柴田宵曲「古句を觀る」正規表現版電子化注 / 「夏」(22)
蟲干や鼓にたゝく書物箱 此 山
曝書といふと書物のみに限られるやうだが、蟲干といへば包含する範圍が廣くなる。この句は蟲干の中に於ける書物の場合である。
本箱に入つた書物を皆出して、からになつたのをポンポンたゝく。それを鼓に見立てたのである。「鼓に」は「鼓の如くに」の意であらう。蟲干の最中に興じて鼓の眞似をしたとまで解さなくてもいゝ。埃を拂ふ爲に背中からポンポン打つ。それを鼓を打つやうだ、と云つたものと見ればよかたうと思ふ。
本箱と云はずに書物箱といつたのは、字數の關係とも見られる。併しかういふ風に置かれて見ると、書物箱といふ言葉は言葉で、本箱とは違つた味ひを持つてゐるやうな氣がする。
笈摺をかけて涼しや梛の枝 自 笑
「熊野道中」といふ前書がある。これが熊野道者[やぶちゃん注:「くまのだうじや」。]の風であることは、狂言の小歌にも「爰通る熊野道者の、手に持つたも梛[やぶちゃん注:「なぎ」。]の葉、笠にさいたも梛の葉、これは何方[やぶちゃん注:「いづかた」。]のお聖[やぶちゃん注:「ひじり」。]樣ぞ、笠の內がおくゆかし、大津坂本のお聖樣、おゝ勸進聖ぢや」とあるによつて明であらう。たゞこの句が稍〻明瞭でないのは、作者は熊野道中に在つて、かういふ道者の姿を描いたのか、作者自らも道者の群に加つてゐるのか、といふ點である。
手にも梛の葉を持ち、笠にもさして通る。靑い梛の葉をかざす道者の姿を涼しと見た、とも解することが出來る。この場合はすべてが客觀の涼しさである。さういふ道者の一人として、笈摺をかけ、梛の葉をかざして見ると、身も心も涼しくなつたやうな氣がする、といふ風にも解することが出來る。この場合は大分主觀の加つた涼しさになる。いづれにしても道者の姿といふことは動かぬのであるが、「熊野道中」といふ前書と云ひ、「笈摺をかけて」の語が身に近く感ぜられるところから見て、後者と解するのが妥當ではあるまいかと思ふ。
去來にも自ら順禮に出た經驗があつたらしく、「卯の花に笈摺寒し初瀨山」「順禮もしまふや襟に鮓の飯」といふやうな句が傳はつてゐる。自笑も或は自家の經驗によつてこの句を獲たのかも知れない。
[やぶちゃん注:「笈摺」「おひずり」。巡礼などが、着物の上に着る単(ひとえ)の袖無し。羽織に似たもの。笈で背が擦れるのを防ぐものとされる。左・右・中の三部分から成り、両親のある者は、左右が赤地で中央は白地、親のない者は、左右が白地で中央に赤地の布を用いた。「おゆずる」「おいずる」とも呼んだ(小学館「日本国語大辞典」に拠った)。
「自笑」泉屋自笑。加賀蕉門の俳人。例の芭蕉の山中温泉のタドジオ久米之助桃妖の叔父。私の『今日のシンクロニティ「奥の細道」の旅 69 山中や菊はたおらぬ湯の匂ひ』の私の「久米之助」の注を参照されたい。
「梛」裸子植物門マツ綱マツ目マキ科ナギ(梛)Nageianagi のこと(ナギ属とぜずにマキ属 Podocarpusに含める説もある)。ウィキの「ナギ」によれば、雌雄異株で『比較的温暖な場所に自生』し、高さは二十メートル程の巨木に達する。『葉の形は楕円状披針形で、針葉樹であるが広葉樹のような葉型である。若枝は緑色で葉を十字対生につけ、それがやや歪んで』二列に『並んだようになる。五月頃開花して十月頃になると、『丸く青白色の実が熟す。多くの場合、根に根粒を形成する』。『海南島や台湾、日本の本州南岸、四国九州、南西諸島などの温暖地方に分布する。しかし、紀伊半島や伊豆半島に生育する個体は古い時代に持ち込まれたものが逸出したものが起源と考えられる(史前帰化植物)。少なくとも春日大社のものは』千年以上前に『植栽されたとされている。生育は関東南部が北限といわれる。ただし、化石が関西近辺でも出土する』。『熊野神社及び熊野三山系の神社では神木とされ、一般的には雄雌一対が参道に植えられている。また、その名が凪に通じるとして特に船乗りに信仰されて葉を災難よけにお守り袋や鏡の裏などに入れる俗習がある。神社の中には代用木としてモチノキが植えている場合もある』。『造園木のほか、材を家具器具材や、床柱などとしても利用する』とある。私は北条政子が頼朝と逢瀬を重ねたと伝えられる伊豆権現、現在の静岡県熱海市伊豆山にある伊豆山神社で初めて知った。源頼朝と北条政子がその葉を変わらぬ愛の証に持ったとされるいわくつきの梛である。なお、ここでは「熊野行者」から、私は奈良春日大社の境内の景ではないかと考えている(ここは非常に珍しくも有意な林相を成していることから、大正一二(一九二三)年に国天然記念物に指定されている)。
『狂言の小歌にも「爰通る熊野道者の……』狂言「不聞座頭」(きかずざとう)の「續狂言記」巻之三所収での「聾座頭」の一節。]
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