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2024/05/31

「和漢三才圖會」植物部 卷第八十二 木部 香木類 櫰香

 

Kaikou

 

くわいかう     兠婁婆香

櫰香【音懷】   【楞嚴經出】

 

[やぶちゃん注:「兠」は「兜」の異体字。]

 

本綱櫰香江淮湖嶺山中有之大者丈許小者多被※采

[やぶちゃん注:「※」=「𤍫」-「土」+「扌」であるが、こんな漢字は見当たらない。国立国会図書館デジタルコレクションの中近堂版を見ると、「樵」となっている。原本の「※采」の読みは、良安によって『カリトラ』とあることから、訓読では、「樵」に代えた。]

葉青而長有鉅齒狀如小薊葉其香對節生其根狀如拘

𣏌根而大煨之甚香楞嚴經所謂煎水沐浴卽此香也

[やぶちゃん注:「𣏌」は「杞」の異体字。]

 

   *

 

くわいかう     兠婁婆香《とろばかう》

櫰香【音「懷」。】 【「楞嚴經《りようがきやう》」に出づ。】

 

[やぶちゃん注:「兠」は「兜」の異体字。]

 

「本綱」に曰はく、『櫰香、江淮・湖嶺の山中に、之れ、有り。大なる者、丈許《ばかり》、小《ち》さき者、多く樵-采(かりと)らる。葉、青くして、長く、鉅齒(のこぎり《ば》)、有り。狀《かたち》、小-薊(あざみ)の葉のごとく、其の香、節《ふし》に對《たい》≪して≫、生《しやう》ず。其の根の狀、拘𣏌《くこ》の根のごとくして、大きく、之れを煨《やきうづ》め≪れば≫、甚だ香《かんば》し。「楞嚴經」に所謂《いはゆ》る、『水を《→に》煎じて、沐浴す。』と≪あるは≫、卽ち、此の香《かう》なり。

 

[やぶちゃん注:「櫰香」は、中文サイトで幾つも記述があるが、殆んどが、「本草綱目」の引き写しの本草書の記載で、ある日本に研究者の論文を見出したが、実在するかどうかわからないといった叙述だけで、遂にネット上でも、現在の樹木の学名を記すものは、見当たらなかった。「兠(=兜)婁婆香」で調べても、同じであった。「東洋文庫」も科も属も種も、否、対象植物についての注の一つも、ないのである(杜撰! 判らぬのなら、不明と注すべきだ! 底本は百科事典なんだぞッツ!!!)。本植物部は、まだ初っ端であるが、実在しないという樹は、初めてである。良安の評がないのも、少なくとも、比定すべきものが本邦には存在しないからであろう。

 「本草綱目」の当該部は「漢籍リポジトリ」が一向に作動しないので、「維基文庫」の電子化物で調べたところ、「卷三十四」の「木之一」「香木類」の「櫰香の独立項で見たが、良安の当たった版本が異なるのか、「小者多被樵采」に相当する部分が存在せず、「楞嚴經」に載るのは、『壇前根』とのみある。短いので、以下に全文をコピー・ペーストしておく(一部、改行部を普通の同書の書式に代え、句点・括弧閉じるを追加した)。

   *

櫰香
(櫰音懷。)《綱目》

【釋名】兜婁婆香。

【集解】時珍曰︰ 香,江淮、湖嶺山中有之。木大者近葉青而長,有鋸齒,狀如小薊葉而香,對節生。其根狀如枸杞根而大,煨之甚香。《楞嚴經》云︰壇前根。

【氣味】苦,澀,平,無毒。

【主治】頭癤腫毒。碾末,麻脂調塗,七日腐落。(時珍)

   *

「楞嚴經」は二種ある。一つは、秦の名翻訳僧鳩摩羅什訳で、首楞厳三昧について説いた「首楞嚴三昧經」全三巻で、今一つは、「大佛頂如來密因修證了義諸菩薩萬行首楞嚴經」の略名で、全十巻。般剌蜜帝(ばんらみたい)訳とされるが、中国で捏造された偽経と考えられている。修禅・耳根円通などについて禅法の要義を説いた経で、一名を「中印度那陀大道場經」「大佛頂經」と言い、通常、「首楞嚴經」というと、これを指すことが多い、と小学館「日本国語大辞典」にはあった。「大蔵経データベース」で、両経を調べたが、文字列「煎水沐浴」も「壇前根」も、見出せなかった。万事休す。

「江淮・湖嶺」東洋文庫訳の割注を参考にするに、現在の江蘇省・安徽省湖北省・湖南省と、広西チワン族自治区及び広東省北部・湖南省及び江西省南部を東西に走る中国南部最大の褶曲山脈にして、長江水系と珠江水系の分水嶺であり、華中と華南の境界を成している南嶺(五嶺)山脈(位置は当該ウィキを参照されたい)周辺を含む――幻しの香木には相応しい――甚だ呆れるほどの広域に当たる。そんなに広く分布するなら、樹種をある程度、具体に示し得るはずだのに……。

「鉅齒(のこぎり《ば》)」「鉅」には、「かぎのように先が曲がった形」の意があるから、まあ、違和感は薄い。東洋文庫訳は『鋸歯(ぎざぎざ)がある』と意訳している。

「小-薊(あざみ)」キク目キク科アザミ亜科アザミ連アザミ属 Cirsium 、及び、それに類する植物の総称。但し、日中辞書では、現代中国語では、特にアレチアザミ Cirsium segetum (中国シノニム Cephalonoplos setosum )を指定している。このアレチアザミは朝鮮・中国(長江流域以北)産で、本邦では対馬にのみ自生する。

「節《ふし》に對《たい》≪して≫、生《しやう》ず」東洋文庫訳では、『羽状複葉で節のところに対生する』とある。判りがいい。

「拘𣏌」ナス目ナス科クコ属クコ Lycium chinense の根皮は、漢方で清涼・強壮・解熱薬などに用い、「地骨皮」「枸杞皮)」と呼ぶ。

「煨《やきうづ》め≪れば≫」東洋文庫訳では、割注で、『(煨(や)く(埋』(うず)『め火』(び)『にうめる)』とある。これを参考に読みを振った。白水社「中国語辞典」では、『1 とろ火で時間をかけて煮込む』、『2 直接』、『火・灰の中に入れて蒸し焼きにする』とあった「2」を採用した。]

「和漢三才圖會」植物部 卷第八十二 木部 香木類 烏藥

 

Uyaku

 

うやく  旁其 鰟𩶆

     矮樟

烏藥  【其氣似樟故名】

 

ウヽ ヨツ

 

本綱烏藥木似茶檟髙五七尺葉微圓而尖其狀似鰟𩶆

鯽魚而靣青背白有紋四五月開細花黃白色六月結實

其子如冬青生青熟紫核殻極薄其仁香而苦根如芍藥

嫩者肉白老者肉褐色如車轂紋形如連珠者佳其根葉

亦有香氣然根有二種嶺南者黑褐色而堅硬天台者白

而虛軟世稱天台之產爲勝今比之洪州𢖍州者天台香

味爲劣入藥功効亦不及

根【辛温】 散諸氣故入中風中氣藥婦人血氣小兒腹中

 諸蟲除一切冷氣治霍亂反胃吐食瀉痢其功不可悉

 載猫犬百病並可磨服

△按鳥藥能雖治鳥獸之病而烏藥之烏非鴉烏之烏以

鳥《✕→烏》褐色名之耳凡堅而直者不佳俗稱久久利者良

 

   *

 

うやく  旁其《ばうき》 鰟𩶆《はうひ》

     矮樟《わいしやう》

烏藥  【其の氣(かざ)、「樟(たぶ)」に似、

      故に名づく。】

 

ウヽ ヨツ

 

「本綱」に曰はく、『烏藥は、木、「茶檟(ちさ)」に似て、髙さ、五、七尺。葉、微《やや》圓《まどか》にして、尖り、其の狀《かたち》、「鰟𩶆」・「鯽魚(ふな)」に似て、靣《おもて》、青く、背《うら》、白く、紋、有り。四、五月、細《こまやか》なる花、開く。黃白色。六月、實を結び、其の子《たね》、「冬青(まさき)」のごとく、生《わかき》は、青く、熟≪せば≫、紫なり。核《たね》≪の≫殻、極めて、薄し。其の仁《じん/さね》、香《かをり》して、苦《にが》し。根、「芍藥」のごとく、嫩(わか)き者、肉、白。老ひ子は[やぶちゃん注:「子」(たね)は送り仮名にある。]、肉、褐色にして、車《くるま》の轂(くるゝ《✕→こしき》)の紋のごとし。形、連珠のごとき者、佳なり。其の根も、葉も、亦、香氣、有り。然《しか》るに、根に、二種、有り。嶺南の者は、黑褐色にして、堅-硬(かた)く、天台の者は、白くして、虛-軟(やはら)かなり。世に、「稱天台の產、勝(すぐ)れり。」と爲《な》す。今、「之れを、洪州・𢖍州(こうしう)の者に比すれば、天台の香味《かうみ》、劣れり。」と爲す。藥に入れて功-効《こうこう》も亦、及ばず。』≪と≫。

『根【辛、温。】 諸氣を散ずる故、中風《ちゆうぶ》・中氣の藥、婦人≪の≫血氣、小兒≪の≫腹中≪の≫諸蟲に入るる。一切の冷氣を除き、霍亂・反胃・吐食・瀉痢を治す。其の功、悉く載すべからず。猫・犬の百病、並びに、磨(す)りて、服(の)ますべし。』≪と≫。

△按ずるに、鳥藥、能く鳥獸の病ひを治すと雖も、「烏藥」の「烏」は、非「鴉-烏《からす》」の「烏」に非ず。「『烏』褐(くろちや)色」なるを以つて、之れを名づくのみ。凡そ堅くして直《すぐ》なる者、佳《よ》からず。俗、「久久利《くくり》」と稱する者、良し。

 

[やぶちゃん注:「烏藥」とは、現行の漢方の基原植物としては、

クスノキ目クスノキ科クロモジ属テンダイウヤク Lindera aggregata

である。小学館「日本大百科全書」によれば、『クスノキ科』Lauraceae『の常緑低木』で、『原産は中国中南部、台湾であるが、江戸時代に薬用として輸入したため、現在では九州のほか、和歌山県、大阪府、静岡県などでも野生化している。光のよく当たる環境を好み、高いものでは』五『メートルに達する。葉は互生し、広楕円(こうだえん)形で』、『先は急に細くなって尾状となり、長さ』三~八『センチメートル、幅』一・五~五『センチメートルで全縁』(葉の縁が滑らかでギザギザのないこと。「全辺」とも言う。)、『基部は円形あるいは広い』楔(くさび)『形をなし、革質で明瞭』『な三行脈がある。若葉のときは長い褐色の軟毛を密生するが、のちに上面は無毛となって光沢をもち、下面は灰白色で毛がある』。三~四『月に散形花序を腋生(えきせい)し、鱗片』『状の包(ほう)の中から長さ』二~五『ミリメートルの短毛を密生した花柄を出し、黄緑色の花を開く。雌雄異株で、雄花には雄しべ』九『個、雌花には雌しべ』一『個のほか、多くの退化雄しべがある。花被(かひ)』(萼と花弁の総称)『は』六『個。核果は楕円形で、初め』、『緑色であるが、成熟すると黒くなる。根は数珠』『状に長く肥大して硬く、外面は暗褐色を呈する。根を乾燥したものを漢方では』「烏薬」『(うやく)と称し、精油を含有するので、鎮痛、興奮、健胃剤として、腹痛、胸痛、消化不良などの治療に用いる。なお、テンダイウヤクの名のおこりは、中国の浙江』『省の天台山に産する烏薬が良品であるところから天台の二字をつけたものである』とある。リンク先に二枚画像がある。

 「本草綱目」の引用は、「卷三十四」の「木之一」「香木類」の「烏藥」の独立項で(「漢籍リポジトリ」)、[083-42b]から始まる。 その内容のパッチワークである。

「樟(たぶ)」例によって、日中で指示する種が異なる。既出項の「樟」、及び、「烏樟」を、必ず、参照されたい。

「茶檟(ちさ)」所謂、「茶」、ツツジ目ツバキ科ツバキ属チャノキ Camellia sinensis

「鰟𩶆」条鰭綱骨鰾上目コイ目コイ科タナゴ亜科タナゴ属 Acheilognathus ・バラタナゴ属 Rhodeus に属する淡水魚の種群を包括して指す語。無論、比喩で、テンダイウヤクの葉の形がそれらの魚の体型に似ていると言っているのである。

「鯽魚(ふな)」コイ科コイ亜科フナ属 Carassius の種群を指す。同前の比喩。

「冬青(まさき)」バラ亜綱ニシキギ目モチノキ科モチノキ属ソヨゴ Ilex pedunculosa当該ウィキによれば、『和名ソヨゴは、風に戦(そよ)いで葉が特徴的な音を立てる様が由来とされ、「戦」と表記される。常緑樹で冬でも葉が青々と茂っていることから「冬青」の表記も見られる』。但し、『「冬青」は常緑樹全般にあてはまることから、これを区別するために「具柄冬青」とも表記される。中国植物名でも、具柄冬青(刻脈冬青)と表記される』とある。なお、東洋文庫訳では、割注で『(灌木類。ナナメノキ)』とする。この「ナナメノキ」は、モチノキ目モチノキ科モチノキ属モチノキ亜属ナナミノキ Ilex chinensis の異名で、中文ウィキの「冬青属」相当では、確かに狭義の「冬青」をナナミノキに宛ててはある。となれば、厳密には現代では、日中で同属異種ということになるが、明代に、それを確然と区別していたとは、私には思われないので、これ以上、ディグはしない。

「仁《じん/さね》」「さね」は東洋文庫訳のもの。

「芍藥」ユキノシタ目ボタン科ボタン属シャクヤク Paeonia lactiflora 、或いは、その近縁種も含む。

「車《くるま》の轂(くるゝ《✕→こしき》)」良安に訓読の誤り。この「くるゝ」の誤りは、経過的には、良安の評の最後に出る『俗、「久久利《くくり》」と稱する者』の呼称(ソヨゴの異名或いは方言としては、生き残っていないようである)にうっかり引かれてしまった誤記が発端かと思う。一方で、物理的構造的に彼が想起したのは、扉の回転軸部分を言う「くるる」=「樞」(枢:「とぼそ」とも言う)で、これは、荷車の「轂」=「こしき」=「車輪の軸を受ける部分」のそれを、錯誤したものと考えるものである。

「嶺南」現在の広東省・広西省。

「黑褐色にして、堅-硬(かた)く」ウィキの「ソヨゴ」によれば、同属のモチノキ属クロソヨゴ Ilex sugerokii は、『やはり長い柄を持つ果実をつけ、葉の形などもやや似ているが、葉に鋸歯があり、全体にやや小さい。枝が黒っぽい』とあるので、それかと思ったが、調べてみると、これは本邦の本州(山梨以西)・四国産で、中国には自生しないようであるから違う。その近縁種か。

「洪州」現在の江西省。

「𢖍州(こうしう)」(「𢖍」は「衡」の異体字)湖南省。

「中風」脳血管障害の後遺症である半身不随・片麻痺・言語障害、及び、手足の痺れや麻痺などを指す症状の総称。

「中氣」(惡氣に中(あた)る)で、「中風」に同じ。]

柴田宵曲「古句を觀る」正規表現版電子化注 / 「秋」(7)

 

   秋寒し起て詠ル我まくら 諷 竹

 

 閨怨の句と見るべきであらうか。「閑吟集」に「逢ふ夜は君が手枕、來ぬ夜は己が袖枕、枕餘りに床廣し、寄れ枕こち寄れ枕、枕さへ疎むか」と云ひ「科[やぶちゃん注:「とが」。]もない尺八を枕にかたりと投げあてても、さびしや獨り寢」と云ふ類、いづれも同じ情趣を傳へてゐるが、季節は別に現れてゐない。諷竹の句は情を抒することが多くない代りに、「秋寒し」の一語を以て、我と我枕を眺めてゐる人の姿をまざまざと描き出してゐる。俳句と他の詩との行き方の相違は、この兩者を比較しただけでも、多少の消息を窺ひ得るであらう。

「詠ル」は「ナガムル」とよむのである。自分の枕を眺むる態度は、やがて自己を客觀する態度とも解せられる。

[やぶちゃん注:「閑吟集」の以上の二首は、別々の歌で、所持する岩波文庫「新訂 閑吟集」(浅野健二校注一九八九年刊)では、前者は通し番号「171」で、

   *

 逢ふ夜は君が手枕(たまくら) 來ぬ夜は己(おの)が袖枕(そでまくら) 枕餘りに床(とこ)廣し 寄(よ)れ枕 此方(こち)寄れ枕よ 枕さへに疎(うと)むか

   *

である。浅野氏の解説には、『狂言「枕物狂(まくらものぐるい)」の歌謡。狂言では、百歳(ももとせ)に余る老人が若い娘を恋い慕っての物狂いの場で歌うが、独立させれば前歌』(「170」の「めぐる外山(とやま)に鳴く鹿は 逢(お)うた別れか 逢はぬ怨みか」を指す)『を承けて、空閨をかこちながら輾転反側(てんてんはんそく)する女の歌とみることが出来よう』とある。後者は「175」で、

   *

 人を松蟲 枕にすだけど 淋しさのまさる 秋の夜すがら

   *

である。「松虫」が文学作品に登場するのは平安時代からであるが、一般に研究者は、当時は「松虫」(直翅(バッタ)目剣弁(キリギリス)亜目コオロギ上科コオロギ科 Xenogryllus 属マツムシ Xenogryllus marmoratus )と「鈴虫」(コオロギ科 Homoeogryllus 属スズムシ Homoeogryllus japonicus )の呼称は逆転していたとされ、現在と一致するのは江戸時代初期とされる。しかし、私は、これは昆虫学を知らない古典文学者の杜撰な説と考えている。それは長くなるので、「和漢三才圖會卷第五十三 蟲部 松蟲」の私の見解を見られたい。「和漢三才圖會卷第五十三 蟲部 金鐘蟲(すずむし)」はこちらにある。]

 

   年々のもたれ柱や星迎 白 雪

 

 緣側の柱などであらうか、七夕の夜二星を迎ふる每に、必ずその柱に靠れる[やぶちゃん注:「もたれる」。私はこの漢字が生理的に嫌いである。私は「凭れる」を使う。]習慣になつてゐる。格別子細があるわけでもない、年々歲々同じ星祭の行事を繰返すうちに、自然さういふ習慣を生じたのである。この句の裏面にはかなり長い時間が含まれてゐる。

「冬籠又よりそはんこの柱」といふ芭蕉の句は、冬籠だけに柱に寄添ふ時間が長いので、柱に對しても宛も[やぶちゃん注:「あたかも」。この漢字も嫌悪する。私は「恰も」を使う。]人の如き親しみを生じているが、白雪の句にはそれほどの感情は含まれてゐない。むしろ「年々に松打つ柱古りにけり 虛子」などといふ句の方に近いかと思ふ。尤も年に一度の「もたれ柱」は星の契[やぶちゃん注:「ちぎり」。]と同じく、見樣によつては却つて情味が深いことになるのかも知れない。擬人の弊に陷り易い七夕の句としては、この程度に離れる必要があるのであらう。

[やぶちゃん注:「冬籠又よりそはんこの柱」は「曠野」(元禄二(一六八九)年刊)では、

   *

 冬籠りまたよりそはん此はしら

   *

の表記で載る。この句は元禄元年十二月三日(グレゴリオ暦一六八八年十二月二十五日)附益光宛、及び、同月五日附尚白書簡に見える。

「年々に松打つ柱古りにけり」調べる限りでは、表記は、

   *

 年々に松うつ柱古りにけり

   *

である。]

 

   麻の葉の露や夜明の星祭 八 菊

 

「夜明の星祭」は夜明になつて星祭をするといふのではない、「星祭の夜明」と見たらよからうと思ふ。「星別れむとする晨[やぶちゃん注:「あした」。]」である。

 麻の葉と星祭とは直接の關係が無い。作者はあの靑い鮮な葉の上に、夜明に近い露を認めたまでである。若し七夕に直接の關係を持つてゐたら、この麻の葉の露もまた少しく擬人的なものに變化する虞がある。露を何者かの淚と見る趣向は、和歌以來已に陳腐であるのみならず、星の別の淚となつては愈〻ありがたくない。この句は飽くまでも客觀の景色と見るべきである。

 

2024/05/30

柴田宵曲「古句を觀る」正規表現版電子化注 / 「秋」(6)

 

   干綿に落て音なきじゆくしかな 暮 谷

 

 自ら枝を離れた熟柹が、綿を干した上に落ちる。柿が堅いか、下のものが堅いかすれば、音がするわけだけれども、柿も熟しており、下が柔い綿なので、何の音もしなかつた、といふのである。

 ちよつと變つた場合を見つけたところに面白味がある。綿を澤山積んで置いて、その上へ高いところから飛下りたら怪我をせずに濟むだらうか、といふやうなことを考へた少年時代を思ひ出す。

 

   鰯ほす有磯につゞく早稻田かな 句 空

 

 磯に續く此方は、一面の田圃たんぼになつていて、穗に出た早稻がそよいでいる。磯には鰯が干してある。烈しい秋の日が照りつけて、むつとするやうな干鰯ほしかの匂もあたりに漲みなぎつているに相違ない。

 芭蕉の「早稻の香や分け入る右は有磯海」といふ句は、海に近い稻田の比較的大きい景色と、その間をとぼとぼと行く芭蕉の旅姿を連想せしめるが、句空は「鰯ほす」の一語によつて、その磯の樣子を强く描き出している。北國作家の一人だから、舞臺は無論同じところである。

[やぶちゃん注:「句空」(没年不詳)は加賀蕉門の重鎮。元は金沢の商人であった。元禄元(一六八八)年四十一、二歳頃、京都の知恩院で剃髪し、金沢卯辰山の麓に隠棲した。翌二年、芭蕉が金沢を訪れた際に入門、同四年には、大津の義仲寺に芭蕉を訪ねている。五部の選集を刊行しているが、俳壇的野心は全くなかった。一方で、芭蕉に対する敬愛の念は深く、宝永元(一七〇四)年に刊行した「ほしあみ」の序文に、芭蕉の夢を見たことを記している。正徳二(一七一二)年刊行の「布ゆかた」の序に、当時六五、六歳とあり、この年以後の消息は全く不明である(以上は主文を朝日新聞出版「朝日日本歴史人物事典」に拠った)。

「早稻の香や分け入る右は有磯海」私の『今日のシンクロニティ「奥の細道」の旅 61 越中國分 早稻の香や分け入る右は有磯海』を見られたい。]

 

   何をする家とも見えず壁に蔦 其 由

 

 壁に蔦などを匍はせて住んでゐるが、必ずしも數寄者といふわけではない。この「何をする」といふ言葉は、蕪村が「こがらしや何に世わたる家五軒」といつたほど强い意味の言葉でなく、素性のわからぬ、得體の知れぬといつた程度のものと見るべきであらう。子規居士の「職業のわからぬ家や枇杷の花」といふ句が、ちよつとこの句に近いものを捉へてゐる。

[やぶちゃん注:「こがらしや何に世わたる家五軒」明和五年十月二十三日(グレゴリオ暦一七六八年十二月一日)の作。

「職業のわからぬ家や枇杷の花」明治三三(一九〇〇)年の作。]

 

   張聲や籠のうづらの力足 山 店

 

 籠に飼はれた鶉が一際聲を張つて鳴く時に、足に力を入れる、といふだけのことである。「張聲」と云ひ「力足」と云ひ、言葉の上にもいさゝか前後照應するものがある。

 由來俳人はこの種の觀察を得意とする。鶯の鳴く場合の描寫がいろいろあることは已に記した。但この種の觀察は、自然に活動する山禽野鳥の上には下しにくいので、畫家の寫生と同じく、籠中のそれを便宜とするわけであらう。この句も「籠の鶉」であることを、ちゃんと斷つてゐる。

 

   竹伐て日のさす寺や初紅葉 吾 仲

 

 句意は隱れたところもない。竹を伐つた明るい感じ、日のあたる寺、あたりの紅葉し初めた木々、といふやうなものは、そのまま一幅の畫圖である。

「肌さむし竹切山のうす紅葉 凡兆」といふ句は、竹を伐ることに紅葉を配した點で、稍〻似たやうな趣を具へてゐるが、凡兆の句が蕭條たる山中の氣を肌に感ぜしむるに對し、吾仲の句は繪畫的にあたりの景色を髣髴せしむるところがある。「初紅葉」と云ひ「うす紅葉」と云ひ、紅葉の色の濃からざる[やぶちゃん注:「こまやかからざる」。]ことが、句中の趣を助けてゐる點は、兩句ともあまり變りが無い。

「肌さむし竹切山のうす紅葉」この凡兆の句は「猿蓑」の「卷第三」に載る。岩波文庫堀切実編注「蕉門名家句選(下)」の解説によれば、『「木六竹八」といって、竹は陰暦の八月ごろに伐るのが最良とされる』とある。]

 

   秋の日や釣する人の罔兩 雲 水

 

「罔兩」は「カゲボフシ」とよむのであらう。秋天の下に釣する人の影法師を描いただけの句で、今の人から見たら大まかに過ぎるかも知れない。併し徐にこの句を再誦三誦して見ると、何となく棄て難いものがある。無心に釣を垂れてゐる人の影法師は、春日でも面白くなし、冬日でも工合が惡い。夏の炎天では尙いけない。たゞ一個の影法師を描いただけで、或うらさびしさを感ぜしむるのは、天地に亙る秋の氣の力である。何の背景もなしに或空氣を描き出すのは、かういふ大まかな句の一特長とも見ることが出來る。

 

   妹がすむたばこの花の垣根かな 春 鷗

 

 煙草の花は美しいものである。妹の垣根に煙草が高く伸びて、美しい花をつけてゐるなどは材料が新しいのみならず、眺としても面白い。「妹が垣根三味線草の花咲きぬ」といふ蕪村の句は、實景であつたかも知れぬが、妹と三味線とが緣のあるものだけに、殊更にかういふ想を構へたかといふ疑も起る。煙草に至つてはそんな關係は何も無い。極めて自然である。

 煙草が官營になつてから、もう四十年近くになるであらうか。煙草の製品が專賣局以外にないのみならず、植えられた煙草の葉一枚と雖も、苟も[やぶちゃん注:「いやしくも」。]出來ないことになつてしまつた。何かの煙草の中に種子がまじつてゐたのを蒔いて置いたら、煙草が生えて花が咲出した爲、遂に見つかつて罰金を取られた、といふ話を聞いたことがある。煙草花咲く妹が垣は、昔の夢とするより仕方がない。

[やぶちゃん注:「煙草が官營になつてから、もう四十年近くになるであらうか」まず、「葉煙草專賣法」は、明治二七(一八九四)年から翌年に、「日清戦争」を受けて、国家財政の補助のために導入された税金であったが、逆に「葉煙草」の不正取引や、安い輸入品の国内流入を招く結果を生み、政府は目標の税収を得ることが出来なかった。それに対処するため、総てを国が管理する「煙草專賣法」が明治三七(一九〇四)年に「煙草専売法」が制定された(以上は「JT」公式サイトの「たばこの歴史」の『専売化された「たばこ」』に拠った)。]

譚 海 作者津村津村正恭淙庵の後書・柳塘主人「序」/ 「譚海」~九年四ヶ月を経て全電子化注終了

[やぶちゃん注:「譚海」の電子化注は、今までのプロジェクトでは、最も時間がかかった。始動は二〇一五年二月九日であった。実に九年四ヶ月を費やした。感慨無量――

 以下は、まず、漢文のままに電子化し(返り点のみが附されてある)、後に推定訓読を示す。

 なお、底本には、「目錄」が冒頭にあるが、それは総ての投稿で標題にしたものであり、カテゴリ「譚海」で全標題が一目で順に見えるので、屋上屋はせぬこととする。

 

予壯歲有志于四方而塵鞅不ㇾ果、每厠稠人談、及四方之事、亦不ㇾ爲ㇾ尠焉。遂記矢口之言譚海其始也偶然筆ㇾ之、中則荒於其業、終則勇於其成。既而二十年成十五卷、亦復足ㇾ贘初志耳。今也老矣、時時展玩、如別閱宇宙也、呵々。

  寬政七仲夏之吉        淙庵道人識

 

○やぶちゃん推定訓読

 予、壯歲(さうさい)、志(こころざし)、四方(しはう)に有り。而して、塵鞅(ぢんわう)ありて、果たせず、每(つね)に稠人(ちうじん)の談に厠(まじ)り、四方(よも)の事に及びて、亦、尠(すこ)しも爲(な)さず。遂に矢口の言を記(き)して、「譚海」と名づく。其の始めや、偶然、之れを筆(ひつ)し、中(なかごろ)には、則ち、其の業(ぎやう)、荒れ、終(つひ)に、則ち、其れを成さんと勇めり。既にして二十年、十五卷、成り、亦復(またまた)、初志を贘(ほむ)るに足(た)るのみ。今や老いたり、時時(じじ)、展玩(てんぐわん)し、三別して宇宙を閱(けみ)するがごときなり。呵々(かか)。

  寬政七仲夏 吉        淙庵道人識

 

[やぶちゃん注:「塵鞅」この世の足手纏い。

「稠人」衆人。多くの人。

「矢口の言」次々と放たれる弓矢の如き人々の語りの意か。明和七(一七七〇)年一月に江戸外記座にて初演された人形浄瑠璃「神靈矢口渡」に引っ掛けたものかとも思ったが、私の知るその語りには、ピンとくるものがなかった。

「厠」「廁」の異体字であるが、動詞で「まじる・まじえる」の意がある。

「寬政七」一七九五年。

「展玩」見て楽しむこと。

「三別」「三」は単にパートを大きく分けることを言っていよう。]

 

 

[やぶちゃん注:本底本冒頭にある「序」。但し、これは底本の竹内利美氏の冒頭解題に、この「序」は筆者した際に「柳塘主人」 が『勝手に書き加えたもののようである』とあったことから(後で当該部を引用した)、わざと外したものである。ここに参考までに掲げることとする。竹内氏によれば、この「序」は国立国会図書館本にしかない、とされる(国立国会図書館デジタルコレクションの画像では、ここ)。そして、『筆者の柳塘主人は幕末の漢詩人小栢軒(晩翠軒)と思われるが、淙庵との関係は未詳である。しかし淙庵自身の依頼によるところではなく、後に筆写の際、勝手に書き加えたもののようである』とあるのである。電子化は以上の後書に準じた。この漢文の訓読は、かなりクセがあって、少し手間取った。万一、よりよい訓読法があれば、御教授願いたい。]

 

 序

 古往今來、受人身南瞻部州者何限、而電光石火之際、多與草木偕朽、寥々無ㇾ聞、是可ㇾ咲矣、然則以ㇾ何、不草木化朽也、受人身者、可ㇾ有ㇾ爲耳、𡉌士得ㇾ志、則以其所一レ學施其所一レ行、德加百姓、功蓋一世、是現宰官身、最上得意者所爲也、朝遊花街、暮宿柳樓、或呂名香、或鬪芳茗視ㇾ酒如ㇾ水、擲ㇾ金若ㇾ土、豪邁不覉、自我作ㇾ古者、雖ㇾ非善男子、然互必竟有ㇾ爲者也、然是得其時與勢者也、不ㇾ得其時與勢、而不草本偕朽者、最難矣、淙庵老人、生-長市朝之間、且其生計頗窮、不ㇾ得時與勢最甚者也、而風流溫藉、勤ㇾ學不レ倦、其緖餘著譚海一書、雖ㇾ書ㇾ以國字、上從廟堂遺事、下到里巷鎖說、及山川土草本、禽魚之微、上下數百年、縱橫千萬里、目所ㇾ視耳所ㇾ聽、筆之不ㇾ洩、奇々妙々、使ㇾ人閱斯書、猶ㇾ行會稽道上一、唯恐、其書也是可以傳後世矣、後世得奇々妙々之賜於淙庵老人、又使後世知南瞻部州、有淙庵老人者有、而不草木化朽也、夫在此一書哉、僕不ㇾ堪艷羨乃歌曰、富耶貴耶、一肱手眠、北邙之土、埋ㇾ醜埋ㇾ娟、唯其著述、可以永年、遂書以爲ㇾ序

                 柳 塘 主 人

 

○やぶちゃん推定訓読

 序

 古往今來、人身を受け、南瞻部州に生まれしは、何(いづ)れが限りか。而して、電光石火の際、多くは、草木(さうもく)と偕(とも)に朽ち、寥々(れうれう)として、聞く無し。是れ、咲(わら)ふべし。然れば、則ち、何(いづ)れを以つて、草木と化(かわ)して朽ちざらんや。人身を受くるは、爲す有るのみ。𡉌(ひさし)く、士、志(こころざし)を得て、則ち、其の學ぶ所を以つて、其の行く所に施す。德は百姓(ひやくせい)に加へ、功(こう)、一世(いつせい)を蓋(おほ)ふ。是れ、現宰(げんさい)・官身(かんしん)、最上の得意の者の所爲(しよゐ)なり。朝(あした)に花街(くわがい)に遊び、暮(くれ)に柳樓(れうらう)に宿(やど)す。或いは、名香(めいかう)を呂(き)き、或いは、芳茗(はうめい)を鬪(あらそ)ひ、酒を視れば、水のごとく、金を(なげう)ちて、土(つち)のごとく、豪邁不覉(がうまいふき)、自づから、「我れ、古(ふる)きを作(な)すは、善男子(ぜんなんし)に非ざると雖も、然(しか)も互ひに必竟(ひつきやう)、爲(な)すこと有る者なり。然(さ)れば、是れ、其の時の與勢(よせい)を得たる者なり。其の時の與勢を得ざれば、而して、草本と偕(とも)に朽ちざる者は、最も難(なん)たり。」と。淙庵老人、市朝(してう)の間(かん)に生まれ、且つ、其その生計(なりはひ)、頗窮(ひんきゆう)たり。時の與勢を得ざるは、最も甚しき者なり。而れども、風流にして溫藉(をんしや)、學に勤めて、倦(う)みず、其の緖餘(しよよ)、「譚海」一書を著(ちよ)す。國字を以つて書くと雖も、上(かみ)は廟堂遺事より、下(しも)は里巷鎖說(りかうさせつ)に到る。山川(さんせん)・土(ど)・草本(さうほん)、禽魚(きんぎよ)の微(び)に及ぶ。上下(かみしも)數百年(すひやくねん)、縱橫(じゆうわう)、千萬里、目(め)、視る所、耳、聽く所、筆、之れ、洩らさず、奇々妙々、人をして斯(こ)の書を閱(けみ)して、猶ほ、會稽(くわいけい)の道上(だうじょう)を行くがごとし。唯だ恐る、其の書や、是れ、以つて後世(こうせい)に傳ふべきに、後世、淙庵老人より、奇々妙々の賜(たまはり)を得て、又、後世、南瞻部州に、淙庵老人、有るを知らしめし者、有(あ)りて、而して、

「草木と與(とも)に化して朽ちざるや。夫(そ)れ、此の一書に在(あ)るや。」

と。僕(ぼく)、艷羨(えんせん)に堪へず、乃(すなは)ち、歌ひて曰はく、

「富(ふ)や貴(き)や 一肱手(いつこしゆ)の眠(ねむ)り 北邙(ほくばう)の土(つち) 醜(しう)に埋(うづ)み 娟(けん)に埋む」

と。唯だ、其の著述、以つて永年なるべければ、遂(つひ)に書き、以つて、「序」と爲(な)す。

                 柳 塘 主 人

 

[やぶちゃん注:「寥々」「ものさびしくひっそりとしているさま」「空虚なさま」「むなしいさま」「寂莫」の他に、「数の非常に少ないさま」の意がある。総てハイブリッドに含むと考えてよい。

「𡉌(ひさしく)、士」「𡉌」は漢語ではなく、「Unicode(ユニコード)一覧とURLエンコード検索・変換サイト」を名乗る「0g0.org」のここによれば(このサイト、難字を検索すると、しばしがかかるのであるが、その解説では、やはり意味を記さず、それでいて、周辺情報を記すという、糞AIが作った文章のような、常体・敬体ゴチャ混ぜで、全体に気持ち悪さ満載である。以下の引用を見られたい)、『江戸時代末期に作られた字体である。この字体は、当時のみんなが描く文字に対して、より美しい字体を求めた結果生まれました。そこで、書道家たちは文字の形を考え抜き、その結果『𡉌』という文字が生まれました。 この文字は、四角くて対称的な形をしており、線が細く曲線も繊細です。それ故、細かな作業が必要とされ、書くことはとても難しいと言われています。しかし、綺麗に書かれた𡉌の文字は、美術品のような美しさを持っているため、多くの人々から愛されています。 𡉌は、現代でもなお、書道家や美術家たちから関心の的となっています。また、近年では、この書体を使用したデザインやロゴなどが注目を集めるようになっており、その魅力が再び見直されているといえます。 このように、𡉌という文字は、美しい形状とその歴史的な背景により、現代でも愛され続けています』とあるのである。だったら、ネットの目立とう精神満々の書道家や美術家が、この字を示したページが一杯なきゃ、おなしいだろ? 但し、事実、複数の中文サイトでは、意味を示さず、「輸入された漢字」という附記があった。というわけで、意味不明。当初、「𡉌士(きうし)」と読んでいたが、これでは意味が解らないから、まあ、(つくり)の「久」が意味であろうと踏めば、この分離で読んでおいたものである。

「柳樓」「靑樓」に同じ。妓楼だが、江戸では特に官許の吉原遊郭を指した。

「呂(き)き「呂」に動詞の用法はない。日本や中国の音楽で陰(偶数番目)の音階を指す「呂律」(りょりつ)である。そこで、香道で「香を聞く」と言うから、それを私が、かく、洒落て訓読したものである。

「芳茗」香りのよい高級茶。

「豪邁不覉」「豪邁」は「気性が強く、人より勝れていること」、「不覉」は「物事に束縛されないで行動が自由気ままであること」、また、「才能などが並はずれていて、枠からはみ出すこと」だが、ここは前の意でよかろう。

「溫藉」心が暖かく、広いこと。

「緖餘」残されたもの。

「里巷鎖說」田舎や市街の巷間に関わる繋ぎ合わされた諸説。ここは、噂話・都市伝説等の尾鰭のついた流言飛語を底辺の老いた謂いか。

「土(ど)」は「風土」で、民俗社会を指していよう。

「會稽の道上を行く」知られた「臥薪嘗胆」の「會稽の恥を雪ぐ」をインスパイアした表現。遂に「譚海」だけが残った「𡉌」(ひさ)しく精進努力した、埋もれていた士、津村淙庵が、この書が大衆に読まれることで、屈辱を晴らし、名誉回復すると、大讃歌をぶち上げたのである。

「後世、淙庵老人より、奇々妙々の賜(たまはり)を得て、」原文「後世得奇々妙々之賜於淙庵老人、」の返り点では私は読めないと判断したので、かく訓じた。

「艷羨」羨ましく思うこと。

「富(ふ)や貴(き)や 一肱手(いつこしゆ)の眠(ねむ)り 北邙(ほくばう)の土(つち) 醜(しう)に埋(うづ)み 娟(けん)に埋む」「一肱手の眠り」は、ちょっとの間、手の肘を曲げて転寝(うたたね)することであろう。富貴(ふうき)は勿論、人生そのものがそのように無常にして一瞬の果敢ないものだというのであろう。而して「北邙」が出る。これは一般名詞で「墓場」の意である。結句は、「果敢ない富貴とは対照的に、富貴であっても遺体は醜く埋められ、無名にして貧しくとも、その遺体は艶やかで美しい。」と言うのであろう。]

2024/05/29

譚 海 卷之十五 諸病妙藥聞書(22) / 「譚海」本文~了

○瘡毒の藥。

 白鮮皮(はくせんぴ)・防風・荆芥・木瓜(ぼけ)・薏苡仁(よくいにん)・木通(あけび)・金銀花・苦參(くじん)・龍膽草(りゆうたんさう)・唐皂角子(たうさうかくし)・澤潟(おもだか)・唐大黃(たうだいわう)【各五匁。】・茯苓・川芎・黃連・黃柏・杜仲・車前子【各一匁七分。】・連翹・生地黃(なまじわう)・黃笒(わうごん)・山巵子(くちなし)・當歸・甘草【各七分。】

 已上、廿四味を七貼(てう)にして、一貼へ、山歸來、八十目宛(づつ)、加へ、七日、飮(のむ)べし。

痼疾の瘡毒、耳など聞えざるものにても、治する也。尤(もつとも)、大貼にして用(もちゆ)べし。

山歸來は、一番、二番、三番けづり迄、有(あり)。下直(げぢき)の品、よし。禁物、あぶらこき肴(さかな)を、いむ。此藥、妙也。

[やぶちゃん注:「瘡毒」梅毒。

「白鮮皮」ムクロジ目ミカン科ハクセン属ハクセン Dictamnus albus の根皮を基原とする生薬で、当該ウィキによれば、『唐以降の書物に見られ』、『解毒や痒み止めなどに用いられていたが、現在は』殆んど『用いられない。ヨーロッパでは、皮膚病の薬や堕胎薬として用いられていた』とある。

「薏苡仁」単子葉植物綱イネ目イネ科キビ亜科ウシクサ連ジュズダマ属ジュズダマ変種ハトムギ  Coix lacryma-jobi var. ma-yuen の皮を剥いた種子を基原とする生薬。当該ウィキによれば、『滋養強壮、いぼ取りの効果、利尿作用、抗腫瘍作用(消炎)などがあるとされる』とある。

「苦參」マメ目マメ科マメ亜科クララ連クララ属クララ Sophora flavescens の根又は外の皮を除いて乾燥したものを基原とする生薬。当該ウィキによれば、『利尿、消炎、鎮痒作用、苦味健胃作用があ』る、とする。なお、『和名の由来は、根を噛むとクラクラするほど苦いことから、眩草(くららぐさ)と呼ばれ、これが転じてクララと呼ばれるようになったといわれる』とあった。

「龍膽草」リンドウの異名。]

 

○又、一方。

 山歸來・忍冬・土骨皮【各六匁。】・桔梗・大黃・黃連【各一匁。】・甘草【五匁。】

 右、七味、是は輕き瘡の藥也。

 

○又、一方。

 山歸來【四匁。】・防風・木瓜・木通・薏苡仁・白鮮皮・金銀花【各五分。】・皂角子【四分。】

 已上、八味。

 

○瘡毒痼疾、ほねがらみに成(なり)たるを、治す。

 此藥、奇々、神の如し。見聞して覺たる所也。牛込原町若松町、御旗組同心衆今井利助殿より出(いづ)る。一劑代金、一兩二步也。なほり、こじれたる淋病抔に、半劑、服して功、有(あり)。若(もし)此藥、用ひたくば、金子、持參(もちまゐ)れば、製藥に取(とり)かゝり、四、五日過(すぎ)て、出來る也。禁物、甚(はなはだ)多し。乍ㇾ去(さりながら)、鼻の缺(かけ)りたるも、此藥を用(もちゆ)る時は、元の如くに、直(なほ)る程の奇方也。

[やぶちゃん注:梅毒で鼻が欠けた場合、直るというのは、望めない。]

 

○おらんだ水藥(みづぐすり)。

 右の藥、「かさ」に用(もちゆ)る事、有(あり)。必(かならず)、用べからず。害をなす事、至(いたつ)て、深し。此藥、用(もちい)て後は、外に治すべき方(はう)有(あり)ても、きかず、愼(つつしみ)恐るべし。

 

○病犬にかまれたるには、

 右藥、賣(うる)所、淺草門跡、前橋の際(きは)、藥店に有(あり)。一貼、代金、一步也。此藥を服すれば、二度(ふたたび)起る事、なし。但(ただし)、此藥、用(もちい)る時は、病氣、つよく起(おこり)て、死(しな)んとするほどに有(ある)也。二、三日、過(すぐ)れば快氣する間、驚(おどろく)べからず。

 

○又、一方。

 「とこゆ」【柚の類也。】、「わさびおろし」にて、すり、疵口を、水にて、能(よく)、洗(あらひ)て、すり、つくれば、疵口より、水、出(いづ)る。しばらく置(おき)て、又、すり付(つく)べし。いくたびも如ㇾ此すれば、よく直る也。

[やぶちゃん注:「とこゆ」果実が小形で早熟性のムクロジ目ミカン科ミカン属ハナユCitrus hanayu 。異名を「ハナユズ」「一才ユズ」等とも呼ぶ。]

 

○又、一方。

 紫蘇(しそ)の葉を、もみて、汁も葉も共に、ぬり付(つく)べし。

 

○馬、又は、犬などに、かまれたるには、

 「さゝげ」のみを、かみくだきて、付(つく)べし。すべて、獸(けもの)に、くはれたるには、よく、功、有(あり)。

 

○「まむし」にさゝれたるには、

 樟腦一味、「みゝづ」に、すりまぜて、付(つく)べし。

[やぶちゃん注:「樟腦」本日、公開した『「和漢三才圖會」植物部 卷第八十二 木部 香木類 樟腦」』を参照されたい。]

 

○又、一方。

 「螢火丸」を、かみくだき、「つばき」にて、ぬり付(つけ)て、よし。

[やぶちゃん注:「螢火丸」「京都産業大学」広域サイト内のここにある「蛍火武威丸(包紙)」か。『代々』、『陰陽頭をつとめた土御門家が製造していた薬』とある。]

 

○又、一方。

 「なめくじり」を付(つく)れば、立所(たちどころ)に治する也。

 

○又、一方。

 年始に門松に用(もちい)たる「くし柹(がき)」を、かみくだき、付(つけ)て、よし。

 

○又、一方。

 朝がほの葉を、つねに、「ごまの油」に、ひたし置(おき)、それを、「まむし」にさゝれたる時に付(つく)れば、卽功、あり。

 

○又、一方。

 疵口へ、「とりもち」を、ぬりて、膝の「ふし」より下を、土の中へ、しばし埋(うづめ)て居《を》れば、去る事、妙也。

[やぶちゃん注:河豚中毒者を地中に埋めて治すのと兄弟のトンデモ療治だな。]

 

○「まむし」を、よくる守札。

 右、上杉家中志津田孫兵衞と云(いふ)人より出(いづ)る。每年正月十六日・七月十六日、兩度也。禮物(れいもつ)、百錢、持參する也。其外の日、所望すれば、金子百疋なり。此符、神驗(しんげん)ある事、筆上に、つくしがたし。

 

○鼠に、くはれたるには、

 「しきみ」の「枯(かれ)ば」を細末にして、せんじて、痛所を、あらひ、又、一ぷくほど、飮(のみ)て、よし。

[やぶちゃん注:危険ですな、シキミは全草が有毒ですから。]

 

○又、一方。

 日本橋平松町、井上文平、所に、あり。「つて」を賴(たのみ)て、もらふべし。

 

○蜂にさゝれたるには、

 芋の葉にても、「くき」にても、すりつくれば、痛(いたみ)、忽(たちまち)に止(とま)る也。生(なま)の「里いも」を付(つけ)ても、よし。

 

○「あり」を、さる方。

 ありのかよふ道へ、「熊のゐ」を、水にて、とき、ぬりて、よし。

 

○「のみ」を、さる方。

 菖蒲(しやうぶ)にて、「むしろ」を、あみて、敷(しき)てねる時は、のみ、よらず。

 

○虱(しらみ)を、さる方。

 「朝がほ」の葉を、湯に、わかしたるにて、洗濯すべし。

 

○蚊いぶしの方。

 「べぼう」と云(いふ)木を、蚊遣に、すべし。

 右數寄屋河岸、さつま物問屋に、あり。

[やぶちゃん注:「べぼう」「譚 海 卷之十三 べほうの事」の私の注を見られたい。]

 

○又、一方。

 蓬(よもぎ)を、陰ぼしにして、蚊遣にすべし。

 

○諸蟲、「あんどん」へよらざる法。

 萱(かや)の實、一つ、つるし置(おく)時は、諸蟲、燈へ、よる事、なし。

[やぶちゃん注:この「萱」は、恐らく「大麻草」、バラ目アサ科アサ属 Cannabis のそれであろう。]

 

○魚を、いかす方。

 死なんとする鯉・鮒のたぐひ、一夜、水しだりを、しかけて、其水へ、はなち、水の音を、きかするやうにすべし。

 

○百草黑燒の方

 五月五日、百種の草を採集(とりあつめ)て、其夜、露を、うけて、翌日より、每日、炎天に、ほし、かためて、後、黑燒にすべし。

 

○病人、生死を見わくる藥。

 辰沙・五靈脂(ごれいし)【各三匁。】・銀硃【一匁五分。】・麝香【三分。】・ひまし【三匁。】・雄黃【五匁。】・巴豆

 已上、七味、右、端午、淨室(じやうしつ)に入(いり)て、午(うま)のとき、細末して、磁器に貯(たくは)ふ。但(ただし)、婦人の手に觸(ふる)べからず。此藥用たる跡、川へ、ながすべし。右の藥、「ふき」の賞(み)の大さに、まろめ、病人の印堂(いんだう)の穴に付(つけ)て、線香一本焚(たく)ほど、置(おき)て、此藥を取(とり)すつべし。其跡、赤く、はれあがりたる時は、重病とても、蘇生す。

[やぶちゃん注:本篇を以って、「譚海」は終っている。後は、津村の後書(漢文)と、本底本冒頭にある「柳主人」なる人物の「序」のみである(この「序」を最初に配さなかったのは、竹内利美氏の冒頭解題に、この「序」は筆者した際に「柳主人」 が『勝手に書き加えたもののようである』とあったからである)

「五靈脂」中国に棲息する哺乳綱齧歯目リス亜目リス科リス亜科 Pteromyini 族ムササビ属Petaurista の糞を基原とした生薬。「金澤 中屋彦十郎藥局」公式サイト内のこちらによれば、『成分としてはビタミンA類、その他で』、『炒りながら』、『酢や酒を加え、乾燥したものがよく用いられる』。『かつては解毒薬として蛇、ムカデ、サソリ等に咬まれたときに外用した』とある。

「銀硃天然の辰砂に硫黄を混ぜたニカワを練り合わせて作った朱w「銀朱」と呼ぶが、これか。

「ひまし」「ひまし油」か。漢字では「篦麻子油」と書く。「篦麻」はトウダイグサ目トウダイグサ科トウゴマ(唐胡麻)Ricinus communis のことを指し、その種「子」から採取する植物油の謂いである。但し、その強い毒性は必ずしもよく認識されていないと思うので(ごく最近、本邦で夫をこれで殺害しようとした妻が逮捕されたニュースを見た)、ウィキの「トウゴマ」から引いておく。『種子から得られる油はひまし油(蓖麻子油)』が知られるが、この『種にはリシン(ricin)という毒タンパク質がある』。『学名の Ricinus はラテン語でダニを意味しており、その名のとおり果実は模様と出っ張りのため、ダニに似ている。トウゴマは栽培品種が多くあり、その植生や形態は個体によって大きく変化し、あるものは多年生で小さな木になるが、あるものは非常に小さく一年生である。葉の形や色も多様であり、育種家によって分類され、観葉植物用に栽培されている』。『一属一種。原産は、東アフリカと考えられているが、現在では世界中に分布している。公園などの観葉植物として利用されることも多い』。種子は四〇~六〇%の『油分を含んでおり、主にリシノリン』『などのトリグリセリドを多く含むほか、毒性アルカロイドのリシニンも含む』。『トウゴマの種は、紀元前』四千年頃に『つくられたエジプトの墓所からも見つかっている。ヘロドトスや他のギリシャ人旅行者は、ひまし油を灯りや身体に塗る油として使用していたと記述している。インドでは紀元前』二千年頃から『ひまし油を灯りや便秘薬として使用していたと記録されている。中国でも数世紀にわたって、内用・外用の医薬品として処方されている。日本では、ひまし油は日本薬局方に収録されており、下剤として使われる。ただし、猛毒であるリシンが含まれているため、使用の際は十分な注意が必要である。特に妊娠中や生理中の女性は使用してはならない。また、種子そのものを口にする行為はさらに危険であり、子供が誤食して重大事故が発生した例もある』とする。ウィキの「リシン」によれば、リシンは『猛毒であり、人体における推定の最低致死量は』体重一キログラ当たりたったの〇・〇三ミリグラムで、毒作用は服用から十時間後程度で発生、その機序は『たんぱく質合成が停止、それが影響していくことによる仕組み』拠るとある。『リシン分子はAサブユニットとBサブユニットからなり、Bサブユニットが細胞表面のレセプターに結合してAサブユニットを細胞内に送り込む。Aサブユニットは細胞内のタンパク質合成装置リボゾームの中で重要な機能を果たす28S rRNAの中枢配列を切断する酵素として機能し、タンパク質合成を停止させることで個体の生命維持を困難にする』。『吸収率は低く、経口投与より非経口投与の方が毒性は強いが、その場合の致死量はデータなし。戦時中はエアロゾル化したリシンが、化学兵器として使用された事もある。また、たんぱく質としては特殊な形をしているため、胃液、膵液などによって消化されず、変性しない』。また、『現在、リシンに対して実用化されている』科学的に有効と断定される『解毒剤は存在しない』とある。

「印堂」眉間の中央部分にあるツボの名称。]

譚 海 卷之十五 諸病妙藥聞書(21)

○みもちの婦人、麻疹(はしか)する時、傷產(しやうざん)せぬ方。

 「伏龍肝(ぶくりゆうかん)」一味、水に、とき、臍のあたり、すべて胎(たい)の有(ある)あたりへ、ぬるべし。傷產する事、なし。寶町桐山、三ケ所にあるもの、よし。

[やぶちゃん注:「傷產」読みは以下の読みから推測。死産・流産、或いは、胎児が母から麻疹に感染したり、或いは、その結果として、何らかの障碍を持って生れて来ることか。

「伏龍肝」前回で既出既注だが、再掲すると、「株式会社ウチダ和漢薬」公式サイトの「ブクリュウカン(伏龍肝)」を見られたい。]

 

○「たむし」を治する奇方

 「はらや」、一箱の目かたに、「かたべに」、五、六丁目、くはふ。右、二味を、「ぬかのあぶら」にて、ねりて、たくはひ置(おき)、それを酢にて、とき、付(つく)べし。いかやうの「たむし」にても、跡なく、治す。但(ただし)、「はらや」は、水かねを燒(やき)たるもの也。一箱の價(あたひ)、銀十匁程、「ぬかのあぶら」のとりやうは、茶わんを、紙にて、くゝりふたぎ、紙の上へ、「ぬか」を、もり、「ぬか」へ火を付(つく)れば、「ぬか」、もゆるに隨(したがひ)て、段々、茶わんへ、紙を、こして、油、したゝる也。

[やぶちゃん注:「たむし」「田蟲」。白癬の一種で、皮膚に小さな丸い斑点が生じ、それが次第に周囲に向かって円状(銭状)に広がって、中央部の赤みが薄れて輪状の発疹となる。痒みが激しい。股間に生ずるものは特に「陰金田虫」(いんきんたむし)という。銭田虫。

「かたべに」「形脂」で「かたべに」と読む。紅花(双子葉植物綱キク亜綱キク目キク科アザミ亜科ベニバナ属ベニバナ Carthamus tinctorius )から採った、どろどろした艷紅(つやべに)を乾燥させたもの。口紅・印肉・食料品の染色材料とされる。]

 

○又、一方。

 硫黃・大黃・明礬、三味、粉にして、酢にて、付(つく)る。

 

○田蟲・水蟲・しらくも・あせも。

 右の藥、正恭(まゆき)、家方(かはう)也。こゝに、しるさず。

[やぶちゃん注:「正恭」作者津村淙庵の本名。書かんカイ! アホンダラ!]

 

○「魚の目」には、

 蜂の子の、かへらぬ内に取(とり)て、すりつぶし、付(つけ)て、よし。

 

○「いぼ」をぬく藥。

 餅米を、粉にして、石灰に和し、水に、とき、ぬり付(つく)べし。但(ただし)、「いぼ」を、いろひ[やぶちゃん注:「綺(いろ)ふ」。手でいじる。]たる手にて、外の所をかき、又は、なで、など、すべからず。其まゝ、うつりて、「いぼ」、出來(いでく)る也。

[やぶちゃん注:この但し書きのそれは、ウイルス性イボ=尋常性疣贅(ゆうぜい)であることを意味する。]

 

○名のしれぬ腫物、出來(でき)たるには、

 白つゝじの花、一匁、集置(あつめおき)て、水にひたし、洗ふべし。如ㇾ此して、いえざるときは、「みぞはぎ」の花、一匁、加へて洗(あらふ)べし。治する也。

[やぶちゃん注:「みぞはぎ」フトモモ目ミソハギ科ミソハギ属ミソハギ Lythrum anceps 。私の「大和本草卷之八 草之四 水草類 鼠尾草(みそはぎ) (ミソハギ)」を参照されたい。]

 

○なほりこじれたる出來物には、

 鮒(ふな)を生(いき)たるまゝにて、はらわた・鱗共(とも)に、「すり鉢」にて、すりつぶし、「そくゐ[やぶちゃん注:ママ。]」で、まぜ、紙にぬりて、付(つく)べし。

[やぶちゃん注:「そくい」「續飯」。既出既注だが、再掲しておくと、飯粒を練りつぶして作った粘りけの強い糊のこと。]

 

○禁穴へ出來たる腫物(はれもの)を、外へ引(ひき)て治する方(はう)。

 寒中の「むぐらもち」を黑燒にして、胡麻の油にて、とき、腫物の引たき所へ、腫物より、胡麻の油にて、筋を、ひき、幾度も、其所へ、指に油をぬり、ひけば、禁穴の腫物は直りて、油、引たる所へ、「むくり」と出來(いでく)る也。其所にて、膏藥にても、治する方を用(もちい)て、療治すべし。

[やぶちゃん注:「禁穴」命に拘わる急所。

「むぐらもち」モグラの古称。]

 

○もろくもろ腫物には、

 犬山椒の實を、すり付(つく)べし。

 

○腫物に付(つけ)てよき藥、諸病に用(もちい)て、よし。

 忍冬を、二寸程に切(きり)て、澤山に拵へ、せんずべし。尤(もつとも)、水、澤山、入(いれ)て、二日ほど、せんじ、五斗の水三升程に成(なる)を待(まち)て、絹にて、粕(かす)を、こしさり、其跡へ、金銀花を細末にし、入(いれ)て、又、せんじつめて、地黃のやうに、かたまりたるとき、火より、おろすべし。右、用(もち)ゐやう、一日に十匁ほどづつ、朝夕二度に、のむべし。腫物には付(つけ)ても、よし。

[やぶちゃん注:「金銀花」マツムシソウ目スイカズラ科スイカズラ属スイカズラ Lonicera japonica の異名、及び、棒状の蕾の生薬名。当該ウィキを見られたい。]

 

○「つぶり」へ出來物せしには、

 茵蔯十匁・「すひかづら」二十匁、合(あはせて)三十匁、右を、三つに、わけ、三日ほどして、一日分へ、大柄杓で、水、五はい、入(いれ)て、四はい半に、せんじつめ、あらふべし。半時程づつおいて、一日にて、八度、洗(あらふ)べし。

[やぶちゃん注:「茵蔯」既注の「茵蔯湯」の主剤の「インチンコウ」=キク亜綱キク目キク科ヨモギ属カワラヨモギ Artemisia capillaris の頭花であろう。]

 

○又、一方。

 こき白水へ(しろみづ)、靑袋、一味、加へ、煎(せんじ)、洗(あらふ)べし。一日に、二、三度も、あつく、わかし、あらへば、内へ入(いる)事、なし。

[やぶちゃん注:「白水」米の研ぎ汁。

「靑袋」これは恐らく「靑黛(せいたい)」の津村の誤記であろう。国立国会図書館本を見ると、ひらがなで『せいたい』となっているからである。「慶應義塾大学医学部消化器内科」公式サイト内の「慶應義塾大学病院IBD(炎症性腸疾患)センター」の「センターからのお知らせ」の「青黛もしくは青黛を含有している漢方薬を使用している患者さんへ」の冒頭部に、『 青黛(せいたい)とは、リュウキュウアイ、ホソバタイセイ等の植物から得られるもので、中国では生薬等として、国内でも染料()や健康食品等として用いられています。近年、潰瘍性大腸炎に対する有効性が期待され、臨床研究が実施されているほか、潰瘍性大腸炎患者が個人の判断で摂取する事例が認められています』。しかし、『今般、青黛を長期に服用した潰瘍性大腸炎患者において、青黛の服用と因果関係の否定できない肺動脈性肺高血圧症が発現した症例が複数存在することが判明したことから、厚生労働省が関係学会等に対して注意喚起を行いました』(以下略)とあった。例示された基原植物は、シソ目キツネノマゴ科イセハナビ属リュウキュウアイ Strobilanthes cusia と、アブラナ目アブラナ科タイセイ属ホソバタイセイ Isatis tinctoria である。]

 

○又、一方。

 白朮の粉を、すり付(つけ)、すり付、すべし。

 

○又、一方。

 「淸上防風湯」、荊芥(けいがい)を去(さり)て、せんじ、服すべし。

[やぶちゃん注:「淸上防風湯」「6」で既出既注。]

 

○「ねぶと」は、

 「みそ」を、ひらたくして、「はれ物」の上へ置(おき)、灸すべし。膿をもつ事、はやし。扨(さて)、膏藥にて治すべし。

[やぶちゃん注:「ねぶと」「根太」。ここは所謂、「おでき」の一種としておく。大腿部や臀部などに発し、赤く腫れて硬く、中心が化膿して時に激痛がある。「疔」(ちょう)や「癰」(よう)等とも呼ぶ。但し、鼠径リンパ節に痛みのある腫脹が発生する症状の中には、性病の軟性下疳や硬性下疳の場合もある。]

 

○又、一方。ふるき紙子(かみこ)を付(つく)るも、よし。

[やぶちゃん注:改行なしは、ママ。]

 

○癰疔(ようちやう)には、

 「萬病感應丸」、よし。食傷の所に有(あり)。

[やぶちゃん注:「癰疔」皮膚の急性化膿性炎症の内、単一の腺に起るのを「癤」(せつ)と呼び、隣りあう多数の腺に群がって起こるものを「癰」と言う。これはその中・重度の様態を指すと考えてよいか。

「萬病感應丸」「16」で既出既注。]

 

○「しつ」をひ出し藥。

 正月の「かざりえび」を、せんじ、其汁を飮(のむ)べし。

[やぶちゃん注:『「しつ」をひ出し藥』「しつ」「濕瘡」であろう。皮膚病である疥癬(かいせん)虫(節足動物門鋏角亜門蛛形(クモ)綱ダニ目無気門亜目ヒゼンダニ科ヒゼンダニ属ヒゼンダニ Sarcoptes scabie )の寄生によって皮膚に湿疹を発し、全身に広がって痒みを起こさせるもの。「かいせん」「ひぜん」。後半は「追(お)ひ出し藥」であろう。]

 

○又、一方。

 巴豆(はづ)・大風子(だいふうし)・黑胡麻。各、等分。いりて、用ふべし。

 右、三味、「大ぐはんの油」にて、ねり、絹に包み、一夜、酒に、ひたし、翌日より、總身(さうみ)へ、ぬる也。一日に、三度づつ、ぬる也。顏と、まへと、「いんのう」をよけて、ぬる也。右、三日一ぷくを用(もちゆ)べし。三日の内、酒、不足に成(なり)たらば、つぎたし、つぎたしして、ぬるべし。三日目の夜、はじめのくすりを、すてて、あらたに、ひたし、翌日より、其藥を、四日、ぬるべし。第八日目に、米の「とき水[やぶちゃん注:ママ。]」を、たくはひ置(おき)、ゆに、わかし、行水すべし。行水する内より、「しつ」、ことごとく、いえて、かしらの「ふけ」の如くに、直(なほ)る也。每日、段々、直りて、半月程にて、元のはだのごとくに成(なる)也。此藥、「しつ」を内へ入(いる)る事、なし。「しつ」、根を切(きり)て、二度、おこらず。右の療治中、木綿にて手袋を拵へ、飯をも、手袋の上へ、のせて、くふべし。決して、手にて、顏などを、いらふべからず。「はし」の先を、けづり置(おき)て、それにて、髮抔(など)をも、かくやうに、すべし。「いんのう」、「いんきやう」をも、よく、つゝみて、藥のつかぬやうに、すべし。

[やぶちゃん注:「いんきやう」底本では、右に編者右傍注があり、『(陰莖)』とある。

「大風子」大風子油(だいふうしゆ)のこと。当該ウィキによれば、キントラノオ目『アカリア科(旧イイギリ科)ダイフウシノキ属』 Hydnocarpus 『の植物の種子から作った油脂』で、『古くからハンセン病の治療に使われたが、グルコスルホンナトリウムなどスルフォン剤系のハンセン病に対する有効性が発見されてから、使われなくなった』とあり、『日本においては江戸時代以降』、「本草綱目」『などに書かれていたので、使用されていた。エルヴィン・フォン・ベルツ、土肥慶蔵、遠山郁三、中條資俊などは』、『ある程度の』ハンセン病への『効果を認めていた』とある。

「大ぐはんの油」これは、キントラノオ目トウダイグサ科アブラギリ属アブラギリ Vernicia cordata から採取される油と思われる。]

 

○「しつ」はらい[やぶちゃん注:ママ。]藥。

 山歸來(さんきらい)【又、十番皮も用(もちゆ)。】・木瓜(ぼけ)・木通(あけび)・防風・皂角子(さうかくし)【各等分。】・金銀花【二倍。】

右、せんじ藥にして、入梅雨濕(うしつ)の比(ころ)、用(もちゆ)べし。

[やぶちゃん注: 「山歸來」中国南部・台湾に自生する多年生草本である単子葉植物綱ユリ目サルトリイバラ科シオデ属ドブクリョウ(土茯苓) Smilax glabra の塊茎を乾したものを基原とする漢方生薬。当該ウィキによれば、『古くは梅毒の治療薬(梅毒の治療に水銀が用いられていたが、水銀中毒を防ぐために合わせて服用された』『)として知られ、梅毒が大きな問題となっていた江戸時代の日本では、国産が不可能なこともあり』、『毎年のように大量に輸入され、安永』六(一七七七)年には五十六『万斤もの輸入があった』とあり、『身近なところでは便秘薬で有名な毒掃丸シリーズ(ドクソウガンE、複方毒掃丸、新ドクソウガンG)に便秘に伴う吹出物、肌あれなどの改善目的で配合されている』とある。但し、単子葉植物綱ユリ目サルトリイバラ科シオデ属サルトリイバラ Smilax china をも「山帰来」と呼ぶとあり、当該ウィキによれば、東アジア(中国・朝鮮半島・日本)に分布し、『秋に掘り上げて』、『日干し乾燥させた根茎は薬用に使われ、利尿、解毒、皮膚病に効果があり、リウマチの体質改善に役立つと考えられてきた』。『漢方では菝葜(ばつかつ)とよんで、膀胱炎や腫れ物に治療薬として使われ』、『民間療法として、おでき、にきび、腫れ物などに』『服用する用法が知られている』とある。しかし、国外から入手していたこと、末期には皮膚変成が激しい梅毒の治療薬とされたことなどから考えると、ドブクリョウの方に分があるように私には思われる。

「十番皮」不詳。

「皂角子」マメ目マメ科ジャケツイバラ亜科サイカチ(皂莢)属サイカチ Gleditsia japonica の棘を基原とする漢方生薬。当該ウィキによれば、『腫れ物やリウマチに効くとされる』とある。]

 

○「しつ」のくすり湯。

 柳の葉・桃葉・桑葉・忍冬・蓮葉・當藥(たうやく)。「湯の花」、少し、くはふ。

 右、七味、きざみて、袋に入(いれ)、風呂に燒(やき)て、七日、入(はいる)べし。冬、葉のなきときは、此木の枝を、けづりて用(もちゆ)べし。

[やぶちゃん注:「當藥」 苦いことで知られる、リンドウ目リンドウ科センブリ属センブリ Swertia japonica の全草体を基原とする生薬。]

 

○「ひぜん」の藥。

 黃芪(わうぎ)・大黃【各二匁。】・白朮・川芎(せんきゆう)【各一匁五分。】

 右、四味、細末にして、まじりのなき「そば粉」二匁、入(いれ)、一劑にして、三度に、服すべし。十時《じふとき》ほどにして、小便、必(かならず)、にごる。其(その)にごり、澄むまで、白湯(はくたう)にて、用(もちゆ)ベし。但(ただし)、此藥、用る中(うち)、靑物・油揚の物を、堅く、いむ。

[やぶちゃん注:「黃芪」マメ目マメ科ゲンゲ属キバナオウギ Astragalus membranaceus の根を基原とする生薬。当該ウィキによれば、『止汗、強壮、利尿作用、血圧降下等の作用がある』とある。]

譚 海 卷之十五 諸病妙藥聞書(20)

○灸、かさ、なほりそんじたるには、

 井の中の靑苔を、靑竹の中の紙を、とり、それに付(つけ)て、「灸のふた」とすベし。

 

○「うるし」にかぶれたるには、

 鰹魚(かつを)を、くひて、よし。

[やぶちゃん注:私は二十年前、大好きだったマンゴーも食べられなくなったウルシ過敏症であるが、大好きなカツオを試したい気は、全く、しない。]

 

○巴豆(はず)の毒に、かぶれたるには、

 黑豆の「せんじ汁」にて洗(あらふ)べし。其儘、いゆる也。

[やぶちゃん注:「巴豆」「(4)」で既出既注。]

 

○「霜やけ」には、

 里芋を、土のまゝ、黑燒にして、胡麻油にて、付(つく)べし。

[やぶちゃん注:小学校を卒業した直後、鎌倉から富山の高岡へ引っ越した。最初の冬、両足が、霜焼けに襲われた。赤斑らになり、激しく痒かったのを思い出す。]

 

○「ひゞ」のくすり。

 「からす瓜」の赤く成(なり)たるを、酒に、すりまぜて、付(つく)べし。

[やぶちゃん注:「からす瓜」実が赤くなったのが好き。家の玄関に乾燥したそれが、十年ぐらい前から飾ってある。ウリ目ウリ科カラスウリ属カラスウリ Trichosanthes cucumeroides や、カラスウリ属 Trichosanthes kirilowi 変種キカラスウリ Trichosanthes kirilowii var. japonica である。キカラスウリの方は、学名から察せられる通り、日本固有種であり、北海道から九州に自生している。ウィキの「カラスウリ」によれば、『若葉は食べる人は少ないが』、『食用になる』。『採取適期は、関東地方以西の暖地では』五~八『月、東北地方以北などの寒冷地では』六~八『月ごろとされる』。『摘んだ葉は茹でて水にさらし、ごま和えや』、『マヨネーズ和えなどの和え物、炒め物などにして利用する』。『生の若葉は、そのまま天ぷらにも出来る』(この「天ぷら」は東北の奥深い温泉宿で食したことがある)。『初秋のまだ熟さない緑色の果実も食用にし、摘んで塩漬けや味噌漬けにしてお新香としたり、汁の実にしたりする』。『食味は苦みがあり』、『万人向きではないが、酒の肴として好まれる』とあった。今度、食ってみんべい。]

 

○「あかぎれ」には、

 足を、よく、あらひ、「おはぐろ」を、わかし、「あかぎれ」の口へ、入(いる)べし。一日の内に愈(いゆ)る也。

 

○「風(かざ)ぼろし」には、

 「えの木」の「は」を、酢にて、せんじたるを、付(つく)べし。

[やぶちゃん注:「風ぼろし」「デジタル大辞泉」に「かざほろし」(風疿)で載り、「ほろし」は発疹のこと。「かざぼろし」とも言うとあり、風邪の熱などが原因で、皮膚に生じる小さな発疹。「かざはな」とも言う、とあった。使用例を「和名類聚鈔」とするから、平安中期には既にあった病名である。]

 

○腫(はれ)やまひを治する法。

 冬瓜(たうがん)の「つる」の所を、茶釜の蓋の如く、切(きり)て、其内に有(ある)たねを、取(とり)すて、其後(そのあと)へ、「かうじ」一升二合、焚(たき)たての「めし」を、六合、あはせ、つめて、其後(そののち)、「ふた」をし、かたく、繩にて、くゝり、晝は、日のあたる所へ出(いだ)し、夜は、「ふとん」などにて、つつみ置(おく)時は、五、六日過(すぎ)て、よきほどの甘酒に成(なる)也。その「あま酒」を、あたゝめ、くらふときは、腫病、よく直る也。扨(さて)、殘りの冬瓜をば、別に「あまざけ」に造りおいて、其(その)甘酒の中へ、冬瓜を、切(きり)、まぜ、用(もちゆ)べし。是も、よきほどの功ある甘酒となり、病氣本復迄に、用ひあまるほど也。

 

○又、一方。

 越後の國にて腫病(はれやまひ)に、山牛房[やぶちゃん注:ママ。](やまごばう)を煮て、くふ事也。「商陸(しやうりく)」よりは、其(その)功、萬々(ばんばん)也。

[やぶちゃん注:「商陸」ナデシコ目ヤマゴボウ科ヤマゴボウ属 ヤマゴボウ Phytolacca acinosa 。しかし、有毒であり、食用には適さない。なお、ご存知かと思うが、「山牛蒡の漬物」として販売され、寿司屋等で呼ぶそれは、真正のヤマゴボウではなく、キク目キク科アザミ属モリアザミ(森薊)Cirsium dipsacolepis・オニアザミ(鬼薊)Cirsium borealinipponense・キク科ヤマボクチ属オヤマボクチ(雄山火口)Synurus pungens の根である。]

 

○疱瘡には、

 一角を粉にして、時々、「さゆ」にて用(もちゆ)べし。極上の治方也。六ケ敷(むつかしく)手を引(ひき)たる「ほうそう[やぶちゃん注:ママ。]」に、よし。

[やぶちゃん注:「一角」「極上の」と言っているからには、哺乳綱鯨偶蹄目イッカク科イッカク属イッカク Monodon monoceros の♂の一本の歯が変形した牙であろう。当該ウィキによれば、『中近世ヨーロッパでは、ユニコーンの角には解毒作用があるという伝承があったため、ユニコーンの角と偽ってイッカクの角が売買された』。『江戸時代の日本でも、オランダ商人を通じてイッカクの角がユニコーンの角として輸入されており、「烏泥哥兒」(うにかうる、うにこーる)などと呼ばれていた』。『ユニコーンの角は今村源右衛門(今村英生)や青木昆陽によって紹介されており』、『当時の百科事典』「和漢三才図会」にも『掲載されていた』。『そのようななかで、木村兼葭堂(木村孔恭)は』「一角纂考」を『著した』。『同書では、オランダ人による北極捕鯨誌などをもとに』、『西洋のユニコーンの伝説だけでなく、その正体であるイッカクの生態や詳細な骨格、さらには珍しい二本角のイッカクのことも紹介している』とあった。私の「和漢三才圖會卷第三十八 獸類 一角(うんかふる/はあた:犀角) (海獣イッカクの角)」を参照されたい。

『六ケ敷手を引たる「ほうそう」』医師が匙を投げた天然痘。]

 

○又、一方。

 享保年中、淸朝より、白牛(しろうし)を、とりよせられ、房州において飼仰付(かひおほせ)られ、「もぐさ」斗(ばかり)を飼立(かひたて)て、其牛の「ふん」を、御用にて、俵に入(いれ)、江戶へ取(とり)よせ給ひ、町へも下されける。是(これ)、疱瘡の至極の治藥也。其時の「御用がゝり」齋藤三右衞門と云(いふ)人、牛込に居住せしかば、其子孫の家に、たくはへたるべし。求(もとめ)て用(もちゆ)べし。

[やぶちゃん注:「日本酪農発祥の地 千葉家 酪農のさと」の「安房の酪農―はじまりから江戸時代」を読むに、「淸朝より」というのは誤認のようである。『江戸時代の中ごろ』の、享保一三(一七二八)年、第八『代将軍徳川吉宗は美作(現在の岡山県北東部)から白牛を』三『頭導入し、嶺岡牧で飼育しました』。『嶺岡牧では』、『この白牛の数を増やすとともに』、『搾った牛乳で「白牛酪」という生キャラメルに似た乳製品を作り、日本橋の「玉屋」などで庶民へも売られるようになりました』。『この時』、『始まった「酪農」が』、『現在の酪農や乳業へとつながっていったので、千葉県が日本酪農の発祥の地といわれているのです』とあった。次の項の注も必ず参照されたい。

 

○疱瘡、かろくする「まじなひ」。

 橘町二丁目大坂屋平六と云(いふ)藥店に、「フランカステテン」と云(いふ)石、所持せり。おらんだ物にて、「まむし」の「かしら」より出(いで)たる石也。是にて疱瘡前の小兒の體中(からだぢゆう)を、なづれば、疱瘡、輕くする也。何にても腫物(はれもの)に付(つく)れば、ひつたり[やぶちゃん注:ママ。]と付(つき)て、膿水(なうすい)を、すひ出す也。膿(うみ)を吸盡(すひつく)せば、自然に、「ほろり」と落(おち)る。其後(そののち)、乳をしぼりたる中へ、此石を、ひたし置(おか)ば、吸(すひ)たる膿・血・毒氣などを、乳の中へ、吐出(はきいだ)す也。

[やぶちゃん注:前の「白牛」の話と、この話は、実は、既に、「譚海 卷之二 唐山白牛糞疱瘡の藥に用る事」と、「譚海 卷之十一 スランカステインの事」の二話で、同内容の記事が出ている。そちらの私の注を見られたい。]

譚 海 卷之十五 諸病妙藥聞書(19)

○うち身のくすり。

 黃柏・犬山椒【各一兩。】・明礬【一匁。】

 右、三味、細末、酢に、ときぬれば、治する事、妙也。

[やぶちゃん注:「犬山椒」双子葉植物綱ムクロジ目ミカン科サンショウ属イヌザンショウ 変種イヌザンショウ Zanthoxylum schinifolium var. schinifolium 当該ウィキによれば、『果実を煎じた液や葉の粉末は漢方薬に利用される』。『樹皮や果実を砕いて練ったものは湿布薬になる』とあった。]

 

○又、一方。

 療治所、下野(しもつけ)栗橋より五里、江戶より十六里有(あり)。「ぢうでう坂」まきの甚右衞門と云(いふ)百姓也。右かたへ、尋行(たづねゆく)べし。骨のおれたる「うで」も、引(ひき)ちがひたるにても、みな直し、もとの如くする也。奇妙。

[やぶちゃん注:「引ちがひたる」肉離れのことか。]

 

○又、一方。

 足をくじきたるを治する方、よろし。前に出(いづ)。

[やぶちゃん注:「(10)」の「○足を、くじきたるを、治す方。」。]

 

○又、一方。

 靑松葉を手一束に切(きり)、酒に煎じ、其酒を、醉(ゑふ)ほど、のましむ。醉(ゑひ)て、其人、ねぶる也。ねぶりさむるとき、必(かならず)、吐(はく)也。其後(そののち)、再(ふたたび)、うち身、起(おこ)る事、なし。しかふして、「安神散(あんしんさん)」か、「龍王湯(りゆうわうたう)」一貼(いつてふ)、服すべし。血を、とゝのふる也。

 但(ただし)、怪我せし時、目・口より、少しにても、血の出(いで)たるには、此方、用(もちゆ)るといヘども、きく事、なし。

[やぶちゃん注:「安神散」サイト「おきぐすり屋」のこちらを見られたい。

「龍王湯」小学館「日本国語大辞典」に、『江戸時代、女性特有の病気や避妊に用いた煎じ薬』とあるが、ちょっと怪しいし、違うな。]

 

○又、一方。

 水一升・酢一合・鹽一合

 右、三味を、まじへ、せんじつめ、痛所(つうしよ)を、あらふべし。

 

○又、一方。

 「にかわ」を、とき、付(つく)べし。

[やぶちゃん注:「おいおい!」と言いたくなったが、考えてみると、効果あるかも知らんね。]

 

○又、一方。

 鳥賊魚(いか)、甲を、けづり、「そくい」にまぜて、痛所へ、はるべし。「いかのかう藥」店に有(あり)。

[やぶちゃん注:「そくい」「續飯」。既出既注だが、再掲しておくと、飯粒を練りつぶして作った粘りけの強い糊のこと。]

 

○年をへて、打身おこるには、

 大根を、澤山に、おろし、痛所へ付(つく)べし。殊の外、通じ、痛(いたみ)、こらへがたき程也。取(とり)かへ、取かへ、三、四度も、つくれば、通じもなく、こらへ安く成(なる)也。其時に止(やむ)ベし。大根、初めは、しみて、いたみ、こらへがたし。灸をすうるやう也。「大こん」のからみ、骨に、とほりて後は、あつく、こらへがたきも、うすく成る也。

[やぶちゃん注:「通じもなく」不詳。「痛みが続かなくなって」の意か。]

 

○やけどのくすり。

 紫の切(きれ)を黑燒にして、胡麻油にて、とき、つくべし。

 

○又、一方。

 あつ灰(ばひ)を、水にひたし、付(つく)べし。

 

○又、一方。

 玉子の油を付(つく)べし。玉子を煮て、其鍋を傾けおけば、油、出(いづ)るを、綿に、しめして、とるべし。

 

○又、一方。

 南天葉(なんてんのは)を摺鉢にて、すり、其汁を、度々、付(つく)べし。

 

○又、一方。

 新しき「あはび貝」へ水を入(いれ)て、石にて摺(する)時は、白き水に成(なる)也。それを付(つく)れば、治す。尤(もつとも)、度々(たびたび)付べし。

 

○又、一方。

 ふるき家の百年もへたる竈(へつつい)を、くづしたる下に、灰の、「たどん」ほどに、かたまりたる物、有(あり)。それを、へがしへがし、すれば、赤色也。赤色を、へがせば、中に「むくろじ」ほどにてあるは、朱のいろのごとし。是、正眞(しやうしん)の「伏龍肝(ぶくりゆうかん)」也。甚(はなはだ)、得がたきもの也。是を、すこし、水にて、とき、「やけど」のうへに、ぬる時は、塗(ぬる)かたはしより、いたみ、とまる。奇妙の方也。

[やぶちゃん注:「伏龍肝」「株式会社ウチダ和漢薬」公式サイトの「ブクリュウカン(伏龍肝)」を見られたい。]

 

○又、一方。

 靑菜の汁にて、「さとう」を、とき、付べし。

 

○又、一方。

 鹽を、「めしつぶ」にまぜて、付べし。

 

○又、一方。

 生醬油(きじやうゆ)を付べし。

 

○又、一方。

 里芋を「わさびおろし」にて、すり、「さとう」をまぜ、付べし。又、山いも・黑ざとう、玉子の白味にて、とき、付べし。

 

○又、一方。

 黃柏、黃と白と「かば色」と三品、等分にして、「ごまの油」にて、とき、付るも、よし。

柴田宵曲「古句を觀る」正規表現版電子化注 / 「秋」(5)

 

   木犀のしづかに匂ふ夜寒かな 賈 路

 

 木犀の題を課して作つたとしたら、恐らくかういふ句は出來まい。夜寒の題を課したとしても同斷であらう。しづかに匂ふ木犀の花と夜寒とがぴたりと一緖になつて、些の隙も見せないのは、實感によるより仕方が無い。

 もう何年前の秋になるか、一週間ほど廣嶋に滯在した時、雨戶を引かぬ障子の外の中庭に、木犀の木が何本かあつて、朝夕その花の匂に親しんで過したことがある。この句を讀んで直にそれを思ひ出したのは、筆者だけの勝手な連想に過ぎない。實を云へばその時の廣嶋は、夜寒を感ずるには少し暖かつたからである。この木犀は庭にある場合と限らず、路傍にあるものとしてもいゝが、一句の趣を味ふ上から云ふと、通りすがりなどでなしに、靜止した稍〻長い時間が必要のやうに思はれる。

 

   伐透す藪より來たる夜寒かな 釣 眠

 

 藪にあつた木を何本か伐つた爲に、今までより大分あらはになつた。その藪が家の周圍にある場合、今までよりも夜寒を强く感ずるといふのは、さもあるべき事實である。髮を短く刈つた時の感じに喩へたら、中らずと雖も遠からずといふことになりはしないだらうか。

 この句の主眼は「伐透す」の五字にある。「藪より來たる」の語は少し强過ぎて――如何に藪があらはになつたにしろ、何だか工合が惡い。「伐透す藪」の夜寒をしみじみと感ずるが故に、「より來たる」の語によつて、この句を棄てたくないまでである。

 

   澄切て鳶舞ふ空や秋うらゝ 正 己

 

 秋晴の天を詠じたのである。春の空は「うらゝか」秋の空を「さやか」といふ風に限るのは歲時記に捉はれ過ぎた見解で、芭蕉にも「我ために日はうらゝなり冬の空」といふ句があつたと思ふ。自然を重んじた元祿の俳人は、晴れ渡つた秋晴の天にも、しづかに凪いだ冬の日光の中にも、うらゝかな趣の存在することを看過しなかつたのである。

 秋天の鳶はいづれかと云へば平凡な景物であらう。鳶を主としないで、澄みきつた秋天のうらゝかな趣を捉へたところに、この句の特色はある。

[やぶちゃん注:芭蕉の句は、岩波文庫中村俊定校注「芭蕉俳句集」(一九七〇年刊)では、「存疑の部」にある。「百歌仙」に、

   *

 我ために日はうらゝなり千〻の冬

   *

の句形で載り、「一葉集」の「考証の部」で、

   *

 我爲に日はうらゝなり冬の空

   *

とある。講談社学術文庫の山本健吉「芭蕉全発句」(二〇一二年刊)では、この句を載せない。

 

   燒米や鹿聞菓子に夜もすがら 半 殘

 

 秋になつて鹿の音を聞くなどといふことは、現代の吾々にはあまり緣の無い話になつてしまつた。芭蕉が「ぴいとなく尻聲かなし」と詠んだ「奈良の鹿」は、今日でも聞くことが出來るが、古人は更に山野に棲息する鹿の聲を聞かうとしたものらしい。蕪村も「ある山寺へ鹿聞きにまかりけるに茶を汲む沙彌の夜すがらねぶらで有りければ晉子が狂句をおもひ出て」といふ前書で、「鹿の聲小坊主に角なかりけり」といふ句を作つてゐるから、山中の寺までわざわざ鹿を聞きに行つたものと見える。

 半殘のこの句は蕪村のやうな前書がないので、さういふ點は十分にわからぬけれども、やはり「鹿聞き」の句であることは疑ふべくもない。燒米を菓子として食ひながら鹿の聲を聞いた――若しくは一晚中鳴くのを待つてゐた、といふのである。燒米を菓子にするといふことが、自ら鹿の聲の聞けるやうな場所を現してゐるやうに思はれる。

[やぶちゃん注:『芭蕉が「ぴいとなく尻聲かなし」と詠んだ「奈良の鹿」』は芭蕉の元禄七(一六九四)年九月十日附杉山杉風宛書簡に、

   *

 びいと啼(なく)尻聲(しりごゑ)悲し夜の鹿

   *

の句形で載る。「びい」は原書簡のママ。「中村氏の「芭蕉俳句集」の脚注に、「笈日記」から前文を引いて、『その夜(九月八日)はすぐれて月もあきらかに、鹿も声々』(「々」は底本では踊り字「〲」)『にみだれてあはれなれば、月の三更』(午後十一時から午前一時までの間)『なる比、かの池のほとりに吟行す』とあり、補注の別の本の前書と合わせて、このロケーションは奈良の「猿沢の池」であることが判る。この句形の後に、「芭蕉句集」から、

   *

 ぴいと啼尻聲寒し夜の鹿

   *

が載るが、「奈良の鹿」は、ない。宵曲の誤認と思われる。「奈良の鹿」は芭蕉にしてあり得ないと私は思うがね。因みに、元禄七年九月八日は、グレゴリオ暦で十月二十六日で、月は半月である。]

「和漢三才圖會」植物部 卷第八十二 木部 香木類 樟腦

 

Syounou

 

しやうなう  韶腦

 

樟腦

 

チヤン ナ゜ウ

 

本綱樟腦出韶州漳州狀似龍腦白色如雪樟樹脂膏也

煎樟腦法用樟木新者切片以井水浸三日三夜入鍋煎

之柳木頻攪待汁減半柳上有白霜卽濾去滓傾汁入瓦

盆內經宿自然結成塊也他𠙚雖有樟木不解取腦

又鍊樟腦法用銅盆以陳壁土爲粉糝之却糝樟腦一重

又糝壁土如此四五重以薄荷安土上再用一盆覆之黃

泥封固於火上款款灸之須以意度之不可大過不及勿

令走氣俟冷取出則腦皆升于上盆如此升兩三次可充

片腦也【片腦卽龍腦也今多製樟腦僞片腦不可不辨】

氣味【辛熱】通關竅利滯氣霍亂心腹痛寒濕脚氣殺蟲

[やぶちゃん字注:この行は誰が見ても動詞が脱字していることが判る。「霍亂」の前に「治」がないと読めない。これは良安の引用の際の見落としである「漢籍リポジトリ」のこちらのガイド・ナンバー[083-65a]の「樟腦」の「氣味」の一行目に、ちゃんと「治」が置かれてある)。訓読では補った。

 與熖硝同性水中生火其熖益熾又燒烟熏衣筐席簞

 能辟虱䖝蛀治疥癬齲齒

[やぶちゃん注:「䖝」は「虫(蟲)」の譌字(かじ:筆画・字形に誤りのある漢字)である。]

 【凡用毎一兩以二盌合住󠄁濕紙糊口文武火燲之半日許取出冷定用之】

△按樟腦出於日向薩摩大隅深山中採老楠木以圓刄

 釿斫取盛土鍋上亦葢鍋蒸炙之腦升着于上如霜乃

 此樟腦也此物能殺蟲凡藥種易蛀物四月晒乾用樟

 腦包紙納其箱櫃中封口則雖極暑不蠧也其藥使時

 隔紙焙則樟腦氣去如忌火藥包紙置于濕地亦樟腦

 去以無臭香氣爲度葢雖樟腦今皆楠腦也【未知和漢有異乎否】


霹靂木

推古天皇三十六年遣河邊臣於藝州造舟舶仍至藝州

[やぶちゃん字注:これは「日本書紀」の「卷第二十二」からの引用だが、確認したところ、「三十六年」は「二十六年」の誤りであることが判った。訓読では、訂しておいた。]

覔舟材時有一木其大十圍使人夫伐之時有人曰此名

[やぶちゃん字注:「覔」は「覓」の異体字。]

木也自古伐之雷電祟其人故號霹靂木不可伐河邊臣

曰普天下無非皇土雖雷神豈逆皇命耶使人夫伐之當

此時大雨雷電河邊臣案劔曰雷神無犯人夫當傷我身

而仰待之霹靂不震犯而止於是伐其木作舟舶

△按其樹不載形狀不知何木也樟楠杉檜之類乎

 

   *

 

しやうなう  韶腦《しやうなう》

 

樟腦

 

チヤン ナ゜ウ

 

「本綱」に曰く、『樟腦は韶州・漳州より出づ。狀《かたち》、「龍腦《りゆうなう》」に似て、白色、雪のごとし。樟樹《しやうじゆ》の脂-膏(あぶら)なり。樟腦を煎《せん》ずる法、樟の木の新しき者を用ひて、切-片(《きり》へ)ぎ、井《ゐ》≪の≫水を以つて、浸すこと、三日三夜、鍋に入れて、之れを煎じ、柳≪の≫木にて、頻りに攪(かきま)ぜ、汁、半《なかば》、減(へ)り、柳の上に、白≪き≫霜《しも》≪の樣なる物≫有るを待ちて、卽ち、濾(こ)して、滓(かす)を去り、汁を傾(かた)ぶけ、瓦盆《かはらばち》の內《なか》に入れて、宿《しゆく》を經《へ》、自然に結《けつ》して、塊(かたまり)と成るなり。他𠙚《たしよ》に、樟木《しやうぼく》、有ると雖も、腦を取ること、解《し》らず。』≪と≫。

『又、樟腦を鍊る法、銅≪の≫盆を用ひて、陳(ふる)き壁土を以つて、粉と爲《なし》、之れを糝(まぶ)し、却りて≪その上に≫樟腦を糝《まぶす》ること、一重《ひとへ》。又、壁土を糝し、此くのごとくすること、四、五重。薄荷《はつか》を以つて、土の上に安《やすん》じ、再び、一盆を用ひて、之れを覆《おほ》ひ、黃泥《かうでい》にて、封固《ふうこ》し、火の上に於いて、款款《ゆるやか》に之れを灸る。須(すべから)く、意を以つて、之れを度(はか)るべし。大過《たいくわ》に及ばすべからず。冷氣を走らせること、勿《なか》れ。冷《ひゆ》るを俟《まち》て、取り出す時は[やぶちゃん注:「時」は送り仮名にある。]、則ち、腦、皆、上≪の≫盆に升《のぼ》る。此くのごとく升《のぼす》ること、兩三次、「片腦《へんなう》」に充つるなり』≪と≫【「片腦」は、卽ち、「龍腦」なり。今、多く、「樟腦」を製して、「片腦」に僞《いつはる》。辨《べん》ぜざるべからず。】。

[やぶちゃん注:最後の割注は、良安が附したものであるので、注意が必要。医師である良安は、厳密に「樟脳」と「龍脳」を弁別して使用していることが判り、当時、中国や東南アジアのみではなく、本邦でも、そうした偽物が多く出回っていたことを示すものである。

『氣味【辛、熱。】關竅《くわんきやう》を通《つう》じ、滯氣を利し、霍亂《かくらん》・心腹痛・寒濕≪に據れる≫脚氣(かつけ)を治し、蟲を殺す。』≪と≫。

『熖硝《えんしやう》と性を同じくす。水中に火を生じ、其の熖(ほのほ)、益益《ますます》[やぶちゃん注:訓点では踊り字「〱」が置かれてある。]熾《さか》んなり。又、燒烟《しやうえん》して衣筐《えきやう》・席簞《むしろばこ》を熏じて、能く、虱《しらみ》・䖝《むし》・蛀《きくひむし》を辟《さ》け、疥癬《かいせん》・齲齒《うし》を治す。』≪と≫。

[やぶちゃん注:「䖝」は「虫(蟲)」の譌字(かじ:筆画・字形に誤りのある漢字)である。]

『【凡そ、用ひるに、毎一兩、二盌《わん》を以つて、合住󠄁《がふじゆう》≪し≫、濕≪めれる≫紙≪にて≫、口に糊《のりし》、文《→文火《ぶんび:とろ火。》》・武火《ぶび:強火。》にて之れを燲《あぶる》。半日許《ばかり》≪にして≫取り出だし、冷≪ゆるを≫定≪きわめて≫、之れを用ふ。】。』≪と≫。

△按ずるに、樟腦、日向・薩摩・大隅に出づ。深山の中の老いたる楠(くす)の木を採りて、圓刄(まるは)の釿《ちやうな》を以つて、斫(はつ)り取り、土鍋に盛り、上にも亦、鍋を葢(ふた)し、之れを蒸(む)し炙(あぶ)る。腦、上に升《のぼ》り着く。霜のごとし、乃《すなはち》、此れ、「樟腦」なり。此の物、能く蟲を殺す。凡そ、藥種、蛀(むしつゞ)り易き物、四月、晒≪し≫乾して、樟腦を用ひて、紙に包み、其の箱・櫃《ひつ》の中に納《をさめ》て、口に封する時は、則ち、極暑と雖も、蠧(むしく)はざるなり。其の藥、使ふ時、紙を隔てて焙《あぶ》れば、則ち、樟腦の氣(かざ)、去る。火を忌む藥のごときは、紙に包み、濕地に置きても、亦、樟腦、去る。臭香の氣《かざ》、無きを以つて、度《ど》と爲《な》す。葢し、「樟腦」と雖も、今、皆、「楠《くすのき》の腦」なり【未だ知らず、和漢の異、有りや否や。】。


霹靂木(へきれきぼく)

推古天皇二十六年、河邊臣(かはべのおみ)を藝州に遣し、舟-舶《つむ》を造らしむ。仍《よつ》て、藝州に至り、舟《つむ》≪の≫材《き》を覔《ま》く時、一《いつ》の木、有り。其の大いさ、十圍《とおかこみ》、人夫をして之れを伐《き》らしむ時、人、有りて曰はく、

「此れ、名木なり。古《いにし》へより、之れを伐れば、雷電《いかづちいなびかり》、其の人に祟(たゝ)る故《ゆゑ》、『霹靂木』と號す。伐るべからず。」

≪と≫。河邊の臣、曰はく、

「普天の下《もと》、皇土に非ずと云ふこと、無し。雷神と雖も、豈に皇命に逆はんや。」≪と≫。人夫をして、之れを伐らしむ。此の時に當《あたり》て、大雨・雷電す。河邊の臣、劔《つるぎ》を案《とりしぼりて》曰はく、

「雷神、人夫を犯すこと無かれ。當《まさ》に我が身を傷《やぶ》るべし。」

≪と≫。而《しか》仰せて、之れを待つ。霹靂、震犯《ふるひおか》さずして、止《やむ》。是《ここ》に於いて、其の木を伐りて、舟-舶《つむ》を作る。

[やぶちゃん注:以上の訓読では、一部、禁欲的に、国立国会図書館デジタルコレクションの黒板勝美編「日本書紀 訓読 下巻」(昭和七(一九三二)年岩波文庫刊)の当該部を参考にしたが、良安の訓読は、執筆当時のものであり、近代に研究が進んだ上代語の特有の読みは、なるべく採らないように心掛けた。]

△按ずるに、其の樹、形狀を載せず。何の木と云ふことを知らざるなり。樟《たぶ》・楠《くす》・杉・檜《ひのき》の類《るゐ》か。

 

[やぶちゃん注:樟脳(しょうのう)は、オランダ語で「カンフル」(kampher・kamfer。医療分野でよく使用される)、英語「カンファ―」(camphor)で、化学式 C10H16O 。小学館「日本大百科全書」によれば、『多環状モノテルペンケトン』(monoterpene ketone)『の一つで』、『特有の香気をもつ半透明、昇華性の安定な粒状結晶。中国の揚子江以南、海南島、台湾および日本が主産地であるクスノキ科のクスノキ』

(クスノキ目クスノキ科ニッケイ属クスノキ Cinnamomum camphora 当該ウィキを参照されたい。なお、中文ウィキのものは、『樟属 Camphora』『樟树』『 Camphora officinarum 』となっているが、これはシノニムである

『には、樟脳を生産する本樟』(前掲基種)『と、リナロールを主成分とする芳樟(ほうしょう)』

(ニッケイ属クスノキ変種ホウショウ Cinnamomum camphora var. nominale :本種については、サイト「長居植物園 植物図鑑」の「ホウショウ」がよい。そこには、『おおよその外観は基本種であるクスノキによく似るが、細部が異なる。クスノキとの差異としては、果実が小型であること、葉の縁がつよく波打つことが挙げられる。そして、最も大きな違いとしてはクスノキの主要な芳香成分である樟脳をほとんど含まず、リナロールという芳香成分をクスノキの1.5倍ほど含むことである。このリナロールはスズランなどに含まれている成分と同じであり、ホウショウの葉や枝からは花のような香りがする』とある

『とが著名である。化学構造から右旋性(d体)、左旋性(l体)、ラセミ体(dl体)の』三『種の光学異性体がある。本樟または芳樟の根、幹、小枝の切片(チップ)、葉を水蒸気蒸留すると、樟脳原油とともに泥状結晶が留出し、これを濾取(ろしゅ)すると』、『粗製樟脳が得られる』。『原木よりの収率は粗製樟脳0.8~1.0%、樟脳原油1.6~2.0%である。樟脳原油を分留すると再生樟脳が得られる。粗製樟脳とともに昇華法により』、『精製して精製樟脳とする。それは精製度によって甲種樟脳(A)、改良乙種樟脳(純度98%以上)、乙種樟脳(B)(純度95%以上)などの区別がある。精製樟脳は粉末状または粒状として製品化する』。『第二次世界大戦後、中華民国が台湾を支配したため』、『天然樟脳の生産は著しく減少した。日本における樟脳の生産量は』昭和二六(一九五一)年の『4200トンが最高であり』昭和三七(一九六二)年に『樟脳専売制度が廃止されたために、その生産量は急激に減少した』とある。

 「本草綱目」の引用は、「卷三十四」の「木之一」「香木類」の「樟腦」の独立項で(「漢籍リポジトリ」)、ガイド・ナンバー[083-64b]から始まる、その「集解」の冒頭以下で始まるが、原文が、樟脳製造法をベタで続いて書いてあるのを、読み易く改行して示していることが判る。

「韶州」現在の広東省。

「漳州」福建省。

「龍腦」ボルネオール(borneol)。「ボルネオショウノウ」とも呼ぶ。アオイ目フタバガキ科リュウノウジュ属リュウノウジュ Dryobalanops aromatica から得られる樟脳の一種。ウィキの「ボルネオール」によれば、『香りは樟脳に類似しているが』、『揮発性がそれに比べると乏しい』。『歴史的には紀元前後にインド人が』、六~七『世紀には中国人が』、『マレー、スマトラとの交易で、天然カンフォルの取引を行っていたという。竜脳樹はスマトラ島北西部のバルス(ファンスル)とマレー半島南東のチューマ島に産した。香気は樟脳に勝り価格も高く、樟脳は竜脳の代用品的な地位だったという。その後イスラム商人も加わって、大航海時代前から香料貿易の重要な商品であった。アラビア人は香りのほか』、『冷気を楽しみ、葡萄・桑の実・ザクロなどの果物に混ぜ、水で冷やして食したようである』とある。一方、基原であるリュウノウジュは、当該ウィキによれば、『最大』六十五『メートルさらには』七十五『メートルまで成長する超高木で』、本種は『樹木の葉が互いに接触しないよう成長するクラウン・シャイネス(』『crown shyness)と呼ばれる行動がみられる樹種の』一『つとして知られる。』とあり、分布は『インドネシア(スマトラ島、ボルネオ島)、ブルネイ、マレーシア』で、『この種は樟脳の主な原料の』一『つであり、香や香水に使用され、金以上の価値があった時には』、『ボルネオへ』、『アラブの交易商が引き寄せられた』。『木材としての名前は、カポール(Kapur)と呼ばれる』。『リュウノウジュの樹幹の空隙に析出される竜脳は、生薬として中枢神経系への刺激による気付けの効果を期待して利用される』。『森林伐採やアブラヤシなどのプランテーションへの転換などによる自生地の破壊、木材採取や抽出物のための伐採などにより、個体数は減少している』とある。なお、以下に「リュウノウジュ属」の項があるが、リュウノウジュを除く六種が掲げられてあり、その総てがボルネオに自生しているとある。さればこその「ボルネオール」である。

「薄荷」シソ目シソ科ハッカ属 Mentha の類。種は多い。当該ウィキ「ミント」を見られたい。

「封固《ふうこ》し」堅く封をして。

「須(すべから)く、意を以つて、之れを度(はか)るべし。大過《たいくわ》に及ばすべからず。」「くれぐれも、炙り方(かた)に細かな注意を払わねばならない。炙り過ぎぬようにしなければならぬ。」の意。

「冷氣を走らせること、勿《なか》れ」「スーっと冷たい感覚を齎す揮発成分を、少しでも飛ばしてしまうことは、最もあってはならないことである。」の意。

「關竅《くわんきやう》」東洋文庫訳に割注で、『(身体各部の器関と孔穴)』とある。現代語の注記であるから、『器関』は「器官」の方がよかろう。まあ、漢方で言う「器官」は、現代医学の物理的な内臓器官とは異なるから、「器関」と言ったとも思われるけれど、一般読者が躓かないのは「器官」である。

「蟲を殺す」この場合は、「疳の虫」などの神経医学・精神医学的な発症基原としての象徴的な「虫」の意の他、現代のヒトに侵入する寄生虫類も含むと考えてよいだろう。

「熖硝」火薬。

「性を同じくす」これは所謂、「五行思想」による「性」質である。

「燒烟《しやうえん》して」樟脳を焼いた煙を用いて。

「衣筐《えきやう》」衣裳箱。

「席簞《むしろばこ》」東洋文庫訳のルビは『むしろござ』であるが、この五字の単語は聴いたことがないし、ネットで『席簞』という熟語を調べたが、中文サイトでも見当たらない。広義の「蓆」(むしろ)は「藁莚(わらむしろ)・茣蓙(ござ)・畳表・菰(こも・薦)などの総称」であるが、「簞」には、「わりご・竹で編んだ丸い飯びつ」、「はこ・竹で編んだ小箱」、「ひさご・ひょうたん(瓢簞)」の意しかないからである。但し、「むしろばこ」というのも語としては、知らない。私の造語だが、一応、蓆(むしろ)で作った行李のようなものを考えた。「むしろござ」のよく意味が分からない語よりマシだと思う。

「一兩」明代のそれは三十七・三グラムである。

「二盌《わん》」「二椀」に同じ。

「合住󠄁《がふじゆう》≪し≫」東洋文庫訳では、『きっちりと合せて蓋(ふた)をし』とある。

「藥種、蛀(むしつゞ)り易き物」医療用の薬の内、特に虫の食いやすい薬種。

「度《ど》と爲《な》す」東洋文庫訳は『それでいいのである』とある。

「未だ知らず、和漢の異、有りや否や」真正のものとは、当然、違いますよ、良安先生。

「推古天皇二十六年」ユリウス暦の機械換算は六一六年。

「河邊臣(かはべのおみ)」河邊禰受(かわべのねず 生没年未詳)飛鳥時代の豪族で、「臣」は姓。冠位は小徳。当該ウィキを見られたい。この話も紹介されてある。

「舟-舶《つむ》」小学館「日本国語大辞典」によれば、『上代における大型船の呼称。つみ。』とあった。

「覔《ま》く」求める。

「案《とりしぼりて》」ここは黒板勝美氏の訓読に従った。東洋文庫訳では、『剣に手を置いて』とする。

「按ずるに、其の樹、形狀を載せず。何の木と云ふことを知らざるなり。樟《たぶ》・楠《くす》・杉・檜《ひのき》の類《るゐ》か」なんで、良安が、わざわざ、この「樟腦」の最後に配したのかは、取り敢えず、以上の樹種の解説を終わっているから、ではあろう。しかし、偶然だろうが、ウィキの「リュウノウジュ」にある、同樹群の俯瞰写真、これ、

Dryobalanops_aromatica_canopy

霹靂に見えるぜッツ!!!

2024/05/28

「和漢三才圖會」植物部 卷第八十二 木部 香木類 烏樟

 

Kurotabu

 

くろたぶ     烏樟  棆【音綸】

         枕【音沈】

釣樟

         【樟有大小二種

          小曰豫大曰章】

チヤ゜ウ チヤン

 

本綱此亦樟之類而小者也髙丈餘葉似楠葉而尖長背

有赤毛若批杷葉上毛根似烏藥香以根皮刮屑止金瘡

血甚驗以莖葉置門上辟天行時氣其材作𦨴船次于樟

△按楠樟難長一歳僅一寸而有數抱大木桐梓易長一

 歳數尺而不有大木以爲商人戒貪多利而好奢者富

 不久得小利而守儉者福不盡

 

   *

 

くろたぶ     烏樟《うしやう》  棆【音「綸」。】

         枕【音「沈」。】

釣樟

         【樟に、大・小、二種、有り。

          小を「豫《よ》」と曰ひ、

          大を「章」と曰ふ。】

チヤ゜ウ チヤン

 

「本綱」に曰はく、『此れも亦、「樟《たぶ》」の類にして、小者なり。髙さ、丈餘。葉、楠の葉に似て、尖≪り≫、長く、背《うら》に赤き毛、有りて、批杷の葉の上の毛のごとく、根、烏藥《うやく》に似て、香《かんば》し。根の皮を以つて、刮(こそ)ぎ屑《けず》り、金瘡《かなさう》の血を止《と》め、甚だ驗《げん》あり。莖・葉を以つて、門≪の≫上に置けば、天行時氣《はやりやまひ》を辟《さ》く。其の材、𦨴-船《ふね》を作る。「樟の木」に次ぐ。』≪と≫。

△按ずるに、楠-樟(くすのき)は長《ちやう》じ難く、一歳、僅かに一寸にして、數抱《すかかへ》の大木、有り。桐-梓《→桐(きり)と梓(あづさ)》は長じ易く《→易けれども》、一歳、數尺にして、大木、有らず。以つて、商人《あきんど》の戒めと爲《な》す。「多利を貪り、奢を好む者、富《とみ》、久しからず。小利を得て、儉を守る者、福、盡きず。」≪と≫。

 

[やぶちゃん注:この記事を初めて読まれる方は、先ず、前項の「樟」の私の注を、必ず、読まれたい。そこで述べた良安の錯誤に就いては、基本、繰り返さないからである。

 「本草綱目」の引用は、「卷三十四」の「木之一」「香木類」の「釣樟」の独立項直前にある「樟」ではないので注意が必要で(「漢籍リポジトリ」)、ガイド・ナンバー[083-42a]から始まる、その「釋名」及び「集解」のパッチワークである。

 にしても、この時珍の葉の「背《うら》に赤き毛、有りて、批杷の葉の上の毛のごとく」というのは、どうも、前項の「樟」の私の注の最後の部分で不審を示した通り、クスノキ科ニッケイ(肉桂)属クスノキ Cinnamomum camphora ではあり得ない。クスノキの葉は、裏も表も無毛だからである。毛があるクスノキ科Lauraceaeの種となると、例えば、クロモジ属 Lindera のケクロモジ Lindera sericea や同変種ウスゲクロモジ Lindera sericea var. glabrata がある(他にもあるであろうが、そこまで調べる気にはならない)。しかも、たまたまクロモジ属のウィキの中文の当該のそれを見たところが、中文名が、『山胡椒屬(拉丁文:Lindera),又名釣樟屬,是樟科底下的一屬開花植物』とあったのである。則ち、時珍が指す「釣樟」とは、

本邦のクスノキ科ニッケイ(肉桂)属クスノキ Cinnamomum camphora ではなく、

クスノキ科クロモジ属 Lindera の樹種

であることが、確定的になったと言ってよい。

「烏藥」中国原産で、漢方生薬の「天台烏薬」の基原植物である、クスノキ目クスノキ科クロモジ属テンダイウヤク Lindera aggregata を指す。似てて、当然なのだ! ますます前の注の最後の同定に確信を持てた!

「天行時氣《はやりやまひ》」先行する「降眞香」に既出。同様の仕儀で読みを振った。

を辟《さ》く。其の材、𦨴-船《ふね》を作る。「樟の木」に次ぐ。』≪と≫。

「桐(きり)」シソ目キリ科キリ属キリ Paulownia tomentosa当該ウィキによれば、『成長すると高さ』十~十五『メートル』、『幹の直径は』五十『センチメートル』『になる』とある。

「梓(あづさ)」ウィキの「梓」を見られたい。そこには、多数の同定候補種が並ぶが、所謂、「梓弓」(あずさゆみ)のそれは、マンサク亜綱ブナ目カバノキ科カバノキ属ミズメ Betula grossa がそれである。最大樹高は二十五メートルに達する。

「商人《あきんど》」良安は当該ウィキによれば、『出羽の能代(一説に大坂高津)で商人の子として生まれた』が、『後に大坂に移り、同郷の伊藤良立及び和気仲安の門人となり』、『医学や本草学を学』び、『後にこの業績により、大坂城入医師となり』、『法橋に叙せられ』ているので、読みは、かく、した。]

「和漢三才圖會」植物部 卷第八十二 木部 香木類 樟

 

Tabu

 

たぶ   俗云太布

 

 

チヤン

 

本綱樟木髙丈餘小葉似楠而尖長背有黃赤茸毛若批

杷葉上毛四時不凋夏開細花結小子木大者數抱肌理

細而錯縱文章多故謂之樟宜於彫刻氣甚芬烈伹樟有

大小其小者名豫二本生至七年乃可分別𦨴舩多用之

△按樟木似楠而木理畧麁堪水土也不如楠之強其葉

 似楠而狹長厚背有微毛有赤樟烏樟之二種黑樟乃

 釣樟也【赤者實亦赤黑者實亦黑】伹烏樟葉無毛

 

   *

 

たぶ   俗、云ふ、「太布」。

 

 

チヤン

 

「本綱」に曰はく、『樟の木は、髙さ丈餘。小葉、楠に似て《→れども》、尖り、長く、背《うら》に黃赤の茸-毛(むくげ)有り。批杷の葉の上の毛のごとし。四時、凋(しぼ)まず。夏、細≪き≫花を開き、小≪さき≫子《み》を結ぶ。木、大なる者は、數抱《すかかへ》。肌理(きめ)、細かにして、錯縱《たてまぢり》≪の≫文章《もんしやう》、多き故《ゆゑ》に、之れを「樟《しやう》」と謂ふ。彫刻するに宜《よろ》し。氣《き》、甚だ、芬烈《ふんれつ》なり。伹《ただ》し、樟に大・小有り、其の小なる者、「豫」と名づく。≪樟と豫との≫二本、生《しやう》じて七年に至り、乃《すなは》ち、分別すべし。𦨴-舩《ふね》に、多く、之れを用ふ。』≪と≫。

△按ずるに、樟《たぶ》≪の≫木、楠《くすのき》に似て、木理(きめ)、畧(ちと)、麁(あら)く、水土に堪(た)ふることなり。≪しかれども、≫楠の強きが、しかならず。其の葉、楠に似て《→れども》、狹《せば》く、長く、厚し。背に微毛有り。赤樟《あかたぶ》・烏樟(くろたぶ)の、二種、有り。黑樟は、乃《すなは》ち、「釣樟《くろたぶ》」なり。【赤き者、實も亦、赤く、黑き者、實も亦、黑し。】伹し、「烏樟」の葉には、毛、無し。

 

[やぶちゃん注:前の「楠」で注した通り、

中国での「楠」は、モクレン類であるクスノキ目クスノキ科タブノキ(椨の木)属ナンタブ(南椨)  Machilus nanmu

であり、

中国での「樟」は、本邦のクスノキ科ニッケイ(肉桂)属クスノキ Cinnamomum camphora

である。無論、良安はその違いを認識しておらず、

良安は「樟」をクスノキ科タブノキ属タブノキ Machilus thunbergii に比定して叙述している

ことを押さえて読む必要があるのである。但し、同じクスノキ科であり(ナンタブとタブノキは同属)、三者は樹の様子や、葉の形などは、ちょっと見では似ている箇所が、かなりある。ナンタブと、クスノキと、タブノキの学名の画像検索をリンクしておくので比較されたい。

 「本草綱目」の引用は、「卷三十四」の「木之一」「香木類」の「」の独立項直前にある「樟」ではないので注意が必要で(「漢籍リポジトリ」)、ガイド・ナンバー[083-42a]から始まる、その「集解」の一行目末以下であるが、前の「釋名」とのパッチワークである。

「錯縱《たてまぢり》」読みは東洋文庫のルビを参考にした。

「文章」「紋章」。

「芬烈」東洋文庫訳では割注して『(香りのきついこと)』とある。これはタブノキと共通する当該ウィキによれば、『樹皮や枝葉には粘液が多く、葉には香りがあり』、『乾かして粉にするとタブ粉が得られる。タブ粉は線香や蚊取線香の材料の』一『つ(粘結材)として用いた』とある。

『其の小なる者、「豫」と名づく』次項の「釣樟」がそれに当たる。

「分別すべし」「識別が可能となる」の意。

「𦨴-舩《ふね》に、多く、之れを用ふ」これもタブノキとも共通する当該ウィキによれば、『材は多岐に利用され、建築、家具などに使われる』。『かつては船材に使われ、漁業では海上から見て陸に高くそびえるタブノキを目印に位置を知り、魚を集める「魚寄せの木」として活用された』とあるのである。さすれば、前の香りといい、良安が完全に同一種と誤認したのには無理がないと言えるのである。

「赤樟《あかたぶ》・烏樟(くろたぶ)の、二種、有り」タブノキに亜種はないので、これは最初、樹皮の色の個体による違いに過ぎないと考えた。それは当該ウィキに、『樹皮は暗褐色から淡褐色、褐色』とあったからである。ところが、同属のタブノキ属ホソバタブ Machilus japonica があったので、そのウィキを見たところ、『葉は同属のタブノキより細い。また、タブノキの若葉は赤みを帯びるが』、『本種は帯びない』とあったからである。則ち、良安の言う「赤樟」はタブノキで、「烏樟(くろたぶ)」がホソバタブである可能性が出てきたのである。

「赤き者、實も亦、赤く、黑き者、實も亦、黑し」これは前注の識別には援護射撃にならない。タブノキもホソバタブも、実は熟すと、黒紫色になる。

『「烏樟」の葉には、毛、無し』これは前注の識別のやや援護射撃となるかと一瞬思った。Taku,Kanon氏のサイトかのんの樹木図鑑」の、「タブノキ」のページに、『葉は』『両面とも無毛』と明記があったからである。しかし、同サイトの「ホソバタブ」のページの葉の画像を見ても、毛があるようには、残念ながら、見えない。されば、次の項でさらに考証を継続する。実際、既に、実は「烏樟」=「釣樟」は、実は、クスノキでもタブノキでもないところまで、確信を持っている。されば、次項を必ず見られたい。

柴田宵曲「古句を觀る」正規表現版電子化注 / 「秋」(4)

 

   たばこ呑煙影ある月夜かな 素 人

 

 一見古句らしからざる內容を具えてゐる。明るい月の下に吸う煙草の煙が、ほのかに漂はす影を捉へたのである。元祿俳人の著眼が斯くの如き微細な趣に亙つてゐるのには、今更ながら驚歎せざるを得ない。

 かつて白秋氏の「水墨集」を讀んで、

  月の夜の

  煙草のけむり

  匂のみ

  紫なる。

といふ詩に、この人らしい鮮な感覺を認めたことがあつた。素人の句は表面に何等目立たしいものを持つてゐないに拘らず、悠々として月夜の煙草の趣を捉へ、ほのかな煙の影をさへ見遁さずにゐる。新奇を好む人々は、卷煙草を銜へたことも無い元祿人が、容易にこの種の句を成すことを不思議に思ふかも知れない。句は廣く涉り、多く觀なければならぬ所以である。

[やぶちゃん注:『白秋氏の「水墨集」』は詩集。大正一二(一九二三)年アルス刊。「月光微韻」(短唱 二十二章)の「2」。国立国会図書館デジタルコレクションの原本のここで視認出来る。]

 

   一すぢの蜘蛛のゐ白き月夜かな 獨 友

 

 張り渡した蜘蛛の絲が一筋白く月に見える。絲は元來一筋だけしか無いのか、一筋だけ特に目に入るのか、それは何れでも差支無い。たゞ白く見えるのは月の光によるだけでなく、露の置いた關係もありはせぬかと思はれる。

「露やふる蜘蛛の巢ゆがむ軒の月」といふ曾良の句は、同じ元祿時代の作だけれども、この句に比すれば纖巧[やぶちゃん注:「せんかう」。]な點に於て遙にまさつてゐる。月のさす軒端の蜘蛛の巢が、露の置くためにゆがむかと疑つたのは、「眉毛に露の玉をぬく」などといふよりも、却つて靜寂な夜の露けさを想はしめる。但その一面に幾分の際どさを含んでゐるだけ、元祿期の句としては、この句の自然なるに如かぬかも知れない。而も月下に白い蜘蛛の絲は、煙草の煙の影ほど特異なものでないにしろ、大まかな觀察者の眼に入る趣ではないのである。

[やぶちゃん注:曾良の句は、国立国会図書館デジタルコレクションでも、ネット検索でも掛かってこない。]

 

   三味線をやめて鼻ひる月見かな 關 雪

 

 月見の座の小景である。今まで三味線を彈いてゐた人が、急に手を止めたと思ふと、大きな嚔[やぶちゃん注:「くさめ」。]をした。本人に在つては滑稽でも何でもないであらうが、慌しく三味線をやめて嚔をしたといふ事實には、慥に或滑稽味が伴つてゐる。更くるに從つて冷えまさる夜氣が、自ら嚔を誘つたのであるといふことは、餘情の範圍として贅言を要せぬであらう。

 

   鳴神のしづまる雲や天の川 桃 鯉

 

 雷雨後の夜景であらう。今まで鳴りはためいてゐた雷は、天の一角にある雲中にをさまつてしまつて、晴れた空には天の川が明に見える。單に雷雨の後の天の川ならば、取立てて云ふほどのこともないが、雨は已に晴れて、而も一方には雷のをさまつた雲が蟠つてゐるといふところに、多少複雜な趣が窺はれる。一朶の雲は全く響を收めてゐても、雷の名殘だけに何となくたゞならぬものがあるやうに思ふ。

 

   耳かきもつめたくなりぬ秋の風 地 角

 

 春先、電車に乘つたりすると、乘降に摑む金屬の棒が、冬と違つて暖くなつてゐることを感ずる。俳句の季題に「水溫む[やぶちゃん注:「みづぬるむ」。]」といふのはあるが、「金溫む」といふのは無い。季題になるならぬは別問題として、天地の春がさういふ人工品にまで及ぶことは、季節を考慮する者の等閑に附すべからざる問題であらう。

 この耳搔の句は、天地の秋が人工の微物に到ることを詠んだのである。耳搔を取上げて耳を掘つて見ると、夏のうちと違つて冷たく感ずる。蹈む足に緣の冷かさを感じ、寐轉んで疊の冷かさを感ずる類は、必ずしも異とするに足らぬが、耳を掘る耳搔の冷たさは、蓋し俳人の擅場ともいふべき微妙な感覺である。それが使ひ馴れた耳搔であることは、「つめたくなりぬ」の中七字によく現れてゐる。

 

   きりぎりす秋の夜腹をさすりけり 靑 亞

 

 必ずしも腹が痛いからさするのではない。長々し夜をひとり寢て、我と我腹をさすつて見る。寢つかれない場合と見るか、夜半の寢覺と見るかは、この句を讀む人の隨意である。近々と鳴く蟋蟀[やぶちゃん注:「こほろぎ」。]の聲を聞きながら、しづかに腹をさする夜長人の姿を想ひ浮べれば、先づこの句の趣を解し得たに近い。

「きりぎりす」と云つて更に「秋の夜」の語を添へるのは、蛇足のやうでもある。少くとも「秋」といふことは不必要のやうに思はれるが、しづかにこの句を三誦すると、「秋の夜」の一語は贅字でないのみならず、長々し夜の趣を現す上に或效果を持つてゐることがわかるであらう。「秋の夜腹をさすりけり」といふ悠揚迫らざる言葉の上に、夜長の趣を感じ得ぬとすれば、俳句に對する味覺を缺いてゐるものと斷言して差支無い。

[やぶちゃん注:「きりぎりす」「蟋蟀」の近現代の反転は、「日本經濟新聞」公式サイト内の桜井豪氏の「コオロギは昔キリギリスだった? 虫の呼び名の謎」を読まれたい。但し、この反転を平安末の時代小説であるからと言って、芥川龍之介の「羅生門」の「きりぎりす」を「コオロギ」とする高校の国語教科書の注にあるのには、私は敢然として異義を唱えるものである。「記憶について 山村暮鳥」の私の注を、是非、読まれたい。]

 

   拍子木のかたき音聞きく夜寒かな 堇 浪

 

 これだけの句である。たゞカチカチと打つて通るのを「かたき音」と形容したのが、この句の眼目であらう。云はれて見れば何でもないやうなものの、「かたき音」といふ一語は拍子木の感じを現し得て妙である。

 秋も夜寒になる頃から、夜廻りなどが拍子木を打つて步くやうになる。若しくはさういふ音に耳を傾けるやうになる。すぐれた句でもないが、季節はよく現れてゐるやうである。

 

譚 海 卷之十五 諸病妙藥聞書(18)

○癲疳(てんかん)を治する藥。

 蝙蝠(かはほり)の黑燒、七疋分、こしらへ、日々、飮べし。

[やぶちゃん注:「癲疳」癲癇。]

 

○又、一方。

 火屋(ほや)の灰を飮(のむ)時は、治する也。

 

○又、一方。

 下總國葛飾郡駒木村(こまぎむら)、平右衞門と云(いふ)者の方に賣藥あり、一貼(いつてふ)の料代(れうだい)二百錢也。

[やぶちゃん注:「下總國葛飾郡駒木村」現在の千葉県流山市駒木(こまぎ)(グーグル・マップ・データ)。]

 

○洒に醉(ゑひ)たるを、さます方。

 白桃花(はくたうくわ)の花を、陰ぼしにして貯置(をさめおき)、大醉(だいすい)の時、少し、「さゆ」に入(いれ)て飮(のむ)べし。郞座に、醉を、さます也。

 

○酒毒には、

 葛の花を粉にして、白湯(さゆ)にて用(もちゆ)べし。藥店に有(あり)。

 

○水におぼれて死(しし)たる人を生(いき)かへす方。

 先(まづ)、其人を女牛(めうし)の背に、うつむけてくゝりつけ、牛の尻をたゝく時は、牛、そこらを、はしりありく。其度每(そのたびごと)に、死人の腹、おされる故、目・口より、水をはき出す也。扨(さて)、よく水を出(いだ)させて後(のち)、「わら」を燒(やき)たる灰の上に、ふさしめ、前後より、わら火を燒(やき)て、あたゝむれば、其人、息を、ふきかへす。其後に氣付抔(など)與へ、療治すべし。

 

○又、一方。

 溺死せし人には、雞(にはとり)の「とさか」の血を、とりて、のましむれぱ、卽座に、息、出(いで)て、水を吐(はく)也。

 

○水に落(おち)て、水をのみたるを吐(はか)するには、酢を、少し煎じて、のましむべし。腹中の水、殘らず吐(はく)也。

 

○血止(ちどめ)の藥【名「軍中一捻香」。】

 石灰を「寒ざらし」にして貯置(たくはへおき)、六月中、「にら」を取(とり)て摺鉢にて、すり、石灰を、まぜて、陰干にして、ひかたまりたる時、藥硏(やげん)にて、おろし、切疵などに付(つく)べし。「武田家中に、もちゆる、くすり成(なる)。」よし。

 

○又、一方。

 靑地といふ鳥を、黑燒にして付(つく)べし。

[やぶちゃん注:「靑地」本邦で普通に見かけるのは、スズメ目スズメ亜目ホオジロ科ホオジロ属アオジ亜種アオジ Emberiza podocephala 。漢字表記は「蒿雀」「青鵐」で、この「靑地」の「地」は勝手な当て字である。読みは「あをじ」である。博物誌は「和漢三才圖會第四十二 原禽類 蒿雀(あをじ) (アオジ)」を見られたい。]

 

○又、一方。

 狐袋(きつねぶくろ)と云(いふ)物、古き庭に生ずるもの也。夫(それ)を取(とり)て、日に、ほしおく時は、粉に成(なる)也。是を付(つく)るも、よし。

[やぶちゃん注:「狐袋」まず、菌界ディカリア亜界 Dikarya担子菌門ハラタケ亜門ハラタケ綱ハラタケ目ハラタケ科ホコリタケ属ホコリタケ Lycoperdon perlatum であろう。同種は異名を「キツネノチャブクロ(狐の茶袋)」と言う。当該ウィキによれば、『食べられるのは頂部がトゲに被われて内部がはんぺん状の白い幼菌のみで、少しでも着色があるものは悪臭があり食べられない』。『幼菌は食用キノコの中では非常に香りの強い物であるため、人によって好みが分かれるという。内部が純白色で弾力に富んだ若い子実体を選び、柄を除き、さらに堅くて口当たりの悪い外皮を剥き去ったものを食用とする。はんぺんに似た口当たりであるため、吸い物のような薄味の汁物などによく合う。軽く湯がいてから、酢の物、醤油をつけての串焼き、バター炒め、野菜炒め、鍋物などにも合う』とあり、「薬用」の項には、『漢方では「馬勃(ばぼつ)」の名で呼ばれ、完熟して内部組織が粉状となったものを採取し、付着している土砂や落ち葉などを除去し、よく乾燥したものを用いる。咽頭炎、扁桃腺炎、鼻血』(☜ ☞)、『消化管の出血、咳などに薬効があるとされ、また抗癌作用もあるといわれる』。『西洋でも、民間薬として止血に用いられたという』(☜)。『ホコリタケ(および、いくつかの類似種)は、江戸時代の日本でも薬用として用いられたが、生薬名としては漢名の「馬勃」がそのまま当てられており、薬用としての用途も中国から伝えられたものではないかと推察される。ただし、日本国内の多くの地方で、中国から伝来した知識としてではなく』。『独自の経験則に基づいて、止血用』』(☜)『などに用いられていたのも確かであろうと考えられている』とある。]

 

○又、一方。

 「松のは」を、粉にして、ふりかけて、よし。

 

○「きれぢ」・「はしり血」には、

 「靑のり」を、錢(ぜに)のまはりほどにして、火に、あぶり、少し、「おはぐろ」を、あつく、わかしたるを、右の「靑のり」へ、かけて、痛所(つうしよ)へ付(つく)れば、一日の内に、なほる事也。

[やぶちゃん注:『「きれぢ」・「はしり血」』とあるが、基本、同義で、「裂肛」を指す。通常は、硬く太い便によって肛門が傷ついたために発症するため、「切れ痔」・「裂け痔」と呼ぶ。]

 

○「ちどめ」のまじなひ。

 紙を三つに折(をり)て、又、それを、三つに折たるにて、血を押(おさ)ふべし。卽時に、血、とまる也。

 

○「とけつ」・「たんけつ」の藥。

 「くはずいせき」壹味、耳かきにて、ふたつ計(ばかり)飮(のみ)て、とまる也。

[やぶちゃん注:「くはずいせき」「花蕊石」。漢方生剤サイト「イアトリズム」のこちらによれば、基原は『蛇紋石を含む大理石』で、『止血作用、創傷回復、消腫作用、鎮痛作用など』があるとする。]

 

○又、一方。

 「れんこん」を「わさびおろし」にて、すりて、「さゆ」へ、しぼり込(こみ)、のますれば、卽時に治する也。急なる時は、「れんこん」の「しぼり汁」計(ばかり)をも、あたゝめ、用(もちゆ)ベし。

 

○鼻血出(いづ)るには、

 くみだての水を、紙に、ひたし、頭の眞中を冷して、よし。

 

○下血には

 梅ぼしを黑燒にして、「さゆ」にて、飮(のむ)べし。

 

○ふみぬきせしには、

 古たゝみのきれに、沈香、一味、くはへ、細末にして、水にとき、ぬりて、よし。

[やぶちゃん注:これは類感呪術である。]

 

○針・釘など、人の身に立(たち)、肉の内え[やぶちゃん注:ママ。]、入(いり)たる時、

 かまきりのほしたるを細末にして、疵口へ、ぬりおけば、針のかしら、少し、出(いづ)る也。其時、毛拔(けぬき)にても、「くぎぬき」にても、はさみ、ぬきとるべし。

 此方、名「權法散」。甲州高坂彈正家方(はう)。

 

○又、一方。

 鼠の「ふん」、角(かど)あるを、一つ、「めしつぶ」に、すりまぜ、針の立(たち)たる所へ付置(つけおく)ベし。針、「かしら」を出(いだ)す也。

[やぶちゃん注:いや、これは、化膿する危険性が高いな。]

2024/05/27

譚 海 卷之十五 諸病妙藥聞書(17)

○中氣の藥。

 靑松葉五匁を酒五合へ入(いれ)、煎じ、其酒斗(ばかり)を飮(のむ)べし。目・口、つりゆがみ、年へたる中風(ちゅうぶ)にても、治する事、神の如し。

 

○中風名湯(ちゆうぶめいたう)。

 桑の根・接骨木(にはとこ)【各一匁。】・石菖根(せきしやうこん)【五百目。】・枸杞【手、一束。】・忍冬【大。】・鹽一升・酢一升

 右、七味、大釜にて煎(せんじ)、三番迄、せんずべし。但(ただし)、初(はじめ)一番の湯を、のけ置(おき)、二・三番の湯と取合(とりあはせ)、水風呂に仕込(しこみ)、入浴すべし。右、七日、入湯する也。初日、三度、中ほどは、一日に五度、終(をはり)の一日、二日は、七度、但(ただし)、入湯(にうたう)して二日目位に、頭痛することあらば、頭痛のやむを待(まち)て、入(いる)べし。又、垢を、よる事、なかれ。却(かへつ)て、此湯、入浴、久しければ、頭痛する也。中風・痛氣・腰痛・打身等に妙湯(みやうたう)也。

 

○中風わづらはぬ灸。

 每年六月朔日、山田喜左衞門と云(いふ)人、夢想の灸をすゑる也。右の所は、芝口あたらし橋二葉町、大黑屋惣兵衞と申(まうす)人の所也。當日、出張して、灸をすゑる也。料物(れうもつ)、三十二錢づつ。

[やぶちゃん注:「芝口あたらし橋二葉町」現在の新橋。]

 

○中氣か、中氣でなきかを、こゝろむる方。

 人、外より歸りて、手足、すくみて、動かざる事、有(あり)。其時、「中氣也。」と、さはぎて、人參など、のますれば、人參にて、いよいよ、手足、かたまり、一生、中氣のやうに成(なる)物也。是は、寒氣强き時、寒氣に當りて、手足、すくむ事、有(あり)。夫(それ)には、人參、決して用べからず。中氣にて、なきゆへ[やぶちゃん注:ママ。]也。是を、こゝろむるには、生姜を、すりて、其しぼり汁を、よほど、白湯(はくたう)の中へ入(いれ)、のましむべし。寒氣にあたりたる人は、「くさめ」をする也。中氣ならば、「くさめ」をせず、もし、「くさめ」をしたらば、必(かならず)、人參、用(もちゆ)べからず。

 

○霍亂(かくらん)せしには、

 「へちま」の葉一枚を、梅の實(み)、「たね」ともに、黑燒にして、くみだての水にて、飮(のむ)べし【「張氏醫方筆記」に出(いづ)。】

[やぶちゃん注:「張氏醫方筆記」明代の医師の渡来書と思われる。]

 

○又、一方。

 「靑たで」の「は」を、摺鉢にて、すりて、紙につけ、足のうらの土ふまずへ、はりおけば、治する也。

 

○暑氣に、あたらぬ方。

 靑蓼葉・忍冬・艾葉(がいえふ)

 右。三味、煎(せんじ)用(もちゆ)べし。暑さに當ること、なし。

 

○寒氣にあたらぬ方。

 洒へ胡椒の粉を入(いれ)て、其湯にて、手足を塗(ぬり)て步行(ほぎやう)すれば、寒氣を、さくる事、妙也。

 

○風をひかぬ方。

 「くさめ」する度每に、其儘、鼻を、强く、かむべし。

 

○疫病のわづらはぬ方【名「三豆湯」。】

 八重(やへ)なり・あづき・黑豆

 右、三味へ、甘草、少し加へ、せんじ、用(もちゆ)べし。

[やぶちゃん注:「八重なり」マメ目マメ科マメ亜科ササゲ属ヤエナリ Vigna radiata 。小学館「日本国語大辞典」によれば、『一年草。インド原産で、古く中国を経て渡来し、栽培される。高さ』三十~八十『センチメートル。全体に粗毛を散布。葉は三出複葉。小葉は卵形。豆果は線形で黒褐色の粗毛が生え、内に数種子を含む。種子はアズキに似ているが』、『やや小さく、エナメル状の光沢があり、緑色または黄褐色のものが多い。種子で餡やもやしを作り、粉は、はるさめの原料とする。一つ株に』沢山の『豆果を結ぶところからの名』。他に「ぶんどう」「まさめ」「あおあずき」「りょくず」「りょくとう」等、異名が多い。当該ウィキによれば、『漢方薬のひとつとして、解熱、解毒、消炎作用があるとされる』とあった。]

 

○虐(おこり)をおとす方。

 「田ざらし」【「みつば」に似たる草にて、毒草也。】

 右、一味を、生(なま)にて、くだき、たゞらかし、其汁を取(とり)て、男は左の脈所(みやくどころ)、女は右の脈所へ、ぬるべし。半時ばかり置(おき)て、洗落(あらひおと)すべし。虐を截(たつ)事、妙也。但(ただし)、洗落さずして、半時を過(すぐ)れば、はれあがりて、とがむる也。小兒など、皮膚の柔(やはらか)なるものには、紙を敷(しき)て、其上より、汁を、しぼり付(つけ)て、よし。

[やぶちゃん注:「虐」マラリア。

「田ざらし」不詳。「毒草」とあるので、是非、知りたい。識者の御教授を乞う。]

 

○又、一方。

 「河原さいこ」と云(いふ)草、三匁、せんじて飮(のむ)べし。

[やぶちゃん注:バラ目バラ科バラ亜科キジムシロ属カワラサイコ Potentilla chinensis当該ウィキによれば、『日本では、本州、四国、九州に分布し、日当たりのよい海辺や河川敷などの砂礫地に生育する』。『世界では、極東ロシア、台湾、朝鮮半島、中国大陸に分布する』とあり、『和名カワラサイコは、「河原柴胡」の意』で、『河原に生え、根茎が太く、根茎を薬用とするセリ科』『ミシマサイコ』(セリ目セリ科ミシマサイコ属又はホタルサイコ属ミシマサイコ Bupleurum stenophyllum )『の類』である『「柴胡」に似ることによる』とあるだけで、薬効を記さない。]

 

○氣ちがひを治する方。

 越前瓜(えちぜんうり)、蔕(へた)、一味、けづり、くだにて、鼻の穴へ吹入(ふきいる)べし。

[やぶちゃん注:「越前瓜」不詳。]

柴田宵曲「古句を觀る」正規表現版電子化注 / 「秋」(3)

 

   根太から先へ名乘や草すまひ 范 孚

 

 相撲を秋の季と定めるのは、大內[やぶちゃん注:「おほうち」。]の相撲節會[やぶちゃん注:「すまひのせちゑ」。]に基くものとすれば、實感寫生を重んずる今の俳人が、依然これに倣つてゐるのは不思議なやうである。專門家の相撲は一月、五月と相場がきまつて、他の季のものは問題にされてゐない。今猶秋に屬するものがあるとすれば、寧ろ草相撲の類であらう。國技館の鐵傘[やぶちゃん注:「てつさん」。]の下から、ラヂオによつて勝負の經過が放送される大相撲よりは、素人の草相撲の方が俳句の材料に適してゐることは云ふまでもない。

 この句は草相撲の中の漫畫的小景を捉へたので、何といふ名かわからぬが、根太(腫物)の出來た男があつて、その方から先へ名乘つた、といふ意味である。如何に草相撲でも、根太を以て名としたわけではあるまい。根太が印象に殘つたから、「根太のある男」の略で、かう云つたものと思はれる。

[やぶちゃん注:「根太」は「ねぶと」と読み、ここは所謂、「おでき」の一種。大腿部や臀部などに発し、赤く腫れて硬く、中心が化膿して時に激痛がある。「疔」(ちょう)や「癰」(よう)等とも呼ぶ。但し、鼠径リンパ節に痛みのある腫脹が発生する症状の中には、性病の軟性下疳や硬性下疳の場合もある。]

 

   山領は法師ばかりの相撲かな 遲 望

 

 變つたところを見つけたものである。一山の荒法師どもが集つて相撲を取つてゐる。どれを見ても坊主頭ばかりだといふことが、頗る奇異な感を與へたものらしい。

 斷髮令以後の民は往々にしてかういふ消息を見遁す虞がある。「投げられて坊主なりけり辻相撲」といふ其角の句にしても、その坊主頭が異樣に眼に映ることを考慮に入れなければならない。伊勢濱が脫走した後、坊主頭で土俵に登つたのが異彩を放つてゐたことは、吾々の記憶にもあるが、昔としてはなかなかそんな程度ではなかつたらうと思ふ。坊主ばかりの相撲に至つては、慥に鳥羽繪中のものである。

[やぶちゃん注:「山領」は「さんりやう」と読んでおく。修験道系の山岳寺院の並み建つ山域であろう。

『「投げられて坊主なりけり辻相撲」といふ其角の句』元禄三年七月十九日興行の歌仙の発句。「辻相撲」(つじずもう)は夜間に街の辻などでやった素人相撲を指す。「花摘」所収のものでは、

   *

 投げられて坊主也けり辻相撲

   *

である。

「伊勢濱」伊勢ノ濱慶太郎(明治一六(一八八三)年~昭和三(一九二八)年)は東京府本所区(現在の東京都墨田区)出身で友綱部屋(入門時は根岸部屋)に所属した大相撲力士。本名は中立(なかだち)慶太郎。最高位は大関。当該ウィキによれば、出世が早く、明治三九(一九〇六)年五月場所で入幕したが、『この頃から素行が悪化、新入幕の場所は』一『勝しか挙げられず』(三敗一預五休)、翌年の『一月場所には脱走をしてしまった。戻ったときには頭を丸めて周囲を驚かせたという。改心したか』、『その後は稽古に励み、関脇に昇った』明治四三(一九一〇)『年頃からは』、『酒や煙草も断って』、一層『精進に努めた。横綱常陸山を破るなど』、『上位で活躍を続け』、大正二(一九一三)年五『月場所』で、『関脇で』九『勝』一『敗の好成績を収めて』、『場所後に大関に昇進した』。五『年余りにわたり』、『大関の地位にいたが』、『横綱昇進は果たせず、晩年は神経痛やリウマチを患い』、大正八(一九一九)年一『月場所限りで引退、年寄中立を襲名した』。『引退後は相撲協会の理事・検査役も務め、頭脳明晰にして温厚な人柄から人望も厚かったが』、昭和三年五月十七日、『宿泊先の静岡県沼津市の旅館で服毒自殺した』。享年四十四であった、とある。]

 

   七夕や庭に水打日のあまり り ん

 

 まだ日の暮れぬうちである。梅雨の明けきらぬ新曆の七夕では、古來の情趣は殆ど失はれたに近いが、「文月や六日も常の夜には似ず」といつた古人の感情から云へば、七夕の日の暮れるのは、今より遙に待遠しかつたであらう。新涼の氣が動いてゐるとはいふものの、晝の間はなかなか暑い。その日影がまだ殘つてゐる庭に水を打つて、二星の相見るべき夜を待つのである。

 七夕の句は二星に重きを置き過ぎる爲、動も[やぶちゃん注:「ややも」。]すれば擬人的の弊に陷り易い。七夕に關する行事も、人間扱にしてある點が面白いのであるが、あまり度々繰返されては、句として成功しにくい憾がある。この句は「七夕や」と云つただけで、格別七夕らしい何者も點ぜぬところが面白い。

[やぶちゃん注:「文月や六日も常の夜には似ず」芭蕉の「奥の細道」での越後今町(現在の直江津)での一句である。私の『今日のシンクロニティ「奥の細道」の旅 58 越後路 文月や六日も常の夜には似ず』を見られたい。]

 

   蠅ひとつねられぬ秋の晝寐かな 松 醒

 

 この句を讀むと直に「蚊ひとつにねられぬ夜半ぞ春のくれ 重五」といふ句を思ひ出す。表から見た兩句は殆ど相似てゐるといつて差支ない。併し句の心持には多少の相違がある。

 ぶんぶん唸つて來る蚊一つの爲に眠ることが出來ぬといふのは、來るべき夏の前奏曲であるが、顏に來る蠅一つをうるさがつて、容易に晝寐が出來ぬといふのは、去りやらぬ殘暑の一情景である。兩句は夏を中心にして、各〻前後に於ける人及蟲を描いてゐる。必ずしも類句としてのみ見るべきでない。

 芭蕉の「ひやひやと壁をふまへて晝寐かな」は、無名庵殘暑の句であるといふ。かういふ風な句を見ると、古人が季題に拘束されず、樂々と句を作つていることがわかる。「秋の晝寐」などは言葉も雅馴であるし、さう無理に取つてつけたやうな感じでもない。

[やぶちゃん注:「蚊ひとつにねられぬ夜半ぞ春のくれ 重五」加藤重五(承応三(一六五四)年~享保二(一七一七)年)は尾張名古屋の材木商。松尾芭蕉の門人。貞享元(一六八四)年、山本荷兮が名古屋に芭蕉を迎え、「冬の日」の歌仙を興行した際、連衆の一人となった。「阿羅野」等にも句が載る。通称は善右衛門・弥兵衛。本句は「春の日」の「春」の掉尾に載っている。そこでは、

   *

 蚊ひとつに寐られぬ夜半ぞ春のくれ

   *

の表記である。

『芭蕉の「ひやひやと壁をふまへて晝寐かな」は、無名庵殘暑の句であるといふ』「笈日記」所収。元禄七(一六九四)年七月、大津の木節庵(望月木節の屋敷。是好の医号を持つ大津の医師。芭蕉の最期を大坂で看取った一人である)での作。そこでは、

   *

   その後、大津の木節亭にあそぶとて

 ひやひやと壁をふまへて晝寢哉

   *

である。「昼寝」は現在では夏の季語であるが、この当時は季語とされていない。而して「ひやひやと」する足の裏の感触に――未だ残暑の名残の中の「秋」――が示されてあるのである。]

「和漢三才圖會」植物部 卷第八十二 木部 香木類 楠

 

Kusunoki

[やぶちゃん注:図の中央下方に左下の挿入図のキャプションとして「實」(み)とある。]

 

くすのき  柟【相同】

      【久須乃木】

【音南】

 

 

ナン

 

本綱楠生南方其樹直上童童若幢蓋之狀枝葉不相礙

葉似豫章而大如牛耳一頭尖經歳不凋新陳相換其花

赤黃色實似丁香色靑不可食幹甚端偉髙者十餘丈巨

者數十圍氣甚芬々爲梁棟噐物皆佳葢良材也色赤者

堅白者脆造船皆用之其性堅而善居水久則當中空爲

白峨所穴其近根年深向陽者結成草木山水之狀俗呼

爲骰柏楠宜作噐

△按楠葉似櫧葉而光澤背淡白邊畧反卷莖微赤五月

 開細白花帶黃其子如豆大而青色本細似細口梨形

 其木堅實耐水以造舶其根株經歳者變爲石

                           無名

 歌枕和泉なるしのたの森の楠の千枝に分かれて物をこそ思へ

[やぶちゃん注:この短歌は第三句に脱落があり、「楠の木の」が正しい。訓読では補塡した。]

 

   *

 

くすのき  柟《ゼン/ダン》【「枏」も同じ。】

      【≪倭名≫、「久須乃木」。】

【音南】

 

 

ナン

 

「本綱」に曰はく、『楠、南方に生ず。其の樹、直(《ちよ》く)に上《のぼ》り、童童《どうどう》として幢蓋(どうがい)の狀(かたち)のごとく、枝葉、相ひ礙(さは)らず。葉、豫《よ》・章《しやう》に似て、大きく、牛の耳のごとく、一頭、尖り、歳《とし》を經て、凋(しぼ)まず。新《しん》・陳《ちん》、相ひ換(か)ふ。其の花、赤黃色。實《み》、丁香《ちやうかう》に似て、色、靑し。食ふべからず。幹《みき》、甚だ端偉《たんい》≪にして≫、髙き者、十餘丈。巨なる者、數十《すじふ》圍《まわり》、氣、甚だ、芬々なり。梁《はり》・棟《むね》・噐物《うつはもの》と爲《な》して、皆、佳なり。葢し、良材なり。色、赤き者、堅く、白き者は、脆《もろ》し。船を造るに、皆、之れを用ふ。其の性、堅くして、善く水に居《を》る。久しき時は[やぶちゃん注:「時」は送り仮名にある。]、則ち、當《まさ》に中空《ちゆうくう》にして、白蛾の爲《ため》、穴《あな》せらる。其の根に近き≪所は≫、年深《としふか》く、陽《ひ》に向ふは、結《けつ》して、草木山水《さうもくさんすい》の狀《かたち》を《→に》成る。俗、呼んで、「骰柏楠《とうはくなん》」と爲《な》す。宜しく噐に作るべし。』≪と≫。

△按ずるに、楠《くす》≪の≫葉、櫧(かし)の葉に似て、光澤≪あり≫、背、淡白《あはじろ》く、邊(まは)り、畧(ちと)、反卷(そりまき)、莖、微赤なり。五月、細≪き≫白花を開き、黃を帶ぶ。其の子《み》、豆の大きさのごとくにして、青色。本《もと》、細く、細-口-梨(《ほそぐち》なし)の形に似たり。其の木、堅實にして、水に耐(た)ふ。以つて、舶《ふね》に造る。其の根株、歳《とし》を經《ふ》る者、變じて、石と爲《な》る。

  「歌枕」          無名

 和泉なる

    しのだの森の

  楠の木の

     千枝(ちえ)に分かれて

           物をこそ思へ

 

[やぶちゃん注:これも、時珍の示す「楠」と、良安の認識している「楠」は種が異なる。但し、同じクスノキ目クスノキ科Lauraceaeではある。時珍のそれは、

クスノキ科タブノキ(椨の木)属ナンタブ  Machilus nanmu

(南椨)であるのに対し、我々や良安の認識するのは、

クスノキ科ニッケイ(肉桂)属クスノキ Cinnamomum camphora

なのである。後者は言わずもがなであるが(当該ウィキをリンクするに留める)、ナンタブというのは、私は初めて知った。英文の同種のページを見るに、『中国南部の四川省と雲南省北東部に固有の種で』、『主に伐採による棲息地の喪失の脅威に曝されている』とあり、ナンタブは『成長の遅い大型の木で、幹は長く真っ直ぐで、高さは』十~四十『メートル、直径は』五十センチメートルから一メートルに『なる』。その『木材は、腐食に非常に強く、密度が高く、オリーブ色から赤褐色までの魅力的な色を呈していることから、建築や家具作りに広く使用されてきた。かの「故宮」は、本来は、明の』永楽帝『朱棣』(しゅてい)に『よって、ナンタブの木材を使用して建設された』ものであったとあり、更に、『腐食に強いため、船を作るのにも使用された』とあり、時珍の叙述とピッタり一致するのである。

 「本草綱目」の引用は、「卷三十四」の「木之一」「香木類」の「楠」の独立項で(「漢籍リポジトリ」)、ガイド・ナンバー[083-40a]から始まる、その「集解」の二行の「時珍曰」以下であるが、珍しく、かなりしっかりと、ほぼそのままに引用されてあるので、比較されたい。

「童童」「樹木に枝がないさま」を言う漢語。

「幢蓋(どうがい)」軍の指揮に用いる旗鉾(はたぼこ)と朱色の傘を合わせたもの。大将軍や州軍の長官などが用いた。

「礙(さは)らず」この「礙」は「碍」(「対象を害する」の意)の異体字。

「豫」これは次の次の項である「釣樟」で、その異名。高級爪楊枝となることで知られる、クスノキ目クスノキ科クロモジ(黒文字)属クロモジ Lindera umbellata var. umbellata を指す。

「章」これも次項である「樟」を指す。而して、これこそが、本邦のクスノキ科ニッケイ(肉桂)属クスノキ Cinnamomum camphora と同一種を指す。

「新・陳、相ひ換(か)ふ」葉が、年を経ても、なかなか枯れ落ちることがなく、旧葉は、相当の年月を過ぎて初めて、新葉に交代する。

「丁香」これは、所謂、「クローブ」(Clove)のことで、バラ亜綱フトモモ目フトモモ科フトモモ属チョウジノキ Syzygium aromaticum である。

「食ふべからず」こう明記するからには、有毒なのであろうが、ナンタブ  Machilus nanmu の果実が有毒であるという記載は、ちょっと調べたが、ないようである。

「端偉」東洋文庫訳では、『幹は、大へん端正で、偉大』とある。

「白蛾」種不詳。

「年深く、陽に向ふは、結して」東洋文庫訳では、『何年もの長い間、陽(ひ)の方に向かっていると』、『結して』、『草木山水の状を形成する』とある。

「骰柏楠」中文の「北京保利國際拍賣有限公司」のサイトに、明の清の宮廷の旧蔵の机の画像があり、作品名称を「明 黄花梨骰柏楠面翘头案」とある。机上の表面を拡大視出来るようになっているが、その模様を見られたい。「草木山水の狀」と言えるかどうかは別として、確かに、独特の木目を示している。

「櫧(かし)」この漢字は、現行では、ブナ目ブナ科コナラ属アカガシ亜属アカガシ Quercus acuta を指す。当該ウィキによれば、『かたくて赤褐色の材は和名の由来となり、車両や船舶、三味線の棹、木刀にも使われる』とあり、材がナンタブやクスノキと通性がある。特にクスノキは、当該ウィキによれば、『材は、古木になるほど年輪が入り組んで、材のひき方によって様々な模様の杢が現れる』。『枝分かれが多く』、『直線の材料が得難いという欠点はあるが、虫害や腐敗に強いため、古来から船の材料として重宝されていた。古代の西日本では丸木舟の材料として、また、大阪湾沿岸からは、クスノキの大木を数本分連結し、舷側板を取り付けた古墳時代の舟が何艘も出土している。その』さまは、「古事記」の『「仁徳記」に登場するクスノキ製の快速船「枯野」(からぬ)の逸話からも窺うことができる』。『室町から江戸時代にかけて、軍船の材料にもなった』とある。

「細-口-梨(《ほそぐち》なし)」種不詳。

「歌枕」「歌枕名寄」(うたまくらなよせ)。中世の歌学書で、全国を五畿七道・六十八ヶ国に区分し、当該国の歌枕を掲げ、その歌枕を詠みこんだ証歌を、「万葉集」・勅撰集・私家集・私撰集から広く引き出して列挙したもの。成立年代は「新後撰和歌集」(嘉元元(一三〇三)年奏覧)の前後で、編者は『乞食活計之客澄月』と署名があるが、「澄月」その人の伝は不詳である。中世には、歌枕と、その証歌を、類聚して作歌の便を図った、所謂、「歌枕撰書」が幾つか編纂されたが、それらの中で、本書は最大(全三十八巻・六千余首)で、よく整備されたものである。また、江戸時代の万治二(一六五九)年に版行され、広く流布した。相当に形の異なる諸本があるが、澄月編纂の形に最も近いものは、細川幽斎自筆本(『永青文庫』蔵)である。所引の証歌は勅撰集にせよ私家集にせよ、現在の流布本とは形が異なるものが多く、その方面の文献学的研究に資するところは大きい(以上は主文を平凡社「世界大百科事典」に拠った。

「和泉なるしのだの森の楠の木の千枝に分かれて物をこそ思へ」「古今和歌六帖」(全六巻。編者は紀貫之、或いは、源順(したごう)とも言われる。草・虫・木・鳥等の二十五項、五百十六題について和歌を掲げた類題和歌集)の「第二 山」に所収する。「日文研」の「和歌データベース」のそれの、ガイド・ナンバー「01049」で確認した。]

柴田宵曲「古句を觀る」正規表現版電子化注 / 「秋」(2)

 

   村雨も過ぎて切籠のあらしかな 乙 双

 

 村雨がばらばらと降つて止んで、切子燈籠に强い風が吹いて來た、といふのである。勿論夜の景色であらう。暗い夜空から降る雨も、俄に吹いて來る强い風も、盂蘭盆が背景であるだけに、他の場合とは自ら別個の感じを與へるところがある。

 

   桐苗の三葉ある内の一葉かな 知 方

 

 桐の苗木に葉が三枚ついてゐる。そのうちの一葉がばさりと落ちた。かういふ若木は秋の到ることを著しく感ずるものであるかどうか。三枚のうちの一葉を缺くのは、その小さな木から云へば重大な事件である。

「猿蓑」に「三葉散りてあとは枯木や桐の苗」といふ凡兆の句があつた。同じやうな材料ではあるが、これは一葉ではない。僅に三枚しかない苗木の桐の葉が皆散つてしまつて、あとは坊主の枯木になつてゐる、といふのだから、季節はもう少し後になる。漱石氏が「野分」の中でたつた一枚梢に殘つている桐の葉が、風に搖られて落ちるところを細敍したのは、それを見てゐる病人の心持と相俟つ點があつて、必ずしも自然の寫生ばかりではないが、季節から云ふと凡兆の句に近いであらう。「三葉散りて」と云つたところで、續けさまに葉が三枚散つたわけではなしに、嘗ては三枚あつた葉が三枚ながら散つてしまつて、今は枯木になつてゐるといふ、稍〻長い時間が含まれてゐる。知方の句は現在三枚あるうちの一枚が落ちたので、それほど時間的な意味は認められない。句としては凡兆の方が複雜でもあり、力强くもあるが、桐の苗の三枚の葉を別な立場から扱つた點に、吾々は或興味を感ずる。

[やぶちゃん注:凡兆の句は、所持する岩波文庫「芭蕉七部集」(中村俊定校注・昭和四一(一九六六)年刊)では、

   *

 三葉散りて跡はかれ木や桐の苗

   *

である。

『漱石氏が「野分」の中でたつた一枚梢に殘つている桐の葉が、風に搖られて落ちるところを細敍したのは、それを見てゐる病人の心持と相俟つ點があつて、必ずしも自然の寫生ばかりではない』「野分」(のわき)は明治四〇(一九〇七)年一月、『ホトトギス』に初出。「八」の以下のシーン。読みは一部に留めた。

   *

 垢染(あかじ)みた布團を冷やかに敷いて、五分刈りが七分程に延びた頭を薄ぎたない枕の上に橫(よこた)へてゐた高柳君は不圖(ふと)眼を擧げて庭前の梧桐(ごとう)を見た。高柳君は述作をして眼がつかれると必ず此梧桐を見る。地理學敎授法を譯して、く草々(くさくさ)すると必ず此梧桐を見る。手紙を書いてさへ行き詰まると屹度此梧桐を見る。見る筈である。三坪程の荒庭(あれには)に見るべきものは一本の梧桐を除いては外に何にもない。

 ことに此間から、氣分がわるくて、仕事をする元氣がないので、あやしげな机に頰杖を突いては朝な夕なに梧桐を眺めくらして、うつらうつらとしてゐた。

 一葉(いちえふ)落ちてと云ふ句は古い。悲しき秋は必ず梧桐から手を下(くだ)す。ばつさりと垣にかゝる袷(あはせ)の頃は、左迄(さまで)に心を動かす緣(よすが)ともならぬと油斷する翌朝またばさりと落ちる。うそ寒いからと早く繰る雨戶の外に又ばさりと音がする。葉は漸く黃ばんで來る。

 靑いものがしだいに衰へる裏から、浮き上がるのは薄く流した脂(やに)の色である。脂は夜每を寒く明けて、濃く變つて行く。婆娑(ばさ)たる命は旦夕(たんせき)に逼る。

 風が吹く。どこから來るか知らぬ風がすうと吹く。黃ばんだ梢は動(ゆる)ぐとも見えぬ先に一葉(ひとは)二葉(ふたは)がはらはら落ちる。あとは漸く助かる。

 脂は夜每の秋の霜に段々濃くなる。脂のなかに黑い筋が立つ。箒(はうき)で敲けば煎餅を折る樣な音がする。黑い筋は左右へ燒けひろがる。もう危うい。

 風がくる。垣の𨻶(すき)から、椽(えん)の下から吹いてくる。危ういものは落ちる。しきりに落ちる。危ういと思ふ心さへなくなる程梢を離れる。明らさまなる月がさすと枝の數が讀まれる位あらわに骨が出る。

 僅かに殘る葉を虫が食ふ。澁色(しぶいろ)の濃いなかにぽつりと穴があく。隣りにもあく、其隣りにもぽつりぽつりとあく。一面が穴だらけになる。心細いと枯れた葉が云ふ。心細からうと見てゐる人が云ふ。所へ風が吹いて來る。葉はみんな飛んで仕舞ふ。

 高柳君が不圖眼を擧げた時、梧桐は凡て此等の徑路を通り越して、から坊主ぼうずになってゐた。窓に近く斜めに張つた枝の先に只一枚の虫食葉(むしくひば)がかぶりついてゐる。

「一人坊つちだ」と高柳君は口のなかで云つた。

 高柳君は先月あたりから、妙な咳をする。始めは氣にもしなかった。段々腹に答へのない咳が出る。咳丈(だけ)ではない。熱も出る。出るかと思ふと已(や)む。已んだから仕事をしやうかと思ふと又出る。高柳君は首を傾けた。

 醫者に行つて見てもらはうかと思つたが、見てもらうと決心すれば、自分で自分を病氣だと認定した事になる。自分で自分の病氣を認定するのは、自分で自分の罪惡を認定する樣なものである。自分の罪惡は判決を受ける迄は腹のなかで辯護するのが人情である。高柳君は自分の身體(からだ)を醫師の宣告にかゝらぬ先に辯護した。神經であると辯護した。神經と事實とは兄弟であると云ふ事を高柳君は知らない。

 夜(よる)になると時々寢汗をかく。汗で眼がさめる事がある。眞暗(まつくら)ななかで眼がさめる。此眞暗さが永久續いてくれゝばいゝと思ふ。夜があけて、人の聲がして、世間が存在してゐると云ふ事がわかると苦痛である。

 暗いなかを猶暗くする爲めに眼を眠(ねむ)つて、夜着(よぎ)のなかへ頭をつき込んで、もう是ぎり世の中へ顏が出したくない。この儘眠りに入つて、眠りから醒めぬ間(ま)に、あの世に行つたら結構だらうと考へながら寐る。あくる日になると太陽は無慈悲にも赫奕(かくえき)として窓を照らしてゐる。

 時計を出しては一日に脉(みやく)を何遍(なんべん)となく驗(けん)して見る。何遍驗しても平脉ではない。早く打ち過ぎる。不規則に打ち過ぎる。どうしても尋常には打たない。痰を吐く度(たび)に眼を皿の樣にして眺める。赤いものゝ見えないのが、せめてもの慰安である。

 痰に血の交らぬのを慰安とするものは、血の交る時には只生きてゐるのを慰安とせねばならぬ。生きて居るだけを慰安とする運命に近づくかも知れぬ高柳君は、生きてゐるだけを厭(いと)ふ人である。人は多くの場合に於て此矛盾を冒(をか)す。彼等は幸福に生きるのを目的とする。幸福に生きんが爲めには、幸福を享受すべき生そのものゝ必要を認めぬ譯には行かぬ。單なる生命は彼等の目的にあらずとするも、幸福を享け得る必須條件として、あらゆる苦痛のもとに維持せねばならぬ。彼等が此矛盾を冒して塵界に流轉するとき死なんとして死ぬ能はず、而も日每に死に引き入れらるゝ事を自覺する。負債を償(つぐな)ふの目的を以て月々に負債を新たにしつつゝあると變りはない。之を悲酸(ひさん)なる煩悶と云ふ。

   *]

譚 海 卷之十五 諸病妙藥聞書(16)

○「葛花解醒湯(かつくわかいせいたう)」。

 白豆蒄(びやくづく)・縮沙・葛花【各五分。】・茯苓・陳皮・猪苓(ちよれい)・人參【各一匁護五分。但(ただし)、人參は砂參(ささん)にかへても、よし。】・白朮・神麹・澤潟・乾姜【各二分。】・靑皮【三匁。】・木香【五分。】

 已上、十三味、葛花は一匁入(いる)るも、よし。

[やぶちゃん注:上手く分離させることを忘れてしまっていた。以降、「四味平胃散」までは、前回「(15)」の後ろから二つ目の、「食傷せし時は」の連投である。なお、既に述べた通り、既注の生薬注は、基本、繰り返さない。

「葛花解醒湯」漢方方剤サイト「イアトリズム」のこちらの「処方構成」を参照されたい。「適応疾患および対象症状」の項に、『二日酔い、呑み過ぎ、嘔吐、頭痛、落ち着かない、みぞおちのつかえ、手足の震え、食欲不振、尿量減少』とある。]

 

○「萬病感應丸(まんびやうかんのうぐわん)」。

 此くすり、解毒・氣付・癰庁(ようちやう)、毒蟲にさゝれたる牛馬にも、用(もちい)て、よし。賣所(うりどころ)、下谷上野、屛風阪前町(まへちやう)にて尋(たづぬ)べし。價(あたひ)、しれず。

[やぶちゃん注:「萬病感應丸」「大正製薬株式会社」公式サイト内の「萬病感應丸A」を見られたい。

「下谷上野、屛風阪前町」いつもお世話になるサイト「江戸町巡り」に「【下谷②】屏風坂下車坂町」があり、現在の『台東区上野七丁目』とある。ここ(上野駅周辺)の内か、接した周縁であろう(グーグル・マップ・データ)。]

 

○「奇應丸」。

 沈香【五戔。】・人參【一兩。】・熊膽・麝香【各半兩。】・金箔【三十六枚。】・白檀【三匁】

 已上、六味。

[やぶちゃん注:「小児薬樋屋奇応丸」のページを見られたい。但し、そこでは微妙に添加物が異なる。]

 

○「梅木和中散(うめのきわちゆうさん)」。

 當歸・桔梗【三匁八分。】・白朮【三匁。】・胡黃蓮【二分。】・乾姜・陳皮・茯苓・香附子・益母(やくも)【各二匁五分。】・甘草【七分。】

 已上、十味。

[やぶちゃん注:「梅木和中散」「和中散」は江戸時代の家庭用漢方薬として有名。枇杷葉(びわよう)・桂枝・辰砂・木香・甘草などを調合した粉薬。暑気あたり・めまい・風邪などに服用(「デジタル大辞泉」に拠った)。「梅木和中散」は滋賀県栗東市六地蔵にあった「旧和中散本舗 大⻆家住宅」(グーグル・マップ・データ)が販売元。ここは旧「梅の木村」であった。

「益母」野原・道端などに生えて、高さ一メートル前後になり、夏に紫色の花を咲かせるシソ目シソ科オドリコソウ亜科メハジキ属メハジキ Leonurus japonicus は「目弾き」だが、別名を「益母草」(やくもそう)とも言う。当該ウィキによれば、『全草が産前産後、婦人病、眼病などの薬草として利用されていた』とあり、より詳しく、『花の時期の全草を採取し乾燥させたものを、漢方で産前産後の保健薬にしたことから、益母草(やくもそう)と称し』、『種子は茺蔚子(じゅういし)と称する生薬になる』。『初夏の開花始めのときに地上部を刈り取って、屋内で風干しして、長さ』二センチメートル『ぐらいに刻んで調製し、紙袋で貯蔵される』。『全草(益母草)は、止血、浄血、婦人病薬としての補精、浴湯料として薬効があるとされ、種子(茺蔚子)は水腫、目の疾患、利尿に効果があるとされる』。『全草、種子ともに婦人の要薬、特に産後の止血、浄血、補精、月経不順、腹痛に効用があるといわれている』とあった。なお、「目弾き」は茎を使った子どもの遊びに由来するが、私は、この遊びを知らなかった。「グーグル画像」で「目はじき 遊び」で見て、びっくりした。ウィキでは瞼につっかえ棒にしたとあるが(画像にも絵はある)、一寸危ないから、このびっくらの方が安心かな。]

 

○「四味平胃散」。

 陳皮・蒼朮・厚朴(こうぼく)【各等分。】・甘草【少。】

 此(この)「平胃散」、粉ぐすりにて、たくはひ置(おき)、すこしの腹痛には、用(もちい)て、功、有(あり)。

[やぶちゃん注:「四味平胃散」「日経DI」の「平胃散」を見られたい。但し、その解説では「四味」ではなく、「六味」である。]

 

○「きのこ」に、あたりたるには、

 「さくら」の皮を、せんじ、飮(のむ)べし。

 

○又、一方。

 きくめい石・「いわう」、右、二味を飮(のみ)て、妙也。

[やぶちゃん注:「きくめい石」「菊銘石」で代表的な造礁サンゴの一つで塊状或いは半球状の群体を造る刺胞動物門花虫綱六放サンゴ亜綱イシサンゴ目キクメイシ科Faviidae の珊瑚を指す。これを生薬剤としたのは本邦独自の「和方」のようである。「くすりの博物館」公式サイト内の「もうひとつの学芸員室」の「学芸員のちょっとコラム」で稲垣裕美氏が書かれた「女性が売り歩いた薬 越後の毒消し」の解説に、『毒消しという名前であるが、いわゆる有毒物の解毒や中毒の際に使う薬ではなく、気持ちが悪い時や食あたりの際に用いた薬である』とされ、『配合されている菊名石は菊目石、菊銘石、菊明石とも書くが、鉱物ではなく、イシサンゴの一種である。江戸時代の製薬家・遠藤元理がその著書』「本草弁疑」の中で、『菊目石を中国にはないと紹介している。生息地は紀州などの温暖な海で、新潟の海には産出しない。原料は大阪から仕入れていたと伝わる』とあり、さらに、『菊名石を用いた丸薬には、京都山科の有名売薬「金屑丸(きんせつがん)」があった。寺島良安著』「和漢三才図会」の『「菊銘石」の項には、金屑丸は食傷解毒の薬で、菊銘石は「酸ニ浸シ研末」、すなわち粉末とし、硫黄と合わせて金箔をかけた丸薬にしたとされる。そのルーツは、寺院同士のつながりで京都の金屑丸が北陸の寺院へと伝わったとも、当時普及した医学書』「袖珍医便」に『記載の処方を参考にしたのではないかともいわれている』とあった。また、ここに挙げられている「いわう」についても、『硫黄は内服としては下痢などに用いる』とあった。]

 

○魚毒にあたりたるには、

 「かんらん」を、のみて、よし。「あんかう」のはりにさゝれ、いたむには、「かんらん」を、かみて、つくれば、いたみ、とまる也。

[やぶちゃん注:「かんらん」底本では、編者による右傍注に『(橄欖)』とある。既注だが、再掲しておくと、ムクロジ目カンラン科カンラン属 カンラン  Canarium album ウィキの「カンラン科」によれば、『インドシナの原産で、江戸時代に日本に渡来し、種子島などで栽培され、果実を生食に、また、タネも食用にしたり油を搾ったりする。それらの利用法がオリーブ』(シソ目モクセイ科オリーブ属オリーブ Olea europaea )『に似ているため、オリーブのことを漢字で「橄欖」と当てることがあるが、全く別科の植物である。これは幕末に同じものだと間違って認識され、誤訳が定着してしまったものである』とある。

『「あんかう」のはりにさゝれ』毒腺はないが、アンコウ類の頭部上部には棘があり、「魚食普及センター」の「深海魚のアンコウってどんな魚? 泳いでいる姿もチェック!」に「吊るし切り?なんでわざわざ吊るす?」があり、そこに『ヌルヌルしていて柔らかいので』、『さばきにくく、頭がゴツゴツしていてトゲもあるので、まな板でさばくときに非常に痛い』。『そのため、硬い顎をひっかけて吊るして、水を入れて膨らませてさばくとさばきやすくなる』とあった。]

 

○又、一方。

 「するめ」を、せんじて、その湯をのむべし。「かつを」に醉(ゑひ)たるにも、よし。食傷にも、よし。

 

○河豚魚(ふぐ)にあたりたるには、

 紺屋(こうや)の藍(あゐ)を、少し、飮(のみ)て、よし。

[やぶちゃん注:フグ毒テトロドトキシン tetrodotoxinTTXC11H17N3O8:真正細菌ドメイン Bacteriaプロテオバクテリア門Proteobacteriaガンマプロテオバクテリア綱Gammaproteobacteriaビブリオ目 Vibrionalesビブリオ科ビブリオ属 Vibrioやガンマプロテオバクテリア綱シュードモナス目Pseudomonadalesシュードモナス科シュードモナス属 Pseudomonas などの一部の真正細菌由来のアルカロイド)には、現在も解毒剤は、ない。]

 

○「きつけ」には、

 「奇應丸」・「萬病感應丸」・佐竹家の製、「混元丹」、よし。

[やぶちゃん注:「混元丹」小学館「日本国語大辞典」に、『漢方薬の一種。練薬で水または湯で溶いて飲用するもの。健胃、強心、解毒などの効能があるという』とあって、室町中期の文明本の「節用集」の中に既に記載がある、とある。金沢で現在でも複数の漢方薬店の伝統薬として売られている。]

 

○「らうがい」には、

 烏骨雞(うこつけい)の玉子を、「みそ汁」に、くふべし。又、「獺肝丸」、よし。

[やぶちゃん注:底本では『烏骨、雞の玉子を』となっているが、「烏骨」という漢方生剤はないから、かく、した。

「らうがい」「勞咳」。結核の古称。

「烏骨雞」鶏(キジ目キジ科キジ亜科ヤケイ(野鶏)属セキショクヤケイ亜種ニワトリGallus gallus domesticus )の品種の一つであるウコッケイGallus gallus var.domesticus 。東南アジア原産で、江戸時代に中国経由で日本に入ってきた鶏が定着したもの。現在は国天然記念物で日本農林規格の指定在来種である。]

 

○氣鬱の藥。

 右、疝氣の所に、藥方、出(いで)たり。せんき・氣うつ・腎虛に、よし。

[やぶちゃん注:「諸病妙藥聞書(8)」の三番目の『○疝氣の藥』を参照。]

 

○精氣を增し、息才にする方【名「神祕固精丹」。】。

 雞卵三つ・本玉(ほんだま)黑砂糖廿目・上々古酒一合

 黑砂糖は、ばらばらする品を用(もちゆ)べし。右、三味、玉子に和し、其後(そののち)、毛水能(けすいのう)にて、砂糖の塵(ちり)を、こし取(とり)、扨(さて)、土鍋にても、銅鍋にても、ひとつに入(いれ)、ゆるき火にて、ねり、つめる也。ねり、かたまるまでは、「せつかい」のやう成(なる)物にて、少(すこし)も、手を、ゆるめず、かきまはし、かきまはし、せんじつめ、かたまりたる時、火より、鍋を、おろし、さまして、東京肉桂(トンキンにくけい)【五戔。】・乾姜・兎綠子・杜仲【各二匁五分。】牛膝【一匁八分。】、右、五味、細末にしたるを、ねりまぜ、丹藥となし、朝暮(てうぼ)、用ゆべし。

[やぶちゃん注:「神祕固精丹」この名はネットでは掛かってこない。

「本玉」「真正の」の意。

「毛水能」「毛水囊」が正しい。音変化で「けすいの」「けずいの」とも言う。馬の尾の毛で底を編んだ、目の極めて細かい篩(ふるい)を言う語。]

 

○「しやく」の藥

 『頭痛を治する方、肩の「はり」にも、よし。』と、有(ある)所に出(いで)たり。

[やぶちゃん注:「しやく」「癪」。胸や腹が急に痙攣を起こして痛むこと。「さしこみ」。]

 

○又、一方【名「白朮散」。】。

 人參・白朮・茯苓・藿香・木香・葛根(かつこん)・甘草【少。】

 常には、人參を、はぶきて用(もち)ふ。

 

○「しやく」の根を切る藥。

 「麻(あさ)がら」を黑燒にして、每朝、「さゆ」にて、空腹に用(もち)ゆ。

 癪の張藥(はりぐすり)。

 楊梅皮末・胡椒末・蕎麥粉

 右、目形(めかた)、等分にして、酢に、とき、めし粘(のり)にて、紙に付(つけ)て、胸に、はるべし。夫(それ)より、胸へ、差込(さしこむ)事、なし。但(ただし)、此粉、平は別々に包(つつみ)て貯(たくはふ)べし。ひとつに包置(つつみおく)時は、用(もちい)て、功、なし。

 癪の藥。

 「疝癪散」、新橋加賀町(かがちやう)の賣藥、「せんき」の所にあり。

[やぶちゃん注:「疝癪散」不詳。

「新橋加賀町」現在の中央区銀座七丁目(グーグル・マップ・データ)。

『「せんき」の所』「諸病妙藥聞書(8)」の「せんき」を指す。]

 

○癪のまじなひ。

 五月五日宵より、精進して、朝、起(おき)て、菖蒲(しやうぶ)を、一本、手に握(にぎり)て、其長(そのたけ)に、後先(あとさき)を切(きり)すて、其せうぶを、紙に、よく封(ふうじ)、只(ただ)、「大切の守成(まもりなる)」由(よし)を、いひて、癪有(ある)人の胸に常に當(あて)させ置(おく)べし、癪の根を切る事、妙也。

 

2024/05/26

「和漢三才圖會」植物部 卷第八十二 木部 香木類 降眞香

 

Gousinkou

 

がうしんかう 紫藤香

       雞骨香

降眞香

 

 

キヤン チン ヒヤン

 

本綱降眞香廣東廣西安南及占城暹羅渤泥諸畨《✕→蕃》

皆有之似蘓芳木燒之初不甚香得諸香和之則特美仙

傳伴和諸香燒煙直上感引鶴降醮星辰燒此香爲第一

因名降眞生叢林中頗費坎斫之功乃樹心也其外白皮

厚八九寸或五六寸焚之氣勁而遠

草木狀云紫藤香長莖細葉根極堅實重重有皮花白子

黒其莖截置烟焰中經久成紫香可降神

氣味【辛温】燒之辟天行時氣宅舍恠異又小兒帶之辟邪

惡氣治折傷金瘡止血定痛消腫生肌且無瘢痕【用最佳者刮硏末傅之】

△按降眞香其樹形狀異說未决

 

   *

 

がうしんかう 紫藤香《しとうかう》

       雞骨香《けいこつかう》

降眞香

 

 

キヤン チン ヒヤン

 

「本綱」に曰はく、『降眞香は、廣東(カントウ)・廣西《カンサイ》・安南《アンナン》、及び、占城《チヤンパ》・暹羅《シヤム》・渤泥(ボルネヲ)・諸蕃、皆、之れ、有り。蘓芳(すはう)の木に似て、之を燒くに、初め、甚だ≪には≫、香《かんば》しからず。≪而かれども、≫諸香を得て、之れを和《わ》すれば、則ち、特に美なり。仙傳に、『諸香に伴-和(ま)ぜて燒けば、煙《けぶり》、直(《ちよ》く)に上《のぼ》りて、鶴《つる》を感じ引く。星辰を降醮《くだしまつりす》るに、此の香を燒くを第一と爲《な》す。因りて「降眞《かうしん》」と名づく。』≪と≫。叢林の中に生ず。頗る、坎(あなほ)り、斫(はつ)るの功《こう》に費す。乃《すなは》ち、樹心なり。其の外《ほか》≪は≫、白く、皮、厚さ、八、九寸、或いは、五、六寸。之れを焚けば、氣、勁《つよく》して、遠し。』≪と≫。

『「草木狀」に云はく、『紫藤香は、長き莖、細き葉≪なり≫。根、極めて堅實にして、重重に、皮、有り。花、白く、子《み》、黒し。其の莖、截(き)りて、烟焰《いんえん》の中に置けば、久しきを經《ふ》れば、紫と成る。香、神《かみ》を降《おろ》すべし。』≪と≫。』≪と≫。。

『氣味【辛、温。】。之れを燒けば、天行時氣《はやりやまひ》・宅舍の恠異を辟《さ》け、又、小兒、之れを帶ぶれば、邪惡の氣を辟く。折傷・金瘡を治す。血を止め、痛みを定《しづみ》、腫《はれ》を消し、肌を生《せい》し、且つ、瘢-痕(あと)、無し。【最も佳き者を用ひ、刮-硏《けづりおろし》、末《まつ》にして、之れを傅《つ》く。】。』≪と≫。

△按ずるに、降眞香≪は≫、其の樹の形狀、異說、未だ决せず。

 

[やぶちゃん注:この「降眞香」とは、現行、狭義には、

双子葉植物綱ムクロジ目ミカン科オオバゲッケイ属オオバゲッケイ Acronychia pedunculata

を指す。日本語の詳細記載はネット上には見当たらないので、英文の当該種のウィキを見ると、『熱帯アジアの低地及び低丘陵の熱帯林の下層・隙間・縁に生える大きな低小木』とあり、『インド・スリランカから中国南部・台湾・インドシナ半島・マレーシア・パプアニューギニアに至る南アジアと東南アジア』に分布し、『葉・樹皮・茎・果実の抽出物は、抗真菌性及び抗菌性があるため、傷・疥癬や、腸の感染症に対する薬草として広く使用されている。芳香性のエッセンシャル・オイルが含まれており、中国では香水の製造に使用されてもいる。熟した果実は食用で、甘酸っぱい味がし、未熟な果実は強い収斂性と樹脂の味がする。根は、ベトナム南部では、魚毒として使用されている。インドでは、木材は彫刻・柱・家屋建設材、及び、金細工師が好む木炭の製造に使用される。柔らかい葉はサラダや調味料として使用される』。『この木は「ラカウッド」(lakawood:複数種の異なる植物を包括する用語)と呼ばれ、香の製造にも使用される』とあり、『アテネ大学の学者による論文』『に拠ると』、本種に『含まれるアクロベストン(acrovestone)』『は前立腺癌や黒色腫細胞に対し、顕著な細胞毒性を持つという』とあった。花と枝先の葉の画像がある。全樹の画像は、なかなか見当たらなかったが、サイト“India Biodiversity Portal”の同種のページの画像の三番目で見られる。

 「本草綱目」の引用は、「卷三十四」の「木之一」「香木類」の「降真香」の独立項で(「漢籍リポジトリ」)、ガイド・ナンバー[083-39a]から始まるが、例によってパッチ・ワークである。

「がうしんかう」東洋文庫では、何故か、『こうしんこう』と清音で訳してある。

「蘓芳(すはう)の木」小高木でインド・マレー諸島原産のマメ目マメ科ジャケツイバラ亜科ジャケツイバラ連ジャケツイバラ属スオウ Biancaea sappan があり、本邦には古く八世紀以前に渡来している(色の「蘇芳」の元)。但し、この「蘇芳」は、問題があるので注意が必要である。何故なら、本邦では、スオウならざる「蘇芳(すはう)」があるからである。則ち、本邦には、真の「スオウ」の他に、「スオウ」ならざる「スオウ」があるからである。それは、沖縄を除く日本全国に普通に見られる裸子植物門イチイ綱イチイ目イチイ科イチイ属イチイ Taxus cuspidata の異名でもあるからである。しかも、イチイは危険がアブナいのである。当該ウィキによれば、『果肉を除く葉や植物全体に有毒・アルカロイドのタキシン(taxine)が含まれている』。『種子を誤って飲み込むと』、『中毒を起こす。摂取量によっては痙攣を起こし、呼吸困難で死亡することがあるため』、『注意が必要である』とあるからである。

「仙傳」これには、書名を示す鍵括弧を、わざと外した(東洋文庫訳では鍵括弧あり)。これは「降真香」の冒頭の「釋名」の冒頭で、『珣曰』とある以下に載るのだが、いろいろ調べてみると、「仙傳」という書物があるようには思われないからである。則ち、私は、これを『道教系の仙道の書物の中に次のように書かれている』という意味で採ったからである。これは、東洋文庫が徹底して現在の確認出来そうな書名については、巻末の「書名注」の「見よ記号」を附してあるのに、この「仙伝」にはその記号がなかったからである。時珍(一五九三年没)より後の、明末の周嘉冑(一五八二年生)の書いた香に関する書物「香乘」に、「本草綱目」のここから引いたまんまのものが載る。但し、実際に珣氏が述べた原書は、その書きぶりから見て、実在した可能性は高いとは言えるだろうとは思う。因みに、この「仙傳」の文脈で言う「眞」は道家思想に於いて「理想とされる道を体得した人・存在」を指す「眞人」を指すものと存ずる。

「鶴」仙人の乗り物として極めてメジャーであるのは御存知の通り。

「降醮《くだしまつりす》る」後の当て訓は東洋文庫の訳を参考にし、「醮」の意味も別に確認した。

「功に費す」その作業に非情な労力を費やさなければならないことを言う。以下の「樹心」が木の主幹の芯部分が異様に硬いということであろう。

「遠し」焚いた香の香りがはるか遠い場所にまで到達することを言う。

「草木狀」正確には「南方草木狀」。竹林七賢の一人として知られる嵇康(けいこう 二六三年~三〇六年)の孫である晋の嵇含の著とされるが、東洋文庫の「書名注」には、『十二世紀の「逐書堂書目」にはじめて書名が見え、嵇含よりずっと後代の偽書とされる』とあった。それでも最古の植物誌とされ、嶺南地方に植生する草・木・果・竹を、約八十種、記述し、医書としても重要とされている。

「天行時氣《はやりやまひ》」東洋文庫の意訳ルビを参考にした。

「宅舍の恠異」「聊齋志異」等の中国の志怪小説群には、自宅や「凶宅」とされる家屋に頻繁に怪異が起こる。

「肌を生し」肌を若返らせ。

「刮-硏《けづりおろし》」東洋文庫の意訳ルビを参考にした。

「傅《つ》く」膏薬として貼り付ける。]

柴田宵曲「古句を觀る」正規表現版電子化注 / 「秋」(1)

 

 

              

 

 

   深爪に風のさはるや今朝の秋 木 因

 

 子供の時分爪を剪るに當つて、よく深爪を取るな、と注意された。堅い爪に掩はれた肉は、外のところのやうに皮が厚くないから、ちよつとしたことでも直ぐこたへる。これは爪を深く剪り過ぎたあとに風がさわる、といふ微妙な觸感を捉へたのである。

「さはる」といふ言葉は、あまり巧な表現でもないが、この場合他に適當な言葉もなさそうに思ふ。さういふこまかい觸感も、夏から秋への替り目だけに、特に感じ易いところがある。這間の消息はこれだけの事實から直に感得すべく、文字を以て說くことは却つてむづかしい。

 

   はつ秋や靑葉に見ゆる風の色 巨 扇

 

 句としては寧ろ平凡な部に屬するであらう。たゞ秋の到るといふことを著しく感じ、著しく現す習慣のついてゐる人は、この種の平凡な趣を見遁す虞があるのである。

 秋になつたといふものの、赫々たる驕陽[やぶちゃん注:「けうやう」。「夏の厳しい陽光」の意。]は依然として天地に充ちてゐる。木々の梢も夏のままに靑葉が茂つてゐる。その靑葉を渡る風に、自らなる秋を感ずる。「風の色」といふ言葉は、ちよつと說明しにくい。靑葉を吹く風に秋を感じ得る者だけが、この「風の色」の如何を解し得るに過ぎない。

 

   寢酒のむ心や餘所のをどり歌 春 艸

 

 老情といふものの窺はれる句である。浮れて盆踊の列に加はる者は、必ずしも老若を問はぬかも知れぬが、夜の更くることを構はずに踊るのは、やはり若人の世界であらう。さういふ羣に入らぬ老人が、しづかに酒を飮んで、これから寢ようとしてゐる。踊の歌はいつやむべしとも見えぬ、といふ趣である。

 この句には二個の異つた世界が含まれてゐる。寢酒を飮む老人と、その人の耳に聞えて來る踊の歌とは、明に對立の姿でなければならぬ。歡樂から取殘されたといふよりも、歡樂を通り越したと云つた方が、寧ろ適切であらう。この趣は書きやうによれば或は小說になるかも知れない。

「老にけり獅子の番して酒を飮む 瓊音」といふ句の世界が、ちよつとこの句に似てゐる。老の字を句中に點じないで、自ら老情を感ぜしむるのは、春艸の句の巧なる所以であらう。

[やぶちゃん注:「瓊音」沼波瓊音(ぬなみけいおん 明治一〇(一八七七)年~昭和二(一九二七)年)は国文学者で俳人にして強力な日本主義者。名古屋生まれ。本名、武夫。東京帝国大学国文科卒。『俳味』主宰。]

 

   馬牛もしなびてかなし盆の果 如 蛙

 

 馬も牛も實際の動物でなく、生靈棚に供へられた瓜の馬、茄子の牛であることは、註するに及ばぬであらう。苧殼の足で突立つたその馬も牛も、いさゝか萎びて見える。盂蘭盆はもう濟んだのである。

 香取秀眞氏の歌に「魂祭すぎにけるかも里川に瓜の馬流る蓮の葉流る」といふのがあつたかと記憶する。生靈のために役目を果した瓜の馬を詠んだものは、必ずしも少くない。この句はその「しなび」に目をとめたのが特色である。「かなし」といふ言葉も平凡なやうで、やはり利いてゐるやうに思はれる。

[やぶちゃん注:「生靈」不審。「しやうりやう」と読ませて(この読みはある)、「精靈」の意で使用しているらしいが、実は、「生靈」にそうした転用用法はなく、あくまで、「生き霊」の意である。これ、宵曲の誤記と思いたくない。誤植かと思う。岩波文庫もそのままであるが、「這間」を『この間』と無粋にやらかす暇があったら、これをこそ、宵曲のために「精靈」と書き変えてやるべきである。ホントに、岩波文庫版の編者は、レベル、低いわ。]

 

   聖靈も露けき蓮の葉笠かな 吾 仲

 

 魂棚[やぶちゃん注:「たまだな」。]に供へた蓮の葉を聖靈[やぶちゃん注:「しやうりやう」。「精靈」に同じ。]の笠に見立てたのであらう。かういふ句は敎室の講義式に說いて行くと、大分面倒なことになるが、聖靈の笠にかぶるものの方から考へれば、露けき蓮の葉笠以上に恰好なものはなささうである。

 西鶴は「一代女」の終近いところで、「一生の間さまさまのたはふれせし」主人公が、無氣味な幻影を見ることを描いてゐる。卽ち「蓮の葉笠を著るやうなる子供の面影、腰より下は血に染て、九十五六程も立ならび、聲のあやぎれもなくおはりよおはいりよと泣ぬ」とあるので、「一代女」の插畫は後世の草雙紙のやうに、物凄さを强調するものではないが、この蓮の葉笠の姿は何となく凄涼の氣を帶びてゐる。吾仲の句はそれほど恐しい幻を見てゐるわけではない。魂棚の燈に眞靑な蓮の葉を見て、これを笠に戴く聖靈の姿を漠然と感じてゐるのである。

[やぶちゃん注:『「一代女」の終近いところ』挿絵入りのものを探して、見つけた。「西鶴輪講 好色一代女 卷の六」(三田村鳶魚編・昭和四(一九二九)年春陽堂刊)のここで当該本文が視認でき(右ページ二行目から四行目にかけて)、

   *

……一生(しやう)の間(あひだ)さまさまのたはふれせしを、おもひ出して觀念(くわんねん)の窓(まど)より覗(のぞけ)ば、蓮(はす)の葉笠(はがさ)を著(きた)るやうなる子共の面影(おもかげ)、腰(こし)より下(した)は血(ち)に染(そみ)て、九十五六程も立ならび、聲(こゑ)のあやぎれもなくおはりよおはいりよと泣(なき)ぬ……

   *

で、宵曲の言う挿絵は次のコマの見開きで視認出来る。う~ん……多過ぎて、凄絶を逆に減衰する感じでは、あるな。]

譚 海 卷之十五 諸病妙藥聞書(15)

○小兒、馬脾風(ばひふう[やぶちゃん注:底本のルビ。])に成(なり)たる時【又、「はやくさ」と云物也。】、

 急に小「うで」の、「ちからこぶ」のいづるところを、息を、もちて、いくたびも、つよく吸(すふ)べし。くろき血の、いづれば、なほるなり。

[やぶちゃん注:「馬脾風(ばひふう)」ジフテリア(英語:diphtheria/ジフテリア(細菌放線菌門放線菌綱コリネバクテリウム目Corynebacterialesコリネバクテリウム科コリネバクテリウム属ジフテリア菌 Corynebacterium  diphtheriae )の感染によって起こる急性伝染病。本邦の「感染症法」による二類感染症の一つ。子どもが罹患し易く、主として呼吸器粘膜が冒される。潜伏期は二~五日。症状は菌が繁殖する部位によって著しく異なるが、孰れも、冒された部位に剥がれ難い偽膜が生ずるのが特徴。「咽頭ジフテリア」・「喉頭ジフテリア」・「鼻ジフテリア」が代表的)の漢方名。]

 

○小兒、「ひまはり」の藥【總身に、赤き物、ひまなく出來る病也。】。

 はなの咲(さく)桐の木を、「くろやき」にして、胡麻のあぶらにて、付(つく)べし。

[やぶちゃん注:「ひまはり」不詳。小児で全身に赤い湿疹が出現するというのは、乳児湿疹・アトピー性皮膚炎・ウイルス性粘膜疹が当たるか。]

 

○小兒、急病にて死(しし)たる時は、

 男子は、はゝの小べん、女子はちゝの小べんを、はやく、のますべし。一度(ひとたび)は、いきを、ふきかへす也。

[やぶちゃん注:「死たる時」この場合は、失神・気絶した際の意であろう。]

 

○風(かぜ)を引(ひき)たる時、

 夏、「不換金正氣散(ふかんきんしやうきさん)」を用(もちゆ)べし。冬は「五積散(ごしやくさん)」を用べし。其方、「不換金正氣散」。

 唐蒼朮(たうそうじゆつ)・厚朴(こうぼく)・陳皮(ちんぴ)・半夏(はんげ)・唐麝香【各一兩。】・甘草【五分。】、已上、六味。頭痛には、香附子(かうぶし)・川芎(せんきゆう)を加(くはふ)べし。

 「水ばな」いづるに、香附子・細辛(さいしん)を加ふべし。

 食傷には、神麹[やぶちゃん注:底本には「麹」に編者の右補正傍注で『(曲)』とある。]・山査子(さんざし)・香附子・縮沙・木香(もつかう)、此(この)五味を、くはふべし。

 「五積散」。

 蒼朮【三匁二分】・桔梗【一匁六分】・乾姜(かんきやう)・厚朴【各二匁六分】・麻黃・枳殼(きこく)・陳皮【各八匁。】・當歸(たうき)・川芎・芍藥・白芷(びやくし)・肉桂・半夏・茯苓【各四分。】・甘草【三分】

 已上、十五味。

 「藿香正氣散」。

 茯苓・白芷・紫蘇【各一兩。】・藿香(かくかう)【三兩。】・陳皮・桔梗・白朮・厚朴・半夏【各二兩。】・甘草【二匁。】

 已上、十味。

[やぶちゃん注:既注のものは再掲しない。以下同じ。

「不換金正氣散」サイト「漢方ライフ」の「不換金正気散」を参照されたい。

「五積散」同前の「五積散」を見られたい。

「唐蒼朮」「白朮」(びゃくじゅつ)に同じ。

「厚朴」モクレン亜綱モクレン目モクレン科モクレン属ホオノキ Magnolia
obovata 
の生薬名(樹皮)。通常、樹名は「朴」。

「神麹」「曲」の補正があるが、「神麹」(シンキク)で漢方生薬がある。「ミジカナ薬局」公式サイト内のこちらに、『神曲とも書く』とあって、『中国では小麦粉と小麦ふすま(麸)に、何種類かの生薬の汁や粉末を加えて発酵させて作ったものです。小麦ふすまとは、小麦の外の皮の部分で英語でブランと言われます』とし、『消化剤』とあり、漱石も飲んでいたタカヂアスターゼも、これであるとする。

「藿香正氣散」サイト「漢方ライフ」の「不換金正気散」を参照されたい。]

 

○「かんしやうが」の方

 陳皮・茯苓・山藥・乾姜【各二戔。】・石蜜【三戔。】・遠志・蓮肉【各一戔。】

 已上、七味。

 「川芎茶調散」。

 香附子・薄荷【各五匁四分。】・荆芥・川芎【各二匁七分。】・防風【一分。】・羗活・白芷・細辛【各三匁三分。】・甘草【五分。】

 已上、九味。

[やぶちゃん注:「川芎茶調散」サイト「PLAMEDplus」の「川弓茶調散」(ママ)を参照されたい。]

 

○風をひきて、汗を取る事。

 夜着など、かぶり、あせのいづるを、いつまでも、汗をとるは、あしゝ。足の「三里」に、あせのいづるを、あいづにして、止(やむ)べし。

[やぶちゃん注:『足の「三里」』膝の皿の下の、靭帯の外側にある「くぼみ」(「犢鼻(とくび)」)から、指幅四本分の位置にあるツボ。「奥の細道」の冒頭で、やったよね。]

 

○「炎せき」を治する名方。

 半夏・茯苓・生姜

 右、三味、等分して、せんじ用(もちゆ)るべし。

[やぶちゃん注:「炎せき」不詳だが、これ、「痰」「咳」じゃあ、なかろうか?]

 

○痰血には、

 花蘂石(くわずいせき)一味、耳かきにて、二つばかり、のみて、卽時に、とまる。

[やぶちゃん注:「花蘂石」花乳石とも言い、所謂、大理石のこと。]

 

○「痰こぶ」を、なほす法。

 天南星(てんなんしやう)、一味、さいまつにして、ぬるき湯に、とき、「せうが」の「しぼり汁」を、くはへ、灸の「ふた」のごとく、紙を、まるくして、此藥を「こぶ」の上へ張置(はりおく)べし。「こぶ」、こはばりたらば、「つばき」を、つくれば、ゆるまる也。三十日ほど、かくのごとく、付(つけ)かへ付かへすれば、こぶに、口、出來て、その口より、しろき「齒くそ」のやうなるもの、いづるを、押出し、押出しすれば、いつとなく、治する也。たゞし、「たんこぶ」にあらざれば、此くすり、もちゐても、驗(しるし)なし。

[やぶちゃん注:「痰こぶ」記載から見て、所謂、「たん瘤(こぶ)」のことのようである。但し、最後の方の療治の「押出し」の処理様態を見るに、これは、打撲によるそれではなく、所謂、「粉瘤」=「アテローム」=「アテローマ」(Epidermal cystAtheroma)であろうと考える。私は体質上、皮脂腺が多いため、発生し易く、青年期からしばしば出現し(多くは顔の頰や唇の皮脂腺)、教員になったその年には、右腹部のやや深い部分に親指の先ほどのものが生じ、化膿して痛みが生じたため、年末、富山県高岡の実家に帰省した際、日帰りで市民病院で除去して貰った経験がある。普通のものは、白い「痰」のような脂肪が押し出すと出てくるのである。

「天南星」単子葉植物綱オモダカ目サトイモ科テンナンショウ属 Arisaema に属する類の球茎の漢方生薬名(私には、同属ではウラシマソウ Arisaema urashima (日本固有種)や、マムシグサ Arisaema serratum が親しい)。当該ウィキによれば、『球茎の細胞はシュウ酸カルシウムの針状結晶などをもち有毒で、そのまま食べると口の中が痛くなって腫れあがるが、デンプンなどの栄養素を多く含むため、アイヌや伊豆諸島、ヒマラヤ東部の照葉樹林帯ではシュウ酸カルシウムの刺激を避けながら食用とする工夫がなされてきた。例えばアイヌの食文化ではコウライテンナンショウ』( Arisaema peninsulae )『(アイヌ語名:ラウラウ)の球茎の上部の毒の多い黄色の部分を取り除き、蒸したり、炉の灰の中で蒸し焼きにしたりして刺激を弱めて食用にし』、『伊豆諸島の八丈島では古くはシマテンナンショウ』( Arisaema negishii :同諸島に分布する日本固有種)『の球茎をゆでて餅のようにつき、団子にしたものをなるべく噛まずに丸飲みして、刺激を避けて食べたと伝えられている』。『飛騨地方では「へんべのだいはち」と呼び、その毒性を利用して便所の除虫などに使われた』。『また、球茎を漢方の生薬、「天南星」としても利用する』とあった。]

 

○又、一方。

 ふるき「せつた」の皮、「くろやき」にして、胡麻のあぶらにて付(つく)べし。

 

○黃膽病(わうだんびやう)には、

 茵蔯湯(いんちんたう)を、二、三ぶく、服すれば、よく治する也。

[やぶちゃん注:「黃膽病」黄疸。

「茵蔯湯」「ジェーピーエス製薬株式会社」公式サイトの「茵蔯蒿湯 いんちんこうとう」を見られたい。主剤の「インチンコウ」は、キク亜綱キク目キク科ヨモギ属カワラヨモギ Artemisia capillaris であり、当該ウィキによれば、『漢方では「インチンコウ(茵蔯蒿)」として用いられる。薬用部位は頭花。成分として、クマリン類のscoparone(スコパロン)、クロモン類のcapillarisin、フラボノイド類のcirsilineolcirsimaritinrhamnocitrinなどを含む。用途として、消炎利胆、解熱、利尿などを目標に、黄疸、肝炎』(☜)、『胆嚢炎などに用いられる。漢方処方には、茵陳蒿湯、茵陳五苓散がある。また、capillarisinscoparoneなどは各種動物で胆汁分泌促進作用を示す』とある。]

 

○又、一方。

 稻の苗を陰ぼしにして、燈心草・當歸、右二味をくはへ、せんじ飮べし。熱さめて、いゆる也。

 

○又、一方。

 しゞみを汁にして、每日、食すべし。

 

○喘息には、

 陳皮四十目を、水、四合に入(いれ)て、とろとろ、せんじ、かわかして、粉にこしらへ置(おき)たるを、つねに、「さゆ」にて用(もちゆ)べし。

 

○又、一方。

 「不換金正氣散」、至(いたつ)て、奇妙に治する也。

 但し、病氣、おこらんとする時、一、二日已前に、ひたと、用(もちゆ)ば、おこる事、なし。ぜんそくおこりて用ては、きかず。

 

○食傷せし時は、

 かろき「食しやう」は、枇杷葉湯(びはえふたう)にて治する也。おもき時は、「葛花解醒湯(かつくわかいせいたう)」を用べし。能(よく)治する也。

[やぶちゃん注:「食傷」この場合は、「食あたり」のこと。

「枇杷葉湯」乾燥したバラ目バラ科ナシ亜科シャリンバイ属ビワ Rhaphiolepis bibas の葉などの煎じ汁。「暑気あたり」や「下り腹」などに用いた。京都烏丸に本舗があり、夏、江戸で、試飲させながら行商した(因みに、この行商が、宣伝のために路上で誰にでも飲ませたところから「浮気・多情や、そうした人物」を指す喩えとなった)。

「葛花解醒湯」乾燥したクズの花を主薬とする漢方薬。二日酔いや肝機能障害に効果があるとされる。]

 

○「枇杷葉湯(びはやうたう)」。

 枇杷葉・吳茱萸・藿香・唐木香(たうまつかう)・唐宿砂(たうしゆくさ)・莪朮・肉桂

 已上、七味、吐下(はきくだし)には雁字菜【ひるも。】を加(くはふ)べし。

[やぶちゃん注:「唐木香」インド・中国で産出するウマノスズクサ(既出既注)の根を基原とする。但し、現行は、お香に用いられる。

「吳茱萸」「ごしゅゆ」はムクロジ目ミカン科ゴシュユ属ゴシュユ Tetradium ruticarpum 当該ウィキによれば、『中国』の『中』部から『南部に自生する落葉小高木。日本では帰化植物。雌雄異株であるが』、『日本には雄株がなく』、『果実はなっても種ができない。地下茎で繁殖する』八『月頃に黄白色の花を咲かせる』。『本種またはホンゴシュユ(学名 Tetradium ruticarpum var. officinale、シノニム Euodia officinalis )の果実は、呉茱萸(ゴシュユ)という生薬である。独特の匂いと強い苦みを有し、強心作用、子宮収縮作用などがある。呉茱萸湯、温経湯などの漢方方剤に使われる』とあった。漢方薬剤としては平安時代に伝来しているが、本邦への本格的渡来は享保年間(一七一六年から一七三六年まで)とされる。

「唐宿砂」「縮砂」。単子葉植物綱ショウガ目ショウガ科アモムム属ヨウシュンシャ Amomum villosum は東南アジア原産で、高さ約二メートル。葉は卵状披針形。花穂は濃紅色で地下茎から別に生じる。種子は芳香があり、精油部を含み、漢方で健胃剤などに用いられる。日本には安政年間(一八五四年~一八六〇年)以前に輸入された。また、「伊豆縮砂」はハナミョウガ・ゲットウ・アオノクマタケランの種子で同じく芳香性健胃剤とする。「ほざきしゃが」「東京縮砂」「唐縮砂」「ジンジャー」(種以外は小学館「日本国語大辞典」に拠った)。

「雁字菜」「ひるも」単子葉植物綱オモダカ目ヒルムシロ科ヒルムシロ属ヒルムシロ Potamogeton distinctus 。「ブリタニカ国際大百科事典」によれば、『ヒルムシロ科の水生の多年草で』、『ヒルモともいう。日本』・『朝鮮半島』及び『中国の温帯から暖帯に広く分布し,池』・『溝』・『水田などに普通に生える。地下茎の先端に殖芽を』作り、『繁殖する。茎は地下茎から水中に伸びて』、『水の深さにより』、『長さを変える。葉に』二『型あり』、『水中葉は披針形で短い柄がある。浮水葉は茎の上部につき』、『長楕円形で表面に光沢があり』、『葉柄基部に膜質の托葉がある。夏から秋にかけて』、『穂状花序をなして黄緑色の無花被の花を多数つける。おしべは』四『本』、『めしべの子房は』一~三『個ある。果実は広卵形の核果で背部に翼がある』とある。当該ウィキによれば、『鞘は中薬学』『において胃痛や赤痢の治療のために、中国料理において風味付けのために使われる』とあり、『ヨウシュンシャは甘味、酸味、苦味、塩味、そしてピリッとした味を持つ。その花、果実、根、茎、葉は薬として使うことができる。唐王朝以降』「本草綱目」と『いった多くの薬草に関する書物が、ヨウシュンシャの味は刺激性だが』、『さわやかで、わずかに苦い、と述べている』とある。]

2024/05/25

柴田宵曲「古句を觀る」正規表現版電子化注 / 「夏」(36) / 「夏」の部~了

 

     旅 泊

   魚煮たる鍋あらためよ茄子汁 使 帆

 

 或人が寺で造る精進料理がうまいといつて感心したら、野菜を煮る鍋と腥物を煮る鍋とを別にして御覽、と云はれたさうである。肉食に慣れて腥臭を意とせぬ吾々は、平生はさほどに感じないけれども、時に純粹なる精進料理――未だ曾て腥物を知らぬ鍋で煮た精進料理を味つたら、やはり讚歎の聲を吝まぬ[やぶちゃん注:「をしまぬ」。]かも知れない。

 この句は旅宿で出された茄子汁に、何となく腥臭のまつはつてゐるのを感じて、これは何か魚を煮た鍋で作つたに相違無い、茄子汁の場合はやはり別の鍋を用いた方がいゝ、と云つたのであらう。尤も「あらためよ」といふ言葉は、旅宿の主人に注意したとまで見なくても差支無い。作者の獨語でもいゝわけである。「あらためよ」と云つたところで、必ずしも別の鍋を使ふといふことには限らぬ。魚を煮たあとはよく吟味しろ、といふ意味でもよかろうと思ふ。

 作者は熊本の助成寺の住僧ださうである。平素純粹な精進料理に慣れてゐる爲、鍋の移り香が氣になつたものらしい。旅宿の茄子汁を一口啜つて、眉を顰めてゐるやうな樣子まで連想される。

[やぶちゃん注:「使帆」『「夏」(10)』で既出既注。]

 

   蝙蝠や日は今入て雲の紅 一 彳

 

 赫々たる太陽が漸く西に沈んで、雲は一面紅になつてゐる。日はもう落ちたが、全く暮れるにはまだ間がある。さういふ空を蝙蝠が翩々として飛びつつある、といふ句である。[やぶちゃん注:「蝙蝠」句にも本文にもルビがないので、「かはほり」ではなく、普通に「かうもり」と読んでいるようである。但し、句の方は、その読みに断定出来る資料を見出せなかった。]

 近頃では夕燒といふものを夏の季題にしてゐるが、炎威が烈しいだけあつて、夏の夕燒が最もめざましいやうに思はれる。佐藤春夫氏も「田園の憂鬱」の中に、夏から秋への夕燒の推移を述べて、「空の夕燒が每日つづいた。けれどもそれはつい二三週間前までのやうな灼け爛れた眞赤な空ではなかつた。底には深く快活な黃色を匿してうはべだけが紅であつた。明日の暑さで威嚇する夕燒ではなく、明日の快晴を約束する夕榮であつた」とあるのが、その間の消息をよく傳えている。炎暑に喘ぐ人は秋の到ることをよろこぶにしても、夕燒本位に見れば、明日の暑さで威嚇する時期が全盛の名に値するのであらう。

 蝙蝠は晝と夜との境目を自分の舞臺として頻に飛廻るが、吾々の受ける感じは、いづれかと云ふと幽暗な方に傾いてゐる。この句はさういふ感じに捉はれず、夕燒雲だけを配したところが面白い。古人は別に季題として取上げはしなかつたけれども、夏の夕燒の美しさは十分に認めてゐたのである。

[やぶちゃん注:「一彳」江戸後期の俳人で、上野国八幡八幡宮神主にして、高井東水・田川鳳朗門下であった矢口一彡(やぐちいっさん 天明七(一七八七)年~明治六(一八七三)年)の別表記俳号。本名は藤原以真。詳しくは当該ウィキを見られたい。

『佐藤春夫氏も「田園の憂鬱」の中に、夏から秋への夕燒の推移を述べて、「空の夕燒が每日つづいた。……」私のサイト版「佐藤春夫 未定稿『病める薔薇 或は「田園の憂鬱」』(天佑社初版版)」を見られたい。ブログ版では「佐藤春夫 改作 田園の憂鬱 或は病める薔薇 正規表現版 (その7)」である。]

 

   やね葺が我屋ね葺や夏の月 夕 兆

 

 屋根葺は自分の職業上、晝間は他人の屋根で仕事をしなければならぬ。若し自分の家の屋根を葺かうとすれば、仕事の無い時か、夜にでもやるより仕方が無い。この句は夏の夜の涼み仕事に、屋根葺が自分の屋根を葺いてゐる體である。

 夏は井戶掘より涼しきはなく、屋根葺より暑きはない。併し夜になつて涼しい月の照す下に、風に吹かれながら屋根の上で仕事をするとなれば、さう暑いことはないかも知れぬ。雨の降る心配が無いのだから、今夜中に葺いてしまはなければならぬといふほど、必要に迫られてゐるわけでなしに、涼み旁〻急がぬ仕事をやつてゐるやうに見える。そこがこの句の眼目であらう。

 職業はどうしても暑さを伴う。又職業である限りは、暑さの故を以て囘避するわけには行くまい。たゞ我家の事である間、そこに自由な涼しさを領することが出來る。さういふ風に考へて來ると、いさゝか分別臭くなる虞があるが、俳諧は固より爾く[やぶちゃん注:「しかく」。]觀念に終始するを要せぬ。現在夏の月夜に屋根で働く人を見、屋根葺が涼みながら自分の屋根を葺いてゐるな、といふ點に興味を感じただけでいゝのである。眼前の光景とすれば、多少の滑稽をも含んでゐるやうな氣がする。

 

   敷つめてすゞし疊の藺の匂 野 徑

 

 新しい疊の句はすがすがしいものである。替へたばかりの疊の上に寐ころんでゐると、如何なる熱鬧[やぶちゃん注:「ねつたう」。人が込み合って騒がしいこと。]の巷にあつても、生々たる自然の呼吸に觸れるやうに感ずる。自然に親しい日本建築の一條件に算ふべきものであらう。

 この句は洒堂の『市の庵』といふ集にあるので、洒堂が膳所から難波へ居を移した記念のものである。從つてこの集の中には「鋸屑は移徙[やぶちゃん注:「わたまし」。]の夜の蚊遣かな 正秀」とか、「踏む人もなきや階子の夏の月 臥高」とか、「上塗も乾や床の夏羽織 探芝」とか、新築氣分の橫溢したものがいろいろある。野徑の句もその一で、新居の洒堂に寄せたものだから、自分が現在さういふ靑疊の上に寐ころんだりしてゐるわけではない。涼しい藺の匂に滿ちた洒堂の新居を想いやり、淡い祝賀の意を寓したものと見れば足るのである。野徑は洒堂のそれまでゐた膳所の人で、膳所と難波は遠距離でもない以上、親しく新居を訪れた際のものとしても差支無いが、强ひて限定してかゝるにも及ばぬかと思ふ。

[やぶちゃん注:「野徑」(生没年未詳)近江蕉門で膳所の人。『ひさご』同人。別号に緑督堂。]

 

   晝の蚊に線香さびし草の庵 汶 村

 

 今だと直に蚊取線香を連想する。併し元祿の昔に、今のやうな蚊取線香があつたとも思はれぬ。さうかといつて線香は佛前に供へたもの、蚊は蚊で別に飛んでゐるもの、といふ風に切離してしまふのは少々惜しいやうである。

 蚊遣といふものの起原は知らぬが、蚊蚋の類が煙を厭ふところから用ゐはじめたとすれば、蚊遣專用のものが發明される以前にも、あらゆる煙が試みられたに相違ない。吾々がおぼえてからでも、楠や榧の木片が蚊遣用として荒物屋に竝んでゐた外に、普通の木屑なども盛に用いられた。蚊火の煙などといつて歌の材料になるのは、進化した專門的蚊遣でなしに、寧ろ原始的な濛々たる煙の方ではないかと思ふ。

 この句の線香は坐禪觀法の人の座邊に立てたものかも知れぬが、縷々たる香煙は猶多少蚊を卻ける[やぶちゃん注:「しりぞける」。「却」の異体字。]力を持つてゐる。庵主は香煙の搖ぎにも心を亂さじとして端坐しつゝある、晝の蚊のほのかな唸りが時に耳邊を掠めて去る、といふやうな寂然たる光景も、連想を逞しうすれば浮んで來る。畢竟「さびし」の語が蛇足にならず、或效果を齎してゐるのは、この句が蚊取線香でなしに普通の線香だからである。

[やぶちゃん注:小学館「日本大百科全書」の「蚊遣(かやり)」によれば、『夏季、カやブヨなどの害虫を追い払うために煙をいぶらせること。カヤリビ、カクスベ、カイブシなどともいう』。平安中期の源順の「和名類聚鈔」に、『「蚊遣火、加夜利比、一云、蚊火」とみえ、古くから蚊遣のために火をたいていたことが知られる』。『屋内の蚊遣には、いろり、火桶』『などで香料、木片』・『おがくずなどをたいたが、主として蚊遣木にはカヤノキの木片が利用され、東京のような大都市でも大正初期のころまで行われていた。しかし、江戸時代には、すでに木材の大鋸屑に硫黄』『の粉末を混ぜたものも用いられており、明治時代には、ジョチュウギク(除虫菊)を粉末にした蚊遣粉(蚊遣香)がつくられるようになり、やがてこれを主剤とした渦巻形の蚊取り線香(蚊遣線香)が広く利用されるようになった。また、これらを入れる蚊遣の用具にも、「蚊遣豚(かやりぶた)」とよばれる豚の形をした素焼の容器などがつくられ、幕末から現代に至るまで愛用されている』。『屋外での蚊遣は蚊火(かび)といい、山野で働く人たちは、藁』、『ぼろ布、ヨモギ、毛髪などを苞(つと)形に束ね』、『腰に提げ、また稗』『ぬかなどを小籠』『に入れて』、『山畑の(あぜ)に立て、煙をいぶらせ、ブヨなどの害虫の来襲を防いだ。これを地方ではカビ、カベ、カガシ、ヒボテ、セセボテ、イヤシなどとよび、これを魔除(まよ)けのために用いる所もあった。近年、新しい殺虫剤や強力な電子蚊取器などが販売されるようになって、在来の蚊遣、蚊火はようやく廃れつつある』とある。]

 

   夕顏に筆耕書の机かな 牧 童

 

「連翹に一閑張[やぶちゃん注:「いつかんばり」。紙漆細工のこと。]の机かな」といふ子規居士の句ほど客觀的ではないが、元祿の句としては最も客觀的な部類に屬するであらう。

 夕顏の花の咲いてゐる窓先か、緣先かに机を据ゑて、筆耕書(ひつかうかき)が何か寫し物をしてゐる、といふだけのことである。今のやうに早く電燈がつかないから、夕暮の色が漸く濃くなるまで、晷[やぶちゃん注:「ひかげ」。]を惜しんで明るいところへ机を持出してゐるのではあるまいかと思ふ。

[やぶちゃん注:「筆耕書」単に「筆耕」とも。本来は、「写字や清書で報酬を得ること。また、その人」を指すが、ここは第二義の「文筆によって生計を立てる人物」の意であろう。

「「連翹に一閑張の机かな」「寒山落木」の「卷五」に所収する。明治二九(一八九六)年の春の作。]

 

   繪簾を分けて覗くやあやめ賣 い ん

 

 この「あやめ」は端午の「あやめふく」料[やぶちゃん注:「れう」。]のことであらう。手許の歲時記をしらべて見たが、「あやめ賣」といふものを擧げてゐないから、特別な行裝をしてゐたわけでもなささうである。苗賣のやうに聲を張上げて呼んで步くのか、一軒一軒寄つて行くのか、その邊もよくわからない。この句は或家の簾を分けて、「あやめはよろしう」といふやうなことを云つて覗いたところらしい。

 たゞの簾、普通の賣物であつたら、さほどのことも無いが、あやめ賣が繪簾を分けて覗くといふので、一種の情趣を生ずる。作者が女性であることも、この場合情趣を助けてゐるやうに思ふ。宛然一幅の風俗畫である、などといふものの、あやめ賣の風俗がよくわからないのではいさゝかたよりない話である。

[やぶちゃん注:『「あやめふく」料』岩波文庫「古句を観る」(一九八四年刊)では、編集部が、何故か誤記とでも勘違いしたらしく、「料」の字が、ない。『この、編集者、本邦の民俗風習をまるで知らねえんだろうな。』と呆れる。これは、「あやめ葺く」で、「徒然草」に既に載っている。端午の節句の前日の夜に、健康を願って、家の軒に菖蒲を挿す古くからの風習である。そのために、「あやめ」を売って歩く行商人から買って「料」(材料)とすることである。

『手許の歲時記をしらべて見たが、「あやめ賣」といふものを擧げてゐない』宵曲にして、ディグが浅い。国立国会図書館デジタルコレクションの昭和二二(一九四七)年改造社刊の高浜虚子等編の「俳諧歲時記 夏」のここの「菖蒲引(あやめひ)く」の項の下方に類季語として「菖蒲賣(あやめうり) 菖蒲刈(あやめか)る」が挙がっており、『端午眞となれば、菖蒲を引きて市中に賣りに出するものあり、之を「菖蒲賣」といふ』と、たyんとあって、「中興五傑」及び「天明の六俳客」の一人として知られる加舎白雄(元文三(一七三八)年~寛政三(一七九一)年)の句「長々と肱にかけたりあやめ賣」(原本では「々」は踊り字「〱」)とある。

 

   編笠の頤見ゆる祭かな 朱 拙

 

 祭の列にゐる人でもあらう、編笠を深く被つてゐるので、その顏は見えぬ。僅に頤[やぶちゃん注:「おとがひ」。]だけが見える、といふスケツチである。祭といふ背景については何も描かず、祭の中にある人の、その又一部を捉へて描く。昔の句にもかういふ傾向が無いでもない。

 笠を被つてゐる人の顏は、帽子などと違つて何となく趣がある。「山車引くと花笠つけし玉垂の細し少女の丹の頰忘らえね」といふ香取秀眞氏の歌は、山車を引く花笠であり、くはし少女の丹の頰であるから、更に美しいけれども、朱拙の句も祭の句だけに、尋常の編笠とは同一に見がたい。但この編笠の主は、男性か女性か不明である。

[やぶちゃん注:「香取秀眞」既出既注

「山車」(だし)「引くと花笠つけし玉垂」(たまた(だ)れ)「の細」(くは)「し少女」(二字で「め」)『の丹』(に)『の頰忘らえね」以上で読みを附しておいた。]

 

   外向に咲かたがるや卯木垣    四睡

 

 垣根の卯木[やぶちゃん注:「うつぎ」。]が外向に白い花をつけて、その花のついた方に傾いてゐる、といふだけの句である。「かたがる」は傾くの意であらう。作者は內側から卯木垣を見てゐる場合ではないかと思はれる。

 卯木垣のことは知らぬが、山茶花や薔薇の垣根なども、花は外向についてゐることが多いやうである。垣根の山吹なども外へ咲き垂れる。それが行人の目を惹ひく所以であり、子供が折つて行く動機にもなる。この句は垣根の卯の花が外向に花をつけるといふ一事を捉へた外に、「咲かたがる」の語によつて、卯の花の趣を活かしている。類型や槪念を離れて、直に眼前の卯の花を描いてゐる點に、その特色を認めなければならぬ。

[やぶちゃん注:「卯木」ミズキ目アジサイ科ウツギ属ウツギ Deutzia crenata 。初夏に咲く「卯の花」は本種である。和名は「空木」で、幹(茎)が中空であることに由来するとされる。私が中・高を過ごしたのは、富山県高岡市伏木矢田新町の二上山麓で、しばしば、山中を跋渉したが、この花を見つけると、人気のない山中でも、心落ち着いたことを思い出す。]

 

   靑梅や桑とる哥の息やすめ 萬 子

 

 桑摘にいそしむ女たちが頻に唄をうたひつゝある。さすがに咽喉のどがかわいたか、うたひ草臥れた[やぶちゃん注:「くたびれた」。]かして、しばらく唄をやめた。その間に靑梅を取つて口に入れた、といふ意味らしい。この梅は桑圃[やぶちゃん注:「くはばたけ」。]のほとりに在るか、はじめから袂にでも忍ばせてあつたか、その邊の消息はわからぬが、靑梅は元來話だけでも渴に惱む兵士の咽喉を霑す效能を持つてゐるのだから、實際口にすれば架空の梅に百倍するものがあるに相違ない。

 野趣野情に富んだ句である。花が屢〻高士隱者に配せらるゝに引きかへ、靑梅は所詮仙家の食物にはならぬ。村孃[やぶちゃん注:「むらむすめ」。]が桑摘唄の間に用ゐるのは、適材適所と云ふべきであらう。「息やすめ」の語もこの野趣野情に適してゐるやうな氣がする。

[やぶちゃん注:「桑摘」バラ目クワ科クワ属 Morus の葉を蚕の餌とするため、摘んでいるのである。脱線だが、私は、昔、よく裏山でヤマグワ Morus bombycis の実を食べた。いつも、食った後に舌がいらいらしたのを、私は今日の今日まで桑の実のアクとか、実に生えている細い毛のせいだ、と思い込んでいたのだが、ウィキの「クワ」の「果実」の項を見たら、『蛾の幼虫が好み、その体毛が抜け落ちて付着するので』、『食する際には十分な水洗いを行う必要がある』とあった。うぐぇえええ!!!]

 

   家々の門や田植の仕舞歌 卯 七

 

 その邊の田を植え了つて、各〻自分の家へ歸つて來る。その門口へ來たところで、もう一度田植唄をうたふといふ意味らしい。「仕舞歌」といふのは、特にさういふ唄がきまつてゐるのか、たゞ最後にうたふといふだけでこういつたのか、吾々にはよくわからない。

 柳田國男氏の「民謠覺書」によると、「田植唄は、最近の約三、四十年が衰亡期であつた。もはや復活する見込も無く、又年寄の歌の文句や節を記憶する者も、次第に無くならうとして居る」といふことである。田植は年々歲々繰返されても、田園を賑はす田植唄なるものは、拂拭したやうに消え去る時が來るのかも知れない。さういふ時代から過去を顧ることになつたら、この句などは注目すべき一材料たるを失はぬであらう。

 この句の眼目は「家々」と複數になつてゐるところに在る。夕暮近くなつた田の面[やぶちゃん注:「も」。]に響いて、方々から田植の仕舞唄が聞えて來る。どこも無事に田植を了つたらしいといふ、一安堵したやうな氣持も窺はれる。この場合、默々として家に歸るのでは、一日の疲が身に殘るに過ぎまい。一くさりの唄が如何に心身を和らげ、慰安を與へるか。――この句の連想の中にはそんなことも浮んで來る。

「民謠覺書」には、田植唄は朝と晝と夕で、それぞれうたう文句を異にする、愈〻日が暮れてその日の田植が終る前になると、「田の神あげ」卽ち田神を送る唄が歌はれたやうだ、と書いてある。「仕舞歌」といふ言葉は用ゐられてないが、この場合も或はさういふ種類の唄をうたふのかも知れない。とにかく机上の句案では容易に探り得ぬ趣である。

[やぶちゃん注:私は生の田植え歌を実際に聴いたことはない。私が初めて聴いたのは、黒澤明の「七人の侍」のエンディングでであった。

『柳田國男氏の「民謠覺書」』第一回は昭和一〇(一九三五)年四月『文学』初出で、その後、複数の雑誌に連載され、昭和十五年五月に創元叢書四十七として単行本刊行された。私はこの論考には、あまり惹かれないので、電子化する予定は、ない。漢字は新字であるが、正仮名のものを、「私設万葉文庫」のこちらの「定本柳田國男集 第十七卷(新装版)」(一九六九年筑摩書房刊)の電子化物で読める(冒頭から開始。宵曲の最初の引用はページ・ナンバー・ガイドの「(192)」の「田植唄の話」の冒頭で、後者は「(195)」以下に当たる)。原本は国立国会図書館デジタルコレクションのここで視認出来る。]

 

   靑柹や壁土こねて休み居る 旦 藁

 

 この靑柹は木になつてゐるのか、地上に落ちてゐるのかわからぬが、そのほとりに壁土がこねかけたまゝになつてゐる、といふ卽景を詠んだのである。靑柹といふと、自然樹頭に在るよりも、ぽたぽた地上に落ちてゐる樣が想像される。こねかけた壁土の中などにも落ちてゐさうであるが、それは想像に上るまでで、文字に現れてゐるわけではない。

 たゞ靑柹とこねかけた壁土との間には、一種の調和がある。この調和は言葉で說明するのは困難だけれども、俳諧を解する者なら直に感じ得る筈である。上を「靑柹や」と云放したまゝ「壁土こねて休み居る」と承けてゐるあたり、むしろ近頃の句と相通ずる點があるかと思ふ。

[やぶちゃん注:「旦藁」「たんかう」。生没年未詳の蕉門。名古屋の菓子商で、尾張俳壇の古参の一人。作品は「春の日」・「阿羅野」・「猿蓑」等に残る。享保一八(一七三三)年刊の「古渡集」に辞世の句が載る。別号に意水庵。]

 

   蜘のいや蓮の卷葉のひらき時 長 虹

 

「今昔物語」に蜂と蜘蛛と戰ふ話があつた。一たび蜘蛛の擒[やぶちゃん注:「とりこ」。]になつたのを人に助けられた蜂が、仲間を催して蜘蛛を螫しに來る。蜘蛛は軒から池の蓮の上に絲を垂れ、更にそれから水際まで下つてゐたので、蓮の葉は隙間が無いまで螫されても、遂に身を全うしたといふのである。

 この句にはそんな因緣は無い。たゞ蜘蛛の絲が蓮の卷葉にかゝつてゐる。その卷葉が恰も今開かうとしてゐる、といふので、「蜘のい」[やぶちゃん注:この「い」は「蜘蛛の網(巣・糸)」を指す語である。]なるものに時間が含まれてゐないため、下の「ひらき時」といふ言葉と格別照應するものが無いやうに思はれるが、開かうとする蓮の卷葉に蜘蛛の絲がかゝつてゐる、といふだけの意と解すべきであらう。この邊の表現はやはり元祿流に、大まかに出來上つてゐるのかも知れない。

[やぶちゃん注:『「今昔物語」に蜂と蜘蛛と戰ふ話があつた』これは、「今昔物語集」の「卷第二十九」の「蜂擬報蜘蛛怨語第三十七」(蜂、蜘蛛に怨(あた)を報ぜんと擬(す)る語(こと)第三十七)である。以下に電子化しておく。□は欠字。

   *

 今は昔、法成寺(ほふじやうじ)の阿彌陀堂の檐(のき)に、蜘蛛の網(い)を造りたりけり。其の□□[やぶちゃん注:「蜘蛛の糸」。漢字表記を期した意識的欠字。以下も同じ。]長く引きて、東(ひむがし)の池に有る蓮(はちす)の葉に通じたりけり。

 此れを見る人、

「遙かに引きたる蜘蛛の□□かな。」

など云ひて有ける程に、大きなる蜂、一つ、飛び來(き)て、其の網の邊(ほとり)を渡りけるに、其の網に懸りにけり。

 其の時に、何(いづ)こよりか出來(いでき)けむ、蜘蛛、□□に傳ひて急ぎ出來て、此の蜂を、只(ただ)、卷きに卷きければ、蜂、卷かれて、逃(に)ぐべき樣(やう)も無くて有りけるを、其の御堂の預りなりける法師、此れを見て、蜂の死なむずるを哀れむで、木を以つて搔き落しければ、蜂、土(つち)に落ちたりけれども、翼を、つふと[やぶちゃん注:擬態語。「すっかりぴったりと」の意。]、卷き籠められて、え飛ばざりければ、法師、木を以つて、蜂を抑へて、□□を搔き去(の)けたりける時に、蜂、飛びて去りにけり。

 其の後(のち)、一兩日(いちりやうにち)を經て、大(おほ)きなる蜂、一つ、飛び來て、御堂の檐に、ぶめき[やぶちゃん注:擬声語。「ブンブン」。]行く。

 其れに次(つづ)きて、何(いど)こより來たるとも見えで、同じ程なる蜂、二、三百許(ばかり)飛び來たりぬ。

 其の蜘蛛の、網(い)、造りたる邊(あたり)に、皆、飛び付きて、檐・埀木(たるき)の迫(はさま)などを求めけるに、其の時に、蜘蛛、見えざりけり。

 蜂、暫く有りて、其の引きたる□□を尋ねて、東の池に行きて、其の□□を引きたる蓮(はちす)の葉の上に付きて、ぶめき喤(ののし)りけるに、蜘蛛、其れにも見えざりければ、時(とき)半(なかば)許り有りて、蜂、皆、飛び去りて、失せにけり。

 其の時に、御堂の預りの法師、此れを見て、怪しび思ふに、

『此れは。早う、一日(ひとひ)、蜘蛛の網に懸りて、卷かれたりし蜂の、多くの蜂を倡(いざな)ひて、「敵(かたき)、罸(う)たむ。」とて、其の蜘蛛を求むるなりけり。然(さ)れば、蜘蛛は、其れを知りて、隱れにけるなめり。』

と心得て、蜂共、飛び去りて後に、法師、其の網の邊に行きて檐を見るに、蜘蛛、更に見えざりければ、池に行きて、其の[やぶちゃん注:「絲を」。]引きたる蓮の葉を見ければ、其の蓮の葉をこそ、針を以つて差したる樣に、𨻶(ひま)も無く差したりければ、然(さ)て、蜘蛛は、其の蓮の葉の下に、蓮の葉の裏にも付かで、□□に[やぶちゃん注:「その下に糸を伸ばして、そこに」。]付いて、螫(さ)さるまじき程に、水際に下りてこそ有りけれ。蓮の葉、裏返(うらがへ)りて、垂れ敷き、異草共(ことくさども)など、池に滋(しげ)りたれば、蜘蛛、其の中(なか)に隱れて、蜂は見付けざりけるにこそは。

 預りの法師、此(かく)と見て、語り傳へたるなりけり。

 此れを思ふに、智(さと)り有らむ人すら、然(さ)はえ思ひ寄らじかし。蜂の、多くの蜂を、倡(いざな)ひ集めて、怨(あた)を報ぜむと爲(す)るは、然(さ)も、有りなむ。獸(けもの)は、互ひに、敵(かたき)を罸(う)つ、常の事なり。

 其れに、蜘蛛の、

『蜂、我れを罸(うち)に來らむずらむ。』

と心得て、

『然(さ)て許(ばかり)こそ、命は、助からめ。』

と思ひ得て、破無(わりな)くして[やぶちゃん注:尋常では通用しない事態に対して、普通の論理では考えられない手段を駆使し。]、此(か)く、隱れて、命を存(そん)する事は、有り難し。然(しか)れば、蜂には、蜘蛛、遙かに增(まさ)りたり。

 預りの法師の、正(まさ)しく語り傳へたるとや。

   *

このロケーションの「法成寺」は、藤原道長が造営した現在の上京区の東端にあった寺。現存しない。ここ(グーグル・マップ・データ)。

 これを以って「夏」の部は終っている。]

2024/05/24

「和漢三才圖會」植物部 卷第八十二 木部 香木類 檀香

 

Dankou

 

だんかう  栴檀  眞檀

      白檀  紫檀

      黃檀 赤栴檀

檀香

   【雲南人呼紫檀爲

    勝沈香卽赤栴檀】

 

本草栴檀不生中華江淮所生木亦其類而伹不香爾出

廣東雲南及占城眞臘爪哇渤泥暹羅三佛齋回回等國

[やぶちゃん注:「爪」は原本では「瓜」に似て六画目がない異体字のこれ(「グリフウィキ」)であるが、誤判読しやすいので、正字の「爪」とした。]

今嶺南諸地亦皆有之有黃白紫之異樹葉皆似茘枝皮

青色而滑澤其皮實而色黃者爲黃檀皮潔而色白者爲

白檀皮腐而色紫者爲紫檀其木竝堅重清香而白檀尤

良紫檀新者色紅舊者色紫有蟹爪文新者以水浸之可

染物皆俱可作帶骻扇骨等物

白檀【辛温】 氣分藥故能理衞氣而調脾肺

紫檀【鍼寒】 血分藥故能和營氣而消腫毒治金瘡

 

   *

 

だんかう  栴檀《せんだん》  眞檀《しんだん》

      白檀(びやくだん) 紫檀(したん)

      黃檀《わうだん》  赤栴檀(しやくせんだん/あかせんだん)

檀香

   【雲南の人、「紫檀」を呼んで、「勝沈香」と爲《な》す。

    卽ち、「赤栴檀」なり。】

 

「本草」に曰はく、『栴檀は中華に生《しやう》ぜず。江淮(かうわい)に生ずる所の木も亦、其の類にして、伹《ただ》し、香(かほ)らざるのみ。廣東(カンタウ)・雲南、及び、占城《チヤンパ》・眞臘《しんらう》・爪哇(ヂヤワ)・渤泥(ボルネヲ)・暹羅(ジヤム)・三佛齋(サブサイ)・回回《ホイホイ》等の國に出《いづ》る。今、嶺南の諸地にも亦、皆、之れ、有り。黃・白・紫の異《い》、有り。樹葉、皆、「茘枝《れいし》」に似て、皮、青色にして滑澤なり。其の皮、實《じつ》にして、色、黃なる者、「黃檀」と爲す。皮、潔くして、色、白き者、「白檀」と爲す。皮、腐りて、色、紫なる者、「紫檀」と爲す。其の木、竝《なら》びに堅重≪にして≫清香あり。而≪して≫、「白檀」、尤も良し。「紫檀」の新しき者、色、紅《くれなゐ》なり。舊《ふる》き者は、色、紫なり。蟹の爪《つめ》文《もん》、有り。新しき者、水を以つて、之れを浸し、物を染《そ》むべし。皆、俱に、帶・骻《こしおび》・扇-骨(かなめ)等の物に作るべし。

白檀【辛、温。】 氣分の藥なる故《ゆゑ》、能く衞氣を理(をさ)めて、脾・肺を調ふ。

紫檀【鍼、寒。】 血分の藥なる故、能く營氣を和(やはら)げ、腫毒を消し、金瘡《かなさう》を治す。

 

[やぶちゃん注:本項は、特異的に珍しく、良安の評が存在しない。現物を視認出来ない物として、かく、するしかなかったのであろう。

 さて、香木で高級材としても知られる一群が「檀香」であるが、これらは、中国・東南アジアから輸入される木材の内、芳香を伴うものの総称である。注意が必要なのは、以下の通り、全部が、同種類の樹木では、全く、ないことである。

・「栴檀」双子葉植物綱ムクロジ目センダン科センダン属センダン Melia azedarach var. subtripinnata

・「眞檀」:不詳だが、まず、正統な「檀香」であるセンダン属Meliaと採ってよかろう。ネット検索した限りでは、以下のビャクダンの異名ではないようである。

・「白檀」双子葉植物綱ビャクダン目ビャクダン科ビャクダン属ビャクダン Santalum album

・「紫檀」:一説に、二種を含むとし、マメ目マメ科マメ亜科ツルサイカチ連ツルサイカチ属ケランジィ Dalbergia cochinchinensis と、マルバシタン Dalbergia latifolia である。但し、異論を唱える者もあり、それらはウィキの「シタン」を見られたい。

・「黃檀」現行では、マメ目マメ科マメ亜科ツルサイカチ連ダルベルギア連 Dalbergieaeツルサイカチ属 Dalbergia の属する多数の種群を指すようである。最も知られる最高級材とされる種は、通称「インディアン・ローズウッド」、標準和名シッソノキDalbergia sissoo である(『インドやパキスタン、ネパールなどのヒマラヤ山脈周辺原産のローズウッド。ローズウッドの中では最も高級とされ、古代からシルクロードの交易品として親しまれ、中世のヨーロッパでは貴族の家具として使われていた。日本でも唐木細工の国宝や仏壇などに使用されている』ものの、古くに東南アジアには分布していない(現在は栽培されている)ので、これをここでの代表種とされては困る。詳しくは、参照したウィキの「ローズウッド(木材)」を参照されたい)。ところが、これは、まず、時珍が記載したこれは、それではない。中国語の「紫檀」は、ウィキの「シタン」の「他言語での相当語」の項に、★『中国語では「紫檀」は、インドカリン属のいくつかの種』、『特に』ツルサイカチ連インドカリン属『カリン Pterocarpus indicus 』『のことである』とあるからであり、一方、★現行の日本語の「紫檀」は、これまた違って、『日本の「シタン」に当たるのは』、『「黄檀」で』、『ツルサイカチ属のいくつかの種』、『特に Dalbergia hupeana 』『のことである』と断言しているからである。

・「赤栴檀」:小学館「日本国語大辞典」には、『インドの牛頭(ごず)山で産するという赤い栴檀。麝香』『のような上品なにおいがするので、仏像の材料として多く用いられる。ごずせんだん。しゃくせんだん』とあるが、調べてみても、固有種としての和名記載はどこにも、ない。されば、これは、ビャクダン Santalum album の赤みを帯びた個体変異とするしかないようである。

 以上の「本草綱目」の引用は、「卷三十四」の「木之一」「香木類」の「香」の独立項で(「漢籍リポジトリ」)、ガイド・ナンバー[083-37b]から始まるが、評を書けなかったことが示すように、実物を認識出来ないため、そこからの辻褄合わせ的拾い書きに終始しており、注を附す気が全くならないレベルの、何となくそれらしいが、実体種が良安には全く判らない底の浅い転写紹介物でしかないと言わざるを得ない。

「江淮(かうわい)」東洋文庫訳では、割注で『江蘇・安徽省』とする。既に注した東南アジアの国名注は繰り返さない。

「三佛齋(サブサイ)」東洋文庫訳では、割注で『スマトラ』とする。現在のインドネシア共和国のスマトラ島のこと。本来は、宋代の史書に、その名が見える南海の古国。七~十一世紀に、スマトラ島の南東部にあった大乗仏教の国で、唐代には「室利佛逝」と書かれた。

「回回《ホイホイ》」読みは、小学館の「大辞泉」の「回族(くわいぞく(かいぞく))に拠ったが、そもそも、これは、国名ではなく、『中国の少数民族の一』つで、『イスラム教を信仰し、主に寧夏(ねいか)回族自治区に居住する』(西安の北西のこの地区。グーグル・マップ・データ)。十三『世紀に西アジアから移住したイスラム教徒が先祖で、漢族などと混血して少数民族的集団を形成』した。元は、「回民」と『呼ばれた。ホイ族。ホイホイ』とある。さすれば、この時珍の言う「回回」とは、この寧夏回族自治区を指すのではなく、広く多数の国民がイスラム教を信ずるところの国を、漠然と指すとしか思われず、前の並列国家から見るに、現在、人口の八十七・二%、約二人のムスリム(イスラム教徒)を擁する世界最大の国であるインドネシアを指していると考えられる。

「嶺南」「ブリタニカ国際大百科事典」によれば、「五嶺の南」という意で、主として現在の広東省・広西自治区、及び、ベトナム北部を指す語である。秦の始皇帝が紀元前二一四 年に、兵を進めて、南越の都番禺(広東)を陥れたのを始めとして、以来、中国の歴朝は、この地を象牙・犀角・真珠などの産出地、或いは、東南アジア産出品の集散地として注目した。唐代には、広東に治府をおく「嶺南道」が設立され、両広、及び、ベトナムの地を管轄区域とした、とある。実は、引用の「栴檀は中華に生ぜず」とある部分は、実は、時珍の語りではなく、ずっと昔の唐代の蘇恭(五九九年~六七四年:「蘇敬」とも)の文章からの引用なのである。唐代の「中華」は、ベトナム北部の一部は、実効支配していたものの、形式上は独立国のように扱っていたことから、かく言っているのであろうと思われる。

「茘枝」中国の嶺南地方原産の、双子葉植物綱ムクロジ目ムクロジ科レイシ属レイシ Litchi chinensis 

『「紫檀」の新しき者、色、紅なり。舊き者は、色、紫なり。蟹の爪文、有り』「ステッキ専門店ラカッポ」公式サイトの「手違い紫檀(チンチャン・縞紫檀(しましたん))について」に載る紫檀の素材原材の写真を見ると、それらしく見える物があるように、私には、見える。

「衞氣」東洋文庫の後注に、『衛は水穀』(漢方で「水穀」の「水」は「液体としての飲食物」のこと、「穀」とは「固体としての飲食物」のことを指し、合せて「水穀」で現行の「飲食物」を意味する語である)『から胃腸によって作り出された栄養物質で、十二経脈の外を流れ、肌をつややかにし、筋肉に栄養を与える。気は栄養物質を全身にめぐらせ、汗や尿を排出させる』とある。]

2024/05/23

柴田宵曲「古句を觀る」正規表現版電子化注 / 「夏」(35)

 

   はつ蚊屋に網うつ眞似や小盃 呂 風

 

 秋の蚊帳、蚊帳名殘、蚊帳の別といふやうな句は、今でも屢〻逢著するが、初蚊帳といふ句はあまり見たことが無い。併し蚊帳の別を惜む俳人が、蚊帳を釣りはじめるに當つて、年々新な感興を覺えるのは當然であらう。袷の中に初袷といふものを認めるならば、蚊帳の中に初蚊帳があつてもいゝわけである。

 古人が蚊帳の釣りはじめを詠んだ句に就ては、前にも記したことがあつた。たゞ「はつ蚊屋」といふ言葉はなかつたやうに思ふ。この句は蚊帳を釣りはじめた時の、浮れたやうな氣持を現したので、その點は前に述べた句と大差無いが、小盃といふ道具が加つてゐる爲、つい浮れ方の度も强くなつて、網を打つ眞似などもするに至るのであらう。蚊帳の布目の影や、自らその中に身を置くことなどから、自然連想が投網にも及ぶのであるかどうか。

[やぶちゃん注:「古人が蚊帳の釣りはじめを詠んだ句に就ては、前にも記したことがあつた」不詳。]

 

   つり初に寢て見る晝の蚊帳かな 惟 斗

 

 この句は前の句ほど浮れたところは無いやうに見える。しかし試に釣つた蚊帳の中に、わざわざ入つて寢て見る。晝間のことで晝寐をする目的でもなささうなのに、わざわざ中へ入つて寐て見るといふのは、やはり氣分の動きが認められる。逸興といふ言葉はぴつたり當嵌らぬかも知れぬが、何か興の字のついた氣持であることは云ふまでもない。

 年々歲々釣る蚊帳、厭ふべき蚊を防ぐ道具の蚊帳であつても、釣りはじめの際にさういふ氣持が起るといふのは、人間の生活に何等かの變化を必要とする所以であらう。蚊帳に興ずる子供の氣持と同じやうなものが、大人の脈管にも流れているのである。俳諧の面白味は、さうしたものを端的に捉へてゐる點にも在る。蚊帳の釣りはじめも、蚊帳の別も、夏中每日釣る場合と同じく、何の感興も惹かぬといふ人があるならば、それは假令十七字の詩は作つても、眞に俳諧の趣を解する人ではない。

 

   白雨の瀧にうたすやそく飯(ひ)板 孟 遠

 

 今のヤマト糊が一般に普及する前は、子供が何か貼はる場合も、ひめ糊がなければ續飯[やぶちゃん注:「そくひ」。]を用いたものである。吾々は自ら續飯を作る技に習熟するより早く、ヤマト糊の類が手に入るやうになつたから、箆を執つて飯粒を練つた經驗をあまり持合せてゐないけれども、昔の家には必要に應じて糊を作る爲、續飯用の板と箆とが備へてあつたものであらう。

 續飯を練つたあとの板は、忽にこびりついてかちかちにこはばつてしまふ。だからなるべく早く洗ひ落す必要がある。この句は「瀧」といふ字を用ゐてはあるが、勿論本物の瀧ではない。夕立によつて軒から瀧のやうに水が流れ落ちる。その水の落ちるところに續飯板を置いて、洗ひ落さうといふのである。

 夕立の句としては慥に一風變つた趣であり、俳人の觀察の意外な邊に及んでゐる一證にもなる。「白雨の瀧」といふ言葉は少々無理だと云ふ人があるかも知れぬが、率直に讀めばそのまゝ受取り得るやうに思ふ。

[やぶちゃん注:「白雨」「ゆふだち」。

「ヤマト糊」固有の商品名を用いるのは、宵曲センセ、如何かと存じます。

「ひめ糊」「姬糊」。以下の目的のために初めから飯を柔らかく煮て作った糊。洗い張りや障子張りなどに使つた。私が高校生になるまで、母は自分でそれを前日のご飯の余りで作って障子張りをしていた。

「そく飯(ひ)」「續飯」「そくいひ」の音変化した語。飯粒を箆(へら)状のもので押し潰し、練って作った糊。]

 

   うちくらみ夕立すなり鄰村 江 橋

 

 一天俄にかき曇つて、今にも夕立が來さうになつた。鄰村の空は眞黑な雲が垂れて、もう降つてゐるらしい。それを「夕立すなり」と云つたのである。

 自分は此方にいて鄰村の空を望んでゐるのだから、「夕立すらし」といふ風な言葉を用ゐるべきところかも知れぬが、それでは調子が弱くなつて、鄰村まで迫つた夕立の勢は現れない。ここはどうしても、「夕立すなり」と現在の景にしなければならぬ。

「おほひえやをひえの雲のめぐり來て夕立すなり粟津野の原」といふ眞淵の歌は題詠であらうが、「おほひえやをひえの雲のめぐり來て」といふ調子がなだらかな爲、夕立らしい勢が浮んで來ない。江橋の句は「うちくらみ」の一語によつて、直ぐ近くまで迫つた夕立の空氣を描き得てゐる。「夕立すなり」の語に效果があるのもその爲である。

 

柴田宵曲「古句を觀る」正規表現版電子化注 / 「夏」(34)

 

   雨に折れて穗麥にせばき徑かな 尺 艸

 

 雨の降る日に穗麥畑に沿うた徑を通る。麥の穗先が地に折れ伏している爲、徑の幅が狹くなつてゐる。その狹い徑を雨にそぼ濡れながら行くといふのである。

「雨に折れて」といふと、雨の爲に穗麥が折れたもののやうに聞えるけれども、實際は雨中の徑に穗麥の先が折れ伏してゐる、といふ意味であらうと思ふ。穗麥に雨を點じて、かういふ小景を描いてゐるのが面白い。折れ伏した穗麥を踏むまじとして、雨に濡れながら徑を行く足のうすら寒さまで、この句から窺い得るやうな氣がする。

[やぶちゃん注:「徑」「こみち」。]

 

   葉櫻のうへに赤しや塔二重 唯 人

 

 印象的な句である。

 葉櫻の綠と、丹塗の塔との配合が、色彩の上からはつきり頭に殘るといふだけではない。樹木の綠と建築物の赤との對照は、日本に於ては寧ろ平凡な景色に屬する。この句に於て特筆すべきものとも思はれぬ。

 五重塔か、三重塔かわからぬが、多分前者であらう。丹塗の塔の上二重だけが、葉櫻の上に見えてゐる。この句が平凡を脫するのは「塔二重」の一語ある爲である。近代の句ならば、かういふ觀察も敢て珍しくないかも知れぬが、元祿期の句としては注目に値する。「塔二重」をもう少し平凡な語に置換へて見れば、その差は自ら明瞭であらう。

 滿目の葉櫻の上に丹塗の塔が姿を現してゐるのを、稍〻遠くから望んだ景色と見ても惡くはないが、葉櫻の茂つた下に來て、梢に近く丹塗の塔を仰ぎ見た場合とも解することが出來る。新綠や靑葉若葉でなしに、特に葉櫻と限つたところを見ると、あまり遠望でない方がいゝかも知れぬ。

 

   若竹に晴たる月のしろさかな 魯 九

 

 この句には前の「葉櫻」のやうな、こまかい觀察は無い。特に「晴たる」と斷つたのは、今まで降つてゐた雨が晴れて、すがすがしい月が出たといふ意味であらうか。三日月や半月では、どうもこの景色に調和しない。磨きたてたやうな圓い月でありたいやうに思ふ。

「しろさ」といふのがこの句の眼目である。この一語によつて、晴れたばかりの月の新しい感じ、その光の明るさも眼に浮んで來る。實感に繫る言葉は、一見平凡のやうで然らざるものがある。

 

   麥秋や弘法顏の鉢チ坊 巴 龍

 

 表を汚い道心坊の通るのを見て、さてさて小汚い坊主だと內儀が云ふのを、滅多なことを云ふな、弘法樣かも知れぬ、と主が咎める。坊主が立どまつて、南無三あらはれたとゐふ。さてもさても太い坊主だ、弘法樣かも知れぬといつたら、あらはれたとぬかしたと云ふと、坊主が「又あらはれた」といふ笑話がある。この句を讀んで第一にあの話を思出した。

 弘法大師が今も世に存在して隨所に現れる、といふことは一般に信ぜられてゐた。大師と知らずに麁末に取扱つた爲、その家が後に非運に陷つたといふやうな話も、いろいろ傳はつてゐる。前の笑話はさういふ漠然たる信仰を種に使つて、ちよつとおどけたところに面白味があるが、巴龍の句にはそれほど曲折はない。麥秋の頃に鉢坊主がやつて來る、それが如何にも弘法大師然たる顏をしている、と云つたのである。「弘法顏」といふ言葉は、自ら弘法を以て任じてゐる場合にも使はれるが、若しそんな手合があれば、必ず山師にきまつてゐる。この句は作者が殊更にさう見たので、大師に關する傳說を頭から肯定したといふよりも、寧ろその鉢坊主を多少揶揄するやうな氣分で、「弘法顏」と云つたものではないかと思はれる。

 鉢坊主は托鉢する乞食僧の俗稱である。「鉢チ」と「チ」の字を送つたのは、「ハツチ」と讀ませる爲であらう。

[やぶちゃん注:解説冒頭の笑話は、国立国会図書館デジタルコレクションの「佛敎笑話集」(『佛敎文庫』十一・蓮本秋郊編・昭和六(一九三一)年東方書院刊)の、ここの「願人坊主(ぐわんにんばうず)」で発見した。短いので、電子化しておく。読みは一部に留めた。

   *

判じ物をひらりとなげ込んで行く願人を女房みて、「あれは願人のなかでも、むさいきたない形(なり)ぢや。」といふのを、亭主とめて、「これめつたな事をいはぬ物ぢや。得て弘法樣(こうぼうさま)が人の心を引見(ひきみ)るためきたない形(なり)でおあるきになさる、それかもしれぬ。」といへば、願人行きながら、「南無三あらはれた。」と云ふ。亭主をかしく、「あいつは太いやつだ、おれがもし弘法樣だもしれぬと云(いつ)たら、もう弘法樣になつてあらはれたとはなんの事だ。」といへば、願人。「南無三又あらはれた。」(譚囊)

   *

引用元は、内題を「鹿子餠後編譚囊」とする馬場雲壷(木室卯雲)の安永六(一七七七)年刊の咄本である。]

 

   毛氈を達磨に著ルや五月雨 白 雪

 

 弘法が出たから、大師の因[やぶちゃん注:「ちなみ」。]によつて達磨を出したわけではない。全く偶然である。

 五月雨の時分には、袷に羽織を重ねてもまだ寒いことがある。この句は五月雨に降りこめられた人が、肌寒いまゝに毛氈を頭から被つて、つくねんとしてゐる、その形が達磨のやうだ、といふ意味らしい。その毛氈が赤ければ、愈〻達磨に近いわけであるが、そこまでの穿鑿は無用であらう。

 この場合、達磨の如しとか、達磨に似たりとか云つたのでは、いさゝか平凡になる。畫にかいた達磨のやうな形に毛氈を被るといふことを、「達磨に著る」の一語で現したのは、奇にして且[やぶちゃん注:「かつ」。]妙である。寒夜毛布を被つて机に對する經驗は、吾々も持合せてゐるが、他から之を見る時は達磨然たるものであることを、この句によつてはじめて合點した。

 見立の句ではあるが、別に厭味に陷つてゐないのは、「達磨に著るや」と云つてのけた爲であらう。他人の姿を見た句でなしに、自己の姿を客觀したもののやうな氣がする。

 

2024/05/22

柴田宵曲「古句を觀る」正規表現版電子化注 / 「夏」(33)

 

   行馬の水にいなゝく夏野かな 游 刀

 

 炎天下を馬に乘つて行く場合と思はれる。鞍上の人も固より咽喉が渴いてゐるであらうが、馬も烈日の威に堪へず、喘ぎ喘ぎ步みつゝある。廣漠たる夏野にさしかゝつて、どこで水に逢著するかわからぬ。そのうちに馬は前途に水あることに勘づいたと見えて、急に元氣よく嘶いた。鞍上の人もホツとして馬を急がせる、といふ風にも解することが出來る。

 併し再案するに、この馬は鞍上の人となつた場合に限る必要はない。馬を曳いて共に夏野を步みつゝあるのでもよささうである。「水にいなゝく」といふ言葉も、前途に水あることを馬が直覺したといふほど、特別な場合と見ないで、現在水に逢著して嬉しげに嘶いたとしても差支無い。たゞこの句に必要なのは、炎天に渴し夏野に喘ぐ人と馬との間の親しい心持である。路傍の人として馬を見送る態度でさへなければ、他は爾く[やぶちゃん注:「しかく」。]限定するに當らぬであらう。

 

   夕がほにあぶせて捨る釣瓶かな 臥 高

 

 ちよつと見ると釣瓶を捨てたやうであるが、如何に物資不足の世の中でないにしろ、さうやたらに釣甁を捨てる筈が無い。釣瓶の中の水を捨てたのである。

 釣瓶から水を飮むやうな場合であらう。汲上げた水がまだ大分釣瓶に殘つてゐる。その水を井戶のほとりの夕顏に、ざぶりと浴せて捨てたといふのである。一杯の水もむだに捨てず、植木の根にやるといふ峨山和尙の話は、結構であるに相違無いが、下手に俳句の中へ持込んだりすると、却つてその妙を發揮しなくなる。井戶流しへぶちまけてしまはずに夕顏に浴せれば、一味の涼はそこに生れる。俳人はこの程度の效果を以て足れりとすべきであるかも知れぬ。

[やぶちゃん注:「峨山和尙」峨山韶碩(がさんじょうせき 建治元(一二七五)年~正平二一/貞治五(一三六六)年)は鎌倉後期から南北朝時代にかけての曹洞僧。能登国生まれ。總持寺第二世。詳しくは当該ウィキを見られたい。この「一杯の水もむだに捨てず、植木の根にやる」という話は、国立国会図書館デジタルコレクションで「峨山 水」のフレーズで検索したところ、どうもこれらしいと思うものに逢着した。雑誌『禪宗』(明治三三(一九〇〇)年十一月二十二日発行)の「史林」の欄の「峨山禪師の逸事」(二)]の『△殺生の眞義』の一節(口語訳)が、それらしく思われた。私が、目を止めたのは、左ページ七行目の『何でも水一杯遣うて捨るまで活して捨るやうに心がけるが活佛法の殺生戒を持つといふもの、』である。原文に出逢うことがあったら、追記する。]

 

   ほとゝぎすなくや夜鰹はつ鰹 孟 遠

 

 ほととぎすに鰹の配合といふと、必ず素堂の「目には靑葉山時鳥初松魚」が持出される。あまり判で捺したやうだから、一つかういふのを持出して見た。

 素堂の句は視覺、聽覺、味覺を併せて、首夏の爽な感じを盡してゐるので、解釋するのに便宜であるが、この孟遠の句はそれほどはつきりしてはゐない。ほとゝぎすが啼く頃夜鰹が來る、その夜鰹卽初鰹だといふ風にも解せられる。それほど狹く限定しないで、「夜鰹はつ鰹」は「富士の霧笠時雨笠」といふやうな、一種の調子を取つた言葉と見ても差支無い。いづれにしても「夜」がほとゝぎすの啼く夜であるだけは慥である。

 この二句を對照して見ると、素堂の方は三つの官覺を併せてゐるだけに、首夏の趣は十分であるが、一句から受ける印象は、感じの上にぴたりと灼きつくといふよりも、事實の上でなるほどと合點するところがある。ほとゝぎす啼く夜の鰹は、その場所とか、背景とかいふものが一切塗潰されてゐるに拘らず、やはり實感に訴へて來るものを持つてゐる。

 併しこの句から直すぐに新場の夜鰹などを持出して、むやみに江戶ツ子仕立にすることは、恐らく見當違に了るであらう。孟遠は肩書に僧とあるからである。但初鰹の作者は必ずしも鰹の賞味者ばかりに限らぬ。この一句によつて直に孟遠を腥坊主[やぶちゃん注:「なまぐさばうず」。]にする必要も無さそうに思ふ。

[やぶちゃん注:山口素堂の知られた句は、御存知とは思うが、鎌倉での句である。

「富士の霧笠時雨笠」は其角の句で、

   *

 笠取よ富士の霧笠時雨笠

   *

である。]

「和漢三才圖會」植物部 卷第八十二 木部 香木類 丁子

 

Tyouji

[やぶちゃん注:挿絵の上部にチョウジ(クローブ)の実(実際には花蕾と果実)を左右で「雌」と「雄」と分けて示している。これは、加工して乾燥したチョウジのそれが、恰も「丁」の字や、錆びた釘の形に似ているのを、時珍が雌雄と誤認したものを踏襲している。

 

ちやうじ  丁香 雞舌香

丁子  【附

        母丁香

        丁香皮】

テイ ツウ

 

本綱丁子出崑崙國及交州廣州南番《✕→蕃》其樹髙丈餘木類

桂葉似櫟葉二三月開花圓細黃色凌冬不凋七月成子

其子出枝蕊上如釘長三四分紫色伹有雌雄雄者顆小

而名丁香雌者大如山茱萸名母丁香【一名雞舌香】用雄則須

去丁蓋乳子其樹皮名丁香皮似桂皮而厚氣味同丁香

丁子【辛熱】温脾胃止霍亂治五痔及齒䘌虛噦小兒吐潟

 壯陽療反胃嘔逆【丁子畏欝金不可見火】

[やぶちゃん注:上記の行頭の一字空けは「下げ」ではなく、引用の切れ目を示すものである。以下も同じで、煩瑣なので、向後、この字空けは、一部で、無視して前に続けたり、行頭へ上げることとした。]

 香衣辟汗氣【丁子一兩山椒六十粒絹袋盛佩之】 治痘瘡不光澤不起

 發或脹或瀉或渇或氣促表裏俱虛之證【陳文中用木香散異攻散倍加丁香官桂葢運氣在寒水司天之際又値嚴冬欝遏陽氣故用大辛熱之劑發之者也若不分氣血虛實寒熱經絡一槩驟用其殺人也】

母丁香【卽雌也】拔去白鬚孔中用薑汁塗之卽生黑者

△按阿蘭陀咬𠺕吧舶到南蠻交易以渡之外科呼丁子

 油名加良阿保

 

   *

 

ちやうじ  丁香《ちやうかう》 雞舌香《けいぜつかう》

丁子  【附《つけた》り

        母丁香《ぼちやうかう》

        丁香皮《ちやうかうひ》】

テイ ツウ

 

「本綱」に曰はく、『丁子は崑崙《こんろん》國、及び、交州・廣州・南蕃に出づ。其の樹、髙さ、丈餘。木は桂《けい》に類し、葉は、櫟(とち)の葉に似る。二、三月、花を開く。圓《まろ》く細く、黃色。冬を凌《しのぎ》て、凋《しぼま》ず。七月、子《み》を成す。其の子、枝の蕊《ずい》の上に出づ。釘《くぎ》のごとく、長さ、三、四分、紫色なり、伹し、雌雄《しゆう》、有り。雄《おす》なる者は、顆《くわ》、小さくして、「丁香」と名づく。雌なる者は、大いさ、「山茱萸《さんしゆゆ》」ごとし、「母丁香」と名づく【一名、「雞舌香」。】。雄を用ひ、則ち、須らく、丁《てい》≪の≫蓋《ふた》の乳《ち》≪の≫子《み》を去るべし。其の樹の皮を、「丁香皮」と名づく。「桂皮《けいひ》」に似て、厚し。氣味、「丁香」に同じ。』≪と≫。

『丁子【辛、熱。】脾胃を温め、霍亂を止《と》む。五痔、及び、齒䘌(むしくいば[やぶちゃん注:ママ。])・虛噦《きよえつ》・小兒の吐潟を治す。』≪と≫。『陽を壯《さかん》にし、反胃《はんい》・嘔逆《わうぎやく》を療す【丁子、欝金《うこん》を畏《おそ》る。火(ひ)を見《みす》べからず。】。』≪と≫。

『衣《え》を香《かんばしく》し、汗≪の≫氣を辟《さ》く【丁子一兩、山椒六十粒、絹袋≪に≫盛≪りて≫之れを佩ぶ、】。』≪と≫。 『痘瘡を治す。光澤ならずして、起發せず、或いは、脹≪り≫、或いは、瀉《しや》≪し≫、或いは、渇《かつ》し、或いは、氣、促≪して≫、表裏《へうり》俱に、虛の證≪に用ゐる≫【陳文中[やぶちゃん注:人名。]、「木香散」・「異攻散」を用ひ、丁香・官桂を倍加≪せり≫。葢し、運氣、「寒水司天」の際《きは》に在り、又、嚴冬に値《あた》≪りて≫、陽氣、欝遏《うつあつ》≪すれば≫、故《ゆゑ》≪に≫大辛熱の劑を用ひ、之れを發≪せし≫者なり。若《も》し、氣血・虛實・寒熱・經絡を分《わか》たずして、一槩《いちがい》に驟≪にわかに≫用ふれば、其れ、人を殺すなり。】。』≪と≫。[やぶちゃん注:「≪に用ゐる≫」を入れたのは、明らかに文章が尻切れ蜻蛉になってしまっているからである。東洋文庫訳でも、『虚の證を示すもの』と付加しているものの、やはり全体を見ると、どうも締まりがなく、不自然である。これは、良安が、あちこちの美味しい所のみを切り張りした結果、述語に相当する箇所がなくなってしまった結果であるからである。而して、割注の頭には、それを受けて、「但し、」と欲しいところではある。]

『母丁香【卽ち、雌なり。】白鬚《しらひげ》を拔き去りて、孔《あな》の中≪へ≫、薑《しやうが》汁を用ひて、之れを塗れば、卽ち、黑き者を生ず。』≪と≫。

△按ずるに、阿蘭陀・咬𠺕吧(ヂヤガタラ)の舶《ふね》、南蠻に到り、交易して以つて之れを渡すなり。外科《ぐわいれう》、丁子の油を呼んで、「加良阿保(ガラアボ)」と名づく。

 

[やぶちゃん注:これは、所謂、「クローブ」(Clove)のことで、

バラ亜綱フトモモ目フトモモ科フトモモ属チョウジノキ Syzygium aromaticum 

である。一般に知られた加工材のそれは、本種の蕾を乾燥したものを指し、漢方薬で芳香健胃剤として用いる生薬の一つであり、また、現行の肉料理等にも、よく使用される香料である。当該ウィキによれば、『原産地はインドネシアのモルッカ群島であり』、『香辛料として一般的に使われるほか、生薬としても使われる。漢名に従って丁香(ちょうこう)とも呼ばれる』。『乾燥したチョウジ(クローブ)。ちょうど丁の字や、錆びた釘の形に似ている』。『チョウジの花蕾は釘に似た形、また乾燥させたものは』、『錆びた古釘のような色をしており、中国では』既に『紀元前』三『世紀に口臭を消すのに用いられ、「釘子(テインツ)」の名を略して』、『釘と同義の「丁」の字を使って「丁子」の字があてられ、呉音で「チャウジ」と発音したことから、日本ではチョウジの和名がつけられた』。『フランス語で釘を意味するクル(Clou)から、仏名で「クル・ド・ジローフル」(clous de girofle)と呼ばれ、英語名でこれが「クロウジローフル」(clow of gilofer)となり、略されて「クローブ」(Clove)になった』とある。 お、「本草綱目」の引用は「卷三十四」の「木之一」「香木類」の「丁香」の独立項で(「漢籍リポジトリ」)、ガイド・ナンバー[083-33a]から始まるが、引用は「集解」の[083-33b]の一行目中ほどから冒頭が始まっているものの、ソリッドに引用しているかのように見える最初の総論部でさえも、それ以下の文章を、完膚なきまでにパッチワークしている。

「雞舌香」花蕾がニワトリの舌に似ているため。

「母丁香」「丁香皮」漢方では、前者が「花蕾」を、後者が「果実」を指す。

「崑崙國」(「崑崙」は「クンルン」)とは、当該ウィキによれば、『中国古代の伝説上の山岳。崑崙山(こんろんさん、クンルンシャン)・崑崙丘・崑崙虚ともいう。中国の西方にあり、黄河の源で、玉を産出し、仙女の西王母がいるとされた。仙界とも呼ばれ、八仙がいるとされる』。『伝説の崑崙山は万仭の高さで』、『外径八百里、天帝が下界においての都であり開明獣に守られている。その下には羽を浮べさせない弱水と燃え続けて』い『る火炎の山もいると』伝えられる。実在するクンルン山脈周辺(グーグル・マップ・データ)。

「交州」現在のベトナム北部。

「廣州」現在の広西省・広東省。

「南蕃」中国大陸を制した朝廷が南方の帰順しない異民族に対して用いた蔑称。

「桂」「本草綱目」中であるから、「かつら」と読んではいけない。中国での種群は、『「和漢三才圖會」植物部 卷第八十二 木部 香木類 桂』の私の迂遠な冒頭注を参照。

「櫟(とち)」この「とち」の良安のルビは、後の「槲」に対して「くぬぎ」と振っているのと合わせて、甚だ、おかしい。東洋文庫の後注に、『良安は櫟を「とち」とし、槲を「くぬぎ」としているが、トチはトチノキ科で別種。現在一般には櫟はクヌギ、槲はカシワと訓み、どちらもブナ科』とある。「櫟」は、現行の日本では、

ブナ目ブナ科コナラ属コナラ亜属クヌギ Quercus acutissima

で、日中辞書を見ると、中国でも同種を指す(但し、中文ウィキでは種名を「麻櫟」とする。但し、中国では上位タクソンのコナラ属を「櫟屬」ともするので、問題ない)。されば、時珍は明らかにクヌギを指していると読んでよいから、良安は現行の本邦同様、「くぬぎ」とルビするべきであった。一方の「とち」は、トチノキで、「栃の木」「栃」「橡の木」と表記するが、これは、クヌギとは、全く異なる、

ムクロジ目ムクロジ科トチノキ属トチノキ Aesculus turbinata

である。一方、「槲」であるが、通常、現行では、「柏」「槲」で、

コナラ属コナラ亜属 Mesobalanus 節カシワ Quercus dentata

を指す。中文でも「槲樹」として同種カシワと一致する。但し、この誤りは、どのような良安の知識の錯誤があるのか、よく判らない。

「山茱萸」ミズキ目ミズキ科ミズキ属サンシュユ Cornus officinalis当該ウィキによれば、『山茱萸(サンシュユ)は漢名(中国植物名)で』、『この音読みが和名の由来である』。『日本名の別名ハルコガネバナ(春黄金花)は、早春、葉がつく前に』、『木一面に黄色の花をつけることからついた呼び名で』、『植物学者』『牧野富太郎が山茱萸に対する呼び名として提唱したものである』。『秋になると枝一面にグミのような赤い実がつく様子から珊瑚に例えて、「アキサンゴ」の別名でも呼ばれる』。『中国浙江省及び朝鮮半島中・北部が原産といわれ』、『中国・朝鮮半島に分布する』。『江戸時代』、『享保年間に朝鮮経由で漢種の種子が日本に持ち込まれ、薬用植物として栽培されるようになった』。『日本における植栽可能地域は、東北地方から九州までの地域である』。『日本では、一般に花を観賞用とするため、庭木などに利用されている』。『日当たりの良い肥沃地などに生育する』。『落葉広葉樹の小高木から高木で』、『樹高は』五~十『メートル』『内外になる』。『枝は斜めに立ち上がる』。『成木の幹は褐色で樹皮が剥がれた跡が残って』、『まだら模様になることがあり、若木の幹や枝は赤褐色や薄茶色で、表面は荒く剥がれ落ちる』。『葉は有柄で互生し』、『葉身は長さ』四~十センチメートル『ほどの卵形から長楕円形で、全縁、葉裏には毛が生える』。『側脈は』五~七『対あって、葉先の方に湾曲する』。『葉はハナミズキやヤマボウシに似ているが、やや細長い』。『秋は紅葉する』。『葉が小さめのため』、『派手さはないが、色濃く渋めに紅葉する』。『花期は早春から春』(三~四月上旬)『にかけ』て、『若葉に先立って』、『木全体に開花する』。『短枝の先に直径』二~三『センチメートル』『の散形花序を出して』、四『枚の苞葉に包まれた鮮黄色の小花を多数つける』とある。

「桂皮」双子葉植物綱クスノキ目クスノキ科ニッケイ属シナモン Cinnamomum zeylanicum の樹皮から採れる生薬。免疫力回復・健胃整腸・血行循環促進作用の他、強壮・強精薬として昔から知られる。

「霍亂」急性日射病で昏倒する症状や、真夏に激しく吐き下しする病気の古称である。後者は急性胃腸炎・コレラ・疫痢などの総称に該当するものとされる。

「五痔」東洋文庫の後注に、『内痔の脈痔・腸痔・血痔、外痔の牡痔・牝痔をあわせて五痔という』とある。但し、これらの各個の症状を解説した漢方サイトを探したが、見当たらない。一説に「切(きれ)痔」・「疣(いぼ)痔」・「鶏冠(とさか)痔(張り疣痔)」・「蓮(はす)痔(痔瘻(じろう))」・「脱痔」ともあるようが、どうもこれは近現代の話っぽい。

「虛噦」「噦」は「しゃっくり」を言う。東洋文庫の後注に、『胃気が逆行して喉に突きあがり、しゃっくりの出るもの。虚の場合は』、『力なく』、『音は弱いが』、『重病のときに現れることが多い』とある。

「反胃」東洋文庫では、これに『たべもどし』と当てルビをする。

「嘔逆」同前で、『むかつき』と当てルビをする。

「欝金」ウコン属ウコン Curcuma longa 。熱帯アジア原産であるが、十五世紀初めから十六世紀後半の間に、沖縄に持ち込まれ、九州・沖縄地方や薬草園で薬用(根)及び観葉植物として栽培された。

「火(ひ)を見べからず」東洋文庫訳では、『火を近づけてはいけない』とある。これは、五行思想の「相剋」(そうこく)で、「火剋金」(かこくきん/かこくごん:火は金属を熔かす)で、ウコンは「火」(か)に、チョウジは「金」(ごん)に属すということであろう。

「痘瘡」天然痘。

「光澤ならずして、起發せず」天然痘は、丘疹が生じ、全身に広がって、高熱を発する際、同時に発疹が化膿して膿疱となるが、この光沢が生じないというのは、膿疱が十分に腫脹してはいない病態を指していよう。

「陳文中」明代の医師のようである。「陳氏小兒痘疹方論」の著書が現存する。早稲田大学図書館「古典総合データベース」のここで、出版地・出版者・出版年不明であるが、版本が見られる。

「木香散」不詳。

「異攻散」漢方方剤サイト「イアトリズム」の「異功散に詳しい解説が載る。消化器系漢方薬である。但し、その「処方構成」を見るに、「丁香」・「官桂」に正しく当たるものは、リストされていない。

「運氣」東洋文庫の後注に、『五運六気のこと。五運は木火土金水で、これはそれぞれ風・火(君火・相火)・湿・燥・寒に配当される。六気とは三陰(厥陰』(けついん)『・少陰・太陰)、三陽(少陽・陽明・太陽)のことである。これら五運六気がいろいろに結合し、天地間を運動・循環する。それによって万物は生成し変化すると考える論。司天は上半年の気侯を統率する客気で、下半年の気侯を統率する客気を在泉という。司天が太陽寒水なら、在泉は太陰湿土で、これは辰戌の年をあらわす。厳冬を大寒から啓蟄の頃までを指すとすれば、この時期の主気は厥陰風木である』とある。

「寒水司天」サイト「伝統鍼灸 一滴庵」のブログの「2024年は土運太過」に、「上半期の気象予測」と標題して、『先ほどの土運太過に加えて、上半期に影響する司天は太陽寒水なので、寒湿の影響を受けやすい気象予測となります。冷たい雨や雪などが降りやすい上半期になるかとおもいます』。『こういった上半期の寒湿の影響をうけやすいのが膝。膝痛が出現しやすい上半期になるかもしれません』。一~三『月頃は少陽相火が客気となりますので気温の上がり下がりが激しくなる可能性があります』。四~五『月頃は陽明燥金が客気となりますので湿を乾かしてくれるため』、『少し過ごしやすい季節になるかもしれません』。六~七『月頃は太陽寒水なので夏前にも関わらずあまり気温が上がりにくいかもしれません』とあった。以上は今年の「予測」であるが、さて、当たっているかどうかは、読者の感じ方にお任せしよう。

「欝遏」東洋文庫では、これに『おさえとざし』と当てルビをする。「遏」は「押し留める」の意である。

「咬𠺕肥(ヂヤガタラ)」インドネシアの首都ジャカルタの古称。また、近世、ジャワ島から日本に渡来した品物に冠したところから、ジャワ島のこと。

「加良阿保(ガラアボ)」語源不詳。]

2024/05/21

柴田宵曲「古句を觀る」正規表現版電子化注 / 「夏」(32)

 

   蚊遣火や道より低き軒の妻 百 里

 

 路傍に道より低い家があつて、蚊遣を焚いてゐる。單に「道より低き」と云つただけでは、槪念的であることを免れぬが、軒の端が道より低いといふによつて、その印象が明瞭になると共に、相當低い地盤に建つた家であることがわかる。例へば土手の下に在る家の如く、道を行く人は到底その內を窺ひ得ぬ程度のものであらう。

 さういふ低い家から濛々たる蚊遣の煙が立騰る。庇ひさしの深い、薄暗い地盤の低い家が、この趣を大に助けてゐるから面白い。

 

   箒木の倒れふみ立すゞめかな 配 力

 

 この箒木[やぶちゃん注:「ははきぎ」。]は歌人が屢〻傳統的に用ゐ、其角あたりも句中に取入れて讀者を煙に卷いた「その原やふせやに生ふる箒木」の類ではない。草箒[やぶちゃん注:「くさばうき」。]の材料になる、ありふれた箒草のことである。

 風に吹折られたか、人に踏折られたかして倒れてゐる箒木がある。それを雀が蹈むまではわかつてゐるが、「立つ」といふ言葉は二樣に解せられる。雀がその倒れた箒木を蹈へて立つたといふのか、踏んで飛立つたといふのか、二つのうちであらう。蹈へて立つといふことにすると、雀の身體も小さいし、足も細過ぎて少々工合が惡いが、飛立つ場合なら特に「ふみ立」といふのが念入のやうである。こゝは雀も小さい代りに、箒木も大きなものではないから、倒れた箒木に雀がとまつてゐるのを、「ふみ立」といつたものと解して置く。勿論雀の性質として、そう長くぢつとしてゐる筈は無い。一度蹈へて立つたにしろ、やがてパツと飛立つことは明であるが、それはこの句としては餘意と見るのである。

 眼前の寫生で、而も相當こまかいところを捉へてゐる。雀も箒草も平凡な材料であるに拘らず、この觀察は必ずしも平凡ではない。

[やぶちゃん注:「帚木」ナデシコ目ヒユ科バッシア属ホウキギ Bassia scoparia 当該ウィキによれば、『ヨーロッパ、南アジア、中国などのユーラシア原産といわれ』、『日本へは古くに渡来し、栽培されている』とあるが、私は、若い頃には見た覚えがなく、如何にも外国から近代に渡来したものと思っていた。]

 

   川風や橋に先置螢籠 陽 和

 

 現代の風景とすると、螢賣が荷をおろしたやうな感じがするけれども、元祿の句だから、そんなこともあるまい。螢狩に行つた者が川端へ出て、夜風の涼しい中に佇みながら、手に持つた螢籠をちよつと橋の上に置いた、といふのであらう。

 方々螢を捕つて步いた擧句、橋のところへ來かゝつたものとすると、この籠の中には螢の光が點々として明滅してゐなければならぬ。これから出かける途中ならば、まだ獲物は入つてゐないわけである。その邊は作者が明示してゐないのだから、讀者の連想に任せて差支無いが、籠は螢用のものであるにしても、全然入つていなくては寂し過ぎる。少しは螢が入つてゐる籠を點ずることにしたい。但橋に出たのは螢狩の目的でないので、偶然そこへ來たら川風が涼しい爲、螢籠を橋の上に置いて暫く佇んでゐるものとすればいゝのである。

[やぶちゃん注:「先置」「まづおく」。]

 

   くらがりに目明てさびしなく水雞 萬 乎

 

 ふつと目がさめた。あたりは眞暗である。何時頃かわからぬが、どうも夜半らしい。今と違つて時計の刻む音も何も聞えず、天地は眞暗であるのみならず、極めて闃寂としてしづまり返つてゐる。

 その暗い、ひつそりした中に水雞[やぶちゃん注:「くひな」。]の聲が聞えた。戶をたゝくといふ形容を持込んで、誰かゞたずねて來たかといふやうな連想を働かす必要は無い。たゞ眞暗な夜の中に目をさました人が、闃寂たる天地の間に水雞の聲を耳にしたまでである。「さびし」といふ言葉は、四鄰闃寂たるだけでなしに、これを聞く人の心の問題でもなければならぬ。

[やぶちゃん注:「水雞」既出既注だが、再掲しておく。鳥綱ツル目クイナ科クイナ属クイナ亜種クイナ Rallus aquaticus indicus ではなく、クイナ科ヒメクイナ属ヒクイナ Porzana fusca であろうと思われる。その理由と博物誌は、私の「和漢三才圖會第四十一 水禽類 水雞 (クイナ・ヒクイナ)」を参照されたい。

「闃寂」これも既出既注だが、再掲しておく。「げきせき/げきじやく」。ひっそりと静まり、さびしいさま。]

譚 海 卷之十五 諸病妙藥聞書(14)

○小兒、蟲氣(むしけ)にて、ひたひ、靑筋、出(いで)、又は寢(ねつ)かぬる等を、治す。あかき「みゝず」【小(ちさ)きが、よし。】、一つ、とりて、夜の七つどきに、火を、あらため、玉子ひとつ、打(うち)わりて、此(この)「みゝず」を、「玉子とぢ」に、水にて、せんじ置(おき)、夜のあくるをまちて、正(しやう)六つどきに、此「みゝず」を、玉子ともに、小兒に、くはすべし。水をも、少し、飮(の)ましむべし。其とき、小兒の腹中、しばらく鳴(なり)て、やむべし。この子、決して蟲氣なく、靑すぢも、をさまり、夜も、よく、ふせるなり。但(ただし)、あまり、をさなき兒ならば、此「みゝず」を、三きれほどに、きりて、一きれ、くはすべし、大妙藥也。

[やぶちゃん注:「蟲氣」小児が寄生虫によって惹き起こす腹痛・ひきつけ・癇癪などの諸症状を指す。

「赤みゝず」種同定は、し難いが、一般的に見かけられるもので赤っぽく見える(実際には環帯が鞍状で淡赤色を帯びる)のは、環形動物門貧毛綱ナガミミズ目ツリミミズ科シマミミズ属シマミミズ Eisenia fetida である。

「夜の七つどき」午前四時前後。

「正六つどき」「明け六つどき」で午前六時。]

 

○小兒、夜なきするには、

 ともし火の「丁子(ちやうじ)かしら」を粉にして、なくころ、乳に、ぬりて、ふくますベし。

[やぶちゃん注:当時の灯芯の原料は藺草(単子葉植物綱イネ目イグサ科イグサ属イグサ Juncus decipiens )の皮を除いた蘂(ずい)の部分である。ここは恐らく、蠟燭を灯して、黒く残った部分を指していよう。]

 

○小兒、口中へ、粟つぶのやうなるもの、出來(いでき)たる時は、羗蜋(きやうらう)一味、黑燒にして、飯つぶに、すりまぜ、足のうらの、「土ふまず」の所へ、紙にて、はるべし。卽座に治する也。

[やぶちゃん注:「羗蜋」(きょうろう)は既出既注。再掲すると、恐らく昆虫綱鞘翅(コウチュウ)目多食(カブトムシ)亜目コガネムシ下目コガネムシ上科 Scarabaeoidea及びその近縁な科に属する種のうち、主に哺乳類の糞を餌とする一群の昆虫を指す語である。「食糞性コガネムシ」とも呼ばれる。中文ウィキのその種群を示すそれは「蜣螂」の漢字が当てられている。その日本語版「糞虫」も見られたい。]

 

○小兒、胎毒を治(ぢす)る祕方。

 兎の腹籠(はらごもり)【一匁五分。】・蔓荊子(まんけいし)・菊花、各二匁。

 右、三味、黑燒にして用(もちゆ)べし。「かん」にて、目をわづらふにも、よし。

[やぶちゃん注:「兎の腹籠」ウサギの胎児。

「蔓荊子」既出既注。砂浜などに生育する海浜植物であるシソ目シソ科ハマゴウ亜科ハマゴウ属ハマゴウ Vitex rotundifolia の果実を、天日干し乾燥した生薬名。「万荊子」とも書く。強壮・鎮痛・鎮静・消炎作用があり、感冒に効くとされる。]

 

○小兒、疳の妙藥。

 車前子、一味を、粉にして、盆のうちに、ちらし、其中へ「どぢやう」を、あまた、入(いれ)れば、「どぢやう」、をどりて、此粉を、身へ、まぶす也。それを黑燒にして丸藥ぐわんやく)となし、二廻りも用(もちゆ)れば、治する事、妙也。

[やぶちゃん注:「車前子(おほばこ)」既出既注だが、好きな草なので、再掲する。シソ目オオバコ科オオバコ属オオバコ変種オオバコ Plantago asiatica var. densiuscula 。「車前草」(しゃぜんそう)とも呼ぶ。懐かしいな。当該ウィキに『子供たちの遊びでは、花柄を根本から取り』、『つ折りにして』、二『人が互いに引っかけあって引っ張り合い、どちらが切れないかを競うオオバコ相撲が知られ』、『スモトリグサ(相撲取り草)の別名もある』とあるが、もう何十年も、子どもらが、それをやっているのを、見たことが、ないよ……。]

 

○「小兒五疳」には、

 ひきがへるを、黑やきにして、茶にて、のましむべし。「五かん」ならでも、小兒、つねに用(もちい)て、よし。

[やぶちゃん注:「小兒五疳」「日本薬学会」公式サイト内の「薬学用語解説」の「小児五疳薬」に、『中国思想の五行説』の『基本概念から、漢方理論的に』、『小児の特異体質に適用した考え方。すなわち、いろいろな内因、外因によって五臓(肝臓、心臓、脾臓、肺臓、腎臓)のバランスが乱れ、精神的症状や肉体的症状を起こし、この』二『つの症状が相互に作用し合う諸症状を総称したもので』、『これは、現代の虚弱体質・過敏性体質(滲出性体質、自律神経失調症)に近い症状で』あるとある。]

 

○小兒脾疳の「せんやく」名方(めいはう)。

 唐白朮(からびやくじゆつ)・茯苓(ぶくりやう)・猪苓(ちよれい)・澤潟(たくしや)・三稜(さんりやう)・莪朮(かじゆつ)・黃苓(わうごん)・東京肉桂(トンキンにくけい)・半夏(はんげ)・山査子(さんざし)

 已上、十一味。

[やぶちゃん注:「脾疳」小児の慢性胃腸病を総称する語。一派には、身体が瘦せて、腹部が脹れてくる症状を指す。

「唐白朮」中国原産で本邦には自生しない双子葉植物綱キク目キク科オケラ属オオバナオケラ Atractylodes macrocephala の根茎を乾したものを狭義の基原とする浙江省などで生産されるものを指す(草体の画像は以上を参考にしたサイト「東京生薬協会」の「季節の花(東京都薬用植物園)」の「オオバナオケラ」を見られたい)。別に「和白朮」と称して、本邦の本州・四国・九州、朝鮮半島・中国東北部に分布する同オケラ属オケラ Atractylodes lancea を基原とするものを特に「和白朮」と呼ぶが(草体の画像は当該ウィキを参照)、現行では、この二種を一緒にして「白朮」と称している。効能は、主として水分の偏在・代謝異常を治す。従って、頻尿・多尿、逆に小便の出にくいものを治す、と漢方サイトにはあった。しかし、この便別は、現在の「日本薬局方」が規定するものであり、古くからこの二種の呼称は使用されているものの、当時の民間の薬方に於いて、「唐」がついているからと言って、厳密なオオバナオケラを指すと断定するのは、時代的・民俗社会的に見ても無理があろうから、後者でよかろうかと私は思う。

「茯苓」既出既注。菌界担子菌門真正担子菌綱ヒダナシタケ目サルノコシカケ科ウォルフィポリア属マツホド Wolfiporia extensa の漢方名。中国では食用としても好まれる。詳しくは「三州奇談卷之二 切通の茯苓」の私の冒頭注を参照されたい。主として動悸や、筋肉痙攣を治すほか、小便が出にくい病態や、眩暈を治すとされる。

「猪苓」ヨーロッパ・北アメリカ・中国などに分布し、本邦では本州中部以北に自生する菌界担子菌門真正担子菌綱チョレイマイタケ目サルノコシカケ科チョレイマイタケ属チョレイマイタケ Polyporus umbellatus の菌核。消炎・解熱・利尿・抗癌作用等がある。

「澤潟」水生植物である単子葉植物綱オモダカ(沢潟・沢瀉)目オモダカ科サジオモダカ属ウォーター・プランテーン変種サジオモダカ Alisma plantago-aquatica var. orientale の塊茎。抗腎炎作用がある。

「三稜」単子葉植物綱イネ目カヤツリグサ科ウキヤガラ(浮矢幹)属ウキヤガラ Bolboschoenus fluviatilis の塊茎の表皮を剝いで乾燥させたもの。漢方で通経・催乳薬等に用いる。当該ウィキによれば、『北海道から九州までの浅い池の周辺部等に生える。ウキヤガラの名は、浮き矢幹であり、真っすぐに伸びる花茎に由来するものである。その他、朝鮮、中国、北アメリカに分布する』とある。よく見かける野草である。

「莪朮」既出既注。単子葉植物綱ショウガ目ショウガ科ウコン属ガジュツ Curcuma zedoaria当該ウィキによれば、『根茎が生薬(日本薬局方に収録)として用いられ、芳香健胃作用がある』。『ウコン』(ここに「鬱金」と出る、ウコン属ウコン Curcuma longa 。熱帯アジア原産であるが、十五世紀初めから十六世紀後半の間に、沖縄に持ち込まれ、九州・沖縄地方や薬草園で薬用(根)及び観葉植物として栽培された)『よりも薬効は強いとされる。生薬としては莪朮というが』、『中国では塊根を鬱金(ウコン、キョウオウと同じ)、根茎を蓬莪朮という』とある。

「黃苓」「黃芩」に同じ。、双子葉植物綱キク亜綱シソ目シソ科コガネバナ Scutellaria baicalensis の根から採れる生薬。漢方にあっては婦人病の要薬として知られる。血管拡張・血行循環促進・産後の出血・出血性の痔・貧血・月経不順といった補血作用(但し、多くは他の生薬との調合による作用)を持ち、冠状動脈硬化性心臓病に起因する狭心症にも効果があるとする。

「東京肉桂」「東京(トンキン)」は紅河流域のベトナム北部を指す呼称であるとともに、この地域の中心都市ハノイ(旧漢字表記「河内」)の旧称。そこに自生する双子葉植物綱クスノキ目クスノキ科ニッケイ属ニッケイ Cinnamomum sieboldii を指す。詳しくは、最近、公開した『「和漢三才圖會」植物部 卷第八十二 木部 香木類 肉桂』を参照されたい。

「半夏」既出既注。単子葉植物綱ヤシ亜綱サトイモ目サトイモ科ハンゲ属カラスビシャク Pinellia ternata のコルク層を除いた塊茎。嘔気や嘔吐によく使われる生薬である。私の「耳囊 卷之七 咳の藥の事」も参照されたい。

「山査子」山樝子。バラ目バラ科サンザシ属サンザシ Crataegus cuneata当該ウィキによれば、『サンザシや近縁のオオミサンザシ』( Crataegus pinnatifida )『の干した果実は、生薬名で山査子/山楂子(さんざし)といい、健胃、整腸、消化吸収を助ける作用があると考えられている』『秋』『に完熟前の果実を採取して核を取り除き、天日で乾燥して作られる』。『漢方としては高血圧、健胃効果があるとされ』、『加味平胃散(かみへいいさん)、啓脾湯(けいひとう)』(☜)『などの漢方方剤に使われる』。『民間では、食べ過ぎでも』、『油ものや肉を消化してくれる薬草として用いられ』、『健胃、消化、軽い下痢に、山査子』一『日量』五~八『グラムを水』二百~六百『ccで』、『とろ火で半量に煎じ』、一『日に食間』三『回、温かいうちに服用する用法が知られている』。『二日酔いや』、『食あたりに同様の煎じ汁を飲むのもよいと言われている』とある。]

 

○又、一方。

 人參・和白朮・全蝎(ぜんかつ)。

 已上、三味。

[やぶちゃん注:「和白朮」前条の「唐白朮」の私の注を参照。

「全蝎」基原は節足動物門鋏角亜門クモガタ綱サソリ目ゲンセイサソリ亜目オレイタサソリ下目 Orthosterninaウシコロシサソリ小目ウシコロシサソリ上科ウシコロシサソリ科 Buthidae のサソリ類の全虫体を食塩水に入れて殺し、乾燥したもの。但し、現行では漢方では正規の薬剤としては認識されていない。]

 

○又、一方、號「十千散」

 乳香・丁子・熊膽(ようたん)【各四匁。】・木香(もつかう)【八匁。】・陳皮(ちんぴ)・枳殻(きこく)・黑牽牛子(こくけんごし)・半夏・三稜・雷丸(らいぐわん)・羗活(きやうかつ)・獨活(どくかつ)・唐胡黃連(たうこわうれん)【各六匁五分。】・唐大黃(からだいわう)【六匁四分。】・白烏粉・天麻・地骨皮(ぢこつぴ)・桔梗・沙參(しやじん)・甘草・防風・黃連【各五匁。】・桑白皮(さうはくひ)・麥門冬(ばくうもんとう)・茯苓【各十匁。】・小豆(しやうづ)・唐白述【三十匁。】・山梔子(さんしし)【十六匁。】・麝香【一匁五分。】・龍腦【一匁二分。】

 已上、三十味、生姜「しぼり汁」、「さゆ」に入(いれ)て用(もちゆ)べし。

 右、小兒五かん・ばひふう・きやうふう・蟲食傷(むししよくしやう)、はら、一通りに、よし。

[やぶちゃん注:「十千散」不詳。以下、既注のものは、原則、掲げない。

「陳皮」中国では熟したムクロジ目ミカン科ミカン属マンダリンオレンジ Citrus reticulata の果皮を観想させたものであるが、本邦では熟したミカン属ウンシュウミカン Citrus unshiu のそれで代用する。

「黑牽牛子」「牽牛子」に同じ。お馴染みのナス目ヒルガオ科ヒルガオ亜科Ipomoeeae連サツマイモ属アサガオ Ipomoea nil の種子のうち、黒色を呈するもの(白いものもあり、それは「白牽牛子」と呼ぶ。両者の効能は変わらないが、古くは「白牽牛子」を尊んだ。今日では黒種子の方がよく用いられている)を指す生薬名。当該ウィキによれば、『種子は「牽牛子」(けにごし、けんごし)と呼ばれる生薬として用いられ、日本薬局方にも収録されている。中国の古医書』「名医別録」では、『牛を牽いて行き』、『交換の謝礼』を『したことが名前の由来とされている』。『粉末にして下剤や利尿剤として薬用にする』。『種子は煮ても焼いても炒っても効能があるものの』『毒性がとても強く、素人判断による服用は薦められない』。『朝顔の葉を細かに揉み、便所の糞壺に投じると』、『虫がわかなくなる。再びわくようになったら再投入する』とあることを明記しておく。有毒成分はファルビチン・コンボルブリンである。――因みに――私の家では、朝顔の花が庭に植わることは、なかった。私の母の実家は「笠井」という。母の父は、父の母の実の兄であるから、私の父母は従妹同士なのであり、私には色濃く、その「笠井」の血が流れている。笠井家は加賀藩の家老だったらしいが、その後裔の先祖の一人は、主命であったのか、自由意志であったか、はたまた、乱心であったのかは判らぬが、脱藩して浪人となり、中部地方のどこかへ流れて行き、何でも、朝顔の植わった庭の中で、切腹して果てたのだと伝えられており、笠井の家では。代々、庭には、朝顔を植えてはならぬ、という家訓がある。考えて見れば、私も小学校の時、理科の宿題で、シャーレで朝顔の発芽をさせた経験以外には朝顔の花を庭に見ることはなかった。……これは面白い禁忌の民俗伝承の一つとして、ここに場違いに注しておくだけの価値は――一種の奇談として――あろうかと思う。

「雷丸」菌界担子菌門菌蕈綱ヒダナシタケ目サルノコシカケ科 Laccocephalum 属ライガンキン Laccocephalum mylittae が基原で、條虫駆除作用・瀉下作用を持つとされる。

「羗活」(きょうかつ)はチベット北東部から中国中央部が原産のセリ科 HanseniaHansenia weberbaueriana 、又は、Hansenia forbesii の根茎及び根を乾燥させたもの。鎮痛・消炎作用を持つとされる。

「獨活」セリ目ウコギ科タラノキ属ウド Aralia cordata当該ウィキによれば、『中国では強精剤に使われるなど、漢方や薬膳では珍重されている』。『ウドは灰汁が強いことで知られるが、灰汁の成分はポリフェノール化合物であり』、『これには抗酸化物質のクロロゲン酸やフラボノイドが含まれ』、『ジテルペンアルデヒドなどの精油、アミノ酸、タンニンなどを含んでいる』。『精油は一般に中枢神経を刺激する作用があり、内服すれば』、『発汗や血液循環を促進して、便通もよくする働きがある』。『タンニンには収斂作用がある』。『ウドがもつ香り成分には、自律神経を調整して、気分を安定させる作用があるともいわれている』。『通例根茎を生薬にしたものを独活(どくかつ・どっかつ)、もしくは和独活(わどっかつ)』、或いは『土当帰(どとうき)』『と称し、独活葛根湯などの各種漢方処方に配剤されるほか、根も和羌活として薬用にされる』。『生薬にするときは、秋』頃に『根茎や根を掘り取って陰干しとし、半ば乾いたところを湯につけて土砂と細根を取り除いて、厚さ』〇・五~一『センチメートル』『の輪切りにしてから、さらに陰干しか』、『天日干しして調製する』。『民間療法では、風邪の初期症状、神経痛、リウマチ、頭痛などに、和独活を』『とろ火で半量になるまで煮詰めた煎じ液(水性エキス)を、食間』三『回に分けて服用すると、体を温めるとともに痛みを和らげて顔のむくみ、解熱、発汗に効用があるとされる』。また、『茎葉を使う場合は』九~十『月の花が咲いている時期に、地上部を刈り取って長さ』五センチメートルに『切り刻んで』、『陰干しにしたものを使い、布袋に入れて浴湯料にして風呂に入れると、肩こり、腰痛、冷え症などの鎮痛、補温に役立つといわれている』。『また、アイヌ民族はウドを「チマ・キナ」(かさぶたの草)と呼び、根をすり潰したものを打ち身の湿布薬に用いていた。アイヌにとってウドはあくまでも薬草であり、茎や葉が食用になることは知られていなかった』。『セリ科のシシウド』(セリ科シシウド属シシウド Angelica pubescens 。ウドに似ているが、属レベルで異なる別種である)『の根は唐独活(中国産の独活』『)と呼ばれ、日本薬局方外生薬規格』『に収載されている』。『漢方で使う独活は、腰痛に効くセリ科のシシウドの根の部分で、昔は独活の代用品としてウドが使われた』とある。

「唐胡黃連」「胡黃連」ならば、高山性多年草の、シソ目ゴマノハグサ科コオウレン属コオウレン Picrorhiza kurrooa(ヒマラヤ西部からカシミールに分布)及びPicrorhiza scrophulariiflora(ネパール・チベット・雲南省・四川省に分布)の根茎を乾かしたもの。古代インドからの生薬で、健胃・解熱薬として用い、正倉院の薬物中にも見いだされる。根茎に苦味があり、配糖体ピクロリジン(picrorhizin)を含むものの、薬理効果は不明である。なお、「黃連」があるが、これは小型の多年生草本である、キンポウゲ目キンポウゲ科オウレン属オウレン Coptis japonica 及び同属のトウオウレン Coptis chinensisCoptis deltoidea の根茎を乾燥させたもので、全く異なるものである。この場合は最後の「トウオウレン」を指すものと思われる

「唐大黃」最近、食材として見かけるタデ科ダイオウ属ルバーブ Rheum rhabarbarum 。シベリア、及び、中国北東部原産で、江戸時代に日本へ伝わり、現在では奈良県・長野県などで栽培されている。茎は高さ約二メートルになる。葉は卵形で大きく、縁は波状になり、裏面に細毛が生える。夏、茎の上部から出た枝の先端部に淡黄白色の小花が輪生状に多数集まってつく。葉柄は長く、食用となる。肥大した根茎は漢方で下剤とし、また黄色染料や線香の原料にもなる。「おおし」とも、単に「だいおう」とも呼ぶ(以上は小学館「日本国語大辞典」に拠った)。

「白烏粉」不詳。

「天麻」単子葉植物綱ラン目ラン科オニノヤガラ(鬼の矢柄)属オニノヤガラ Gastrodia elata の根の生薬名。当該ウィキによれば、『半夏白朮天麻湯として』眩暈や『頭痛、メニエール病、リウマチなどに応用される』とある。

「地骨皮」ナス目ナス科クコ属クコ Lycium chinense の根皮。漢方で清涼・強壮・解熱薬などに用いる。「枸杞皮(くこひ)」とも呼ぶ。

「沙參」キキョウ目キキョウ科ツリガネニンジン属シロバナトウシャジン Adenophora stricta の根茎を乾したもの。去痰・鎮咳に効果があるとされる。

「桑白皮」桑の根皮。消炎・利尿・鎮咳効果を持つ。]

2024/05/20

柴田宵曲「古句を觀る」正規表現版電子化注 / 「夏」(31)

 

   網打やとればものいふ五月闇 雪 芝

 

 舟か陸かわからぬが、とにかく投網とあみを打つている男がある。ざぶんと打つ網の音が闇を破つて聞えるが、人は默々として打續けるらしく、五月の闇は濃くその姿をつゝんでゐる。たゞ若干の獲物があつた時だけ、「しめた」とか「今度は捕れた」とか云ふのであらう。何も捕れなければ、默りこくつたまゝ、又ざぶんと投網を打つのである。

 獨り言か、誰か側にゐるのか、それはわからぬ。何か捕れゝばその結果としてものを云ひ、獲物が無ければ默つて網打つ動作を繰返しつゝある。網の間に時々閃く銀鱗は、この場合さのみ問題でない。一句の中心をなすものは、闇中に動く黑い男の影だけである。「とればものいふ」の語は、後の太祇の句などに見るやうな使い方で、頗る働いてゐるのみならず、これによつて周圍の闇を一層深からしめてゐる。他の如何なるものを持つて來ても、この七字以上の妙を發揮出來さうもない。異色ある句といふべきであらう。

[やぶちゃん注:「五月闇」「さつきやみ」。]

 

   みじか夜を皆風呂敷に鼾かな 除 風

 

「浪花より船にのりて明石にわたる乘合あまたにて」といふ前書がついてゐる。さういふ船中の樣子を句にしたのである。

 混雜した船の中で、ともかくも眠らうとする。「風呂敷に」といふ言葉が多少不明瞭であるが、風呂敷を顏に當てて眠るか、風呂敷包を枕にするか、眠るに際して風呂敷を用ゐるといふ意味らしい。風呂敷包とすれば、やはり包の字が必要であらうから、こゝは風呂敷を被つて寢ると見た方がいゝかも知れぬ。風呂敷に隱れた顏から鼾の聲が聞えるなどは、短夜にふさはしい趣であらう。

 現代の夜汽車の中でも、往々これに似た光景に逢著することがある。昔の船は今の汽車ほど仕切が無いから、「皆」といふ言葉を用ゐるのに都合がいゝやうに思ふ。

 

   世は廣し十疊釣の蚊屋の月 怒 風

 

 この上五字は今の人の氣に入らぬかも知れない。併し作者の主眼は寧ろこゝにあるのであらう。

 世の觀じようはいろいろある。人間の眞に所有し得る面積は、坐つて半疊、寢て一疊に過ぎぬといふ說を聞かされたことがあつたが、さういふ見方からすれば、十疊釣の蚊帳も大分廣いことになる。況んやそこに月がさして、のびのびと手足を伸して寢られる以上、「左右廣ければさはらず」の感あることは云ふまでもない。「十疊釣の蚊屋」といふやうな、稍〻說明的な材料を活かす爲には、時に「世は廣し」の如き主觀語を必要とする場合もあるのである。

 作者はこの蚊帳について月の外に何も點じて居らぬが、いくら十疊釣の蚊帳だからと云つて、中に大勢人が寢てゐるのでは面白くない。假令一人と限定せぬまでも、「世は廣し」と觀ぜしむるだけの條件は具へてゐなければならぬ。蚊帳の廣さ卽世の廣さだなどと云つて來ると、何だか少し理窟臭くなるけれども、作者がこの蚊帳の中に一の樂地を見出してゐることは事實である。この句を味う爲には、どうしても蚊帳の中に樂寢をしてゐる作者の姿を念頭に浮べる必要がある。

 

   吹おろす風にたわむや蟬の聲 如 行

 

 句の上に場所は現れて居らぬが、先づ山がかつたところと想像する。上からサーツと風が吹きおろすと、山の木が一齊に靡なびいて、鳴きしきつてゐた蟬の聲が、一瞬吹き撓められるやうに感ぜられる、といふのである。

 この風は烈風とか、强風とかいふ種類のものではないが、一山の木々が葉裏を見せ翻る程度の風でなければならぬ。蟬は風によつて鳴聲を弱めるわけではない。風聲によつて蟬聲が減殺されるやうになる。それを「たわむ」といふ言葉で現したのが、作者の技巧であらう。「吹落す」となつている本もあるが、「落す」では前のやうな光景は浮んで來ない。「吹おろす」でなければなるまいと思ふ。

 

   野はづれや扇かざして立どまる 利 牛

 

 元祿七年五月、芭蕉が最後の旅行に出た時、東武の門人たちが川崎まで送つて行つた。芭蕉が別れるに臨んで「麥の穗をたよりにつかむわかれかな」と詠んだ、その時の餞別[やぶちゃん注:「はなむけ」。]の句の一である。

 芭蕉の姿はだんだん小さくなつて行く。立つて行く芭蕉も、見送る門弟も、これが最後の別にならうとは思ひもよらなかつたに相違無い。ぢつと姿の見えるまでは立つて目送する。今ならハンケチを振るところであらうが、元祿人にはそんな習慣が無い。立止つてかざす扇の白さが目に入る。別離の情はこの一點の白に集つてゐるやうな氣がする。

 芭蕉翁餞別といふ背景が無かつたら、この句はさう注意を惹く性質のものではないかも知れぬ。俳人が別離の情を敍するに當つて妄に[やぶちゃん注:「みだりに」。]悲しまず、必ずしも相手の健康を祈らず、不卽不離の裡[やぶちゃん注:「うち」。]に或情味を寓するの妙は、この句からも十分受取ることが出來る。

[やぶちゃん注:「利牛」池田利牛(生没年未詳)は江戸蕉門。越後屋両替店の手代(番頭とも)。元禄七(一六九四)年、志太野坡・小泉孤屋とともに、芭蕉の監修で、江戸蕉門の撰集「炭俵」を編集・刊行した。通称は利兵衛・十右衛門。ここに出た芭蕉の句は、「赤册子草稿」に、

   *

    五月十一日、武府ヲ出て故鄕に趣(おもむく)。

    川崎迄人々送けるに

 麥の穗を便(たより)につかむ別(わかれ)かな

   *

と載る。所持する山本健吉「芭蕉全発句」(講談社学術文庫・二〇一二年刊)中七には、『老病に苦しむ芭蕉の、そんな物にもすがってゆくという弱々しさがある』と評しておられる。]

「和漢三才圖會」植物部 卷第八十二 木部 香木類 深山榓

 

Miyamasikimi

 

みやましきみ 正字未詳

 

深山榓

 

 

△按深山榓樹葉似榓而不靭其香畧似山蕃礬花香四

 月開細白花秋結子赤色似仙靈子採葉陰乾爲藥

氣味【苦微辛】 治疝氣腰脚痛甘草少入煎服用

[やぶちゃん字注:「榓」は底本では(つくり)が「宻」になっている「グリフウィキ」のこれだが、表示出来ないので、そこに示された「櫁」の異体字である、これにした。以下の本文でも同様に処理した。]

 

   *

 

みやましきみ 正字、未だ詳らかならず。

 

深山榓

 

 

△按ずるに、「深山榓」、樹・葉、「榓」に似て、靭(しなや)かならず。其の香(かをり)、畧《ほぼ》「山礬《さんばん》」の花の香に似る。四月、細≪き≫白花を開き、秋、子《み》を結ぶ。赤色、「仙靈《せんりやう》」の子に似る。葉を採り、陰乾し、藥と爲《な》す。

氣味【苦、微辛。】 疝氣・腰脚《こしあし》≪の≫痛を治す。甘草、少し入れ、煎≪じて≫服≪す≫。

 

[やぶちゃん注: これは、

ムクロジ目ミカン科ミヤマシキミ属ミヤマシキミ変種ミヤマシキミSkimmia japonica var. japonica

である。当該ウィキによれば、『常緑』『広葉樹の低木で』、『雌雄異株』。『有毒植物』。『和名ミヤマシキミは、「深山樒」の意で、山中に生え、枝葉の様子がシキミ(樒) Illicium anisatum に似ることによる』。但し、『シキミはミカン科』Rutaceae『ではなく、マツブサ科』Schisandraceae『の』全くの別種『植物である』。『日本では、本州(宮城県以南』・『関東地方以西』『)、四国、九州に分布し』、『日本国外では、台湾の高所にも分布する』。『低山地の林内の林下に生育』し、『日陰に強く、日当たりのよくない場所でも生育する』。『樹高は』五十『センチメートル』から一・五十メートルに『なる』。『幹は基部から直立して分枝する』。『樹皮は灰色で、若い枝は緑色で無毛、いぼ状の腺点がある。葉は枝先にやや集まって互生し、葉身は長さ』四~九センチメートル、幅は二~二・五センチメートルの『披針形から倒披針状長楕円形で、先は短くとがり、基部はくさび形、葉縁は全縁になる。葉質は革質で両面は無毛、表面は光沢があり』、『裏面には油点』(ゆてん:ミカン科やキントラノオ目オトギリソウ科Hypericaceaeなどの葉に見られる半透明の小さな点で、細胞間に油が溜まった場所を指す。葉を揉んで潰すと、強い芳香を放つ特徴がある。油点は、太陽に透かして見ると、透明に見えるので「明点」とも呼ぶ)『が散在する』。『葉柄は長さ』〇・五~一センチメートルに『なり』、少し、『赤紫色を帯びる』。『花期は』三~五月。『雌雄異株』。『枝先に円錐花序をだして』、『長さ』二~五センチメートルの『散房状になり、白色の香りのある花を多数つける』。『花序軸に短毛が散生する。萼は広鐘形で小さく、浅く』四『裂し、萼裂片は広三角形で長さ約』一『ミリメートル』『になり』、『先は』、『やや』、『とがる。花は直径』五~六ミリメートル、『花弁は』四『枚あり』、『長楕円形で長さ』四~五ミリメートルに『なり、まばらに油点がある。雄花には雄蕊が』四『個あって花弁と同長で直立し、雌花には』四『個の小さな退化雄蕊と中央に』一『個の雌蕊がある』。『子房は』四『室に分かれ、各室に』一『個の胚珠が下垂し、花柱は太く、柱頭は平たく浅く』四、五『裂する』。『果実は球形の核果・液果で、直径』八~九ミリメートルに『なり』、十二月から翌二『月に赤く熟し』、四『個の核を含む。核は広卵形で長さ』六~八ミリメートルに『なり、先がとがり』、一『個の種子を含む』。四、五月頃は、『花と前年の果実を同時に観賞できる』。『果実は赤く美しいが、有毒である』。『有毒植物で葉、果実にアルカロイドのスキミアニンやジクタムニンがあり、葉に多く含まれる』。『誤食すると』、痙攣を『伴う中毒を起こす』。『かつては、頭痛や目まいなどの民間薬として使用され、また、煎じた汁は虫下しとして使われた』。『庭木、生け垣、観賞用などに栽培、植栽される』。『実は有毒だが、花材として使われる』とある。以下、「下位分類」の項に変種五種が載る。

「榓」アウストロバイレヤ目 Austrobaileyalesマツブサ科シキミ属シキミ Illicium anisatum である。前項『「和漢三才圖會」植物部 卷第八十二 木部 香木類 木宻』良安の記載と、私の注を参照。

「山蕃礬」辞書類では、異なった三種の植物の異名とするが、それらの渡来事績や花の画像をネット上で見るに、この場合は、沈丁花、フトモモ目ジンチョウゲ科ジンチョウゲ属ジンチョウゲ Daphne odora を指していることが明らかとなった。

「仙靈」これは、「千両」「仙蓼」で、知られたセンリョウ目センリョウ科センリョウ属センリョウ Sarcandra glabra の異名漢字表記である。

「疝氣」漢方で「疝」は「痛」の意で、主として下腹痛を指す。「あたばら」などとも言う。]

2024/05/19

「和漢三才圖會」植物部 卷第八十二 木部 香木類 木宻

 

Sikimi

 

しきみ   宻香  沒香

      多香木 阿𨲠

      榓【音宻唐韻

        云香木也

        和名之木美】

木宻

      又枳椇木亦名

モ ミツ  木宻與此不同

[やぶちゃん字注:「榓」は底本では(つくり)が「宻」になっている「グリフウィキ」のこれだが、表示出来ないので、そこに示された「櫁」の異体字である、これにした。以下の本文でも同様に処理した。]

 

本綱此亦沈香之類形狀功用兩彷彿樹長丈餘皮青白

色葉似槐而長花似橘花而大子黒色大如山茉萸酸甜

可食其根本甚大伐之四五歳取不腐者爲香

氣味【辛温】 辟臭氣去郡《✕→邪》鬼尸注《✕→疰》心氣

△按志木美武藏伊豆淡路丹波播磨多有之折枝供佛

 葉似冬青而淺青色此與本草所言【木宻葉似槐而長沈香葉似冬青葉】

 稍異摘葉畧有椒氣六月開細白花結實靑白色如天

 蓼子熟則裂破有中子五六顆大如豆而潤滑味甘人

 食之多食則醉恐可有小毒山雀喜食之呼枝葉稱花

 採皮及葉乾未《✕→末》焚香名之抹香浮圖一日不可闕之辟

 氣《✕→鬼氣》尸注《✕→疰》悪氣之功宜哉登愛宕山人必求榓歸其葉不

 着水枯亦不落如雷震非常時燒於竃亦有𢴃

                           後鳥羽院

  隱岐国にてさなからや仏の花におらせまし榓の枝に積もるしら雪

 

   *

 

しきみ   宻香《みつかう》  沒香《もつかう》

      多香木《たかうぼく》 阿𨲠《あさ》

      榓【音「宻」。「唐韻」に

        云はく、『香木なり。

        和名「之木美」。】

木宻

      又、「枳椇木(けんぼなし)」。亦、

      「木宻」と名づく≪も≫、此れと

モ ミツ  同じからず。

 

「本綱」に曰はく、『此れも亦、沈香の類なり。形狀・功用、兩《ふた》つながら、彷-彿(さもに)たり。樹の長《た》け、丈餘。皮、青白色、葉は槐《えんじゆ》に似て、長く、花は橘《きつ》の花に似て、大なり。子《み》は、黒色にして、大なり。山茉萸《さんしゆゆ》のごとく、酸-甜《あまずつぱく》、食ふべし。其の根本《ねもと》、甚だ大なり。之れを伐りて、四、五歳、腐らざる者を取りて、香《かう》と爲《な》す。』≪と≫。

『氣味【辛、温。】 臭氣を辟《さ》け、邪鬼・尸疰《ししゆ》の心氣《しんき》を去る。』≪と≫。

△按ずるに、「志木美」は、武藏・伊豆・淡路・丹波・播磨、多く、之れ、有り。枝を折りて、佛《ほとけ》に供《きやう》す。葉は、冬青(まさき)に似て、淺青色。此れと、「本草」と、言ふ所【『「木宻」の葉は、槐に似て、長く、「沈香」の葉は、冬青の葉に似たり。』≪と≫。】稍(やゝ)異《ことな》れり。葉を摘(むし)れば、畧《ほぼ》、椒《さんしやう》の氣《き》、有り。六月、細≪き≫白花を開き、實を結ぶ。靑白色、「天蓼(またたび)」の子(み)のごとし。熟すれば、則り、裂(さ)け破《やぶ》れて、中《なか》、子《み》、五、六顆、有り、大きさ、豆のごとくにして、潤滑≪にして≫、味、甘し。人、之れを食ふ≪も≫、多く食へば、則ち、醉《ゑふ》。恐らくは、小毒、有るべし。山雀(《やま》がら)、喜びて、之れを食ふ。枝葉を呼んで、「花《はな》」と稱して、皮、及び、葉を採りて、乾《ほし》、末《こな》≪にして≫、香に焚く。之れを「抹香(まつかう)」と名づく。浮圖《ふと》、一日《いちじつ》も之れを闕《か》くべからず。鬼氣・尸𤷮の悪氣を辟くと云ふ[やぶちゃん注:「云」は送りがな中にある。]。之《この》功、宜《むべ》なるかな。愛宕山(あたごやま)に登る人、必ず、榓《しきみ》を求めて歸る。其の葉、水に着《つ》けざれば、枯れても、亦、落ず。雷《かみなり》・震《なゐ》・非常の時、竃《かまど》に燒くも、亦、𢴃《よりどころ》、有り。

                   後鳥羽院

  隱岐国にて

 さながらや仏の花におらせまし

     榓の枝に積もるしら雪

 

[やぶちゃん注:例によって、日中の同定植物が異なる。これには、流石に良安も気づいて、『「本草」』(「本草綱目」を指す)『と、言ふ所【『「木宻」の葉は、槐に似て、長く、「沈香」の葉は、冬青の葉に似たり。』】稍(やゝ)異《ことな》れり』と言ってのであるが、東洋文庫の後注に、『良安は木蜜を櫁とし、これを日本のシキミに當てて考えているが、日本のシキミはシキミ科、中國の木蜜(蜜香)は沈香と同じジンチョウゲ科』であると指摘してある。「本草綱目」の「木蜜」を探すのに少し手間取ったが、恐らく、「維基文庫」の「土沉香」がそれであると思われる。そこに別名で『蜜香樹』があった。則ち、

双子葉植物綱アオイ目ジンチョウゲ科 Thymelaeaceaeジンコウ属アクイラリア・シネンシスAquilaria sinensis

であり、中国固有種で、海南・広東・広西・雲南及び香港に分布する。一方、本邦の「櫁」は、目レベルで異なる、

アウストロバイレヤ目 Austrobaileyalesマツブサ科シキミ属シキミ Illicium anisatum

で、縁もゆかりも全くない、全然違う種で、この仏式の供え物として誰もが知っているところのあれである(当該ウィキを見られたい)。本州から沖縄諸島及び済州島に分布する。

 前者は日本語ウィキがなく、学名で検索すると、本邦の苗の販売サイト等が挙がってくるものの、ベトナム原産などと噓をついており、リンクを張る気にならない。一番いいのは、同種の英文ウィキであろう。さらに、そこを見ると、両者の類似した通性があることが判る。そこには、『この木は、お香や薬に使用される貴重な香木である沈香を産出する。以前は、この木材は、線香や、御香の製造に使用されていた』と言った内容が書かれてあるのである。則ち、ここの『香と爲す』が、それだ。

 一方、本邦の「櫁」=シキミは、仏事に於いて抹香線香として利用されることで知られ、そのためか、別名も多く、「マッコウ」「マッコウギ」「マッコウノキ」「コウノキ」「コウシバ」「コウノハナ」「シキビ」「ハナノキ」「ハナシバ」「ハカバナ」「ブツゼンソウ」などがある。最後の「カウサカキ」は「香榊」で、ウィキの「サカキ」によれば、上代にはサカキ(ツツジ目モッコク科サカキ属サカキ Cleyera japonica )・ヒサカキ・シキミ・アセビ・ツバキなどの『神仏に捧げる常緑樹の枝葉の総称が「サカキ」であったが、平安時代以降になると「サカキ」が特定の植物を指すようになり、本種が標準和名のサカキの名を獲得した』とある。サカキは神事に欠かせない供え物であるが、一見すると、シキミに似て見える。名古屋の義父が亡くなった時、葬儀(臨済宗)に参列した連れ合いの従兄が、供えられた葉を見て、「これはシキミでなく、サカキである。」と注意して、葬儀業者に変えさせたのには、感銘した。因みに、シキミは全植物体に強い毒性があり、中でも種子には強い神経毒を有するアニサチン(anisatin)が多く含まれ、誤食すると死亡する可能性もある。シキミの実は植物類では、唯一、「毒物及び劇物取締法」により、「劇物」に指定されていることも言い添えておく。「小毒」どころではない。注意!

 なお、「本草綱目」の引用は「卷三十四」の「木之一」「香木類」の「蜜香」の独立項で(「漢籍リポジトリ」)、ガイド・ナンバー[083-32b]から始まるが、引用は「集解」の[083-29a]の行目中ほどから冒頭が始まっているものの、以降は、その前の部分数箇所をパッチワークしている。

「沈香」先行する『「和漢三才圖會」植物部 卷第八十二 木部 香木類 沈香』を参照されたい。

「槐」マメ目マメ科マメ亜科エンジュ属エンジュ Styphnolobium japonicum 。中国原産で、当地では神聖にして霊の宿る木として志怪小説にもよく出る。日本へは、早く八世紀には渡来していたとみられ、現在の和名は古名の「えにす」が転化したもの。

「橘」これは、双子葉植物綱バラ亜綱ムクロジ目ミカン科ミカン属マンダリンオレンジ Citrus reticulata のこと。当該ウィキによれば、『原産地はインドのアッサム地方で、これが交雑などで変化しながら世界各地に伝播したものと考えられている』もので、一方、本邦の「橘」は、古代を除き(「古事記」に出る「橘」は如何なる種であったかは、現在も確定不能である)、同じミカン属ではあるが、日本固有のタチバナ Citrus tachibana で、種としては、異なる。

「山茉萸」ミズキ目ミズキ科ミズキ属サンシュユ Cornus officinalis当該ウィキによれば、『中国』の『浙江省及び朝鮮半島中・北部が原産といわれ』、『中国・朝鮮半島に分布する』。『江戸時代』の『享保年間に朝鮮経由で漢種の種子が日本に持ち込まれ、薬用植物として栽培されるようになった』、『日本における植栽可能地域は、東北地方から九州までの地域である』とある。

「尸疰」(ししゅ)は鬼邪の気が人体を侵したために、或いは、癆病(宿痾とされた肺結核がそれ)の癆虫の伝染により、胃中に冷滞を惹起し、消化力が無くなって起こる病態。寒熱を発し、精神が錯乱し、沈黙し、苦しい所を特定出来ず、胃中に冷滞があり、熱薬を服しても効かない。長らく患うと、次第に衰えて「尸の疰する所となる」とする。

「心氣」この場合は、「心気の不足した状態」を指す。具体には、動悸・息切れ・全身の倦怠感・精神疲労の症状が増強するなどの病態を言う。

「椒」山椒。ムクロジ目ミカン科サンショウ属サンショウ Zanthoxylum piperitum

「天蓼(またたび)」ツバキ目マタタビ科マタタビ属マタタビ Actinidia polygama

「山雀(《やま》がら)、喜びて、之れを食ふ」スズメ目スズメ亜目シジュウカラ科シジュウカラ属ヤマガラ亜種ヤマガラ Parus varius varius 。博物誌は、私の「和漢三才圖會第四十三 林禽類 山雀(やまがら) (ヤマガラ)」を見られたい。調べてみたところ、事実であることが判明した。サイト「九州地方環境事務所」内の「アクティブ・レンジャー日記」の「ヤマガラとシキミ」の1」及び「2」(副題「(野山の生物シリーズ)【雲仙地域】」)に(記者は古城かおり氏)、現認例が書かれてあり、後者では、『「ヤマガラはシキミの猛毒に対処する仕組みをもっていると考えられる」という内容の論文を見つけました。さらに「シキミはヤマガラの体内に寄生している生き物を駆除する効果がある」という仮説を立てて研究が行われていることが分かりました』。『シキミについて調べるうちに、他にも分かったことがあります。土葬が一般的だった時代は、毒性の強いシキミを墓地の近くに植え』、『野犬による墓の掘り返しを防いだり、シキミの強い香りで腐臭を消したりしていたとも言われています。今の時代は、抹香や線香の材料として利用されています』とあった。

「浮圖」(ふと)はサンスクリット語「buddha」の漢音写で、元は「仏陀」の意で、そこから広く「僧侶」を指す語となった。

「愛宕山(あたごやま)」現在の京都府京都市右京区嵯峨愛宕町にある山。ここ(グーグル・マップ・データ)。古くから信仰の山であった。良安は京の医師であった。私は山麓の参道入口にある「鮎茶屋平野屋」が大のお気に入りで、二度、行っている。「怪奇大作戦」の実相寺昭雄監督の名作「京都売ります」以来、ずっと訪ねたかった料理屋である。

「後鳥羽院」の和歌は、「後鳥羽院御集」拾遺にある一首。国立国会図書館デジタルコレクションの『列聖全集』第一巻 「御製集」(大正一一(一九二二)年列聖全集編纂会刊)のこちらによれば、

   *

   冬の御歌の中に【一本遠島御百首】

 さながらや佛の花にをらせまし

    樒のえだにつもるしらゆき

   *

とある。]

ブログ二百十六万アクセス突破記念 故父藪野豊昭所蔵 川路柳虹詩集「波」(初版・限定五百部・並製版) 藪野直史全電子化注(注©) PDFルビ附縦書一括版公開

『ブログ二百十六万アクセス突破記念 故父藪野豊昭所蔵 川路柳虹詩集「波」(初版・限定五百部・並製版) 藪野直史全電子化注(注©) PDFルビ附縦書一括版』(1.71MB)を「心朽窩新館」に公開した。画像は、ブログ版画像へのリンクとした。

2024/05/18

譚 海 卷之十五 諸病妙藥聞書(13)

○痢病の藥

 「かたつぶり」を、「みそしる」に、せんじて、その汁を飮(のむ)べし。

[やぶちゃん注:「痢病」の解説. 激しい下痢を伴う病気。赤痢・疫痢の類。痢疾。

「かたつぶり」前回の「なめくじり」同様に、危険である。腹足綱有肺類 Pulmonata のカタツムリ類に寄生する寄生虫は非常に危険で、ヒトに日和見感染して脳に入り込んだりした場合には、重い症状を呈することがある。事実、現在では、幼稚園・小学校に於いてカタツムリには絶対に素手で触らないように指導されている。ここでは、煎ずるとするが、そもそも、その前に、生きたカタツムリを獲り、素手で触れるはずであるが、その瞬間、皮膚を通じて、寄生虫は体内に侵入するからである。]

 

○又、一方。

 寒中、「むぐらもち」の「黑やき」を服して、よし。

[やぶちゃん注:「むぐらもち」哺乳綱真無盲腸目モグラ科 Talpidae の古名。]

 

○又、一方。「十帖散」と號す。

 山藥(さんやく)十匁、蓮肉(れんにく)七匁、白米【一合】、炒(いる)。

 右三味、細末にして、「さとう[やぶちゃん注:ママ。]」を、少し、くはへ、「こがし」のごとくして、ふくすべし。たゞし、「だん子(ご)」に、まろめ、用(もちゆ)るも、よし。

[やぶちゃん注:「山藥」[やぶちゃん注:底本の竹内利美氏の後注に、『ヤマイモの乾粉』とある。

「蓮肉」漢方では、通例、双子葉植物綱ヤマモガシ目ハス科ハス属ハス Nelumbo nucifera の内果皮の付いた種子で、時には、胚を除いたものを基原とする。]

 

○又、一方。

 かうじ町、植村兵部少輔樣、家方(かはう)のくすり、有(あり)。もとめて、飮(のむ)べし。「りびやう」流行のとき、決して、わづらふ事、なし。

 

○又、一方。

 古生姜根(ふるしやうがのね)、極上の茶、二味、目方、各(おのおの)、等分。

 右、つねのごとく、せんじ、服(ふくす)べし。

 

○陰所(いんしよ)の腫(はれ)たると、「きん」の、はれたる時などには、

 芭蕉の葉にて、つゝみ置(おく)べし。包(つつみ)かふる度(たび)ごとに、「はれ」を減ずるなり。三日ほどには、もとのごとくになるなり。「ばせう」にて、水氣(すいき)をとる故、殊の外、しめりて、あり。衣しやうの、ぬれぬ「やうい」、すべし。

 

○陰囊、かゆきとき、又、一方。しきみの葉を煎(せんじ)、洗(あらふ)べし。石菖の根を、きざみて、せんじ、あらふべし。端午に用(もちい)たる「せうぶ」を、たくはひ置(おき)て、あらふも、同事(どうじ)に治(なほ)る也。

[やぶちゃん注:「石菖」既出既注。単子葉植物綱ショウブ(菖蒲)目ショウブ科ショウブ属セキショウ  Acorus gramineus のこと。

「せうぶ」ショウブ属ショウブ  Acorus calamus 。]

 

○婦人、陰門の、かゆきには、

 大根の葉の、ほしたるを、きざみ、鹽を、くはへ、せんじ、洗(あらふ)べし。

 

○男女とも、まへを、怪我したを、治するには、

 「萱(かや)めうか」【「かやわら」の中に生ずるもの。鹿の小便より生ずるもの也。】、

 右、黑やきにして、たくはへおき、疵あるとき、ぬり付(つくる)べし、奇妙に治す。

[やぶちゃん注:「萱めうか」不詳。「鹿の小便より生ずる」というのは、明らかに「化生」(けしょう)であって基原動物を探す役にはたたない。]

 

○婦人まへの痒(かゆみ)には、

 あいろう・黃柏、右、二味、目方、各、等分。

 黑豆を、せんじて、その汁に和して、ぬり付(つくる)べし。

[やぶちゃん注:「あいろう」「藍蠟」だが、歴史的仮名遣は「あゐらう」が正しい。藍汁を作る時に生じた藍の泡を乾かして、棒状にしたもの。蠟のような形状になる。絵の具に使用した。現在では、古い藍布を、苛性ソーダ・飴・石灰などを加えた液の中に入れ、煮出し、その藍分を棒状にして作ることが多い。「藍棒」「藍蠟墨」「藍墨」「青墨」等とも呼ぶ。

「黃柏」ムクロジ目ミカン科キハダ属キハダ Phellodendron amurense の黄色い樹皮を乾した漢方生薬。]

 

○婦人、「まへ」の疵には、

 ふるき「せつた」の皮を、「くろやき」にして、「ごまの油」にて、付(つく)べし。

[やぶちゃん注:「せつた」「雪駄」。]

 

○血道藥(ちみちのくすり)。

 牛膝(ごしつ)【和名「ごまのひたひ」と云(いひ)、「犬たで」の中に生ずる物なり。】

 土用に入(いり)、十日ほど過(すぎて)、取(とり)て、「陰ぼし」にして、其のち、黑やきにして、酒に、とき、用(もちゆ)べし。又、酒に、むして後(のち)、「陰ぼし」にすれば、酒にて、とくに、をよばず[やぶちゃん注:]、「くろやき」を、白湯(さゆ)にて用べし。全體、甲州流、金瘡(きんさう)のくすりなれば、「切きづ」に用(もちい)ても、よし。

[やぶちゃん注:「血道」女性特有の病気の総称。産褥(さんじょく)時・月経時・更年期などに、血行不順から起こる頭痛・のぼせ・めまい・精神不安定などの諸症状、及び、子宮疾患などを指す。「ちのやまい」「ちのみち」とも言う。

「牛膝」『和名「ごまのひたひ」と云(いひ)、「犬たで」の中に生ずる物なり』:これは、ナデシコ目ヒユ科 Amaranthoideae亜科イノコヅチ属イノコヅチ変種イノコヅチ Achyranthes bidentata var. japonica の根を乾燥させた生薬の漢名。ウィキの「イノコヅチ」によれば、『利尿、強精、通精、通経薬とする』。『また』、『俗間では堕胎薬としても使われたこともあったと見られているが、これら有効成分はよくわかっていない』、『牛膝は、秋に根を掘り採って天日乾燥して調製される』。『民間療法では、生理痛や関節痛に、牛膝』一『日量』五『グラムを』四百『ccの水で煎じて』、三『回に分けて服用する用法が知られている』。但し、『妊婦への服用は禁忌とされている』とある。ただ、津村の言うように、ナデシコ目タデ科ミチヤナギ亜科 Persicarieae Persicariinae亜連イヌタデ属イヌタデ Persicaria longiseta の群落に中に限定的に植生するというわけではない。しかし、イヌタデの群落とイノコヅチ類は、共通する地相に群落を作ることは、しばしば見られるものではある。]

 

○婦人、血をめぐらす藥。

 桃の實を、いくらも、「かなづち」にて、くだき、中にある仁(じん)ばかりを、一升ほど、「すりばち」へ入(いれ)て、すりくだき、それを、德利へ、つめて、かたく、口を、ふうじ、釜の中へ水を入(いれ)、燒(やき)たて、德利を、釜の中にて、湯煎(ゆせん)にする事、二時(ふたとき)ばかり。さて、德利を、とりいだし、德利を打(うち)わりて、桃の仁を、とりいだせば、伽羅(きやら)のあぶらのごとく、かたまりて、あり。少しづつ、每日、服すべし。上戶(じやうご)は酒、下戶(げこ)は白湯(はくたう)にて、用(もちゆ)べし。

[やぶちゃん注:「桃の實」「桃仁」(とうにん)の生薬として知られ、主として血液の停滞・下腹部の膨満して痛むものを治すとされる。

「伽羅」裸子植物門イチイ綱イチイ目イチイ科イチイ属イチイ変種キャラボク Taxus cuspidata var. nana 。最近公開した『「和漢三才圖會」植物部 卷第八十二 木部 香木類 伽羅木』を見られたい。]

 

○婦人龍王湯

 當歸(たうき)・川芎(せんきゆう)・甘草・丁子(ちやうじ)・升麻(しやうま)・滑石(かつせき)・熟地(じゆくぢ)【半生(はんなま)半熟。】・石膏【熱灰蒸(ねつばいむし)。】・莪朮(がじゆつ)【酢製。】・黃苽(わうこ)・沈香(ぢんかう)・桂心・茯苓(ぶくりやう)・良姜(りやうきやう)、右、十四味、貳匁づつ、藿香(かくかう)・白芍藥(びやくしやくやく)【半白半赤。】・人參・大黃(だいわう)【半生半炒(はんいり)。】・縮沙(しゆくしや)、右、五味、三匁づつ、木香(もつかう)・薰陸(くんろく)・鬱金(うこん)・肉桂(につけい)・柴胡(さいこ)・黃芩(わうごん)、右、六味、四匁づつ、乳香【一匁。】・桔梗・蒲黃(ほかう)【半生半炒。】・半夏(はんげ)、右、三味。一刄づつ。

 右、廿九味、安產の藥。

 牛込原町・若松町御簱同心衆、今井利助殿、賣藥(ばいやく)、產にのぞんで、母の「ほぞ」のしたへ、はるときは、早速、生(うま)る也。若(もし)、「さか子」、生れかゝらば、其子の出(いだ)したる足を、「左か、右か。」と見定(みさだめ)て、左の足を出したらば、母の左の手のうちへ、はるべし。早速、ほんのごとく生(うまる)るなり。又、後產(のちざん)、おりかぬるときは、其ひもをとらへ居(をり)て、此くすりを、はるときは、そのまゝ、「えな」等、とゞこほりなく、おりる也。千人に一人も、けが、なし。

 產後、陰門のさけたるを治するには、

 「ひともじ」を、手一束(てひとつかみ)に、きりて、蛤(はまぐり)を、せんじ、蛤と、「ひともじ」とを、ひとつに、せんじて、右二品を、「きぬ」の切(きれ)に、つつみ、たびたび、まへを、むす[やぶちゃん注:蒸し温める。]ときは、よく、なほるなり。

[やぶちゃん注:「婦人龍王湯」不詳。

「當歸」知られた生薬名。被子植物門双子葉植物綱セリ目セリ科シシウド属トウキ Angelica acutiloba の根。

「川芎」既出既注。底本の竹内利美氏の後注に、『センキュウ。セリ科の草木。その根茎が頭痛などの薬剤になる。薬用として栽培された』とある。当該ウィキによれば、『中国北部原産で秋に白い花をつけるセリ科の多年草センキュウCnidium officinaleの根茎を、通例、湯通しして乾燥したもので』、『本来は芎窮(きゅうきゅう)と呼ばれていたが、四川省のものが優良品であったため、この名称になったという。日本では主に北海道で栽培される。断面が淡黄色または黄褐色で、刺激性のある辛みと、セロリに似た強いにおいがある。主要成分としてリグスチリドなどがあげられる』。『現在の分析では鎮痙剤・鎮痛剤・鎮静剤としての効能が認められ、貧血や月経不順、冷え性、生理痛、頭痛などに処方されて』おり、『漢方では』「当帰芍薬散」に『配合され』、『婦人病』、所謂「血の道」の『薬として』、『よく用いられる』とあった。

「丁子」既出既注だが、再掲すると、クローブ(Clove)のこと。バラ亜綱フトモモ目フトモモ科フトモモ属チョウジノキ Syzygium aromaticum のこと。一般に知られた加工材のそれは、本種の蕾を乾燥したものを指し、漢方薬で芳香健胃剤として用いる生薬の一つを指し、肉料理等にもよく使用される香料である。

「升麻」同前で、漢方生薬。キンポウゲ目キンポウゲ科サラシナショウマ属サラシナショウマ Cimicifuga simplex の根茎を天日乾燥させたもの。ウィキの「サラシナショウマ」によれば、これは、『発汗、解熱、解毒、胃液・腸液の分泌を促して胃炎、腸炎、消化不良に効果があるとされ』、各種『漢方処方に配剤されている』とあり、さらに、『民間では』、一『日量』二『グラムの升麻を煎じて、うがいに用いられる』とする。さらに、『なお、本種に似たものや、混同されて生薬として用いられたものなど、幅広い植物にショウマの名が用いられている』とある。最後の部分は、ウィキの「ショウマ(植物の名)」も参照されたい。

「滑石」同前で、(かっせき)は、珪酸塩鉱物の一種で、フィロケイ酸塩鉱物(Phyllosilicates)に分類される鉱物、或いは、この鉱物を主成分とする岩石の名称。世界的には「タルク(talc:英語)」のほか、「ステアタイト」(Steatite:凍石)・「ソープストーン」(Soapstone:石鹸石)・「フレンチ・チョーク」(French chalk)・「ラバ」(Lava:原義は「溶岩」。本鉱石は変成岩である)とも呼ばれる。Mg3Si4O10OH2。水酸化マグネシウムとケイ酸塩からなる鉱物で、粘土鉱物の一種(当該ウィキ他に拠った)。

「熟地」キク亜綱ゴマノハグサ目ゴマノハグサ科アカヤジオウ属アカヤジオウ Rehmannia glutinosa の根。当該ウィキによれば、『陰干ししてできる生地黄(しょうじおう)、生地黄を天日干ししてできる乾地黄(かんじおう)と呼ばれるものと、生地黄を酒と共に蒸してできる熟地黄(じゅくじおう)と呼ばれるものがある。一般的に地黄と呼ばれるものは乾地黄を指すことが多い。五味は甘、苦。甘味は生地黄、乾地黄、熟地黄の順に強くなる。性は寒。但し熟地黄は寒性よりも酒の効果により温性に近い。地黄は単体として使われることよりも調剤生薬として』、知られた漢方薬に『使われる事が多い』。『内服薬として利用した場合、補血・強壮・止血の作用が期待できる。外用では腫れものの熱をとり、肉芽形成作用がある』とあった。

「莪朮」単子葉植物綱ショウガ目ショウガ科ウコン属ガジュツ Curcuma zedoaria当該ウィキによれば、『根茎が生薬(日本薬局方に収録)として用いられ、芳香健胃作用がある』。『ウコン』(ここに「鬱金」と出る、ウコン属ウコン Curcuma longa 。熱帯アジア原産であるが、十五世紀初めから十六世紀後半の間に、沖縄に持ち込まれ、九州・沖縄地方や薬草園で薬用(根)及び観葉植物として栽培された)『よりも薬効は強いとされる。生薬としては莪朮というが』、『中国では塊根を鬱金(ウコン、キョウオウと同じ)、根茎を蓬莪朮という』とある。

「黃苽」不詳。或いは、黄緑色を呈する、単子葉植物綱イネ目イネ科エールハルタ亜科 Ehrhartoideae Oryzeae族マコモ属マコモ Zizania latifolia の雄花か。

「沈香」双子葉植物綱アオイ(葵)目ジンチョウゲ(沈丁花)科ジンコウ(沈香)属ジンコウAquilaria agallocha 。詳しくはウィキの「沈香」を見られたい。最近、公開した『「和漢三才圖會」植物部 卷第八十二 木部 香木類 沈香』も参考になろう。

「桂心」最近、公開した『「和漢三才圖會」植物部 卷第八十二 木部 香木類 肉桂』を参照されたい。

「茯苓」既出既注だが、再掲しておくと、菌界担子菌門真正担子菌綱ヒダナシタケ目サルノコシカケ科ウォルフィポリア属マツホド Wolfiporia extensa の漢方名。中国では食用としても好まれる。詳しくは「三州奇談卷之二 切通の茯苓」の私の冒頭注を参照されたい。

「良姜」ショウガ目ショウガ科ハナミョウガ属 Alpinia の根茎を乾したもの。なお、この漢字表記は本邦での表記。

「藿香」「かはみどり」と読めば、薄荷の匂いのするシソ目シソ科カワミドリ属カワミドリAgastache rugosa がある。当該ウィキによれば、『葉や茎は漢方に用いられる』。『乾燥した葉に芳香があり、生薬名に藿香(かっこう)を当てているが、これは誤りで、日本では排香草ともいう』。『かぜ薬などの漢方薬として、茎、葉、根を乾燥させたものを用いる』。『民間では』、六~七月に、『茎の上部だけを切り取り、水洗いしたあとに吊るして陰干ししたものを、解熱薬として、また健胃薬として用いられる』とある。

「白芍藥」ユキノシタ目ボタン科ボタン属シャクヤク Paeonia lactiflora 或いは近縁種の根から製した生薬のうち、根の外皮を取り除いた乾燥させたものを指す。消炎・鎮痛・抗菌・止血・抗痙攣作用を有する。皮を残したものは「赤芍」(せきしゃく)と呼ぶ。

「大黃」既出既注。タデ目タデ科ダイオウ属 Rheum の根茎の外皮をり去って乾燥したもので、健胃剤・潟下剤とする。「唐大黄」と「朝鮮大黄」との種別がある(底本の竹内利美氏の後注に一部を拠った)。

「縮沙」ショウガ科アモムム属シュクシャAmomum villosum var. xanthioides の種子の塊を石灰を用いて乾燥させたもの。健胃・整腸作用がある。

「木香」キク目キク科トウヒレン属モッコウ Saussurea costus 又は Saussurea lappa の孰れかの根から採れる生薬。薫香原料として知られ、漢方では芳香性健胃剤として使用されるほか、婦人病・精神神経系処方の漢方薬に多く配合されている。

「薰陸」二種あるが、ここは「出羽」から、松・杉の樹脂が地中に埋もれ固まって生じた化石で、琥珀に似るが、琥珀酸を含まない。粉末にして薫香とする。岩手県久慈市に産するそれであろう。

「肉桂」先の「譚海 卷の七 江戶源兵衞店水戶家藏屋敷肉桂の事」を参照されたい。最近、公開した『「和漢三才圖會」植物部 卷第八十二 木部 香木類 肉桂』がよいのだが、漢語の「肉桂」と本邦の「肉桂」が種が全く異なるので、注は迂遠に長い。それに辛抱出来る方は、そちらの方が、いい。

「柴胡」セリ目セリ科ミシマサイコ属(或いはホタルサイコ属)ミシマサイコ Bupleurum stenophyllum の根。解熱・鎮痛作用があり、多くの著名な漢方方剤に配合されている。

「黃芩」キク亜綱シソ目シソ科タツナミソウ属コガネバナ Scutellaria baicalensis の根の周皮を取り除き、乾燥させたもの。当該ウィキによれば、『主要成分はフラボノイドのバイカリンやオウゴニンなど』で、『薬味としては』、『比較的よく』、『使われている』。『漢方では清熱薬に属し、小柴胡湯や柴胡加竜骨牡蛎湯など柴胡剤に分類される漢方処方群に配合されている』と記す一方で、『副作用』を項として掲げ、注意喚起がなされてある。

「乳香」既出既注。インド・イランなどに産する樹の脂(やに)の一種で、盛夏に砂上に流れ出でて固まり、石のようになったものを指し、香料・薬用とする「薫陸香」(くんりくこう:呉音で「くんろく(っ)こう」とも読み、「くろく」「なんばんまつやに」などとも呼ばれる。その中で乳頭状の形状を有するものを特に「乳香」と称し、狭義にはムクロジ目カンラン科ボスウェリア属 Boswelliaの常緑高木から採取されるそれを指すとされる。

「蒲黃」現代仮名遣は「ほこう」。単子葉植物綱イネ目ガマ科ガマ属 Typha の花粉。薬用。

「半夏」単子葉植物綱ヤシ亜綱サトイモ目サトイモ科ハンゲ属カラスビシャク Pinellia ternata のコルク層を除いた塊茎。嘔気や嘔吐によく使われる生薬である。私の「耳囊 卷之七 咳の藥の事」も参照されたい。

「今井利助」不詳。

「後產」胎児を分娩した後、胎盤などが排出されること。「あとざん」「のちのこと」「のちのもの」等とも呼ぶ。]

譚 海 卷之十五 諸病妙藥聞書(12)

○小便不通。

 東海道小田原宿にうりぐすりあり。へその下へ、はりて、きみやうに、通ずるくすり也。

 

○又、一方。

 芝(しば)西の久保大坂屋といふ飛脚屋にて、「うりぐすり」にする也。一つゝみ、代二百文なり。小べん、通じかぬるには、「す」にて、とき、へその下へ、はるベし。大べん、通じかぬるときは、そくゐに、くすりを、すりまぜ、紙につけて、足のうらへ、張(はる)也。

[やぶちゃん注:「そくゐ」「そくいひ」の音変化。飯粒を練り潰して作った、粘り気の強い糊。「そっくい」とも言う。]

 

○又、一方。

 冬瓜(とうがん)を、「かんひやう」のごとく、むきて、陰ぼしにして、たくはへおき、「こんぶ」を、二寸四方ほどに切(きり)て、冬瓜のぶんりやうを、みあはせ、ひとつに、せんじ、その湯を飮(のむ)べし。いたつて、通じをつける也。

[やぶちゃん注:「冬瓜」双子葉植物綱スミレ目ウリ科トウガン属トウガン品種トウガン Benincasa pruriens f. hispida

「かんひやう」「かんぺう」が正しい。「干瓢・乾瓢」で鮨・煮物の具にする、夕顔(ウリ目ウリ科ユウガオ属ユウガオ変種ユウガオ Lagenaria siceraria var. hispida )の白い果肉を細長く剥き、干した食品。]

 

○又、一方。

 「田にし」の實(み)を、なまにて、すりくだき、紙につけ、へそのしたへ、張(はる)べし。

[やぶちゃん注:「田にしの實」この場合、「身」でなく、「實」を用いていることから、生貝を殻ごと摺り砕くことを指している。身だけなら、「くだき」とは言うまい。]

 

○寢小べんを治するには、

 「なめくじり」を、ひとつ、「しろざとう[やぶちゃん注:ママ。]」にまぶして、のむべし。

[やぶちゃん注:「なめくじり」狭義には、軟体動物門腹足綱ナメクジ科ナメクジ属Meghimatium bilineatumの和名であるが、広義の日本産ナメクジは、現在の既知種は四種、推定未知種数は凡そ五種である。但し、生で摂取するのは、現代では、甚だ危険である。ウィキの「ナメクジ」によれば、『種類によっては、生きたまま丸呑みにすると、心臓病や喉などに効くとする民間療法があるが、今日では世界から侵入した広東住血線虫』(脱皮動物上門線形動物門双線綱円虫目擬円形線虫上科 Metastrongyloidea に属するジュウケツセンチュウ(住血線虫)属カントンジュウケツセンチュウ(広東住血線虫)Angiostrongylussyn. Parastrongyluscantonensis )『による寄生虫感染の危険があることが分かっているため』、『避ける』べきである。『オーストラリアでは、ふざけてナメクジを食べ、寄生虫が大脳に感染し、脳髄膜炎で』四百二十『日間』、『昏睡状態に陥り、意識が回復後も脳障害で体が麻痺』八『年後に死亡した例がある』からである。『一方で』、『中国医学では、蛞蝓(かつゆ)という名称で、生薬として使用される。効能は清熱解毒、止咳平喘など』とある。]

 

○「りんびやう」を治するには、

 「きうり」の「つる」を、せんじ、その湯の中へ、「さとう[やぶちゃん注:ママ。]」を入(いれ)て、のむべし。

[やぶちゃん注:「りんびやう」性感染症である淋病。真正細菌プロテオバクテリア門 Proteobacteria βプロテオバクテリア綱 Beta Proteobacteria ナイセリア目 Neisseriales ナイセリア科 Neisseriaceae ナイセリア属  Neisseriaナイセリア・ゴノローエ (淋菌)Neisseria
gonorrhoeae
に感染することにより起こる性感染症。ウィキの「淋病」によれば、名称の「淋」は『「淋しい」という意味ではなく、雨の林の中で木々の葉からポタポタと雨がしたたり落ちるイメージを表現したものである。淋菌性尿道炎は尿道の強い炎症のために、尿道内腔が狭くなり痛みと同時に尿の勢いが低下する。その時の排尿がポタポタとしか出ないので、この表現が病名として使用されたものと思われる』。『古代の人は淋菌性尿道炎の尿道から流れ出る膿を見て、陰茎の勃起なくして精液が漏れ出す病気(精液漏)として淋病を』捉え、“gono”(「精液」)、“rhei”(「流れる」)の意の合成語“gonorrhoeae”と『命名した』(ギリシャ語由来のラテン語であろう)。『男性の場合は多くは排尿時や勃起時などに激しい痛みを伴う。しかし、場合によっては無症状に経過することも報告されている』。『女性の場合は数週間から数カ月も自覚症状がないことが多い。症状があっても特徴的な症状ではなく、単なる膀胱炎や膣炎と診断されることがある』が、『放置すると菌が骨盤内の膜、卵巣、卵管に進み、内臓の炎症、不妊症、子宮外妊娠に発展する場合もある』。『新生児は出産時に母体から感染する』ことが殆んどで、『両眼が侵されることが多く、早く治療しないと失明するおそれがあ』り、以前はこれを「風眼(ふうがん)」と呼んだ。感染者の多かった江戸時代や近代では、温度の低い湯屋(ゆうや:銭湯)で感染して、失明した子を知っている、と四十四年も前、高校時代の老体育教師が保健の授業で語っていたのを思い出す。「浴槽のこういう角のところに菌が集まるんだ。」と絵まで描いて呉れた。]

 

○又、一方。

 車前子(おほばこ[やぶちゃん注:底本のルビ。])を、實も、葉も、根も、生(なま)にて、ひとつに、「すりばち」にて、すりくだきたるを、湯にて飮(のむ)べし。

[やぶちゃん注:「車前子(おほばこ)」シソ目オオバコ科オオバコ属オオバコ変種オオバコ Plantago asiatica var. densiuscula 。「車前草」(しゃぜんそう)とも呼ぶ。懐かしいな。当該ウィキに『子供たちの遊びでは、花柄を根本から取り』、『つ折りにして』、二『人が互いに引っかけあって引っ張り合い、どちらが切れないかを競うオオバコ相撲が知られ』、『スモトリグサ(相撲取り草)の別名もある』とあるが、もう何十年も、子どもらが、それをやっているのを、見たことが、ないよ……。]

 

○淋病痛を治するには、

 土通草【和名「つちあけび」。】右一味を、「りんびやう」のくすりに、くはへ、用(もちゆ)べし。又、此草、一種、みそ汁にて、くひても、よし。

[やぶちゃん注:「土通草」『和名「つちあけび」』単子葉植物綱キジカクシ目ラン科ツチアケビ属ツチアケビ Cyrtosia septentrionalis (シノニム:Galeola septentrionalis )。ナラタケと共生する大型の腐生蘭の一種。和名は、秋に低山を彩る赤い果実を、アケビに見立ててたもの。太くて、長い根茎がある。茎は太く直立し、葉緑体を欠き、褐色、高さ五十センチメートルから一メートルで、ところどころに退化した鱗片葉がある。六~八月、分枝した花序に多数の花をつける。花は黄褐色で,径一・五~二センチメートル程度。花被は、あまり開かない。唇弁は、やや多肉質で、黄色味が強い。果実は肉質で赤くなり、垂れさ下がる。熟しても、裂開しない。北海道から奄美大島まで分布し、落葉樹林の林縁や笹藪などに生える。ツチアケビ属は旧熱帯を中心に約二十種ある。本邦には、今一種、蔓性のツルツチアケビCyrtosia altissima(異名:タカツルラン)が、九州南部・琉球に分布する(以上の主文は平凡社「世界大百科事典」他に拠った)。私は山行の途中、何度か、見かけたが、花も実も、何となく、気持ちの悪いものであった。学名のグーグル画像検索をリンクさせておく。]

 

○又、一方。

 鼠尾草、一味、せんじ、のむべし。

[やぶちゃん注:「鼠尾草」フトモモ目ミソハギ科ミソハギ属ミソハギ Lythrum anceps 。「禊萩」。但し、当該ウィキによれば、『鼠尾草(そびそう)という別名があるが、これはアキノタムラソウ』(シソ目シソ科イヌハッカ亜科アキギリ属アキノタムラソウ  Salvia japonica )『の誤用漢名でもあるので』、『まぎらわしい』。『盆花としてよく使われ、ボンバナ、精霊花(ショウリョウバナ)などの名もある。ミソハギの和名の由来はハギに似て禊(みそぎ)に使ったことから禊萩、または溝に生えることから溝萩によるといわれる。祭事などに用いられるため、その関係の呼び名が豊富で、他にも「盆花」「精霊花」「霊屋草」などとも呼ばれる』。『「千屈菜(みそはぎ)」は秋の季語であ』り、『また、「千屈菜(せんくつさい)」として下痢止めなどの民間薬としてもちいられる』。但し、『本来』、『「千屈菜」(qianqucai)という漢名は、やはり』、『収れん性止瀉薬として下痢に用いられてきたエゾミソハギ』( Lythrum salicaria )『を指すのであり、現在では』、『これはミソハギとは別種とされている』とあることから、津村の言っている「鼠尾草」は確かに現在のミソハギを指しているかどうかは、甚だ怪しい気がする。

 

○痔のくすり。

 芝增上寺地中(ぢちゆう)、淡島明神の社ある寺にて、賣(うる)所の「あぶらぐすり」、もちゐて、きみやう也。指にて、ぬる、くすり也。

[やぶちゃん注:「淡島明神の社ある寺」現在の芝大神宮(グーグル・マップ・データ)であろう。]

 

○又、一方。

 「ねぶの木」の、皮を、さりて、其内にある「あま皮」を陰干にして、夫(それ)をせんじたる汁にて、「あま酒」をつくりて飮べし。

[やぶちゃん注:「ねぶの木」私の偏愛する花を咲かせるマメ目マメ科ネムノキ亜科ネムノキ属ネムノキ Albizia julibrissin 『今日のシンクロニティ「奥の細道」の旅 49 象潟 象潟や雨に西施がねぶの花』に写真を飾ってある。富山県高岡市伏木矢田新町にあった実家には、裏に三メートルはあった合歓の木があったが、花は一度も咲かなかった。そこに家を建てたのは、一九七一年頃だったから、その後、大学の休みに帰郷したものの、やはり花は咲かなかった。調べてみたら、合歓の木は、花を咲かせるようになるには、十年以上かかるとあった。ストリートビューで見たら、もう樹はなかった。何となく寂しい気がした。]

 

○又、一方。

 「腰ひえ」に用ゆ。あらひ藥、よし。

 

○又、一方。

 「なめくじり」を胡麻の油に、ひたしおけば、とけて、白き油になる也。それを痔のいたむ時、つけてよし。但(ただし)、冬、「なめくじり」を求(もとむ)るには、竹藪の落葉をかき分(わけ)てさがす時は、多く、ある也。

 

○又、一方。

 無果花【和名「いちじく」。】・蛇退皮(へびのぬけがら)、

 右、二味、黑燒にして、極上の麝香(じやかう)、少(すこし)計(ばかり)、くはへ、「きぬ」の切れに、つゝみて、痔のところへ、おしあて、おしあて置(おく)ときは、治する也。

 

○又、一方。

 羗蜋の黑燒、ごまのあぶらにて、付(つけ)て、よし。

[やぶちゃん注:「羗蜋」(きやうらう(きょうろう))は二度、既出既注だが、再掲しておくと、恐らく昆虫綱鞘翅(コウチュウ)目多食(カブトムシ)亜目コガネムシ下目コガネムシ上科 Scarabaeoidea及びその近縁な科に属する種のうち、主に哺乳類の糞を餌とする一群の昆虫を指す語である。「食糞性コガネムシ」とも呼ばれる。中文ウィキのその種群を示すそれは「蜣螂」の漢字が当てられている。その日本語版「糞虫」も見られたい。]

 

○又、一方。

 芝、太好庵の「めぐすり」を付(つけ)てよし。

[やぶちゃん注:「芝、太好庵」先の芝大神宮の前にあった薬店。サイト「公益財団法人 瑞鳳殿」の『三代藩主伊達綱宗公313遠忌法要記念ブログ 御身必要のもの―善応殿副葬品「酸漿蒔絵合子」内容物分析調査―』に、『寛永の末に芝明神前宇田川町に太好庵せむし喜右衛門という医者が、「花の露」という薬油を製しており、これは頭髪用の油ではなく、顔にできた吹き出物に効き、顔に艶を与える匂い油であったそうで、現在で言う化粧水や乳液、薬用クリームとかそういったものを想像させます。「花の露」には松脂は含まれていなかったようですが、「伽羅の油」も化粧下地に用いられることもあったとされ、使用法についても一通りではなかったようです』とあった。しかし、「めぐすり」が痔に効くか?

 

○又、一方。

 「しゞみ貝」のせんじ汁にて、あらひて、よし。

 

○又、一方。

 寒中、五寸ぐらゐの鮒(ふな)、いきたるまゝにて、五倍子の粉に、まぶし、黑燒にしたるを細末にして、寒中・蝕寒をかけて、まいてう、空腹に、「さゆ」にて、服すべし。

[やぶちゃん注:「五倍子」ムクロジ目ウルシ科ヌルデ属ヌルデ変種ヌルデ Rhus javanica var. chinensis の葉に、ヌルデシロアブラムシ(半翅(カメムシ)目腹吻亜目アブラムシ上科アブラムシ科ゴバイシアブラ属ヌルデシロアブラムシ Schlechtendalia chinensi)が寄生すると、大きな虫癭(ちゅうえい)を作る。虫癭には黒紫色のアブラムシが多数詰まっており、この虫癭はタンニンが豊富に含まれていうことから、古来、皮鞣(かわなめ)しに用いられたり、黒色染料の原料になる。染め物では空五倍子色(うつぶしいろ:灰色がかった淡い茶色。サイト「伝統色のいろは」こちらで色を確認出来る)と呼ばれる伝統的な色を作り出す。インキや白髪染の原料になるほか、嘗つては、既婚女性及び十八歳以上の未婚女性の習慣であった「お歯黒」にも用いられた。また、生薬として「五倍子(ごばいし)」あるいは「付子(ふし)」と呼ばれ、腫れ物や歯痛などに用いられた。主に参照したウィキの「ヌルデ」によれば、『但し、猛毒のあるトリカブトの根「附子」も「付子」』『と書かれることがあるので、混同しないよう注意を要する』。さらに、『ヌルデの果実は塩麩子(えんぶし)といい、下痢や咳の薬として用いられた』とある。

「をかけて」は「にかけて」の誤記であろう。]

柴田宵曲「古句を觀る」正規表現版電子化注 / 「夏」(30)

 

   白南風や風吹もどす紗の羽織 沙 明

 

 沙明といふのは筑前黑崎の人である。助然がこれを訪ねて別るゝに當り、沙明は船まで送つて來て別を惜んだ。その時示したのがこの句で、「下のかたより靑鷺のこゑ」といふ脇を助然がつけてゐる。

 白南風[やぶちゃん注:「しらはえ」。]といふのは近年白秋氏が歌集に名づけたりしたので、比較的人の耳目に熟してゐるかと思ふが、黑南風と竝んで梅雨中の天象の一となつている。古來いろいろな解釋があるらしいけれども、梅雨に入つて吹くのをクロハエ、梅雨半に吹くのをアラハエ、梅雨晴るゝ頃より吹く南風をシラハエといふ「物類稱呼」の說に從つて置く。いづれにしても空の明るさを伴ふ梅雨時の現象であることは間違ない。

 船まで送つて來て別を惜む。漸く晴に向わんとする梅雨の空から來る風が、頻に紗の羽織を吹く。「吹もどす」の一語に惜別の情が含まれてゐることは勿論である。海の空は薄明るくなつて、自おのずから季節の移るべきを示してゐるのであらう。比較的大きな光景を前にして、小さな紗の羽織を描き、陰鬱の雲を散ずべき白南風に惜別の情を寓してゐる。「下のかたより靑鷺のこゑ」といふ助然の脇も、折からの景物と思はれる。普通に景中情ありなどといふ平凡なものではない。實景實感の直に讀者の胸に迫る句である。

[やぶちゃん注:「沙明」筑前蕉門の筆答格であった関屋沙明は、現在の福岡県北九州市八幡西区九州市黒崎(グーグル・マップ・データ)の町茶屋であった「脇本陣」を経営していた。「柴田宵曲 俳諧随筆 蕉門の人々 去来 五」の私の「沙明」の注を見られたい。

「助然」福岡の嘉穂郡内野(現在の福岡県飯塚市内野)の蕉門俳人荒巻助然(じょねん ?~元文二(一七三七)年)。筑前生まれ。名は重賢。通称、市郎左衛門・佐平次。父の西竹を始め、子の助嶺・苔路・仙之らも、皆、俳人である。没後、志太野坡・苔路により、追善集「冬紅葉」が刊行されている。編著に「蝶すがた」・「山ひこ」・「蝶姿」等がある(講談社「デジタル版日本人名大辞典+Plus」に拠った)。

「白南風といふのは近年白秋氏が歌集に名づけたりした」北原白秋の歌集「白南風」(昭和九(一九三四)年アルス刊)。国立国会図書館デジタルコレクションのこちらで原本が視認出来る。「序」の「2」の冒頭で書名の由来を述べている。「白南風」を詠んだ短歌は、「蝶影」の第二首、

   *

 眼はあげて吾が附く道のけどほさよ

  白南風(しらはえ)の空をひとつ飛ぶ蝶

   *

の、これを始めとして、六首ある。但し、本書自体の刊行は昭和一八(一九三三)年だが、初出は昭和十年に宵曲が同志とともに始めた俳諧中心の雑誌『谺』の創刊号から始めたものであるから、「近年」は腑に落ちる。

「物類稱呼」「諸國方言物類稱呼」。江戸後期の全国的規模で採集された方言辞書。越谷吾山(こしがやござん) 著。五巻。安永四(一七七五)年刊。天地・人倫・動物・生植・器用・衣食・言語の七類に分類して約五百五十語を選んで、それに対する全国各地の方言約四千語を示し、さらに古書の用例を引くなどして詳しい解説を付す。国立国会図書館デジタルコレクションの岩波文庫「物類稱呼」(東条操校訂・昭和一六(一九四一)年刊)の当該部(「卷一」の「風」の条の一節)の前後を以下に電子化しておく。「風」の条目名のみ行頭にあって、以下、本文は三字下げであるが、以下のように示した。【 】は二行割注。

   *

かぜ〇畿內及中國の船人のことばに 西北の風を○あなぜと稱す 二月の風を○をに北(ぎた)といふ 三月の風を○へばりごちと云 四月未(ひつじ)の方より吹風を○あぶらまぜと云 五月の南風を○あらはへといふ 六月未の風を○しらはへといふ土用中の北風を○土用あいといふ 七月未の風を○おくりまぜと云 八月の風を○あをぎたといふ 九月の風を○はま西といふ 十月の風を○ほしの入ごちといふ 十一月十二月の頃吹風を○大西(をゝにし)と云〇西國にても南風を○はへと云 東南の風を○をしやばへと云〇北國にては東風を○あゆの風といふ 西北の風を○よりけと云 北風を○ひとつあゆと云 東北の風を○ぢあゆと云 丑の方より吹風を○まあゆと云 南風を○ぢくだりと云〇江戶にては東南の風を○いなさといふ 東北の風を○ならいと云【つくばならいといふあり】 西北の風を○はがちと云 東風を○下總ごちといふ 未申の方より吹風を○富士(ふじ)南と云〇伊勢 國鳥羽 或は伊豆國の船詞に 二月十五日前後に一七日ほど いかにもやはらかに吹く風を○ねはん西風といふ【但し年每に吹にもあらす】三月土用少し前より南風吹○あぶらまじといふ 四月よき日和にて南風吹○おぼせといふ 五月梅雨に入て吹南風を○くろはへといふ 梅雨半(なかば)に吹風を○あらはへと云 梅雨晴る頃より吹南風を○しらはへと云 六月土用半過より北東の風一七日程吹年有○ごさいと云【六月十六七日伊勢の御祭禮有 出家も參事也 故に御祭(ごさい)といふ也】 六月中旬東風吹年あり○ぼんごちと云 それ過てより南風吹を○くれまじといふ 八月の風を○あをぎたと云【はじめは雨にそひて吹 後はよくはれて北風吹なり】 ○雁わたしとも云 十月中旬に吹く北東の風を○星の出入といふ【夜明にすばる星西に入時吹也】又大風には二月吹を○貝よせと云【正月の節より四十八夜前後の西風也】三四月東南の風吹を○なたねづゆと云 四五月吹東南の風を○たけのこづゆといふ 八月に吹風を○野分といふ【正月の節より二百十日め前後にふくなり】十月西風吹○神わたしと云【霜月の荒といふは廿三日より晦日まての間に荒るとしあり】○近江國湖水にて風の定らぬ事を○論義といふ 日和風を○といてと云 湖上(こしやう)の風を○根わたしと云 秋冬の風を○日あらしといふ 春夏の風を○やませ風 ○ながせ風 ○せた嵐など云〇播磨邊 又四國にて春南風にて雨を催す風を○やうずと云〇越後にて東風を○だしといふ 西北の風を○しもにしといふ西南の風を○ひかたといふ[やぶちゃん注:以下略。]

   *]

 

   うたゝねのかほのゆがみや五月雨 釣 壺

 

 五月雨[やぶちゃん注:「さつきあめ」。]に降りこめられたつれづれにうたゝねをしてゐる人がある。ふとその顏を見ると、どういふものか歪んで見える。そこに或寂しさを感じた、といふのである。

 病人などでなしに、うたゝねの人であるところがこの句の面白味である。少し老いた人のやうな氣がするが、必ずしもそう限定せねばならぬといふわけではない。

 

   蜀魂啼や琴引御簾の奧 吾 仲

 

 作者はこの場合、御簾[やぶちゃん注:「みす」。]の外にいるものと思はれる。ほとゝぎすが啼き渡る、御簾の奧では今琴を彈きつゝある、といふ情景である。

 必ずしも平安朝の物語を連想する必要は無いが、奧深い、大きな屋形であることは疑を容れぬ。琴を彈ずる人は恐らくほとゝぎすの聲が耳に入らぬのであらう。「虞美人草」の文句にある通り、「ころりんと搔き鳴らし、又ころりんと搔き亂」しつゝある。

 音に音を配合するのは、一句の效果を弱めるといふ人があるかも知れない。併しそれは御互に卽き[やぶちゃん注:「つき」。]過ぎて、相殺作用を起す場合の話であらう。この場合のほとゝぎすは琴を妨げず、琴もまたほとゝぎすを妨げない。作者は御簾の外に在つて、兩の耳に二つの聲を收めるとすれば、その邊の心配は無いわけである。

[やぶちゃん注:「蜀魂」通常は「シヨクコン」であるが、ここは無論、「ほととぎす」と訓じている。これは、蜀の望帝の魂が、化して、この鳥になったという伝説から、ホトトギスの別名となったもの。「蜀魄」「蜀鳥」とも書く。

『「虞美人草」の文句』は「三」の一節で(読みは一部に留めた)、

   *

 宗近君は籐(と)の椅子に橫平(わうへい)な腰を据ゑて先(さ)つきから隣りの琴を聽いてゐる。御室(おむろ)の御所の春寒(はるさむ)に、銘めいを給はる琵琶の風流は知る筈がない。十三絃を南部の菖蒲形(しやうぶがた)に張つて、象牙に置いた蒔繪の舌を氣高しと思ふ數奇(すき)も有(も)たぬ。宗近君は只漫然と聽きいてゐる許りである。

 滴々と垣を蔽ふ連𧄍(れんげう)の黃な向うは業平竹(なりひらだけ)の一叢(ひとむら)に、苔の多い御影の突(つ)く這(ば)ひを添へて、三坪に足らぬ小庭には、一面に叡山苔を這はしてゐる。琴の音(ね)は此庭から出る。

 雨は一つである。冬は合羽が凍(こほ)る。秋は燈心が細る。夏は褌(ふどし)を洗ふ。春は――平打(ひらうち)の銀簪(ぎんかん)を疊の上に落した儘、貝合せの貝の裏が朱と金と藍に光る傍(かたはら)に、ころりんと搔き鳴らし、又ころりんと搔き亂す。宗近君の聽いてるのは正に此ころりんである。

   *

である。]

2024/05/17

柴田宵曲「古句を觀る」正規表現版電子化注 / 「夏」(29)

 

   山ごしの豆麩も遲し諫鼓鳥 怒 風

 

「豆麩」といふのは豆腐のことである。腐の字は感じが惡いといふので、泉鏡花氏などは「豆府」と書いてゐたが、古人は屢〻「豆麩」の字を用いてゐるかと思ふ。

 山を越した向うの里から豆腐を賣りに來る。その大凡の時間がきまつてゐるのであらう。もう來さうなものだと思ふが、なかなかやつて來ない。どこかで閑古鳥の聲がする、といふ山里の光景である。「諫鼓」の字が當ててあるが、「諫鼓苔深うして鳥驚かず」などといふ面倒な次第ではない。俳諧季題の一員たる閑古鳥が啼くのである。

「ほとゝぎす自由自在に聞く里は酒屋へ三里豆腐屋へ二里」とかいふ天明の狂歌があつた。ほととぎすに不自由しない里は每日の生活に不自由するといふ槪念的の歌で、一讀して誰にも合點は行くやうなものの、さういふ里の情景は一向躍動しない憾がある。この閑古鳥の里も、豆腐屋へ二里あるか、三里あるかわからぬが、作者はさういふ方角から眺めずに、自分をその里の中に置いて、山越に來る豆腐屋が遲いといふ點だけを描いた。閑古鳥に豆腐を配するなどといふのは、俳諧でなければ企て得ぬところであらう。

[やぶちゃん注:「諫鼓鳥」「閑古鳥」カッコウ目カッコウ科カッコウ属カッコウ Cuculus canorus のこと。

『泉鏡花氏などは「豆府」と書いてゐた』鏡花は病的と極度の潔癖神経症で、「腐」という字に嫌悪感を持っていた。例えば、「青空文庫」の「湯どうふ」を見られたい。

「諫鼓苔深うして鳥驚かず」「諫鼓(かんこ)苔(こけ)深く鳥(とり)驚かぬ」は諺。「君主が善政を施すので、諫鼓(中国の伝説上の聖天子が、君主に諫言をしようとする者に打ち鳴らさせるために、朝廷の門前に設けたという鼓。「いさめのつづみ」)を用いることもなく、苔が深々と生えて蒸してしまい、鳥が鼓の音に驚くこともない」の意から、「世の中がよく治まっていること」の喩えである。

「ほとゝぎす自由自在に聞く里は酒屋へ三里豆腐屋へ二里」江戸後期の浮世絵師・狂歌師頭光(つむりのひかる 宝暦四(一七五四)年~寛政八(一七九六)年:本名は岸識之(「のりゆき」か)、通称は宇右衛門。別号に桑楊庵・二世巴人亭。江戸日本橋亀井町の町代を務めた。「狂歌四天王」の一人と称され、晩年には自ら作った狂歌集団「伯楽連」の中心となった。着想の奇警を特色とし、「才蔵集」の編集にも参画。著に「狂歌四本柱」などがある)の作。]

 

   飛石の間やぼたんの花のかげ 介 我

 

 牡丹園とか何とかいふ場所でなしに、普通の庭の牡丹と思はれる。飛石と飛石との間の土に、牡丹の花の影がうつゝてゐる。日ざしの關係であらうが、作者はそこに興味を感じたものらしい。大きな花だけに花の影もはつきり地上にうつるのである。

「花に影」となつている本もあるが、牡丹の花に影をうつすとなると、飛石以外の何者かでなければならぬ。それは句の上に現れて居らぬから、何の影か想像に困難である。「花のかげ」の方がいゝと思ふ。

 

   さはさはと風の夕日や末若葉 魯 九

 

 夕方の景色である。若葉の梢に明るく夕日がさして、爽な風が吹渡る度に、きらきらと光りながら飜る。「武藏野」にある「林影一時に閃く」とか、「木葉火の如くかゞやく」とかいふやうな盛な感じではない。明るい中にも一脈の陰影と寂しさとを伴つた光である。「さはさは」といふ言葉の現す風は、さう强い性質のものとも思はれぬ。

「若葉吹風さらさらとなりながら」といふ惟然の句は、若葉の風の爽な感じを主としたものであるが、時間は句の上に現れず、眼に訴へる分子があまり多くない。魯九の句は「夕日」の一語がある爲、斜陽の光の中に飜る若葉の梢が、直に眼に浮ぶやうに感ぜられる。夕日の若葉などといふものは、いづれかと云へば洋畫的風景で、當時としては新しい世界を窺つたと見るべきであらう。

 明るいとか、光とかいふ文字を使はないのは、昔の句の含蓄ある所以であるが、今の人はこれでは滿足しないかも知れない。

[やぶちゃん注:『「武藏野」にある「林影一時に閃く」とか、「木葉火の如くかゞやく」とか』やや表記に問題がある。私の偏愛する國木田獨步の「武藏野」(私のサイト版)の「((二))」の(下線は原本では傍点「○」、太字は傍点「●●」)、

   *

九月七日――『昨日も今日も南風強く吹き雲を送りつ雲を拂ひつ、雨降りみ降らずみ、日光雲間をもるゝとき林影一時に煌(きら)めく、――』

   *

で、同所の、

   *

同二十一日――『秋天拭ふが如し、木葉火のごとくかがやく。』 十月十九日――『明かに林影黑し。』

   *

が正しい。]

父が描いた16歳の時の陸軍通信特攻隊の模擬戦車への特攻練習図

Tokkourennsyuu16

故藪野豊昭所蔵 川路柳虹詩集「波」(初版・限定五百部・並製) / 川路柳虹の詩「火の頌歌」・深沢幸雄画・「あとがき」・奥附 / 川路柳虹詩集「波」電子化注~了

[やぶちゃん注:必ず、第一回の電子化の冒頭の私の注を読まれたい。

 本詩篇は━━この詩集の発行された十日後に生まれた私には━━恰も━━私に対して語れた詩篇のような━━気がした…………

 


Hinohomeuta

 

 火 の 頌 歌

 

[やぶちゃん注:「火の頌歌」の標題独立ページ(左ページ。ケント紙印刷挿入綴じ込み)の画像(経年劣化でヤケているため、補正を加えた)。深沢幸雄画には、右下方に『Y.K』の手書きサインがある。この原本のページは、劣化汚損(シミ)が少し見えるので、トリミングの後、清拭補正をした。やや「頌歌」は一般には「じゆか(じゅか)」で、所謂、「オード」(ode)。崇高な主題を、多く人や事物などに呼びかける形式で歌う、自由形式の叙情詩。「しようか(しょうか)」とも読み、「頌賦」(しょうふ)とも言う(個人的には「頌」の別音で「コウ」で読みたくなるのだが)。但し、川路は本文で「頌歌」に「ほめうた」とルビをしているので、ここも「ひのほめうた」と読むべきであろう。さて、この像は、一見、複数の臂を持っているように見えたことから、私はヒンドゥー教の女神ドゥルガー(ラテン文字転写:Durgā)ではないかと思ったのだが、第一連に「破壊と創造の神湿婆(シバ)」と出るので、インドの神シヴァ(Śiva)と知れた。「リグ・ヴェーダ」等のヴェーダ文献では「ルドラ」の名で知られる。ルドラは暴風神の一面のほか、理由なく家畜などに害をなす恐ろしい神であった。それ故、「パシュパティ」(家畜の主)・「シヴァ」(優和なもの)・「マハーデーヴァ」(偉大な神)などの名で宥められた。ブラフマー・ヴィシュヌと並び、ヒンドゥー教の三大神の一神で、「世界を破壊する神」として、恐ろしい一面を残す。インド各地で崇拝されていたさまざまな女神が、パールヴァティー・ウマー・ドゥルガー・カーリーなどの名で、シヴァの配偶神となった。身体に灰を塗り、蛇を首に巻き、髪の毛を乱した苦行者の姿で現れるが、インド各地の数多くの寺院では、女陰の上に立つ男根の形の像(リンガ)の姿で礼拝されている。以上は、主文を山川出版社「山川 世界史小辞典」に拠ったが、そこにあるイラストが、よく一致する。また、当該ウィキの『ナタラージャ(英語版)として踊っているシヴァ。チョーラ朝時代の物。ロサンゼルス・カウンティ美術館。』とキャプションがあるカラー画像もよく符合する。]

 

 

    火 の 頌 歌

 

     

 

わたしは想ふ、あの巨きな祭壇を、

廻(めぐ)る焰の渦にとり捲かれた

破壊と創造の神湿婆(シバ)を。

[やぶちゃん注:この一行目には「を、」の後に「]」のようなものが見えるが、これは植字の際の枠が出っ張ったものと断じて、無視した。]

 

生命の火を、

力の火を、

無数の手の仕業(しわざ)を。

 

その源(みなもと)を、

そのたゆまぬ動きを、

その跳躍を、

その怒(いかり)を、

その歓喜(よろこび)を。

 

おまへは火の肉身、

おまへは火の所業、

おまへは火の頌歌(ほめうた)。

 

おお、内在の焰よ、

わたしの生れぬ以前から

わたしの墓場で朽ち果てる未来(ゆくすえ)まで、

泉のやうに湧きいでる

不可思臓の持続よ。

暴虐の㮙伽(リンガ)よ。

逞しい不屈の

死を征服する力よ。

混沌の中に交って

生命の種子を求める

淸純な血液の種族よ。

想像の力で羽搏きながら、

いつも眼に見える世界を創(つく)ってゆく、

あの雲のやうな自由と、

あの汗のやうな必然とで、

生みいだし、生みいだし、

また砕(こわ)し、うち砕し、

停ることを知らない神湿婆(シバ)よ。

おまへの智慧はどこから来(く)る!

この世界の巧みな構造を、

寸分も違(たが)はぬ秩序と変化を

おまへ自身の肉体に包蔵して

おまへは人間に君臨する。

原子の秘密を解(さと)った人間が

その猾(さか)しらな手で地球を砕さうとも、

おまへの破壊はまだ止むまい、

おまへの創造はまだ止むまい。

[やぶちゃん注:「おまへの智慧はどこから来(く)る!」の「来」は底本では「米」であるが、「来」の異体字には「米」はないから、誤植と断じ、特異的に訂した。]

 

      

 

この世にひとりの嬰児(あかご)が生れた、

神に祝福された生命(いのち)で

声をかぎりに泣きながら。

 

世界に一つの霊(たましひ)が增えた、

加へられた一つの霊(たましひ)よ。

だが、その生命(いのち)は

この人間の世界では

ただ一つの数(かず)にすぎない。

羊水のなかから投げ出された

その「一つ」よ、孤独な生命よ。

血と粘液に染まった花の莟よ。

兩親(ふたおや)は貧しくて、

ふたりの作った分身に対して

ただ悲み惱んでゐる。

おまへの運命の始りが

歓びと涙で充されながら

おまへの吸う乳房の

そのゆたかな含らみのなかに

この世界を呪ふ種子(たね)が播かれてゐる。

 

呪はれた生命よ、━━地上の。だが、

おまへは生きてゆく、

おまへの眼とおまへの手が

いつか自(みづか)らを作ってゆくまで。

その「自ら」を知る理性と本能が

ふたたび妖はしい愛の華を開かす。

それこそ内に潜んだ永遠の

湿婆(シバ)の焰の戯れだ、因果だ。

悲劇がそこから生れる━━

幾代(いくだい)も同じ人間の悲劇が。

[やぶちゃん注:「妖はしい」以下の「」の第二連に出るルビに従い、「まよはしい」と訓じておく。]

 

だが、その戯れは正しい、

それは火の所業だ、

われら心つつましく

その火を讃(たた)へよう。

湿婆(シバ)よ、

おまへの所業に繫(つなが)る宇宙こそ

みんな戯れだ、(大きな)鱒の戯れだ!

 

      

 

燦爛とした星々(ほしぼし)の光りに

人問の愛のとどかぬところで

宇宙はその構図を展(ひろ)げている。

その下で燃えつづける

焰よ、湿婆(シバ)の祭壇よ。

吾ら与へるものも、

また亨(う)くるものも、

この世界ではひとしき所有だ。

劃り立つ岩々の黑い影、

夜の階黑をいや深くする森、

その森の重(かさな)る中の銀灰色の祠堂(しどう)よ、

この存在のおぼろかな中にも

ひとしい「影」として立つ吾ら。

[やぶちゃん注:「劃り立つ」「くぎりたつ」と訓じておく。]

 

まことに所有は影でしかない、

わたしたちは何を有(も)つのか!

わたしたちのこの世にもってきたものは

火葬場で焼かれる肉体、蛆蟲の餌(えさ)となる骨、

わづかな一握の友と埃(ほこり)だけ。

ああ無にひとしい存在よ、

現象は妖(まよ)はしか虛偽(いつわり)か、

今日(きよう)在って明日(あす)は消え去るもの、

輝かしい色と光りに充されながら、

ただ「時」のなかにうごめく陽炎(かげらう)━━

だが、その「影」にのみ頼る吾ら、

その影をまこと美しとおもひ、

まことの所有と信じあひつつ

それと抱きそれと苦しむ吾ら。

そのなかに湿婆よ、

おまへだけが「時」から「時」へと

無際限の力で生きつづける。

焼け爛(ただ)れた朱色(しゆいろ)に輝く

㮙伽よ、生々の立体よ。

尽くるなき神の戯れの激しさに

湧き立つ溶邇(ヨーニ)の泉は水沫(しぶき)をあげ、

おまへの多手はそこから

死滅しても、死滅しても、

あとから、後から生みいだす

創造の秘密を摑む。

ああ、湿婆よ、おまへだけが有(も)つのだ。

[やぶちゃん注:底本では、この「35」ページは「死滅しても、死滅しても、」から、以下の「あらゆる「影」を、湿婆よ!」までであるが、印刷時にこのページだけが、通常より、三字分下って印刷されてしまっている。版組みの誤りであるから、無視した。

「溶邇(ヨーニ)」「ヨニ」とも。サンスクリット語(ラテン文字転写:yoni)。女性生殖器、また、子宮を指す。]

 

      

 

さらば破壊せよ。

この誤ったに世界を。

湿婆よ、その多手をあげて

破壊せよ、錯誤の一切を。

在るものを、死を、悪を、偽りを、

偏(かたよ)った無益な富を、機構を、

あらゆる「影」を、湿婆よ!

おお、円満の智慧、梵(ブラフマ)よ、

おまへの光りはいまどこにある!

手を携えて躍る毘湿奴(バイシユヌ)よ、

おまへの清明はいまどこにあるか!

雲に蔽はれた月夜(つきよ)、

遠くへわたる空の浮蛾(かげろう)、

その微かな羽搏きの生(いのち)よ、

そのほの明るみよ。

哀れな人間の哀訴と屈從と夢よ、

いたづらな虛(むな)しいものへの憧れよ。

[やぶちゃん注:「梵(ブラフマ)」ブラフマン(ラテン文字転写:Brahman)は、本来は、インドのバラモン教思想で説かれる宇宙の根本原理。もとは『聖典「ベーダ」の言葉』、及び、『それが持つ呪力』を意味した。自己の主体的原理である「アートマン」と対比的にも用いられ、この場合、「ブラフマン」と「アートマン」は合一する(「梵我一如」)とされる。そこから転じて、シバやビシュヌとともに、ヒンドゥー教の最高神。後に、前二者にとって代わられ、仏教に取り入れられて、「梵天」となった(小学館「日本国語大辞典」に拠った)。

「毘湿奴(バイシユヌ)」ビシュヌ神(同前:Viṣṇu)。漢訳では「毘瑟笯」「毘紐」などとも表記する。ヒンドゥー教に於いて、破壊の神シバと並ぶ最も有力な神格で、持続の役を負う。元来は太陽神で、「天界を三歩で歩く」と言われ、「愛の神」として、信者に平等に恩恵を与え、クリシュナ・ブッダなど十種の化身を現じて、人類を救済するとされる。ブラフマン(梵天)・シバとともに三神一体をなし、神像では正面にブラフマン、右にビシュヌ、左にシバを配す(同前)。]

 

巧みな蜂の巣の技術よ、文明よ、

空そそる巨石の層楼、

地下這ひめぐる黃金蟲の鉄道、

一瞬に地球を廻る蟋蟀(ばつた)のジエツト機よ、

だが吾らの幸福はそこにはないのだ。

彩織りなす光りと影よ。

去れ、去れ、忌はしい諸々(もろもろ)の影よ、

ただ意味を加へよ、この世界に。

建て直せ一切を!

すべての消え去る映像のあとに!

この世界を、不動の実在にまで!

[やぶちゃん注:「蟋蟀(ばつた)」一般には、この漢字は、広義には、直翅(バッタ)目剣弁(キリギリス)亜目コオロギ上科 Grylloideaに属するコオロギ類を指示し、「しつしゆ(しっしゅ)/こほろぎ」と読む。時に「きりぎりす」(直翅(バッタ)目剣弁(キリギリス)亜目キリギリス下目キリギリス上科キリギリス科キリギリス亜科 Gampsocleidini 族キリギリス属 Gampsocleis で、青森県から岡山県に棲息するとするヒガシキリギリス Gampsocleis mikado 及び、近畿地方から九州地方を棲息域とするニシキリギリス Gampsocleis buergeri の二種に分ける考え方が一般的である)と読む場合もあるが、私は支持出来ない。通常、コオロギを「バッタ」と読むことは、極めて異例であるが、川路はそのようにルビを振っている。古典文学研究では、「蟋蟀」はコオロギであると私は信ずるものである。より詳しくは、私の「和漢三才圖會卷第五十三 蟲部 蟋蟀(こほろぎ)」、及び、「和漢三才圖會卷第五十三 蟲部 莎雞(きりぎりす)」の私の注を参照されたい。]

 

われらの所有は誰のものか、

われらの所有を神に還せよ。

すべての人間の生きる

まことに生きる力の源に!

 

火よ、淸淨にして虛無なる、

虛無にしでまことの実在なる

火よ、面(おもて)を輝かして跳る湿婆(しば)よ、

内在の㮙伽(リンガ)よ、破壊の手に、

創造の恍惚に、燃え上(あが)れ、焰よ、焰よ!

                   (一九四七年)

 

 

[やぶちゃん注:「湿婆(シバ)」は底本では、ルビが「しげ」となっている。誤植と断じ、特異的に訂した。

 以下、川路による「あとがき」。]

 

 

    

 前集「無為の設計」を出してから早くも十年近い月日がたつた。この詩集は終戦後にかかれた作品のなかから選まれた二篇である。このあとにかかれたものと、この二篇とは詩の性格が異るので一冊にまとめ難いため、まづ、先きにこの二篇を離して出すことにした。私の今の詩境はむしろこののちの作品にあるのだが、それはなほ推敲中なので他日に発表を待つことにする。

 この二篇は概して言へば私の作品としては浪漫的なものに属する。「波」はかつて戦後に出た或る小雑誌に発表したものだが数年かかつて推敲し、いくたの行を改删した。「火の頌歌」は全く未発表の作であるが創作後これも推敵改删を経て一年前に完成したものである。「波」に現はれた内容の一部はすでに「勝利」「歩む人」等に現はれてゐる生命の神秘観であり、「火の頌歌」はそれを印度教の思想の中に見出した生命根元の礼讃である。「波」と「火の頌歌」は前集に収めた「雲のうた」を加へて私の三部作の形になつた。

 昭和三十一年十二月            著 者

 

[やぶちゃん注:「無為の設計」昭和二二(一九四七)年三月冨岳本社刊の詩集「無爲の設計」。国立国会図書館デジタルコレクションのこちらで、全篇が視認出来る。

『「波」はかつて戦後に出た或る小雑誌に発表したもの』調べたところ、竹井出版発行の雑誌『文藝大學』(二巻二号・昭和二三(一九四八)年二月発行)に掲載されている。

「改删」(かいさく)は「改削」に同じ。語句などを改めたり、除いたりして、文章を直すこと。

「勝利」詩集書名。大正七(一九一八)年曙光詩社刊。国立国会図書館デジタルコレクションのこちらで、原本詩集が視認出来る。

「歩む人」詩集書名。大正一一(一九二二)年大鐙閣刊。国立国会図書館デジタルコレクションのこちらで、原本詩集が視認出来る。

「雲のうた」詩集「無為の設計」巻頭に配された詩。同前で、ここから。]

 

 

[やぶちゃん注:以下、奥附(カラー)。一行字数を現物と一致させた。]

 

Namiokuzuke

 

   詩集 「波」 五百部 限定版 • 著者 川路柳虹 •

   昭和參拾貳年貳月伍日  •  印刷發行  •  發行所   

   東京都中野區大和町貳七四番他 • 西  東  社

   發賣東京都千代田區神田神保町壹之七十字屋書店

   特製本 • 深澤幸雄・腐蝕鋼駈原画入・頒價壹

   千貳百圓  • 拾部限定 • 不許複製

                 並製頒價壹百貳拾圓

 

2024/05/16

柴田宵曲「古句を觀る」正規表現版電子化注 / 「夏」(28)

 

   裸身に蚊屋の布目の月夜かな 魚 日

 

 灯火を置かぬ場合であらう。月の光が室內にさし込んで、蚊帳に寢てゐる人に及ぶ。裸の上に蚊帳の影が落ちて、布目がはつきり見える、といふのである。夜更らしいしづかな趣が想像される。

 長塚節氏の「鍼の如く」の中に「四日深更、月すさまじく冴えたり」といふ前書があつて、「硝子戶を透して㡡[やぶちゃん注:「かや」。]に月さしぬあはれといひて起きて見にけり」外二首の歌がある。魚日の句はガラス戶のない時代だから、月は戶のひまか、窓からでもさし入るものと思はれるが、長塚氏の歌は月のさす蚊帳かやに重きを置き、魚日の句はその蚊帳に入つてゐる自分の姿が主になつてゐる。歌と句との相異はその邊にもあるのかも知れぬ。

 この句と殆ど同じところを覘つたものに、「手枕や月は布目の蚊屋の中 智月」といふのがある。「手枕」と「裸身」といふこと、「月は布目の蚊屋の中」といひ「蚊屋の布目の月夜かな」といふ表現の上にも、男女の相違は現れてゐるが、時代は智月の方が先んじてゐる。かういふ趣が偶合するのは怪しむに足らぬとしても、布目の月といふことに對する先鞭の功は、智月に歸せなければなるまいと思ふ。

[やぶちゃん注:『長塚節氏の「鍼の如く」の中に「四日深更、月すさまじく冴えたり」といふ前書があつて、「硝子戶を透して㡡[やぶちゃん注:「かや」。]に月さしぬあはれといひて起きて見にけり」外二首の歌がある』「鍼の如く」(しんのごとく)は、長塚節の亡くなる前年大正三(一九一四)年五月から『アラヽギ』に連載され、翌四年一月に及ぶ病床の歌日記である。彼は大正四年二月八日午前十時、九州大学附属病院で喉頭結核で亡くなった。国立国会図書館デジタルコレクションの昭和二二(一九四七)年に公文館から刊行された歌集「鍼の如く」には、ここに、

   *

    四日深更、月すさまじく冴えたり

硝子戶を透して㡡に月さしぬあはれといひて起きて見にけり

小夜ふけて竊に蚊帳にさす月をねむれる人は皆知らざらむ

さやさやに㡡のそよげばゆるやかに月の光はゆれて凉しも

   *

とある。私は大の和歌嫌いだが、長塚節の詠は、昔から好きだった。私も結核性カリエスを幼少期に患った。三十五の若さで亡くなった彼には、シンパシーが生ずるのである。

「手枕や月は布目の蚊屋の中」「智月」は女流蕉門俳人の河合智月(寛永一〇 (一六三三) 年頃~享保三(一七一八)年)。山城国宇佐生まれ。大津の伝馬役兼問屋役であった河合佐右衛門の妻。貞享三(一六八六)年頃、夫に死別して尼となり、弟の蕉門であった乙州を養嗣子とした。蕉門きっての女性俳人として知られ,元禄二(一六八九)年十二月以降、芭蕉を自宅に迎える機会が多く、同四年、東下する芭蕉から「幻住庵記」を形見に贈られている。森川許六は、その作風を「乙州よりまさる」(「俳諧問答」)と評しながらも、「五色の內、ただ一色を染め出だせり」(「青根が峯」)と単調・平板な難点も指摘している(主文は朝日新聞出版「朝日日本歴史人物事典」に拠った)。而して、この句は、

   *

 手枕(てまくら)や月は布目(ぬのめ)の蚊屋の中

   *

であるが、「玉藻集」では、

   *

 手枕や月の布目の蚊屋の中

   *

とし、しかも、智月ではなく、園女の作と誤っている。]

 

   おちくぼのさうしめでたや土用干 桃 先

 

 土用干の本の中に「落窪物語」があつたといふだけでは、元祿の句としても單純に過ぎるが、この句には「おちくぼのさうし、大伯母妙貞の娵入道具の一つとかや」といふ前書がついてゐる。前書と相俟つてこの句を見れば、一槪に單純と云ひ去るわけには行かない。

 ここに「落窪物語」の草子がある。その本は大伯母に當る妙貞といふ婦人が、嫁入の時に持つて來たものであるといふ。妙貞は剃髮後の名であらうが、まだ存生であるのか、沒後の話か、この句だけではよくわからない。いづれにしても大伯母である人が嫁入したのだといふのだから、隨分古い話である。作者は土用干の中にこの書を見出して、さういふ由來を思ひ浮べ、今更の如く過ぎ去つた歲月を考へる。すべてが淡々と敍し去つてあるに拘らず、短篇小說でも讀むやうな連想を與へずには置かぬ。句そのものの力より、前書に現れた事實の興味によるのであらう。

 嫁入道具の中に「落窪物語」があつたといふことは、大伯母妙貞の人柄なり、生れた家柄なりを考へさせるものがある。書誌學者ならば、この時代の草子についても必ず說があることと思ふが、吾々は「めでたや」の一語からその體裁を想望するだけで滿足したい。

 

   客人に水汲おとや夏の月 吾 仲

 

 水は有力な夏のもてなしの一である。客人の爲に水を汲ませる。身體を拭く水か、飮む水か、そこまではわからぬが、汲むのは水道でなしに井戶だから、つめたいことは請合である。中七字が「水汲せたり」となつてゐる本もある。「水汲おとや」とある以上、主人自ら汲むのでなしに、誰かに汲ませてゐるので、特に汲ませると斷るにも及ばぬかと思ふ。けれども「汲せたり」といふ言葉が、單に人をして水を汲ましむるに止らず、汲ませた水をそこへ運んで來るといふ動作を含むとすれば、その點は多少違つて來るが、そこまで連想を働かすのが果して正解であるかどうか、疑問なきを得ない。

 水は目に訴える場合ばかりでなく、耳に訴へる場合にも亦涼味を伴ふ。「音」の一字はこの場合、相當重要な役目をつとめてゐる。

 

   子をうんで猫かろげなり衣がへ 白 雪

 

 お腹の大きかつた猫が子を產んで、身も輕げに見えるといふ事實と、更衣をして自分の身も輕くなつたといふ事實とを取合せたのである。句の表は猫が主になつてゐて、更衣は景物のやうに見えるけれども、猫の身を「かろげ」と觀ずる根本は、更衣をして快適になつた作者の氣分に在る。季節の上からそれが一致することは云ふまでもない。

「子をつれて猫も身がるし……」となつている本もあるが、これだと單に子を產んだといふ事實だけでなしに、その子を連れてそこらを步いてゐるといふ猫の動作が加つて、句の上の景色が多少複雜になつて來る。いづれにしても、さういふ輕快な猫の樣子と、更衣の氣分とを併せて一句の趣としてゐるのである。

 

ブログ2,160,000アクセス突破記念 故藪野豊昭所蔵 川路柳虹詩集「波」(初版・限定五百部・並製)始動 / 表紙・背・扉標題・「内容」(目次)・深沢幸雄画「波」・川路柳虹の詩「波」

[やぶちゃん注:毎日、亡き父の遺品整理に追われている。父は、あまり本を持っていなかった(これは異常な愛書家である私から見てという意味であって、まあ、通常家庭の父親の書籍量としては多い方ではある)。半分はシュールレアリスム関連の芸術書(父は、よく、旅で宿帳を書く際、「職業欄」に『シュールレアリスト』と書くのを常としていた)、後は、戦後直ぐにのめり込んだ反戦運動(父は戦中は愛国少年で、鎌倉最年少の陸軍航空通信特攻隊として、竹竿の先に模擬地雷をつけて、模擬戦車(木製)の下に飛び込む練習に明け暮れた。敗戦後、百八十度、思想転換をし、日本共産党に入党、「うたごえ運動」の一員となっていた)関連の書籍が大半を占める(特異点としては、鮎の「ドブ釣り」(=毛鉤釣り)の事務局長をやっていた関係上、鮎絡みの本が多い)。画家として認めてくれて、終生、私淑した瀧口修造の単行本の半分、みすず書房の『コレクション 瀧口修造』(全十四冊)、青土社の『アンリ・ミショー全集』(全四冊)等も私が買って贈ったものである。恐らく、蔵書の三分の一ほどは、私経由である。そんな中に、父が昭和三十年代に買った本の中に、川路柳虹詩集「波」(昭和三二(一九五七)年二月五日発行・西東社刊・並製・五百部限定版)があるのを、一昨日、見つけた。

 この詩集の発行日は、私が生まれる十日前に当たる。当時、父母は荏柄天神の敷地にあった貸家の二階におり、画家を目指しつつ、有名な鎌倉駅前の知られた鎌倉彫の主人の弟子となっていた。母は、頼朝の墓の横にあった「頼朝茶屋」で女中をしていた。大学一年の時、訪ねてみたところ、まだ、当時の女店主が現役でやっておられ、私が名乗ると、非常に喜ばれて、お茶と団子を出して呉れた。その時、「私が最初に、『あんた、妊娠してるんじゃないの?』と声を掛けたのよ!」とおっしゃったのを、今もよく覚えている。

 詩人で美術評論家でもあった川路柳虹(明治二一(一八八八)年~昭和三四(一九五九)年)については、サイト「ネットミュージアム兵庫文学館」のこちらのページを見られたい。私は、彼の詩集は所持しておらず、二十代の頃、数冊のアンソロジーで読んだに過ぎない。ブログを始めた翌年の二〇〇七年十一月三日に、『僕の非在の玄室の碑銘に。』という前置きを添えて、詩「秋」を電子化しているだけである。この詩集の詩篇も初めて読んだ。

 この詩集「波」刊行時、川路柳虹は満六十八歳で、この出版の翌年、この詩集『波』及び過去の業績により、彼は芸術院賞を受賞している。

 されば、父の供養代わりとして、この詩集を電子化することとする。それ以外に、私の誕生と強い共時性を持っていることも、何か、偶然でないような気がしたからでもある。現行、この詩集(長詩二篇)を電子化したものは、ネット上には見当たらない。

 なお、本書は目次に当たる『内容』の最後に『装幀及び裝置』として、版画家・銅版画家深沢幸雄(大正一三(一九二四)年~平成二九(二〇一七)年)の名が掲げられてある。父の古い書簡や記録の中に、実は、深沢幸雄氏からの手紙や彼の名があるのを確認した。父は私が生まれてしばらくして、鎌倉彫の修行を終え、エッチングを始めている。されば、この前後に深沢氏と知り合って、この詩集も、或いは、川路氏の詩よりも、深沢氏絡みで、購入したものであったのかも知れない。しかし、今回、この詩篇「波」を電子化して玩味してみたところ、その内容が、父の生きざまや、常日頃、語っていた彼の「人生のポリシー」と異様に似ていることを、強く感じたのも事実である。この詩篇には、確かに――父が――いる――のである。

 さて、問題は――この表紙、及び、「内容」の次の次のページの挿絵「波」、詩「波」の次の詩「火の頌歌」の標題ページの下に配された挿絵の三点をどうするか?――であった。無論、深沢氏の著作権は継続している。しかし、当該原本を販売やオークションに出しているものを調べると、例えば、古書店「書肆田髙」のこちらには、本書の特製本(十部限定)版の販売ページ(既に売切)には、表紙の深沢幸雄氏の版画と推定される表紙絵や、「内容」(目次相当)を開いた次の見開き左ページにある、やはり深沢氏の名を印刷明記した版画の画像がある。「メルカリ」のここには、限定私家版(と「帯」にあるが、これは私が所持するものと同じ五百部版)の表紙の写真があり、その六枚目には、上記深沢氏氏名は印刷明記された版画の画像がある。これらが、深沢氏への著作権を払って画像を載せているとは、まず、思われない。使用許諾の断りも一切ない。謂わば、著作権の存続している人物の挿絵等が含まれていても、その書籍を販売する目的で商品画像として、著作権存続物を対象著作権満了書籍の画像の一部込みで示すことには、許容されていると判断される(但し、これには、若干の著作権に於いての疑問が感じられは。する。例えば、萩原朔太郎の「猫町」(リンク先は私の古い横書サイト版)には、素敵な川上澄生(著作権存続)の挿絵があるが、それを一部たりとも画像として出しているネット上の「猫町」は、古書販売の原本表紙の画像しか存在しないからである)。ともかくも、以上の現状から、深沢氏の版画を配した表紙・背・裏表紙(白紙)、「内容」の後に配されている深沢氏明記の挿絵、詩「火の頌歌」の標題ページの下に配された挿絵(Y.Kと読めるサインが右下方にある)を画像で挿入することとした。それは、以下の「内容」の最後に『装幀及び裝置』とあるのが、深沢氏の版画等も総て『裝置』として川路が認識していることが、私が深沢氏の作品を挿入してよいという判断の強い味方になると考えている。則ち、深沢氏の絵は、詩篇を総合芸術的に豊かにするためのものであり、それらの絵も、川路柳虹の本詩集「波」の芸術的「装置」として存在し、川路名義の詩集としてソリッドなモンタージュの一部であると、川路自身が全体を認識しているからである。これは、深沢氏の絵を「不可分な自己の詩集の身体の一部」と捉えていることに他ならないのであって、絵をカットすること自体、川路は敢然として拒否するもの、と私は思うのである。但し、万一、深沢氏の著作権者から指摘があれば、それらの画を、総てブラックで、マスキングして、処理するつもりでは、ある。

 本詩集は、本文は長詩である詩篇「波」と「火の頌歌」の二篇のみで、最後に「あとがき」が載る。戦後の出版であるが、概ね漢字は新字であるが、時に正字が混交している(例えば、「靑」と「青」が混在している。これは川路の原稿は恐らく「靑」のつもりで書いていたが、植字工が、二種あるそれを、区別せずに用いていて、組んでしまった可能性が高いと私は思う)。それらは忠実にUnicodeで可能な範囲で電子化した。歴史的仮名遣と現代仮名遣も混交しており、拗音・促音もなっていたり、なってなかったりする。特に注意して、そのままで載せてある。基本、五月蠅くなるので、特にママ注記は附さない(誤植と考えられるものは別)。また、二字分ダッシュ「――」は、明らかにざっくりと太く黒い「━━」となっているので、罫線文字で、その通りに見えるように処理した。注は、長詩なので、ストイックに選び、連の切れたところに挿入した。

 因みに、このブログ版を奥附まで、総て終わった後(本回と次回で完結させる積りである)には、縦書一括PDF版(ルビ附)を作成する予定でいる。

 なお、この始動は、二〇〇六年五月十八日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来(このブログ「Blog鬼火~日々の迷走」開始自体は、その前年の二〇〇五年七月六日)、本ブログが、昨日、夕刻、2,160,000アクセスを突破した記念として公開する。【二〇二四年五月十六日 藪野直史】]

 

Namihyousi

 

川 路 柳 虹 詩 集

 

                    東 京 西 東 社

 

[やぶちゃん注:画像(カラー)は表紙。]

 

 

Namise

 

   波        川 路 柳 虹 詩 集

 

[やぶちゃん注:画像(カラー)は背。]

 

 

Namitobira

 

[やぶちゃん注:画像(カラー)は扉。]

 

詩 集

 

 

 

 

 

 

 

Naminaiyou

 

     内  容

 

 波

 

 火の頌歌

 

 あとがき

 

 裝幀及び裝置   深沢 幸雄

 

[やぶちゃん注:画像(モノクローム。これは補正を加えた)は左ページ。目次相当。但し、リーダと漢字ノンブルは略した。]

 

   波

Namihukasawahanga

             深 沢 幸 雄 画

 

[やぶちゃん注:画像(カラー)は左ページ。ケント紙に印刷挿入綴じ込みされてある。左上方の画題「波」、右下方の画家の姓名と「画」は印刷。

 以下、詩篇「波」全篇。]

 

 

      

 

    一

 

ひろびろとした天の星座、

わたしはおまへの何であるかを知らない。

漆黑(しつこく)の塗板(ぬりいた)にちりばめた数かずの宝石、

瞬きながら速くここの海に

光りを曳く星たちよ。

音も立てない波は従順に

星たちの姿を揺さぶりながら

すこしづつ 彼方(かなた)へ、彼方(かなた)へと動いて行く。

夜(よる)の海は靜かに睡る

愛(いと)しい嬰児(あかご)のやうだ。

この世界に棲むあらゆるものの寝息が

いま二すぢの香煙となって

遠いあの天(てん)へと昇る。

[やぶちゃん注:パート標題「」であるが、実は次のパートは「Ⅱ」となっている。しかし、この「」は「Ⅰ」の横組みではなく、漢数字のゴシックの「一」である。無論、川路は原稿には「Ⅰ」と書いたであろうから、これは植字工の誤植で、校正係も気がつかなかったことになるか。川路は最終校正を行っていないはずはないだろうが、余りにあり得ないだけに、うっかり見落とした可能性もあろう。ともかくも、結果して、イタい誤りではある。]

 

しづかに、だが、はっきりと

何か囁いてゐる波よ、

声をひそめて

おまへの語る言葉を 私は聞かう、

波よ、語つておくれ、

吾らの「在る」意味を━━

生きてゐる、動いてゐる

ひと時も休まず、そして

何ごともないやうな

「時」の、「実在」のこころを。

 

天のどこかが裂けて

征矢のやうに流星が堕ちる。

━━(見知らぬ遠い世界の破片が)

だが、この広い海では ただ、

一すぢの光りにすぎない。

蒼ざめて消え去る星よ、

おまへの隕石がどこかで

大きな穴を地球に穿たうと、

この世界はただ安らかに鼾(いびき)を立ててゐる。

夜、ひそかな祭壇、

星座は宛(さなが)ら高い薔薇窻(ローズ)の色硝子、

その光の下で

誰もゐないこの海の大伽藍の

ひつそりとしに内陣に

ただ「声」だけが訪れる。

波よ、おまへの囁いてゐるその響が、

おなじやうなその旋律が、誦経(ずきよう)のやうに、

え知らぬ一つづきの声に聴かれる。

[やぶちゃん注:「薔薇窻(ローズ)」これは、ゴシック教会建築などのファサードにバラの花のような形で作られた円窓。教会の精緻な大きいステンド。グラス(Stained glass)は、英語で別に“Rose window”とも呼ばれる。英文ウィキの「Rose window」を見られたい。]

 

わたしは懺悔をしようと思はぬ、

わたしには罪とか、贖(あがなひ)とかは解(わか)らない。

この広大な海の上では

さういふ小さな名詞などは

どこかに消えてしまふだらう。

人間世界に犯した一人の

罪も、或ひはおのれ孤りの心の

反逆や、過失や、無智も、

どこかに消えて終ふ。

吾らの観念といふ不熟な果実(くだもの)は

この波に浮く小さな泡沫(あわ)にすぎない。

波は秘(ひそ)かなひびきを

すこしづつ高める、

波は星を戴いたまんまで

遠い陸地を目ざしてうごく。

永い「夜」はただ黙つてゐる、

苦しいばかりの吐息を

その胸に匿しながら。

[やぶちゃん注:「孤り」「ひとり」。

「終ふ」「しまふ」。]

 

わたしは眼を閉ぢる、

声にとつて、見えることは迷はしだ。

波よ、夜(よる)のなかで光る波よ、

さながら生きてゐる獣(けもの)のやうに、

おまへの姿はうねりながら

すこしづつ背丈(せたけ)を伸ばし

一(いち)やうな足どりで飜る。

死から不死へ、

不死から死へ、

転生しつづける存在よ、

わたしの閉ぢた眼(まなこ)は

ただ幻影としておまへを記憶する。

もしか不意にわたしが

このままここの海に落ち込んだとしても、

おまへの姿はやつぱり

消えない一つの波だ、実在だ。そして

おまへの歌ふ声だけが

永続をさながらに。

しかし、わたしは不幸にも

ただ「知らう」としてゐるのだ、

おまへのうねりが杜絕えずつづく、その

永達と変化の意味を 在ることの心を、その確かさを。

[やぶちゃん注:「杜絕えず」「とだえず」。]

 

    Ⅱ

 

かずかずの追憶が影絵のやうに

閉ぢたわたしの瞳にうつる━━

晴やかな海、

瑠璃紺の浜辺、

軽装の少年水夫が

猿(ましら)のやうに帆桁にのぼつて、

帆綱を結び、また切る。

傾いた帆は風を胎(はら)んで

船は水沫(しぶき)をあげ、海へ踊り込む。

帆を掲(あ)げた船よ、勇ましい青春よ、

おまへは何の不信ももたずに

晴れやかな風に微笑(ほほえ)んで

ただ動く海を突つ切る。

 

空がいつか曇つて、

海は鈍(にば)み、波は吼える。

ぴしぴしと鞭打つ風のしはぶき、

三角の紙片(かみきれ)を千切(ちぎ)つた

白いたくさんの帽子が光る。

暗い雲の渦卷━━

垂れさがる大きな魔の翼、盛り上る龍巻(たつまき)、

波は激しく身慄ひしながら

憑(つ)かれたもののやうにただ突き進む。

その激しい懐(ふところ)のなかで

揺さぶられてゐる可憐な船よ。

五月から真冬(まふゆ)のどん底に落ちたやうな

悲しさと驚きに漂泊してゐた

わたしの遠い青春!

 

ぼろぼろになつた船が港へ入(はい)る、

港は安らかな老後のやうに

鈍い秋の陽を浴びて平和だ。

波よ、おまへは嵐などまるで忘れて

無口(むくち)な女のやうにしづかに

意味のない調べで岸を吻(な)める。

昨日(きのう)あつたことを、

あのすさまじい現象を

けろりと忘れてゐる不遜な自然よ、

おまへの残虐に傷いた魂と肉体は

玩ばれた怨みを復讐する術(すべ)もなく

ただ疲労にうつけてゐる。

ちぎれた帆綱に光る秋の陽(ひ)、

一切の破滅のあとに残るこの無為。

 

だが、忘れてゐた意識が蘇る。

生きてゐたといふ意識が、

少しでもある生命(いのち)の温みが

わたしの眼を正しい位置に還す。

破れた船を繕ひ、

新しい出発へと、

新しい航海へと、

希望が薄闇のなかで花をひらく。

    *

いのちとは何だ!

生きてゐるものの不可思議よ!

それは与へられたもので

また絕えず作りいだすものだ!

目的も定めず、終焉(をはり)もなく、

自然が休まない時間に在るやうに、

死と欲望のせめぎを乘り越えて

絕えず前へ前へとすすむ

波よ、おまへこそ生命(いのち)だ、

いのち宛らだ!

[やぶちゃん注:「宛ら」「さながら」。前に出た。]

 

激しい突進で岩に砕け、

散つた水沫(みなわ)はまたもとの海へ還る、

不変の精子、永遠の精液、

そして絕えざる情慾に燃えながら、

淸潔な童貞に生きる、

おまへは処女の羞(はじら)ひとと靑年の夢との

組み交はす不所の組識、朽ちざる細胞、

翼のない不死鳥、力の内在する磁極。

波よ、おまへの動きのただ中にあつて、

おまへの解らなさを解かうと

風は絕えず鞭ち羽搏く。

おお、限りない侮蔑よ、限りない残虐!

しかし、その侮蔑は飛沫となつて空(そら)に還る。

おまへはただ怒り、吼え、応(こた)へ、叫喚し、

いつかまた巧みに不明へと逃れる。

[やぶちゃん注:「羞(はじら)ひとと」はママ。後の「と」は衍字。

「組識」ママ。以下の「細胞」から、明らかに「組織」とあるべきところで、イタい誤植である。]

 

ああ、知の聡明も摧ける、だが

撓(た)はんではならない努力よ。

わたしたちの知るこの世界は

ただ現象と経験との場(ば)にすぎない。

そして不断の時間にかかはる

律動と秩序の世界だ。

宇宙をつくるものの内部を

その意味を、価へを、

吾らに知らすものは何もないのか!

在るものの凡てに從順に、

眼かくしされた世界に生きてゐる吾ら!

波よ、私たちはおまへと同じ息のなかで、

高い しとどかない天をのぞみながら

生き、また死ぬのか!

 

自然も営み、産み、働く。

なにものへの奉仕でもない自(みづか)らの為めに!

波よ、あまりに解り切つてゐて

すこしも解らないこの生きてゐることの謎よ!

どんな手探りで摑まうと解けない意味!

「夜」は深まり、苦悩は重(かさ)なる。

おお、星よ、仁愕光る彼方の実往!

ひとり吾らの知りうる境を乗り超えて、

対数表の煩さい数字を乗りこえて、

あの不可知がなんときれいに光る!

 

         Ⅲ

 

摑まう! みづからの腕を。

捉へよう! みづからの脈膊を。

いのちは「知る」ものではなかつた!

生命(いのち)はただ捉へればよいのだ!

おまへの内にあるすべてが

彼処(かしこ)にあるものと同じだと、

捉へたところに万物が生きるのだ!

 

波よ、だがあの向うの島から

もう夜明けが訪れはしないか。

おまへの一向(ひたむき)な步みが

あの岸ヘ、碧の浜辺へと近づくとき!

 

なにものか、大きな鳥がすぎる、

爽眛の空を斜めに

羽搏く翼に朝の嵐を呼んで、

高く、高く、翼は廻旋する━━

さながら一切を征服する身構えに。

ああ荒鷲よ、陸地を離れて、

おまへは大望を果すといふ風(ふう)に、

波を目がけて突進し、下向し、

また高く、雲のなかへと姿消す。

[やぶちゃん注:「爽眛」(さうまい(そうまい))は「夜明け・暁(あかつき)」。「爽」は「明るい」(その場合は「曙」)、「昧」は「暗い」(その場合は「暁」)の意。]

 

自由が勝利を歌ふその翼よ!

おまへの意慾は周囲を顧みず、

意志の悲劇をすこしも知らない。

ただひた向きに行動する征服の力よ!

しかし、波は永遠に低いこの海にあつて、

絕えず步む一つの生きもの。

荒鷲の死屍(しかばね)が山の岩角に曝されても

波は死なない、波はまだ動いている。

波は動いたまま朝を呼ぶ━━

勝利を知らない捷利に醉つて、

おのづからに来る光明を、

おのづからに生む朝(あした)を、

その不断の滑らかな背(そびら)にうけて……

 

もう星々(ほしぼし)の光りがうすれて、

力ない光芒が空から消える、

ああ日々(ひび)の繰返(くりかへ)し━━

だが、夜明(よあけ)はいつ見でも何といふ希望、

そして、なんといふ新しさだ。

私たちの眼の曇りが晴れて

潔(いさぎよ)い砂浜が光りだす。

漂ふ霧の薄い面紗(ブヱル)を透して

おまへは薔薇いろに燃えてくる!

おお、波よ、不死の継続よ、

輝やかなアドニスの瞳に

うつる下界の青空。

或はよみがへる病後の爽やかさ、

また少年の淨らかな情慾よ、勃起よ、

ふたたび味はふ青春の快味よ。

見よ、太陽の矢が無数に

おまへの飜る裸身の背中を突き刺す。

鱶と鰐鮫が ふかい海底から

小気味よく躍り出す。

美に慄ふ眼(まなこ)が、危さを愛するやうに、

輝きのなかに凡てを把握しようとする力よ。

陰影や、罪悪、卑少や、消え失せる無力よ!

みづからの欲求の激しさに身慄ひする

吾れと吾が身に驚く美への志向に、

その瑞(みづ)みづしさに、若さに、

吾ら雄々しく、いつも、裸形(らぎやう)であれ!

[やぶちゃん注:「面紗(ブヱル)」「めんさ・めんしや(めんしゃ)」と読み、女性が顔をおおう薄絹のこと。「ベール」。“veil”は音写すると、「ヴェール」。

「アドニス」(ラテン文字転写:Adonis)はギリシア神話で、女神アフロディテに愛された美青年。狩りでイノシシに突き殺された時、その血からアネモネが、女神の涙からバラが生じたとされる。]

 

朝だ、新しい出発だ、

わたしたちは凡てを新鮮に見るのだ。

わたしの胸にある不可知は子供のやうに、

いま、この光りのなかに眼をあける。

おなじ世界だ、しかし異(ちが)つた朝だ。

永達を造型してゆく、酸素のやうな

いつも新鮮な「時間」よ。

波よ、おまへの言葉は

あの暗闇のなかから拔け出て

ふたたび行動の世界に歌ひ出す!

わたしたちはただ観ることで生きよう!

「観ること」はやがて「創り出す」ことだ!

おまへといつしよに思考をいつも

新しく原始から始めよう!

それは激しい「継続」なのだ、常に、

生きまた死につつ始るのだ!

波よ、おまへのしとやかな步調に、

高まりどよもすりズムに、

わたしも裸身となって

この爽やかな朝の嵐に立たう!

波よ 不断の浪よ 永続の波よ、

破壞の波よ 力の波よ。

石のやうな建設を企てず、

流動のうちに創りいだす波よ、

轟きわたる勝利を 霊(たましひ)の電波を

潮(うしほ)となっておなじ響に、また言葉に、

世界のあらゆる果まで呼びかける波よ、

永劫回帰の波よ 波よ 波よ 波よ 波よ!

                 (一九四七年)

[やぶちゃん注:「りズム」はママ。誤植。]

2024/05/15

柴田宵曲「古句を觀る」正規表現版電子化注 / 「夏」(27)

 

   陣貝の聲のつよさや雲の峯 十 丈

 

「陣貝[やぶちゃん注:「ぢんがひ」。]」といふのは陣中で吹く貝のことである。貝の音にも種々の區別があるのは、今の喇叭と同じであらう。實際の戰陣で貝を鳴らす場合を、空想的に描いたとしても惡くはないが、元祿の句のことだから、やはり實感と見るべく、從つて演習的の陣貝と思はれる。

 雲の峯は山の如く夏日の天に聳そびえ立つものだけあつて、時に或音響が配合される。明治の句にも、「突き當る鐘の響や雲の峯」「雲の峯に響きてかへる午砲かな」などといふのがあつた。この陣貝の音は必ずしも雲の峯に當つて反響する、といふ風に解さなくてもいゝ、雲の峯の强い感じと、陣貝の音の强い感じとが、配合の上に或調和を得てゐるまでである。

[やぶちゃん注:「陣貝」は言うまでもなく、腹足綱直腹足亜綱新生腹足上目吸腔目フジツガイ科ホラガイ属ホラガイ Charonia tritonis である。私のものは、いろいろあるが、ここは、ヴィジュアルから、『毛利梅園「梅園介譜」 梭尾螺(ホラガイ)』をリンクさせておく。

「突き當る鐘の響や雲の峯」作者不詳。「當る」は「あてる」であろう。

「雲の峯に響きてかへる午砲かな」高濱虛子の句。大正元(一九一三)年八月の森鷗外宛書簡に載る。この「午砲」は明治天皇崩御のそれである。]

 

   すゞしさや月ひるがへすぬり團扇 祐 甫

 

 月下に涼んでゐる場合であらう。灯火などは傍に無いので、月光を受けた塗團扇が涼しく光る。團扇をひるがへす度に、一面に受けた月の光もひるがへるやうに感ずる。「月ひるがへす」といふ言葉は際どくもあり、多少誇張を免れぬが、或感じは慥に捉へてゐるよやうである。

 昔の通人は屋根船を綾瀨川まで漕ぎ上せて、月下の水に向つて開いた銀扇を投げる。地紙の銀泥が月光を受けて、きらきら光りながら水に落ちるのを興じたものだといふ。たゞ月に對するのみで滿足せず、月光のうつるのを賞翫するすさびらしい。月光を受けた塗團扇は銀扇ほど美しくはないが、月を受けて光る點だけは普通の團扇と違ふ。作者はそこに興味を持つたのであらう。

 尤も團扇は古來月のまどかなるに譬へとえられてゐる。團扇をひるがへすのを月に見立てたのだ、といふ解釋も成立たぬことはない。併しそれでは肝腎の塗團扇といふことが格別利かぬやうに思ふ。やはり前解に從つて置きたい。

 

   李盛る見世のほこりの暑かな 万 乎

 

 果物といふものは何れかと云へば涼しい感じを伴ふやうである。併し果物にもより、又場所の關係もあるから、いつでも必ず涼しさを連想させるとは限らない。店先に李が堆く盛上げてあつて、それに埃がかゝつてゐるなどといふのは、どうしても涼を呼ぶ趣ではない。暑い方の感じであらう。作者はそれを率直に描いたのである。

 芥川龍之介氏の句に「漢口」といふ前書で「一籃の暑さてりけり巴旦杏」といふのがある。この暑さは巴旦杏の色を主にしたのかも知れない。併しこの一籃の巴旦杏を前にして、漢口の市街を想像すると、むつとするやうな暑さと、大陸の埃とが無限にひろがつて來るやうな氣がする。卽ち感じの上において、どこかこの句と相通ずるものがある。

[やぶちゃん注:芥川龍之介の句は、私の『芥川龍之介 手帳7 (24) 中国旅行最後の記録 / 中国関連「手帳6・7」全注釈~完遂』を見られたい。]

2024/05/14

柴田宵曲「古句を觀る」正規表現版電子化注 / 「夏」(26)

 

   五月雨や夕日しばらく雲のやれ 魯 九

 

 長い五月雨の間の或狀態を句にしたのである。來る日も來る日も五月雨[やぶちゃん注:「さみだれ」。]で、鬱陶しい限りではあるが、朝から晚まで全く降り通すわけではない。時明[やぶちゃん注:「ときあかり」。]といふやつで、今にも晴れさうな氣配を見せることがある。夕方などは殊に天末[やぶちゃん注:「てんばつ」。]が明るくなつて、雲の間から夕日の光がほのめいたりする。併しそのまゝ日が暮れると、相變らずの五月雨になるのである。

 沼波瓊音氏の句であつたか、「入日雲見えしもしばし皐月雨[やぶちゃん注:「さつきあめ」。]」といふのがあつたと記憶する。晴れさうになつて晴れぬ狀態は、この「しばし」といひ「しばらく」といふ語に盡きるやうに思ふ。眞の梅雨晴でないことも亦この語がよく現してゐる。かういふ自然の現象には、古今の相違があるべくもない。

[やぶちゃん注:「入日雲見えしもしばし皐月雨」正しく沼波瓊音の句である。国立国会図書館デジタルコレクションの『瓊音全集』第四巻 (和歌俳句篇)(出版者不明・出版年不明)のここで確認出来た。大正四(一九一五)年六月の作句である。但し、そこでは、

   *

 入日雲見えしも暫し皐月雨

   *

の表記となっている。]

 

   卯の花やむかひから來る火のあかり 林 紅

 

 この卯の花は路傍にでも咲いてゐるのであらう。卯の花の白々と目立つ闇の道を、向うから誰か來る灯が見える、といふだけのことらしい。

 若しこの「むかひ」が向ひ家の略で、今云ふ「おむかう」などといふのに當るとなると、前の解釋は全然違つて來る。庭の垣根か何かに卯の花があつて、それに向ひ家の灯がさすものとすれば、それも亦一の趣たるを失はぬけれども、この場合の「來る」といふ語には、どうしても或動きがある。たゞ灯がさすものとは受取れない。

 尤も前の解釋にしても、單に灯が向うから來るだけでなしに、その灯の明りが卯の花にさすことを認むべきであらう。夜目にもしるき卯の花だけでは、「あかり」といふのがあまり利かぬ虞がある。

[やぶちゃん注:宵曲の後者の解釈は、私の埒外であり、不要である。]

 

   手拭も動く小風やしゆろの花 呂 風

 

 手拭懸の手拭が動く程度であるから、大した風ではない。作者はそれを「小風」といふ語で現した。漢語を用ゐれば微風といふところであらう。さういふ纖細な景色に對して、一方にはどつしりした椶櫚の花を點じてゐる。この句の妙味は慥にさういふコントラストに在るが、同時にあまり風もない、よく晴れた初夏の庭前の樣子が描かれてゐることも、固より見遁すことは出來ぬ。

 

   わか竹に麥のほこりや日の盛 吏 全

 

 季題本位の人たちにこんな句を見せたら、何に分類していゝかわからぬと云ふであらう。若竹、麥埃、日盛と三つも季題が含まれているからである。併し自然は季題の爲に存在するものでない。時として他の季節の風物と交錯することさへあるのだから、同じ季節のものが重なる位は怪しむに足らぬ。自然の上に立つて見れば、立派に存在する光景なのである。

 初々しい[やぶちゃん注:「うひうひしい」。]若竹の綠に、どこからか麥を打つ埃が飛んで來る。明るい日のかんかん照りつける日中の趣である。若竹も麥打も初夏の風物であるが、「日の盛」といふ言葉は普通には盛夏の場合に用ゐられてゐるかと思ふ。その點或は季題論者から文句が出るかも知れぬ。併し「日の盛」を日中若しくは眞晝間の意とすれば、この光景は一幅の畫として通用する。已に二つまで季語がある以上、さう「日の盛」に拘泥する必要はあるまいと思ふ。

[やぶちゃん注:私は俳句では無季語を支持する人間である。何故か? 簡単だ。かの松尾芭蕉は「季の詞(ことば)ならざるものはなし。」と考えていたと私は信ずるからである。季語に汲々と拘る中で、名句は遂に自然を離れた人工の捩じれたものになると、心底思っている人種だからである。]

「和漢三才圖會」植物部 卷第八十二 木部 香木類 奇楠

 

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きやら  奇南 琪楠

     奇藍

奇楠 伽羅【今專稱之也】

     伽羅者梵語阿

     伽嚧香之畧乎

本草彙言曰奇南香原屬沉香同類因樹分牝牡則陰陽

形質臭味情性各各差別其沉香爲牝【陰也味苦】陰體而陽用

奇南爲牡【陽也味辛】

陳眉公秘笈云奇南出於占城在一山首長禁民不得𥞪

取犯者斷其手彼亦貴重

△按伽罹乃香木至寳者和漢同貴之然本草綱目不詳

 辨之何耶葢深《✕→沉》水香中撰出之換名稱奇楠奇藍等乎

 【楠藍字義不可拘分牝牡亦不然沉水香卽奇楠也】萬安沈香一片價萬錢者則

 可知古者伽羅與沉香不別也其出𠙚亦與沈香同交

 趾暹羅占城也凡伽羅脂潤柔靭味微辛者佳也不潤

 或帶白色味微甘者不佳伹其香氣美悪以言不可論

 耳大抵交趾之產最上暹羅者次之占城又次之和州

 東大寺名香有二種一名黃熟香【俗云蘭奢待有重三貫三百目】一名

 大紅塵【有重四貫六百目云】天竺漸名香鮮殊大者希也

 

   *

 

きやら  奇南 琪楠《きなん》

     奇藍

奇楠 伽羅《きやら》【今、專ら、之れを稱すなり。】

     「伽羅」とは、梵語なり。

     「阿伽嚧香《アカロかう》」の畧か。

「本草彙言《ほんざうゐげん》」に曰はく、『奇南香(きやら《かう》)は、原(もと)、「沉香」の同類に屬す。樹に因つて、牝《めす》・牡《をす》を分《わか》ち、則ち、陰・陽、形質・臭味・情性、各各《おのおの》の差別あり。其れ、「沉香」は、牝と爲《な》す【陰なり。味、苦。】。陰の體《たい》にして陽の用なり。「奇南」、牡と爲す【陽なり。味、辛。】。』≪と≫。

陳眉公≪の≫「秘笈《ひきふ》」に云はく、『「奇南」は、占城《チヤンパ》より出づ。一山《いつさん》、首長、在りて、民に禁じ、𥞪《み》[やぶちゃん注:「實」に同じ。]を取ること、得ず。犯す者は、其の手を斷《き》る。彼《か》の地にも[やぶちゃん字注:「地」は訓点にある。]、亦、貴-重(たか)し。

△按ずるに、「伽羅」の香木の至寳なる者、和漢、同じく、之れを貴とす。然《しか》るに、「本草綱目」に、詳かに、之れを辨ぜざるは、何ぞや。葢し、「沉水香」の中《うち》、之れを撰出《えらびいだし》、名を換(か)へて「奇楠」・「奇藍」等と稱するか【「楠」・「藍」の字義に拘るべからず。牝・牡を分≪わかつ≫、亦、然らず。「沉水香」、卽ち、「奇楠」なり。】萬安の「沈香」、一片、價(あたひ)、萬錢と云ふ時は[やぶちゃん字注:「云」と「時」は訓点にある。]、則ち、知るべし。古者(いにしへ)は、「伽羅」と「沉香」、別(わか)たざるなり。其の出𠙚も亦、「沈香」と同じく、交趾《カウチ》・暹羅《シヤム》・占城《チヤンパン[やぶちゃん字注:ママ。]》なり。凡そ、「伽羅」は、脂《あぶら》、潤ひ、柔-靭(しなへ)にして、味、微辛の者、佳なり。潤≪はず≫、或ひは、白色を帶びて、味、微甘の者、佳ならず。伹し、其の香氣の美悪《よしあし》、言《げん》を以つて、論ずべからざるのみ。大抵、交趾の產、最上なり。暹羅の者、之れに次ぐ。占城、又、之れに次ぐ。和州、東大寺に、名香、二種、有り。一つは、「黃熟香」と名づく【俗に「蘭奢待(らん《じやたい》)」と云ふ。重さ、三貫三百目、有り。】。一つは、「大紅塵」と名づく【重さ、四貫六百目、有りと云ふ。】。天竺にも、漸(ぜんぜん)に、名香、鮮(すくな)く、殊に大なる者、希《まれ》なり。

 

[やぶちゃん注:この「奇楠」「奇南」は、先に出た「伽羅木」とは全く違う、熱帯アジア原産の、

ジンチョウゲ科ジンコウ属ジンコウ Aquilaria agallocha

であるので、注意が必要であるが、良安が特異的に「本草綱目」を批判して、疑問を提示している(これは私が電子化注した水族の部や他の動物類等では、まず見られないことである。これは、良安が医師であり、漢方生薬について、特に植物基原のものには、同寺の一家言があるからに他ならない)通り、これは、実は、前の「沈香」と同一種である。従って、そちらの私の注を見られたい。また、小学館「日本国語大辞典」の「きやら」(伽羅)を引くと、『沈香の優良品』で、『香木中の至宝とされる』とある。

「阿伽嚧香《アカロかう》」小学館「デジタル大辞泉」の「伽羅」の冒頭にサンスクリット語「kālāguru」の音写「伽羅阿伽嚧」の略。また、「tagara」の音写「多伽羅」の略ともする、とあった。東洋文庫訳では、「伽」に右訂正傍注で『(迦)』としてあるが、わけ判らんちんやで?

「本草彙言」明の倪朱謨(げいしゅばく)の撰になる本草書。全二十巻であるが、現存は十五巻のみ。順治二 (一六四五)年の序がある。国立国会図書館の「次世代デジタルライブラリー」で検索したところ、ここが当該部である(マーキングがある)。まさに「沈香」の一節である。

『陳眉公≪の≫「秘笈《ひきふ》」』は『尚白斎鐫(せん)陳眉公訂正秘笈』で、これは、明の陳繼儒の撰になる叢書の名。

「占城《チヤンパ》」既出既注だが、再掲しておくと、現在のベトナム中部に存在したチャム族の国家。中文の「抖音百科」の「占城」の地図を参照されたい。

「交趾《カウチ》」既出既注だが、再掲しておく。コーチ。「跤趾」「川内」「河内」とも漢字表記した。元来は、インドシナ半島のベトナムを指す中国名の一つ。漢代の郡名に由来し、明代まで用いられた。近世日本では、ヨーロッパ人の「コーチ(ン)シナ」という呼称用法に引かれて、当時のベトナム中部・南部(「広南」「クイナム」等とも呼んだ)を、しばしば、「交趾」と呼んだ(どこかの自民党の糞老害政治家石原某は今も使っている)。南シナ海の要衝の地で、朱印船やポルトガル船・中国船が来航し、中部のホイアン(グーグル・マップ・データ。以下、無指示は同じ)などに日本町も栄えた(主文は山川出版社「山川 日本史小辞典」に拠った)。

「暹羅《シヤム》」既出既注だが、再掲しておく。タイの旧称。シャムロ。「暹」国と「羅」国が合併したので、かく漢字表記した。本邦では、私の世代ぐらいまでは、結合双生児を「シャム双生児」と呼んだが、これはサーカスの見世物のフリークスとして知られた胸部と腹部の中間付近で結合していた「チャン&エン・ブンカー兄弟」(Chang and Eng Bunker 二人とも一八一一年~一八七四年)が、たまたまシャム出身であることによった呼称であり、地域差別を助長する差別用語として死後にすべきものである。

『和州、東大寺に、名香、二種、有り。一つは、「黃熟香」と名づく【俗に「蘭奢待(らん《じやたい》)」と云ふ。重さ、三貫三百目、有り。】。一つは、「大紅塵」と名づく【重さ、四貫六百目、有りと云ふ。】』既出既注。当該ウィキを参照されたい。]

2024/05/13

今日ガラからスマホに変えた

今日ガラからスマホ(Galaxy S24)に変えた。
もともと、連れ合いが亡き母に十三年前に渡した子機であった。
正直、んなモン、いらへんで。俺(あれ)には、な――

柴田宵曲「古句を觀る」正規表現版電子化注 / 「夏」(25)

 

   子規鯉の子うみにのぼる時 水 颯

 

 この句に於けるほとゝぎすは、現在啼いてゐるものと見ないでもよろしい。ほとゝぎすの啼く頃といふ、漠然たる季節の感じである。ほとゝぎすが屢〻啼き渡る頃になると、水中の鯉も子を產む爲に上つて行く、といふ事實を敍したのであらう。一句に纏められて見ると、そこに自然な面白味が感ぜられる。

 蘇東坡の詩に「竹外桃花三兩枝。春江水暖鴨先知。蔞嵩滿岸蘆芽短。正是河豚欲上時」といふのがあつた。季節による魚族の動きは、江邊垂釣[やぶちゃん注:「かうてうすいてう」。]の客の關心事であるばかりではない。自然を愛する詩人に取つても亦好個の題目でなければならぬ。さすがに俳人は傳統的なほとゝぎす以外に、かういふ消息を解してゐる。

[やぶちゃん注:蘇東坡の詩のそれは、以下。但し、三句目の「岸」は「地」が稿としては圧倒的。

   *

   惠崇春江曉景

竹外桃花三兩枝

春江水暖鴨先知

蔞嵩滿岸蘆芽短

正是河豚欲上時

    惠崇(ゑすう)の「春江曉景(しゆんかうげうけい)」

 竹外の桃花(たうくわ) 三兩枝(さいりやうし)

 春江 水(みづ)暖かにして 鴨(かも) 先づ知る

 蔞嵩(ろうかう) 地に滿ちて 蘆芽(ろが) 短し

 正(まさ)に是れ 河豚(ふぐ)の 上(のぼ)らんと欲する時

   *

而して、所持する岩波文庫の小川環樹・山本和義選訳「蘇東坡詩選」(一九七五年刊)や、中文の「Baidu百科」の「惠崇」他に拠れば、「惠崇春江曉景二首」の「其一」である。北宋の神宗の治世の元豊八(一〇八五)年十二月、開封(かいほう:現在の河南省開封市:グーグル・マップ・データ)の官にあった折りの作で、惠崇(九六五年~一〇一七年)は宋初の僧で建陽(現在の福建省三明市建寧県:グーグル・マップ・データ)の出身で詩と絵画に優れ、特に雁・鷺・鵝鳥などの題に長じ、詩人としては五言律詩を得意とし、仄めかしを避け、白を基調とした描写を好み、欧陽秀らから、高く評価されている。蘇軾この詩は古くから著名である。「蘇東坡詩選」には『「春江暁景」は画題』で、『暁を晩に作るテキストもあるが、宋本に従』ったとあり、『詩に首は題画詩であって、実景を詠じたものではない』とある。この「蔞嵩」は双子葉植物綱キク亜綱キク目キク科ヨモギ属 Artemisia の一種であるが、日本の諸注の指示する「オオヨモギ」(=「エゾヨモギ」・「ヤマヨモギ」)Artemisia montana は本邦以外では千島列島の分布で、ある記載にはヨモギ属シロヨモギ Artemisia stelleriana を挙げているが、これもオホーツク海沿岸以北の分布であり、ちょっと首を傾げる。なお、「蘇東坡詩選」の注では、『やまよもぎ。食用になる菊科の植物で、その浸し物は河豚(ふぐ)の毒を消すと言う』とあるから、やはり国外の北方から齎された前二者の孰れか、或いは、両種なのだろうか? 「蘆芽」アシの芽。「蘇東坡詩選」の注には、『これもスープにすれば解毒の効ありとされた』とあり、注の最後には、『河豚「春江晩景」に描かれてあったわけではなく、その画から連想されたのである』とある。「河豚」ここに出る種は海域から淡水へ回遊する十数種のみ知られる淡水に適応したフグである、この場合は、フグ目フグ科メフグ Takifugu obscurus を挙げておいてよかろう。「市立しものせき水族館 海響館」公式サイト内の「メフグ」に、『東シナ海、南シナ海にすんで』おり、『中国や朝鮮半島の河川でもみられ』、『主に海水で生活しており、成長し繁殖時期を迎えると』、『河川へ上っていくため、海水と淡水両方での飼育が可能で』、『食用としては日本ではあまり馴染みが』ないものの、『韓国では美味なフグとして食べられてい』とある。]

2024/05/12

譚 海 卷之十五 諸病妙藥聞書(11)

○大便、けつする[やぶちゃん注:「結する」。便秘すること。古くは「祕結」と言ったのである。]とき。

 野に自然と生じたる黃菊のはなをとりて、「らんびき」にて、そのあぶらを、とりおきたるを、一しづく、なむれば、心よく通ず。

[やぶちゃん注:「らんびき」「譚海 卷之一 同國の船洋中を渡るに水桶をたくはへざる事幷刄物をろくろにて硏事」の私の「らんびき」の注を参照されたい。]

 

○又、一方。

 木瓜(きうり)を、みそしるに、にて、くふときは、ひけつ、きはめて、通ずるなり。「きうり」を陰ぼしにして、たくはへおき、冬も用(もちゆ)べし。

[やぶちゃん注:「木瓜」ここは胡瓜(きゅうり)のこと。]

 

○又、一方。

 肉蓯蓉(にくじゆよう)三兩を、酒、三わんに、いれて、一わんに、せんじつめて、飮(のむ)べし。

[やぶちゃん注:「肉蓯蓉」シソ目ハマウツボ科ホンオニク属ホンオニク Cistanche salsa の肉質茎を乾燥した生薬。中国内陸部から内蒙古・中央アジアの乾燥地に分布する。本邦には植生しない。当該ウィキによれば、『滋養強壮作用を有する生薬として用いられる。ニクジュヨウは黒褐色で甘い香りがする。ニクジュヨウの主な有効成分はフェニルプロパノイド配糖体やモノテルペンである』とある。多分、知らないというお方が多いだろうが、結構、それを用いたものを日本人は飲んでいる。『ニクジュヨウは、薬用酒である養命酒(養命酒製造)、遼伝来福酒(薩州濵田屋』・『プラントテクノロジー』『)、生薬配合の滋養強壮剤であるゼナ(大正製薬)、ナンパオ(田辺三菱製薬)、ユンケル黄帝ゴールド(佐藤製薬)、ユースゲンキング(エスエス製薬)などに配合されている』とあるからである。]

 

○又、一方。

 滑石(かつせき)を「めしつぶ」にて、ねり、かみ[やぶちゃん注:「紙」。]へ、つけ、臍より、一寸したへ、はるべし。

[やぶちゃん注:「滑石」(かっせき)は、珪酸塩鉱物の一種で、フィロケイ酸塩鉱物(Phyllosilicates)に分類される鉱物、或いは、この鉱物を主成分とする岩石の名称。世界的には「タルク(talc:英語)」のほか、「ステアタイト」(Steatite:凍石)・「ソープストーン」(Soapstone:石鹸石)・「フレンチ・チョーク」(French chalk)・「ラバ」(Lava:原義は「溶岩」。本鉱石は変成岩である)とも呼ばれる。Mg3Si4O10OH2。水酸化マグネシウムとケイ酸塩からなる鉱物で、粘土鉱物の一種(当該ウィキ他に拠った)。]

 

○又、一方。「三黃湯(さんわうたう)」と云(いふ)。

 黃連(わうれん)・大黃(だいわう)・黃苓(わうごん)、右、三味、目方、各、等分。

 右、三味、「粉ぐすり」なりと、「せん藥」にしてなりとも、ふくすべし。たゞし、少(すこし)づつ、用(もちゆ)べし。おほくもちゆるときは、くだりすぎて、なんぎする也。

[やぶちゃん注:「三黃湯」サイト「Kracie」のここに載る「漢方三黄瀉心湯」。但し、そこに「成分」として『ダイオウ1.0g、オウゴン・オウレン各0.5gより抽出』とあり、全等分ではない。解説に、『「三黄瀉心湯」は、漢方の古典といわれる中国の医書『金匱要略[キンキヨウリャク]』に収載されている薬方で』、『比較的体力があり、のぼせ気味で、顔面紅潮し、精神不安や便秘などの傾向のある方の高血圧の随伴症状(のぼせ、肩こり、耳なり、頭重、不眠、不安)、鼻血、痔出血、便秘』(☜)、『更年期障害、血の道症に効果があ』るとある。

「黃苓」「黃芩」に同じ。、双子葉植物綱キク亜綱シソ目シソ科コガネバナ Scutellaria baicalensis の根から採れる生薬。漢方にあっては婦人病の要薬として知られる。血管拡張・血行循環促進・産後の出血・出血性の痔・貧血・月経不順といった補血作用(但し、多くは他の生薬との調合による作用)を持ち、冠状動脈硬化性心臓病に起因する狭心症にも効果があるとする。]

柴田宵曲「古句を觀る」正規表現版電子化注 / 「夏」(24)

 

   蚊屋つるに又ふまへけり鋏筥 流 志

 

「旅行獨吟」といふ前書がある。金屬の鋏といふ字が書いてあるが、普通の挾箱、卽ち箱に棒を添へ、衣服などを納れて僕に擔はせて行くものの意であらう。金扁に拘泥して鋏を入れる筥ではないかなどと考へるのは、少々思ひ過[やぶちゃん注:「すごし」。]である。

 蚊帳を釣るに當つて釣手が高い爲、何か踏臺になるものはないかと思つて物色した結果、挾箱を利用することにした。或旅宿でかういふ經驗を得たら、暫くして又同樣のことを繰返す機會に逢著した。「又」の一語によつて、その旅行の何日か續いたこともわかれば、同じ旅中に何度か挾箱を蹈臺にしたことも窺はれる。

 一種の簡易生活であるが、その簡易も旅中より生れたものであることに注意しなければならぬ。「旅行獨吟」の前書が無いと、その點を看過する虞がある。

 

   夏立たつや明障子の朝みどり 左 次

 

「明り障子」といふのは、或特別な障子を指す場合もあるらしいが、普通は今いふ障子のことである。ガラス障子といふやうな、更に明るいものの出現した今日から見れば、紙障子を「明り障子」と號するのは、いさゝか僣越の沙汰であらう。しかしこれが明り障子として通用する爲には、一方に明るくない障子のあつた時代を顧みなければならぬ。障子と云へば子供が指で破るものときめてかゝる時代になつては、却つて「明り」の語が何か特別のものの如く考へられる虞もあるからである。

 晴れ渡つた朝空の色か、新綠の庭木の色か、或は兩者合體した色でも差支無い。紙の障子に外面からさういふ色がさすといふ、如何にも初夏の朝らしい爽快な感じである。「朝みどり」の語はこのまゝ朝と解すべく、淺綠の意味もあるなどといふ穿鑿はしない方がいゝ。

 

   ほとゝぎす啼や子共こどものかけて來る 紫 道

 

 この二つの事柄には元來關連はないのである。ほとゝぎすが啼く、向うから子供が駈けて來る、といふことを取合せたので、今ほとゝぎすが啼いたからと云つて、誰かに知らせに來たわけではない。たゞ關連のない二つの事柄をかうやつて一句に收めて見ると、必ずしも離れ離れのものとも思はれぬ。ほとゝぎすの倏忽な感じと、子供が駈けて來る動作との間に、自ら相通ずるものがあるのである。

 この駈けて來る子供の姿は、やはり見えていた方がいゝ。その點から云つて、この句は眞晝間でないにしても、とにかく夜でない、明るい間のほとゝぎすであらうと思ふ。

[やぶちゃん注:これは聴視覚とモンタージュの勝利だ! 私は好き!

「紫道」坂本朱拙(承応二(一六五三)年~享保一八(一七三三)年:豊後生まれ。医を業とした。当初、中村西国に談林風を学んだが、元禄八()年に来遊した広瀬惟然の影響で蕉風に転じた。九州蕉門の先駆者。号に守拙・四方郎(よもろ)などがる)の門人。]

 

   葉のふとる一夜々々や煙艸苗 釣 壺

 

 畠に作つた煙草でもいゝが、昔のことだから、庭の隅か何かに生えた苗と見ても差支無い。ぐんぐん伸びる煙草苗が、一晚每に目に見えて大きくなる。葉の大きい、丈の高くなる植物だけに、その育ち方も著しく感ぜられるのである。平凡なやうであるが、煙草苗といふことは動かし難い。

 

   見世掃て一人居るや更衣 助 然

 

「居る」は「オル」ではない、「スワル」とよむのである。鷗外博士の小說には坐すといふ場合に、「据わる」と書いてあつたやうに思ふ。「スワル」といふ言葉から考へると、さう書く方が正しいのかも知れぬ。今の人には手扁があつた方がわかりいゝが、感じから云へば「居る」の方が適切なやうでもある。

 あまり大きな店ではなささうである。自分で掃除をして、綺麗になつた店の中に一人で坐つて見る。丁度冬の衣を脫いで、輕い袷に著更へた爽快な時節である。自ら滿足したやうな氣分が窺はれる。この場合「一人居る」者はどこまでも作者自身――卽ちこの句に於ける主人公で、他人が坐つてゐるのを傍觀したのでは面白くない。

[やぶちゃん注:「青空文庫全文検索」で「据わる 鴎外」(この「鴎」は気持ち悪い。鷗外自身も苦虫を潰す)のフレーズ検索で、純粋な小説では「鷄」・「蛇」・「雁」・「半日」・「獨身」等が出る。冒頭に本書が出るのは、御愛嬌。]

「和漢三才圖會」植物部 卷第八十二 木部 香木類 沈香

 

Jinkou

 

ちんかう   沈水香 𮔉香

       阿迦爐香【梵書】

沉香

 

チン ヒヤン

[やぶちゃん字注:「𮔉」は「蜜」の異体字。]

 

本綱沈香出天竺諸國其木似白楊葉如冬靑而小皮青

色經冬不凋夏生花白而圓秋結實似檳榔大如桑椹紫

而味辛其積年老木根外皮幹俱朽爛木心與枝節不壞

堅黑沉水者卽沈香也 半沈者爲棧香【與水靣平者爲雞骨】

不沈者爲黃熟香【其根節輕而大者爲馬蹄香倭謂沈之榾最下也挽爲燒香】

[やぶちゃん注:この段落の割注の後半、「倭謂沈之榾最下也挽爲燒香」の部分は、「本草綱目」には存在しないので、変則的に良安が追加したものと私は推定する。

膏脉凝結自朽出者曰熟結 刀斧伐仆膏脉結聚者曰

生結 因水朽而結者曰脫落 因蠧𨻶而結者曰蟲漏

 堅黑者爲上黃色者次之 角沈【黒潤】黃沈【黃潤】蠟沈【柔靭】革沈【紋橫】皆不枯如觜角硬重沈于水下者爲上

海南沈香冠絕天下【萬安黎母山東峒謂海南】一片萬錢也占城之

 沈香不若眞臘不若海南

沈香【辛徵温】 治心腹痛益精壯陽暖腰𦡀補右腎命門補

 脾胃止吐瀉冷氣治大腸虛閉小便氣淋

[やぶちゃん注:以下の「聖皇本紀云……」は良安の補足である。

聖皇本紀云推古天皇三年異木寄淡路以代薪其香妙

絕也異之而獻大二圍長一丈餘太子曰是沈水香也此

木名梅檀香天竺國多出𠙚南天竺南海岸夏月諸蛇相

繞此木清冷故也人以矢射冬月蛇蟄卽斫採之沈水久

者爲沈水香不久者號爲淺香

△按沈香交趾之產脂潤柔靭而重爲最上暹羅之產色

 似鶉彪而香亦佳次之太泥之產木理相透狀色美而

 其香不佳占城之產白黑襍似鶉彪而香不佳也近年

 中華之舩亦少將來之

 

   *

 

ちんかう   沈水香《ぢんすいかう》 𮔉香

       阿迦爐香《アカロかう》【「梵書」。】

沉香

 

チン ヒヤン

[やぶちゃん字注:「𮔉」は「蜜」の異体字。]

 

「本綱」に曰はく、『沈香、天竺諸國より出づ。其の木、白-楊(やなぎ)に似て、葉は、冬-靑(まさき)のごとくして、小なり。皮、青色。冬、經て、凋《しぼ》まず。夏、花を生じ、白くして、圓《まどか》なり。秋、實を結ぶ。檳榔《びんらう》に似て、大いさ、桑椹《さうじん》のごとし。紫にして、味、辛し。其れ、積年の老木の根・外皮・幹(ゑだ[やぶちゃん注:ママ。])俱《とも》に、朽爛《くちただ》る≪るも≫、木の心《しん》、枝・節、與(とも)に壞《くゑ》ず。堅く黑≪くして≫、水に沉む者、卽ち、沈香也。』≪と≫。 『半ば沈む者、「棧香《さんかう》」と爲《な》す【水靣と平≪たひら≫なる者、「雞骨」と爲す。】。』≪と≫。

『沈まざる者、「黃熟香」と爲す』≪と≫【『其の根・節、輕くして大≪なる≫者、「馬蹄香」と爲す。』】≪と≫。【倭《わ》に「沈《ちん》の榾《ほだ》」と謂ふは、最下なり。挽《き》きて、燒香《しやうかう》と爲す。】。

[やぶちゃん注:この段落の割注の後半、「倭《わ》に「沈《ちん》の榾《ほだ》」と謂ふは、最下なり。挽《き》きて、燒香《しやうかう》と爲す。」の部分は、「本草綱目」には存在しないので、変則的に良安が追加したものと私は推定する。

『膏脉《かうみやく》[やぶちゃん注:樹脂。]、凝結し、自(を《のづから》[やぶちゃん注:「を」はママ。])朽≪ち≫出《いづ》る者、「熟結」と曰ふ。』≪と≫。 『刀斧《たうふ》にて、伐り仆ふして、膏脉、結聚《けつじゆ》する者を「生結」と曰ふ。』≪と≫。 『水に因《よ》りて朽ちて結する者を「脫落」と曰ふ。』≪と≫。 『蠧《きくひむし》≪の≫𨻶《すき》に因りて、結する者を「蟲漏《ちゆうろう》」と曰ふ。堅く黑き者、上と爲し、黃色なる者、之れに次ぐ。 「角沈」【は黒潤。】・「黃沈」【は黃潤。】・「蠟沈」【は柔靭(しなへ)。】・「革沈」【は紋、橫。】、皆、枯れずして、觜《くちばし》・角《つの》のごとくして、硬重《かたくおもく》≪して≫、水≪の≫下に沈む者、上と爲す。』≪と≫。

[やぶちゃん注:以上の割注の頭の「は」は、訓点としては、特異的であるが、底本に『』と総てに振られている。

『海南の沈香、天下に冠絕《かんぜつ》す【萬安《ばんあん》の黎母山《れいぼざん》の東≪の≫峒《ほら》、「海南」と謂ふ。】一片、萬錢なり。占城《チヤンパ》の沈香、眞臘《しんらう》に若《し》かず、≪眞臘の者、≫海南に若かず。』≪と≫。

『沈香【辛、微温。】 心腹痛を治す。精を益し、陽を壯《さかん》にし、腰・𦡀《ひざ》を暖め、右腎の命門《めいもん》を補ふ。脾胃を補ひ、吐瀉・冷氣を止め、大腸≪の≫虛閉・小便≪の≫氣淋を治す。』≪と≫。[やぶちゃん注:以下の「聖皇本紀云……」は良安の補足である。

「聖皇本紀」に云はく、『推古天皇三年[やぶちゃん注:五九五年。]、異木、淡路に寄る。以つて、薪《たきぎ》に代《か》≪ふに≫、其の香《かほり》、妙絕なり。異《い》として、之れを獻《ささ》ぐる。大いさ、二圍《ふためぐり》、長さ、一丈餘。太子、曰はく、「是れ、『沈水香』なり。」≪と≫。此の木を「梅檀香」と名づく。天竺國に出づる𠙚、多し。南天竺、南海の岸、夏月、諸蛇《しよじや》、相ひ繞《まと》ふ。此の木、清冷なる故なり。人、矢を以つて、射る。冬月、蛇、蟄《ちつ》するとき、卽ち、斫《き》りて、之を採り、水に沈めて、久《ひさしき》に≪ある≫者、「沈水香」と爲す。久しからざる者、號して、「淺香」と爲す。』≪と≫。

△按ずるに、沈香、交趾《カフチ》の產、脂《あぶら》、潤《うるほひ》、柔-靭(しな)へて、重し。最上と爲す。暹羅(シヤム)の產、色、鶉《うづら》≪の≫彪(ふ)に似て、香も亦、佳《よ》く、之れに次ぐ。太泥(バタニ)の產、木理(きめ)、相ひ透りて、狀《かたち》・色、美なれども、其の香、佳からず。占城《チヤンパ》の產、白黑、襍(まじは)り、鶉の彪に似れども、香、佳からざるなり。近年は中華(もろこし)の舩にも亦、少し、之れを將來せる。

 

[やぶちゃん注:これは、代表的な香木の一つとして知られる、

双子葉植物綱アオイ(葵)目ジンチョウゲ(沈丁花)科ジンコウ(沈香)属ジンコウAquilaria agallocha

である。当該ウィキによれば、『熱帯アジア原産』『の常緑高木』で、『風雨や病気・害虫などによって木部を侵されたとき、その防御策としてダメージ部の内部に樹脂を分泌、蓄積する。それを乾燥させ、木部を削り取り香木として利用する。原木は、比重が』〇・四『と非常に軽いが、樹脂が沈着することで比重が増し、水に沈むようになる。これが「沈香」の由来となっている。幹、花、葉ともに無香であるが、熱することで独特の芳香を放ち、同じ木から採取したものであっても微妙に香りが違うために、わずかな違いを利き分ける香道において、組香での利用に適している』。『沈香は香りの種類、産地などを手がかりとして、いくつかの種類に分類される。その中で特に質の良いものは伽羅(きゃら)と呼ばれ、非常に貴重なものとして乱獲された事から、現在では、沈香と伽羅を産するほぼすべての沈香属(ジンチョウゲ科のジンコウ属およびゴニスティルス属』( Gonystylus )『)全種はワシントン条約の希少品目第二種に指定されている』。『「沈香」はサンスクリット語(梵語)で aguru(アグル)またはagaru(アガル)と言う。油分が多く色の濃いものをkālāguru(カーラーグル)、つまり「黒沈香」と呼び、これが「伽羅」の語源とされる。伽南香(かなんこう)、奇南香(きなんこう)の別名でも呼ばれる。沈香の分類に関しては香道の』「六国五味」の項の『記事に詳しい』。『また、シャム沈香』『とは、インドシナ半島産の沈香を指し、香りの甘みが特徴である。タニ沈香』『は、インドネシア産の沈香を指し、香りの苦みが特徴』。『沈香は、強壮、鎮静などの効果のある生薬でもあり、奇応丸などに配合されている』。『ラテン語では古来 aloe の名で呼ばれ、英語にも aloeswood の別名がある。このことからアロエ(aloe)』(単子葉植物綱キジカクシ目ツルボラン科ツルボラン亜科アロエ属 Aloe )『が香木であるという誤解も生まれた。勿論、沈香とアロエはまったくの別物である』。『中東では oud 』『と呼ばれ、自宅で焚いて香りを楽しむ文化がある』。『「沈香」には上記のような現象により、自然に樹脂化発生した、天然沈香と、植樹された沈香樹に故意にドリルなどで穴をあけたり、化学薬品を投入することで人工的に樹脂化させたものを採集した、栽培沈香が存在する』。『当然ながら、品質は前者が格段に優れている。稀に上記の製造過程から来たと思われる薬品臭の付いてしまっているものや、低品質な天然沈香に匹敵する栽培沈香も存在する。しかし、伽羅は現在のところ栽培に成功していない』。『また』、『栽培沈香は人工的に作ったものとして人工沈香ともよばれる。栽培沈香は天然沈香資源の乱獲により、原産国でも一般的になりつつあり、国内でも安価な香の原材料として相当数が流通している』。『原木から沈香が生成されるメカニズムは、その詳細が長い間不明であったが』、二〇二二『年に富山大学の研究グループが遺伝子技術を用いることで、複数の酵素が関係していることを解明した』。『これにより、これまで自然任せだった栽培沈香を、はるかに効率よく作り出す道が拓けた』。『なお、香木のにおい成分を含んだオイルに木のかけらを漬け込んだものや、沈香樹の沈香になっていない部分を着色した工芸品は、そもそも沈香とは呼べず、香木でもない。したがって栽培沈香でもない』。『推古天皇』三(五九五)年四月に『淡路島に香木が漂着したのが』、『沈香に関する最古の記録であり、沈香の日本伝来といわれる。漂着木片を火の中にくべたところ、よい香りがしたので、その木を朝廷に献上したところ重宝されたという伝説が』「日本書紀」に『ある』。『奈良の正倉院』『には長さ』一・五六メートル、『最大径』四十三センチメートル『重さ』十一・六キログラム『という巨大な香木・黄熟香(おうじゅくこう)(蘭奢待』『とも)が納められている。これは、鎌倉時代以前に日本に入ってきたと見られており、以後、権力者たちがこれを切り取り、足利義政・織田信長・明治天皇の』三『人は付箋によって切り取り跡が明示されている。特に信長は、東大寺の記録によれば』一『寸四方』二『個を切り取ったとされている』。『徳川家康が慶長』一一(一六〇六)『年頃から行った東南アジアへの朱印船貿易の主目的は伽羅(奇楠香)の入手で、特に極上とされた伽羅の買い付けに絞っていた』(「異国近年御書草案」)とある。

 なお、冒頭の標題の読み「ちんかう」はママとしておいた。但し、「目録」では、「ぢんかう」とするので、本文の「沈香」は「ぢんかう」の読みでよい。

「本草綱目」の引用は、例の通り、「卷三十四」の「木之一」「香木類」の「沈香」の独立項で(「漢籍リポジトリ」)、ガイド・ナンバー[083-28b]から始まるが、引用は「集解」の[083-29a]の一行目中ほどから始まっているものの、前後をパッチワークしている。良安はその分離を例の一字空けで示している。

「天竺諸國」東洋文庫訳では割注して『(インド・タイ・カンボジア)』とするが、これは現代の国名でということになる。

「白-楊(やなぎ)」これも日中で異なる種を指す。中国では、

キントラノオ目ヤナギ科ヤマナラシ属(別名ハコヤナギ属)ギンドロ Populus alba

(銀泥)で中文名は「銀白楊」であるが、通称で「白楊」と称する邦文の当該ウィキによれば、『ヨーロッパ中南部、西アジア原産で、中央アジアから地中海地方に分布している』。『日本にも帰化しており、いわゆる雑草化していたるところに生えているのが見られる』とあるが、本邦で「白楊」と言うと、このギンドロではなく、面倒なことに、二種の異名で、

ヤマナラシ属ヨーロッパヤマナラシ変種ヤマナラシ Populus tremula var. sieboldii(日本固有種)

と、日本・朝鮮及び中国に分布する、

ヤマナラシ属ドロノキ Populus suaveolens

(泥の木)のそれである。みな、同属種ではあるが、良安は無論、同一種と勘違いしている。

「冬-靑(まさき)」「柾・正木」で、ニシキギ目ニシキギ科ニシキギ属マサキ Euonymus japonicus (日中同種)を指す。

「檳榔《びんらう》」ヤシ科の植物檳榔樹である、単子葉植物綱ヤシ目ヤシ科ビンロウ属ビンロウ Areca catechu のこと。果実を薬用・染色用とする。「檳榔子」(びんろうじ)と書くと、ビンロウの果実を指すが、ここでは、それ。本種は本邦では産しないが、薬用・染料とするため、奈良時代の天平勝宝八(七五六)年頃、輸入された記録が既にある。

「桑椹《さうじん》」「桑の実」を指す語。

「燒香《しやうかう》」線香のこと。

「海南」「ハイナン」。これは広義の現在の海南省と一致する、海南島(グーグル・マップ・データ)を指している。

「冠絕《かんぜつ》」中国語で「ずば抜けて勝れる」という動詞。

「萬安《ばんあん》の黎母山《れいぼざん》」東洋文庫訳では割注があり、『(広東省瓊州府安定県の西南』にある山とする。海南島のど真ん中にある黎母嶺(グーグル・マップ・データ)。現行では、瓊中リー族ミャオ族自治県内にある。

「占城《チヤンパ》」現在のベトナム中部に存在したチャム族の国家。中文の「抖音百科」の「占城」地図を参照されたい。

「眞臘《しんらう》」六~十五世紀、インドシナ半島のメコン川流域に存在したクメール人(カンボジア人)の国家の中国名。扶南から独立して建国、七世紀前半に扶南を滅ぼした。八世紀に水真臘と陸真臘に分裂したが、九世紀初めに再統一し、アンコール‐ワットに代表されるクメール文化を現出した。十四世紀頃からタイの圧迫を受け、次第に衰退した。良安の時代は、その結果として暗黒時代であった。現在のカンボジアに相当する。

「心腹痛」心因性の腹部痛を指すようである。

「右腎の命門《めいもん》」「肉桂」で既出既注だが、再掲すると、「命門」漢方の一派で「右腎」(うじん)を指す語。男子では、精を蔵し、女子は胞(子宮)に繋がり、生殖機能との関係が深いとされた。また、経穴の一つで、人体後面の腎のつく所とされる第二腰椎上にあるものをも言う(小学館「日本国語大辞典」に拠った)。東洋文庫の「肉桂」の割注では、『生命の源。右腎』とする。

「聖皇本紀」聖徳太子によって編纂されたと伝えられる教典「先代舊事本紀大成經」(せんだいくじほんきたいせいきょう)の異本である「舊事本紀大成經」七十二巻の内、三十五から三十八巻が「聖皇本紀」。但し、複数の研究者によって偽書とされている。当該部は、国立国会図書館デジタルコレクションのここから影印本(訓点附きで読み易い)が視認出来る(左丁後ろから三行目以降)。一部、省略されており、また、最後の部分がカットされている。(訓読した。推定で読みや意味を添えた)、

   *

佛國に生ず。「※木」(ちやうぼく:大切にする木。)なり。今自(じこん:今より後)、吾が國に倚(よ)るなり。佛法の興起(こうき)の瑞(ずゐ)なり。

[やぶちゃん字注:「※」は(わかんむり)の下に「龍」。「寵」の異体字(見出せないが)であろう。]

   *

「交趾《カフチ》」既出既注だが、再掲しておく。コーチ。「跤趾」「川内」「河内」とも漢字表記した。元来は、インドシナ半島のベトナムを指す中国名の一つ。漢代の郡名に由来し、明代まで用いられた。近世日本では、ヨーロッパ人の「コーチ(ン)シナ」という呼称用法に引かれて、当時のベトナム中部・南部(「広南」「クイナム」等とも呼んだ)を、しばしば、「交趾」と呼んだ(どこかの自民党の糞老害政治家石原某は今も使っている)。南シナ海の要衝の地で、朱印船やポルトガル船・中国船が来航し、中部のホイアン(グーグル・マップ・データ。以下、無指示は同じ)などに日本町も栄えた(主文は山川出版社「山川 日本史小辞典」に拠った)。

「暹羅(シヤム)」既出既注だが、再掲しておく。タイの旧称。シャムロ。「暹」国と「羅」国が合併したので、かく漢字表記した。本邦では、私の世代ぐらいまでは、結合双生児を「シャム双生児」と呼んだが、これはサーカスの見世物のフリークスとして知られた胸部と腹部の中間付近で結合していた「チャン&エン・ブンカー兄弟」(Chang and Eng Bunker 二人とも一八一一年~一八七四年)が、たまたまシャム出身であることによった呼称であり、地域差別を助長する差別用語として死語にすべきものである。

「太泥(バタニ)」マレー半島中部東海岸のマレー系パタニ王国。本書が書かれた当時は女王が支配し、南シナ海交易の要港であった。位置は当該ウィキの地図を見られたい。]

2024/05/11

「和漢三才圖會」植物部 卷第八十二 木部 香木類 辛夷

 

Kobusi

 

こぶし   辛雉 侯桃

      房木 迎春

辛夷  木筆

      【俗古不之】

      幣辛夷

スインイヽ 【之天古不之】

 

本綱辛夷髙三四丈其枝繁茂正二月花開花落乃生葉

夏初復生花經伏歷冬葉花漸大其花初出枝頭苞長半

寸而尖銳儼如筆頭重重有靑黃茸毛順鋪長半分許及

開則似蓮花而小如盞紫苞紅熖作蓮及蘭花香其子赤

似相思子伹年淺者無子亦有白色者又有千葉者

苞【辛温】 治頭風腦痛一切鼻病【芎藭爲之使畏菖蒲蒲黃黃連石膏】

 凡鼻氣通於天天者頭也肺也肺開竅于鼻而陽明胃

 脉環鼻而上行腦爲天神之府而鼻爲命門之竅人之

 中氣不足清陽不升則頭爲之傾九竅爲之不利

 【辛温走氣而入肺其體輕浮能助胃中清陽上行通於天所以能温中治頭靣目鼻九竅之病】

△按辛夷𠙚𠙚人家亦栽之賞其花

 一種有白花八重者婆娑如幤俗呼幣辛夷

                          仲胤僧都

 著聞集くひつかれ頭かゝへて出しかとこふしの花の猶いたきかな

 

   *

 

こぶし   辛雉《しんち》 侯桃《こうたう》

      房木《ばうぼく》 迎春《げいしゆん》

辛夷    木筆《ぼくひつ》

      【俗、「古不之」。】

      幣辛夷《しでこぶし》

スインイヽ 【「之天古不之《しでこぶし》」。】

 

「本綱」に曰はく、『辛夷、髙《た》け、三、四丈。其の枝、繁茂≪す≫。正、二月、花、開く。花、落ちて、乃《の》ち、葉を生ず。夏の初め、復《ま》た、花を生じ、伏《ふく》を經《へ》、冬を歷《へ》、葉・花、漸《ぜんぜん》≪に≫大なり。其の花、初≪めて≫、枝頭《えだがしら》を出づ。苞《はう》≪の≫長さ、半寸[やぶちゃん注:一・五センチメートル。]にて、尖-銳《せんえい》≪にして≫、儼(さなが)ら、筆頭《ふでがしら》のごとく、重重《ぢゆうぢゆう》≪し≫、靑・黃≪の≫茸毛(じようもう)、有り、順鋪《じゆんほ》す[やぶちゃん注:時に順って敷くように密生する。]。長さ、半分《はんぶ》[やぶちゃん注:一・五ミリメートル。]許《ばかり》。開くに及び、則ち、蓮花に似て、小さく、盞(さかづき)のごとし。紫≪の≫苞、紅熖《こうえん》≪にして≫、蓮、及び、蘭花の香《かをり》を作《な》す。其の子《み》、赤≪くして≫、「相思子(たうあづき)」に似≪たり≫。伹し、年《とし》の淺き者には、子、無し。亦、白色の者、有り、又、千葉《やへ》の者、有り。』≪と≫。

『苞【辛、温。】 頭風《づふう》・腦痛《なうつう》、一切の鼻の病ひを治す【「芎藭《きゆうきゆう》」、之れの使《し》と爲《な》す。菖蒲《しやうぶ》・蒲黃《ほかう》・黃連《わうれん》・石膏《せちかう》を畏る。】。』≪と≫。[やぶちゃん注:以下、全体が一字下げであるが、引き上げた。]

『凡そ、鼻の氣は、天に通ず。天は頭《づ》なり。肺なり。肺、竅《あな》を鼻に開きて、陽明《やうめい》の胃の脉《みやく》、鼻を環(めぐ)りて、上《のぼ》り行《めぐ》る。腦は、「天神の府」たり。而≪して≫、鼻は、命門の竅(あな)たり。人の、中氣、足らず、清陽《せいやう》、升《のぼ》らざれば、則ち、頭、之れが爲に、傾き、九竅《きうけう》之れが爲めに、利《りせず》。』≪と≫。

『【辛、温にして、氣に走りて、肺に入る。其れ、體《からだ》、輕く浮き、能く、胃中《いちゆう》の清陽を助け、上行《じやうかう》して、天に通ず。能く中《ちゆう》を温め、頭《かしら》・靣《かほ》・目・鼻、九竅の病ひを治す所以《ゆえん》なり。】

△按ずるに、辛夷《こぶし》、𠙚𠙚《しよしよ》≪の≫人家にも、亦、之れを栽ゑて、其の花の美しきを賞す。

 一種、白花八重の者、有り。婆娑《ばさ》として、幣(しで)のごとし。俗、呼んで、「幣辛夷(《しで》こぶし)」と曰ふ。

  「著聞集」          仲胤僧都

    くびつかれ

       頭《かしら》かゝへて

     出《いで》しかど

          こぶしの花の

         猶《なほ》いたきかな

 

[やぶちゃん注:「辛夷」は、またしても、中国と本邦では、種群は同じだが、種としては範囲が異なる。中国の「辛夷」(シンイ)は、

狭義には、モクレン目モクレン科モクレン属 Magnolia (木蘭)の内、漢方で薬用とする蕾(つぼみ)を指す漢語であり、種としては、モクレン属の古い通称の一つである。

 一方、日本の「辛夷」(こぶし)は、北海道・本州・九州、及び、済州島に分布する、

モクレン属ハクモクレン節コブシ Magnolia kobus

の種を限定して指す。中文ウィキの木犀属=「木蘭属」でも、「辛夷」の漢字を持つ種は、この日本に主に植生するコブシであり、種の中文名は、ズバリ、特異点で「日本辛夷」であって、他の正式種名に「辛夷」を持つものは、そこでは他には、ない。

 なお、良安が標題下に冒頭で示した「辛雉」・「侯桃」・「房木」・「迎春」・「木筆」の五つの異名は総て「本草綱目」に載るものであるからして、コブシ Magnolia kobus ではないので、注意されたい。

「伏」「三伏」(さんぷく・さんぶく)の一つである夏至後の第三の庚(かのえ)の日の「初伏」(しょふく)を指す。一般には「初伏」の次は、第四の庚を「中伏」(ちゅうふく)、立秋後、初めての庚を「末伏」(まっぷく)と称し、その初・中・末の「伏」の称。五行思想で、夏は火に、秋は金に当たるところから、夏至から立秋にかけては、秋の金気が盛り上がろうとして、夏の火気に抑えられ、止む無く伏蔵しているとするが、庚の日には、その状態が特に著しいとして「三伏日」とした。この日は、種蒔き・療養・遠行・男女和合など、全て慎むべき日とされている(本体主文は小学館「日本国語大辞典」に拠った)。

「相思子(たうあづき)」マメ目マメ科マメ亜科トウアズキ(唐小豆)属トウアズキ Abrus precatorius の種、或いは、その熟した果実を指す。当該ウィキによれば、『種子は赤く美しいので、古くから装飾用ビーズや、マラカスのような楽器の材料に使われた。種子にはアブリン』(Abrin)『という毒性タンパク質がある。これはトウゴマ種子に含まれる』猛毒の『リシン』(Ricin)『と同様、リボゾームにおけるタンパク質生合成を妨害』し、『経口摂取でも変性しないため』、『猛毒性を示す』とある。同中文ウィキを見ると、中文名を「雞母珠」とし、異名に「相思子」・「美人豆」・「紅豆」を挙げてある。

「頭風《づふう》」頭痛。

「腦痛《なうつう》」これは、脳腫瘍などの痛みではなく、神経症等によるものを広範に指すものであろう。

「芎藭《きゆうきゆう》」中国原産のセリ目セリ科ミヤマセンキュウ属センキュウ(山芎)Conioselinum chinense の根茎の漢方名。頭痛・鎮静薬に用いる。中国四川省産の品が優れていたため、「四川芎藭」を略して呼んだもの。

「使《し》」既出既注。漢方・和方に於いて、「補助薬」を言う。「引藥」(いんやく)とも言う。

「蒲黃《ほかう》」単子葉植物綱イネ目ガマ科ガマ属 Typha の花粉。薬用。

「黃連《わうれん》」キンポウゲ目キンポウゲ科オウレン属オウレン Coptis japonica の髭根を殆んど除いた根茎を乾燥させたもの。

「陽明」漢方医学に於いて、病邪が少陽を過ぎて、体の裏を通り、眼から下唇・心・胸・腹・髄・股・膝・脛・跗(あしひら:足の甲)・指頭の下にある状態を指す。

「胃の脉」東洋文庫訳では割注があり、『(陽明胃経脈、十二経脈の一つ)』とある。

「天神の府」東洋文庫訳では「府」に割注があり、『(やどるところ)』とある。

「命門」東洋文庫訳では割注があり、『(右腎、元気のやどるところ)』とある。

「清陽《せいやう》」中医学で「頭部にある臓腑の陽気」を指す。

「九竅《きうけう》」人の身体にある九つの穴。口・両眼・両耳・両鼻孔・尿道口・肛門の総称。懐かしいね、私が唯一、大学時代に精読して朱注を附した「荘子」の中でも、最も偏愛する一篇であり、教科書に載っていなくても、プリントして授業をしたものだった。「内篇」の最後の「應帝王篇 第七」の掉尾に置かれた有名な凄絶な寓話である。

   *

 南海之帝爲儵、北海之帝爲忽、中央之帝爲渾沌。

 儵與忽、時相與遇於渾沌之地。

 渾沌待之甚善。

 儵與忽諜報渾沌之德曰、

「人皆有七竅、以視聽食息。此獨無有。嘗試鑿之。」

 日鑿一竅、七日而渾沌死。

   *

 南海の帝を儵(しゅく)と爲(な)し、北海の帝を忽(こつ)と爲し、中央の帝を渾沌(こんとん)と爲す。

 儵と忽と、時に相與(あひとも)に渾沌の地に遇(あ)ふ。

 渾沌、之れを待(ま)つすること、甚(はなは)だ善(よ)し。

 儵と忽と、渾沌の德に報(むく)いんことを諜(はか)りて、曰はく、

「人、皆、七竅(しちけう)有りて、以つて、視聽食息(しちやうしよくそく)す。此れ、獨り、有ること、無し。嘗-試(こころ)みに、之れを鑿(うが)たん。」

と。

 日に一竅(いちきょう)を鑿てるに、七日にして、渾沌、死す。

   *

「中《ちゆう》」脾胃。

「白花八重の者、有り」これは、

モクレン属ハクモクレン節シデコブシ Magnolia stellata

のことであろう。同種の花弁は 九枚から、十二 枚、二十四枚、最大で三十二枚の八重咲きがある。

「婆娑《ばさ》」舞う人の衣服の袖が美しく翻るさまの原義を、梢に華麗な花弁が風に揺れるさまを喩えた語。

「幣(しで)」「しで」は「紙垂」で、紙を特殊な断ち方をして折ったもので、竹または木の幣串に、これを左右に挟んだ神具が「幣」(ぬさ)である。

「著聞集」「第二十八 飮食」の一篇(六二八番)の「仲胤僧都(ちゆういんそうづ)、法勝寺(ほつしやうじ)御八講(みはつこう)に遲參、追ひ出だされて籠居し詠歌の事」。

   *

 仲胤僧都、法勝寺の御八講におそく參りたりければ、追ひ出(いだ)されて、院の御氣色惡しくて、こもりゐたりけるに、次の年の春、人のもとより辛夷(こぶし)の花を送りたりけるを見て、詠める、

  くび突(つ)かれ

    頭(かしら)かかへて

   出でしかど

    辛夷の花のなほ痛きかな

   *

 本篇が何故、「飮食部」に入っているのか、不審だが、所持する「新潮日本古典集成」の同書(西尾光一・小林保治校注)の頭注によれば、初句は『「食ひつかれ」と読む説や』、「辛夷」は『小節(鰹節)をかけたためとする解もある』とあった。

・「仲胤僧都」(生没年不詳)は平安末期の延暦寺の僧。権中納言藤原季仲と賀茂神主成助の娘の子。長治元(一一〇四)年、最勝講の問者(講での質問者)に初めて立った。以後、権律師を経て、保元元(一一五六)年には権少僧都に至ったが、翌年、辞退している。説法の名人として、甥の忠春と並び称せられ、様々な法会に招かれた。その説法を聴く人は感涙に咽んだという。また、機知に富んだ人物で、「宇治拾遺物語」「古事談」、この「古今著聞集」などにその言動が説話として残されている。後に伝説化が進み、「平家物語」では、別人の説法までも、仲胤に仮託され伝えられるようになった。容貌が醜かったらしく、同じく醜かった興福寺の僧済円と互いを揶揄い合っていた様子が「今鏡」に描かれている(朝日新聞出版「朝日日本歴史人物事典」に拠った)。

・「法勝寺」平安から室町まで平安京の東郊白河にあった仏教寺院。白河天皇が承保三(一〇七六)年に建立した。院政期に造られた六勝寺の一つで、六つの内、最初にして最大の寺であった。皇室から厚く保護されたが、「応仁の乱」以後、衰微・廃絶した。ここ(グーグル・マップ・データ)が跡。

・「御八講」「法華八講」に同じ。「法華経」八巻を八座に分け、普通、一日に、朝夕二座、講じて四日間で完了する法会。

・「院」鳥羽院。]

「和漢三才圖會」植物部 卷第八十二 木部 香木類 木蘭

 

Mokuran

 

もくらん  木蘭 杜蘭

      林蘭 黃心

木蘭

      【和名毛久良迩】

 

ラン

 

本綱木蘭生深山者尤大可以爲舟大者髙五六丈冬不

凋枝葉俱疎身如青楊有白紋葉如桂而厚大無脊花如

蓮花香色艶膩皆同獨房蕋有異四月初始開二十日卽

謝不結實其花內白外紫亦有四季開者又有紅黃白數

色其木肌細而心黃梓人所重也

或云其樹雖去皮亦不死

△按木蘭於出和州大峯者花如山茶花六月開有紫白

 二種未見紅黃者也

 畫譜云木蘭花未開者澆以糞水則花大而香其瓣擇

 沈精潔栬麵油煎食

[やぶちゃん字注:「麵」は底本では「グリフウィキ」のこれ(「麵」の異体字)であるが、表字出来ないので、「麵」とした。「栬」は「小さな杙(くい)」の意で、国字としても、「紅葉(もみじ)」の意しかなく、動詞としての用法(底本では「栬ㇾ麵」となっている)はない。従って、これは良安の誤字としか思われない。東洋文庫訳では『麵(こむぎこ)をつけ、』となっている。

 

   *

 

もくらん  木蘭 杜蘭

      林蘭 黃心《わうしん》

木蘭

      【和名「毛久良迩《もくらに》」。】

 

ラン

 

「本綱」に曰はく、『木蘭は深山に生≪ずる≫者、尤も大にして、以つて、舟に爲《つく》る。大なる者、髙さ、五、六丈。冬、凋《しぼ》まず。枝・葉、俱に疎なり。身《しん》、青楊《あをやなぎ》のごとく、白紋、有り。葉、桂《けい》のごとくして、厚大。脊《せき》、無し。花、蓮花のごとく、香・色・艶・膩《つや》、皆、同じ。獨り、房《ふさ》・蕋(しべ)、異なること、有り。四月の初め、始めて開き、二十日にして、卽《すなはち》、謝《しや》して[やぶちゃん注:萎んで。]實《み》を結ばず。其の花、內、白く、外、紫。亦、四季に開(さ)く者、有り。又、紅・黃・白、數色、有り。其の木肌、細《さい》にして、心《しん》、黃なり。梓人(はんほり)、重《おもん》ずる所なり。』≪と≫。

『或いは云ふ、「其の樹、皮を去ると雖も、亦、死(か)れず。」≪と≫。』≪と≫。

△按ずるに、木蘭、和州大峯より出だす者、花、山茶花(つばき)のごとく、六月、開く。紫・白の二種、有り。未だ紅・黃の者、見ざるなり。

 「畫譜」に云はく、『木蘭花、未だ開かざる者、澆(そゝ)ぐに、糞水を以つてすれば、則ち、花、大にして、香《かんば》し。其の瓣《はなびら》、沈精《ちんせい》≪にして≫潔《きよき》≪を≫擇《えら》≪みて≫、麵《こむぎこ》を栬≪して≫、「油-煎(あぶらあげ)」を食ふ。

[やぶちゃん字注:「麵」は底本では「グリフウィキ」のこれ(「麵」の異体字)であるが、表字出来ないので、「麵」とした。「栬」は「小さな杙(くい)」の意で、国字としても、「紅葉(もみじ)」の意しかなく、動詞としての用法(底本では「栬ㇾ麵」となっている)はない。従って、これは良安の誤字としか思われない。東洋文庫では『麵(こむぎこ)をつけ』となっている。

 

[やぶちゃん注:これは、既に出た「木犀花」の、

モクレン目モクレン科モクレン属 Magnolia の現代の中文名「木蘭屬」で、及び、同属の各種名の末尾に多く附すもの

で、私には特定不能である(中文ウィキの「木蘭屬」を見られたい)。識者の御教授を乞うものであるが、異常に樹高が高いことから考えると、一つ、良安の言っている「木蘭」は本邦特産の、

モクレン属ホオノキ節ホオノキ Magnolia obovata

が、良安の指す「木蘭」の候補とはなろうかとは思われる。さらに、良安が「和州大峯より出だす者」を挙げていることからは、

モクレン属オオヤマレンゲ節オオヤマレンゲ亜種オオヤマレンゲ Magnolia sieboldii subsp. japonica

を有力候補とし得る。当該ウィキによれば、『本州関東以南から九州』及び『中国東南部に分布する。和名は、奈良県の大山(おおやま:大峰山』(おおみねさん:ここ。グーグル・マップ・データ)『)に群生地があり、大山にハスの花(蓮華)に似た花を咲かせるというのが名の由来する』とあるからである。但し、良安は、花を「紫・白の二種」とするが、同種の花は白色で、寿命は四~五日程度とあり、『花糸と葯隔は淡赤色、葯は淡黄緑色から白色』とあって、一致を見ない。しかし、瓢箪から駒で、このオオヤマレンゲの、

基亜種オオバオオヤマレンゲ Magnolia sieboldii subsp. sieboldii

は、朝鮮半島・中国原産で、庭園に植えられるものだが、白花(花期は五~六月)であるが、雄蕊が赤紫色であり(寿命はやはり四~五日)、これも時珍の言う「木蘭」の候補としても問題ないだろう。

「本草綱目」の引用は、「卷三十四」の「木之一」「香木類」の「木蘭」の独立項で(「漢籍リポジトリ」)、ガイド・ナンバー[083-25b]から始まるが、引用は「集解」の[083-26a]の四行目中ほどから始まっている。

「梓人(はんほり)」音「シジン」。出版物の版木を彫る職人。

「山茶花(つばき)」ツツジ目ツバキ科 Theeae 連ツバキ属サザンカ Camellia sasanqua

「畫譜」東洋文庫の巻末の「書名注」によれば、『七巻。撰者不詳。内容は『唐六如画譜』『五言唐詩画譜』『六言唐詩画譜』『七言唐詩画譜』『木本花譜』『草木花譜』『扇譜』それぞれ各一巻より成っている』とあった。]

2024/05/10

柴田宵曲「古句を觀る」正規表現版電子化注 / 「夏」(23)

 

   涼しさや袂にあまる貝のから 一 琴

 

 海邊の土產に貝殼でも持つて歸るやうな場合かと想像する。袂に入れた貝殼が相觸れて鳴る音も涼しいが、長いこと波に洗はれて眞白になつてゐる――動物といふよりも石に近い感じの貝殼であることが、涼しさを加へる所以らしく思はれる。

「袂にあまる」といふ言葉は、「うれしさを何にたとへむから衣袂ゆたかにたてといはましを」の歌以來、つゝむに餘るといふやうな主觀的の場合に用ゐられ易い。この句は實際袂に餘るほど多くの貝殼を獲たのであらうが、それに伴ふうれしさといふものも陰に動いている。少くとも作者はそれを意識して「袂にあまる」の語を置いたのであらう。

[やぶちゃん注:「うれしさを……」の一首は、「古今和歌集」の「卷第十七 雜歌上」の巻頭に載る「題しらず」の「よみ人しらず」の四首の三番目(八六五番)。

   *

 うれしさを何につつまむ唐衣

    たもとゆたかにたてといはましを

   *]

 

   谷水に松葉の浮てあつさかな 一 楊

 

 谷川といふと、考へただけで淙々の音が耳に迫るやうな感じがするが、一槪にさうきめてかかるわけにも行かぬ。あまり深くない谷の、暑さ續きに水の乏しくなつたところなどは、さう涼しい趣ではない。この句はさういふ小景を描いたのである。

 石の間に捗々く[やぶちゃん注:「はかばかしく」。]は流れぬやうな水がよどんでゐる。そこに散つた松葉が、これも流れずに浮んでいる。「淸瀧や浪に散り込む靑松葉」といふやうな背景なら、大に涼しかるべき松の落葉も、却つて暑さうな感じになるのは、谷そのものの感じが涼しくない爲である。俳人はかういふ景色に對し、つくろはざる眞實を描いてゐるのが面白い。

[やぶちゃん注:「淸瀧や浪に散り込む靑松葉」この句については、私の「旅に病んで夢は枯野をかけ𢌞る 芭蕉 ――本日期日限定の膽(キモ)のブログ記事――319年前の明日未明に詠まれたあの句――」を見られたい。実は、この「淸瀧や波にちり込靑松葉」という句は(改作であることを問題としないとすれば)実質上の芭蕉最期の発句ということになる句であるという説があるのである。]

「和漢三才圖會」植物部 卷第八十二 木部 香木類 水木犀

 

Mokkoku

 

もつこく  【俗云毛豆古久】

 

水木犀

 

 

本綱木犀一種葉無鋸齒如巵子葉而而光叢潔生巖嶺

間謂之巖桂【一種有鋸齒如批杷葉而粗澀者卽木犀也】

△按水木犀今人家庭園植之難長而有大木小枝多毎

 枝梢五七葉最茂狹長厚光澤背淡夏開小白花其香

 似木犀花香結子三四顆作簇有彩色自裂中有赤子

 種其子亦生其葉四時不凋秋有紅葉者新古相襍亦

 美

 

   *

 

もつこく  【俗「毛豆古久」と云ふ。】

 

水木犀

 

 

「本綱」に曰はく、『木犀の一種。葉、鋸齒、無く、巵子(くちなし)の葉のごとくして、而《しか》も、光潔《くわうけつ》にして、巖嶺《がんれい》の間《かん》に叢生《そうせい》す。之れを、「巖桂《がんけい》」と謂ふ【一種、鋸齒、批杷の葉ごとくにして、粗≪くして≫澀《しぶ》き者、有り。卽ち、「木犀」なり。】。』≪と≫。

△按ずるに、「水木犀《もつこく》」は、今≪の≫、人家≪の≫庭園に之れを植う。長《たけ》し難くして、而≪れども≫、大木、有り。小枝、多く、枝の梢《こづえ》毎《ごと》≪に≫、五、七葉≪と≫、最も茂《しげ》し。狹長≪にして≫、厚く、光澤≪あり≫、背《うら》、淡し。夏、小白花を開く。其の香、「木犀花」の香に似て、子《み》を結ぶこと、三、四顆、簇《むれ》を作《な》し、彩色、有り。自《おのづか》ら裂(さ)けて、中に赤子《あかきみ》、有り。其の子を種《う》ゑても、亦、生ず。其の葉、四時、凋(しぼ)れず。秋、紅葉なる者、有り、新・古≪の葉≫、相襍(《あひ》まぢ)れる≪も≫、亦、美なり。

 

[やぶちゃん注:これは、本邦の漢字表記「木斛」で、現代中国も日本も同じで、

ツツジ目モッコク科モッコク属モッコク Ternstroemia gymnanthera

であるとしてよいだろう。但し、現行では「水木犀」の漢語は生きていないこと(ネットで中文で調べても、この単語が全く掛かってこないのである)と、上記の通り、シソ目モクセイ科オリーブ連モクセイ属 Osmanthus とは縁もゆかりもない別種である。

 ウィキの「モッコク」によれば、『別名でイイクともよばれる[1]。江戸五木の一つ。モチノキやマツと並び「庭木の王」と称される。中国名は、厚皮香(別名: 日本厚皮香)』。『日本では、千葉県以西の本州沿岸部、四国、九州、南西諸島に自然分布し』、『日本国外では朝鮮半島南部、台湾、中国を経て』、『東南アジアからインドに分布する。暖地の海岸近くの山地に自生する』。『常緑広葉樹の中高木』で、『成長すると樹高は約』六『メートル 』、『時には』十五メートル、『胸高直径』八十『センチメートル』『に達する大木となる。枝が密集して整った樹形をつくり』、『全体としては円錐形のきれいな樹形になる』。『幹の樹皮は暗灰色で滑らか』で、『皮目が多い。若い枝は灰褐色で無毛である』。『葉は互生ながら、枝先に集まる。葉身は長さ』四~七センチメートルの『倒卵状楕円形あるいは狭倒被卵形、あるいは狭倒卵形で、葉先は丸く、葉脈が見えない厚い革質で光沢があり、暗緑色をしている』。『十分に日光が当たる環境では葉柄が赤みを帯びる』。『花期は』六~七月頃、『直径』二センチメートル『ほどの白色から黄色へ変化する花を付け』、『芳香を放つ。花は葉腋に単生し』一~二センチメートルの『柄があって』、『花は』『曲がって下を向く』。『株によって』、『両性花または雄花をつけ、雄花の雌しべは退化している』。『両性花をつける株には、直径』十~十五『10 - 15ミリメートル』『の球形で卵状球形の果実が実り、秋』『になると熟す』。『果実が熟すと』、『厚い果皮が不規則に裂けて、橙赤色の種子を露出する』。『この種子は鳥によって食べられて親木から離れたところまで運ばれると考えられている。また、この種子は樹上で赤く目立つため、アカミノキの別名がある』。『冬芽は半球形や円錐形で紅紫色、多数の芽鱗の重なりが目立つ』。『葉の付け根につき、枝先では輪生状の葉のもとにつく』。『まず』、『葉が展開して新枝が伸び、新枝に花芽ができる』。『葉痕は半円形で、維管束痕が』一『個つく』。『日本では関東地方から沖縄までの範囲で植栽可能である』。『耐寒性はやや劣るものの、性質は丈夫で大気汚染にも良く耐える』。『日なたに植えて育てられるが、耐陰性があり、生長は穏やかである』。『土壌の質は湿りがちな壌土にして』(☜恐らくは、水木犀」の漢名は、モクセイに似た形状で、花の香りの共通性、及び、ここに示された湿った地面を好むことに由来すると考えられる)。『根を深く張る』。『病虫害に強く、葉が美しく樹形が整うため、公園樹や庭木として日本庭園によく植栽されており、庭のシンボルツリーや主役として扱われ、高級な雰囲気をもたらすことのできる樹種である』。『樹齢を重ねるごとに風格を増すことから「庭木の王様」とされている』(☜良安の謂いと一致する)。『材は緻密で細工物に向き』、『堅く美しい赤褐色をおびる材を床柱のような建材、櫛などの木工品の素材として用いる。また、樹皮は繊維を褐色に染める染料として利用される』。『民間療法では、葉を集めて乾燥し煎じ出したものを腎疾患や肝疾患に用いる』とあった。

 「本草綱目」の引用は、例の如く、「卷三十四」の「木之一」「香木類」の「箘桂」の「集解」終りの部分からの引用で、「漢籍リポジトリ」のこちらの、ガイド・ナンバー[083-23a]であるが、問題があって、「水木犀」の名は出てこない。

   *

如枇杷葉而粗澀者有無鋸齒如巵子葉而光潔者叢生巖嶺間謂之巖桂俗呼為木犀

   *

則ち、この標題の「水木犀」は、良安が勝手に附した可能性が極めて高いと私は推理するものである。

「巵子(くちなし)」既出既注。リンドウ目アカネ科サンタンカ亜科クチナシ連クチナシ属クチナシ Gardenia jasminoides の異名漢字表記。

「批杷の葉」バラ目バラ科ナシ亜科シャリンバイ(車輪梅)属ビワ Rhaphiolepis bibas の葉は、厚く、堅く、表面が凸凹しており、葉脈ごとに波打ち、而して、葉縁には、波状の鋸歯がある。

「粗≪くして≫澀《しぶ》き者」東洋文庫訳では、割注があって、『(網脈の顕著なもの)』とある。「網脈」とは、葉脈が網目状に伸びた葉脈を「網状脈」と称する。但し、我々の身の周りにある植物の殆んどは、網状脈を持っている。]

2024/05/09

「和漢三才圖會」植物部 卷第八十二 木部 香木類 木犀花

 

Mokusei

 

もくせい   巖桂

       【毛久世伊】

木犀花

 

 

本綱巖桂此箘桂之類而稍異其葉不佀柹葉亦有鋸齒

[やぶちゃん字注:「佀」は「似」の異体字。]

如批杷葉而粗澀者有無鋸齒如巵子葉而光潔者叢生

[やぶちゃん字注:「巵子」は「梔子」(クチナシ)の別語。]

巖嶺間其花有白者名銀桂黃者名金桂紅者名丹桂有

秋花者春花者四季花者逐月花者其皮薄而不辣不堪

入藥惟花可收茗浸酒鹽漬及作香茶髮澤之類耳

花【辛温】 同百藥煎・孜兒茶作膏餅噙生津辟臭化痰治

 䖝牙痛

△按木犀葉似海石榴而畧長有鋸齒五六月開小花香

 單淡白色此所謂銀桂矣未見黃及紅者也考其主治

 則入透頂香外卽《✕→郞》藥而可矣

𤲿譜云木犀葉邊如鋸齒而紋麁者其花香甚灌以楮糞

[やぶちゃん字注:「麁」の上部は「分」が乗っているが、異体字として見当たらないので、「麁」とした。]

花茂蠶沙壅之亦可

 

   *

 

もくせい   巖桂

       【≪和名≫「毛久世伊」。】

木犀花

 

 

「本綱」に曰はく、『巖桂《がんけい》は此れ、箘桂《きんけい》の類にして、稍《やや》異《い》なり。其の葉、柹《かき》の葉に佀《に》ず、亦、鋸齒《のこぎりば》、批杷の葉のごとくにして、粗澀《あらくしぶき》者、有り。鋸齒、無くして、巵子(くちなし)のごとくにして、葉の光潔《くわうけつ》≪なる≫者、有り。巖《いはほ》≪の≫嶺《みね》の間に叢生す。其の花、白き者、有り、「銀桂」と名づく。黃の者、「金桂」と名づく。紅なる者、「丹桂」と名づく。秋、花さく者、春、花さく者、四季、花さく者、月を逐《お》ひて、花さく者、有り。其の皮、薄くして、辣(から)からず、藥に入るゝに、堪へず。惟《ただ》、花を收めて茗《ちや》とすべし。酒に浸し、鹽に漬け、及び、香茶・髮澤《はつたく》の類に作るのみ。』≪と≫。

[やぶちゃん字注:「佀」は「似」の異体字。「巵子」は「梔子」(クチナシ)の別語。]

『花【辛、温。】 「百藥煎(ひやくせんやく)」・「孜兒茶(ひきちや)」と同じく、膏餅《かうべい》に作り、噙(ふく)めば、津《つばき》を生じ、臭《くさき》を辟《さ》け、痰を化《くわ》し、䖝牙《むしば》の痛みを治す。』≪と≫。

△按ずるに、木犀の葉は、海石榴(つばき)に似て、畧(ちと)、長く、鋸齒、有り。五、六月、小花を開く。香《かをり》≪ある≫單《ひとへ》の淡白色≪のもの≫、此れ、所謂、「銀桂」か。未だ黃及び紅の者、見ざるなり。其の主治を考ふるに、則ち、「透頂香(とうちんかう)」・「外郞藥(ういらう《やく》」に入れて、可なり。

「𤲿譜」に云はく、『木犀の葉の邊《まはり》、鋸齒のごとくして、紋、麁《あら》き者、其の花、香《か》、甚し。灌《そそ》ぐに、楮糞《かうぞこえ》を以つてすれば、花、茂る。蠶沙(さんしや)を、之れに壅(こえ)して、亦た、可なり。

 

[やぶちゃん注:中国語の「木犀」は、

双子葉植物綱シソ目モクセイ科オリーブ連モクセイ属モクセイ Osmanthus fragrans 等の常緑香木の総称

である。既に何度も述べた通り、中国では「桂」の代表種の一つである。良安の「本草綱目」の初めの引用は、「卷三十四」の「木之一」「香木類」の「桂」の「集解」終りの部分からの引用で、「漢籍リポジトリ」のこちらの、ガイド・ナンバー[083-23b]を忠実に引用してある。「花」は[083-24a]でこれも確かな引用である。

「巖桂」これは、モクセイ科Oleaceaeの常緑小高木のうち、

モクセイ属モクセイ変種キンモクセイ Osmanthus fragrans var. aurantiacus

同属モクセイ変種ウスギモクセイ(薄黄木犀)Osmanthus fragrans var. thunbergii

同属モクセイ変種ウスギモクセイ品種ギンモクセイOsmanthus fragrans var. aurantiacus f. aurantiacus

)の総称であるが、一般には、特に最後のギンモクセイを指す

「箘桂《きんけい》」独立項で既出。

「巵子(くちなし)」リンドウ目アカネ科サンタンカ亜科クチナシ連クチナシ属クチナシ Gardenia jasminoides の異名漢字表記。その強い芳香は邪気を除けるともされ、庭の鬼門方向に植えるとよいともされ、「くちなし」は「祟りなし」の語呂を連想をさせるからとも言う。真言密教系の修法では、供物として捧げる「五木」(梔子・木犀・松・梅花・榧(かや:裸子植物門マツ綱マツ目イチイ科カヤ属カヤ Torreya nucifera )の五種の一つ。

「光潔《くわうけつ》」東洋文庫訳では、『光潔(つややか)な』と訓読している。

「銀桂」前掲のギンモクセイ。

「金桂」これは東洋文庫では、キンモクセイではなく、「アサギモクセイ」とするが、「アサギモクセイ」という独立種は存在しない。ネットを管見するに、これは前掲のウスギモクセイの異名であろう。松村忍氏のサイト「庭木図鑑 植木ペディア」の「ウスギモクセイ」の解説中に、『ややこしいが』、『中国ではウスギモクセイを「金桂」または「銀桂」と呼び、キンモクセイは「丹桂」、ギンモクセイは「桂花」と呼ぶ』とあった(太字は私が附した。

「丹桂」こちらが、現行のキンモクセイ(金木犀)の漢異名である。

「秋、花さく者、春、花さく者、四季、花さく者、月を逐《お》ひて、花さく者、有り」一般に「木犀」というと、既に述べた通り、本邦の現行では、普通は代表種としてギンモクセイを指すが、ギンモクセイの花期は、九月から十月で、花は白色である。キンモクセイも同期で、花はオレンジ色。アサギモクセイも九月であるが、宮崎県では時に二~三月に開花すると、「国立研究開発法人森林研究・整備機構 森林総合研究所 九州支所」の「ウスギモクセイ」にはあったので、中国は亜寒帯から熱帯まで広く、低地から高々度の高山まであることから、花期に大きな幅があり、こうした謂いになったものであろう

「茗《ちや》」「茶」に同じ。

「髮澤《はつたく》」東洋文庫訳では割注で『(かみをつややかにする)』とある。

「百藥煎(ひやくせんやく)」

「孜兒茶(ひきちや)」

「膏餅《かうべい》」

「噙(ふく)めば」口に含めば。

「津《つばき》」その刺激で唾液が盛んに出ることを言っている。

「臭《くさき》を辟《さ》け」口臭を抑え。

「痰を化《くわ》し」痰を除き。

「䖝牙《むしば》」「蟲齒」。

「海石榴(つばき)」良安の解説であるから、ツツジ目ツバキ科 Theeae 連ツバキ属ヤブツバキ Camellia japonica を指す。

「透頂香(とうちんかう)」薬の名。以下の「外郞藥(ういらう《やく》」、「外郎(ういろう)」に同じ。元の礼部員外郎で、応安年間(一三六八年~一三七五年)に日本に帰化した陳宗敬(他に延祐・順祖などの名が伝えられるが、詳細事績不詳)が、博多で創製し、後、外郎家を名乗り、その子孫が京都で製したという。室町時代に外郎家が北条氏綱に献上してから、相模国小田原の名物となった。口中を爽やかにし、頭痛を去り、痰を切ると言われ、また、戦陣の救急薬としたともいう。公家が冠の中に入れて髪の臭気を去るのに用いたところからの名である。歌舞伎の「外郎賣」の早口言葉で大ブレイクをした。現在も小田原に店舗があり、私も何度か行ったことがある。

「𤲿譜」「八種畫譜」。明の黄鳳池の編。「唐詩五言画譜」・「新鐫六言唐詩画譜」・「唐詩七言画譜」・「梅竹蘭菊四譜」・「新鐫木本花鳥譜」・「新鐫草本花詩譜」・「唐六如画譜」・「選刻扇譜」から成る。

「楮糞《かうぞこえ》」楮から作った肥料らしい。詳細不詳。ウィキの「コウゾ」によれば、『コウゾは、ヒメコウゾとカジノキの雑種』(交雑種)『という説が有力視されている』(学名もバラ目クワ科コウゾ属コウゾ Broussonetia × kazinoki 。)『本来、コウゾは繊維を取る目的で栽培されているもので、カジノキは山野に野生するものであるが、野生化したコウゾも多くある』。『古代においては、コウゾとカジノキは区別していない』とあった。

「蠶沙(さんしや)」蚕(かいこ)の糞。

「壅(こえ)」肥(こえ)。肥料。]

2024/05/08

柴田宵曲「古句を觀る」正規表現版電子化注 / 「夏」(22)

 

   蟲干や鼓にたゝく書物箱 此 山

 

 曝書といふと書物のみに限られるやうだが、蟲干といへば包含する範圍が廣くなる。この句は蟲干の中に於ける書物の場合である。

 本箱に入つた書物を皆出して、からになつたのをポンポンたゝく。それを鼓に見立てたのである。「鼓に」は「鼓の如くに」の意であらう。蟲干の最中に興じて鼓の眞似をしたとまで解さなくてもいゝ。埃を拂ふ爲に背中からポンポン打つ。それを鼓を打つやうだ、と云つたものと見ればよかたうと思ふ。

 本箱と云はずに書物箱といつたのは、字數の關係とも見られる。併しかういふ風に置かれて見ると、書物箱といふ言葉は言葉で、本箱とは違つた味ひを持つてゐるやうな氣がする。

 

   笈摺をかけて涼しや梛の枝 自 笑

 

「熊野道中」といふ前書がある。これが熊野道者[やぶちゃん注:「くまのだうじや」。]の風であることは、狂言の小歌にも「爰通る熊野道者の、手に持つたも梛[やぶちゃん注:「なぎ」。]の葉、笠にさいたも梛の葉、これは何方[やぶちゃん注:「いづかた」。]のお聖[やぶちゃん注:「ひじり」。]樣ぞ、笠の內がおくゆかし、大津坂本のお聖樣、おゝ勸進聖ぢや」とあるによつて明であらう。たゞこの句が稍〻明瞭でないのは、作者は熊野道中に在つて、かういふ道者の姿を描いたのか、作者自らも道者の群に加つてゐるのか、といふ點である。

 手にも梛の葉を持ち、笠にもさして通る。靑い梛の葉をかざす道者の姿を涼しと見た、とも解することが出來る。この場合はすべてが客觀の涼しさである。さういふ道者の一人として、笈摺をかけ、梛の葉をかざして見ると、身も心も涼しくなつたやうな氣がする、といふ風にも解することが出來る。この場合は大分主觀の加つた涼しさになる。いづれにしても道者の姿といふことは動かぬのであるが、「熊野道中」といふ前書と云ひ、「笈摺をかけて」の語が身に近く感ぜられるところから見て、後者と解するのが妥當ではあるまいかと思ふ。

 去來にも自ら順禮に出た經驗があつたらしく、「卯の花に笈摺寒し初瀨山」「順禮もしまふや襟に鮓の飯」といふやうな句が傳はつてゐる。自笑も或は自家の經驗によつてこの句を獲たのかも知れない。

[やぶちゃん注:「笈摺」「おひずり」。巡礼などが、着物の上に着る単(ひとえ)の袖無し。羽織に似たもの。笈で背が擦れるのを防ぐものとされる。左・右・中の三部分から成り、両親のある者は、左右が赤地で中央は白地、親のない者は、左右が白地で中央に赤地の布を用いた。「おゆずる」「おいずる」とも呼んだ(小学館「日本国語大辞典」に拠った)。

「自笑」泉屋自笑。加賀蕉門の俳人。例の芭蕉の山中温泉のタドジオ久米之助桃妖の叔父。私の『今日のシンクロニティ「奥の細道」の旅 69 山中や菊はたおらぬ湯の匂ひ』の私の「久米之助」の注を参照されたい。

「梛」裸子植物門マツ綱マツ目マキ科ナギ(梛)Nageianagi のこと(ナギ属とぜずにマキ属 Podocarpusに含める説もある)。ウィキの「ナギ」によれば、雌雄異株で『比較的温暖な場所に自生』し、高さは二十メートル程の巨木に達する。『葉の形は楕円状披針形で、針葉樹であるが広葉樹のような葉型である。若枝は緑色で葉を十字対生につけ、それがやや歪んで』二列に『並んだようになる。五月頃開花して十月頃になると、『丸く青白色の実が熟す。多くの場合、根に根粒を形成する』。『海南島や台湾、日本の本州南岸、四国九州、南西諸島などの温暖地方に分布する。しかし、紀伊半島や伊豆半島に生育する個体は古い時代に持ち込まれたものが逸出したものが起源と考えられる(史前帰化植物)。少なくとも春日大社のものは』千年以上前に『植栽されたとされている。生育は関東南部が北限といわれる。ただし、化石が関西近辺でも出土する』。『熊野神社及び熊野三山系の神社では神木とされ、一般的には雄雌一対が参道に植えられている。また、その名が凪に通じるとして特に船乗りに信仰されて葉を災難よけにお守り袋や鏡の裏などに入れる俗習がある。神社の中には代用木としてモチノキが植えている場合もある』。『造園木のほか、材を家具器具材や、床柱などとしても利用する』とある。私は北条政子が頼朝と逢瀬を重ねたと伝えられる伊豆権現、現在の静岡県熱海市伊豆山にある伊豆山神社で初めて知った。源頼朝と北条政子がその葉を変わらぬ愛の証に持ったとされるいわくつきの梛である。なお、ここでは「熊野行者」から、私は奈良春日大社の境内の景ではないかと考えている(ここは非常に珍しくも有意な林相を成していることから、大正一二(一九二三)年に国天然記念物に指定されている)。

『狂言の小歌にも「爰通る熊野道者の……』狂言「不聞座頭」(きかずざとう)の「續狂言記」巻之三所収での「聾座頭」の一節。]

「和漢三才圖會」植物部 卷第八十二 木部 香木類 桂

 

Katura

 

かつら  桂

     【和名加豆良】

     肉桂之桂名

      女加豆良

 

 

本綱桂葉如柏葉澤黒皮黃心赤謂之單字桂不藥入用

△按本朝有單字桂者其葉圓似萩葉而木心赤堅而

 易斫用作碁枰【名赤木】或爲木屐齒良尾州奧州及阿波

 土佐多出之蓋不似柏檜葉別此一種乎

 

   *

 

かつら  桂

     【和名「加豆良《かつら》」。】

     肉桂の桂《かつら》を、「女加

     豆良(めかつら)」と名づく。

 

 

「本綱」に曰はく、『桂は、葉、柏(かえ)の葉のごとく、澤《つややかなる》黒。皮、黃、心《しん》、赤≪し≫。之れを「單字桂《たんじけい》」と謂ふ。藥に、入用《にふよう》せず。』≪と≫。

△按ずるに、本朝に「單字桂」といふ者、有り。其の葉、圓《まろく》、萩の葉に似て、木≪の≫心、赤く、堅く、斫《はつり》易し。用ひて、碁枰《ごばん》に作る【「赤木《あかぎ》」と名づく。】或いは、木屐《ぼくり》の齒と爲《な》して、良し。尾州・奧州、及び、阿波・土佐、多く、之れを出だす。蓋し、柏・檜の葉に似ず。別に、此れ、一種か。

 

[やぶちゃん注:「桂」について、東洋文庫の後注には、『中国の桂はクスノキ科肉桂をさす。日本のカツラはカツラ科で、増淵法之氏(『日本中国植物名比較対照辞典』)によれば中國の連香樹とされる』とある。しかし、既に述べたが、再掲すると、漢方でニッケイの皮の薄いものを「桂皮」(ケイヒ)と呼ぶが、これは漢代に書かれた最古の本草書「神農本草經」の上品に「箘桂」及び「牡桂」の名で収載されている。本邦の国語辞典で、「桂」や「牡桂」を引くと、双子葉植物綱ユキノシタ目カツラ科カツラ属カツラ Cercidiphyllum japonicum の異名とするが、しかし、これは無批判に受け取ると、致命的な大火傷を受けるハメになる。そもそもが、

中国語の「桂」は元来は本邦の「カツラ」ではなく、全く別種である「肉桂」(ニッケイ)や、「木犀」

双子葉植物綱シソ目モクセイ科オリーブ連モクセイ属モクセイ Osmanthus fragrans 等の常緑香木の総称

だからである。而して、東洋文庫の編者が、本「桂」で、本来の中国の「桂」がモクセイをも指していることを指摘せずに、以上の「肉桂」をのみを指示する後注を附していることは、明らかに杜撰の極みと言うべきことなのである。先に示した注の『中国の連香樹』とは、中文ウィキ(正式サイト名は「維基百科」)の「(「連香樹」の簡体字表現)の右上の多言語検索「文A 25种语言」で「日本語」を開くまでもなく、それは確かに、本邦のウィキの「カツラ」なのであるが、

中文ウィキの「肉桂属」や、そこでリンクされている中文の各種ニッケイ属の種のページを見ると判るが、どこにも、ニッケイ属の解説に、完全な単体の漢字で「桂」と解説する記載は、載っていない

のである。これは、

中国では、少なくとも現在は、「ニッケイ属」を単に「桂」と記すことは一般的ではない

ことが判るのである。

 さて、本項の「本草綱目」の引用だが、今までと同じく、「卷三十四」の「木之一」「香木類」の「桂」の「集解」の記載のパッチワークである。「漢籍リポジトリ」のこちらの、ガイド・ナンバー[083-15a]の七行目以降を拾って見られたい。

「柏(かえ)」この良安のルビはするべきではなかったことは、もう、言うまでもない。「かえ」という訓は、本邦のヒノキ・サワラ・コノテガシワの古称であるからである。中国語の「柏」は本プロジェクト冒頭の「柏」で述べた通りで、中国と日本では、全く明後日の種群を指すからである。根っこで、この致命的誤謬が複数あるため、この錯誤は元気な亡霊どものように、何度も蘇ってくるのである。いちいち、注で示すのも面倒なので、そこはしっかり読者の方々が、各人、基礎批判の視点を保持し続けてお読み戴くよう、お願い申し上げるものである。

「單字桂」検索をかけても意味不詳。この名称は現代中国でも、現代の日本でも、生き残っていないようで、ネット検索自体にこの文字列では掛ってこない。国立国会図書館デジタルコレクションで検索したところ、物になりそうに見えたのは、「佩文韻府」卷六十~六十七(蔡升元 等編・明治一八(一八八五)年鳳文館刊)のここだったが(右丁後ろから七行目下方)、

   *

單字桂【本草陶弘景―――爲葉似柏者非也柏葉之桂非治病之桂也蘇類頌以欽州者爲――之―亦非也】

   *

で、「ちゃうちゃう!」の連続で話にならん! 良安の言う本邦のそれは、先に示したヒノキ・サワラ・コノテガシワのどれかのように私には思われる。ヒノキより柔らかく、加工しやすい(「斫《はつり》易し」)となると、サワラの可能性が高いように私には思われる。しかも、サワラ材には「白」とは別に、「赤味」と呼ぶ「くすんだ薄い黄褐色」の材があるからである。

「柏・檜の葉に似ず。別に、此れ、一種か」遂に良安は根本的錯誤に気づいていない。ちょっと、哀しいね。なお、次の項は「木犀花」(モクセイ)である。]

2024/05/07

譚 海 卷之十五 諸病妙藥聞書(10)

○手足いたむには、

 するめの黑燒、酒にて用(もちゆ)べし。

 

○ゆびのいたみ、治する藥。

 雄鼠糞(おすねづみのくそ)・梅仁、二味を、粉にして、「めしつぶ」にて、押しまぜ、紙につけて、指に、はるべし。「雄鼠のふん」は、角(かど)立(てて)て有(あり)、「めねづみのふん」は、丸(まろ)し。

[やぶちゃん注:いや、結構です。]

 

○「わきが」の藥。

 「はかり苔(のり)」、又、「猿のをがせ」とも、いふ【甲州七靣山。野州日光山に有(あり)。】。丹礬・樟腦、何れも、少しづつ。

 右、三味を、淸水にひたし置(おき)、度々、「わきが」のしたを、洗へば、「わきが」の根を、きり、一生、其氣《け》、なし。

 

○又、一方。

 石灰を、七日、酒にひたし置(おき)、三日、「わきが」のしたへ、付(つく)る也。但(ただし)、三日の内、湯水を飮(のむ)事を、いむ。

 

○足の腫(はれ)たるには、

黃柏(わうばく)・忍冬(にんとう)・蒴藿(さくてき)・枯たる杉の葉、四味、目方、各、等分。

 右、四味へ、酒粕五十目、鹽五十目、加へ、此六味、銅の大だらひなどへ、したゝか、水を入(いれ)、「たらひ」を、火にかけて、湯を、わかし、足を、「たらひ」の中へ入(いれ)て、きぬの「きれ」にても、木綿にても、ひたと、足を、あらふべし。

 此方、元來、紀州家、馬醫の名方也。享保中、台命(たいめい)にて、人に用(もちい)給ふ所、功驗、ことなるにより、よに、ひろめ給ふ、よし。

[やぶちゃん注:二行目が行頭から始まっているのは、ママ。特異点である。

「黃柏」ムクロジ目ミカン科キハダ属キハダ Phellodendron amurense の黄色い樹皮を乾した漢方生薬。

「忍冬」マツムシソウ目スイカズラ科スイカズラ属スイカズラ Lonicera japonica の棒状の蕾を、天日で乾燥したもの。漢方生薬名は「忍冬藤(にんどうとう)」とも言う。

「蒴藿」マツムシソウ目レンプクソウ科ニワトコ属ソクズ Sambucus chinensis当該ウィキによれば、『葉には、帯状疱疹、中耳炎、膀胱炎、リウマチ、神経痛に薬効があるといわれる』。『鹿児島県に伝わる民間療法では、葉をドロドロに潰して、帯状疱疹などの痛みや腫れ物の患部に汁を塗ると効果があるという』。『むくみ改善の利尿薬として』『煎じて、飲む用法が知られ』、『神経痛やリウマチには、乾燥した葉を煮詰めた汁を浴湯料として入浴する』とあった。

「台命」言わずもがな、吉宗。]

 

○足を、くじきたるを、治す方。

 忍冬・蓮葉・川柳・桃葉・桑葉

 右、五味、せんじ、其湯の中へ、「ゆのはな」を、一味、まぜて、たびたび、あらふベし。たゞし、冬は、此(この)桑なきゆゑ、此木の「えだ」を。けづり、せんじ、用(もちゆ)べし。

[やぶちゃん注:「川柳」キントラノオ目ヤナギ科ヤナギ属カワヤナギ Salix gilgiana 。因みに、当該ウィキの右手にある分類タクソン・リスト中の種の和名「ネコヤナギ」はトンデモ誤りだろ! 私は、とうの昔に、ある学術記載に明らかな誤りがあったので、親切に修正要請の指示を挙げたところ、原著者が削除したので投稿記事を削除するようにと、システムの機械指示で要求されたので、心底、阿呆らしくなって、永遠にウィキペディアンを辞めている。]

 

○足のふみぬきには、

 古たゝみのきれに、沈香(じんかう)、一味、くはへ、細末にして、水にて、とき、ぬりて、よし。

[やぶちゃん注:全くの偶然だが、本日午前中に、『「和漢三才圖會」植物部 卷第八十二 木部 香木類 沈香』を公開している。そちらを見られたい。ちっと、長いが、ね。]

 

○「雁(がん)がさ」のくすり。

 右、「バジリコン」、よし。此(この)膏(かう)、桑紙へ付(つけ)て、はりかへ、はりかへ、すべし。賣藥店(ばいやくみせ)は東海道川崎宿、いさこ町大坂屋又兵衞所(ところ)に有(あり)。貝に入(いれ)、十六せんづつ也。

[やぶちゃん注:「雁がさ」「雁瘡」皮膚病の一種。治り難く、痒みが激しい。雁が飛来する頃に生じ、去る頃には治るというので、この名がある。「がんさう(がんそう)」とも呼ぶ。アトピー性皮膚炎は環境の複合汚染によって現れた新しい病気であるという説が大手を振っているが、研究者の中には、古くからあったこの「がんかさ」が当該疾患であったという説を唱える方もいる。

「バジリコン」basilicão。蘭方薬の一種。オリーブ油・黄蝋・松脂・チャンなどから製した、吸出し膏薬。「バジリ」「バジリ膏」。

「東海道川崎宿、いさこ町」現在の神奈川県川崎市川崎区砂子(いさご:グーグル・マップ・データ)。]

 

○又、一方。

 接骨木(にはとこ)の古根を黑燒にして、おしろいの粉を、めぶん量にて、少し、くはへ、胡麻の油に、ときて、つくるなり。付(つけ)かへるときは、初(はじめ)のくすりを、赤肌になるまで、あらいおとして付(つく)れば、はやく治す。

[やぶちゃん注:「接骨木」「庭常」とも書く。双子葉植物綱マツムシソウ目ガマズミ科ニワトコ属亜種ニワトコ Sambucus racemosa subsp. sieboldiana 当該ウィキによれば、『日本の漢字表記である「接骨木」(ニワトコ/せっこつぼく)は、枝や幹を煎じて水あめ状になったものを、骨折の治療の際の湿布剤に用いたためといわれる。中国植物名は、「無梗接骨木(むこうせっこつぼく)」といい、ニワトコは中国で薬用に使われる接骨木の仲間であ』るとあって、『若葉を山菜にして食用としたり、その葉と若い茎を利尿剤に用いたり、また』、『材を細工物にするなど、多くの効用があるため、昔から庭の周辺にも植えられた』。『魔除けにするところも多く、日本でも小正月の飾りや、アイヌのイナウ(御幣)などの材料にされた』。『樹皮や木部を風呂に入れ、入浴剤にしたり、花を黒焼にしたものや、全草を煎じて飲む伝統風習が日本や世界各地にある』。『若葉は山菜として有名で、天ぷらにして食べられる』。但し、『ニワトコの若葉の天ぷらは「おいしい」と評されるが』、『青酸配糖体を含むため』、『多食は危険で』、『体質や摂取量によっては下痢や嘔吐を起こす中毒例が報告されている』とあった。『果実は焼酎に漬け、果実酒の材料にされる』とある。天ぷらを食べたことがある。]

 

○又、一方。

 雁(かり)の「ふん」を、くろやきにして、ごまのあぶらにて付(つけ)て、よし。「がんのふん」は、いなかへ、たのみやれば、いくらもあるもの也。

 

○「すねくさ」には、

 そば粉を、湯にて、ときて、付(つけ)てよし。

[やぶちゃん注:「すねくさ」「脛瘡」。脛(すね)に生じた湿疹。]

 

○「風疾(ふうしつ)」のくすり。

 うどんの粉に、「くちなし」の實を、きざみ、くはへ、玉子にて、ときて、足のいたむところへ、ぬりぬり、すれば、靑きいろになる也。これを「風しつ」の「しやう」とす。いかやうに、いたみ、つよきも、二、三日すぐれば、治る也。

[やぶちゃん注:「風疾」漢方で中風・リウマチ・痛風などのことを指す。「風病」「風患」と言う。]

 

○「たゝみこぶ」、はれ、いたむには、

 皮足袋(かはたび)を、常に、はきて、よし。

[やぶちゃん注:「たゝみこぶ」これは「疊瘤」で、正座を常時し続けることによって起こる、下肢に発生する瘤(こぶ)のことであろう。なお、畳職人の職業病に同名の疾患があるが、肩甲骨の辺が瘤のように膨らんでくるものである。]

「和漢三才圖會」植物部 卷第八十二 木部 香木類 箘桂

Kinkei

 

きんけい      筒桂 小桂

 

箘桂

          本草必讀有箘

          桂之圖與牡桂

          相反誤也今改

          正之

 

本綱箘桂葉如柹葉而尖狹光澤有三縱文而無鋸葉表

裏無毛其花有黃有白其皮薄而卷如筒故名筒桂其老

木皮及大枝皮堅版不能重卷味淡不入藥用小枝皮薄

而卷及二三重者良然主治與肉桂桂心迥然不同昔人

所服食者葢此類耳

皮【辛温】  養精神和顏色爲諸藥先聘久服輕身靣生光

 𬜻常如童子

△按箘桂𠙚𠙚植之呼曰肉桂木其形狀如上說伹葉匾

 本末狹尖緑澤而背色淡摘其葉經半時則縱文變赤

 黒色既黃枯者枝葉根皆辛温氣甚

眞肉桂葉如批杷葉者未見之

 

   *

 

きんけい      筒桂《とうけい》 小桂

 

箘桂

          「本草必讀」に「箘桂の圖」、

          「牡桂《ぼけい》」と相反《あ

          ひはん》し、誤りなり。今、

          之れを改正す。

 

「本綱」に曰はく、『箘桂《きんけい》は、葉、柹《かき》の葉のごとくして、尖り、狹《せば》く、光澤≪あり≫。三つの縱の文、有りて、鋸葉《のこぎりば》、無し、表裏、毛、無し、其の花、黃、有り、白、有り。其の皮、薄く、卷く。筒《つつ》のごとし。故《ゆゑ》、「筒桂《とうけい》」と名づく。其の老木《おいぎ》の皮、及び、大枝の皮、堅く版(いた)のごとくして、重《かさ》ね卷く能《あた》はず。味、淡く、藥用に入れず。小枝の皮、薄くして、卷きて、二、三重(がさ)ね及ぶ者、良し。然れども、主治、肉桂・桂心とは、迥-然(はるか)に同じからず。昔≪の≫人、服食≪せる≫所≪の≫者、葢《けだ》し、此の類のみ。』≪と≫。

『皮【辛、温。】  精神を養ひ、顏色を和《なごませ》、諸藥の先聘《さきがけ》と爲《な》す。久しく服すれば、身を輕《かろ》≪くし≫、靣《かほ》に光𬜻《くわうくわ》を生じ、常に童子のごとし。』≪と≫。

△按ずるに、「箘桂」、𠙚𠙚《ところどころ》に、之れを植ゑて、呼んで、「肉桂の木」と曰ふ。其の形狀、上の說のごとし。但し、葉、匾(ひらた)く、本《もと》・末《すゑ》、狹《せばく》、尖り、緑≪にして≫、澤《つややか》で、背《うら》の色、淡《あは》し。其の葉を摘(むし)りて、半時《はんとき》を經《ふ》れば、則ち、縱(たつ)の文《もん》、赤黒色に變ず。既に黃(きば)み枯《かる》る者は、枝・葉・根、皆、辛・温≪にして≫、氣、甚だし。

眞の「肉桂」、葉、批杷の葉のごときなる者、未だ、之れを見ず。

 

[やぶちゃん注:「箘桂」先行する「肉桂」で既出既注。そこに引用した真柳誠氏の見解によれば、現在、我々が普通に見るスティック状に加工されたシナモン・ニッキの原産種である、

双子葉植物綱クスノキ目クスノキ科ニッケイ属ジャワニッケイ Cinnamomum javanicum

であるとされる。良安の記載は、加工された樹皮が筒状とする点、まさに正しくそれを指していることがよく判る。実際の生木の画像は、M.Ohtake氏のサイト「四季の山野草」のこちらが、よい。

 なお、この「本草綱目」の引用は、「卷三十四」の「木之一」「香木類」の「箘桂」の記載である。「漢籍リポジトリ」のこちらの、ガイド・ナンバー[083-23a]の抜書である。

「本草必讀」東洋文庫の巻末の「書名注」に、『「本草綱目必読」か。清の林起竜撰』とある。なお、別に「本草綱目類纂必讀」という同じく清の何鎮撰のものもある。この二種の本は中文でもネット上には見当たらないので、確認出来ない。

「牡桂」既出既注。未だに、中文本草書で「桂」を「かつら」等と訓読みしている御仁は、必ず参照のこと

「先聘《さきがけ》」どうも「センヘイ」という音は気に入らなかったので、東洋文庫訳のルビに従った。

「光𬜻《くわうくわ》」東洋文庫訳のルビは『つや』である。]

譚 海 卷之十五 諸病妙藥聞書(9)

○乳を小兒にかまれ、いたむには

 「やまめ」といふ魚の、黑燒を付(つけ)て、よし。

[やぶちゃん注:条鰭綱サケ目サケ科サケ亜科タイヘイヨウサケ属サクラマス亜種ヤマメ(サクラマス)Oncorhynchus masou masou 。本種は、サクラマスのうち、降海せず、一生を河川で過ごす陸封型個体を指す。北海道から九州までの河川の上流などの冷水域に棲息する。詳しくは、私の『フライング公開 畔田翠山「水族志」 ヤマベ (ヤマメ)』がよかろう。]

 

○乳の疵、なをる方。

 蛇退皮(へびのぬけがら[やぶちゃん注:珍しい底本のルビ。])を黑燒にして、胡麻の油にて付(つく)べし。十月比(ごろ)、澤山に、ある也。但(ただし)竈(へつつい)にて燒(やく)べからず。いかやうの新しき鍋釜にても、卽座に、わるゝ也。心すべし。

[やぶちゃん注:最後のそれは、五行思想の「相生」(そうじょう)に拠る謂いである。「鍋釜」の鉄は「金」であり、蛇は「水」である。相生では「金生水」(きんしょうすい・ごんしょうすい)で、金属の表面に凝結が生じると水が生まれ、破れるのである。]

 

○乳のすくなきを澤山にする方。

 かたくりの粉を、湯に、ほだてて、砂糖を少し加へて、每朝、空腹に一杯づつ飮(のむ)べし。一ケ月ほどをへて、乳、出(いづ)る也。

[やぶちゃん注:「ほだてて」「攪(ほだ)てて」。搔き混ぜて。]

 

○腹痛する時、用(もちゆ)る丸藥。

 楊梅皮(やうばいひ)【五匁。】・胡根(ここん)【一匁。】・胡黃連(こわうれん)【三匁。】。

 右、三味、丸藥にして用(もちゆ)べし。

[やぶちゃん注:「楊梅皮」既出既注だが、再掲しておくと、山桃(ブナ目ヤマモモ科ヤマモモ属ヤマモモ Morella rubra )の皮。本州中部以南・朝鮮半島・台湾・中国などに分布する。山中で多く実をつけることから、「山百々」と呼ばれ、それが和名になった。夏に果実の紅熟したものを「楊梅」(ヨウバイ)、七~八月頃に樹皮を剝いで、天日乾燥したものを「楊梅皮」と呼んで、孰れも生薬とする。

「胡根」生薬として居られる「柴胡」(さいこ)のこと。セリ目セリ科ミシマサイコ属(或いはホタルサイコ属)ミシマサイコ Bupleurum stenophyllum の根。解熱・鎮痛作用があり、多くの著名な漢方方剤に配合されている。

「胡黃連」高山性多年草の、シソ目ゴマノハグサ科コオウレン属コオウレン Picrorhiza kurrooa(ヒマラヤ西部からカシミールに分布)及びPicrorhiza scrophulariiflora(ネパール・チベット・雲南省・四川省に分布)の根茎を乾かしたもの。古代インドからの生薬で、健胃・解熱薬として用い、正倉院の薬物中にも見いだされる。根茎に苦味があり、配糖体ピクロリジン(picrorhizin)を含むものの、薬理効果は不明である。なお、「黃連」があるが、これは小型の多年生草本である、キンポウゲ目キンポウゲ科オウレン属オウレン Coptis japonica 及び同属のトウオウレン Coptis chinensisCoptis deltoidea の根茎を乾燥させたもので、全く異なるものなので、注意が必要である。]

 

○腹のくだるとき、せんやく。

 蒼朮(さうじゆつ)・白朮(びやくじゆつ)・升麻(しやうま)・防風・干姜(かんきやう)・茯苓(ぶくりやう)

 右、六味、目方、各、等分。桂皮にても、肉桂にても、隨分、からきものを、右、六味、等分のめかたほど、加へ、甘草、少し加(くはふ)べし。

 右、八藥、二、三十貼(しやう)も用(もちゆ)べし。少々、服(ふくみ)候ては、功、なし。

[やぶちゃん注:「蒼朮」はキク目キク科オケラ属ホソバオケラ Atractylodes lancea の根茎の生薬名。中枢抑制・胆汁分泌促進・抗消化性潰瘍作用などがあり、「啓脾湯」・「葛根加朮附湯」などの漢方調剤に用いられる。参照したウィキの「ホソバオケラ」によれば、『中国華中東部に自生する多年生草本。花期は9〜10月頃で、白〜淡紅紫色の花を咲かせる。中国中部の東部地域に自然分布する多年生草本。通常は雌雄異株。但し、まれに雌花、雄花を着生する株がある。日本への伝来は江戸時代、享保の頃といわれる。特に佐渡ヶ島で多く栽培されており、サドオケラ(佐渡蒼朮)とも呼ばれる』とある。

「白朮」既出既注だが、再掲すると、キク目キク科オケラ属オケラ Atractylodes japonica の根茎。一般には、健胃・利尿効果があるとされる。

「升麻」同前で、「ショウマ」は漢方生薬。キンポウゲ目キンポウゲ科サラシナショウマ属サラシナショウマ Cimicifuga simplex の根茎を天日乾燥させたもの。ウィキの「サラシナショウマ」によれば、これは、『発汗、解熱、解毒、胃液・腸液の分泌を促して胃炎、腸炎、消化不良に効果があるとされ』、各種『漢方処方に配剤されている』とあり、さらに、『民間では』、一『日量』二『グラムの升麻を煎じて、うがいに用いられる』とする。さらに、『なお、本種に似たものや、混同されて生薬として用いられたものなど、幅広い植物にショウマの名が用いられている』とある。最後の部分は、ウィキの「ショウマ(植物の名)」も参照されたい。

「防風」セリ目セリ科ボウフウ属ボウフウ Saposhnikovia divaricata 。但し、本種は中国原産で本邦には自生はしない。されば、ここはセリ科ハマボウフウ属ハマボウフウ Glehnia littoralis を指していよう。

「干姜」当時の漢方では、修治されていないものも、修治されているものも含めた乾燥させたショウガの根茎を指す。

「茯苓」既出既注だが、再掲しておくと、菌界担子菌門真正担子菌綱ヒダナシタケ目サルノコシカケ科ウォルフィポリア属マツホド Wolfiporia extensa の漢方名。中国では食用としても好まれる。詳しくは「三州奇談卷之二 切通の茯苓」の私の冒頭注を参照されたい。]

 

○又、一方。「せんき」のくすり、「香感散」、よろし。

[やぶちゃん注:「香感散」国立国会図書館本も同じで、底本には注もないが、こんな名の漢方配合剤は、ない。知られた似たものに「香蘇散」がある。而して、「蘇」の崩し字と、「感」のそれは、崩し方によっては、よく似ている。私は「蘇」の津村の誤判読ではないかと思われる。詳しくはサイト「漢方ライフ」のこちらに詳しいので、見られたい。]

 

○又、一方。

 「むし」のかぶるとき、「せんぶり」といふ草、湯に、ふり出(いだ)して、飮(のむ)べし。

[やぶちゃん注:「むし」疳の虫。

「せんぶり」双子葉植物綱リンドウ目リンドウ科センブリ属センブリ Swertia japonica 当該ウィキによれば、『ゲンノショウコ、ドクダミと共に日本の三大民間薬の一つとされていて』、『昔から苦味胃腸薬として使われてきた、最も身近な民間薬の一つである』とあり、また、『和名』『の由来は、全草が非常に苦く、植物体を煎じて「千回振出してもまだ苦い」ということから、「千度振り出し」が略されて名付けられたとされている』。『その由来の通り』、『非常に苦味が強く、最も苦い生薬(ハーブ)といわれる』。『別名は、トウヤク(当薬)、イシャダオシ(医者倒し)ともよばれる』。『別名の当薬(とうやく)は、試しに味見をした人が「当(まさ)に薬である」と言ったという伝説から生まれたとされる』とあった。私は飲んだことがないが、小学生中学年から知識としては、よく知っている。所謂、植物の学習漫画の中に、それが出てきたからである。]

 

○又、一方。

 「かいそう」といふ海に有(ある)草、せんじて、飮(のん)で、よし。

[やぶちゃん注:子どもの疳の虫に効くとするなら、回虫駆除薬として知られる紅藻植物門紅藻植物亜門真正紅藻綱マサゴシバリ亜綱イギス目フジマツモ科アルシディウム連マクリ属マクリDigenea simplex ではないかと推定する。同種は、別名を「カイニンソウ」(海人草)と言うからである。]

 

○又、一方。

 江戶小日向、本法寺、大丸藥、よし。一粒、三せんづつ也。右、「かなつち」[やぶちゃん注:ママ。金槌。]にて、くだきおき、少しづつ、用(もちゆ)べし。

[やぶちゃん注:真宗大谷派高源山隨自意院本法寺。夏目漱石の実家の菩提寺として知られる。ここ漱石の「こゝろ」の「先生」の下宿先の一キロメートル西の直近位置である。漱石が、この周辺の土地勘があったことが、これで判る。

柴田宵曲「古句を觀る」正規表現版電子化注 / 「夏」(21)

 

   ほとゝぎす鳴や山田の日和虹 捨 石

 

 晝のほとゝぎすらしい。日和虹といふのは、雨も降らぬのにかゝる虹をいふのであらう。後の俳書に「日和虹」といふ名のがあつたかと記憶する。山田の空には鮮に日和虹がかゝり、ほとゝぎすの啼き渡る聲がする。爽な感じの光景である。

 俳人によつて開拓されたほとゝぎすの世界はいろいろあるが、最も多いのは配合の句で、それだけ又相似たものになり易い。その點から云ふと、この句の如きは配合物の上で明に傳統を破つてゐる。實感にあらずんば得難い趣であることは言を俟たぬ。

[やぶちゃん注:「日和虹」国立国会図書館デジタルコレクションの検索で調べたところ、一件だけ、明らかに俳諧選集である「日和虹」を見出せたが、通常閲覧が出来ない書籍であったので、書誌は判らない。江戸後末期の女流俳人市原多代女の句が入集している俳諧選集である。]

 

   笠はみな哥にかたぶく田植かな 松 葉

 

 笠を著連れた早乙女が一齊に歌をうたふ。その時笠が皆傾いて見える。同じやうな姿勢の下に田植歌がうたはれるといふのであらう。

「早乙女の笠かたぶけてうたひけり」とか、「うたふ時かたぶく笠や早苗取」とかいふ風に云つた方が、意味はよくわかるかも知れぬ。たゞ「笠はみな哥にかたぶく」と云ふと、表現が力强いのみならず、一齊に笠の傾く樣子が眼に浮んで來るやうに思ふ。

[やぶちゃん注:宵曲の言う通りで、これは、かなり離れた場所から、ワイドで撮り、早乙女の姿ではなく、笠だけが映像の主体であって、それが一斉に歌で傾くという極めて鮮やかな動的な景色をズーム・アップして素晴らしい。]

 

   振たてゝ柳に散や鵜の篝 林 陰

 

 鵜飼といふものは實際を見たことが無いから、はつきりしたことはわからぬが、舟が稍〻岸に近いやうな場合であらうか。鵜匠の振立てる松明の火の粉が岸の柳に散りかゝる、といふ意味らしく思はれる。何となく爽な趣である。

 鵜飼を詠んだ句の多くは、鵜若しくは鵜匠に集注する。この句は鵜匠の働きを描いて、多少變つた方角から見たところに特色がある。柳に散る篝火は美しいのみならず、涼しい感じをさへ伴つてゐる。

[やぶちゃん注:大胆なフレーム・アップで宵曲に激しく同感!]

 

   川狩や樽あづけたる宿はあれ 朋 水

 

 川狩といふと必ずしも晝夜を限定せず、夜振[やぶちゃん注:「よぶり」。]といふと夜の場合に限られる。この句は川狩を終えたら一杯やるつもりで、樽を預けて置いた、その宿は彼處だと云つて指すやうな意味だから、晝の場合のやうに思はれる。併し遙に燈火か何か見えて、あれがあの家だといふものとすれば、夜の場合でも差支無い。現在この句が描いてゐるところは、それだけの動作に過ぎぬが、その裏には出がけに樽を預けたといふことや、川狩をしてゐる間に自ら移動して、その家から遠くなつたといふことや、川狩が濟んだら一盃やろうといふことや、いろいろなものが含まれてゐる。寫生文を壓縮したやうな句である。

[やぶちゃん注:私は「一杯やるつもり」で昼でも夜でもなく、遅い夕景と採る。「夜振」だと、光りが少なく、画像として貧しい。]

 

   かたばみの花の盛や蟻の道 如 此

 

 かたばみの花は大して見どころのあるものではない。恐らく俳句以外、在來の詩歌の類には顧みられぬ種類のものであつたらう。本當の道ばた、市井の家の垣下などにも咲いてゐるものだけに、町中に育つた吾々にもこの草は親しい記憶がある。小さい胡瓜のやうな形の實に手を觸れて、そのはじけるのを喜んだ幼い日のことを思ひ出す。

 旱にめげぬかたばみの黃色い花のほとりに、ほそぼそと蟻の道が續いてゐる。花も小さければ、それに配した蟻も小さい。炎天の下にぢつと跼んで[やぶちゃん注:「かがんで」。]見入つたやうな小さな世界が、この句に收められてゐるのである。

[やぶちゃん注: 「かたばみ」カタバミ目カタバミ科カタバミ属 Oxalis亜属 Corniculatae 節カタバミ品種カタバミ Oxalis corniculata f. villosa 。花は黄色で、私の偏愛するものである。]

 

   短夜の碁を打分の名殘かな 喜 重

 

 人が來て碁を打つほどに、夏の夜はずんずん更ふけて行く。更けて行くばかりではない、もうしらしらと明けるのではないかといふ氣がする。先刻から何番打つたかわからぬが、未だ勝敗が決しない。名殘惜しいけれども、このまま打分[やぶちゃん注:「うちわけ」。]にするといふ句意である。

「名殘」といふ言葉は無論碁の上にかゝつてゐる。同時に心持の上に於て、明易き夜に通ふところがある。そこにこの句の巧があるのであらう。

 

「和漢三才圖會」植物部 卷第八十二 木部 香木類 肉桂

 

Nikkei

 

につけい  梫【音寢】 牡桂

 

肉桂

 

 

本綱肉桂交趾廣州及嶺南有之生必髙山之巓冬夏常

青其類自爲林能梫害他木更無雜樹桂有數種其葉長

如枇杷葉堅硬有毛及鋸齒三四月開白花九月結實其

皮匾廣薄而味淡多脂者牡桂【一名板桂】也 皮厚辛烈者

爲肉桂而稱官桂者乃上等供官之桂也 皮最薄者爲

桂枝 去肉桂内外皮者卽爲桂心【按此内外皮之内字爲衍文可也宜參考】

一種菌桂 葉如柹葉而尖狹光浄有三縱文而無鋸齒

 其花有黃有白其皮薄而卷【日本𠙚𠙚有肉桂樹卽此菌桂也詳于後】

藥性賦註曰其在下最厚者曰肉桂 去其麁皮爲桂心

 其在中次厚者曰官桂 其在上薄者曰薄桂 其在

 嫩枝四發者曰桂枝【皆於一樹上別之立名也】

[やぶちゃん注:以上にある「按此内外皮之内……」、「日本𠙚𠙚……」。「皆於一樹上……」の割注は、「本草綱目」のそれではなく、良安が読者のために補説して添えたものであるので注意されたい。

肉桂【辛熱有小毒】 入足少陰太陰經血分能下行而補腎也

【桂心入手少陰血分桂枝入足太陽經也】利肝肺氣霍亂轉筋頭痛腰痛出

[やぶちゃん注:以上の「霍亂轉筋頭痛腰痛」は時珍の脱字があると思われ、頭に「治」を補わないと、読めない。訓読では《 》で補った。]

汗補命門不足益火堅筋骨下部腹痛非此不能止

[やぶちゃん注:以下の四行続く割注は、全体が二字下げで続くのであるが、ここでそれを再現して示すことに意味を感じないので、二字下げ位置から初めて、ベタとした。]

 【得人參甘草麥門冬大黃黃笒調中益氣 得柴胡乾地黃療吐逆 雖有小毒何施與鳥頭附子爲使全取其熱性而已 與巴豆乾漆・穿山甲同用則小毒化爲大毒也】

  墮胎懷姙人不可用【炒過則不損胎】忌葱及石脂

△按本草肉桂之類諸說有異同今以時珍之說爲𢴃而

 肉桂官桂以爲二物者非也伹官桂最上之肉桂則今

 東京肉桂以可宛也東京【卽安南國交趾之別國也】之產肉厚長尺

 許纖裁以木皮縛之甚辣風味佳不粘舌也交趾之產

 次之【東京肉桂多桂枝少交趾桂枝多肉桂少】廣西潯州亦次之咬𠺕吧暹

 羅之產粘于舌近年中華舩亦有肉桂皆不及於東京

 今藥肆名官桂者皮如桂心皮而畧有艶潤而不甚辣

 自此一種與時珍之說不合


桂心

蒙筌云去外甲錯麁皮近木黃肉曰桂心【或謂去内外皮者非也】

△按肉桂桂心本一物也然今藥肆所販桂心多用倭桂

 出於薩州川内肉桂單名桂心用之皮厚香氣甚自唐

 來桂心香少蓋無肉與心之差別誤來而已

氣味【苦辛】 治九種心痛腹内冷氣痛不可忍止下痢通

 月閉及胞衣不下治癰疽痘瘡内托化膿


桂枝

桂枝乃肉桂木枝皮也其嫩枝小者爲柳桂

氣味【辛甘微温】 去傷風頭痛橫行手臂治痛風及心痛脇痛

 凡太陽病發熱汗出者此爲營弱衞強陰虛陽必湊之

 故皆用桂枝發其汗此乃調其營氣則衞氣自和風邪

 無所容遂自汗而解非桂枝能開湊理發出其汗也汗

 多用桂枝者以之調和營衞則邪從汗出而汗自止非

 桂枝能閉汗孔也【非若麻黃能開湊理發出其汗也】庸醫遇傷寒無汗

 者亦用桂枝誤之甚矣其柳桂尤宜入上焦藥用

△按一種有藁桂枝者不佳不可用

 

   *

 

につけい  梫【音寢】 牡桂

 

肉桂

 

 

「本綱」に曰はく、『肉桂、交趾(かうち)・廣州、及び、嶺南に、之れ、有り。必≪ず≫、髙山《かうざん》の巓《いただき》に生ず。冬・夏、常に青し。其の類、自(を《のづから》)林と爲《な》り、能く他木を梫害《✕→侵害[やぶちゃん注:但し、これは原文の時珍の誤字である。後注参照。]》して、更に、雜樹、無し。桂に、數種、有り。其の葉、長《たけ》、枇杷《びは》の葉のごとく、葉、堅硬≪にして≫、毛、及び、鋸齒(のこぎりば)、有り。三、四月、白花を開く。九月、實を結ぶ。其の皮、匾《ひらたく》、廣《ひろく》、薄くして、味、淡《あはく》、脂《あぶら》多≪き≫者は、「牡桂《ぼけい》」【一名、「板桂《ばんけい》」。】なり。』。 『皮、厚くして、辛烈《しんれつ》なる者、「肉桂」と爲《な》し、「官桂《くわんけい》」と稱する者は、乃《すなはち》、上等≪にして≫、官に供≪する≫の「桂」なり。 皮、最も薄き者を、「桂枝」と爲す。』。 『肉桂の内外の皮を去る者、卽ち、「桂心」と爲す。』【按ずるに、此の「内外の皮」の内の字、衍文と爲≪し≫て、可なり。宜しく參考すべし。】。

『一種「箘桂」 葉、柹《かき》の葉のごと≪くなるも≫、尖《とがり》、狹《せばく》、光浄《つやつや》≪として≫、三《みつ》の縱文《たてもん》有りて、鋸齒、無く、其の花、黃、有り、白、有り。其の皮、薄≪くして≫、卷く。』≪と≫【日本、𠙚𠙚《ところどころ》、肉桂の樹《き》有≪るも≫、卽ち、此れ、「菌桂」なり。後《あと》に詳らかにす。】。

『「藥性賦」の註に曰はく、『其≪それ≫、下に在りて、最も厚き者を「肉桂」と曰ふ。』。『其の麁皮(あら《かは》)を去り、「桂心」と爲す。』。 『其≪それ≫、中に在りて、次に厚き者を、「官桂」と曰ふ。』。 『其≪それ≫、上に在りて、薄き者を、「薄桂」と曰ふ。 其≪それ≫、嫩(わか)き枝に在りて、四《よ》もに發《はつ》≪する≫者を、「桂枝」と曰ふ。』≪と≫。』【皆、一樹の上に於いて、之れを別して、名を立つるなり。】。

[やぶちゃん注:以上にある「按此内外皮之内……」、「日本𠙚𠙚……」。「皆於一樹上……」の割注は、「本草綱目」のそれではなく、良安が読者のために補説して添えたものであるので注意されたい。

『肉桂【辛、熱。小毒、有り。】 足少陰太陰經《そくしやうたいいんけい》の血分《けつぶん》に入《い》り、能く下行して、腎を補≪する≫なり。』

『【「桂心」、手の少陰の血分に入り、「桂枝」、足の太陽經に入るなり。】肝・肺の氣を利し、霍亂《かくらん》・轉筋《こむらがへり》・頭痛・腰痛《を治し》、汗を出《いだ》し、命門《めいもん》の不足を補ふ。火《くわ》を益し、筋骨を堅め、下部の腹痛、此れに非ざれば、止《や》むこと、能はず。

『【人參・甘草・麥門冬《ばくもんとう》・大黃・黃笒《わうごん》を得れば、中《ちゆう》を調へ、氣を益す。』。 『柴胡《さいこ》・乾地黃《かんじわう》を得れば、吐逆《とぎやく》を療《れう》す。』。 『「小毒、有り。」と雖も、何ぞ施《せ》に鳥頭《うず》・附子《ぶす》を「使《し》」と爲《す》るは、全く、其の熱性《ねつせい》を取るのみ。』。 『巴豆《はづ》・乾漆《かんしつ》・穿山甲《せんざんかう》と同じく用ふれば、則ち、小毒、化《くわ》して、大毒と爲るなり。』。】

 『胎《たい》を墮《おろ》す≪ゆゑ≫、懷姙の人、用ふべからず【炒-過《よくいらば》、則ち、胎を損ぜざるなり。】。葱《ねぎ》、及び、石脂《せきし》を忌む。』≪と≫。

△按ずるに、「本草」、肉桂の類、諸說、異同。有り。今、時珍の說を以つて、𢴃《よりどころ》と爲せ≪ども≫、「肉桂」≪と≫「官桂」≪と≫、以つて、二物と爲《す》るは、非なり。伹し、「官桂」は、最上の「肉桂」≪なれば≫、則ち、今の「東京肉桂(トンキン《につけい》)を以つて宛《あ》つべし。「東京」【卽ち、安南國。交趾(カウチ)の別國なり。】の產は、肉、厚く、長(た)け尺許《ばかり》、纖(ほそ)く裁《たち》、木の皮を以つて、之れを縛(くゝ)る。甚だ、辣《からく》して、風味、佳《よ》く、舌に粘(ねば)らざるなり。交趾の產、之れに次ぐ【東京には、「肉桂」、多く、「桂枝」、少く、交趾には、「桂枝」、多く、「肉桂」、少なし。】。廣西の潯州《じんしう》も亦た、之れに次ぐ。咬𠺕吧(ヂヤガタラ)・暹羅(シヤム)の產、舌に粘る。近年は、中華の舩《ふね》にも、亦、肉桂、有り。皆、東京《トンキン》に及ばず。今、藥肆(くすりや)に、「官桂」と名づくる者は、皮、「桂心」の皮のごとくにして、畧《ほぼ》、艶(つや)・潤(うるほ)ひ有りて、甚《はなはだ》≪には≫辣(か)らからず。自《おのづか》ら、此れ、一種にして《→とするも》、時珍の說と合はず。


桂心(けいしん)

「蒙筌(まうせん)」に云はく、『外《そと》の甲錯《かうさく》≪せる≫麁皮《あらかは》を去る。木に近き黃肉《わうにく》を「桂心」と曰ふ【「或いは、内外の皮を去る。」と謂ふは、非なり。】。』≪と≫。

△按ずるに、「肉桂」≪と≫「桂心」、本《も》と、一物なり。然《しか》るに、今、藥肆《くすりや》、販(う)る所の「桂心」は、多くは、「倭桂《わけい》」を用ふ。薩州の川内(せんだい)より出《いづ》る。「肉桂」を、單《ひと》へに「桂心」と名《なづけ》て、之れを用ふ。皮、厚く、香氣、甚だし。唐《もろこし》より來たる。「桂心」は、香《かをり》、少なし。蓋し肉と心の差別無く、誤《あやまり》來《きた》るのみ。

氣味【苦、辛。】 九種の、心痛、腹内≪の≫冷氣痛≪のうち≫、忍ぶべからざるを、治す。下痢を止め、月閉《げつへい》及び胞衣《えな》の下らざるを通ず。癰疽《ようそ》・痘瘡《たうさう》を治す。内《うちに》托《たく》して、膿《うみ》に化《くわ》す。


桂枝(けいし)

桂枝は、乃《すなは》ち、肉桂木の枝の皮なり。其の嫩枝(わか《えだ》)の小さき者を、「柳桂」と爲す。

氣味【辛、甘。微温。】 傷風・頭痛を去り、手臂(てひぢ)に橫行して、痛風、及び、心痛・脇痛を治す。凡そ、太陽《たいやう》の病《やまひ》、發熱して、汗、出づる者は、此れ、營(えい)、弱(よは)く、衞(ゑい)、強(つよ)しと爲《な》す。陰虛すれば、陽、必ず、之れ≪に≫湊《あつ》まる。故《ゆゑ》≪に≫、皆、桂枝を用ひて、其の汗を發す。此れ、乃《すなは》ち、其の營氣を調へ、則ち、衞氣、自《おのづか》ら、和《わ》し、風邪《ふうじや》の容(い)るゝ所、無し。遂に自《おのづか》ら汗して、解す。桂枝、能く湊理(さうり)を開きて、其の汗を發出するに非ざるなり。汗の多くに桂枝を用ひるは、之れを以つて、營・衞を、調和するのみ。則ち、邪、汗に從ひて、出でて、汗、自《おのづか》ら止む。桂枝、能く汗≪の≫孔《あな》を閉づるに非ざるなり【麻黃《まわう》の能く湊理を開き、其の汗を發出するごときは、非なり。】庸醫(やぶいしや)、傷寒≪の≫、汗、無き者に遇ひても、亦、桂枝を用ふるは誤《あやまり》の甚だしき≪ものなり≫。其れ、柳桂は、尤も宜《よろ》しく上焦(じやうしやう)の藥に入れ、用ふべし。

△按ずるに、一種、「藁桂枝《わらけいし》」といふ者、有≪るも≫、佳《か》なら≪ざれば≫、用ふべからず。

 

[やぶちゃん注:この「肉桂」は常緑高木の、

双子葉植物綱クスノキ目クスノキ科ニッケイ属ニッケイ Cinnamomum sieboldii

である(近年の学名については、以下の引用を参照されたい)。私は、実際に生木を見た記憶がないので、学名のグーグル画像検索をリンクさせておく。当該ウィキによれば、『ニッキ、ニッケとも呼ばれる。かつては、中国南部・台湾原産とされていたが、自生種の存在も確認されている。日本へは享保年間』(一七一六年~一七三六年)『に中国から輸入され、盛んに栽培された』。『内樹皮が香料として使用される近縁のセイロンニッケイ Cinnamomum verum (シナモン)やシナニッケイ Cinnamomum cassia (カシア)とは異なり、樹皮には香りが弱いため』、『利用価値はないものの、根皮には香りがあり、辛味が強いため』、『香辛料として利用される』。『日本に自生するニッケイ属樹木の学名には混乱があ』り、嘗つては、『ベトナム原産のCinnamomum loureiroi Nees』『とされていたが』一九八〇『年代以降に』なって、『琉球や日本に自生する種はCinnamomum sieboldii Meisn.とされるようになった』。『江戸時代中期に、中国から渡来した桂皮の有用性が国内で認識され、各地でニッケイの栽培が始まった。この栽培種は、東南アジア原産種Cinnamomum loureiroi Nees(1836)と同一とみなされていたが、沖縄本島北部・徳之島などに自生する野生種と同一であると判明したため、近年では日本固有種として扱われるようになっている』。『これに伴い、学名をCinnamomum sieboldii Meisn. 又は Cinnamomum okinawaense Hatusima と表記する図鑑、書籍が増えている』。『江戸時代には、海外産の桂皮と同様に、国産ニッケイが医薬品として使われており』、「和漢三才圖會」・「大和本草」・「一本堂藥選」(香川修徳著)・「古方藥品考」(内藤尚賢著)・「重修本草綱目啓蒙」『などに記載がある。例えば』、「古方薬品考」には、

   *

邦產の者は辛味唯根に有り。故に根皮の桂と稱す。今土佐薩州に出づる者は、色、紫赤色、紀州の產は赤色、凡そ、味、辛く、甘く、渋からざる者は用ふべし。和州城州諸州の產は下品なり。」(原漢文)

   *

『とあり、(樹皮ではなく)根皮が用いられたこと、当時の特産地が鹿児島・高知・和歌山であったことがわかる。 根皮の中でも、色、香り、味が部位によって異なるため、以下のように細かく分類して呼称された』。

   *

「松葉」:直径一センチメートル以下の根からとった根皮。

「上縮」(じょうちり):直径一~二センチメートルの根からとった根皮。

「中縮」(ちゅうちり):直径二~四センチメートルの根からとった根皮。

「小巻」:直径四~七センチメートルの根からとった根皮。

「荒巻」:直径七センチメートル以上の根からとった根皮。

「さぐり皮」:地上一メートルまでの幹皮。

   *

『ニッケイの商品名としては、土佐の』「縮々」(ちりちり)」や、『紀州の』「小巻」『等が良品として有名であった』。『また、独特の辛味を利用して』、「ニッキ水」・「ニッキ飴」・「八ツ橋」・「けせん団子」(ニッキの葉を小豆団子に巻いた鹿児島の和菓子)・「ニッキ餅」・「肉桂せんべい」など、『ニッキを配合した食品(和菓子など)が各地で作られた』。『和歌山県では、栽培最盛期の大正』一〇(一九二一)『年頃まで根皮』一万『貫、樹皮(桂辛)』五千『貫の生産があり、ドイツやアメリカにも生薬として輸出された。 一方、この頃、国産ニッケイの精油含量が中国産の桂皮に劣ると報告され』、『医薬品原料としての関心が薄まり始めた』。『昭和以降』は、『医薬品原料としての需要は徐々になくなり、和歌山県の生産量は、昭和』二二(一九四七)『年には』百『貫まで減じた』。『日本薬局方においては、第六改正(昭和』二十六『年発行)までは「日本ケイ皮」として収載されていたが、流通実績がないために次の改正から外され、現代においては、医薬品として使用されることはない。 また、食品原料としての流通も現在ではほとんどなくなり、上述した和菓子の製造においては、代替としてシナモンを用いているものが多い』。『ニッケイの風味は、香りの良い精油によるものであり、その品質は、精油含量や精油中のシンナムアルデヒド含量で評価されることが多い。海外産のセイロンニッケイやシナニッケイと比較して、ニッケイの精油含量は低いとされがち』『であるが、下表のように含量の多いニッケイ検体も報告されており』、『ニッケイの品質が』、『ほかのニッケイ属種より劣っているとは一概に言えない』。『根皮の精油には、シンナムアルデヒドのほか、クマリン、カンファ―などが含まれる』。『枝葉の精油には、リナロール、シンナムアルデヒド、ゲラニアール』『などが含まれる』。『シナモンと同様に、クマリンの過剰摂取は、肝障害のリスクを有する』とある。

 さて、良安の「本草綱目」の引用だが、「卷三十四」の「木之一」「香木類」の「桂」の中で書かれている、概ね、肉桂についての記載である。「漢籍リポジトリ」のこちらの、ガイド・ナンバー[083-14b]の「集解」及び「氣味」・「主治」を、例によって、パッチワークしたものなのであるが、ここでの良安の引用は、それが、分離してあるものを拾って繋げたことが、明確に判るように、一字字空けや、改行で判然とさせているのである。これは実は、本書の全水族部電子化注プロジェクトを行った時も、また、その後、各種動物類全部を電子化注した際にも、このような仕儀を原文に見ることは殆んど全くなかったから、非常な特異点と言えるのである。これは、これも特異点なんであるが、「本草綱目」の引用中に、これまた、極めて特異的に良安が割注をしていることとともに、例外的に最後に「時珍の說と合はず」と結んでいることから判る通り、ここで、良安は、極めて批判的に引用を選び、その矛盾点を剔抉しているのである。やったね! りょうちゃん!!!

「交趾(かうち)」コーチ。「跤趾」「川内」「河内」とも漢字表記した。元来は、インドシナ半島のベトナムを指す中国名の一つ。漢代の郡名に由来し、明代まで用いられた。近世日本では、ヨーロッパ人の「コーチ(ン)シナ」という呼称用法に引かれて、当時のベトナム中部・南部(「広南」「クイナム」等とも呼んだ)を、しばしば、「交趾」と呼んだ(どこかの自民党の糞老害政治家石原某は今も使っている)。南シナ海の要衝の地で、朱印船やポルトガル船・中国船が来航し、中部のホイアン(グーグル・マップ・データ。以下、無指示は同じ)などに日本町も栄えた(主文は山川出版社「山川 日本史小辞典」に拠った)。

「廣州」現在の広東省、及び、その西の広西チワン族自治区(前者は狭義には広州市)相当。

「嶺南」中国の南部の南嶺山脈(「五嶺」)よりも南の地方を指す古くからの広域地方名。現在の広東省・広西チワン族自治区・海南省の全域と、湖南省・江西省の一部に相当する。部分的に「華南」と重なっている。地方域は参照したウィキの「嶺南(中国)」にある地図を見られたい。

「梫害《✕→侵害》」時珍の誤字。「漢籍リポジトリ」の[083-14b]の「桂」「牡桂」の最終行に、

   *

埤雅云桂猶圭也宣導百藥為之先聘通使如執圭之使也爾雅謂之梫者能害他木也

   *

とある。この「梫」は、日中辞書によれば、古書中に登場するニッケイを意味する感じであるが、この漢字には「侵」(おかす)の意味はない。直前の「爾雅」の引用に「梫」に引かれて、「侵」と書くところを間違えたものと断ずるものである。

「枇杷の葉」バラ目バラ科ナシ亜科シャリンバイ(車輪梅)属ビワ Rhaphiolepis bibas の葉は、厚く、堅く、表面が凸凹しており、葉脈ごとに波打ち、而して、葉縁には、波状の鋸歯がある。

『「牡桂《ぼけい》」【一名、「板桂《ばんけい》」。】』漢方でニッケイの皮の薄いものを「桂皮」(ケイヒ)と呼ぶが、これは漢代に書かれた最古の本草書「神農本草經」の上品に「箘桂」及び「牡桂」の名で収載されている。本邦の国語辞典で、「桂」や「牡桂」を引くと、双子葉植物綱ユキノシタ目カツラ科カツラ属カツラ Cercidiphyllum japonicum の異名とするが、しかし、これは無批判に受け取ると、致命的な大火傷を受けるハメになる。そもそもが、

中国語の「桂」は元来は本邦の「カツラ」ではなく、全く別種であるこの「肉桂」(ニッケイ)や、「木犀」

双子葉植物綱シソ目モクセイ科オリーブ連モクセイ属モクセイ Osmanthus fragrans 等の常緑香木の総称

だからである。

「菌桂」真柳誠氏のサイト「MAYANAGI's Laboratory for the History of Medicine」の中の論文「中国11世紀以前の桂類薬物と薬名―林億らは仲景医書の桂類薬名を桂枝に統一した―」(『薬史学雑誌』三十巻二号一九九五年刊)の『3-2 菌桂』の部分に、『菌桂は本草に『本経』から収載されたが、形状記述はない。『別録』で初めて「無骨、正円如竹」と記され、これは前述の『山海経』郭璞注にいう「菌桂、桂員(円)似竹」ともおよそ合致する。ちなみに仁和寺本『新修』は菌桂でなく、箘桂と記す』。『この箘には竹の意味があり』、『菌と通じるので』、『菌桂(箘桂)とは竹筒状桂類薬の意味で呼ばれた名称だろう。『集注』の菌桂条で弘景は「正円如竹者、惟嫩枝破巻成円、猶依桂用、非真菌桂也」「三重者良、則明非今桂矣、必当別是一物」と注し、菌桂と桂はまったく別物と考えている。一方、『新修』菌桂条の注は「大枝小枝皮倶菌、然大枝皮不能重巻、味極淡薄、不入薬用」という。すると』七『世紀までの菌桂は桂(牡桂)と別植物で、その小枝の樹皮は重なり巻くが、大枝の樹皮は味が淡薄で重なり巻かず』、『使用不可だったらしい』。『他方、『新修図経』注は牡桂の葉が「長於菌桂葉一二倍」といっていた』。『現在の中国に自生する薬用桂類種で、葉の長さが牡桂すなわちC. cassiaやC. obtusifoliumの』二分の一から三分の一『なのは 』六~十センチメートルの『C. burmanniしかない』。『すると『新修』の』七『世紀以前の菌桂はC. burmanniの小枝の皮だった可能性が予測されよう。ところで現在スパイスとして使用されているシナモンスティックの大部分は、C. zeylanicumのセイロンニッケイとC. burmanniのジャワニッケイに基づく』。『製法は株から新出した若枝の皮を剥ぎ、コルク層を削り落として重ね巻き』、『紙巻きタバコほどの太さになっている。その形状はまさしく竹筒状で、唐代までの菌桂の文献記載と一致する。このシナモンスティックは辛味が弱くて甘味が強い食用で、辛味・甘味ともに強い薬用のC.cassiaの樹皮とは相当に違う。菌桂もシナモンスティック同様、香辛料だったのだろうか』。『本草の経文を見ると、桂条の『別録』と牡桂条の『本経』『別録』はいずれも治療効果に具体的病状を挙げる。ところが菌桂は『本経』に「主百病、養精神、和顔色、為諸薬先聘通使、久服軽身不老、面生光華、媚好常如童子」、と一般的な健康増進効果しか記されない。『別録』は菌桂の効果すら一切記載しない。すると菌桂は治療用ではなく、健康増進を目的とした香辛料だったに相違ない。『本経』上薬の秦椒が食用で、下薬の蜀椒が薬用という同様例もある。馬王堆医書以降、菌桂を配剤した処方が医方書にみえないのも当理由からであろう。一方、C. zeylanicumの葉長は』十五~二十センチメートルで、『『新修』がいう菌桂の葉長と合致しない。以上より、菌桂はC. burmanniに基づき、シナモンスティックと同様の製品だったらしいと判断できる』とあった。

「藥性賦」東洋文庫の巻末の「書名注」によれば、『一巻。付、病機賦一巻。明の劉全備(りゅうぜんび)撰』とある。

「足少陰太陰經」東洋文庫訳の後注では、『身体をめぐる十二経脈の一つ。足の少陰腎経と足の太陰肺経のこと。足の少陰腎経は足の小指の内側から出て足を上行して背を通り腎に入り膀胱と結ぶ。また腎から肝、さらに喉頭に至るもの、肺から心につなぎ胸に入るものがある。足の太陰脾経は足の拇指から出て内股をのぼり腹部に入って肺に至る。そこから横隔膜を通り咽喉から舌に分布する。支脈は胃から横隔膜をあがって心臓に達する』とある。

「手の少陰」同前で、『手の少陰心経。身体をめぐる十二経脈の一つ。手の少陰心経は心臓から出て小腸に入る。支脈は心臓から咽喉にのぼり眼球の後ろから脳に入る。もう一つは心臓から肺に入り前腕を通って小指の先端に行く』とある。

「足の太陽經」同前で、『身体をめぐる十二経脈の一つ。足の太陽膀胱経のこと。これは目頭から頭頂に行き、ここで二つに分かれて一つは耳へ。一つは脳から肩甲骨を経て腎に、 腎から膀胱へ入る。支脈は腰から分かれて腎部へ入り膝へ。もう一つ肩甲骨から脊柱に沿って下り股関節に入り膝に至って先のものと合流する』とある。

「霍亂」急性日射病で昏倒する症状や、真夏に激しく吐き下しする病気の古称である。後者は急性胃腸炎・コレラ・疫痢などの総称に該当するものとされる。

「轉筋」(てんきん)は読みを附した通り、「腓返り」。

「汗を出《いだ》し」必要十分な発汗を自然と惹起させ。

「命門」漢方の一派で「右腎」(うじん)を指す語。男子では、精を蔵し、女子は胞(子宮)に繋がり、生殖機能との関係が深いとされた。また、経穴の一つで、人体後面の腎のつく所とされる第二腰椎上にあるものをも言う(小学館「日本国語大辞典」に拠った)。東洋文庫割注では、『生命の源。右腎』とする。

「麥門冬《ばくもんとう》」単子葉植物綱キジカクシ目キジカクシ科スズラン亜科 Ophiopogonae 連ジャノヒゲ属ジャノヒゲ Ophiopogon japonicus の根の生薬名。現行では、これで「バクモンドウ」と濁る。鎮咳・強壮などに用いる。

「大黃」タデ目タデ科ダイオウ属 Rheum の根茎の外皮をり去って乾燥したもので、健胃剤・潟下剤とする。「唐大黄」と「朝鮮大黄」との種別がある

「黃笒《わうごん》」双子葉植物綱キク亜綱シソ目シソ科タツナミソウ属コガネバナ Scutellaria baicalensis の根の周皮を取り除き乾燥させた生薬。但し、当該ウィキによれば、副作用が有意に存在することが記されてある。

「柴胡」子葉植物綱セリ目セリ科ミシマサイコ Bupleurum scorzonerifolium(亜種としてBupleurum falcatum var. komarowi と記載するものもあり)の根の漢方の生薬名。解熱・鎮痛作用がある。大柴胡湯(だいさいことう)・小柴胡湯・柴胡桂枝湯といったお馴染みの、多くの漢方製剤に配合されている。和名は静岡県の三島地方の柴胡がこの生薬の産地として優れていたことに由来する。

「乾地黃《かんじわう》」「地黃」に同じ。解説すると長くなるので、「和漢三才圖會卷第五十二 蟲部 枸杞蟲」の私の注を見られたい。

「鳥頭《うず》」トリカブト(モクレン亜綱キンポウゲ目キンポウゲ科トリカブト属 Aconitum )のトリカブト類の若い根。猛毒で、殺虫・鎮痛・麻酔などの薬用に用いられる。「そううず」「いぶす」とも言う。

「附子《ぶす》」前の語と同義。先と同様の理由で、「只野真葛 むかしばなし (61)」の私の注を参照されたい。漢方ではトリカブト属の塊根を「附子」(ぶし)と称して薬用にする。

「使《し》」漢方・和方に於いて、「補助薬」を言う。「引藥」(いんやく)とも言う。

「巴豆《はづ》」「松」で既出既注。

「穿山甲《せんざんかう》」哺乳綱ローラシア獣上目鱗甲(センザンコウ)目センザンコウ科センザンコウ属  Manis の模式種で、中国を含む東アジアに広範に棲息するミミセンザンコウ Manis pentadactyla のうろこ状の甲状になった角質の表皮。当該ウィキによれば、体長は五十四~八十センチメートル程で、体重は二~七キログラム。前肢は力強く、鋭い爪を持つ。また、尾は筋肉質であり、巻き付けて、物を摑むことが出来る。頭部から背面、尾の先端にかけて茶~黄色の鱗で覆われている。『夜行性であり、単独で行動する。生活圏は地上及び樹上。動きは機敏で、巧みに樹に登る。力強い前肢と尾は樹上生活に適応した結果である。また、前肢は土を掘る事にも適応し、これで主食のアリやシロアリを探す。そして、長い舌を使ってこれらの昆虫を舐めとる』。『外的に襲われた際は』、『身体を丸めて身を守る』ことがよく知られている。『中華人民共和国やベトナムでは食用とされたり、鱗が皮膚病・乳の出が良くなる・癌などに効能がある漢方薬になると信じられている』。『食用や薬用の乱獲により、生息数が激減している』。『採掘・水力発電用のダムや道路建設による生息地の破壊、交通事故、イヌによる捕食による影響も懸念されている』。中国では一九六〇年~一九九〇年『代にかけて、生息数の』八十八~九十四%も『減少したと推定されている』とある。同種個体は古くは「鯪鲤」(りょうり)と呼ばれた。

「石脂《せきし》」ハロイ石(HALLOYSITE:ハロイサイト)。粘土鉱物の一種で、火山灰に含まれる硝子質成分より変質して生じたもの。電子顕微鏡下で観察すると、ボール状の形態を成す。現在は岐阜県中津川市八幡産のものが知られる。

「東京(トンキン)」紅河流域のベトナム北部を指す呼称であるとともに、この地域の中心都市ハノイ(旧漢字表記「河内」)の旧称。

「安南國」ベトナム北部から中部を指す歴史的地域名称で、唐代に置かれた安南都護府に由来する呼称。

「廣西の潯州《じんしう》」現在の広西チワン族自治区桂平市一帯。

「咬𠺕吧(ヂヤガタラ)」インドネシアの首都ジャカルタの古称。また、近世、ジャワ島から日本に渡来した品物に冠したところから、ジャワ島のこと。

「暹羅(シヤム)」タイの旧称。シャムロ。「暹」国と「羅」国が合併したので、かく漢字表記した。本邦では、私の世代ぐらいまでは、結合双生児を「シャム双生児」と呼んだが、これはサーカスの見世物のフリークスとして知られた胸部と腹部の中間付近で結合していた「チャン&エン・ブンカー兄弟」(Chang and Eng Bunker 二人とも一八一一年~一八七四年)が、たまたまシャム出身であることによった呼称であり、地域差別を助長する差別用語として死語にすべきものである。

桂心(けいしん)

「蒙筌(まうせん)」「本草蒙筌」。明の陳嘉謨(ちんかぼ)の撰になる実用を主眼とした本草書。一五六五年刊。

「甲錯《かうさく》≪せる≫」カサカサしていることを言う。麁皮《あらかは》を去る。

「薩州の川内(せんだい)」現在の鹿児島市川内市

「月閉《げつへい》」あるべきメンスが起こらない病的な月経閉塞症。

「癰疽《ようそ》」悪性の腫れ物。「癰」は浅く大きく、「疽」は深く狭いそれを指す。

「痘瘡《たうさう》」疱瘡。天然痘。

「内《うちに》托《たく》して」体内の正常な働きとして内に取り込ませる働きを促進させて。

「傷風」高熱を伴う風邪の一種。東洋文庫はそのまま訳で用いているが、「破傷風」と誤読する惧れがあるので、感心しない。

「太陽《たいやう》の病《やまひ》」東洋文庫訳の後注では、『体表面にあらわれる病症。太陽経』(たいようけい)『を外邪がおかすので、発熱・悪寒・頭痛がおこり、浮脈』(指先で脈を見る際、軽く圧迫しただけで、浅い箇所で強く「ドクン!」と感じられる脈を言う)『がみられる』病態とある。

「營(えい)」漢方で血とともに脈中を流れる気。脾胃によって飲食物から産生され、血液とともに流れるとされる。

「衞(ゑい)」体表を保護し、外邪の侵入を防衛する気。脈の外を流れると考えられた。これは現代医学の皮膚や粘膜が持つ免疫機能と、よく一致する。

「麻黃《まわう》」中国では、裸子植物門グネツム綱グネツム目マオウ科マオウ属シナマオウEphedra sinica(「草麻黄」)などの地上茎が、古くから生薬の麻黄として用いられた。日本薬局方では、そのシナマオウ・チュウマオウEphedra intermedia(中麻黄)・モクゾクマオウEphedra equisetina(木賊麻黄:「トクサマオウ」とも読む)を麻黄の基原植物とし、それらの地上茎を用いると定義している(ウィキの「マオウ属」によった)。

「上焦(じやうしやう)」伝統中国医学における仮想の「六腑」の一つ「三焦」(さんしょう)の一部。「上焦」は心・肺を含み、その生理機能は呼吸や血脈を掌り、飲食物の栄養分(飲食水穀の精気)を 全身に巡らし、全身の臓腑・組織を滋養する器官とされる。

「藁桂枝《わらけいし》」不詳。

 なお、以下、「箘桂」・「桂」の立項が続く。]

2024/05/06

父と母の結婚式で配られた木製燐寸

昨日、例によってエンドレスの遺品片付けをしていたら、抽斗の中から、小さな燐寸がぎっしり入った燐寸箱を見つけた(父は死の間際まで「煙草が吸いたい」というほどのヘビー・スモーカーであった)。よく見ると――それは――父と母の結婚式(父が属していた中央合唱団総出演の文字通り賑やかな結婚式であったという)で配られた総木製のオリジナルなものだった――お披露目しておく――

 

Matti

Mattiutibako

2024/05/05

「和漢三才圖會」植物部 卷第八十二 木部 香木類 杉

 

Sugi

 

すぎ       煔【音杉】沙木

         㯳木

【音衫】   【和名須木】

サン       言經直木也

本綱杉類松而徑直葉附枝生其葉硬微扁如針結實如

楓實其木有赤白二種赤杉實而多油白杉虛而乾燥有

斑紋如雉者謂之野雉班作棺尤貴其木不生白蟻燒灰

[やぶちゃん字注:「班」は「斑」の良安の誤字。訓読では訂した。]

最發火藥人家常用作桶板甚耐水江南人驚蟄前後取

枝揷種出倭國者謂之倭木不及蜀黔諸峒所產者尤良

[やぶちゃん字注:「黔」は底本では、異体字の、下の(れっか)が(へん)にも及ぶ字体である。]

杉材【辛微温】 治毒瘡煮湯洗之無不瘥又治小兒陰腫燒

 灰入膩粉清油調傅効

[やぶちゃん注:「効」は六画目が(つくり)の下にまで伸びている字体。]

                       後京極

 夫木 杦深き片山陰の夕凉みよそにそ過る夕立の雲

[やぶちゃん注:この短歌、「夕凉み」「夕立の雲」の二箇所を誤っており、「した涼み」「夕立のそら」が正しい。訓読では訂した。

△按杉人家植者有二種唐杉葉柔江戸杉葉小硬色淡

 並仲冬爲紅葉三月復青葉五月結實纍纍七八攅生

 細梂青色秋黃枯色二月可下種三月可揷枝四月可

 移植最爲材之長老杉板有雲水之橒爲水桶能耐水

 盛酒酒味美而久不敗羽州秋田長木澤多作出桶木

 ㊉※如此四或六或八割長五六尺余名保太木或名

[やぶちゃん字注:「㊉」は上下左右が尖りなく、「○」に「+」が接した図である。「※」は「○」に(「×」+「-」)を「○」に接した図である。

 鼈木背隆似鼈之甲也最長大者用爲船檣【周三丈余大木亦有】

杉木節 治膁瘡黑爛者用老杉節燒灰麻油調隔𥬡葉

貼之絹帛包定數貼而癒

杉木皮 治金瘡血出及湯火傷燒存性研傅之或入雞

 子清調傅一二日癒又包蔀戸及壁用杉皮耐久

杉木脂 本草不載其主治然蠻人【名阿毛牟夜久牟】入膏藥中

 用之蓋𢴃杉材杉節之功可推知

 

   *

 

すぎ         煔【音、杉《サン》】 沙木《さぼく》

           㯳木《けいぼく》

【音、「衫」。】 【和名「須木《すぎ》」。】

           言ふこころは、

サン         「經-直木(すぐのき)」なり。

 

「本綱」に曰はく、『杉は松の類にして、徑直《けいちよく》なり。葉、枝に附きて生ず。其の葉、硬く微《わづかに》扁にして、針のごとし。實を結ぶ。楓《かへで》≪の≫實のごとし。其の木、赤・白の二種、有り。赤杉は、實《じつ》にして、油、多し。白杉は、虛《きよ》にして、乾燥なり。斑紋、有り、雉《きじ》のごとくなる者、之れを「野雉斑(きじまだら)」と謂ふ。棺《ひつぎ》に作るに、尤も貴(たか)し。其の木、白蟻を生ぜず。灰に燒きて、最も火藥を發す。人家、常に用ひて、桶板《をけいた》に作る。甚だ、水に耐ふ。江南の人、驚-蟄(きさらぎ)の前後、枝を取りて、揷種(さし)《う》ふ、倭國に出づる者、之れを「倭木《わぼく》」と謂ふ≪も≫、蜀黔(しよくけん)の諸峒《しよどう》に產する所の者の尤も良きに及ばず。』≪と≫。

[やぶちゃん字注:「黔」は底本では、異体字の、下の(れっか)が(へん)にも及ぶ字体である。]

杉材(すぎのき)【辛、微温。】 毒瘡を治するに、湯に煮て、之れを洗へば、瘥《なほ》らざるといふこと、無し。又、小兒≪の≫陰、腫るるを治す。灰に燒きて、膩粉《はらや》を入れ、清油にて調へ、傅《つ》く。効、あり。

[やぶちゃん注:「効」は六画目が(つくり)の下にまで伸びている字体。]

                     後京極

 「夫木」 杦《すぎ》深き

        片山陰《かたやまかげ》の

       した凉み

          よそにぞ過(すぐ)る

                 夕立のそら

△按ずるに、杉は、人家に植うる者、二種、有り。「唐杉《からすぎ》」は、葉、柔らかなり。「江戸杉」は、葉、小さく、硬く、色、淡く、並びに、仲冬、紅葉となる。三月、青葉に復(かへ)る。五月、實《み》を結ぶ。纍纍《るいるい》として、七、八、攅生《むらがりしやう》ず。細かなる梂(ちゝり)、青色、秋、黃(きば)み、枯色《かれいろ》≪たり≫。二月、種を下《ま》≪く≫べし。三月、枝を揷すべし。四月、移植《うつしうう》べし。最も「材の長《ちやう》」たり。老杉《おいすぎ》の板には、「雲水」の橒(もく《め》)有り。水桶と爲《な》して、能く水に耐へ、酒を盛り《→るに》、酒の味、美《よく》して、久しく、敗《くさ》れず。羽州秋田、長木澤より、多く、桶木《をけぎ》を作出《つくりいだ》す。「㊉」「※」、此くのごとく、四つ、或いは、六つ、或いは、八つに割り、長さ、五、六尺余。「保太木(ほたき)」と名づく。或いは、「鼈木(すつぽんぎ)」と名づく。背(せ)、隆(たか)くして、鼈の甲に似たり。最も長《たけ》大なる者、用ひて、船≪の≫檣(ほばしら)と爲す【周《めぐり》三丈余の大木、亦、有り。】。

[やぶちゃん字注:「㊉」は上下左右が尖りなく、「○」に「+」が接した図である。「※」は「○」に(「×」+「-」)を「○」に接した図である。

杉木の節 臁瘡《れんさう》≪の≫黑く爛(たゞ)るゝ者を治す。老杉の節を用ひて、燒灰に≪し≫、麻油《ごまあぶら》に調へて、𥬡葉《わかば》を隔てて、之れを貼(は)り、絹≪の≫帛《ぬの》に包≪み≫定む。數貼《すはり》にして癒ゆ。

杉木の皮 金瘡《かなきず》・血出《けつしゆつ》及び湯-火-傷(やけど[やぶちゃん注:三字へのルビ。])を治す。燒きて、性《せい》を存《そん》≪じて≫、研《こなにし》て、之れを傅《つ》くる。或いは、雞子《けいらんの》清(しろみ)を入≪いれ≫、調≪へ≫、傅く。一、二日にして、癒ゆ。又、蔀戸(しとみど)及び壁を包むに、杉の皮を用ひて、久《きう》に耐ふ。

杉木の脂《やに》 「本草」に其の主治を載せず。然れども、蠻人【「阿毛牟夜久牟《アモンヤクン》」と名づく。】、膏藥の中に入れ、之れを用ゆ。蓋し、杉材・杉節の功に𢴃《よ》りて、推して知るべし。

 

[やぶちゃん注:これも、日中の「杉」の示す種が異なるので、安易に読むことは出来ない。「本草綱目」で言う「杉」は、中国南部に自生する(本邦にも植栽されている。渡来は江戸時代或いはそれ以前とされる)、

裸子植物門マツ綱ヒノキ目ヒノキ科コウヨウザン亜科コウヨウザン属コウヨウザン Cunninghamia lanceolata

であるのに対し(同種についての詳細は当該ウィキを見られたい)、本邦の「杉」は、

ヒノキ科スギ亜科スギ属スギ  Cryptomeria japonica

で、亜科タクソンで異なる全くの別種である。

「煔」の字の原義は「火が燃え上がる」であるが、大修館書店「廣漢和辭典」によれば、「名詞で『木の名』とし、『杉』とある。にしても、上記の通りであるから、本邦のスギではないと考えねばならない。

「「經-直木(すぐのき)」及び「本草綱目」の「徑直」もともに、「真っ直ぐに経(たて)にそそり立つこと」を意味する。

『「本綱」に曰はく、『杉は松の類にして、徑直《けいちよく》なり。……』「本草綱目」の引用は「卷三十四」の「木之一」「香木類」の「杉」である。「漢籍リポジトリ」のこちらの、ガイド・ナンバー[083-13a]の「集解」の「頌曰」の途中以降をパッチワークしたもの。但し、いちいち二重鍵括弧で分離するのは、労多くして、私の益がないので、やめた。向後も、そうする。悪しからず。

「楓《かへで》≪の≫實のごとし」これは、ちょっと戸惑った。東洋文庫訳は、この「楓」に『ふう』という音をルビしている。これは、明らかに本邦の「楓(かへで)」ではないことを示唆するための仕儀と見える。確かに、「楓」の字は、中国では、本邦の

ムクロジ目ムクロジ科カエデ属 Acer

を示す漢字ではなく、

ユキノシタ目フウ(楓)科フウ属フウ Liquidambar formosana

或いはフウ属を指すのである。実際にフウ属の果実の画像(当該種の日本語ウィキ)で見てみると、このように小さな毬(いが)のような多数の棘状の突起を、多数、出した実である。そこで本邦のウィキの「スギ」にある、「裂開した球果と種子」のボタニカル・アートを見ると、なんとなく、似ている(酷似しているわけでない)。一方、本邦の「カエデ」を見ると、御存知の通り、カエデの果実は、二枚のプロペラのような形をした形状であり、凡そ、スギの実とは似ていないのである。「じゃあ、何で、あんたは、ちょっと戸惑っただい?」と突っ込まれることと思うが、私は、取り敢えず、『中国では「楓」はフウでありカエデではない』という東洋文庫訳を検証するために、本邦のカエデ(楓)を中国では「楓」とは書かないことを確認しようとした結果である。本邦の真正の「カエデ」に対応する中文ウィキはこれだが、その標題は「枫属」であったからである。而して、この「枫」は「楓」の簡体字に他ならないからである。現代中国では、別種に対して「楓」と「」の字を用いているからである。正直、何となく、「ふ~ん……でも……これでええんかな? 中国の人は、勘違いせんのかねぇ?……」という気がしたからである。

「其の木、赤・白の二種、有り。赤杉は、實《じつ》にして、油、多し。白杉は、虛《きよ》にして、乾燥なり」この色による分類は、中文のフウに当たる「枫香树」には、「白楓」・「白膠香」の異名を載せるが、紅葉の箇所と、「花」を解説する文中に「赤」はあるものの、同属の異種とする記載はない。不審である。ちょっと思ったのは、木材にした際、赤みのあるねっちりした材と、白い乾燥した材の二種が得られるという意味かと思ったが、そうした記事を載せるものをネットでは見出せなかった。これまで、であるが、掟破りで申し訳ないが、本邦のスギ材には、白・赤があるのである。当該ウィキの「木材」の項に、『辺材は白色』(☜☞)『心材は』、普通、『淡紅から暗赤褐色(赤芯)だ』(☜)とあるのは、これ、気になる、ね。

「斑紋、有り、雉《きじ》のごとくなる者、之れを「野雉斑(きじまだら)」と謂ふ」これは明らかに木材に加工した際の「節」のある部分のこおを言っていると私は推定する。さればこそ、前の「赤・白の二種」も材質を言っていると考えたのである。

「棺《ひつぎ》に作るに、尤も貴(たか)し」これも推測だが、フウの樹脂は独特の香りを持つとあるから、或いは、死臭を誤魔化す効果があるからではなかろうか?

「最も火藥を發す」火薬の発火剤として最適であることを言う。

「驚-蟄(きさらぎ)」二十四節気の第三の「啓蟄」のこと。「二月節」(旧暦一月後半から二月前半)で、現在のグレゴリオ暦では三月八日頃に当たる。

「倭木《わぼく》」東洋文庫訳ではここに割注し、『(カワイスギ)』とする。私が植物記載では古くから最も信用するサイト「跡見群芳譜」の「外来植物譜」の「かわいすぎ」によれば、本種は、

ヒノキ科スギ属カワイスギ Cryptomeria fortunei

で、漢名「柳杉」(りゅうさん)』で、『漢語別名』を『長葉柳杉』と言う。『スギは、かつては』一『属』一『種、日本の特産と考えられたが、近年』、『華東に自生品が見出された。これを日本のスギの変種 C.japonica var. sinensis 、或は別種の C.fortunei とする』とあり、『浙江(天目山)・江西(廬山)・福建(北部)に自生』し、『中国では、樹皮を薬用にする』とあった。また、ウィキの「スギ」の「分類」の冒頭には、『中国南部の浙江省(天目山)、福建省(南平市)、江西省(廬山)、四川省、雲南省にはカワイスギとよばれるスギ属の植物が分布しており』、『スギとは別種(Cryptomeria fortunei Hooibr. ex Billain(1853))とされることもあるが』、普通、『スギの変種(Cryptomeria japonica var. sinensis Miq.(1870))とされる』。『形態的には、葉が細く著しく内曲し、雄球花は基部の葉よりも短く、種鱗先端の歯牙があまり尖らず、果鱗は約』二十『個で』、『それぞれ』二『個の種子をつける点で基準変種(Cryptomeria japonica var. japonica)と異なるとされる』。『しかし、形態的および遺伝的には日本に分布するスギの変異内に含まれるともされ、分類学的に分けないこともあり、また中国に分布するものは自生ではなく』、『植栽起源とされることもある』とあった。日中の種違いの流れが、ここで、本邦の真正のスギとの接点が見出された。「可愛い過ぎ」! よかったね! 良安先生!

「蜀黔(しよくけん)」長江上流の旧「蜀」(現在の四川省成都市附近)と旧「黔」(貴州省附近)。

「諸峒《しよどう》」中国南西地方に住む少数民族の名。また、少数民族の居住地の総称。

「毒瘡」梅毒を「瘡毒」というが、ここは悪性の瘡(かさ)や癌を指すか。

「小兒≪の≫陰」小児の陰部が腫れる病気。男子の、であろう。

「膩粉《はらや》」「輕粉」とも書き、「けいふん」「はやや」等とも呼んだ「粉白粉」(こなおしろい)・伊勢白粉のこと。白粉以外に、顔面の腫れ物・血行不良及び腹痛の内服・全般的な皮膚病外用薬、さらには梅毒や虱の特効薬や利尿剤として広く使用された。本邦では、伊勢松坂の射和(いざわ)で多く生産された。成分は塩化第一水銀Hg₂Cl₂=甘汞(かんこう)であり、塗布でも中毒の危険性があり、特に吸引した場合、急性の水銀中毒症状を引き起こす可能性がある。現在は使用されていない。]

「夫木」「後京極」既出既注の「夫木和歌抄」の平安末から鎌倉初期にかけての公卿・歌人で、関白九条兼実の次男。官位は従一位・摂政・太政大臣であった九条良経の一首。「卷二十九 雜十一」に所収する。「日文研」の「和歌データベース」で確認した(同サイトの通し番号で「13904」)。そこでは、確かに、

   *

 すきふかき かたやまかけの したすすみ

       よそにそすくる ゆふたちのそら

   *

となっている。

「唐杉《からすぎ》」漠然とした中国伝来の杉類のことか。とすれば、既に述べた通り、スギ科・スギ属でない可能性が、いや高い。

「江戸杉」本邦でスギが大々的に人為植栽されたのは江戸時代である。

「梂(ちゝり)」球果。

「羽州秋田、長木澤」東洋文庫訳の割注では、現在の『秋田県角館市』とするが、角館市には「長木沢」という地名は現存しない。候補は同市街の北にある「真木沢」(グーグル・マップ・データ航空写真)か?

「保太木(ほたき)」「榾木」か。

「鼈木(すつぽんぎ)」「柀」で既出だが、所持する辞書にも載らず、ネットでも掛かってこない。しかし、意味は判る。粘りの強い材質を意っているものであろう。

「臁瘡《れんさう》≪の≫黑く爛(たゞ)るゝ者」東洋文庫訳の割注では、『脛骨部にできる潰瘍』とある。

「阿毛牟夜久牟《アモンヤクン》」不詳。東洋文庫も注しない。]

2024/05/04

「和漢三才圖會」植物部 卷第八十二 木部 香木類 富士松

 

Hujimatu

 

ふじまつ   富士松【俗】

 

落葉松

       布之末豆

 

衡嶽志云繁葉如刺栢霜後盡脫故名落葉松

△按落葉松春生葉七刺或五刺如括成細小而軟淡綠

 色可愛信州木曽及富士山有之故俗名富士松京師

 移種之呼曰姫小松多難長

一種蝦夷松 似富士松而葉畧長其色亦㴱至冬落葉

[やぶちゃん注:「㴱」は「深」の異体字。]

 出於蝦夷地奧州松前有之

 

   *

 

ふじまつ   富士松【俗。】

 

落葉松

       「布之末豆《ふじまつ》」

 

「衡嶽志《こうがくし》」に云はく、『繁≪れる≫葉、刺栢(びやくしん)のごとく、霜の後《あと》、盡(ことごと)く、脫す。故に「落葉松」と名づく。

△按ずるに、落葉松《ふじまつ》は、春、葉を生じ、七刺《しちし》、或いは、五刺≪づつ≫、括(くゝ)り成(なす)がごとく、細小にして、軟≪らか≫。淡綠色、愛すべし。信州《の》木曽、及び、富士山、之れ、有り。故に、俗、「富士松」と名づく。京師、之れ≪を≫移種《うつしうゑ》、呼んで、「姫小松《ひめこまつ》」と曰《いふ》。多≪くは≫、長《ちやう》じ難《がた》し。

一種「蝦夷松(ゑぞ《まつ》[やぶちゃん注:ママ。]」 「富士松」に似て、葉、畧《やや》、長く、其の色≪も≫亦、㴱《ふか》し。冬に至≪りて≫、葉を落《おとす》。蝦夷《えぞ》の地に出づ。奧州松前、之れ有り。

 

[やぶちゃん注:「ふじまつ」「富士松」「落葉松」は、「唐松」と漢字表記するが、中国には植生しない、日本固有種である、

裸子植物門マツ綱マツ目マツ科カラマツ属カラマツ Larix kaempferi

である。既に前項で述べたが、標準和名の漢字表記は、当該ウィキによれば、『唐絵(中国の絵画)のマツに似ていることが名前の由来である』とあり、『別名、フジマツ』とある。どう考えても「からまつ」の頭空っぽみたような感じは、厭! 「富士松」の方が、ゼッタイ! いい!

『京師、之れ≪を≫移種《うつしうゑ》、呼んで「姫小松《ひめこまつ》」と曰《いふ》』「姫小松」を「富士松」(=「落葉松(からまつ)」=「唐松」=落葉針葉樹カラマツ)を移植したというは、良安の大誤り。カラマツとは、属の異なる全くの異種で常緑針葉樹

マツ属ヒメコマツ Pinus  parviflora var. parviflora

である。ヒメコマツは高山に生じているマツ属ゴヨウマツPinus parviflora の基変種である。ヒメコマツは丈が低く、低地にかけて生じているゴヨウマツよりも姿形が小さいから、「多≪くは≫、長《ちやう》じ難《がた》し」というのと、この部分だけは外見上、部分一致しているように見えるだけである。誤った――十把一絡げマツ観念――に拠ってである。

「蝦夷松」エゾマツを「富士松」(カラマツ)と類縁種とするのも良安の大誤りパート2だ! エゾマツは、

マツ科トウヒ属エゾマツ Picea jezoensis var. jesoensis

であって、またしても属レベルで他人なのだ! なお、さらに、言っておかねばならぬ! 東洋文庫の注は、前者のヒメコマツがカラマツとは全くの別種であることは、後注で指摘しているが、エゾマツもカラマツと同系種としている良安の錯誤を全く指摘していないのだ。こりゃあ、一発退場、レッド・カードだべ!?! 「人を呪わば穴二つ」!!!(と言っている私も「松」で学名の一部を大誤りしていたのを、さっき慌てて直したばかりじゃて、同じ諺は私へ「鏡返し」でんな……)

「和漢三才圖會」植物部 卷第八十二 木部 香木類 五葉松

 

Goyoumatu

 

ごえふのまつ   五鬣 五粒

         五刺 五針

五葉松

         三葉者亦有

 

 

△按其樹皮細宻亦葉細小軟刺淡色其材濃膩作板工

 匠代檜下野日光飮食机是也

 

   *

 

ごえふのまつ   五鬣《ひげ》 五粒《りう》

         五刺《し》 五針《しん》

五葉松

         三葉の者、亦、有≪り≫。

 

 

△按ずるに、其の樹・皮、細宻《さいみつ》≪にして≫、亦、葉、細かに小さく、軟《やはらか》なる刺、淡色。其の材、濃(こまや)かに≪して≫、膩《つや》≪あり≫。板に作《な》し、工匠、檜に代《か》ふ。下野《しもつけ》の日光≪の≫、「飮食机(をしき)」、是れなり。

 

[やぶちゃん注:これは、既に前の「松」で注した、日本固有種で、本州東北地方東南部・四国・九州に分布し、山地に生えるタイプ種、

裸子植物門マツ綱マツ目マツ科マツ属ゴヨウマツPinus Pinus parviflora

及び、

ヒメコマツ Pinus Pinus var. parviflora(「姫小松」。基変種。ゴヨウマツの高山に生じている種で、丈が低く、低地にかけて生じているゴヨウマツよりも姿形が小さい)

キタゴヨウ Pinus Pinus var. pentaphylla(「北五葉」。ヒメコマツの変種。北海道(渡島半島・日高地方)に分布し、岩の多い急斜面や尾根に自生する。高さは二十五メートル、幹の直径は八十センチメートルに達する)

トドハダゴヨウ Pinus Pinus var. pentaphylla f. laevis(「椴膚五葉」。キタゴヨウの品種)

である。而して「三葉の者、亦、有」というのも、前で示した「栝子松」で、異名を「サンコノマツ」(三鈷の松)と称する、樹皮が白い、

マツ属 Ducampopinus 亜属シロマツ Pinus bungeana

のことである。このシロマツは当該ウィキによれば、『二・三葉マツ類( Pinus亜属)と五葉マツ類( Strobus亜属)の中間の性質を示』す種で、この亜属を『変わり種のグループ』である、とする。

「日光」日光東照宮を指す。

「飮食机(をしき)」「折敷」のこと。食器・杯などを載せる木製方形の盆。細い幅の板で囲って縁としている。平安時代から、平常の食事・祝いの宴などに用いられ、形式・材質・加飾によって、いろいろな種類が見られる。四隅を切った「角切(すみきり)折敷」、四角な「平折敷」、脚をつけた「脚付」、または「足打(あしうち)折敷」の形式があり、脚のついた方を目上の人に用いるのが、例である。材質は、薄く削った檜板が常で、杉・椽(とち)も用いるが、「うつほ物語」の「梅の花笠」に紫檀を、「源氏物語」の「若菜」の帖に浅香(せんこう:香木の一種)、「宿木」の帖に沈香(じんこう)、「紫式部日記」でも沈香を用いたことを伝えている。白木を加飾して、全体に胡粉(ごふん)を施した「白折敷」、縁青(ふちあお)の「青折敷」、画を描いた「絵折敷」は祝い事に用いられた。近世には黒漆・朱漆・青漆・溜塗りなどの「塗折敷」が現れた(小学館「日本大百科全書」に拠った)。]

譚 海 卷之十五 諸病妙藥聞書(8)

○せぼね、寸尺。

 大椎の兪(ゆ)と、廿一椎の下、腰兪(えうゆ)の穴に瑕點(かりてん)を付(つけ)て、右、大尺を以て、大椎の穴より腰兪まで「何寸何分」と度(はか)る。譬(たとへ)ば、「六寸五分」あるときは、左の小尺の上尺にて、大椎より、六寸五分の所に瑕點す。卽ち、七椎の下は、椎の上に當る。次に、中尺にて、此假鮎より、六寸五分の所、十四の下、十五の上に當る所に、復(また)、假點す。此假點より、下尺を以て度(はか)るに、六寸五分の所、腰兪也。此假點の間を、七つ宛(づつ)に割付(わりつけ)るときは、廿一節の長短、分明に具(そなは)りて、經旨(けいのむね)に、少(すこし)も、たがふこと、なし。

 日本橋くれまさ町(ちやう)菓子屋にて、兪穴導引(だういん)の書を、あきなふ。折本(をりほん)にて、一卷、代、銀八分、「江戶書林大坂屋平三郞」と有(あり)。

[やぶちゃん注:「寸尺」これは、背骨の正常な状態かどうかを調べる各部位の正常距離を指しているようだ。興味が全くないので、他の注は附さない。

「日本橋くれまさ町」榑正町。サイト「江戸の町巡り」の「榑正町」によれば、現在の東京駅八重洲口の向かい直近。中央区日本橋三丁目(グーグル・マップ・データ)。『寛永切絵図にも見られる古い町』で、『「榑」とは皮の付いたままの材木のこと。昔は葦の生い茂る地で人家も少なく、江戸城修築の際に榑木の置き場であったため、のち町屋が開かれた時にこの名が付けられた』とある。]

 

○腰ひえ、又は、痔等に用(もちゆ)る「あらひ藥」。

 紅花(べにばな)・黃柏(わうばく)・枳殻(きこく)【各二兩。】・奘葉【五兩。】甘草【一兩。】

 右、五味を、水一升、入(いれ)て煎(せんじ)る也。是、「一番せんじ」也。「二番せんじ」、五升ほどにする也。「三番せんじ」、三升ほどになるを、まつて、用る也。

 但(ただし)、「一ばんせんじ」、「二番せんじ」、「三番せんじ」の度(たび)ごとに、酒と、鹽とを、茶わんに一盃づつ、入(いれ)て、せんじあげ、用(もちゆ)る也。

[やぶちゃん注:「黃柏」ムクロジ目ミカン科キハダ属キハダ Phellodendron amurense の黄色い樹皮を乾した漢方生薬。

「枳殻」ムクロジ目ミカン科カラタチ属カラタチ Poncirus trifoliata の生薬名。未成熟或いは熟した果実を乾燥させたものを用いる。健胃・利尿・発汗・去痰作用がある。

「兩」「一兩」は、=「四分」=「六銖」で、現在の三十八・五グラムである。向後はこの注は附さない。]

 

○疝氣の藥。

 大便のとき、白き蟲、「うどん」を延(のば)したるやうなる物、くだる事、有(あり)。此蟲、甚(はなはだ)、ながきものなれば、氣短に引出(ひきいだ)すべからず。箸か、竹など、卷付(まきつけ)て、しづかに卷付々々、「くるくる」として、引出し、内より、はいけみ、いだすやうにすれば、出(いづ)る也。必(かならず)、氣を、いらちて、引切(ひききる)べからず、半時計(はんときばかり)にて、やうやう、出切(いでき)る物也。此蟲、出切(いできり)たらば、水にて、よく洗(あらひ)て、黑燒にして、貯置(ためおく)べし。「せんき」に用(もちい)て、大妙藥也。此蟲、「せんき」の蟲也。めつたに、くだる事、なし。ひよつとして、くだる人は、一生、「せんき」の根を、きり、二たび、おこる事、なし。長生の「しるし」也。

[やぶちゃん注:「疝氣」大腸・小腸・生殖器などの下腹部の内臓が痛む疾患を広く指す。

『白き蟲、「うどん」を延(のば)したるやうなる物』所謂「サナダムシ」の類である。私の「和漢三才圖會卷第五十四 濕生類 蚘(ひとのむし)」の注を参照されたい。但し、「疝氣」との関連性は全くない。複数個体が寄生していても、殆んど自覚症状は出ないのが、普通である。]

 

○「せんき」・「腰いたみ」、忽(たちまち)、なほす方。

 「鳥もち」を、大丸藥ほどに、まろめ、砂糖にても、「冰(こほり)おろし」にても、まぶし、五粒程、「さゆ」にても、茶にても、用(もちゆ)べし。

[やぶちゃん注:「鳥もち」鳥黐(とりもち)。製法は当該ウィキを参照されたい。

「冰(こほり)おろし」氷砂糖を細かくしたもの。「ざらめ」のこと。]

 

○疝氣の藥、「疝癪散」と云(いひ)、芝新橋橫町(よこちやう)・加賀町にて、商ふ。

 右、土用に入(いる)日、寒に入る日、一年に、兩度、服する藥なり。此日に、此藥を用(もちゆ)れば、「せんき」・「しやく」、根を、きりて、おこらず。

[やぶちゃん注:「芝新橋橫町」現在の