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2024/05/30

柴田宵曲「古句を觀る」正規表現版電子化注 / 「秋」(6)

 

   干綿に落て音なきじゆくしかな 暮 谷

 

 自ら枝を離れた熟柹が、綿を干した上に落ちる。柿が堅いか、下のものが堅いかすれば、音がするわけだけれども、柿も熟しており、下が柔い綿なので、何の音もしなかつた、といふのである。

 ちよつと變つた場合を見つけたところに面白味がある。綿を澤山積んで置いて、その上へ高いところから飛下りたら怪我をせずに濟むだらうか、といふやうなことを考へた少年時代を思ひ出す。

 

   鰯ほす有磯につゞく早稻田かな 句 空

 

 磯に續く此方は、一面の田圃たんぼになつていて、穗に出た早稻がそよいでいる。磯には鰯が干してある。烈しい秋の日が照りつけて、むつとするやうな干鰯ほしかの匂もあたりに漲みなぎつているに相違ない。

 芭蕉の「早稻の香や分け入る右は有磯海」といふ句は、海に近い稻田の比較的大きい景色と、その間をとぼとぼと行く芭蕉の旅姿を連想せしめるが、句空は「鰯ほす」の一語によつて、その磯の樣子を强く描き出している。北國作家の一人だから、舞臺は無論同じところである。

[やぶちゃん注:「句空」(没年不詳)は加賀蕉門の重鎮。元は金沢の商人であった。元禄元(一六八八)年四十一、二歳頃、京都の知恩院で剃髪し、金沢卯辰山の麓に隠棲した。翌二年、芭蕉が金沢を訪れた際に入門、同四年には、大津の義仲寺に芭蕉を訪ねている。五部の選集を刊行しているが、俳壇的野心は全くなかった。一方で、芭蕉に対する敬愛の念は深く、宝永元(一七〇四)年に刊行した「ほしあみ」の序文に、芭蕉の夢を見たことを記している。正徳二(一七一二)年刊行の「布ゆかた」の序に、当時六五、六歳とあり、この年以後の消息は全く不明である(以上は主文を朝日新聞出版「朝日日本歴史人物事典」に拠った)。

「早稻の香や分け入る右は有磯海」私の『今日のシンクロニティ「奥の細道」の旅 61 越中國分 早稻の香や分け入る右は有磯海』を見られたい。]

 

   何をする家とも見えず壁に蔦 其 由

 

 壁に蔦などを匍はせて住んでゐるが、必ずしも數寄者といふわけではない。この「何をする」といふ言葉は、蕪村が「こがらしや何に世わたる家五軒」といつたほど强い意味の言葉でなく、素性のわからぬ、得體の知れぬといつた程度のものと見るべきであらう。子規居士の「職業のわからぬ家や枇杷の花」といふ句が、ちよつとこの句に近いものを捉へてゐる。

[やぶちゃん注:「こがらしや何に世わたる家五軒」明和五年十月二十三日(グレゴリオ暦一七六八年十二月一日)の作。

「職業のわからぬ家や枇杷の花」明治三三(一九〇〇)年の作。]

 

   張聲や籠のうづらの力足 山 店

 

 籠に飼はれた鶉が一際聲を張つて鳴く時に、足に力を入れる、といふだけのことである。「張聲」と云ひ「力足」と云ひ、言葉の上にもいさゝか前後照應するものがある。

 由來俳人はこの種の觀察を得意とする。鶯の鳴く場合の描寫がいろいろあることは已に記した。但この種の觀察は、自然に活動する山禽野鳥の上には下しにくいので、畫家の寫生と同じく、籠中のそれを便宜とするわけであらう。この句も「籠の鶉」であることを、ちゃんと斷つてゐる。

 

   竹伐て日のさす寺や初紅葉 吾 仲

 

 句意は隱れたところもない。竹を伐つた明るい感じ、日のあたる寺、あたりの紅葉し初めた木々、といふやうなものは、そのまま一幅の畫圖である。

「肌さむし竹切山のうす紅葉 凡兆」といふ句は、竹を伐ることに紅葉を配した點で、稍〻似たやうな趣を具へてゐるが、凡兆の句が蕭條たる山中の氣を肌に感ぜしむるに對し、吾仲の句は繪畫的にあたりの景色を髣髴せしむるところがある。「初紅葉」と云ひ「うす紅葉」と云ひ、紅葉の色の濃からざる[やぶちゃん注:「こまやかからざる」。]ことが、句中の趣を助けてゐる點は、兩句ともあまり變りが無い。

「肌さむし竹切山のうす紅葉」この凡兆の句は「猿蓑」の「卷第三」に載る。岩波文庫堀切実編注「蕉門名家句選(下)」の解説によれば、『「木六竹八」といって、竹は陰暦の八月ごろに伐るのが最良とされる』とある。]

 

   秋の日や釣する人の罔兩 雲 水

 

「罔兩」は「カゲボフシ」とよむのであらう。秋天の下に釣する人の影法師を描いただけの句で、今の人から見たら大まかに過ぎるかも知れない。併し徐にこの句を再誦三誦して見ると、何となく棄て難いものがある。無心に釣を垂れてゐる人の影法師は、春日でも面白くなし、冬日でも工合が惡い。夏の炎天では尙いけない。たゞ一個の影法師を描いただけで、或うらさびしさを感ぜしむるのは、天地に亙る秋の氣の力である。何の背景もなしに或空氣を描き出すのは、かういふ大まかな句の一特長とも見ることが出來る。

 

   妹がすむたばこの花の垣根かな 春 鷗

 

 煙草の花は美しいものである。妹の垣根に煙草が高く伸びて、美しい花をつけてゐるなどは材料が新しいのみならず、眺としても面白い。「妹が垣根三味線草の花咲きぬ」といふ蕪村の句は、實景であつたかも知れぬが、妹と三味線とが緣のあるものだけに、殊更にかういふ想を構へたかといふ疑も起る。煙草に至つてはそんな關係は何も無い。極めて自然である。

 煙草が官營になつてから、もう四十年近くになるであらうか。煙草の製品が專賣局以外にないのみならず、植えられた煙草の葉一枚と雖も、苟も[やぶちゃん注:「いやしくも」。]出來ないことになつてしまつた。何かの煙草の中に種子がまじつてゐたのを蒔いて置いたら、煙草が生えて花が咲出した爲、遂に見つかつて罰金を取られた、といふ話を聞いたことがある。煙草花咲く妹が垣は、昔の夢とするより仕方がない。

[やぶちゃん注:「煙草が官營になつてから、もう四十年近くになるであらうか」まず、「葉煙草專賣法」は、明治二七(一八九四)年から翌年に、「日清戦争」を受けて、国家財政の補助のために導入された税金であったが、逆に「葉煙草」の不正取引や、安い輸入品の国内流入を招く結果を生み、政府は目標の税収を得ることが出来なかった。それに対処するため、総てを国が管理する「煙草專賣法」が明治三七(一九〇四)年に「煙草専売法」が制定された(以上は「JT」公式サイトの「たばこの歴史」の『専売化された「たばこ」』に拠った)。]

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