きて、其の汗を發出するに非ざるなり。汗の多くに桂枝を用ひるは、之れを以つて、營・衞を、調和するのみ。則ち、邪、汗に從ひて、出でて、汗、自《おのづか》ら止む。桂枝、能く汗≪の≫孔《あな》を閉づるに非ざるなり【麻黃《まわう》の能く湊理を開き、其の汗を發出するごときは、非なり。】庸醫(やぶいしや)、傷寒≪の≫、汗、無き者に遇ひても、亦、桂枝を用ふるは誤《あやまり》の甚だしき≪ものなり≫。其れ、柳桂は、尤も宜《よろ》しく上焦(じやうしやう)の藥に入れ、用ふべし。
△按ずるに、一種、「藁桂枝《わらけいし》」といふ者、有≪るも≫、佳《か》なら≪ざれば≫、用ふべからず。
[やぶちゃん注:この「肉桂」は常緑高木の、
双子葉植物綱クスノキ目クスノキ科ニッケイ属ニッケイ Cinnamomum sieboldii
である(近年の学名については、以下の引用を参照されたい)。私は、実際に生木を見た記憶がないので、学名のグーグル画像検索をリンクさせておく。当該ウィキによれば、『ニッキ、ニッケとも呼ばれる。かつては、中国南部・台湾原産とされていたが、自生種の存在も確認されている。日本へは享保年間』(一七一六年~一七三六年)『に中国から輸入され、盛んに栽培された』。『内樹皮が香料として使用される近縁のセイロンニッケイ Cinnamomum verum (シナモン)やシナニッケイ Cinnamomum cassia (カシア)とは異なり、樹皮には香りが弱いため』、『利用価値はないものの、根皮には香りがあり、辛味が強いため』、『香辛料として利用される』。『日本に自生するニッケイ属樹木の学名には混乱があ』り、嘗つては、『ベトナム原産のCinnamomum loureiroi Nees』『とされていたが』一九八〇『年代以降に』なって、『琉球や日本に自生する種はCinnamomum sieboldii Meisn.とされるようになった』。『江戸時代中期に、中国から渡来した桂皮の有用性が国内で認識され、各地でニッケイの栽培が始まった。この栽培種は、東南アジア原産種Cinnamomum loureiroi Nees(1836)と同一とみなされていたが、沖縄本島北部・徳之島などに自生する野生種と同一であると判明したため、近年では日本固有種として扱われるようになっている』。『これに伴い、学名をCinnamomum sieboldii Meisn. 又は Cinnamomum okinawaense Hatusima と表記する図鑑、書籍が増えている』。『江戸時代には、海外産の桂皮と同様に、国産ニッケイが医薬品として使われており』、「和漢三才圖會」・「大和本草」・「一本堂藥選」(香川修徳著)・「古方藥品考」(内藤尚賢著)・「重修本草綱目啓蒙」『などに記載がある。例えば』、「古方薬品考」には、
*
邦產の者は辛味唯根に有り。故に根皮の桂と稱す。今土佐薩州に出づる者は、色、紫赤色、紀州の產は赤色、凡そ、味、辛く、甘く、渋からざる者は用ふべし。和州城州諸州の產は下品なり。」(原漢文)
*
『とあり、(樹皮ではなく)根皮が用いられたこと、当時の特産地が鹿児島・高知・和歌山であったことがわかる。 根皮の中でも、色、香り、味が部位によって異なるため、以下のように細かく分類して呼称された』。
*
「松葉」:直径一センチメートル以下の根からとった根皮。
「上縮」(じょうちり):直径一~二センチメートルの根からとった根皮。
「中縮」(ちゅうちり):直径二~四センチメートルの根からとった根皮。
「小巻」:直径四~七センチメートルの根からとった根皮。
「荒巻」:直径七センチメートル以上の根からとった根皮。
「さぐり皮」:地上一メートルまでの幹皮。
*
『ニッケイの商品名としては、土佐の』「縮々」(ちりちり)」や、『紀州の』「小巻」『等が良品として有名であった』。『また、独特の辛味を利用して』、「ニッキ水」・「ニッキ飴」・「八ツ橋」・「けせん団子」(ニッキの葉を小豆団子に巻いた鹿児島の和菓子)・「ニッキ餅」・「肉桂せんべい」など、『ニッキを配合した食品(和菓子など)が各地で作られた』。『和歌山県では、栽培最盛期の大正』一〇(一九二一)『年頃まで根皮』一万『貫、樹皮(桂辛)』五千『貫の生産があり、ドイツやアメリカにも生薬として輸出された。 一方、この頃、国産ニッケイの精油含量が中国産の桂皮に劣ると報告され』、『医薬品原料としての関心が薄まり始めた』。『昭和以降』は、『医薬品原料としての需要は徐々になくなり、和歌山県の生産量は、昭和』二二(一九四七)『年には』百『貫まで減じた』。『日本薬局方においては、第六改正(昭和』二十六『年発行)までは「日本ケイ皮」として収載されていたが、流通実績がないために次の改正から外され、現代においては、医薬品として使用されることはない。 また、食品原料としての流通も現在ではほとんどなくなり、上述した和菓子の製造においては、代替としてシナモンを用いているものが多い』。『ニッケイの風味は、香りの良い精油によるものであり、その品質は、精油含量や精油中のシンナムアルデヒド含量で評価されることが多い。海外産のセイロンニッケイやシナニッケイと比較して、ニッケイの精油含量は低いとされがち』『であるが、下表のように含量の多いニッケイ検体も報告されており』、『ニッケイの品質が』、『ほかのニッケイ属種より劣っているとは一概に言えない』。『根皮の精油には、シンナムアルデヒドのほか、クマリン、カンファ―などが含まれる』。『枝葉の精油には、リナロール、シンナムアルデヒド、ゲラニアール』『などが含まれる』。『シナモンと同様に、クマリンの過剰摂取は、肝障害のリスクを有する』とある。
さて、良安の「本草綱目」の引用だが、「卷三十四」の「木之一」「香木類」の「桂」の中で書かれている、概ね、肉桂についての記載である。「漢籍リポジトリ」のこちらの、ガイド・ナンバー[083-14b]の「集解」及び「氣味」・「主治」を、例によって、パッチワークしたものなのであるが、ここでの良安の引用は、それが、分離してあるものを拾って繋げたことが、明確に判るように、一字字空けや、改行で判然とさせているのである。これは実は、本書の全水族部電子化注プロジェクトを行った時も、また、その後、各種動物類全部を電子化注した際にも、このような仕儀を原文に見ることは殆んど全くなかったから、非常な特異点と言えるのである。これは、これも特異点なんであるが、「本草綱目」の引用中に、これまた、極めて特異的に良安が割注をしていることとともに、例外的に最後に「時珍の說と合はず」と結んでいることから判る通り、ここで、良安は、極めて批判的に引用を選び、その矛盾点を剔抉しているのである。やったね! りょうちゃん!!!
「交趾(かうち)」コーチ。「跤趾」「川内」「河内」とも漢字表記した。元来は、インドシナ半島のベトナムを指す中国名の一つ。漢代の郡名に由来し、明代まで用いられた。近世日本では、ヨーロッパ人の「コーチ(ン)シナ」という呼称用法に引かれて、当時のベトナム中部・南部(「広南」「クイナム」等とも呼んだ)を、しばしば、「交趾」と呼んだ(どこかの自民党の糞老害政治家石原某は今も使っている)。南シナ海の要衝の地で、朱印船やポルトガル船・中国船が来航し、中部のホイアン(グーグル・マップ・データ。以下、無指示は同じ)などに日本町も栄えた(主文は山川出版社「山川 日本史小辞典」に拠った)。
「廣州」現在の広東省、及び、その西の広西チワン族自治区(前者は狭義には広州市)相当。
「嶺南」中国の南部の南嶺山脈(「五嶺」)よりも南の地方を指す古くからの広域地方名。現在の広東省・広西チワン族自治区・海南省の全域と、湖南省・江西省の一部に相当する。部分的に「華南」と重なっている。地方域は参照したウィキの「嶺南(中国)」にある地図を見られたい。
「梫害《✕→侵害》」時珍の誤字。「漢籍リポジトリ」の[083-14b]の「桂」「牡桂」の最終行に、
*
埤雅云桂猶圭也宣導百藥為之先聘通使如執圭之使也爾雅謂之梫者能梫害他木也
*
とある。この「梫」は、日中辞書によれば、古書中に登場するニッケイを意味する感じであるが、この漢字には「侵」(おかす)の意味はない。直前の「爾雅」の引用に「梫」に引かれて、「侵」と書くところを間違えたものと断ずるものである。
「枇杷の葉」バラ目バラ科ナシ亜科シャリンバイ(車輪梅)属ビワ Rhaphiolepis bibas の葉は、厚く、堅く、表面が凸凹しており、葉脈ごとに波打ち、而して、葉縁には、波状の鋸歯がある。
『「牡桂《ぼけい》」【一名、「板桂《ばんけい》」。】』漢方でニッケイの皮の薄いものを「桂皮」(ケイヒ)と呼ぶが、これは漢代に書かれた最古の本草書「神農本草經」の上品に「箘桂」及び「牡桂」の名で収載されている。本邦の国語辞典で、「桂」や「牡桂」を引くと、双子葉植物綱ユキノシタ目カツラ科カツラ属カツラ Cercidiphyllum japonicum の異名とするが、しかし、これは無批判に受け取ると、致命的な大火傷を受けるハメになる。そもそもが、
中国語の「桂」は元来は本邦の「カツラ」ではなく、全く別種であるこの「肉桂」(ニッケイ)や、「木犀」
双子葉植物綱シソ目モクセイ科オリーブ連モクセイ属モクセイ Osmanthus fragrans 等の常緑香木の総称
だからである。
「菌桂」真柳誠氏のサイト「MAYANAGI's Laboratory for the History of Medicine」の中の論文「中国11世紀以前の桂類薬物と薬名―林億らは仲景医書の桂類薬名を桂枝に統一した―」(『薬史学雑誌』三十巻二号一九九五年刊)の『3-2 菌桂』の部分に、『菌桂は本草に『本経』から収載されたが、形状記述はない。『別録』で初めて「無骨、正円如竹」と記され、これは前述の『山海経』郭璞注にいう「菌桂、桂員(円)似竹」ともおよそ合致する。ちなみに仁和寺本『新修』は菌桂でなく、箘桂と記す』。『この箘には竹の意味があり』、『菌と通じるので』、『菌桂(箘桂)とは竹筒状桂類薬の意味で呼ばれた名称だろう。『集注』の菌桂条で弘景は「正円如竹者、惟嫩枝破巻成円、猶依桂用、非真菌桂也」「三重者良、則明非今桂矣、必当別是一物」と注し、菌桂と桂はまったく別物と考えている。一方、『新修』菌桂条の注は「大枝小枝皮倶菌、然大枝皮不能重巻、味極淡薄、不入薬用」という。すると』七『世紀までの菌桂は桂(牡桂)と別植物で、その小枝の樹皮は重なり巻くが、大枝の樹皮は味が淡薄で重なり巻かず』、『使用不可だったらしい』。『他方、『新修図経』注は牡桂の葉が「長於菌桂葉一二倍」といっていた』。『現在の中国に自生する薬用桂類種で、葉の長さが牡桂すなわちC. cassiaやC. obtusifoliumの』二分の一から三分の一『なのは 』六~十センチメートルの『C. burmanniしかない』。『すると『新修』の』七『世紀以前の菌桂はC. burmanniの小枝の皮だった可能性が予測されよう。ところで現在スパイスとして使用されているシナモンスティックの大部分は、C. zeylanicumのセイロンニッケイとC. burmanniのジャワニッケイに基づく』。『製法は株から新出した若枝の皮を剥ぎ、コルク層を削り落として重ね巻き』、『紙巻きタバコほどの太さになっている。その形状はまさしく竹筒状で、唐代までの菌桂の文献記載と一致する。このシナモンスティックは辛味が弱くて甘味が強い食用で、辛味・甘味ともに強い薬用のC.cassiaの樹皮とは相当に違う。菌桂もシナモンスティック同様、香辛料だったのだろうか』。『本草の経文を見ると、桂条の『別録』と牡桂条の『本経』『別録』はいずれも治療効果に具体的病状を挙げる。ところが菌桂は『本経』に「主百病、養精神、和顔色、為諸薬先聘通使、久服軽身不老、面生光華、媚好常如童子」、と一般的な健康増進効果しか記されない。『別録』は菌桂の効果すら一切記載しない。すると菌桂は治療用ではなく、健康増進を目的とした香辛料だったに相違ない。『本経』上薬の秦椒が食用で、下薬の蜀椒が薬用という同様例もある。馬王堆医書以降、菌桂を配剤した処方が医方書にみえないのも当理由からであろう。一方、C. zeylanicumの葉長は』十五~二十センチメートルで、『『新修』がいう菌桂の葉長と合致しない。以上より、菌桂はC. burmanniに基づき、シナモンスティックと同様の製品だったらしいと判断できる』とあった。
「藥性賦」東洋文庫の巻末の「書名注」によれば、『一巻。付、病機賦一巻。明の劉全備(りゅうぜんび)撰』とある。
「足少陰太陰經」東洋文庫訳の後注では、『身体をめぐる十二経脈の一つ。足の少陰腎経と足の太陰肺経のこと。足の少陰腎経は足の小指の内側から出て足を上行して背を通り腎に入り膀胱と結ぶ。また腎から肝、さらに喉頭に至るもの、肺から心につなぎ胸に入るものがある。足の太陰脾経は足の拇指から出て内股をのぼり腹部に入って肺に至る。そこから横隔膜を通り咽喉から舌に分布する。支脈は胃から横隔膜をあがって心臓に達する』とある。
「手の少陰」同前で、『手の少陰心経。身体をめぐる十二経脈の一つ。手の少陰心経は心臓から出て小腸に入る。支脈は心臓から咽喉にのぼり眼球の後ろから脳に入る。もう一つは心臓から肺に入り前腕を通って小指の先端に行く』とある。
「足の太陽經」同前で、『身体をめぐる十二経脈の一つ。足の太陽膀胱経のこと。これは目頭から頭頂に行き、ここで二つに分かれて一つは耳へ。一つは脳から肩甲骨を経て腎に、 腎から膀胱へ入る。支脈は腰から分かれて腎部へ入り膝へ。もう一つ肩甲骨から脊柱に沿って下り股関節に入り膝に至って先のものと合流する』とある。
「霍亂」急性日射病で昏倒する症状や、真夏に激しく吐き下しする病気の古称である。後者は急性胃腸炎・コレラ・疫痢などの総称に該当するものとされる。
「轉筋」(てんきん)は読みを附した通り、「腓返り」。
「汗を出《いだ》し」必要十分な発汗を自然と惹起させ。
「命門」漢方の一派で「右腎」(うじん)を指す語。男子では、精を蔵し、女子は胞(子宮)に繋がり、生殖機能との関係が深いとされた。また、経穴の一つで、人体後面の腎のつく所とされる第二腰椎上にあるものをも言う(小学館「日本国語大辞典」に拠った)。東洋文庫割注では、『生命の源。右腎』とする。
「麥門冬《ばくもんとう》」単子葉植物綱キジカクシ目キジカクシ科スズラン亜科 Ophiopogonae 連ジャノヒゲ属ジャノヒゲ Ophiopogon japonicus の根の生薬名。現行では、これで「バクモンドウ」と濁る。鎮咳・強壮などに用いる。
「大黃」タデ目タデ科ダイオウ属 Rheum の根茎の外皮をり去って乾燥したもので、健胃剤・潟下剤とする。「唐大黄」と「朝鮮大黄」との種別がある
「黃笒《わうごん》」双子葉植物綱キク亜綱シソ目シソ科タツナミソウ属コガネバナ Scutellaria baicalensis の根の周皮を取り除き乾燥させた生薬。但し、当該ウィキによれば、副作用が有意に存在することが記されてある。
「柴胡」子葉植物綱セリ目セリ科ミシマサイコ Bupleurum scorzonerifolium(亜種としてBupleurum falcatum var. komarowi と記載するものもあり)の根の漢方の生薬名。解熱・鎮痛作用がある。大柴胡湯(だいさいことう)・小柴胡湯・柴胡桂枝湯といったお馴染みの、多くの漢方製剤に配合されている。和名は静岡県の三島地方の柴胡がこの生薬の産地として優れていたことに由来する。
「乾地黃《かんじわう》」「地黃」に同じ。解説すると長くなるので、「和漢三才圖會卷第五十二 蟲部 枸杞蟲」の私の注を見られたい。
「鳥頭《うず》」トリカブト(モクレン亜綱キンポウゲ目キンポウゲ科トリカブト属 Aconitum )のトリカブト類の若い根。猛毒で、殺虫・鎮痛・麻酔などの薬用に用いられる。「そううず」「いぶす」とも言う。
「附子《ぶす》」前の語と同義。先と同様の理由で、「只野真葛 むかしばなし (61)」の私の注を参照されたい。漢方ではトリカブト属の塊根を「附子」(ぶし)と称して薬用にする。
「使《し》」漢方・和方に於いて、「補助薬」を言う。「引藥」(いんやく)とも言う。
「巴豆《はづ》」「松」で既出既注。
「穿山甲《せんざんかう》」哺乳綱ローラシア獣上目鱗甲(センザンコウ)目センザンコウ科センザンコウ属 Manis の模式種で、中国を含む東アジアに広範に棲息するミミセンザンコウ Manis pentadactyla のうろこ状の甲状になった角質の表皮。当該ウィキによれば、体長は五十四~八十センチメートル程で、体重は二~七キログラム。前肢は力強く、鋭い爪を持つ。また、尾は筋肉質であり、巻き付けて、物を摑むことが出来る。頭部から背面、尾の先端にかけて茶~黄色の鱗で覆われている。『夜行性であり、単独で行動する。生活圏は地上及び樹上。動きは機敏で、巧みに樹に登る。力強い前肢と尾は樹上生活に適応した結果である。また、前肢は土を掘る事にも適応し、これで主食のアリやシロアリを探す。そして、長い舌を使ってこれらの昆虫を舐めとる』。『外的に襲われた際は』、『身体を丸めて身を守る』ことがよく知られている。『中華人民共和国やベトナムでは食用とされたり、鱗が皮膚病・乳の出が良くなる・癌などに効能がある漢方薬になると信じられている』。『食用や薬用の乱獲により、生息数が激減している』。『採掘・水力発電用のダムや道路建設による生息地の破壊、交通事故、イヌによる捕食による影響も懸念されている』。中国では一九六〇年~一九九〇年『代にかけて、生息数の』八十八~九十四%も『減少したと推定されている』とある。同種個体は古くは「鯪鲤」(りょうり)と呼ばれた。
「石脂《せきし》」ハロイ石(HALLOYSITE:ハロイサイト)。粘土鉱物の一種で、火山灰に含まれる硝子質成分より変質して生じたもの。電子顕微鏡下で観察すると、ボール状の形態を成す。現在は岐阜県中津川市八幡産のものが知られる。
「東京(トンキン)」紅河流域のベトナム北部を指す呼称であるとともに、この地域の中心都市ハノイ(旧漢字表記「河内」)の旧称。
「安南國」ベトナム北部から中部を指す歴史的地域名称で、唐代に置かれた安南都護府に由来する呼称。
「廣西の潯州《じんしう》」現在の広西チワン族自治区桂平市一帯。
「咬𠺕吧(ヂヤガタラ)」インドネシアの首都ジャカルタの古称。また、近世、ジャワ島から日本に渡来した品物に冠したところから、ジャワ島のこと。
「暹羅(シヤム)」タイの旧称。シャムロ。「暹」国と「羅」国が合併したので、かく漢字表記した。本邦では、私の世代ぐらいまでは、結合双生児を「シャム双生児」と呼んだが、これはサーカスの見世物のフリークスとして知られた胸部と腹部の中間付近で結合していた「チャン&エン・ブンカー兄弟」(Chang and Eng Bunker 二人とも一八一一年~一八七四年)が、たまたまシャム出身であることによった呼称であり、地域差別を助長する差別用語として死語にすべきものである。
桂心(けいしん)
「蒙筌(まうせん)」「本草蒙筌」。明の陳嘉謨(ちんかぼ)の撰になる実用を主眼とした本草書。一五六五年刊。
「甲錯《かうさく》≪せる≫」カサカサしていることを言う。麁皮《あらかは》を去る。
「薩州の川内(せんだい)」現在の鹿児島市川内市。
「月閉《げつへい》」あるべきメンスが起こらない病的な月経閉塞症。
「癰疽《ようそ》」悪性の腫れ物。「癰」は浅く大きく、「疽」は深く狭いそれを指す。
「痘瘡《たうさう》」疱瘡。天然痘。
「内《うちに》托《たく》して」体内の正常な働きとして内に取り込ませる働きを促進させて。
「傷風」高熱を伴う風邪の一種。東洋文庫はそのまま訳で用いているが、「破傷風」と誤読する惧れがあるので、感心しない。
「太陽《たいやう》の病《やまひ》」東洋文庫訳の後注では、『体表面にあらわれる病症。太陽経』(たいようけい)『を外邪がおかすので、発熱・悪寒・頭痛がおこり、浮脈』(指先で脈を見る際、軽く圧迫しただけで、浅い箇所で強く「ドクン!」と感じられる脈を言う)『がみられる』病態とある。
「營(えい)」漢方で血とともに脈中を流れる気。脾胃によって飲食物から産生され、血液とともに流れるとされる。
「衞(ゑい)」体表を保護し、外邪の侵入を防衛する気。脈の外を流れると考えられた。これは現代医学の皮膚や粘膜が持つ免疫機能と、よく一致する。
「麻黃《まわう》」中国では、裸子植物門グネツム綱グネツム目マオウ科マオウ属シナマオウEphedra sinica(「草麻黄」)などの地上茎が、古くから生薬の麻黄として用いられた。日本薬局方では、そのシナマオウ・チュウマオウEphedra intermedia(中麻黄)・モクゾクマオウEphedra equisetina(木賊麻黄:「トクサマオウ」とも読む)を麻黄の基原植物とし、それらの地上茎を用いると定義している(ウィキの「マオウ属」によった)。
「上焦(じやうしやう)」伝統中国医学における仮想の「六腑」の一つ「三焦」(さんしょう)の一部。「上焦」は心・肺を含み、その生理機能は呼吸や血脈を掌り、飲食物の栄養分(飲食水穀の精気)を 全身に巡らし、全身の臓腑・組織を滋養する器官とされる。
「藁桂枝《わらけいし》」不詳。
なお、以下、「箘桂」・「桂」の立項が続く。]