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2024/05/17

柴田宵曲「古句を觀る」正規表現版電子化注 / 「夏」(29)

 

   山ごしの豆麩も遲し諫鼓鳥 怒 風

 

「豆麩」といふのは豆腐のことである。腐の字は感じが惡いといふので、泉鏡花氏などは「豆府」と書いてゐたが、古人は屢〻「豆麩」の字を用いてゐるかと思ふ。

 山を越した向うの里から豆腐を賣りに來る。その大凡の時間がきまつてゐるのであらう。もう來さうなものだと思ふが、なかなかやつて來ない。どこかで閑古鳥の聲がする、といふ山里の光景である。「諫鼓」の字が當ててあるが、「諫鼓苔深うして鳥驚かず」などといふ面倒な次第ではない。俳諧季題の一員たる閑古鳥が啼くのである。

「ほとゝぎす自由自在に聞く里は酒屋へ三里豆腐屋へ二里」とかいふ天明の狂歌があつた。ほととぎすに不自由しない里は每日の生活に不自由するといふ槪念的の歌で、一讀して誰にも合點は行くやうなものの、さういふ里の情景は一向躍動しない憾がある。この閑古鳥の里も、豆腐屋へ二里あるか、三里あるかわからぬが、作者はさういふ方角から眺めずに、自分をその里の中に置いて、山越に來る豆腐屋が遲いといふ點だけを描いた。閑古鳥に豆腐を配するなどといふのは、俳諧でなければ企て得ぬところであらう。

[やぶちゃん注:「諫鼓鳥」「閑古鳥」カッコウ目カッコウ科カッコウ属カッコウ Cuculus canorus のこと。

『泉鏡花氏などは「豆府」と書いてゐた』鏡花は病的と極度の潔癖神経症で、「腐」という字に嫌悪感を持っていた。例えば、「青空文庫」の「湯どうふ」を見られたい。

「諫鼓苔深うして鳥驚かず」「諫鼓(かんこ)苔(こけ)深く鳥(とり)驚かぬ」は諺。「君主が善政を施すので、諫鼓(中国の伝説上の聖天子が、君主に諫言をしようとする者に打ち鳴らさせるために、朝廷の門前に設けたという鼓。「いさめのつづみ」)を用いることもなく、苔が深々と生えて蒸してしまい、鳥が鼓の音に驚くこともない」の意から、「世の中がよく治まっていること」の喩えである。

「ほとゝぎす自由自在に聞く里は酒屋へ三里豆腐屋へ二里」江戸後期の浮世絵師・狂歌師頭光(つむりのひかる 宝暦四(一七五四)年~寛政八(一七九六)年:本名は岸識之(「のりゆき」か)、通称は宇右衛門。別号に桑楊庵・二世巴人亭。江戸日本橋亀井町の町代を務めた。「狂歌四天王」の一人と称され、晩年には自ら作った狂歌集団「伯楽連」の中心となった。着想の奇警を特色とし、「才蔵集」の編集にも参画。著に「狂歌四本柱」などがある)の作。]

 

   飛石の間やぼたんの花のかげ 介 我

 

 牡丹園とか何とかいふ場所でなしに、普通の庭の牡丹と思はれる。飛石と飛石との間の土に、牡丹の花の影がうつゝてゐる。日ざしの關係であらうが、作者はそこに興味を感じたものらしい。大きな花だけに花の影もはつきり地上にうつるのである。

「花に影」となつている本もあるが、牡丹の花に影をうつすとなると、飛石以外の何者かでなければならぬ。それは句の上に現れて居らぬから、何の影か想像に困難である。「花のかげ」の方がいゝと思ふ。

 

   さはさはと風の夕日や末若葉 魯 九

 

 夕方の景色である。若葉の梢に明るく夕日がさして、爽な風が吹渡る度に、きらきらと光りながら飜る。「武藏野」にある「林影一時に閃く」とか、「木葉火の如くかゞやく」とかいふやうな盛な感じではない。明るい中にも一脈の陰影と寂しさとを伴つた光である。「さはさは」といふ言葉の現す風は、さう强い性質のものとも思はれぬ。

「若葉吹風さらさらとなりながら」といふ惟然の句は、若葉の風の爽な感じを主としたものであるが、時間は句の上に現れず、眼に訴へる分子があまり多くない。魯九の句は「夕日」の一語がある爲、斜陽の光の中に飜る若葉の梢が、直に眼に浮ぶやうに感ぜられる。夕日の若葉などといふものは、いづれかと云へば洋畫的風景で、當時としては新しい世界を窺つたと見るべきであらう。

 明るいとか、光とかいふ文字を使はないのは、昔の句の含蓄ある所以であるが、今の人はこれでは滿足しないかも知れない。

[やぶちゃん注:『「武藏野」にある「林影一時に閃く」とか、「木葉火の如くかゞやく」とか』やや表記に問題がある。私の偏愛する國木田獨步の「武藏野」(私のサイト版)の「((二))」の(下線は原本では傍点「○」、太字は傍点「●●」)、

   *

九月七日――『昨日も今日も南風強く吹き雲を送りつ雲を拂ひつ、雨降りみ降らずみ、日光雲間をもるゝとき林影一時に煌(きら)めく、――』

   *

で、同所の、

   *

同二十一日――『秋天拭ふが如し、木葉火のごとくかがやく。』 十月十九日――『明かに林影黑し。』

   *

が正しい。]

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