「和漢三才圖會」植物部 卷第八十二 木部 香木類 楠
[やぶちゃん注:図の中央下方に左下の挿入図のキャプションとして「實」(み)とある。]
くすのき 柟【相同】
【久須乃木】
楠【音南】
ナン
本綱楠生南方其樹直上童童若幢蓋之狀枝葉不相礙
葉似豫章而大如牛耳一頭尖經歳不凋新陳相換其花
赤黃色實似丁香色靑不可食幹甚端偉髙者十餘丈巨
者數十圍氣甚芬々爲梁棟噐物皆佳葢良材也色赤者
堅白者脆造船皆用之其性堅而善居水久則當中空爲
白峨所穴其近根年深向陽者結成草木山水之狀俗呼
爲骰柏楠宜作噐
△按楠葉似櫧葉而光澤背淡白邊畧反卷莖微赤五月
開細白花帶黃其子如豆大而青色本細似細口梨形
其木堅實耐水以造舶其根株經歳者變爲石
無名
歌枕和泉なるしのたの森の楠の千枝に分かれて物をこそ思へ
[やぶちゃん注:この短歌は第三句に脱落があり、「楠の木の」が正しい。訓読では補塡した。]
*
くすのき 柟《ゼン/ダン》【「枏」も同じ。】
【≪倭名≫、「久須乃木」。】
楠【音南】
ナン
「本綱」に曰はく、『楠、南方に生ず。其の樹、直(《ちよ》く)に上《のぼ》り、童童《どうどう》として幢蓋(どうがい)の狀(かたち)のごとく、枝葉、相ひ礙(さは)らず。葉、豫《よ》・章《しやう》に似て、大きく、牛の耳のごとく、一頭、尖り、歳《とし》を經て、凋(しぼ)まず。新《しん》・陳《ちん》、相ひ換(か)ふ。其の花、赤黃色。實《み》、丁香《ちやうかう》に似て、色、靑し。食ふべからず。幹《みき》、甚だ端偉《たんい》≪にして≫、髙き者、十餘丈。巨なる者、數十《すじふ》圍《まわり》、氣、甚だ、芬々なり。梁《はり》・棟《むね》・噐物《うつはもの》と爲《な》して、皆、佳なり。葢し、良材なり。色、赤き者、堅く、白き者は、脆《もろ》し。船を造るに、皆、之れを用ふ。其の性、堅くして、善く水に居《を》る。久しき時は[やぶちゃん注:「時」は送り仮名にある。]、則ち、當《まさ》に中空《ちゆうくう》にして、白蛾の爲《ため》、穴《あな》せらる。其の根に近き≪所は≫、年深《としふか》く、陽《ひ》に向ふは、結《けつ》して、草木山水《さうもくさんすい》の狀《かたち》を《→に》成る。俗、呼んで、「骰柏楠《とうはくなん》」と爲《な》す。宜しく噐に作るべし。』≪と≫。
△按ずるに、楠《くす》≪の≫葉、櫧(かし)の葉に似て、光澤≪あり≫、背、淡白《あはじろ》く、邊(まは)り、畧(ちと)、反卷(そりまき)、莖、微赤なり。五月、細≪き≫白花を開き、黃を帶ぶ。其の子《み》、豆の大きさのごとくにして、青色。本《もと》、細く、細-口-梨(《ほそぐち》なし)の形に似たり。其の木、堅實にして、水に耐(た)ふ。以つて、舶《ふね》に造る。其の根株、歳《とし》を經《ふ》る者、變じて、石と爲《な》る。
「歌枕」 無名
和泉なる
しのだの森の
楠の木の
千枝(ちえ)に分かれて
物をこそ思へ
[やぶちゃん注:これも、時珍の示す「楠」と、良安の認識している「楠」は種が異なる。但し、同じクスノキ目クスノキ科Lauraceaeではある。時珍のそれは、
クスノキ科タブノキ(椨の木)属ナンタブ Machilus nanmu
(南椨)であるのに対し、我々や良安の認識するのは、
クスノキ科ニッケイ(肉桂)属クスノキ Cinnamomum camphora
なのである。後者は言わずもがなであるが(当該ウィキをリンクするに留める)、ナンタブというのは、私は初めて知った。英文の同種のページを見るに、『中国南部の四川省と雲南省北東部に固有の種で』、『主に伐採による棲息地の喪失の脅威に曝されている』とあり、ナンタブは『成長の遅い大型の木で、幹は長く真っ直ぐで、高さは』十~四十『メートル、直径は』五十センチメートルから一メートルに『なる』。その『木材は、腐食に非常に強く、密度が高く、オリーブ色から赤褐色までの魅力的な色を呈していることから、建築や家具作りに広く使用されてきた。かの「故宮」は、本来は、明の』永楽帝『朱棣』(しゅてい)に『よって、ナンタブの木材を使用して建設された』ものであったとあり、更に、『腐食に強いため、船を作るのにも使用された』とあり、時珍の叙述とピッタり一致するのである。
「本草綱目」の引用は、「卷三十四」の「木之一」「香木類」の「楠」の独立項で(「漢籍リポジトリ」)、ガイド・ナンバー[083-40a]から始まる、その「集解」の二行の「時珍曰」以下であるが、珍しく、かなりしっかりと、ほぼそのままに引用されてあるので、比較されたい。
「童童」「樹木に枝がないさま」を言う漢語。
「幢蓋(どうがい)」軍の指揮に用いる旗鉾(はたぼこ)と朱色の傘を合わせたもの。大将軍や州軍の長官などが用いた。
「礙(さは)らず」この「礙」は「碍」(「対象を害する」の意)の異体字。
「豫」これは次の次の項である「釣樟」で、その異名。高級爪楊枝となることで知られる、クスノキ目クスノキ科クロモジ(黒文字)属クロモジ Lindera umbellata var. umbellata を指す。
「章」これも次項である「樟」を指す。而して、これこそが、本邦のクスノキ科ニッケイ(肉桂)属クスノキ Cinnamomum camphora と同一種を指す。
「新・陳、相ひ換(か)ふ」葉が、年を経ても、なかなか枯れ落ちることがなく、旧葉は、相当の年月を過ぎて初めて、新葉に交代する。
「丁香」これは、所謂、「クローブ」(Clove)のことで、バラ亜綱フトモモ目フトモモ科フトモモ属チョウジノキ Syzygium aromaticum である。
「食ふべからず」こう明記するからには、有毒なのであろうが、ナンタブ Machilus nanmu の果実が有毒であるという記載は、ちょっと調べたが、ないようである。
「端偉」東洋文庫訳では、『幹は、大へん端正で、偉大』とある。
「白蛾」種不詳。
「年深く、陽に向ふは、結して」東洋文庫訳では、『何年もの長い間、陽(ひ)の方に向かっていると』、『結して』、『草木山水の状を形成する』とある。
「骰柏楠」中文の「北京保利國際拍賣有限公司」のサイトに、明の清の宮廷の旧蔵の机の画像があり、作品名称を「明 黄花梨骰柏楠面翘头案」とある。机上の表面を拡大視出来るようになっているが、その模様を見られたい。「草木山水の狀」と言えるかどうかは別として、確かに、独特の木目を示している。
「櫧(かし)」この漢字は、現行では、ブナ目ブナ科コナラ属アカガシ亜属アカガシ Quercus acuta を指す。当該ウィキによれば、『かたくて赤褐色の材は和名の由来となり、車両や船舶、三味線の棹、木刀にも使われる』とあり、材がナンタブやクスノキと通性がある。特にクスノキは、当該ウィキによれば、『材は、古木になるほど年輪が入り組んで、材のひき方によって様々な模様の杢が現れる』。『枝分かれが多く』、『直線の材料が得難いという欠点はあるが、虫害や腐敗に強いため、古来から船の材料として重宝されていた。古代の西日本では丸木舟の材料として、また、大阪湾沿岸からは、クスノキの大木を数本分連結し、舷側板を取り付けた古墳時代の舟が何艘も出土している。その』さまは、「古事記」の『「仁徳記」に登場するクスノキ製の快速船「枯野」(からぬ)の逸話からも窺うことができる』。『室町から江戸時代にかけて、軍船の材料にもなった』とある。
「細-口-梨(《ほそぐち》なし)」種不詳。
「歌枕」「歌枕名寄」(うたまくらなよせ)。中世の歌学書で、全国を五畿七道・六十八ヶ国に区分し、当該国の歌枕を掲げ、その歌枕を詠みこんだ証歌を、「万葉集」・勅撰集・私家集・私撰集から広く引き出して列挙したもの。成立年代は「新後撰和歌集」(嘉元元(一三〇三)年奏覧)の前後で、編者は『乞食活計之客澄月』と署名があるが、「澄月」その人の伝は不詳である。中世には、歌枕と、その証歌を、類聚して作歌の便を図った、所謂、「歌枕撰書」が幾つか編纂されたが、それらの中で、本書は最大(全三十八巻・六千余首)で、よく整備されたものである。また、江戸時代の万治二(一六五九)年に版行され、広く流布した。相当に形の異なる諸本があるが、澄月編纂の形に最も近いものは、細川幽斎自筆本(『永青文庫』蔵)である。所引の証歌は勅撰集にせよ私家集にせよ、現在の流布本とは形が異なるものが多く、その方面の文献学的研究に資するところは大きい(以上は主文を平凡社「世界大百科事典」に拠った。
「和泉なるしのだの森の楠の木の千枝に分かれて物をこそ思へ」「古今和歌六帖」(全六巻。編者は紀貫之、或いは、源順(したごう)とも言われる。草・虫・木・鳥等の二十五項、五百十六題について和歌を掲げた類題和歌集)の「第二 山」に所収する。「日文研」の「和歌データベース」のそれの、ガイド・ナンバー「01049」で確認した。]
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