柴田宵曲「古句を觀る」正規表現版電子化注 / 「秋」(7)
秋寒し起て詠ル我まくら 諷 竹
閨怨の句と見るべきであらうか。「閑吟集」に「逢ふ夜は君が手枕、來ぬ夜は己が袖枕、枕餘りに床廣し、寄れ枕こち寄れ枕、枕さへ疎むか」と云ひ「科[やぶちゃん注:「とが」。]もない尺八を枕にかたりと投げあてても、さびしや獨り寢」と云ふ類、いづれも同じ情趣を傳へてゐるが、季節は別に現れてゐない。諷竹の句は情を抒することが多くない代りに、「秋寒し」の一語を以て、我と我枕を眺めてゐる人の姿をまざまざと描き出してゐる。俳句と他の詩との行き方の相違は、この兩者を比較しただけでも、多少の消息を窺ひ得るであらう。
「詠ル」は「ナガムル」とよむのである。自分の枕を眺むる態度は、やがて自己を客觀する態度とも解せられる。
[やぶちゃん注:「閑吟集」の以上の二首は、別々の歌で、所持する岩波文庫「新訂 閑吟集」(浅野健二校注一九八九年刊)では、前者は通し番号「171」で、
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逢ふ夜は君が手枕(たまくら) 來ぬ夜は己(おの)が袖枕(そでまくら) 枕餘りに床(とこ)廣し 寄(よ)れ枕 此方(こち)寄れ枕よ 枕さへに疎(うと)むか
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である。浅野氏の解説には、『狂言「枕物狂(まくらものぐるい)」の歌謡。狂言では、百歳(ももとせ)に余る老人が若い娘を恋い慕っての物狂いの場で歌うが、独立させれば前歌』(「170」の「めぐる外山(とやま)に鳴く鹿は 逢(お)うた別れか 逢はぬ怨みか」を指す)『を承けて、空閨をかこちながら輾転反側(てんてんはんそく)する女の歌とみることが出来よう』とある。後者は「175」で、
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人を松蟲 枕にすだけど 淋しさのまさる 秋の夜すがら
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である。「松虫」が文学作品に登場するのは平安時代からであるが、一般に研究者は、当時は「松虫」(直翅(バッタ)目剣弁(キリギリス)亜目コオロギ上科コオロギ科 Xenogryllus 属マツムシ Xenogryllus marmoratus )と「鈴虫」(コオロギ科 Homoeogryllus 属スズムシ Homoeogryllus japonicus )の呼称は逆転していたとされ、現在と一致するのは江戸時代初期とされる。しかし、私は、これは昆虫学を知らない古典文学者の杜撰な説と考えている。それは長くなるので、「和漢三才圖會卷第五十三 蟲部 松蟲」の私の見解を見られたい。「和漢三才圖會卷第五十三 蟲部 金鐘蟲(すずむし)」はこちらにある。]
年々のもたれ柱や星迎 白 雪
緣側の柱などであらうか、七夕の夜二星を迎ふる每に、必ずその柱に靠れる[やぶちゃん注:「もたれる」。私はこの漢字が生理的に嫌いである。私は「凭れる」を使う。]習慣になつてゐる。格別子細があるわけでもない、年々歲々同じ星祭の行事を繰返すうちに、自然さういふ習慣を生じたのである。この句の裏面にはかなり長い時間が含まれてゐる。
「冬籠又よりそはんこの柱」といふ芭蕉の句は、冬籠だけに柱に寄添ふ時間が長いので、柱に對しても宛も[やぶちゃん注:「あたかも」。この漢字も嫌悪する。私は「恰も」を使う。]人の如き親しみを生じているが、白雪の句にはそれほどの感情は含まれてゐない。むしろ「年々に松打つ柱古りにけり 虛子」などといふ句の方に近いかと思ふ。尤も年に一度の「もたれ柱」は星の契[やぶちゃん注:「ちぎり」。]と同じく、見樣によつては却つて情味が深いことになるのかも知れない。擬人の弊に陷り易い七夕の句としては、この程度に離れる必要があるのであらう。
[やぶちゃん注:「冬籠又よりそはんこの柱」は「曠野」(元禄二(一六八九)年刊)では、
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冬籠りまたよりそはん此はしら
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の表記で載る。この句は元禄元年十二月三日(グレゴリオ暦一六八八年十二月二十五日)附益光宛、及び、同月五日附尚白書簡に見える。
「年々に松打つ柱古りにけり」調べる限りでは、表記は、
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年々に松うつ柱古りにけり
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である。]
麻の葉の露や夜明の星祭 八 菊
「夜明の星祭」は夜明になつて星祭をするといふのではない、「星祭の夜明」と見たらよからうと思ふ。「星別れむとする晨[やぶちゃん注:「あした」。]」である。
麻の葉と星祭とは直接の關係が無い。作者はあの靑い鮮な葉の上に、夜明に近い露を認めたまでである。若し七夕に直接の關係を持つてゐたら、この麻の葉の露もまた少しく擬人的なものに變化する虞がある。露を何者かの淚と見る趣向は、和歌以來已に陳腐であるのみならず、星の別の淚となつては愈〻ありがたくない。この句は飽くまでも客觀の景色と見るべきである。
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