柴田宵曲「古句を觀る」正規表現版電子化注 / 「夏」(28)
裸身に蚊屋の布目の月夜かな 魚 日
灯火を置かぬ場合であらう。月の光が室內にさし込んで、蚊帳に寢てゐる人に及ぶ。裸の上に蚊帳の影が落ちて、布目がはつきり見える、といふのである。夜更らしいしづかな趣が想像される。
長塚節氏の「鍼の如く」の中に「四日深更、月すさまじく冴えたり」といふ前書があつて、「硝子戶を透して㡡[やぶちゃん注:「かや」。]に月さしぬあはれといひて起きて見にけり」外二首の歌がある。魚日の句はガラス戶のない時代だから、月は戶のひまか、窓からでもさし入るものと思はれるが、長塚氏の歌は月のさす蚊帳かやに重きを置き、魚日の句はその蚊帳に入つてゐる自分の姿が主になつてゐる。歌と句との相異はその邊にもあるのかも知れぬ。
この句と殆ど同じところを覘つたものに、「手枕や月は布目の蚊屋の中 智月」といふのがある。「手枕」と「裸身」といふこと、「月は布目の蚊屋の中」といひ「蚊屋の布目の月夜かな」といふ表現の上にも、男女の相違は現れてゐるが、時代は智月の方が先んじてゐる。かういふ趣が偶合するのは怪しむに足らぬとしても、布目の月といふことに對する先鞭の功は、智月に歸せなければなるまいと思ふ。
[やぶちゃん注:『長塚節氏の「鍼の如く」の中に「四日深更、月すさまじく冴えたり」といふ前書があつて、「硝子戶を透して㡡[やぶちゃん注:「かや」。]に月さしぬあはれといひて起きて見にけり」外二首の歌がある』「鍼の如く」(しんのごとく)は、長塚節の亡くなる前年大正三(一九一四)年五月から『アラヽギ』に連載され、翌四年一月に及ぶ病床の歌日記である。彼は大正四年二月八日午前十時、九州大学附属病院で喉頭結核で亡くなった。国立国会図書館デジタルコレクションの昭和二二(一九四七)年に公文館から刊行された歌集「鍼の如く」には、ここに、
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四日深更、月すさまじく冴えたり
硝子戶を透して㡡に月さしぬあはれといひて起きて見にけり
小夜ふけて竊に蚊帳にさす月をねむれる人は皆知らざらむ
さやさやに㡡のそよげばゆるやかに月の光はゆれて凉しも
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とある。私は大の和歌嫌いだが、長塚節の詠は、昔から好きだった。私も結核性カリエスを幼少期に患った。三十五の若さで亡くなった彼には、シンパシーが生ずるのである。
「手枕や月は布目の蚊屋の中」「智月」は女流蕉門俳人の河合智月(寛永一〇 (一六三三) 年頃~享保三(一七一八)年)。山城国宇佐生まれ。大津の伝馬役兼問屋役であった河合佐右衛門の妻。貞享三(一六八六)年頃、夫に死別して尼となり、弟の蕉門であった乙州を養嗣子とした。蕉門きっての女性俳人として知られ,元禄二(一六八九)年十二月以降、芭蕉を自宅に迎える機会が多く、同四年、東下する芭蕉から「幻住庵記」を形見に贈られている。森川許六は、その作風を「乙州よりまさる」(「俳諧問答」)と評しながらも、「五色の內、ただ一色を染め出だせり」(「青根が峯」)と単調・平板な難点も指摘している(主文は朝日新聞出版「朝日日本歴史人物事典」に拠った)。而して、この句は、
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手枕(てまくら)や月は布目(ぬのめ)の蚊屋の中
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であるが、「玉藻集」では、
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手枕や月の布目の蚊屋の中
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とし、しかも、智月ではなく、園女の作と誤っている。]
おちくぼのさうしめでたや土用干 桃 先
土用干の本の中に「落窪物語」があつたといふだけでは、元祿の句としても單純に過ぎるが、この句には「おちくぼのさうし、大伯母妙貞の娵入道具の一つとかや」といふ前書がついてゐる。前書と相俟つてこの句を見れば、一槪に單純と云ひ去るわけには行かない。
ここに「落窪物語」の草子がある。その本は大伯母に當る妙貞といふ婦人が、嫁入の時に持つて來たものであるといふ。妙貞は剃髮後の名であらうが、まだ存生であるのか、沒後の話か、この句だけではよくわからない。いづれにしても大伯母である人が嫁入したのだといふのだから、隨分古い話である。作者は土用干の中にこの書を見出して、さういふ由來を思ひ浮べ、今更の如く過ぎ去つた歲月を考へる。すべてが淡々と敍し去つてあるに拘らず、短篇小說でも讀むやうな連想を與へずには置かぬ。句そのものの力より、前書に現れた事實の興味によるのであらう。
嫁入道具の中に「落窪物語」があつたといふことは、大伯母妙貞の人柄なり、生れた家柄なりを考へさせるものがある。書誌學者ならば、この時代の草子についても必ず說があることと思ふが、吾々は「めでたや」の一語からその體裁を想望するだけで滿足したい。
客人に水汲おとや夏の月 吾 仲
水は有力な夏のもてなしの一である。客人の爲に水を汲ませる。身體を拭く水か、飮む水か、そこまではわからぬが、汲むのは水道でなしに井戶だから、つめたいことは請合である。中七字が「水汲せたり」となつてゐる本もある。「水汲おとや」とある以上、主人自ら汲むのでなしに、誰かに汲ませてゐるので、特に汲ませると斷るにも及ばぬかと思ふ。けれども「汲せたり」といふ言葉が、單に人をして水を汲ましむるに止らず、汲ませた水をそこへ運んで來るといふ動作を含むとすれば、その點は多少違つて來るが、そこまで連想を働かすのが果して正解であるかどうか、疑問なきを得ない。
水は目に訴える場合ばかりでなく、耳に訴へる場合にも亦涼味を伴ふ。「音」の一字はこの場合、相當重要な役目をつとめてゐる。
子をうんで猫かろげなり衣がへ 白 雪
お腹の大きかつた猫が子を產んで、身も輕げに見えるといふ事實と、更衣をして自分の身も輕くなつたといふ事實とを取合せたのである。句の表は猫が主になつてゐて、更衣は景物のやうに見えるけれども、猫の身を「かろげ」と觀ずる根本は、更衣をして快適になつた作者の氣分に在る。季節の上からそれが一致することは云ふまでもない。
「子をつれて猫も身がるし……」となつている本もあるが、これだと單に子を產んだといふ事實だけでなしに、その子を連れてそこらを步いてゐるといふ猫の動作が加つて、句の上の景色が多少複雜になつて來る。いづれにしても、さういふ輕快な猫の樣子と、更衣の氣分とを併せて一句の趣としてゐるのである。
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