「和漢三才圖會」植物部 卷第八十二 木部 香木類 沉香
ちんかう 沈水香 𮔉香
阿迦爐香【梵書】
沉香
チン ヒヤン
[やぶちゃん字注:「𮔉」は「蜜」の異体字。]
本綱沈香出天竺諸國其木似白楊葉如冬靑而小皮青
色經冬不凋夏生花白而圓秋結實似檳榔大如桑椹紫
而味辛其積年老木根外皮幹俱朽爛木心與枝節不壞
堅黑沉水者卽沈香也 半沈者爲棧香【與水靣平者爲雞骨】
不沈者爲黃熟香【其根節輕而大者爲馬蹄香倭謂沈之榾最下也挽爲燒香】
[やぶちゃん注:この段落の割注の後半、「倭謂沈之榾最下也挽爲燒香」の部分は、「本草綱目」には存在しないので、変則的に良安が追加したものと私は推定する。]
膏脉凝結自朽出者曰熟結 刀斧伐仆膏脉結聚者曰
生結 因水朽而結者曰脫落 因蠧𨻶而結者曰蟲漏
堅黑者爲上黃色者次之 角沈【黒潤】黃沈【黃潤】蠟沈【柔靭】革沈【紋橫】皆不枯如觜角硬重沈于水下者爲上
海南沈香冠絕天下【萬安黎母山東峒謂海南】一片萬錢也占城之
沈香不若眞臘不若海南
沈香【辛徵温】 治心腹痛益精壯陽暖腰𦡀補右腎命門補
脾胃止吐瀉冷氣治大腸虛閉小便氣淋
[やぶちゃん注:以下の「聖皇本紀云……」は良安の補足である。]
聖皇本紀云推古天皇三年異木寄淡路以代薪其香妙
絕也異之而獻大二圍長一𠀋餘太子曰是沈水香也此
木名梅檀香天竺國多出𠙚南天竺南海岸夏月諸蛇相
繞此木清冷故也人以矢射冬月蛇蟄卽斫採之沈水久
者爲沈水香不久者號爲淺香
△按沈香交趾之產脂潤柔靭而重爲最上暹羅之產色
似鶉彪而香亦佳次之太泥之產木理相透狀色美而
其香不佳占城之產白黑襍似鶉彪而香不佳也近年
中華之舩亦少將來之
*
ちんかう 沈水香《ぢんすいかう》 𮔉香
阿迦爐香《アカロかう》【「梵書」。】
沉香
チン ヒヤン
[やぶちゃん字注:「𮔉」は「蜜」の異体字。]
「本綱」に曰はく、『沈香、天竺諸國より出づ。其の木、白-楊(やなぎ)に似て、葉は、冬-靑(まさき)のごとくして、小なり。皮、青色。冬、經て、凋《しぼ》まず。夏、花を生じ、白くして、圓《まどか》なり。秋、實を結ぶ。檳榔《びんらう》に似て、大いさ、桑椹《さうじん》のごとし。紫にして、味、辛し。其れ、積年の老木の根・外皮・幹(ゑだ[やぶちゃん注:ママ。])俱《とも》に、朽爛《くちただ》る≪るも≫、木の心《しん》、枝・節、與(とも)に壞《くゑ》ず。堅く黑≪くして≫、水に沉む者、卽ち、沈香也。』≪と≫。 『半ば沈む者、「棧香《さんかう》」と爲《な》す【水靣と平≪たひら≫なる者、「雞骨」と爲す。】。』≪と≫。
『沈まざる者、「黃熟香」と爲す』≪と≫【『其の根・節、輕くして大≪なる≫者、「馬蹄香」と爲す。』】≪と≫。【倭《わ》に「沈《ちん》の榾《ほだ》」と謂ふは、最下なり。挽《き》きて、燒香《しやうかう》と爲す。】。
[やぶちゃん注:この段落の割注の後半、「倭《わ》に「沈《ちん》の榾《ほだ》」と謂ふは、最下なり。挽《き》きて、燒香《しやうかう》と爲す。」の部分は、「本草綱目」には存在しないので、変則的に良安が追加したものと私は推定する。]
『膏脉《かうみやく》[やぶちゃん注:樹脂。]、凝結し、自(を《のづから》[やぶちゃん注:「を」はママ。])朽≪ち≫出《いづ》る者、「熟結」と曰ふ。』≪と≫。 『刀斧《たうふ》にて、伐り仆ふして、膏脉、結聚《けつじゆ》する者を「生結」と曰ふ。』≪と≫。 『水に因《よ》りて朽ちて結する者を「脫落」と曰ふ。』≪と≫。 『蠧《きくひむし》≪の≫𨻶《すき》に因りて、結する者を「蟲漏《ちゆうろう》」と曰ふ。堅く黑き者、上と爲し、黃色なる者、之れに次ぐ。 「角沈」【は黒潤。】・「黃沈」【は黃潤。】・「蠟沈」【は柔靭(しなへ)。】・「革沈」【は紋、橫。】、皆、枯れずして、觜《くちばし》・角《つの》のごとくして、硬重《かたくおもく》≪して≫、水≪の≫下に沈む者、上と爲す。』≪と≫。
[やぶちゃん注:以上の割注の頭の「は」は、訓点としては、特異的であるが、底本に『ハ』と総てに振られている。]
『海南の沈香、天下に冠絕《かんぜつ》す【萬安《ばんあん》の黎母山《れいぼざん》の東≪の≫峒《ほら》、「海南」と謂ふ。】一片、萬錢なり。占城《チヤンパ》の沈香、眞臘《しんらう》に若《し》かず、≪眞臘の者、≫海南に若かず。』≪と≫。
『沈香【辛、微温。】 心腹痛を治す。精を益し、陽を壯《さかん》にし、腰・𦡀《ひざ》を暖め、右腎の命門《めいもん》を補ふ。脾胃を補ひ、吐瀉・冷氣を止め、大腸≪の≫虛閉・小便≪の≫氣淋を治す。』≪と≫。[やぶちゃん注:以下の「聖皇本紀云……」は良安の補足である。]
「聖皇本紀」に云はく、『推古天皇三年[やぶちゃん注:五九五年。]、異木、淡路に寄る。以つて、薪《たきぎ》に代《か》≪ふに≫、其の香《かほり》、妙絕なり。異《い》として、之れを獻《ささ》ぐる。大いさ、二圍《ふためぐり》、長さ、一𠀋餘。太子、曰はく、「是れ、『沈水香』なり。」≪と≫。此の木を「梅檀香」と名づく。天竺國に出づる𠙚、多し。南天竺、南海の岸、夏月、諸蛇《しよじや》、相ひ繞《まと》ふ。此の木、清冷なる故なり。人、矢を以つて、射る。冬月、蛇、蟄《ちつ》するとき、卽ち、斫《き》りて、之を採り、水に沈めて、久《ひさしき》に≪ある≫者、「沈水香」と爲す。久しからざる者、號して、「淺香」と爲す。』≪と≫。
△按ずるに、沈香、交趾《カフチ》の產、脂《あぶら》、潤《うるほひ》、柔-靭(しな)へて、重し。最上と爲す。暹羅(シヤム)の產、色、鶉《うづら》≪の≫彪(ふ)に似て、香も亦、佳《よ》く、之れに次ぐ。太泥(バタニ)の產、木理(きめ)、相ひ透りて、狀《かたち》・色、美なれども、其の香、佳からず。占城《チヤンパ》の產、白黑、襍(まじは)り、鶉の彪に似れども、香、佳からざるなり。近年は中華(もろこし)の舩にも亦、少し、之れを將來せる。
[やぶちゃん注:これは、代表的な香木の一つとして知られる、
双子葉植物綱アオイ(葵)目ジンチョウゲ(沈丁花)科ジンコウ(沈香)属ジンコウAquilaria agallocha
である。当該ウィキによれば、『熱帯アジア原産』『の常緑高木』で、『風雨や病気・害虫などによって木部を侵されたとき、その防御策としてダメージ部の内部に樹脂を分泌、蓄積する。それを乾燥させ、木部を削り取り香木として利用する。原木は、比重が』〇・四『と非常に軽いが、樹脂が沈着することで比重が増し、水に沈むようになる。これが「沈香」の由来となっている。幹、花、葉ともに無香であるが、熱することで独特の芳香を放ち、同じ木から採取したものであっても微妙に香りが違うために、わずかな違いを利き分ける香道において、組香での利用に適している』。『沈香は香りの種類、産地などを手がかりとして、いくつかの種類に分類される。その中で特に質の良いものは伽羅(きゃら)と呼ばれ、非常に貴重なものとして乱獲された事から、現在では、沈香と伽羅を産するほぼすべての沈香属(ジンチョウゲ科のジンコウ属およびゴニスティルス属』( Gonystylus )『)全種はワシントン条約の希少品目第二種に指定されている』。『「沈香」はサンスクリット語(梵語)で aguru(アグル)またはagaru(アガル)と言う。油分が多く色の濃いものをkālāguru(カーラーグル)、つまり「黒沈香」と呼び、これが「伽羅」の語源とされる。伽南香(かなんこう)、奇南香(きなんこう)の別名でも呼ばれる。沈香の分類に関しては香道の』「六国五味」の項の『記事に詳しい』。『また、シャム沈香』『とは、インドシナ半島産の沈香を指し、香りの甘みが特徴である。タニ沈香』『は、インドネシア産の沈香を指し、香りの苦みが特徴』。『沈香は、強壮、鎮静などの効果のある生薬でもあり、奇応丸などに配合されている』。『ラテン語では古来 aloe の名で呼ばれ、英語にも aloeswood の別名がある。このことからアロエ(aloe)』(単子葉植物綱キジカクシ目ツルボラン科ツルボラン亜科アロエ属 Aloe )『が香木であるという誤解も生まれた。勿論、沈香とアロエはまったくの別物である』。『中東では oud 』『と呼ばれ、自宅で焚いて香りを楽しむ文化がある』。『「沈香」には上記のような現象により、自然に樹脂化発生した、天然沈香と、植樹された沈香樹に故意にドリルなどで穴をあけたり、化学薬品を投入することで人工的に樹脂化させたものを採集した、栽培沈香が存在する』。『当然ながら、品質は前者が格段に優れている。稀に上記の製造過程から来たと思われる薬品臭の付いてしまっているものや、低品質な天然沈香に匹敵する栽培沈香も存在する。しかし、伽羅は現在のところ栽培に成功していない』。『また』、『栽培沈香は人工的に作ったものとして人工沈香ともよばれる。栽培沈香は天然沈香資源の乱獲により、原産国でも一般的になりつつあり、国内でも安価な香の原材料として相当数が流通している』。『原木から沈香が生成されるメカニズムは、その詳細が長い間不明であったが』、二〇二二『年に富山大学の研究グループが遺伝子技術を用いることで、複数の酵素が関係していることを解明した』。『これにより、これまで自然任せだった栽培沈香を、はるかに効率よく作り出す道が拓けた』。『なお、香木のにおい成分を含んだオイルに木のかけらを漬け込んだものや、沈香樹の沈香になっていない部分を着色した工芸品は、そもそも沈香とは呼べず、香木でもない。したがって栽培沈香でもない』。『推古天皇』三(五九五)年四月に『淡路島に香木が漂着したのが』、『沈香に関する最古の記録であり、沈香の日本伝来といわれる。漂着木片を火の中にくべたところ、よい香りがしたので、その木を朝廷に献上したところ重宝されたという伝説が』「日本書紀」に『ある』。『奈良の正倉院』『には長さ』一・五六メートル、『最大径』四十三センチメートル『重さ』十一・六キログラム『という巨大な香木・黄熟香(おうじゅくこう)(蘭奢待』『とも)が納められている。これは、鎌倉時代以前に日本に入ってきたと見られており、以後、権力者たちがこれを切り取り、足利義政・織田信長・明治天皇の』三『人は付箋によって切り取り跡が明示されている。特に信長は、東大寺の記録によれば』一『寸四方』二『個を切り取ったとされている』。『徳川家康が慶長』一一(一六〇六)『年頃から行った東南アジアへの朱印船貿易の主目的は伽羅(奇楠香)の入手で、特に極上とされた伽羅の買い付けに絞っていた』(「異国近年御書草案」)とある。
なお、冒頭の標題の読み「ちんかう」はママとしておいた。但し、「目録」では、「ぢんかう」とするので、本文の「沈香」は「ぢんかう」の読みでよい。
「本草綱目」の引用は、例の通り、「卷三十四」の「木之一」「香木類」の「沈香」の独立項で(「漢籍リポジトリ」)、ガイド・ナンバー[083-28b]から始まるが、引用は「集解」の[083-29a]の一行目中ほどから始まっているものの、前後をパッチワークしている。良安はその分離を例の一字空けで示している。
「天竺諸國」東洋文庫訳では割注して『(インド・タイ・カンボジア)』とするが、これは現代の国名でということになる。
「白-楊(やなぎ)」これも日中で異なる種を指す。中国では、
キントラノオ目ヤナギ科ヤマナラシ属(別名ハコヤナギ属)ギンドロ Populus alba
(銀泥)で中文名は「銀白楊」であるが、通称で「白楊」と称する。邦文の当該ウィキによれば、『ヨーロッパ中南部、西アジア原産で、中央アジアから地中海地方に分布している』。『日本にも帰化しており、いわゆる雑草化していたるところに生えているのが見られる』とあるが、本邦で「白楊」と言うと、このギンドロではなく、面倒なことに、二種の異名で、
ヤマナラシ属ヨーロッパヤマナラシ変種ヤマナラシ Populus tremula var. sieboldii(日本固有種)
と、日本・朝鮮及び中国に分布する、
ヤマナラシ属ドロノキ Populus suaveolens
(泥の木)のそれである。みな、同属種ではあるが、良安は無論、同一種と勘違いしている。
「冬-靑(まさき)」「柾・正木」で、ニシキギ目ニシキギ科ニシキギ属マサキ Euonymus japonicus (日中同種)を指す。
「檳榔《びんらう》」ヤシ科の植物檳榔樹である、単子葉植物綱ヤシ目ヤシ科ビンロウ属ビンロウ Areca catechu のこと。果実を薬用・染色用とする。「檳榔子」(びんろうじ)と書くと、ビンロウの果実を指すが、ここでは、それ。本種は本邦では産しないが、薬用・染料とするため、奈良時代の天平勝宝八(七五六)年頃、輸入された記録が既にある。
「桑椹《さうじん》」「桑の実」を指す語。
「燒香《しやうかう》」線香のこと。
「海南」「ハイナン」。これは広義の現在の海南省と一致する、海南島(グーグル・マップ・データ)を指している。
「冠絕《かんぜつ》」中国語で「ずば抜けて勝れる」という動詞。
「萬安《ばんあん》の黎母山《れいぼざん》」東洋文庫訳では割注があり、『(広東省瓊州府安定県の西南』にある山とする。海南島のど真ん中にある黎母嶺(グーグル・マップ・データ)。現行では、瓊中リー族ミャオ族自治県内にある。
「占城《チヤンパ》」現在のベトナム中部に存在したチャム族の国家。中文の「抖音百科」の「占城」の地図を参照されたい。
「眞臘《しんらう》」六~十五世紀、インドシナ半島のメコン川流域に存在したクメール人(カンボジア人)の国家の中国名。扶南から独立して建国、七世紀前半に扶南を滅ぼした。八世紀に水真臘と陸真臘に分裂したが、九世紀初めに再統一し、アンコール‐ワットに代表されるクメール文化を現出した。十四世紀頃からタイの圧迫を受け、次第に衰退した。良安の時代は、その結果として暗黒時代であった。現在のカンボジアに相当する。
「心腹痛」心因性の腹部痛を指すようである。
「右腎の命門《めいもん》」「肉桂」で既出既注だが、再掲すると、「命門」漢方の一派で「右腎」(うじん)を指す語。男子では、精を蔵し、女子は胞(子宮)に繋がり、生殖機能との関係が深いとされた。また、経穴の一つで、人体後面の腎のつく所とされる第二腰椎上にあるものをも言う(小学館「日本国語大辞典」に拠った)。東洋文庫の「肉桂」の割注では、『生命の源。右腎』とする。
「聖皇本紀」聖徳太子によって編纂されたと伝えられる教典「先代舊事本紀大成經」(せんだいくじほんきたいせいきょう)の異本である「舊事本紀大成經」七十二巻の内、三十五から三十八巻が「聖皇本紀」。但し、複数の研究者によって偽書とされている。当該部は、国立国会図書館デジタルコレクションのここから影印本(訓点附きで読み易い)が視認出来る(左丁後ろから三行目以降)。一部、省略されており、また、最後の部分がカットされている。(訓読した。推定で読みや意味を添えた)、
*
佛國に生ず。「※木」(ちやうぼく:大切にする木。)なり。今自(じこん:今より後)、吾が國に倚(よ)るなり。佛法の興起(こうき)の瑞(ずゐ)なり。
[やぶちゃん字注:「※」は(わかんむり)の下に「龍」。「寵」の異体字(見出せないが)であろう。]
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「交趾《カフチ》」既出既注だが、再掲しておく。コーチ。「跤趾」「川内」「河内」とも漢字表記した。元来は、インドシナ半島のベトナムを指す中国名の一つ。漢代の郡名に由来し、明代まで用いられた。近世日本では、ヨーロッパ人の「コーチ(ン)シナ」という呼称用法に引かれて、当時のベトナム中部・南部(「広南」「クイナム」等とも呼んだ)を、しばしば、「交趾」と呼んだ(どこかの自民党の糞老害政治家石原某は今も使っている)。南シナ海の要衝の地で、朱印船やポルトガル船・中国船が来航し、中部のホイアン(グーグル・マップ・データ。以下、無指示は同じ)などに日本町も栄えた(主文は山川出版社「山川 日本史小辞典」に拠った)。
「暹羅(シヤム)」既出既注だが、再掲しておく。タイの旧称。シャムロ。「暹」国と「羅」国が合併したので、かく漢字表記した。本邦では、私の世代ぐらいまでは、結合双生児を「シャム双生児」と呼んだが、これはサーカスの見世物のフリークスとして知られた胸部と腹部の中間付近で結合していた「チャン&エン・ブンカー兄弟」(Chang and Eng Bunker 二人とも一八一一年~一八七四年)が、たまたまシャム出身であることによった呼称であり、地域差別を助長する差別用語として死語にすべきものである。
「太泥(バタニ)」マレー半島中部東海岸のマレー系パタニ王国。本書が書かれた当時は女王が支配し、南シナ海交易の要港であった。位置は当該ウィキの地図を見られたい。]
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