柴田宵曲「古句を觀る」正規表現版電子化注 / 「秋」(2)
村雨も過ぎて切籠のあらしかな 乙 双
村雨がばらばらと降つて止んで、切子燈籠に强い風が吹いて來た、といふのである。勿論夜の景色であらう。暗い夜空から降る雨も、俄に吹いて來る强い風も、盂蘭盆が背景であるだけに、他の場合とは自ら別個の感じを與へるところがある。
桐苗の三葉ある内の一葉かな 知 方
桐の苗木に葉が三枚ついてゐる。そのうちの一葉がばさりと落ちた。かういふ若木は秋の到ることを著しく感ずるものであるかどうか。三枚のうちの一葉を缺くのは、その小さな木から云へば重大な事件である。
「猿蓑」に「三葉散りてあとは枯木や桐の苗」といふ凡兆の句があつた。同じやうな材料ではあるが、これは一葉ではない。僅に三枚しかない苗木の桐の葉が皆散つてしまつて、あとは坊主の枯木になつてゐる、といふのだから、季節はもう少し後になる。漱石氏が「野分」の中でたつた一枚梢に殘つている桐の葉が、風に搖られて落ちるところを細敍したのは、それを見てゐる病人の心持と相俟つ點があつて、必ずしも自然の寫生ばかりではないが、季節から云ふと凡兆の句に近いであらう。「三葉散りて」と云つたところで、續けさまに葉が三枚散つたわけではなしに、嘗ては三枚あつた葉が三枚ながら散つてしまつて、今は枯木になつてゐるといふ、稍〻長い時間が含まれてゐる。知方の句は現在三枚あるうちの一枚が落ちたので、それほど時間的な意味は認められない。句としては凡兆の方が複雜でもあり、力强くもあるが、桐の苗の三枚の葉を別な立場から扱つた點に、吾々は或興味を感ずる。
[やぶちゃん注:凡兆の句は、所持する岩波文庫「芭蕉七部集」(中村俊定校注・昭和四一(一九六六)年刊)では、
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三葉散りて跡はかれ木や桐の苗
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である。
『漱石氏が「野分」の中でたつた一枚梢に殘つている桐の葉が、風に搖られて落ちるところを細敍したのは、それを見てゐる病人の心持と相俟つ點があつて、必ずしも自然の寫生ばかりではない』「野分」(のわき)は明治四〇(一九〇七)年一月、『ホトトギス』に初出。「八」の以下のシーン。読みは一部に留めた。
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垢染(あかじ)みた布團を冷やかに敷いて、五分刈りが七分程に延びた頭を薄ぎたない枕の上に橫(よこた)へてゐた高柳君は不圖(ふと)眼を擧げて庭前の梧桐(ごとう)を見た。高柳君は述作をして眼がつかれると必ず此梧桐を見る。地理學敎授法を譯して、く草々(くさくさ)すると必ず此梧桐を見る。手紙を書いてさへ行き詰まると屹度此梧桐を見る。見る筈である。三坪程の荒庭(あれには)に見るべきものは一本の梧桐を除いては外に何にもない。
ことに此間から、氣分がわるくて、仕事をする元氣がないので、あやしげな机に頰杖を突いては朝な夕なに梧桐を眺めくらして、うつらうつらとしてゐた。
一葉(いちえふ)落ちてと云ふ句は古い。悲しき秋は必ず梧桐から手を下(くだ)す。ばつさりと垣にかゝる袷(あはせ)の頃は、左迄(さまで)に心を動かす緣(よすが)ともならぬと油斷する翌朝またばさりと落ちる。うそ寒いからと早く繰る雨戶の外に又ばさりと音がする。葉は漸く黃ばんで來る。
靑いものがしだいに衰へる裏から、浮き上がるのは薄く流した脂(やに)の色である。脂は夜每を寒く明けて、濃く變つて行く。婆娑(ばさ)たる命は旦夕(たんせき)に逼る。
風が吹く。どこから來るか知らぬ風がすうと吹く。黃ばんだ梢は動(ゆる)ぐとも見えぬ先に一葉(ひとは)二葉(ふたは)がはらはら落ちる。あとは漸く助かる。
脂は夜每の秋の霜に段々濃くなる。脂のなかに黑い筋が立つ。箒(はうき)で敲けば煎餅を折る樣な音がする。黑い筋は左右へ燒けひろがる。もう危うい。
風がくる。垣の𨻶(すき)から、椽(えん)の下から吹いてくる。危ういものは落ちる。しきりに落ちる。危ういと思ふ心さへなくなる程梢を離れる。明らさまなる月がさすと枝の數が讀まれる位あらわに骨が出る。
僅かに殘る葉を虫が食ふ。澁色(しぶいろ)の濃いなかにぽつりと穴があく。隣りにもあく、其隣りにもぽつりぽつりとあく。一面が穴だらけになる。心細いと枯れた葉が云ふ。心細からうと見てゐる人が云ふ。所へ風が吹いて來る。葉はみんな飛んで仕舞ふ。
高柳君が不圖眼を擧げた時、梧桐は凡て此等の徑路を通り越して、から坊主ぼうずになってゐた。窓に近く斜めに張つた枝の先に只一枚の虫食葉(むしくひば)がかぶりついてゐる。
「一人坊つちだ」と高柳君は口のなかで云つた。
高柳君は先月あたりから、妙な咳をする。始めは氣にもしなかった。段々腹に答へのない咳が出る。咳丈(だけ)ではない。熱も出る。出るかと思ふと已(や)む。已んだから仕事をしやうかと思ふと又出る。高柳君は首を傾けた。
醫者に行つて見てもらはうかと思つたが、見てもらうと決心すれば、自分で自分を病氣だと認定した事になる。自分で自分の病氣を認定するのは、自分で自分の罪惡を認定する樣なものである。自分の罪惡は判決を受ける迄は腹のなかで辯護するのが人情である。高柳君は自分の身體(からだ)を醫師の宣告にかゝらぬ先に辯護した。神經であると辯護した。神經と事實とは兄弟であると云ふ事を高柳君は知らない。
夜(よる)になると時々寢汗をかく。汗で眼がさめる事がある。眞暗(まつくら)ななかで眼がさめる。此眞暗さが永久續いてくれゝばいゝと思ふ。夜があけて、人の聲がして、世間が存在してゐると云ふ事がわかると苦痛である。
暗いなかを猶暗くする爲めに眼を眠(ねむ)つて、夜着(よぎ)のなかへ頭をつき込んで、もう是ぎり世の中へ顏が出したくない。この儘眠りに入つて、眠りから醒めぬ間(ま)に、あの世に行つたら結構だらうと考へながら寐る。あくる日になると太陽は無慈悲にも赫奕(かくえき)として窓を照らしてゐる。
時計を出しては一日に脉(みやく)を何遍(なんべん)となく驗(けん)して見る。何遍驗しても平脉ではない。早く打ち過ぎる。不規則に打ち過ぎる。どうしても尋常には打たない。痰を吐く度(たび)に眼を皿の樣にして眺める。赤いものゝ見えないのが、せめてもの慰安である。
痰に血の交らぬのを慰安とするものは、血の交る時には只生きてゐるのを慰安とせねばならぬ。生きて居るだけを慰安とする運命に近づくかも知れぬ高柳君は、生きてゐるだけを厭(いと)ふ人である。人は多くの場合に於て此矛盾を冒(をか)す。彼等は幸福に生きるのを目的とする。幸福に生きんが爲めには、幸福を享受すべき生そのものゝ必要を認めぬ譯には行かぬ。單なる生命は彼等の目的にあらずとするも、幸福を享け得る必須條件として、あらゆる苦痛のもとに維持せねばならぬ。彼等が此矛盾を冒して塵界に流轉するとき死なんとして死ぬ能はず、而も日每に死に引き入れらるゝ事を自覺する。負債を償(つぐな)ふの目的を以て月々に負債を新たにしつつゝあると變りはない。之を悲酸(ひさん)なる煩悶と云ふ。
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