柴田宵曲「古句を觀る」正規表現版電子化注 / 「夏」(34)
雨に折れて穗麥にせばき徑かな 尺 艸
雨の降る日に穗麥畑に沿うた徑を通る。麥の穗先が地に折れ伏している爲、徑の幅が狹くなつてゐる。その狹い徑を雨にそぼ濡れながら行くといふのである。
「雨に折れて」といふと、雨の爲に穗麥が折れたもののやうに聞えるけれども、實際は雨中の徑に穗麥の先が折れ伏してゐる、といふ意味であらうと思ふ。穗麥に雨を點じて、かういふ小景を描いてゐるのが面白い。折れ伏した穗麥を踏むまじとして、雨に濡れながら徑を行く足のうすら寒さまで、この句から窺い得るやうな氣がする。
[やぶちゃん注:「徑」「こみち」。]
葉櫻のうへに赤しや塔二重 唯 人
印象的な句である。
葉櫻の綠と、丹塗の塔との配合が、色彩の上からはつきり頭に殘るといふだけではない。樹木の綠と建築物の赤との對照は、日本に於ては寧ろ平凡な景色に屬する。この句に於て特筆すべきものとも思はれぬ。
五重塔か、三重塔かわからぬが、多分前者であらう。丹塗の塔の上二重だけが、葉櫻の上に見えてゐる。この句が平凡を脫するのは「塔二重」の一語ある爲である。近代の句ならば、かういふ觀察も敢て珍しくないかも知れぬが、元祿期の句としては注目に値する。「塔二重」をもう少し平凡な語に置換へて見れば、その差は自ら明瞭であらう。
滿目の葉櫻の上に丹塗の塔が姿を現してゐるのを、稍〻遠くから望んだ景色と見ても惡くはないが、葉櫻の茂つた下に來て、梢に近く丹塗の塔を仰ぎ見た場合とも解することが出來る。新綠や靑葉若葉でなしに、特に葉櫻と限つたところを見ると、あまり遠望でない方がいゝかも知れぬ。
若竹に晴たる月のしろさかな 魯 九
この句には前の「葉櫻」のやうな、こまかい觀察は無い。特に「晴たる」と斷つたのは、今まで降つてゐた雨が晴れて、すがすがしい月が出たといふ意味であらうか。三日月や半月では、どうもこの景色に調和しない。磨きたてたやうな圓い月でありたいやうに思ふ。
「しろさ」といふのがこの句の眼目である。この一語によつて、晴れたばかりの月の新しい感じ、その光の明るさも眼に浮んで來る。實感に繫る言葉は、一見平凡のやうで然らざるものがある。
麥秋や弘法顏の鉢チ坊 巴 龍
表を汚い道心坊の通るのを見て、さてさて小汚い坊主だと內儀が云ふのを、滅多なことを云ふな、弘法樣かも知れぬ、と主が咎める。坊主が立どまつて、南無三あらはれたとゐふ。さてもさても太い坊主だ、弘法樣かも知れぬといつたら、あらはれたとぬかしたと云ふと、坊主が「又あらはれた」といふ笑話がある。この句を讀んで第一にあの話を思出した。
弘法大師が今も世に存在して隨所に現れる、といふことは一般に信ぜられてゐた。大師と知らずに麁末に取扱つた爲、その家が後に非運に陷つたといふやうな話も、いろいろ傳はつてゐる。前の笑話はさういふ漠然たる信仰を種に使つて、ちよつとおどけたところに面白味があるが、巴龍の句にはそれほど曲折はない。麥秋の頃に鉢坊主がやつて來る、それが如何にも弘法大師然たる顏をしている、と云つたのである。「弘法顏」といふ言葉は、自ら弘法を以て任じてゐる場合にも使はれるが、若しそんな手合があれば、必ず山師にきまつてゐる。この句は作者が殊更にさう見たので、大師に關する傳說を頭から肯定したといふよりも、寧ろその鉢坊主を多少揶揄するやうな氣分で、「弘法顏」と云つたものではないかと思はれる。
鉢坊主は托鉢する乞食僧の俗稱である。「鉢チ」と「チ」の字を送つたのは、「ハツチ」と讀ませる爲であらう。
[やぶちゃん注:解説冒頭の笑話は、国立国会図書館デジタルコレクションの「佛敎笑話集」(『佛敎文庫』十一・蓮本秋郊編・昭和六(一九三一)年東方書院刊)の、ここの「願人坊主(ぐわんにんばうず)」で発見した。短いので、電子化しておく。読みは一部に留めた。
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判じ物をひらりとなげ込んで行く願人を女房みて、「あれは願人のなかでも、むさいきたない形(なり)ぢや。」といふのを、亭主とめて、「これめつたな事をいはぬ物ぢや。得て弘法樣(こうぼうさま)が人の心を引見(ひきみ)るためきたない形(なり)でおあるきになさる、それかもしれぬ。」といへば、願人行きながら、「南無三あらはれた。」と云ふ。亭主をかしく、「あいつは太いやつだ、おれがもし弘法樣だもしれぬと云(いつ)たら、もう弘法樣になつてあらはれたとはなんの事だ。」といへば、願人。「南無三又あらはれた。」(譚囊)
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引用元は、内題を「鹿子餠後編譚囊」とする馬場雲壷(木室卯雲)の安永六(一七七七)年刊の咄本である。]
毛氈を達磨に著ルや五月雨 白 雪
弘法が出たから、大師の因[やぶちゃん注:「ちなみ」。]によつて達磨を出したわけではない。全く偶然である。
五月雨の時分には、袷に羽織を重ねてもまだ寒いことがある。この句は五月雨に降りこめられた人が、肌寒いまゝに毛氈を頭から被つて、つくねんとしてゐる、その形が達磨のやうだ、といふ意味らしい。その毛氈が赤ければ、愈〻達磨に近いわけであるが、そこまでの穿鑿は無用であらう。
この場合、達磨の如しとか、達磨に似たりとか云つたのでは、いさゝか平凡になる。畫にかいた達磨のやうな形に毛氈を被るといふことを、「達磨に著る」の一語で現したのは、奇にして且[やぶちゃん注:「かつ」。]妙である。寒夜毛布を被つて机に對する經驗は、吾々も持合せてゐるが、他から之を見る時は達磨然たるものであることを、この句によつてはじめて合點した。
見立の句ではあるが、別に厭味に陷つてゐないのは、「達磨に著るや」と云つてのけた爲であらう。他人の姿を見た句でなしに、自己の姿を客觀したもののやうな氣がする。
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